チョ・ゲバラのエロパロSS保管庫 - 俺の妹がこんなにとびっきりに変態なわけがない (5)
episode5 「嵐の中のツンデレ」


「ふー、風呂は命の洗濯だねー」
 俺――乃木涼介は、そんな独り言を言いながら湯船に身体を沈めた。
 心地よい温かさが身体の芯にまで染み渡り、今日一日の疲れが程よく癒されていく。
 うちの浴室は普通の一般家庭のそれと比べてかなり広く設計されているで、湯船の中でも脚を伸ばして悠々と浸かれるのだ。
 平凡だけが取り柄であるうちの父親の唯一の娯楽が、この風呂であった。
 こと入浴に関してだけは、彼はなぜか別人のようなこだわりを見せたのだ。
 己の理想を追い求め、リフォームに次ぐリフォームを繰り返し、ようやく作り上げた癒やしの空間がこの場所である。それなのに突然の転勤の憂き目で西国の最果てまで飛ばされ、愛する風呂から引き離さてしまったのは運命の悪戯としか言いようがなかった。
 まぁ、そんな哀れな父親の分まで、俺がゆっくりと楽しんでやることにしよう。
 さて、波乱に満ちた熱海旅行から一週間ほどが過ぎ去ろうとしていた。
 その間、俺が理想とする平和な生活が続いていたのかと言えばそうでもない。実は、最近になって奇妙な事件が我が家で連続して起きていた。
 パンツが盗まれているのだ。
 そう、つまりパンツ泥棒が出没しているということなのだが、奇怪なことに盗まれるのはいつも俺のパンツだった。
 うちには年頃の妹がいるので、縞々パンツやらいちごパンツなんかを盗むのならまだわからなくもないのだが、俺のトランクスなんかを盗んでいったいどうしようというのか。まったく。不思議なパンツ泥棒だよ。まさかホモのパンツ泥棒とかだったりして。ううっ……想像するだけでガクブルしてくる。やっぱり早めに警察とかに相談した方がいいのかな?
 と、俺が湯船の中で今後の対応について真剣に悩んでいる真っ最中だった。
 脱衣所を抜き足差し足でゆっくりと歩く怪しい人影が、すりガラスのドアに映り込んだ。
「……真帆奈?」
「うにゃーっ!」
 その人影が、ビクゥッ! とドアの向こうで飛び跳ねた。
 俺の不肖の妹――乃木真帆奈であった。
 現在、この家には俺と妹しか住んでないのだから、誰にでもわかる簡単な消去法だった。
「なにやってるの?」
 俺は、ドアの向こうの妹に聞いた。
「ななな、なにって……べ、べつに真帆奈はなーんにもやましいことはしてないよ」
 姿がはっきりと見えなくても、明らかに挙動がおかしいのがよくわかった。すぐに尿検査をされるレベルだ。
「ふーん。だったらなにやってたのか教えてよ?」
「えっ……つまりお兄ちゃんは、真帆奈の行動を逐一把握したいってことなんだね」
 なんのこっちゃ。相変わらず意味不明な奴だな。
「意味わかんないから。今そこでなにやってたのかだけ教えてよ」
「……くー」
「なんでいきなり寝たフリするんだよ。いくらなんでもそれは無理筋だろ」
「真帆奈の手筋を研究し尽くしてるなんて、流石お兄ちゃんだねっ」
「そんな無駄な研究したことないよ。早くなにやってたのか教えて」
「うー……そ、そうだ! 実は真帆奈は、お兄ちゃんに聞いて欲しいことがあったんだよ」
「『そ、そうだ!』ってなんなの? まるでたった今思い付いたみたいじゃないか」
「そんなことはまったくないよ。真帆奈はお兄ちゃんの人生の指針になるようなネタを思い付いたから、ただ聞いて欲しかっただけなんだよ」
「人生の指針ね……。なんかもう嫌な予感しかしないよ。それは今じゃないと駄目なの? 風呂から上がって暇で暇で死にそうだったら聞いてやってもいいけど」
「真帆奈は今すぐお兄ちゃんに聞いて欲しくて、もう居ても立ってもいられないんだよ! 延期に延期を重ねた『sisters〜夏の最後の日〜』の発売前日のような心境なんだよ!」
 あそこは延期がお約束だからな。エロシーンはヌルヌルと動いて神だったけど。でも、発売した翌日に妹から妹物のエロゲーを押し付けられる兄の心境なんて、お前には理解できないんだろうな。
「そこまで言うんだったら、とりあえず聞いてみることにするよ」
 まぁ、金を払うわけでもないしな。暇潰しで聞き流しとけばいいだろ。拒否しても蛇のようにしつこいだろうし。
「はい、釣れましたー」
「……釣れた?」
「なんでもないよ。こっちの話だから」
 なにからなにまで意味不明な奴だな。
「それじゃー今から、『ことわざや格言の一部を近親相姦に変更するとお兄ちゃんの目から鱗』を始めるよ。これでなにかを掴んで実生活で役立てて欲しいよ」
「……なるほど。VIP+とかでよくあるシリーズの応用編か。やっぱり俺の嫌な予感が当たったな」
 なにも掴めないと思うよ。雲を掴む方が簡単なレベルだ。
「そんな減らず口が聞けるのも今のうちだよ。これを聞いたら最後、人生という名の迷路の中で迷っていたお兄ちゃんは、きっと自分の進むべき正しい道を見定めて、真帆奈に襲い掛かってくるに決まってるんだから」
「あんまりハードルは上げない方がいいんじゃないか。それを考えた人も、本当に面白いかどうかは最後まで自信がなかったみたいだし」
「考えたのは真帆奈だよ」
「そうだったな。こっちの話だから気にするな」
「じゃあ、さくっといくよ」
 そうだな。さくっといってくれ。あんまり余韻を残さないようにな。
「犬も歩けば近親相姦に当たる」
「ちょっ、そんなにところ構わずやってないだろ! どんな世の中だよ!」
「弘法も近親相姦の誤り」
「弘法大師はそんなこと得意じゃねーよッ! 失礼なこと言うな!」
「二階から近親相姦」
「二階から!? プロセスがさっぱりだよ!」
「大山鳴動して近親相姦」
「大騒ぎして結果がそれかよ! めちゃくちゃ大したことあるよ!」
「背水の近親相姦」
「まさに絶体絶命じゃねーかっ!」
「近親相姦は一日にしてならず」
「そんなことをコツコツと地道に努力してどーすんだよ!」 
「私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は近親相姦のために」
「ルターの名言になんてことを! もうなにもかもが台無しじゃねーか!」
「生きるべきか死ぬべきか。それが近親相姦だ」
「シェイクスピアにまで挑戦するのか! もうお前の頭の中が疑問だらけだよ!」
「涙とともにパンを食べたものでなければ近親相姦の味はわからない」
「そこまでして味わうとか必死すぎるだろ!」
「以上で終わりだよ。これでお兄ちゃんが進むべき正しい道が見えたはずだよ」
「いや、全然見えないから」
 つーか、ツッコミ疲れたよ。日向君の強引なドリブルで突破されたような感じだ。
「うー、そんなこと言うんだったらしょうがない。もう本陣に突入だーっ!」
 で、ドアノブをガチャガチャとやり出す真帆奈。
 結局、オチはこういうパターンなるわけだ。
「うー! なんで鍵なんかしてるの!」
「どこかの変態が入ってこないようにだよ。正解だったろ。冴えてるな、俺」
「だいたい兄妹がべつべつにお風呂に入るのがおかしいんだよ! クラスのみんなはお兄ちゃんと一緒にお風呂に入ってるって言ってたよ! 兄妹は一緒にお風呂に入るのがデフォなんだよ!」
「そんな苦しまぎれの嘘を付くんじゃない!」
 どこの変態クラスの話なんだよ!
「うー、もういいよ! 真帆奈はもう部屋に戻るから! 後になってお兄ちゃんが一緒に入りたいとか言ってきても知らないんだからね!」
 そんな捨て台詞を残して、真帆奈は脱衣所から去った。
 トタトタと階段を上る音が聞こえてくる。
 妙だな……? 
 いつもならもっとしつこく食い下がってくるはずなのに、今日は意外と簡単に諦めやがったぞ。結局なんのために脱衣所に忍び込んできたのかも不明だしな。まさか本当にあんな小ネタを披露するために、わざわざやって来たとは思えないのだが……。
 ……。
 ……。
 ピキーン。
「はっ!? ま、まさか――ッ!」
 俺は急いで風呂から上がると、脱衣所に置いてある洗濯籠の中身を確認した。
「や、やっぱり……」
 素早く身体を拭いて服を身に付けると、俺は一目散に二階を目指して階段を駆け上がった。
 ごめん……。
 実はパンツ泥棒の件で、みなさんに重大な嘘を付いていた。
 もう倒叙形式のような見え見えの前フリだったと思うが、実は俺も最初から犯人の目星は付いていたのだ。
 一枚目のパンツが盗まれたと気付いた瞬間、「ああっ、奴の仕業だな」とニュータイプのように直感したよ。
 だがしかし、兄としては奴がそこまで地に落ちた行為をしているなどと思いたくなかった。そんな過酷な現実を受け入れたくなかったのだ。そうやって俺が逃避している間に、もしかしたら犯人が心を入れ替え、真人間に変わってくれるんじゃないかと淡い希望を持っていたというのに、その一縷の望みは今あっさりと打ち砕かれた。行為はエスカレートの頂点を極め、ついに奴は脱ぎたてにまで手を出してくるようになったのだ。
 こうなってしまってはもう仕方がない。現行犯で抑えてとっちめてやることにしよう。こんな優しい兄の想いを裏切った罪は、FireFoxよりも重いのだ。
 蹴り破るような勢いでドアを開け、俺は真帆奈の部屋に突入した。
「国税局査察部の者だ! パンツ泥棒の疑いでこれより強制捜査を執り行う!」
「うにゅーっ!」
「あああ――ッ!」
 俺は呆然とその場に立ち尽くした。
 なぜならば、今まさに俺の脱ぎたてのトランクスを頭から被って、変態仮面に変身しようとする実の妹の姿を目の当たりにしてしまったからだ。
 真帆奈は大慌てで俺のパンツを枕の下に隠し、目をゴシゴシと擦りながら、
「あ、あれれー。お兄ちゃん、お風呂に入ってたんじゃないの? いったいなんの用なのかなー? ノックもしないで妹の部屋に入ってくるなんて、いくらお兄ちゃんでもぶらいばしーの侵害なんだよ」
 と、さもたった今起きた風を装って言いやがった。
 驚愕することに、こいつはこの状況から白を切るつもりのようだ。恐るべし乃木真帆奈。
「……なにやってたの?」
「ほよ? な、なにって……ちょっと仮眠してたところだよ」
 完全にパンツを被っていたところを目撃されているというのに、こいつはどんだけ面の皮が厚いんだ。
「じゃあ、その枕の下に隠した俺のパンツはいったいなんなの?」
「うにゅにゅ? パンツ? 枕の下にお兄ちゃんのパンツなんかないよ。お兄ちゃんはいつもそうだね。わけがわからないよ」
 癇に障る台詞を吐きやがって。
「だったら枕の下を確認させてよ」
「えっ……。ま、枕の下には本当になにもないんだよ。真帆奈が言ってるんだから間違いないよ。だから確認する必要なんかないのだ」
 亀になって枕を防衛しようとする真帆奈。
 なんと往生際の悪い奴だ。
「もういいからとっとと見せなさい」
「こ、これはだめなのー。真帆奈の身体の大切な場所ならいくらでも確認していいからー」
「そんなもん見たかねーよ! いいからさっさとどくっ!」
「だ、だめなのー! はにゃあぁぁーっ!」
 亀になった真帆奈を力づくで枕からひっぺがし、残酷な真実を白日の下に晒した。
「これを見ろッ! やっぱり俺のパンツじゃねーか! これでもまだ白を切る気か!」
「あ、あれれー……? おかしいなー……なんでこんなところにお兄ちゃんのパンツがあるのか、真帆奈はさっぱりだよ?」
 わざとらしく小首を傾げて、真帆奈は瞳をキョロキョロと泳がせた。
 見た目だけは兄の目から見ても確かに可愛い。
 黒絹のように艶やかな長い髪、透き通るような優しい雪肌、どこかのアトリエのヒロインのように愛らしく整った顔立ち、誰がどう見ても美少女度100%だろう。
 まぁ、中身は兄のパンツを盗むようなド変態だけどな。
「お兄ちゃんは本当に悲しいよ。もういいからパンツだけは返して」
 なんだかもう疲れたよ、パトラッシュ。
「だめーっ! それは持っていったらだめなのー!」 
 真帆奈が烈火の如く俺のパンツに飛び付いてきた。
「これはもう真帆奈の物なんだからー!」
「アホか! これは俺のパンツだッ!」
 で、妹と本気のパンツの引っ張り合いが始まってしまった。
 なんという不毛な争いだろうか。
「これは伊達直人さんが真帆奈のために持ってきてくれたんだよー!」
「嘘付けッ! 伊達直人が俺のパンツを配り歩くわけないだろ! 謝れッ! 全国の伊達直人さんに謝って!」
「真帆奈はもう脱ぎたてじゃないと満足できない身体になってしまったんだよー!」
 人間性を疑わざるを得ないカミングアウトを堂々としやがったぞ。
「もうっ! 本当に返してっ!」
「ふにゃぁぁーっ!」
 俺は、やっとのことでパンツを取り返した。
 なっ、毒蛇のようにしつこかっただろ。
「うわーん! 真帆奈の唯一の生き甲斐だったのにー!」
「もっと人の役に立つようなまともな生き甲斐を探しなさい!」
「おにー! あくまー! 兄でなしー!」
「お前は妹でなしだ!」
 極度の倦怠感のようなものを覚えながら、俺はパンツを持って真帆奈の部屋から出た。


 翌日は朝から雨だった。
 なんでも台風一号が迫っているそうだ。急速に発達しつつ現在北上中だとかで、明日の深夜くらいに関東を直撃するかもしれないらしい。季節外れの台風とか怖いよね。でも台風が上陸するとか聞くと、なんかワクワクしてこないかな? これっていったいなんなんだろうね。俺にも戦闘民族の血が流れているということなのだろうか。
 と、早朝からそんなくだらないことを考えながら制服に着替えて、俺はそそくさと一階に降りた。出会い頭に、キッチンで衝撃の光景に遭遇した。
「ふんふふん、ふんふふん、ふんふんふーん」
 ご機嫌な鼻歌に合わせて、ライトブルーとホワイトの縞々パンツがフリフリしているではないか。
「うが……うがが……あががが……」
 俺は、陸揚げされた秋刀魚のように口をパクパクとさせて狼狽した。動悸と息切れがものすごく激しい。
「あらっ、おはよう乃木くん。起きるの早いのね。いつもこんなに早いのかしら?」
「と、と、と、東郷さん!? えええっ、ちょっ? な、なんで!?」
 緩やかにエアウエーブした長い黒髪、スーパーモデルのような抜群のスタイル、衆目を虜にする美しいさと可愛らしさを兼ね備えた顔立ち、そして、眼鏡属性。
 我が学園の不動のNo.1美少女――東郷綾香その人だった。
「いったいどうしたのかしら、乃木くん? まるでフリーザーが後二回の変身を残していることを知ったベジータみたいよ」
 なるほど。ドラゴンボール繋がりか。
「ど、どうしたのかじゃないよ東郷さん! もうツッコミどころが満載過ぎて、いったいどこからツッコんでいいのか決められないよ!」
 一先ず俺は、ヒッヒッフーとラマーズ呼吸法で精神の安定を取り戻した。
「まっ、まず、その格好はいったいなんなのさ!?」
 我が学園の絶対アイドルは、縞パン一つにフリルが付いたやや大きめのエプロンをまとっているだけのいけない姿だった。はちきれんばかりの胸の双子のメロン様が、エプロンの横からボヨヨ〜ンとはみ出しそうになっているではないか。学園の東郷ファンの連中がこの光景を見たら、間違いなく全員が卒倒することだろう。
「えっ、この格好のことかしら? 一応、『すーぱーそに子 しまパンver.』を意識してみたのだけれど、似合ってないかしら?」
「いや、似合ってるよ! 似合いすぎるくらい似合ってるけど、なんで東郷さんがそんなマニアックなフィギュアの格好をしなきゃいけないのかが不明だよ!」
 東郷さんのプロポーションは、すーぱーそに子のそれに勝るとも劣らない。CGクリエイター泣かせなのである。
「裸エプロンは男の浪漫だと聞いたものだから、乃木くんも浪漫を追い求める人なのかと思って、とても恥ずかしい格好なのだけれど頑張ってみたのよ。喜んでもらえたのなら嬉しいわ」
 東郷さんはぽっと頬を薄紅色に染め、はにかむような微笑を見せた。
「仮に裸エプロンが男の浪漫だったのしても、東郷さんがする必要はないですからっ! だいたいなんで朝からここにいるのかも謎だよ!」
「昨晩は夕飯を作りに来れなかったから、今日はその替わりと言ってはなんだけど朝食を作りにきたのよ。それで乃木くんの家に着いてエプロンを見たら、すーぱーそに子のことを思い出してしまって。私って、一度なにかを思い付いたらもう歯止めが効かなくなる人だから、これはもうやっとくしかない! と気合を入れてしまったわ」
 どうやらすーぱそに子に相当な思い入れがあったようだ。
「そんな売れない芸人のような論理で身体を張ったりするのはよくないと思うよ。もっと自分を大切にしないと……」
「乃木くん、犬は飼い主が喜んでくれるのなら、なんだってする生き物なのよ。それともやっぱり縞パンはなかったほうがよかったのかしら。なるほど。牝犬は牝犬らくし裸の方がいいというわけね」
 自分一人で勝手に納得してしまった東郷さんは、縞パンの両端に指をかけて脱ごうする。
「縞パンは脱いだら駄目だって! お願いだから朝っぱらから暴走するのはやめて!」
「そうなの? それは残念だわ」
 膝のちょっと上くらいまでずり下ろしていた縞パンを穿きながら、東郷さんはぼそりと呟いた。
 やれやれである。
 周囲が羨むことすら馬鹿馬鹿しいほどのありとあらゆる才能に溢れる彼女が、なぜこれほどまでに自分は犬だと蔑むのか理解に苦しむよ。天が誤って彼女に二物も三物も与えてしまったことを憂慮し、それらを差し引くために後から変態属性を追加投入したとしか考えられない。
「そ、それでなんだけど。東郷さんはいったいどうやって家の中に入ったの? 玄関の鍵はちゃんと掛けてたと思うんだけど?」
 そうなのだ。玄関のドアはもちろんのこと窓の戸締りもちゃんとしているので、侵入経路はどこにもないはずなのだ。この縞パンスネークは、いったいどうやって我が家への潜入に成功したのだろうか?
「それなら、この前乃木くんからもらった合鍵を使わせてもらったわ」
 東郷さんは首からかけている銀のネックレスを引っ張り、自分の胸の谷間から俺があげたという合鍵を取り出して言った。
「ちょっと待ってよ! 東郷さんに合鍵を渡した覚えなんてないんだけど! 普通は家族が住んでいる家の合鍵なんて渡さないよね! ちょ! いったいどんな裏ルートを使ってうちの合鍵を手に入れたのさ!?」
「そうだったかしら。まぁ、細かいことはいいじゃない。最後の鍵を手に入れるよりも簡単だった、とだけ言っておくわ」
 再び我が家の合鍵は、彼女の胸の谷間にしまい込まれた。どうやら返す気はまったくないようだ。
 なんて怖い娘なの……。
 これって冷静に考えると、完全に不法侵入だよね。昨晩に引き続いてまた事件が起きてしまうなんて、俺の家治安悪すぎ。
 そんな美しすぎる縞パンエプロンの不法侵入者は、なにごともなかったかのようにゆるやかにエアウエーブした黒髪をふぁさっとかき上げ、誰もが魅了される東郷スマイルを披露した。
 ちくしょー、可愛いな。これで後少しだけでいいから常識人だったらと本気で思うよ。もう切実に……。
「と、とにかく、東郷さん。もういいから早く服を着てください。本当にお願いしますから」
 エプロンだけでは隠すことができない美味しそうな太モモとか、質量感溢れるぽよんぽよんの横乳なんかが、もう早朝からはとてつもなく目の毒過ぎたのだ。
「あらっ、もう着るの? すごく恥ずかしい格好なのだけれど、慣れてくると開放感があってちょっと気持ちよくなってきたところなのよ。なんだか新しい趣味になってしまいそうだわ」
「もっと普通の趣味を探そうよ! いっぱいあると思うから!」
 こんなところを真帆奈に見られでもしたら朝から大変なので、少々というか、かなり名残惜しい気もしたが、東郷さんにはちゃんと服を着てもらうことにした。


 学園でのありふれた昼休みである。
「いやー。しかし、東郷氏がこれほど話のわかる三次元女性だったとは思わなかったぞ」
 久しぶりに登場の俺の悪友、いや、ただのクラスメイト――黒木貴史が嬉々として発言した。
「ありがとう。私も黒木くんとは話が合うと思うわ。それに、黒木くんの話はとても面白い話ばかりだし。いいインスピレーションになるわ」
 東郷さんは、口元に涼しげな微笑を浮かばせている。
「ハッハッハ。それは光栄の至だな。おい、聞いたか乃木?」
「そりゃ聞こえるだろ」
「なんだ、反応の薄い奴だな。あー、なるほど。さてはお前、妬いてるのか? 安心しろ。俺の心の嫁はシャルしかいない。ついにDVDで乳首が解禁となれば三次にうつつを抜かしているような暇などないぞ。まぁ、真帆奈ちゃんだけは三次では例外で俺の天使ではあるがな」
 こいつめ。ぬけぬけと人の妹を天使扱いしやがって。まぁ、シャルは俺の嫁でもあるけどな。
「そういえば、どこかの遅筆なエロパロ職人がシャルの初体験を書いてみたいとか言っているらしいぞ。連載している作品もまともに書かない癖に調子に乗った奴だ」
「どこのエロパロ職人の内輪話だよ。誰のことかは知らんが、書くのが遅いんだったら期待しないほうがいいだろ。書く書く詐欺ってこともある。つーか、東郷さんもいるんだからそういう話はもうやめとけ」
「あらっ、それはとても興味深い話だわ。乃木くんも金髪のボクっ娘が琴線に触れるのかしら? やっぱり酢豚はいらない派?」
 活字中毒の東郷さんは、ありとあらゆるジャンルの小説を読んでいるのだ。ラノベも例外ではない。しかも、このメガネっ娘は、女子高生の身でありながらエロゲーライターを生業にしている。なぜこれほどの美貌と頭脳とカリスマ的な人気を持ちながら、そんなアウトローな仕事をしているのかは謎だ。
「べつに金髪だから好きってわけじゃないけどね。個人的には酢豚は居てもいいと思うよ」
 毛嫌いするのはよくないよね。酢豚にも探せばいいところもあるよ。きっと。
 普段は俺と黒木が二人で寂しく弁当を食べていたのだが、いつの間にかそこに東郷さんが加わるようになった。もちろん周囲の連中は驚いた。なぜ、あいつらが東郷さんと一緒に弁当を食べているのだ、と。のび太の癖に生意気だ! みたいな感じだ。学園の連中は、東郷さんがほぼ毎日俺の家にご飯を作りに来ていることを知らないので、不審に思うのは当然と言えるだろう。まぁ、そのことが悪名高い東郷親衛隊(忠誠こそが我が名誉をモットーとする学園の非公式組織)の連中に嗅ぎつけられでもしたら、俺の生命の安全は保証されないのではあるが。
 そんな男子からは嫉妬、女子からは好奇が混じった視線がびゅんびゅんと飛び交う教室の中で、黒木は相変わらず飄々と、東郷さんは我関せずを決め込んでいるようだった。周囲のことを気にしない精神力が羨ましい。ちなみにこの二人、意外にも結構気が合うようだ。趣味に共通点が多いからだろうか。
「ところで東郷さん、それ美味しそうだね」
 一口サイズのハンバーグにベーコンが巻かれてある、ちょっと手の込んだオカズを指差してみた。
「これかしら?」
「うん、それ。お弁当は東郷さんが自分で作ってるの?」
「そうよ。私は朝が弱いから夜の間に作って冷凍しておくのだけれどね」
 朝が弱いにもかかわらず、今日は早朝から俺の家に不法侵入したわけだ。本当に吃驚したよ。つーか、ヤバイ。あの縞パンのことを思い出したら下半身が危ないことに……。
「よかったら食べる?」
「えっ、いいの」
「もちろんいいわよ。遠慮なんかしないで」
「だったらもらおうかな。東郷さんも俺の弁当から好きなの取って食べていいよ」
「ありがとう。いただくわ。じゃあ、ア〜ンして」
「……えっ?」
「ア〜ン」
「……ちょっ!?」
 こんな人前でそれはまずいよ! 殺気だった視線が矢のように向けられてるじゃないですか!
「のおわぁぁっ!」
 ゾゾゾと背中にナメクジが這うような嫌な感覚に襲われた。より強力で鋭い力を持った魔視線が、俺の後頭部を焼き尽くさんばかりに凝視しているのだ。これは間違いなくあの人の魔眼の力だろうな。もう確認しないでもわかるよ。
「乃木くん、どうしたのかしら? 早くア〜ンして」
「と、東郷さん……こういうのはちょっと困るというかなんというか……」
 こわーい人が見ているんで……。
「困る? なぜかしら? 細かいことはべつに気にしないでいいと思うわ。はい、ア〜ン」
 どうやら意地でも食べさせたいようだ。この人、全然人の話を聞いてくれないから本当に困るよ。
 さて、これはどうしたものだろうか? こんなシーンを堂々と周りに見せつけてしまっては、親衛隊の連中に総括されてしまうぞ。なんと恐ろしい……。
 と、そんな時であった。
 俺の後頭部に得体の知れない衝撃が迸った。
「うがああぁぁッ!!」
 一つのバスケットボールが教室の中を跳ねて転がっていく。
「あっ、ごっめーん。手が滑っちゃって。大丈夫、涼介? てへっ」
 鈍痛が走る後頭部を両手で押さえながら俺が振り向くと、茶色の髪を肩まで伸ばしたジャージ姿の少女――児玉雫が、引きつった顔を無理矢理作り笑いにしたような表情で突っ立っていた。
「いたたたっ……てへっじゃねーよ! どう手が滑ったら俺の後頭部に3ポイントシュートが決まるんだよ!」
 俺の頭はバスケットゴールじゃねーぞっ!
「ごめんごめん。悪かったわね。ちょっとしたミスだから気にしないで」
 しかもなんという言い草だ! 
「お前、本当に悪いって思ってんの?」
「…………はぁ、なに言ってんの? 悪いってなに? 今なにか私に過失でもあったわけ?」
 そして、逆切れだよ。
 バスケットボールを頭にぶつけられた挙句に、そんな呪い殺されそうなジト目で睨みつけられるとか、こんな理不尽なことがまかり通ってもいいのだろうか?
「なんで切れてんのかさっぱりなんだけどな」
「さっぱり!? キターーッ! さっぱりとキマしたよーっ! これは超温厚な私でも流石に参っちゃうわよねー」
 超温厚な幼馴染が、ものすごい勢いでまくし立てる。なにかおかしな薬でもやっているとしか思えないほどのテンションの高さだった。
「つーか、もう完全に難癖のレベルだと思うよ」
「難癖!? ふーん、わかったわ。それじゃあ優しいお姉さんが、なにがいけなかったのか教えてあげる。さっきのアレはいったいなに?」
「さっきのアレ? いったいなんのことよ?」
「とぼけるんだ! とぼけちゃうんだ! ハンッ! そんなことで許されるんだったらオフィシャルズは必要ないんだからねっ!」
 ちなみにオフィシャルズはバスケの審判のことな。
「はいはいはい。わかったわ。だったらとぼけられないようにもっと詳しく教えてあげる。とっくにネタはあがってるんだからっ!」
 ここから雫の下手な一人芝居が始まる。
「東郷さん東郷さん、このオカズすっごく美味しそうだねー」
「そう。よかったら乃木くんも食べる?」
「本当に! やったーっ! アーンして食べさせて!」
「ふふっ、乃木くんは甘えん坊さんね。はい、ア〜ン」
「んんーっ! おいちーっ!」
「……はぁ? なにこれ? こんなもん完璧にテクニカルファールでしょうが!」
 一人芝居の幕が降りた。
「本当に見てたのかよ!? ほとんどがお前の妄想じゃないか!」
 もう編集ってレベルじゃなかった。明らかに悪意を持って話が改変されているではないか。
「キィィーーッ!! なにが妄想よ! 鼻の下をこーんなに伸ばしてデレデレしてた癖に! いやらしい!」
 どうやら俺の鼻の下はへそ辺りまで伸びていたらしい。そんなにデレデレなんかしてなかったと思うんだけどな。
 しかし、なんで雫にこんなにヒステリーを起こされなければならないのか皆目見当がつかないよ。東郷さんが絡むと、ただでさえ沸点の低いこいつの怒りメーターの上昇率は半端ではないのだ。
「児玉、貴様は相変わらずうるさい女だな。昼飯の最中くらいもう少し静かにできんのか? 少しはベルダンディーでも見習ったらどうなんだ」
 たまりかねた黒木が雫に向かって苦言を呈した。
「はあぁぁ? アンタにはまったく関係がない話なんだからちょっと黙ってなさいよ! だいたいベルダンデイーってなんなの? どうせまたお得意の変態アニメキャラかなんかでしょ。はっきり言ってキモいから。つーか、マジでキモい」
「貴様ッ! 女神さまに向かってなんという暴言を吐くんだ! 二十年以上の長期連載であるにもかかわらず、まだキスしか経験のないベルダンディーのことを変態と抜かすか!」 
「うわっ、信じられない。寒気がする。ふー、いいわ。もう文句なんか言ったりしないから、あっちに行って好きなだけ変態なイラストでも書いて、ピクシブとかいういやらしいサイトに投稿してなさいよ」
「ピクシブはエロコンテンツがメインではない! ブラック★ロックシューターのマルチ展開を知らんのか! このたわけがっ!」
 犬猿コンビが、お互いに斥力場を展開して対峙した。
 見てのとおりこの二人の相性は、一時期の任天堂とナムコくらい悪いのだ。
「児玉さん、そんなに興奮しないで。私の至らない行為でなにか気に障ったのなら謝ります」
 東郷さんが素直に謝罪の言葉を口にした。
「うっ……べ、べつに謝まってもらいたいわけじゃないわよ……」
 雫もまさか東郷さんが謝罪するとは思っていなかったのだろう。急にトーンダウンして口篭った。
「で、でも、みんなが見ている前で、軽々しくああいうことをするのはどうかと思うわ。東郷さんがちょっとした冗談のつもりだったことくらいはわかってるけど、どっかの大馬鹿ッ! が調子に乗って勘違いしないとも限らないんだから」
 そうだよな。やっぱ冗談だよな。と、東郷さんにもそんなお茶目な部分があったんだなー的な空気が教室内に蔓延していく。
 東郷さんの隠された素顔を知る者は、この学園には俺以外には誰もいない。彼女が完璧な優等生を演じているからだ。仮に今ここで俺が、「東郷さんは朝から縞パンエプロンだった!」と事実を暴露しても誰も信用する者などいないだろう。むしろ俺の心の病気の方を疑われてしまうはずだ。
「そうね。貴重なアドバイスとして受け取っておくわ」
「まぁ、わかってもらえればそれでいいんだけど……。それとアンタも! まかり違っても見苦しい勘違いだけはするんじゃないわよ! いいわね!」
 八重歯剥き出しで睨み付けてくる茶髪の脅迫者の顔は、狂犬そのものだった。手元を確認してみると、バスケットボールが変形しそうなほど手に力が込められているのがよくわかった。
「わかりました……」
「フンッだ」
 雫は、俺に一瞥くれてから自分の席に戻った。
「なになに、もう終わり? 雫もア〜ンしてあげればよかったのに」
「そうだよ。攻めないとゲームには勝てないんだから。雫、ファイト」
「はぁ!? な、な、な、なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ!」
 で、女子バスケ部仲間の凸凹コンビにからかわれている。
「さてと。それじゃあ、さっきの続きね。はい、ア〜ンして」
 東郷さんはさっきのハンバーグをぱくっとお口に咥えると、そのまま俺の口元に接近させてきた。
「――ッ!?」
 また暴走だよ! この人が素直に人のいうことを聞くからおかしいとは思ってたんだよ!
「ごるらぁぁぁぁぁぁーっ!」
「うがぁぁっ!」
 再び俺の後頭部にバスケットボールが直撃した。
「言ったそばからなにやってんのよ! このド変態がぁぁぁぁーッ!!」
「俺にそんなこと言われても困るから!」
 真昼間なのに星がいっぱい飛んじゃってるじゃないか。
「東郷さんもいったいどういうつもりなのよ! こういう誤解を招くような行為はもうしないって言ったわよね!?」
「あらっ、そんなことを言った覚えはないわ。貴重なアドバイスとして受け取っておくと言ったのよ」
「同じことでしょ!」
「児玉さんから貴重なアドバイスをもらったので口移しに変更したのだけれど、なにか問題でもあったのかしら?」
「問題大アリクイよ! 手が口になったらもっと状況が悪化してるでしょうが!」
 教室内がざわつき始める。
「えっ、東郷さんと乃木くんって、もしかしてそういう関係だったの?」
「最近、仲がいいと思ってたら、やっぱりそうだったんだ」
 せっかく周りの連中が勝手な解釈をしてくれてたのに……。これで話が相当こじれてしまうぞ。
「こちらラングハール。ブロークン・アロー! ブロークン・アロー! 全隊員に完全武装で緊急招集をかけろ!」
 まずい! 末端の親衛隊員が仲間を呼びやがった! マドハンドみたいにぞろぞろやって来やがるぞ! 早く逃げなければ……。
「逆に聞きたいのだけれど、児玉さんはなぜ乃木くんがすることにそれほど過剰反応するのかしら? なにか特別な理由でもあったりするとか?」
「べ、べつに特別な理由なんてなにもないわよ! 涼介は……その……お、幼馴染だから仕方なく面倒を見てあげてるだけなんだから」
「仕方がないようには、どう見ても思えないのだけれど。そう、まるでヤキモチを焼いているみたいだわ」
 すちゃっと眼鏡を整えながら、東郷さんが核心に切り込んだ。
「ヤ、ヤキモチ!? そそそ、そんことあるわけないでしょ! なんで私が涼介なんかに、ヤ、ヤキモチなんか焼かないといけないわけ! そんなのありえないわよ!」
 千と千尋のDVDよりも顔を赤く染めた茶髪の幼馴染は、なぜかその場でドリブルを始めるほど狼狽していた。
「あら、ヤキモチではないのかしら?」
「あ、あたりまえでしょ! 東郷さんったら、なに言っちゃってくれてんのかしらねー。そ、そんな馬鹿なことがあるわけないのにまいっちゃうわねー。ハーッハッハッハッ!!」
 唐突に不自然な高笑いをして見せる雫さん。まるで追い詰められたキラのようだった。
「東郷さん、それはちょっと勘ぐりすぎだって。雫はただ単純に凶暴なだけなんだよ。血の気があり余っちゃってるんだよね。小学生の頃から、『その女、凶暴につき』ってあだ名が付けれらるくらいだったんだから」
 ヤキモチだなんて、雫に限ってそんな可愛い理由なわけがない。もしそうだとしたら、まんまツンデレ幼馴染のテンプレじゃないか。いや、デレはないからただのツン幼馴染か。そもそも俺はこういう恋愛ごとに関しては結構鋭い方だから気付かないはずがないのだ。
「ガルルル……」
「ひいぃぃッ!!」
 雫の肩まで伸びた茶髪がゆらゆらと逆立って見えるのは、俺の目の錯覚なのだろうか?
「ちょ、ちょっと待ってよ。俺は本当のことを言っただけだよね。『その女、凶暴につき』って本当に呼ばれてたでしょ」
「それはアンタが勝手に広めたあだ名でしょうがーーッ!!」
 あれ、そうだったかな……? その辺の記憶は曖昧だなー。
「あのおかしなあだ名のせいで、私がどれほどの苦労を味わったことか……。違うクラスの女の子には泣かれるし……靴箱には正体不明の相手から果し状が入ってたりするし……今思い返しただけでも……ウギギギ……」
 まずいな。どうやら燃え上がる業火ににガソリンを注いでしまったようだぞ。
「し、雫さん、とりあえず落ち着いて」
「はぁ? 私はすごーく落ち着いてるわよ。アンタが私のことをどう思ってるのか、よーくわからせてもらったわ。ふっ、ふふっ、ふふふっ……」
「落ち着いているのなら、なぜそんな高速ドリブルで臨戦態勢なのさ!」
 今からライバルと1on1でも始めるような気迫の入りようだった。
「いいからもう黙ってなさいよこのド変態がぁぁぁーッ! 二度と教室でハレンチな行為ができないようにしてやるわ!」
「待て! 話せばわかる!」
「問答無用! 天誅ーッ!!」
「うぎゃああっ!!」
 幕末の志士のような掛け声と共に砲弾のように放たれたバスケットボールが、俺の顔面に炸裂した。
「死ねッ!!」
 床に倒れ込んだ俺に容赦のない台詞を吐き捨てると、雫はドスドスと地鳴りをさせながら教室から出て行った。
「乃木くん、大丈夫?」
 東郷さんが、心底心配そうな顔つきで言った。
 優しいメガネさんだなー。でも、こうなった理由の半分は君のせいなんだけどね。
「乃木、あんな手乗りタイガーみたいな女が幼馴染とは同情するぞ。ところでなんだが、早く逃げた方がいいんじゃないか? そろそろ親衛隊の連中がやって来る頃だぞ」
 そうだった。早く身を隠さなければ異端審問にかけられてしまう。
「親衛隊ってなんのことかしら?」
 どうやら東郷さんは、この学園に自分の親衛隊が存在することを知らないらしい。非公式だから仕方がないが。
「たのもー! 乃木涼介はいるかーーッ!!」
 怪しげな集団がぞろぞろと教室の中に入ってきた。
「姫だ……」
「おおっ、今日も可憐だ……」
 などとそばにいる東郷さんにたじろぎつつも、そいつらは俺の周りに人垣を作った。
「お前が乃木涼介だな。さっそくだが我々に同行してもらう。これは決定事項だ。意義は認められない」
「はわわわ……」
 一難去ってまた一難だった。
 結局この騒ぎで、貴重な昼休みが潰れることになった。


 放課後、俺と東郷さんはスーパーで買い物をしていた。
 今日も彼女が俺の家に夕食を作りに来るらしいので、自動的にそうなった。
 こう頻繁にご飯を作ってもらうのは本当に申しわけないのだが、東郷さんは大いに楽しんでいる様子だ。なんでも彼女の両親は仕事が忙しくてほとんど家に帰って来ないらしく、夕食はいつも一人で食べていたそうだ。
 最近では真帆奈と直接連絡を取り合い、リクエストなんかを聞いたりもしている。
 遠慮という日本人の美徳に欠けるうちの妹は、際限なく調子に乗り、北京ダックやフォアグラなどの場違いな高級食材が我が家の食卓に並んでしまったこともあった。
「東郷さん、ああいうのはちょっと困るよ……」
「ごめんなさいね。乃木くんは目立つのが苦手だったわね。でも、まさかあんなことになるなんて思っていなかったものだから」
 もちろん昼休みの件だ。
 あの後、親衛隊に拉致された俺は、江藤新平のように裁判も開かれず死罪の判決を言い渡されそうになっていたのだが、ことの真相を黒木から聞いた東郷さんが、石火矢衆を引き連れたエボシさまのように颯爽と風を切って現れ、初めて対面した自分の親衛隊員達を瞬く間に説得することに成功した。で、なんとか俺は解放される運びとなったのだった。
「私は一度思い込んでしまうと、もう周りが見えなくなってしまう人だから。どうしても乃木くんにオカズを食べさせなければならないと思ってしまったのよ。本当にごめんなさいね」
 その暴走癖は、本当に直した方がいいと思うよ。将来、それで身を滅ぼしてしまうことになりかねないから。
「お詫びに今日は、乃木くんが食べたい物を腕によりをかけて作るわ。なにがいいかしら。遠慮なく言ってみて」
「ありがとう。それじゃあ期待させてもらうよ。えっと、なんにしようかな……」
 この人、本当になんでも作れるからな。先日作ってもらったパエリアなんか絶品だったよ。
「ちなみに真帆奈ちゃんは、レバニラとスッポンがいいって言ってたわよ」
 明らかによからぬ底意を感じる組み合わせだな。兄を寝れなくしていったいどうしようってんだ。
「あのアホ妹の戯言は金輪際聞かないでいいから。だいたいスッポンなんてスーパーに売ってないと思うけど」
「あらっ、涼介君じゃない」
 茶色の髪をショートカットにした妙齢の女性――児玉茜が、俺を見つけて声を掛けてきた。
「あっ、茜さん。こんにちは」
 この人は雫のお母さんだ。
 外見も俺の幼馴染によく似ており、二児の母親とは思えないほど若々しい。胸もそっくりだ。なんでも昔は、オリンピックの日本代表に選ばれそうになるほどの水泳の選手だったらしい。雫の運動神経のよさは母親譲りなのだ。ちなにみ現在の茜さんは、近所のスイミングスクールで未来のオリンピック選手の卵達のコーチをしている。
「こんにちは。久しぶりね。ところで、お隣の可愛い子はどちら様かしら?」
 茜さんの瞳は、キラキラと好奇心で輝いていた。
「えっと……友達の東郷さんです。東郷さん、茜さんは雫のお母さんだよ」
「そうだったんですか。初めまして、東郷と申します。雫さんにはいつもお世話になっています」
 東郷さんは、如才なく気品すら感じさせる自然な動作でおじぎした。
 どこをどう見てもいいところのお嬢様にしか見えない。
「これはご丁寧にどうも。雫の母です。いつもうちのお転婆がお世話になっているようで」
 茜さんも東郷さんと一緒になって、ペコリと頭を下げた。
 一通り初対面の挨拶が終わると、
「なるほどね。あなたが噂の東郷さんってわけね」
 茜さんが意味深な発言をした。
「噂ですか?」
「そう。風の噂。ものすごい綺麗な女の子が、涼介君の家に毎日ご飯を作りに来てるって聞いているわ」
 その風の噂の出どころはどこなのだろうか? まぁ、ある程度予想はできてしまうのだが。
「でも、これは噂以上だわね。百聞は一見に如かずか……なるほど。これなら雫も遅まきながら危機感を感じるわけだ」
 最後の方は小声なのでよく聞こえなかった。
「雫がなんですって?」
「独り言だから気にしないでいいわよ。そうだ。旅行の時はうちのが東郷さんにお世話になったそうね。あらためてお礼を言わせてもらうわ」
「いえ、そんなお礼の必要はありません。私が好きでやったことですから。雫さんや光くんと一緒に旅行ができてとても楽しかったです」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。あの子達、旅行のことをあまり話したがらないから、おかしなことでもしたんじゃないかと思って心配してたのよ」
 二人とも巨乳の小悪魔に酔い潰されたからな。記憶が曖昧なのだろう。
 そんな時であった。
 東郷さんの携帯電話から、ベリンダ・カーライルの『Heaven Is A Place On Earth』の着うたが鳴った。
「すいません。ちょっと失礼します」
 東郷さんは、俺と茜さんに丁寧に謝罪してから携帯電話に出た。
「本当に綺麗な子ね。見るからにお嬢様風だけど、親しみやすい雰囲気なのもいいわ。涼介君も隅に置けないわね」
 茜さんが横から小声で話しかけてきた。
「べつにそんなんじゃないですから」
 じゃあどんなんだと問われると、大変説明に困ってしまう関係ではあるのだが。
「一緒に買い物をしてるということは、今日もあの子にご飯を作ってもらうのよね?」
「ええ……。まぁ、そうですけど……」
「ほらっ」
 なぜかドヤ顔の茜さん。
「うちは今両親がいないから、東郷さんはそれが大変だと思って善意でご飯を作りに来てくれているだけですよ」
「善意ねー……」
 そして、疑いの眼差しを向けてくる。そんな茜さんの仕草は、本当に雫にそっくりだった。
「本当に善意だけで毎日ご飯を作りに来るのかしら? ほとんど通い妻状態だって私は聞いているわよ」
「通い妻って……いったい誰からそんなこと聞いたんですか?」
「麗ちゃんよ」
 やっぱり噂の出どころは麗ちゃんだったのか! もうっ、余計なことばっかり言って!
「しかも料理もすごい上手だって聞いているわ」
「まぁ、それは事実ですけど。ほとんど本物の料理人並みになんでも作りますよ」
「あちゃー、あんなに綺麗で礼儀正しくて料理も上手いだなんて、それって完全にラスボスじゃない。ルイーダの酒場に仲間を探しに行ったらゾーマが受付してたようなもんよね」
「はぁ……」
 朝からドラクエネタが続くな。
「まいったわね。これは早急になにか手を打たないといけないわね……」
「えっ、なにか手を打つ……?」
「あっ、いやいや。こっちの話だから気にしないで」
 俺と茜さんがそんなどうでもいい会話をしている間に、東郷さんの電話が終わったようだ。
「ごめんなさい、乃木くん。実は急用ができてすぐに家に帰らなくてはならなくなってしまったのよ」
「そうなんだ」
 急用っていったいなんだろう。恐らく仕事関係だとは思うのだが。
「わかった。俺のことは全然構わないから行っていいよ」
「本当にごめんなさいね。この埋め合わせはいずれ必ずするから。雫さんのお母様もすみません。私、これで失礼させてもらいます」
「お、お母様……」
 茜さんは、呼ばれ慣れていない呼称に困惑している。
 本当にすまなそうにもう一度深々と頭を下げてから、東郷さんは長い黒髪を翻してこの場を後にした。
「こりゃ完敗だわ。あの子の爪の垢を煎じて雫に飲ませないといけないわね……」
 茜さんがなにと戦っていたのかは知らないが、どうやら一人娘の教育には相当苦労していることだけはよくわかった。
「ところで涼介君、これからちょっとだけ時間を取れないかしら?」
「時間ですか? まぁ大丈夫ですけど」
「それはよかったわ。ちょっとお茶しましょう」
「えっ、お茶ですか?」
「情報収集よ。敵を知り己を知れば百戦危うからずってね」
「はぁ……」
 なぜここで孫子の兵法が出てくるのかさっぱりわからなかった。
 この後、茜さんと喫茶店に場所を移し、東郷さんのことについて根ほり葉ほりと尋問を受けることになった。


「ただいまー」
 家に帰ってきた俺を玄関で待っていたのは、いつものお騒がせ中学生コンビだった。
「お兄ちゃん、おかえりなさ〜い」
「おにーさん、おかえりなさい」
「ぶーっ! な、なんなのその格好は!?」
「見てのとおりブルマだよ。BURUMA! BURUMA!」
 なぜか二人ともブルマだった。しかも、ただのブルマではありません。二人ともレアな赤ブルマに体操着を着用しており、ホワイトのニーソックスを履いている。いわゆる、マニア垂涎のブルマニーソだったのだ。
「クラナドの杏をイメージしてみました。おにーさんのお口に合いませんでしたか?」
 ブラウンが混じった黒髪をセミロングにした少女――秋山麗が、見えないデビルーク星人のような尻尾をフリフリしながら言った。
 彼女はうちの妹の親友兼悪巧みの参謀長であり、中学生ながら大人顔負けのフェロモンボディーを保有している。チャームポイントの泣きぼくろがとても印象的な美少女だ。
 なるほど。人生か……。どうりでどこかで見たような既視感があったわけだ。
 つーか、君がそんな格好をすると裸よりもすっごいエッチだよね。熟れに熟れた胸の完熟パインのせいで、もう体操着がバツンバツンになっちゃってるじゃないか。そんないけない格好で激しい運動なんかさせていいのか、お兄ちゃんは真剣に悩むよ。
 一昔前までは強制的に女の子にこんなハレンチな格好をさせていたなんて、教育委員会に狂信的なブルマ信者がいたとしか思えない件について。
「世界の中心で叫ぶほどブルマを愛するお兄ちゃんのために、絶滅したブルマを復活させてみたんだよ。さぁ、どっからでもかかってこ〜いっ!」
 巨乳の相棒と一緒に、真帆奈は、「オッス、愛花だよ♪」のポーズをビシッときめた。
「……」
 これはもう告訴だろ。勝手に人をブルマ信者に仕立てやがって。なぜこれほどの中傷を受けなければならないのか。
「どうしたの、お兄ちゃん? 夢にまで見たブルマが目の前にあるんだよ。そんな冷静を装ってないで、好きなだけペロペロすればいいよ」
「そうやって自分のものさしで人を計るのはやめて! もう本当に訴えるよ! ペロペロなんか絶対にしないんだからねッ!」
 だいたいペロペロってなに!? 自分の兄がブルマにしゃぶりつくような変態でもいいというのか!
「ブルマは滅びぬ! 何度でも蘇るさ! ブルマの力こそ人類の夢だからだ!」
「大佐の名言を捏造すんな!」
 家に帰ってきたと同時にこんなに妹にツッコむ兄なんてそうはいないぞ。
「もういいよ。それで、いったい今からなにが始まってしまうというの?」
「えー、もういいのー? 好きなだけペロペロすればいいのにー。ねっ、麗ちゃん」
「そうですよ、おにーさん。遠慮なんかされたらかえって寂しいです。思う存分にペロペロやっちゃってください」
 そう言って麗ちゃんは、ミルクがたっぷりと詰まった母性の塊をずいっと差し出してくる。
 君はいったいどこをペロペロさせたいというの?
「やっちゃいません! いいから早くなにをするつもりなのか言って」
「ぷぷぷっ。お兄ちゃんったら、照れちゃって本当に可愛いんだから。そういうお兄ちゃんもいいんだけど、今後の日本の将来のことも考えると、そんなに初心で奥手なのはやっぱり問題だと思うよ」
「日本の将来ね……。話が大きすぎて全貌がよく見えてこないよ」
「あのねー。現在の日本は少子化高齢化で困ってるんだよ。子供が生まれないから日本人の数がどんどん減っちゃってるんだよ」
「それは知ってるよ。それとブルマがいったいどう繋がるのさ?」
「話は最後までちゃんと聞いて。つまりお兄ちゃんがこのまま草食動物のままだと、日本が大変になるってことを言ってるんだよ。だから、真帆奈は決意したんだよ。いつまでたっても無抵抗な妹すら手篭めにできない情けないお兄ちゃんのために、『お兄ちゃん野獣化計画』を発動するよ!」
 やれやれ。唐突におかしな計画が発動してしまったぞ。
「お兄ちゃんには、これから真帆奈が考案したレッスンを受けてもらうからね。おっと、嫌とは言わせないよ。なぜならば、日本の将来がこの計画にかかっているのだから! 麗ちゃん、確保だよっ!」
「了解で〜す」
「ちょっと、ま、待ってよ……」
 ブルマ少女二人に両腕を絡み取られ、俺はグレイのようにリビングまで連行されてしまった。
 慣れ親しんだはずの我が家のリビングは、普段とは明らかに様相が違った。
「お兄ちゃん、そこに座って。さっそくレッスンを始めるよ。びしびしと厳しく行くから覚悟しておいてよね」
「ちょっと待ってよ……。なんでリビングに布団が敷いてあるの?」
「それはねー。お兄ちゃんが眠くなったらすぐに仮眠が取れるようにだよ。ねっ、麗ちゃん」
「そうですよ。すぐにお休みできるようにです。ちなみにその時は、私の添い寝付きですよ」
 麗ちゃんは、呆れるほど柔らかいマシュマロ柔肉の谷間に俺の二の腕を挟み込みながら言った。
「真帆奈は添い寝よりも、もーっとすごいことしちゃうよ」
 眠くなったら自分の部屋で寝ればいいと思うんだけどな。
「……じゃあ、カーテンが閉めてあるのはなぜ?」
「五月の西日が眩しすぎるからに決まってるよ。ねっ、麗ちゃん」
「そうですよ。眩しいからです。でも、おにーさんが明るい方がいいっておっしゃるなら、私はそれでも一向に構いませんけどね。ふふっ」
 麗ちゃんは妖しい含み笑いで、恋人繋ぎにした手にぎゅーっと力を込めた。 
 先日の熱海旅行での一件以来この小悪魔は、頻繁に肉体的接触を求めてくるようになった。オマケに非常に甘え上手なので大変に困っている。もはや、俺の手には余るほどの大悪魔に成長してしまった感があるよ。
「どうしたの、お兄ちゃん。早く座って」
「……そのよくわからないレッスンっていうのは、絶対に受けないと駄目なの?」
「あたりまえだよお兄ちゃん! 日本の将来がどうなってもいいの! 非国民だよ! 非国民!」
 俺のような愛国者に向かって酷い言いようだな。
「真帆奈は日本の将来のために本気なんだよ。だから今日の学校の授業中もまったく勉強しないで、このレッスンのことばっかり考えてたんだからね」
「ちゃんと勉強しろよ。日本の将来よりもお前の将来が心配だよ」
「真帆奈の将来の夢はサービス業だよ」
「なんだ、お前にも将来の夢があったのか」
 それは感心だな。働いたら負けかなと思っている、とか言い出しそうで、お兄ちゃんはとても心配してたんだよ。
「お兄ちゃんにいーっぱいサービスする仕事だよ」
「そんなサービス業ねーよっ!」
 感心して損したよ。
「おにーさん、そんなに警戒しないでください。話を聞くだけでいいですから、ちょっとの間だけ付き合ってください。お願いします」
 甘え上手な小悪魔が、十八番のおっぱいむぎゅむぎゅ攻撃を繰り出してきた
「ちょ!? わ、わかったから。話だけは聞くから。そ、それはやめて……」
「本当ですか! ありがとうございます!」
 むぎゅむぎゅ。
「だ、だからやめてって言ってるでしょ!」
「うー! なんで麗ちゃん言うことばっかり素直に聞くの! そんなのえこひーきだよ! やっぱりおっぱいが全てなの!」
 真帆奈も負けじとペッタンコで攻撃をしてくるが、残念ながらそんなへなちょこ攻撃では、俺のHPにダメージを与えることはできないのだ。
「べつに全てじゃないから。失礼なこと言わないで」
 俺は、座布団の上に腰を下ろして言った。
「それで、いったいなにをするの?」
「うー、もういいよ。麗ちゃん、例のテキストだよ」
 本当にお兄ちゃんはおっぱい星人なんだから、と真帆奈はプリプリしながら麗ちゃんに指示を出した。
「おにーさん、どうぞ」
 麗ちゃんから丁寧にカラーコピーされた紙の束を手渡された。無駄に分厚かった。携帯電話の説明書並みだ。表紙には『お兄ちゃんの保健体育』と書かれており、どこかで見たような兄妹が裸で背中合わせている絵が描かれてあった。
「……これはなに?」
「『お兄ちゃん野獣化計画』の第一段がこれだよ。お兄ちゃんが受けるレッスンの内容が書かれてあるんだよ。そして! 全部で100のレッスンを終えた暁には、お兄ちゃんは完全体に進化するのだっ!」
 虫みたいな姿からイケ面になれるよ、と真帆奈は付け加える。
 表紙をめくると唖然とした。

『Lesson 1初めてのレイプとお兄ちゃん』

 統計によると、兄は妹で童貞を捨てる率が最も高いようです。妹も本心からそれを望んでいます。妹は兄の性奴隷になることに無常の悦びを覚える生き物なのです。迷う必要はありません。今すぐに妹をレイプしましょう。

『痛いくらいがちょうどいい』

 初めてのレイプは寝込みを襲うのがいいでしょう。その際、妹の身体を必要以上に気使う必要はありません。むしろ痛いくらい乱暴にされた方が妹は悦びます。人としてではなく、常に物として扱うことを心がけましょう。しょせん妹など、穴が付いた肉でしかないのです。

『道具を使ってもよし』

 予め道具などを用意して使用すると、妹は大変興奮します。より充実したレイプになることでしょう。一般的には、縄や手錠や目隠しなどがあります。初心者はストッキングなどを使うのがいいでしょう。(道具を使っての妹の拘束の仕方に関しては、『Lesson 2 初めての分娩台とお兄ちゃん』を参照)

『射精は必ず膣内に』

 レイプの基本は膣内射精です。決して避妊具などを付けてはいけません。その際妹は、「やめてお兄ちゃん! 膣内で出しちゃったら赤ちゃんができちゃうぅぅーーっ!!」などの悲鳴を上げたりしますが、それらは行為を盛り上げるための決まり文句でしかありません。黄門さまの印籠と同じようなものです。容赦なく膣内射精をキメることで、兄妹の関係がより深く親密なものになることでしょう。

 俺は目頭を押さえて、その場で石化した。
「ほよ? どうしたの、お兄ちゃん?」
「……頭が痛いよ。もうどうにかなりそうだ」
「それは大変です!」
 待ってました! とばかりに麗ちゃんが飛びかかって来、俺の頭をぎゅーっと強く抱きしめた。
 俺の両頬は、蕩けるような柔らかさと温もりで覆い包まれた。
「おにーさん、大丈夫ですかぁ? どこが痛いんですかぁ〜? ふふっ」
「んんーっ! も、もがっ! もががっ!」
 麗ちゃんの甘い体臭に鼻腔がくすぐられながら、俺はあまりにも幸せな呼吸困難に陥ってしまった。もうこのまま来世に逝ってしまっていいぐらいの。
「ぷはああっっ!! ちょ、ちょっと麗ちゃん! なんでそんなことするの!」
「おにーさんが頭が痛いって言うから、介抱してあげようと思っただけですよぉ〜」
 パフパフで頭痛が治るなんて聞いたことないよ!
「本当に痛かったわけじゃないから! 女の子がそんなことしたら駄目だよっ!」
「あらっ、そうだったんですか。それは残念です」
 おっぱいブルマが蠱惑に微笑んだ。
「そうだよ麗ちゃん! お兄ちゃんに勝手にそんなことしたらだめだよ! 淑女協定を忘れちゃったの!」
「ちょっとした冗談よ、真帆奈。淑女協定は厳守するつもりだから安心して」
 なにやら怪しげな単語が飛び交っているぞ。
「……そのなんとか協定ってなんなの?」
「それは、おにーさんには内緒です。ふふふっ」
「そうだよ。お兄ちゃんには内緒だよ。くっくっく」
 なんで二人してそんないやらしい笑い方をするのだろうか? セイラさんに注意されても知らないからね。
「そんなことよりも、さっそく実技レッスンに入るよお兄ちゃん!」
 そう高らかに宣言した真帆奈は、唐突かつ大胆に体操着を脱ぎ捨てた。
「なんで服を脱ぐの!?」
 眩しいほどに純白の柔肌に、未発達ないけない膨らみと先端のピンク色が露となった。つまりどいうことかというと、またしてもノーブラだったのだ。
「そのテキストに書いてあることを参考にして、真帆奈の身体をありとあらゆる手段で陵辱してみるといいよ! ばっちこーいっ!!」
 そして、布団の上にがばーっと大の字になって横たわる半裸のブルマ妹。
「アホかーーッ!!」
「うにゃーっ!!」
 剛速球で投げつけたお兄ちゃんの保健体育が、変態妹の顔面に直撃した。
「なんてことするのお兄ちゃん!」
 真帆奈が起き上がって抗議してくる。
「それは俺の台詞だよ! なにが『ばっちこーいっ!』だ! 常識的に考えてレッスン1からハードル高すぎだろ!」
 しかも100のレッスンとか言ってたな。多いよッ! レッスンやりすぎだろ!
「こんなのはまだまだ序の口なんだよ。血湧き肉踊るプレイ……レッスンはもっと後になってからだよ」
 完全にレッスンとプレイを言い間違えやがったぞ。
「こんなレッスンは中止! なんちゃら計画とやらも即刻破棄だ!」
「お兄ちゃん! そんな覇気のないことでこの先どうするつもりなの!」
 上手く言ったつもりなのか、真帆奈はしてやったりの表情だ。
 更に俺の鼻先に人差し指をビシッと突き付けて続ける。
「そうやって、まためぇーめぇー言いながら草ばっかり食べるつもりなんだね! そんなんじゃあお兄ちゃんはいつまでたってもどーてーのままだよ! 死後、童帝って謚号が送られちゃってもいいの!」
「大きなお世話だッ!」
 そんな中国王朝の皇帝みたいな呼ばれ方だけは絶対にごめんだ。
「真帆奈が用意したレッスンを全部修了すれば、玄関で真帆奈に襲いかかって骨までしゃぶり尽くような野獣になれるというのに! 玄関だよ! 玄関! これも日本のためなんだよ!」
 某アニメの影響だろうか、玄関へのこだわりが半端なかった。
「全部お前のためだけじゃねーか! だいたい兄が妹で童貞を捨てるとか、いったいどこのトンデモ統計だよ! 明らかに捏造が入ってるだろうが!」
「捏造なんか入ってないよ! 全て真帆奈の独断と偏見だよ!」
「アホかッ! それを捏造って言うんだよ! とにかくこんなレッスンは絶対にしないんだからねっ!」
 ズガーンと失意体前屈でショックを受ける真帆奈。
「真帆奈がこんなにもお兄ちゃんのためを思って頑張っているというのに……こうなったらもう最後の手段しかないようだね。できることならこの手だけは使いたくなかったよ。うっしっし……」
 その割には、えらい嬉しそうだぞ。
「なにをするつもりなの?」
「どうしてもお兄ちゃんが子羊のままでいたいのならしょうがない。代わりに真帆奈が野獣になるよ。たった今から真帆奈は、野獣真帆奈だよ! 食物連鎖の非情さをその身体に刻み込んであげるよ! がおー!」
 ソニー・ビーンのように双眸をギラつかせた真帆奈が、獰猛な肉食妹となって襲いかかってきた。 
「たわけがッ!」
「ふにゅーっ!」
 俺は必殺のアイアンクローで、アホな妹をあっさりと迎撃した。
 当然といえば当然の結果だった。こんなまだ小学生みたいな奴に食べられるわけがないのだ。が、実にまぬけなことに、強敵の伏兵がそばにいることをすっかり失念していた。
「がおーです!」
 俺の背中に二門の巨大な幸せ兵器が直撃した。
「し、しまった!」
「おにーさん、背中が隙だらけでしたよ。まるで食べてくださいと言わんばかりでした。ふふっ」
「後ろからとは卑怯なり!」
「ナイスだよ麗ちゃん! がおー!」
 一瞬の隙を突いて俺のアイアンクローから抜け出した真帆奈が、再び牙を剥いて前方から飛び込んできた。
「ちょ、こ、こら、二人ともやめなさいっ! あああっ!」
 俺と野獣となったブルマ少女コンビは、布団の上でこんがらがった。
「麗ちゃん、淑女協定規約第三条を覚えてるよね! 真帆奈が一番だからね!」
「わかってるわ。私は二番目でいいわよ」
「いったいなんの順番なのさ!」
「お兄ちゃん、もう無駄な抵抗はやめた方が賢明だよ。じっとしてればすぐに済むんだから。はぁ、はぁ……」
 いつの間にか俺のマウントを取った真帆奈の双眸は、異様に血走っていた。どうやら興奮のあまり完全に正気を失っているようだ。
「さぁ、めくるめく禁断の世界に旅立つ時がきたよ!」
「いっ……いい加減にしなさいッ!!」
 バシッ!
 バシッ!
「うにゅにゅっ!」
「あいたっ!」
 ちょうど手元にあった例のテキストを丸めて装備し、俺のはやぶさ切りが二匹のブルマモンスターにクリティカルヒットした。
「二人ともちょっとそこに座りなさい! 今日という今日は、もう絶対に許さないんだからね!」
 女の子がそんなはしたないことばっかりして! 小一時間ほど説教してやるんだから!
「真帆奈! まずお前は服を着ろ! だいたいなんでいっつもいっつもノーブラなんだよ!」
「真帆奈は家にいる時は常時ノーブラになるって、麦わらの帽子の海賊旗に誓いを立ててるんだよ」
「アホな誓い立てんな! さっさと服を着る!」
 真帆奈はしぶしぶ体操着を着用した。
「それと麗ちゃん、最近悪ふざけがすぎるよ。女の子がそんなにベタベタとくっついたりしたら駄目なんだよ」
 君の身体はもはや凶器なんだから。もし俺の実戦経験のない棒型決戦兵器が暴走でもしたら、もう誰にも止めることはできないんだよ。
「それは心外な言われ方です。私は悪ふざけでやったことなんて一度もありません。いつでも真剣です」
「……」
 いやっ、そっちの方が問題ありだろ。
「と、とにかくそういうことはしちゃ駄目なの。君達はまだ中学生なんだから」
「そういう考えは古いと思います」
「そうだよ。古いよ。そうなことばっかり言ってるから、お兄ちゃんはいつまでたってもどーてーなんだよ」
「うるさいッ! 童貞を馬鹿にするなっ!」
 ブルマ少女達にまったく堪えた様子はなかったが、とりあえず安彦の御大がエウレカセブンの監督を瀕死の状態に追い込むくらいこんこんと説教だけはしておいたよ。


 夕食を終えた俺は、自分の部屋で一人だけの時間を満喫していた。真帆奈は風呂に入っているので、暫くの間は邪魔されることはないはずだ。ゆっくりと羽を伸ばすことにしよう。
 とりあえず適当にネットサーフィンでも楽しんでいたところで、『傷より痛い場所が、もっと奥にあるって、感じて知った冷たい夜……♪』と俺の携帯電話からアップテンポのメロディーが奏でられた。
 雫からだった。
「もしもし」
『あっ、もしもし、涼介君?』
 あれっ、声が雫じゃないぞ?
「はい、そうですけど……どちら様でしょうか?」
『茜よ。あ・か・ね』
 なんだ。茜さんだったのか。
「あー、茜さん。どうもこんばんは」
『こんばんは。ごめんなさいね。突然電話なんかしちゃって』
「いえ、それはべつに構わないんですけど。なんの用でしょうか?」
『実は涼介君に折り入ってお願いがあるの――ちょっとお母さんッ! なに勝手に私の携帯を使ってんのよっ!』
 途中で雫の声が割り込んできた。
『雫、ちょっとうるわいわよ。今、涼介君と大事な話をしているところなんだから静かにしてなさい。ごめんなさいね、涼介君。いつまでたってもじゃじゃ馬で』
「はぁ……」
『ふざけないでよっ! なんで勝手に涼介に電話してんの!? そういうことはやめてって言ってるでしょ!』
 理由はわからないが、どうやら揉めているようだ。いったいなにがあったのやら。
『うるさいって言ってんでしょうがッ!! いいからアンタは黙ってなさい! 全部私に任せておけばいいのよ!』
 電話の向こうで茜さんが雫を一喝した。
「――ッ!」
 キーン。
 あまりに大音量すぎて耳をやられた。
『もしもし、涼介君。……もっしもーし』
「は、はい……聞こえてます」
『ごめんなさいね。本当にがさつな娘で。いったい誰に似たのかしらね。あっ、でもあんなんでも結構女の子らしいところもあったりするから、もう少し長い目で見てあげてね」
「はぁ……」
 雫があなたに似たことだけは間違いないですよ。怒鳴っているところなんかそっくりでしたよ。
『それでなんだけど、実は涼介君にお願いがあるのよね』
 さて、やっと本題に入るようだ。
「お願いですか。なんでしょう?」
『実は雫のことなのよ。週末だけでいいから、雫を涼介君の家で預かってもらえないかしら?』


 翌日。
 ある人物から、今からすぐ体育館前に来いと呼び出しを食らった。
 せめて弁当を食べてからにして欲しいと頼んでみたが、今すぐ来ないと大変なことになる、とやんわり脅迫されたため、仕方なく俺は空腹を抱えて体育館前に直行した。
 現場に来てみると誰もいなかった。
「人を呼び出しといてなにやってんだよ。まったく。飯ぐらいちゃんと食わせて欲しいよな」
 抗議のメールでもしてやろうとポケットから携帯電話を取り出すと、突然何者かによって手首をがっちりと掴まれ、そのまま俺は引きづられるように連行された。
「ちょ、い、いったいなんなの?」
「いいから黙ってついて来てっ!」
 呼び出しの張本人――児玉雫だった。
 麗しの幼馴染様はなにやらすごく焦っている様子で、周囲を気にしながらほぼ全力疾走だ。すきっ腹でついて行くのは結構辛い。どこに連れて行かれるのかもさっぱりわからなかった。
「ねぇ、どこに行くのかだけでも教えてよ?」
「すぐに着くわよ」
 めんどくさそうに答える雫さん。
 俺達は体育館の脇をひたすら疾走し、一軒のプレハブ小屋の前に到着した。部室煉だ。ここには女子運動部の部室がいくつか集まっているのだ。
「ここよ」
「えっ、ここなの?」
「そうよ。早く中に入って」
 部室のドアには女子バスケ部の表札があり、『男子禁制! 侵入者は即死刑!!』と可愛い丸文字で恐ろしい殺し文句の張り紙が貼られてあった。
 これは流石に二の足を踏んでしまう。
「ちょっと待ってよ。なんで俺が女バスの部室の中に入らないといけないのさ? なにをするのか先にちゃんと説明してよ」 
「チッ」
 舌打ちだよ。なんか間違ったことでも言ってしまったのか? これは当然かつささやかな質問だと思うんだけどな。少しは警戒して当然だよ。これでは、まるで部室の中でヤキを入れられる展開そのものじゃないか。
「いいからさっさと入んなさいよ! 誰かに見られでもしたらどうすんの!」
 痺れを切らした雫は、バーンと勢いよく部室のドアを開けると、力づくで俺を室内に押し込んできた。
「いやぁぁー! 駄目ッ! お願いだから許してーっ!」
 蟻地獄に引きずり込まれる寸前の哀れな働き蟻のような心境を味わう俺。
「なに言ってんのよアンタは! 早く入んなさいよ!」
「あ〜れ〜!」
 とうとう俺は、ゴミのように部室の中に放り込まれた。
 バタン、とドアが閉められた。
 部室の中には誰もいなかった。一先ず集団で暴力を振るわれることはないとわかって一安心。少し周囲を見渡してみる。部屋は整然と整頓されており、ゴミ一つ落ちてないほど小奇麗だった。男子運動部の部室ならばこうはいかないだろう。柑橘系の爽やかな芳香剤の匂いに混じって、部屋に染み付いたJKのなんとも言えない甘ったるい匂いが俺の鼻腔をやんわりとくすぐった。
「お願いだから暴力だけは勘弁して! お金なら月末まで待ってくれればちゃんと用意するからっ!」
「……アンタねぇ。さっきからいったいなに言ってんのよ?」
「えっ、だって今からここでヤキを入れられるんじゃないの?」
「そんなことするわけないでしょうがっ! いったい私のことをなんだと思ってんの! 私は簡単に暴力を振るう奴なんて大嫌いよ!」
 おいおい。これは聞き捨てならない発言だぞ。録音しておけばよかったよ。
「じゃあ、いったいなんの用でこんなところに人を連れ込んだのさ?」
「連れ込んだって!? ひ、人聞きの悪いこと言わないでよねッ! ここならこの時間は誰も来ないし、ちょっと二人だけで話すことがあっただけなんだからっ!」
 唾を飛ばしながら捲し立てる幼馴染。
「なんだそうだったのか。それならそうと先に説明すればいいのに」
 やれやれ心配して損したよ。
「まったく、もうっ……それと、お、おかしな勘違いだけはしないでよね」
「勘違いって……いったいなにを勘違いするのさ?」
「そ、それは……ふ、二人っきりだからって、変なこととかしようとしたらただじゃおかないんだからねっ!」
「そんな怖いことしないから」
 いったい何年の付き合いになると思ってるんだ。猛獣とわかっている生き物にそんな馬鹿ことをする奇特な人間がいるとすれば、一度お目にかかりたいものだ。たぶんムツゴロウくらいだろう。
「で、話ってなんなの? お腹空いてるんだから早く済ませてよね」
「なによ。私だってまだお弁当食べてないんだから。……まぁ、いいわ。それで、昨日の電話のことなんだけど」
「昨日の電話って、茜さんからの電話のことか?」
「そうよ。なんか変な誤解があったら嫌だからちゃんと説明しておくんだけど、べつに私はいいって言ったんだから。それなのにお母さんが勝手に話を決めちゃってアンタのところに電話しただけなんだからねっ」
 昨晩の茜さんの電話の概要はこうだ。

『急な法事できたから雫だけを残して実家に帰らないといけなくなったのよ。でも雫を家に一人にしておくのは色々と心配でしょ。ほらっ、だってあの娘ったら家のことはなんにもできないじゃない。火事でも起こされて帰ってきたら焼け野原とか洒落になんないでしょ。後二十年もローンが残ってるわけだし。だから週末だけいいから涼介君の家で預かってもらえないかしら。雫もまた昔みたいに涼介君の家にお泊りしたいって言ってるのよ。可愛いところあるでしょ? 幼馴染で親睦を深めるいい機会だとも思うわ。なんだったらそのまま返さないで涼介君がもらってくれてもいいわよ。ハッハッハー』

「べ、べつに私はアンタの家に泊まりたいなんて一言も言ってないんだからねッ!」
「わかったから、ちょっと落ち着いてくれ。どうどう」
 プンスカモード時の幼馴染の扱いは、慎重に慎重を極めないといけない。
「落ち着いてるわよ! お母さんったら本当にありもしないことばっかり言って! あんなの全部嘘なんだからっ!」
「茜さんもなんだかんだ言って、娘を家に一人にしておくのが心配なんだよ。たぶんだけど」
 かなり面白がっているふしがあったのは否めないけどな。
「つーか、なんで雫だけ家に残るの?」
「それは日曜日に試合があるからよ。仕方ないから私だけ残ることにしたの」
 インターハイの予選のことだろう。一回戦は大差で楽勝したらしいが、次の二回戦は昨年、惜しくも破れた宿敵、秋津洲高校との対決なのだ。エースが休むわけにはいかなかったのだろう。
「だったらなおさらじゃないか。大切な試合の前におかしな物でも食べて腹でも壊したら大変だろ」
「……本当にアンタはいったい人をなんだと思ってるのかしらね。私だって普通にご飯くらいちゃんと作れるわよっ」
「ちゃんと? 言っとくけど、消し炭になった卵焼きを食べると確実にお腹壊すからね」
 被害者は語るのだ。
「それは小学生の頃の話でしょうがっ! 今なら卵焼きくらい簡単に作れるわよ! まったく! 男の癖にいつまでつまんないこと覚えてるんじゃないわよ!」
 加害者が吐き捨てるように言いました。
「つーか、ご飯の炊き方って知ってる? 米は生では食べられないんだよ」
「そんなこと知ってるわよ! 馬鹿にしてんじゃないわよッ!」
「でも、今ままで一度もご飯炊いたことないでしょ?」
「うっ……そ、それはないけど、あんなもん米と水を入れてボタン押すだけじゃない。私にだってそれくらいできるわよ……」
 急にトーンダウンした。自分でもちょっと怪しいと思っているのだろう。
「だいたい最近はちゃんと練習を始めてるんだから。ようは反復練習で身体に覚え込ませればいいのよ。その内にちゃんとできるようになるんだから」
「ほー、料理の練習を始めたんだ」
「あっ……」
 しまった! といった顔で黙り込む雫。
「か、関係のない話はどうだっていいのよ! そんなことよりも今日の話よ!」
 明らかに話を逸らしてきたな。
「えーっと、それでなんの話だっけ?」
「私がアンタの家に泊まりたいなんて言ってないって話よっ!」
 ああっ、そんな話だったな。べつにどうでもいいんだけどな。
「じゃあ、今日はもう泊まりに来ないの?」
「……そんなことはべつに言ってないわよ」
「じゃあ、泊まりに来るの?」
「……そんなこともべつに言ってないわよ」
 どないやねん。
「じゃあ、いったいどうしたのさ? はっきりしてくれないとこっちも困るよ」
「……アンタはどうして欲しいのよ。わ、私がアンタの家に泊まった方がいいと思うの?」
「なんで俺に聞くのかよくわからないけど、遠慮してるんだったらその必要はないよ。初めてってわけじゃないんだし。真帆奈も久しぶりに雫がお泊りするって言ったら喜んでたよ」
「そうなんだ……。まぁ、迷惑じゃないってんなら行ってあげてもいいけど。真帆奈ちゃんが喜んでるんだったら行かないのもなんか悪いし」
「べつに全然迷惑じゃないよ。茜さんにも頼まれてるしな。試合に勝てるように、ちゃんと栄養がつくものを作ってあげるよ」
「ふ、ふーん。アンタがそこまで言うんなら行こうかしら。私は一人でも全然大丈夫なんだけどね」
「はいはい。じゃあ、決まりだね。それで、今日はなにが食べたい?」
「えっ?」
「晩ご飯だよ。雫はなにが食べたいの?」
「もしかして、私が食べたいものを作ってくれるの?」
「そうだよ。お客さんだしな。俺が作れるもんだったらなんでも作るよ」
「急にそんなこと言われても困る……。な、なに……これってまるで新婚さんみたいじゃない――って、な、なにを考えてんのよ私はーッ!!」
 ボソボソとよく聞き取れないことを言っていたかと思うと、唐突にそばのロッカーをバンバン叩いて暴れ出す茶髪の幼馴染。いったいどこの奇行種だ。
「マジで大丈夫? ちょっと怖いんだけど……」
「はぁ、はぁ……なんでもないわよ。アンタは気にしないでいいから」
 結構疲れたのだろうか、肩で息をしている。
「……それならいいんだけど。で、なにが食べたいの?」
「……」
 暫くの間、沈黙が続いた後に、
「カ、カレーが食べたいっ!」
 と、なぜか雫は唇をツンと尖らして言った。
「わかった。じゃあカツカレーにしようか。試合に勝つってことでな」
「う、うん……それでいい……」
「オッケー。ならこれで話は終わりだね」
「ちょっと待って。実は今日も部活があるから家に行くのはちょっと遅くなると思うんだけど……」
「何時頃になるの?」
「試合前だし、ミーティングが長引いたりすると、ちょっとどうなるかよくわからないのよね。たぶん八時くらいまでには行けると思うんだけど」
「そんな遅くまで部活があるのか。大変だな。あんまり遅くなるようだったらメールでもしてよ」
「わかった……」
「じゃあ、今度こそ話も終わりだね。もう行ってもいいかな。なんかここにいるのも落ち着かないよ」 
「ちょっと待ってっ」
 ドアから外へ出ようとしたところで呼び止められた。
「まだなにかあるの?」
「一番大切なことを言うのを忘れてたわ。えっと……このことは絶対に誰にも言わないでよね」
「雫がうちに泊まりに来ることか?」
「そうよ。もし誰かにことことがばれたら、へ、変な勘違いされちゃうでしょ。だから絶対に話すのは禁止だから。墓まで持って行く勢いで黙っておきなさい。わかったわね」
 確かに知られたらめんどくさいことになるかもしれないな。みんなこの手の話題に餓鬼のように飢えてるからな。わざわざ話題を提供してやる義理はない。まぁ、元々誰にも話す気はなかったけどね。
「わかった。絶対に誰にも言わないよ。じゃあ、行っていいよね」
「ちょっと待ってっ!」
 ……いつになったら弁当が食べれるの?
「今度はなに?」
「私が先に出て誰もいないか確認するから、アンタはちょっと中で待ってなさいよ」
 なるほど。用心深い奴だ。
 雫が慎重にドアから顔を出して外の確認する。
「あいやぁぁーっ!」
 バタン!!
 雫は中国人のような驚きの声を発し、すぐにドアを閉めて身体をガクガクと震わせた。
「いったいなにがあったというの?」
「ど、ど、どうしよう!? 長谷川と永沼がこっちに来てる……っ!」
「長谷川と永沼? いったい誰なの?」
「クラスメイトでしょうがっ! 女バスの二人よっ!」
 あー、例の凸凹コンビか。あの二人、そんな名前だったんだな。今初めて知ったよ。
「これはまずいわよ。アイツらきっと部室に来る気だわ」
「見つかったのか?」
「こちらには気付いてなかったみたいだったけど、今外に出たら確実に見つかちゃうわ。ど、どうしよう……」
 雫は、オロオロと迷子のクマさんように部室内を闊歩する。
「……そんなに見つかったら駄目なの?」
「あたりまえでしょ! アイツらにこのことがばれたら、放課後までにはありもしない話がプラスされて学園中の生徒に知られるとこになるわよ! そ、その……アンタと私が部室で、エ、エッチなことしてたとかって!」
 どんだけ創作意欲にたけてるんだよ。
「そ、それだけじゃないわよ! もし先輩達の耳のそのことが入ったら、私はいったいどんな制裁を受けることになるかっ! いっ、いやあああぁぁーッ!!」
 恐怖のあまりムンクのような叫びを上げる雫。
 いったいどんな制裁を受けるんだろうか?
「だったら窓から逃げたらいいんじゃね?」
「鉄格子が嵌めてあるから無理よ!」
「じゃあ……どうすんのよ?」
「か、隠れてッ!」
「どこに?」
「……ロ、ロッカーの中よっ!」
 雫は、自分のロッカーをビシッと指差した。
「ロッカーって、マジかよ……」
 なんか間男みたいな展開になってきたぞ。
「早く入んなさいよっ! もうアイツらが来ちゃうでしょ!」
「ちょっと待ってよ。そ、そんな押さないでって――うわぁぁっ!」
 俺は、狭いロッカーの中に強引に押し込められた。そして、なにを思ったのか雫も一緒にロッカーの中に入ってきて、勢いよくドアが閉められた。ほぼ同時に部室のドアが開く音が聞こえた。
『雫、いる〜? あれ、いないな……』
『雫いた?』
『いない』
『ほー、珍しくヌマさんの勘が外れましたな』
『うーん、携帯が繋がらないからてっきり部室にいると思ったんだけどな』
 凸凹コンビがロッカーの外で会話をしている。
 さて、今の状況を軽く説明しておこう。高校生が二人でロッカーの中に入るには少々どころかかなり狭く、俺と雫はほとんど身体を抱き合うように密着させていた。
(ちょっと、ば、馬鹿ッ! 変なところ触らないでよ!)
(狭いんだから仕方ないだろ! だいたいなんでお前まで一緒に入ってくるの!? お前は隠れる必要はなかっただろうが!)
(あっ……)
 今頃気付きやがった。どうやら相当気が動転していたようだ。
『ハセっち、今なんか言った?』
『うんにゃ、なにも言ってないけど』
((――ッ!?))
『おかしいな。なんか雫の声が聞こえたような気がしたんだけど……』
『気のせいでしょ』
『そうかな……。まぁ、いいわ。とにかくもう一度雫に電話してみよう』
 ばれなかったか。ふー、冷や冷やしたぜ。
(だから変なところを触るなって言ってんでしょ! いい加減にしとかないと本気で怒るわよっ!)
(だからしゃべるなって! まだ凸凹コンビがいるんだぞ!)
 吐息が触れ合う距離に雫の顔があった。心地のよいリンスの香りが漂ってくる。密着したなだらかな曲線を描く幼馴染の胸部から、次第に高鳴っていく生命の鼓動が直に伝わってきた。 
『うーん、やっぱ繋がんないな。携帯、切ってるのかなー? 明石先輩が呼んでるから早く見つけ連れていかないとないとこっちもヤバイのに』
『でも、雫がお弁当も食べないで急にいなくなるのって珍しいよね』
『ふっふっふ、ハセっちは気付かなかったのかなー?』
『おっ、ヌマさん。なにか心当たりアリですかな』
『アリなのですよ。雫がいなくなったすぐ後に乃木くんが一人で教室から出て行くのを、私はこの目で確認しているのだよ』
『おー、これは衝撃の事実発覚ですな』
『私の勘が確かならば、あの二人は今頃は間違いなく密会しているはず』
『密会といいますと。愛し合う二人が人目を偲んで逢い引きするという伝説のアレですかな』
『そう。伝説のいちゃいちゃタ〜イム』
(な、なに好き勝手なことばっかり言ってんのよあの馬鹿共がーっ!)
(こらっ、こんな狭いところで暴れるなって!)
 結構色んなところが柔らかかったりするから、こっちは困ってるんだぞ! あっ、ヤバイ。か、海綿体に……海綿体に血液が流れていくーっ!
『ところで最近乃木くんと東郷さんの仲がいいと、ヌマさんは思わないですかな。なにか面白い情報を掴んではおりませぬか?』
『私もちょっと怪しいと睨んではいるんだけど、草からの情報が少なすぎてまだ判断は保留の状態なのよ。でも確かに言えることは、乃木くんよりもむしろ東郷さんの方がかなり熱くなっているってことだわね』
 草? 草ってなんだ。ヌマさんって凸の方だよな。いったい何者よ。
『あの優等生の東郷さんの方から、乃木くんに積極的にアタックをしているわけでありますか。それは意外や意外。でも、そうなると我らの親友に最大の危機到来ですな』
『東郷さんが相手だとかなり分が悪いもんね。横からトンビに大好きな大好きな油揚げをさらわれちゃうかもしれないわ』
 つーか、こいつらいつまで部室でくっちゃべってるんだよ。さっさと移動しろよな。
(アイツらーッ!! 余計なことをベラベラと……ウギギギ……)
(ちょっと、マジで動かないで……もう、ヤバイことになってるから……)
(……ていうか、さっきからなんか硬いもんが当たってるんだけど。なんなのこれは?)
(えっ! そ、それは……なんと申せばいいのでしょうか……)
(なに言ってんの? この硬いのはいったい……)
 TPOもわきまえずにおっきしてしまった不肖の息子が、むんぎゅと優しさのない手つきで握りしめられた。
(ほぉうわっ!!)
(――ッ!?)
 必殺技を放った直後のように、雫は全身を硬直させた。
(こ、これって……まさか……はわわわ……) 
(いやっ! は、離して離してっ!)
 しかし幼馴染は、なぜか俺の切実な懇願とはまったくの正反対の行動を取った。あろうことか、膨らんだ肉竿を強く握り込んできたのだ。もう明らかに指に力が入っている。
(ちょっ、なんで握ってるのっ!?)
『ここいいてもしょうがないし、どこかべつの場所でも探そっか』
『そうですな。雫が他に行きそうな場所なんてありますかな?』
 ドアが閉まる音が聞こえた。
 俺と雫は、まだロッカーの中にいた。なぜか雫が息子をガッチリと握ったままで解放してくれないのだ。
「あの……雫さん。そろそろ本当に離してもらうわけにはいきませんか?」
「はぅああぁぁっ!!」
 雫はビクゥッ! と身体を弾けさせ、ロッカーの中から飛び出してへたり込んだ。はぁ、はぁ……、と胸に手を当て過呼吸のように息を荒らげている。
「へ、へ、へ……」
「なんだって?」
「へ、変態変態変態ッ!! なんてことすんのよアンタはーッ!!」
 雫はわなわなと肩を震わせ、つんざくような怒声を張り上げた。ちょっと涙目になっている。
「えっ、俺が悪いのッ!?」
 なんという理不尽な怒りだろうか。弄ばれたのはこちらだというのに。
「ちょっと待ってよ! 握ってきたのはそっちじゃないか!」
「握ってないわよ! 馬鹿なこと言わないでよね! ほんっとに信じらんないわ!」
 うわっ、マジで信じらんねー。自分の痴漢行為を逆ギレでなかったことにするつもりだぞ。
「嘘をつくのは駄目だよ。明らかにそっちから握ってきたんでしょ。やめてって言ってるのにぎゅーってしてきたよね」
「人を痴女みたいに言うな! まさかあんなに硬いのが、ア、アレだなんて思ってもみなかったんだからっ! だ、だいだいなんであんなことになってんのよ! どうせいやらしいことでも考えてたんでしょ! この変態ッ!」
「生理現象なんだから仕方ないだろ! 女の子とあんな狭い場所で密着してたら、男なら誰だってあんな風になってしまうもんなんだよ……」
「そ、それってつまり……私のことを女の子として意識してたってこと……?」
「まぁ、柔らかかったし……」
 あれっ、この唐突に甘酸っぱい雰囲気はなに?
「なっ!?」
 カーッ! と雫の顔が煮えたぎるように紅潮した。で、両腕で慎ましい胸の膨らみをガードしながら、
「なに言ってんのよ馬鹿ッ! ほ、本気で変態じゃないのっ!」 
 と、怒る。
「そ、それは雫が聞いてくるから……」
「も、もうっ、知らないっ! 涼介の馬鹿ッ!!」
 雫は、加速装置を使って部室から消え去った。
 ぽつんと取り残された俺。こんなところで一人で勃起している自分が果てしなく虚しかった。腹の虫も、ぐーと抗議の声を上げる。色々と理不尽なものを感じながら、俺は教室に戻って遅めの弁当を食べることにした。


 カレーが嫌いな日本人がいるのだろうか?
 子供の頃は、カレーと聞くだけで武者震いをしたものだ。ラーメンと双璧をなす国民食と言ってもいいよね。ちなみに俺は、断然カレー派だけど。
 我が家のカレーは極めてシンプルである。隠し味にチョコだのコーヒーだのと、わけのわからない物を入れたりしません。そんな物を使わなくとも普通の食材と市販のルウだけで、充分に美味しいカレーができるのだ。後はじっくりコトコト煮込むだけ。
 さて、それではちょくっと味見してみよう。
 ――うっ、うっ、美味いぞーッ! 
 この絶妙な辛さと風味豊かな味わい。我ながらいいできだと思う。俺、天才。さっそく麗ちゃんにも味見してもらおう。
「麗ちゃ〜ん」
「は〜い、なんですか。おっぱいですか」
「違います」
 おっぱいからミルクが出てしまうという稀な遺伝的体質を持つ麗ちゃんは、最近ことあるごとに自分のミルクを飲ませようとしてくるのだ。
「ちょっとカレーの味見をして欲しいんだけど」
「いいですよ〜。はむっ――んんっ! 美味しいです! やっぱりおにーさんのカレーは絶品ですね」
 よかった。麗ちゃんにも気に入ってもらえたようだ。後はもう少し煮込んだら完成だな。
「じゃあ、次はおにーさんが私のミルクの味見をしてください」
「しません」
「もうっ、おにーさんったら全然私のおっぱいを飲んでくれません。そんな他人行儀とかされたら寂しいです」
「どんなに親しい間柄でもおっぱいまでは飲まないでしょ! だいたい夕飯作りの最中なのにおっぱいの味見とか明らかに間違ってるから!」
「ならいつならいいんですか。食後ですか? それとも早朝にしますか? なら明日の朝一で、真帆奈が寝ている隙を突いておにーさんの家に突撃配達しますっ」
「勝手に具体的な日取りを決めるのはやめて! 突撃配達は禁止ッ!」
「それは残念です。でも、飲みたくなったらいつでも言ってくださいね。事前に言っておいてくれれば、搾らないでたっぷりと貯めておきますから。ふふっ」
 小悪魔は妖しい微笑を浮かべて、ボヨンとその巨大を果実を揺らした。
 やれやれである。
「そういえば、雫さん、遅いですね」
「そうだね。こんな時間まで部活なんて大変だね」
「何時くらいに来るんでしょうか?」
「八時くらいって言ってたよ」
「あらっ、結構遅い時間になるんですね」
「そうなんだよ。それまであのいやしん坊の腹が持つか心配だよ」
 ちなみにそのいやしん坊はというと、「真帆奈もお手伝いするー」と最初は張り切ってはいたのだが、すぐに飽きたらしく、早々に退場して今はリビングで呑気にテレビを見ている。生き方がフリーダムで羨ましい限りだ。
「でも、もしかするとアイツ、今日はもう来ないかもしれないなー」
 昼間にあんなことがあったからね。なんかお互い気まずいよ。
「ほほー」
 キラーンと麗ちゃんの双眸が光る。
「なぜそう思うんですか? まるで雫さんがおにーさんの家に来れない理由があるように聞こえます」
 山猫のように勘の鋭い麗ちゃんは、今の俺のちょっとした台詞だけでなにかを掴んだようだ。なにかあったんですか? なにかあったんですね? と先の尖った尻尾をフリフリして圧力をかけてくる。
「い、いやっ、特に理由はないんだけどね。ただなんとなくそう思っただけだよ。ハハハ……」
 この小悪魔に昼間のことを知られるのは非常にまずい。
「そうですか」
 あからさまに残念がる麗ちゃん。
 上手くごまかせたかな? ふー、危ない危ない。危うくオウンゴールするところだったぜ。
「まぁ、どちらにせよ雫さんは絶対に来ますよ。賭けてもいいです」
 麗ちゃんは、なぜか自信満々だった。
「なんでそう思うの?」
「そんなの関係者なら誰にだってわかります。わからないのはおにーさんだけです」
 俺だけがわからない? うーん、なんでだろう。さっぱり思い当たるふしがないな。
 にゃー。
 携帯電話にメールが着信した。
 雫からかと思い確認してみると、送信主は黒木だった。
 詳しい理由は知らないが、こいつは今日学校を無断欠席したのだ。気になったのでさっそくメールを読んでみた。
『久しぶりに池袋でデートして一緒にプリクラとか……マジで吐いた。死にたい……』
 なるほど。欠席の理由は心労だったわけだ。最近こういう事件が続いているからな。とうとう心が折れたのだろう。
 さて、どうしたものだろうか? 声優だって一人の女なんだと現実を突きつけてやるのは、あまりにもグリム童話のように残酷な気がする。結果、どのような悲劇的な事件が起きてしまうか想像すらできない。なら俺にできる冴えたやり方は一つだけだ。
『だがちょっと待って欲しい。これは噂で聞いた話なんだが、リア充なら友達同士でも普通にプリクラを撮ったりするらしいぞ。だからお前の早とちりの可能性もあるじゃないか』
 裸でキスをしている写真が流出したわけじゃないんだからな。
『な、なん……だと……。それは本当なのか……?』
『ああ本当だ。あのあずちゃんに男がいるわけがない。さぁ、そんなことよりも早く零式のパンチラを確認する作業に戻るんだ』
 ぐっと涙を堪えつつ、俺は黒木にメールを送信した。
「どうしたんですか、おにーさん? まるで大賞を受賞したと思ったら、『ウーマ・ナイズジェネレーター』が『モテモテな僕は世界まで救っちゃうんだぜ(泣)』に変更されていることを知った中の人みたいな顔をしています」
 流石に話し合いはちゃんとあったと思うよ。思いたい……。
「ちょっとね。こんなに高度に情報化された社会になったというのに、なぜそんな安易にプリクラを撮ってしまうのかと思ってね……」 
「はぁ……」
 にゃー。
 おっと、また黒木からメールだ。
『うはっwww レムは俺の嫁www』
 もう立ち直りやがった。なんと切り替えの早い奴だ。
「お腹空いたよー。お兄ちゃん、ご飯まだー」
 腹を空かせた妹が、リビングからのそのそとやってきた。
 やっぱりいやしん坊の腹はもたなかったようだ。
「もうちょっとだけ待って。てか、雫が来るまで食べるのは待ってあげようよ」
「雫ちゃんは何時頃来るのー?」
「八時くらいって言ってたよ」
「は、八時……」
 真帆奈は、バタンとその場にへたり込んだ。
「それまでこれでも食べてな」
 仕方がないので、酒のツマミに買っておいたビーフジャーキーでも与えておくことにする。これで暫くは時間が稼げるだろう。
「しょうがないから、この責任はお兄ちゃんの身体で支払ってもらうことにするよ」
 ビーフジャーキーをガシガシと噛みながら言う真帆奈。
「なんで俺の責任問題に発展するの。どう考えても難癖だろ。お前はモンスタークレーマーか」
「自分の妹をクレーマー扱いするなんて酷いよ。真帆奈のイメージが崩れるからやめて」
「お前にどんな御大層なイメージがあるっていうんだよ」
「可憐で清楚で慎ましくて、常にお兄ちゃんを立てる大和撫子のようなイメージだよ」
「嘘つけっ。お前にそんなイメージなんかねーよ。いったいどこの誰がそんなこと妄想じみたことを言ってるんだ」
「なに言ってるの、お兄ちゃん。真帆奈は巷では、某高校の劣等生の深雪と双璧をなす妹キャラで有名だよ」
「まったく対極に位置する妹キャラじゃねーか! そんなこと言うと本当に怒られるかもしれないからやめて!」
「お兄様、ずるいです……真帆奈にこんなに恥ずかしいことばかりさせて、お兄様はいつも平気なお顔……」
「いやっ、全然似てないから! つーか、そんな台詞なかったよね!? 微妙に台詞を改竄していけないニュアンスにするのは禁止ッ!」
「だいたいお兄ちゃんがいけないいたずらを妹にしないのがいけないんだよ。真帆奈はもうモンスター欲求不満だよー」
「その論理的飛躍には付いていけないよ。満たされない食欲を性欲でまぎらわせよとしないで」
「まほな! 膣内(なか)に出すぞ! くらいのコメントができる気概がお兄ちゃんにも欲しいよ」
「妹にそんな炎上するよなコメントするわけないでしょ! もういっそご飯ができるまで寝てたら?」
「真帆奈は授業中にちゃんと寝てるから、睡眠欲は満たされているんだよ」
「ちゃんと寝るな。勉強しろよ」
 本当にトンデモない奴だな。しかし、家でも勉強をやってるような素振りすら見せないのに、これで結構テストの成績はいいから実に不思議だ。
「麗ちゃん、こいつの学校生活の方は正直なところどうなの。問題なくすごせているの? なんか支障がありまくりのようが気がするんだけど」
「おにーさんが心配するようなことは特にないですよ。学校での真帆奈の人気は韓流アイドルよりもすごいですから。ピカチュウやエコハちゃんに匹敵するくらいのマスコットぶりです」
 エコハちゃんネタは駄目だよ。後で怖いおじさんからメールが来るかもしれないからね。
「そうだよ。お兄ちゃんが心配することはなにもないよー。なぜならば、真帆奈は未来永劫お兄ちゃんだけの所有物なのだからっ」
「だれもそんな心配はしてないから」
 もういいよ。いつまでたっても夕食作りとストーリーが進まないから、こいつは極力無視することにしよう。
 ピンポーン。
 玄関のチャイムが鳴った。
「雫さんじゃないでしょうか?」
「まだ早いような気がするけど。ちょっと見てくるよ」
 俺は急いで玄関に向かった。ドアを開けると結構な勢いの雨の中、ジャージ姿の幼馴染が傘を片手に突っ立っていた。
「うおっ、雨すげー。雫、濡れるからとりあえず早く中に入って」
「う、うん……」
 雫を玄関の中に招き入れた。
「早かったんだね」
「台風も来てるみたいだし早く終わったのよ……」
 ほのかに頬を上気させた雫が、視線を逸らせて言った。
「……」
「……」
 うーん、会話が続かないな。やっぱりなんか気まずい。
「ま、まぁ、早く終わってよかったな。ちょうど晩ご飯もできるところだったんだよ。早く上がって」
「……お、おじゃまします」
 ややためらうような素振りを見せた雫は、ギクシャクと音が鳴るような挙動で家の中に入った。
「あー、雫ちゃんだー。いらっしゃ〜い」
「雫さん、こんばんわ」
「こんばんわ、真帆奈ちゃんに麗ちゃん。暫くの間だけどお世話になるわね」
「堅いことは言いっこなしだよー」
 まるで誰かを探すように、雫はキョロキョロとダイニングの中を見渡している。
「どうかしたの?」
「えっ、いや……今日は東郷さんは来てないのかなと思って……」
「東郷さんなら来てないよ。暫くは忙しいから来れないんだって」
 なんでもあるエロゲーライターが徹夜明けの朝にふとコーヒーを飲んでくると言って会社から外出し、そのまま失踪。今も音信不通だそうだ。で、ピンチヒッターとして東郷さんにその仕事が回ってきたらしい。
「ふーん、そうなんだ……まぁ、忙しいんなら仕方ないわね。だいたい毎日のようにわざわざご飯を作りに来る方が異常だったのよ」
 なぜか雫の頬はゆるゆるになっている。
「さぁお兄ちゃん、雫ちゃんも来たことだし早くご飯だよー。真帆奈はモンスター腹ペコなのだ」
「モンスター言いたいだけだろ」
「カレーと聞いたら真帆奈は黙っていられないよー」
 子供はみんなカレーが大好きだからね。
「あっ、本当にカレーなんだ」
「昼間に雫が食べたいって言ってたろ」
「ひ、昼間ッ!?」
 昼間という言葉に過剰な反応を示す雫。
「そうだけど。なにかあったの?」
「い、いや、べつに……あ、ありがとう」
 で、冷蔵庫に向かってぼそぼそと礼を言った
 さっきからコイツは、俺の顔をまともに見ようとしない。やはり部室でのことを相当意識しているようだ。耳たぶまでが真っ赤っかになっている。なんだかこっちまで恥ずかしくなってくるよ。
「おやおや」
 そんな俺と雫の不自然な関係にいち早く気付いた麗ちゃんが、ムフフと曰くありげな含み笑いを俺に向けて、やっぱりなにかありましたね的な流し目を向けてくる。実によろしくない。
「さ、さてと。それじゃあ急いで完成させよっかなー」
 後は準備していたトンカツを揚げれば、涼介特製カツカレーは完成なのだ。
「麗ちゃん、ちょっといいかしら」
「はいはい。なんでしょうか?」
 雫が麗ちゃんの耳元でなにやらごにょごにょとやっている。
「ふむふむ……ほー……なるほど。わかりましたっ。そういうことなら私にお任せください」
「ありがとう。本当に助かるわ」
「いったいなんの内緒話だったの?」
 気になったので聞いてみた。
「それは後からのお楽しみです。ふふっ」
「べ、べつにアンタのためにするわけじゃないんだからねっ!」
 ぷいっと顔をそっぽに向けて言い放つ茶髪さん。
 さっぱり意味はわからないが、後からのお楽しみというのならば致し方ない。
「腹ペコ腹ペコ〜♪ 真帆奈は腹ペコ〜♪」
 真帆奈が謎の歌を歌い始めたので、俺は大至急で夕食の仕上げに取りかかることにした。


「「「「いっただっきまーす」」」」
 四者四様で食前の挨拶をしてから、俺達は完成したカツカレーの攻略を開始した。
 まずは一口。
 うっ、美味いッ!!
 とろーりなめらかなカレーソースは、コクのある深い味わいをしており、程よい辛さが食欲を増進させる。市販のルウだけでこれほどの味を出せるなんて流石だな。特にカツの揚げ具合などは、外はサクサク中はジューシで絶妙と言えるだろう。我ながら自分の料理センスが怖い。
「うにゃー! 美味しいよー! やっぱりお兄ちゃんのカレーは最高だねっ!」
「本当に美味しいです。これならお店にでも出せそうですね」
「……お、美味しいわね。アンタ、なんでこんなの作れんのよ?」
 どうやら女性陣にも大好評のようだ。
「これも日々の努力と研鑽の賜物だよ。カッカッカ」
「むむむっ……」
 納得いかないといった表情の幼馴染。
「じゃあ、次はこっちの味見をしてみよっかな」
 雫はビクゥッ! と身体を震わせて途端にキョドりだし、
「や、やっぱりこれはなしにする!」
 と、大皿に盛られた見た目の悪い卵焼きを慌てて撤去し始める。
 この見た目の悪い卵焼きは、麗ちゃんからアドバイスをもらいながら雫が一人で作ったものなのだ。後からのお楽しみ、というのはこれのことである。
「もったいないだろ。ちゃんと食べるから片付けないで」
「駄目だからっ! 私一人で全部食べるからっ! 卵のお金も後でちゃんと払うからっ!」
 そんなせこいことは誰も言わないから。
「なにを言ってるんですか雫さん! そんな戦う前から敗北主義でどうするんです! せっかく作ったんですから、ちゃんとおにーさんに食べてもらわないといけません!」
「で、でも……」
 麗ちゃんに叱られて、雫はしゅんと身体を縮こまらせる。
「でももへったくれもありません! おにーさん、どうぞ雫さんの作った卵焼きを食べてあげてください」
 麗ちゃん、意外にスパルタだな。
「う、うん……じゃあいただきます」
「あ……っ!」
 俺が大皿から卵焼きを一切れ摘むと、雫が軽い悲鳴を上げた。
 一口だけ齧ってみた。
「……ふむふむ。うんっ、美味しいじゃないか」
 確かに見栄えはよくはないが、味はまごうことなき卵焼きの味だった。
「えっ、ほ、ほんとに?」
「ほんとほんと。普通に美味しいよこれ」
 心配そうに曇りきっていた雫の顔が、ぱぁーっと晴れ渡る。
「だ、だから私にだって卵焼きくらい作れるって言ったでしょ」
 さっきまでは一人で食べるとか言ってた癖に。調子のいい奴だな。
「真帆奈も食べるー。もぐもぐ……。うにゃー、美味しいよー。お兄ちゃんの卵焼きの味に似てるね」
「本当に美味しいですよ。喜んでもらえてよかったですね、雫さん」
「うん……麗ちゃん、ありがと」
 これも麗ちゃんの的確なアドバイスのおかげだな。下手してたらまた消し炭を食わされてたかもしれなかったぞ。麗ちゃん、本当にグッジョブ。
 そんなわけで俺達は、無事に夕食を完食した。
「それで、今日は雫さんはどこで寝るんですか? もしかしておにーさんの部屋で一緒に寝るんですか〜?」
 食後の紅茶の時間に、麗ちゃんがニコニコ顔で言った。
「い、一緒にッ!?」
 おいおい。本気にするなよ雫。小悪魔はからかって楽しんでるだけだから。
「それは駄目だよー。雫ちゃんは真帆奈の部屋で寝ればいいよ。そして、真帆奈がお兄ちゃんの部屋で一緒に寝るよ。これで完璧だね」
 どこが完璧なのやら。
「駄目よそんなの! 兄妹だからってそう簡単に同衾するのは許されないわ!」
「えー、なんでなんでー。真帆奈とお兄ちゃんはいつも一緒に寝ているというのに」
「りょ、涼介ッ! アンタまさかっ!?」
「嘘に決まってるでしょ」
 なんでもかんでも信用しないで欲しい。
「つーか、雫は普通に客間で寝てもらうから」
「きゃ、客間……」
 安心したような残念なような奇妙な顔つきで、雫がぽつりと呟いた。俺の視線に気付くと、ぷいっとそっぽに顔を向けた。
 この人、いつまでこの調子なのかな。
「つまり雫ちゃんが客間で寝て、真帆奈がお兄ちゃん部屋で寝るわけだね」
「そんなわけないよね。お前は普通に自分の部屋で寝なさい」
「えー」
「『えー』じゃない」
「残念だったわね、真帆奈。また次のチャンスがあるわよ」
 まったく。麗ちゃんにも困ったものだ。
「ふふっ、それでは話がまとまったところで、私はそろそろ帰りますね」
「雨降ってるから気を付けてね。なんだったらもう麗ちゃんも泊まっていく?」
「いえいえ、そこまで甘えたらお母さんに怒られちゃいますよ。今日はおとなしく帰ります。ごちそうさまでした」
「そっか。じゃあ本当に気を付けて帰ってね」
「麗ちゃん、またね〜」
「麗ちゃん、今日は本当に助かったわ」
 で、帰り際に麗ちゃんは俺の耳元で、
「後でメールします」
 と、小声で呟いて帰った。
 さてと、じゃあ俺は後片付けをすることにしよう。
「そうだ。お風呂沸いてるから、雫、先に入ったら?」
「えっ、私が一番でいいの?」
「いいよ。お客さんなんだし」
「じゃあ雫ちゃん、真帆奈と一緒にお風呂入ろうよー」
「一緒に? いいわよ」
「やったー。雫ちゃんと一緒にお風呂に入るの久しぶりだね。真帆奈が背中を洗ってあげるよー」
 うるさいのが一緒にお風呂に入ってくれるのは助かる。これで後片付けがはかどるな。
 しかし、なぜか雫がジト目で睨んでくる。
「なに……?」
「アンタ……も、もし覗いたりとかしたら承知しないんだからねっ!」
「覗かねーよっ!」
 なんと失礼な奴だ。人を覗き扱いしやがって。
「お兄ちゃんは覗かなくても言ってくれれば、真帆奈はいつでも見せる用意はあるよ」
「そんな用意はいらないから。もういいからさっさと入ってきて」
 俺は二人をお風呂に追いやり、後片付けを始めることにした。


 先ほどテレビのニュース速報で、大雨暴風警報が発令された。どうやらすぐそこまで台風が迫っているようだ。念の為に雨戸を閉めて戸締まりをしておいた。しかし、まさか本当に台風が上陸することになるとは思わなかったな。
 ゴロゴロゴロー。
 転がってるんじゃないよ。これは雷の音な。遠くで雷が鳴っているのだ。ガタガタと強風に吹かれて雨戸が騒ぐ。雨もいよいよ本降りだった。
 ふとあることに気が付いた。
「バスタオルの用意してなかったな」
 一緒に仲よくお風呂に入っている真帆奈と雫のバスタオルのことだ。
 いくらなんでもそれはベッタベタすぎる展開だろ! とどこからともなく容赦のないツッコミが入りそうな唐突な展開だが。脱衣所で鉢合わせとか、そんなテンプレイベントは流石にないですから。もう断言しとくよ。あまり甘く見てもらっては困る。
 誰になんの説明をしているのかは意味不明だが、俺はバスタオルを用意して脱衣所に向かおうとした。
 突然、視界が闇に覆われた。
「おわぁっっ! な、なんだ!? えっ……まさか停電か……?」
 一寸先すら確認することができない完璧な闇がそこにあった。ちょっと怖い。これは電線に雷でも落ちたのかもしれないな。お風呂に入っている二人が心配だけど、こちらもちょっと身動きが取れなかった。
 ……ピキーン! そうだ! 
 俺は、ポケットから携帯電話を取り出してスイッチを押した。微かな光が周囲を照らす。少々頼りないが真っ暗よりかは全然ましだ。こんなこともあろうかとダイニングの棚に常備してある懐中電灯を装備して、真帆奈と雫の様子を見に行くことにした。
「なんだこれはー! なにも見えないのだ!」
「ちょ、な、なにこれ!? 停電なの?? あっ、真帆奈ちゃん! 今動いたら危ないわよ!」
 脱衣所のドアを開けると、お風呂に入っている二人の混乱状況が伺われた。
「おーい、二人とも大丈夫か?」
「お兄ちゃん!」
「涼介!?」
 素っ頓狂な真帆奈と雫の声が反響した。
 刹那、勢いよく風呂場のドアが開いて、真っ裸の真帆奈が飛び出してきた。
 懐中電灯のまばゆい光に包まれた妹の裸体は、相変わらずの未発達ぶりで、少しドキッとするほど肌が白い。
「お兄ちゃ〜ん、怖かったよ〜」
 で、濡れた身体でひしっと抱き付いてくる。
「こらっ、濡れてる濡れてる! くっつくんじゃない!」
「真帆奈ちゃん、裸で出て行ったら駄目よっ!」
 とか言いながらも、真帆奈につられて雫も風呂場から出てきた。
「あっ!」
「えっ!?」
 全裸の幼馴染と目と目が合う。
 不本意にもラッキースケベなイベントが成立してしまった瞬間だった。
 純粋に綺麗な身体だと思えた。全身は一切の無駄がなく機能的に引き締まっており、女豹をイメージさせるスレンダーボディ。胸の膨らみはお世辞にも大きいとはいえないが、その造形は実に可愛らしい形をしている。いかにもスポーツウーマンらしい体型なのだが、そこにはちゃんと女の子らしい魅力が秘められた素晴らしい裸体だった。
「あうっ、あうっ、あわわわ……」
 乙女の柔肌がみるみる羞恥の色に染まっていく。
「こ、これは、その、ち、違うッ! 不可抗ですからっ! だから落ち着いてください雫さん!」
「きゃあああああああぁぁぁーーッッ!!」
 抉り込むように放たれた雫の必殺のコークスクリューパンチが、俺の顔面にクリーンヒットした。
「ぐはあああぁぁっ!!」
 一撃でHPの全てを削り取られた俺は、もんどりうってその場に倒れ込んだ。
「こ、こ、この変態ッ変態ッ変態ッ!! もう信じらんないわッ!!」
「あ、あが……あががが……」
 鼻先で星がキラキラと明滅する中、俺は茶髪の幼馴染の下の毛も茶髪だったことを思い返していた。


 停電は続いていた。
 電気が使えないとなると、途端に現代人の行動は制限されてしまう。テレビは見れないしパソコンもできない。暗いので本も読めないとなると、やることは必然的にこうなってしまう。
「あっ、お兄ちゃん待って。クーラー忘れたー」
「えー、先に行ってるから後でおいで」
「うにゃ」
「あれ、いないな? どこ行ったんだ?」
「お兄ちゃん、こっちにいたよ〜」
「オッケー」
「落とし穴使うよー」
「あいよ」
「うにゃっ、うにゃっ、こいつめー」
「よっしゃー、倒したぞ」
「やったー。大物だったね」
 と、狩猟笛使い(俺)と爆弾魔(真帆奈)の変則コンビで、小一時間ほど狩猟を続けていた。
「ふー、いい狩りだったな。じゃあちょっと休憩するわ」
 少々疲れたので小休止。
「……ねえ、そんな暗いところにいないでもっとこっちに来たら」
 部屋の隅っこで携帯を弄っている人に声をかけてみた。
「……アンタみたいな覗き魔のそばに近寄れるわけないでしょ」
「さっきからずっと謝ってるのに。暗かったからそんなにはっきりとは見えてないんだって。つーか、あのレベルだったら、もう全然見えなかったと言った方が誤解がないのかもしれない。いやマジで」
 時には嘘をつくことも、話を穏便にまとめる手段の一つなのだ。
「うがーっ! もうその話はしないでって言ってんでしょうが!」
 怒られた。
 幼馴染の怒りが収まる気配は一向になかった。どうやら暫くはそっとしておくしかないようだ。台風と同じだな。
 闇に包まれたリビングでは、蝋燭の淡い炎だけが陽炎のように揺らめいでいた。
 雨風は更に勢いを増し、唸り声を上げて我が家を軋ませる。
 刹那、地響きのような雷鳴が轟いた。
「きゃああっ!」
 雫がか弱い女の子みたいな悲鳴を上げた。
「……まだ雷怖いの?」
「べ、べつに怖くないわよ!」
「でも、さっきからずっとびくびくしてるよね」
「びくびくなんかしてないわよ!」
 うわずった声で強がってはいるが、実はこいつは昔っから雷が大の苦手なのだ。裸を見られて怒り心頭のはずなのに、自分の家に帰ったりしないのはこのためなのだろう。
台風の日に停電で家で一人ってのは、かなり心細いはず。
「ていうか、気安く話かけてこないでよねっ! フンッだ!」
 せっかく人が心配してやってるのに。確かに裸をばっちりと見てしまったのは事実だけど、こっちだってわざと鉢合わせイベントを成立させたわけじゃないんだから。
「お兄ちゃ〜ん、かみなり怖いよー」
 真帆奈がコアラのようにしがみついてきた。
「よしよし。まだ遠くの方で鳴ってるだけだから大丈夫だよ」
 頭をなでなでしてあげた。
「くっくっく……かみなりさま空気読みすぎだよ」
「えっ、なんか言った?」
「ほよ? 真帆奈はなにも言ってないよ。そんなことよりももっとなでなでしてー」
「はいはい……」
 まぁ、今日は特別ってことでいいだろう。
「ふにゃ〜、お兄ちゃんのなでなで好き〜」
「チッ……兄妹でなにいちゃいちゃしてんのよっ」
 暗闇から舌打ちとボソボソ声が聞こえてくるが、話しかけるなと厳命されているので無視することにした。
 そんなこんなで、静かに時が進む。
 真帆奈は、一人で狩りを楽しんでいる。
 雫は、無言で携帯電話を操作している。
 俺は、ごろんと床に寝転んだ。
 どうやら停電は容易に復旧しそうにない。これはちょっと早いけど、もう寝るしかないようだ。
 にゃー。
 携帯電話の着信音。
 麗ちゃんからメールが来た。
 そういえば、帰り際にメールするとか言ってたな。
『今日も夕食ご馳走様でした。とても美味しかったです。さっきからずっと停電ですけど、そちらは大丈夫でしょうか?』
『べつになにも問題ないよ。心配してくれてありがとう』
 すぐに返信した。
『それはよかったです。なに困ったことがあったらすぐに連絡くださいね』
『オッケー』
『それでは本題に入ります。おにーさんにはいつもお世話になっているので、この辺りでぜひちゃんとした形でお礼がしたいです。なにがいいですか? おにーさんが欲しいものがあればなんでも言ってください』
『そんなのべつに気にしなくていいよ。そんなこと言って、おかしな写真とか送って来たら駄目だからね』
『そういうわけにはいきません。さっきお母さんに、等価交換の原則を忘れるなって怒られました。おにーさんにちゃんと対価を支払わないと、またお母さんに怒られちゃいます』
 麗ちゃんのお母さんは、錬金術でもやっているのだろうか?
『おかしな写真だけは駄目だよ』
『もうっ、おにーさんいじわるです。せっかく色々と写真を撮ったのに全部無駄になりました』
 やっぱりまたエッチな写真を送って来るつもりだったのか。先に釘を刺しといてよかったよ。
『それなら、あずまひかりの回収されたDVDをヤフオクで落札してプレゼントします。これなら満足してくれますよね?』
『そんなの落札しないでいいから! 無駄使いしたら駄目だよ!』
 スジチラでプレミアがついちゃってるから、結構な値がするはずなのだ。
『流石おにーさんです。手強いですね。ならどうすればいいですか? おにーさんに満足してもらえて私に支払える対価といえば、もう一つくらいしか思い付きません。私の覚悟はとっくにできています。おにーさん……私の一番大切なものをもらってくれますか?」
 一番大切なもの? いったいなにをくれるというのだろうか?
『まぁ、もらえるものだったらもらうけど』
『本当ですね!? 絶対ですよ!!』
『う、うん……わかった』
『よかったです。これでまたお母さんに怒られないですみます。長々とメールしてすみませんでした。これで終わりにします。おやすみなさいです。後、せっかくですからやっぱり一枚だけお気に入りの写真を送っちゃいますね♡』
 添付されていたファイルを見たら吃驚。
 喜翠莊の仲居服をあられもなく着崩し、純白のショーツといけない下乳をボロンと露にしてベットに横たわった、なこちもたじたじの抱き枕カバー風のとてもけしからんコスプレ写真だった。もちろんモデルは麗ちゃん。
「ブーッ!!」
 もうっ! こんないやらしい写真を送って来たら駄目だって言ってるのに! し、しかし……本当にいやらしい下乳だな。アマゾンなら間違いなく18歳未満のアクセスはお断りにされちゃうエロさだよ。つーか、これっていつどうやって撮ったんだろうか?
「お兄ちゃん、さっきからいったい誰とメールしてるのー?」
 いつの間にか接近していた真帆奈が、横から俺の携帯を覗き見る。
「あーーっ!! なにそれなにそれー!」
「し、しまった!」
「今のは間違いなく麗ちゃんだったよ! ちゃんと見せて−!」
 ちらっと見ただけなのになんと目のいい奴だ。
「ち、違うから。これはなんでもないからすぐに忘れなさいっ」
「えっ、な、なに? いったいなにがあったの?」 
 部屋の隅っこから雫の声が飛んでくる。
「雫ちゃん聞いて! お兄ちゃんが麗ちゃんのエッチな写真をコレクションしてるんだよー!」
「な、なんですってッ!!」
「コレクションなんかしてないでしょ! 変な言いがかりはやめて!」
「真帆奈に内緒であんないやらしいメールのやり取りをしていたなんて! 前回に引き続いてまたしてもあのおっぱいにしてやられたよ! こんちきしょーっ!」
「りょ、涼介、アンタって男は……麗ちゃんにそんなハレンチなことを強要していたなんて……ウギギギ……」
 闇の中で、凍てつくような鋭い眼光が瞬いた。
「強要なんかしてません! 全部麗ちゃんが自主的にやったことなんです!」
「嘘つくんだったらもっとましな嘘をつけ! とにかくその写真とやらを見せなさいッ!」
「いやっ、これはあくまでもプライベートなものだからっ!」
 ぶちっ。
 なにかが切れる音が聞こえた。
「ごたくはいいからさっさと見せろって言ってんのよーーッ!!」
 刹那、
 あたかも幼馴染の怒りと呼応したかのように、ゴロゴロゴローッ!! と眩い閃光と共に大砲のような雷鳴が轟いた。
「きゃあああぁぁーッ!!」
「うにゃぁぁぁーっ!!」
「うおおおっ!!」
 真帆奈と雫が、悲鳴を上げて飛び付いてきた。
「い、今の凄かったな……かなり近くに落ちたんじゃないか?」
 光ったとほぼ同時だったからな。
 ピカッ!
 再び閃光が瞬き、野獣のような咆哮が響き渡る。
「いやああぁぁっ!!」
「にゃああぁぁっ!!」
「ちょっと二人とも落ち着いて……つーか、苦しいから……」
「も、もうやだ……ううっ……」
 真帆奈と雫の身体は、ぶるぶると小刻みに震えていた。どうやら本当に恐怖しているようだ。
「大丈夫だって。家の中にいたら安全だから」
「お兄ちゃん、今日はもう怖くて真帆奈一人では寝れないよ! お願いだから今晩は一緒に寝て! 特別になにもしないでいいから!」
「えー」
「『えー』じゃないよっ! 大切な妹がこんなにも怖がっているというのに、冷酷にも一人で寝かせようっていうの! そんなのお兄ちゃん失格だよ! はぁ、はぁ……」
「なんでそんなに興奮してるの?」
 確かに本当に怖がってはいるのはわかるのだが、なにか下心がありありのような気もする。
「だ、駄目よッ! いくら兄妹だからって一緒に寝たりするのは、私はどうかと思うわ!」
「雫ちゃん、なにを言ってるの。本来なら兄妹は毎日一緒のお布団で寝るのがデフォだよ」
「そんなデフォはないわよ! そんなハレンチな行為は、私の目の黒いうちは断じて認められません!」
「でもでも、今日は真帆奈一人では怖くてとても安眠できないよー」
 ゴゴゴーと強風が雄叫びを上げた。
「きゃああ!」
「うにゃああ!」
 四つの質量感の乏しい脂肪の塊が、俺の身体にぺたっと押し付けられた。
 そのままの体勢でしばしの沈黙の後、雫がうわずった声である提案をした。
「……わ、わかったわ。だったらこうしましょう」
 結局、三人で一緒に寝ることになった。
 客間に布団を三つ並べて、真ん中に俺、左右に真帆奈と雫という組み合わせだ。
「い、一緒に寝るからって、調子に乗って変なこととかしたら承知しないんだからっ! 今日は他に方法がないから嫌々こうするだけなんだからねッ!」
「絶対にしないから」
「お兄ちゃ〜ん、うでまくらしてー」
「あれは腕が痺れるから嫌」
 あまりにもしつこくせがんでくるので、以前に何度かしてやったことがあるのだ。
「えー、なんでなんでー。お兄ちゃんのうでまくらがないと怖くて寝れないよー」
「普通の枕で充分です」
 まぁ、想定外の展開になってしまったが、麗ちゃんのいけない写真の件がうやむやになったのはこれ幸いだ。このまま忘れてくれればいいのだが。
「それとアンタ、朝になったら麗ちゃんの写真とやらをちゃんと見せなさいよね。全部処分してやるんだからっ」
 糞ッ! 覚えてやがったか……。
「そうだよ。すっかりそのことを忘れてたよ。麗ちゃんに協定違反の抗議のメールをしとかないといけないよ」
 嵐の夜が明けたら、また一悶着ありそうな予感だった。


 雨風は雷雨となり、依然その活発な活動を行なっていた。
 それは、大自然の怒りのように思えた。
 所詮我々人間などが彼らを相手にしては、ただ暗闇で身をすくませながらその怒りが収まるのを待つしかないのだ。なんと惨めか。なんと矮小か。あるいは、これは警告なのだろうか。地球の支配者を気取る無知で傲慢な人類への――。
「……ちょっと。なんでこっちに入ってくるの? お前の布団はそっちでしょ」
 また真帆奈が俺の布団の中に潜り込んできた。これで三度目だ。せっかくこっちは厨二っぽくもの思いに耽っていたというのに。
「こんな嵐の夜は、兄妹は同じお布団で身体を寄せ合って一夜を明かすのが常識なんだよ」 
 お前はいつも欲望に忠実でいいよな。
「しょうがない奴だな……。でも、うでまくらはしないからね」
 追い出してもどうせまた侵入してくるだろうし、もうめんどくさいから諦めることにした。今晩は特別サービスなのだ。
「やったー。うっしっしっ」
 いやらしい笑い方だ。
 さて、問題はお隣の幼馴染さんが意味不明に機嫌を悪くしていないかだが。
「ううっ……大丈夫大丈夫。怖くないんだから……こういう時は、NBA所属選手の名前をアイウエオ順に言っていけば……」
 どうやらそんな余裕はないようだ。
「雫、大丈夫? もうちょっとの辛抱だから」
「だ、だ、大丈夫よこれくらい。誰も怖いなんて言ってないんだからねっ」
 やれやれ。なんでこうも強がりなんだろうね。でも、なんかちょっとだけ可愛いけど。
「怖いんだったら、手を握っててあげよっか?」
「はあぁぁ!? な、な、なに言ってくれちゃってんのよ! ば、馬鹿じゃないのっ!」
 クックック。からかいがいのある奴だ。
「雫ちゃんだけにそんなサービスをするのはずるいよー。真帆奈も手を握るのだ」
 真帆奈は俺の腕にしがみつき、相変わらずのペッタンコを擦りつけてきた。なおかつ足まで絡ませてくる。基礎体温が高いのか、湯たんぽみたいに温かい奴だ。
「ちょっと、そんなにくっついたら寝にくいでしょ」
「寝にくいんだったらだったら、いっそこのまま朝までずっと一緒に起きていればいいよ。はぁ、はぁ……」
「寝かせてよ」
 ゴゴゴー!!
 激しい稲妻が大気を切り裂いた。
「きゃああっ!!」
「うにゃぁぁーっ!!」
 とうとう我慢の限界が訪れたのか、雫が隣から飛び付いてきた。震える両手で、俺の手をぎゅーっと握ってくる。
「ア、アンタが手を握れって言ったから仕方なくなんだからねっ!」
「そんな命令形で言った覚えはないけど……」
 まぁ、いいけどな。もの凄く寝にくい状態にはなったけど、これで少しでも雫が安心してくれるのなら本望だよ。
「ううっ……怖くない怖くない……」
「ふにゃー、お兄ちゃんの匂いだー。いい匂い〜」
 俺は雫の手を握り返し、ゆっくりと瞳を閉じた。
 深い海底に沈んで行くように、静かに意識が遠くへ誘われた。
 懐かしい日の夢を見た。

『初めまして、僕の名前は乃木涼介だよ』
『りょ、涼介くん……』
『うん。それでこっちは妹の真帆奈。ほらっ、真帆奈もご挨拶して』 
『……うー』
『ごめんね。真帆奈は恥ずかしがり屋さんなんだ。それで、君の名前は?』
『こ、児玉……雫……』
『雫ちゃんっていうのか。いい名前だね。これからはお向かいさんだから仲よくしてね』
『――ッ!』
『どうしたの? なんだか顔が赤いけど?』
『な、なんでもないわっ!』
『そっか……』
『あの……これからどこかに行くの?』
『引っ越して来たばかりだから、ちょっと近くを探検しに行くんだよ』
『そ、それなら私が案内してあげるわ! 私はここにずっと住んでるから、この辺りのことについてはすっごく詳しいのよ!』
『そうなんだ。それじゃあお願いしよっかな』
『いいわよ。お安い御用よ』
『雫ちゃんは親切なんだね』
『――ッ!』
『どうしたの? 顔が赤いよ? 熱でもあるの?』
『な、なんでもないって言ってるでしょ! ほらっ、さっさと行くわよ!』
『うん……』
『そ、それで……涼介くんは何年生なのかしら……?』

 目が覚めた。
 目の前に人の顔があった。
「のわぁぁぁっ!」
「きゃああぁぁっ!」
 人影が隣に飛び退いた。
「び、吃驚した! し、雫か……?」
「えっ! い、いや……その……そうだけど……」
「なにしてたの?」
「べ、べ、べつにキスしようとかそんなことは全然これっぽっちも思ってなかったんだから! 変な勘違いするのだけはやめてよねッ!」
「いやっ、全然してないから。起きてすぐにあんな近くに顔があったら吃驚するよ。いったいなにやってたのさ?」
「な、なんだっていいでしょ! アンタには関係のないことよ! くだらない詮索をするのはやめなさいよ!」
 なんで逆ギレされるのだろうか?
「まぁ、いいんだけど……」
 部屋がちょっとだけ明るくなっていることに気付いた。豆電球に明かりが灯っているのだ。
「あっ、停電直ったんだ」
「……ちょうどさっき電気が付いたのよ」
 外も随分と静かだった。まだ雨は降っているようだが、風はかなり収まっている。雷も鳴っていなかった。
「お兄ちゃん、そんなところには入らないよ……むにゃむにゃ……」
 真帆奈が寝言が聞こえてきた。自分がいつ寝たのかはよく覚えていないが、コイツが怖くて眠れないとか言っておきながら五分で熟睡したのだけは覚えている。
「もしかしてずっと起きてたの?」
「うん……まぁ、そうだけど……」
「そっか。雷やんでよかったね」
「べ、べつに私は怖くなかったんだからねっ」
「はいはい」
 ここまで強がれるのは大したもんだと思うよ。しかし、さっきはあんなに顔を近づけて、本当になにをやってたのかな? ま、まさか、寝首を掻くつもりだったとか……。 
「涼介」
「なに?」
「さっきのお風呂のことなんだけど……」
「う、うん」
 なんだろう。また蒸し返されるのだろうか。
「ほ、本当に見えなかったの?」
「えっ……そ、そうだよ。暗くて全然見えなかったんだって。もう冗談抜きで」
「神に誓って本当なのね?」
「もちろん誓うよ。トップオタに誓って見えてないから」
「トップオタ?」
 なんだ。AKBネタは通じないのか。
「まぁ、いいわ。じゃあ今回だけは許してあげる。悪気がなかったのは事実なんだろうしね。それに……その……ずっと手を握っててくれたし……」
「なんだって? 最後の方がよく聞こえなかったんだけど?」
「ば、馬鹿だって言ったのよっ!」
 手がどうのこうのって聞こえたような気がしたんだけど、俺の聞き間違いだったのか。
「そ、それで……昼間のことなんだけど……」
 雫が神妙な顔つきで言う。
「昼間? なんかあったっけ?」
「ぶ、部室でのことよ」
「あー、あれか……」
 ロッカーの中に二人で隠れて、大切なところを弄ばれたことか。なんだかずっと昔のことのように思えるよ。
「あのことなんだけど……そ、その……」
 雫は、自分はガチの腐女子だと世間にカミングアウトするくらい言いにくそうだった。
「あ、あれは……本当に全然触るつもりとかなかったんだからっ。ま、まさか、あんなに硬くて大きいとは思ってなかったし、本当にアレだなんて知らなかったからっ」
 ぷぷぷっ。なんかしどろもどろで可愛いな。
「ほー、つまり知らなかったけど触って握ったことは認めるんだな」
「握ってないわよっ!」
 そこだけは意地でも認めないつもりか。
「あ、あんなに硬くて大きいなんて知らなかったんだから仕方ないでしょ!」
 そんなに硬くて大きかったことを強調されても困る。よほどカルチャーショックだったのかもしれないけど、俺のなんてはっきり言ってごく普通のサイズだよ。ちゃんと測ったことがあるからわかる。
「で、でも…………結果としてそれに近いことになったかもしれないことだけは認めてあげてもいいわ……その……ご、ごめんなさい」
 そんなこと気にしてたのか。馬鹿な奴だな。こっちは全然気にしてなかったのに。つーか、雫が謝るなんて実に珍しい。どうりで今日は台風が上陸したわけだ。
 よしっ、ここはいっちょからかってやるかな。被害者なのに変質者扱いされた借りを返してやるぜ。クックック。
「ふーん。まぁ、自分の罪を認めるならそれでいいけど。じゃあ、代わりに雫のおっぱいを触らせてくれたら許してあげるよ。これぞ等価交換の原則」
「な――ッ!!」
 ヒャッハー。驚いてる驚いてる。しかし、あまり長引かせるとマジギレするかもしれないから、素早く冗談だと種明かしするべきだろう。何事も引き際が肝心。
「なーんちゃっ――」
「い、いいわよ。好きにしなさいよ」
「――って……えっ! い、いいの!?」
 なーんちゃってを言う前に許可が出てしまったぞ。
「ちょっと待ってよ! 本当に触ってもいいの!?」
「いいわよ。それでアンタの気が済むんなら触ればいいじゃない」
「いやっ、どう考えても駄目だろッ!」
「な、なによ! 自分で触りたいって言ったんでしょ!」
「それはそうなんだけど……まさかOKが出るとは思わなかったから」
「私の胸なんて触りたくないって言うつもりなの!」
「そ、そんなことはないけど。ちょっと驚いたというか予定が狂ったというか……」
「わ、私はアンタに貸しを作っておくのが嫌なの。だからアンタも触ればいいわよ。それで貸し借りはなしなんだからねっ!」
 さてと。これは困ったことになってしまったぞ。まさか物語の終盤でこんなエロイベントが発生するなんて、十年以上の年季が入ったエロゲーマーでも予想できなかったはずだ。なるほど。昼間の部室でのイベントは、これのフラグになってたんだな。
「触った後に難癖を付けて暴力を振るったりとかしない?」
「そんなことしないわよ! 私をなんだと思ってんのよ!」
 一応聞いておかないと後が怖いからな。
「そっか。わかった。雫がそこまで言うんだったら触るよ。でも……ほ、本当にいいんだな?」
「だからいいって言ってんでしょ。もうっ、何度も言わせないでよね……」
 女の子の方がここまで言ってるんだし、ここで断るのはかえって失礼な話だ。据え膳食わぬは男の恥ともいうしな。よしっ、俺は幼馴染のおっぱいを触るぞ!
 俺は、隣でくてーと横になっている雫の身体の上に馬乗りになった。上から見下ろした幼馴染は、両腕で胸をガードしながら恥ずかしそうに顔を背けている。
「じゃあ、今から触るから、手どけて……」
「……」
 無言のままゆっくりと胸のガードが外された。隠されていた慎ましい膨らみが現れた。
 俺は汗ばんだ両手をわしわしとさせながら、その双丘に向けて一直線に両手を伸ばした。
 ぽふっ。
 幼馴染の乳房が、手のひらの中にぴったりと収まった。
「あんっ……」
 愛らしい音色が部屋に燻った。
「す、すげー……結構柔らかいんだ……」
 確かにお世辞にも大きいとは言えない並盛りサイズだが、想像以上に柔らかい。これが女の子の乳房の感触か。おぬし、なかなかやるな。しかも、Tシャツごしにタッチしているこのおっぱいは、間違いなくノーブラだと確信できる手触りだった。
「は、恥ずかしい……あっ……」
 雫は、かすれるような声音で吐息を漏らす。
 ヤバイよヤバイよ。なんか反応が可愛いよ。オラ、ドキドキしてきたぞ。つーか、これはもう揉みたい。どうしても揉みたい。お触りだけ終わらせたくない。たぶん怒られるとは思うけど、一応聞いてみることにしよう。ここまで来たのだから最善を尽くしたい。
「あ、あの……揉んだりするのは駄目かな……?」
「――ッ!!」
 ビクゥッ! と雫の身体に電流が奔る。彼女の高鳴っていく鼓動が、乳房から直に伝わってきた。
「や、優しくだったら……いい……」
 いいのかッ! いったいどうしちゃったんだよ雫ちゃん! 今日の君は女神さまみたいだぜ! もちろんお許しが出たのでこちらは遠慮はしない。いや、もはやそんなことができる余裕などなかったのだ。
 ムギュ。
 ちょ、や、柔らけー……。手のひらサイズでも充分に柔らかいぞ。流石おっぱいだ。一味も二味も違うな。
 ムギュムギュ。
 ウホッ、マジかよ! おっぱい最高!
 ムギュムギュムギュムギュ……。
「こ、こらぁーっ! 優しくって言っただろ!」
「ご、ごめん!」
 あまりの揉み心地のよさに、我を忘れてしまったぞ。
 反省した俺は、優しく円を描くように幼馴染の乳房をこねくり回すことにした。
「こんなもんで大丈夫かな?」
「そ、そんなこと聞くな……馬鹿……うっ……あん……っ、ん……っ!」
 エッチな声が漏れてしまうのが恥ずかしいのか、雫は人差し指の甲をはむっと噛んで必死で声を我慢している。
 つーか、本当にどうしちゃったのよ。いつもの君らしくないぜ。そんなしおらしい態度をされちゃうと、もうこっちの欲望に歯止めが利かなくなっちゃうじゃないか。
「あの……雫さん。なんというかその……生で揉むっていうのは駄目でしょうか……?」
「――ッッ!!」
 まるで主治医に癌を告知された患者のような顔で硬直する雫さん。
 俺はひたすらおっぱいを揉みながら返事を待つ。
 流石にこれは調子に乗りすぎだろうとは思いつつも、駄目元で提案してみたのだ。怒り出したらすぐに土下座するつもりだった。
 が、雫はギューッと瞳を閉じて、なにも語らずにこくりと頷いた。
「いいのッ!?」
 ちょっ! そ、そんな……いくらなんでも太っ腹すぎるよ。もしかしてこれはなにかの罠なのか? いやいや、これはもう行くしかないだろ。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。
 俺はできるだけ獲物を刺激しないように、ゆっくりと幼馴染のTシャツをめくり上げた
 ぺろん。
「あっ……!」
 頂きに愛らしい薄桃色の突起物を持つ双子のレモンちゃんが、俺の眼下に露出された。
本日二度目の登場の生おっぱい。小ぶりながらも、そのフォルムの美しさは筆舌にしがたい。
「や、やだ……」
 寂しがり屋の仔兎のように、雫は身体を小刻みに震わせる。
 嗜虐心がそそられた。この生おっぱいを存分に揉みしだいてやるぞ、と俺は意気揚々とその乳房に手を伸ばそうとした。
 その時であった。
「生存戦略ーーっ!!」
 隣で熟睡していたはずの真帆奈ががばっと跳ね起き、吠えるように叫んだ。
「のわぁぁぁっ!!」
「きゃああぁぁ!!」
 俺と雫は、文字通り飛び上がるほど驚愕した。
「ま、真帆奈!?」
「ち、違うのよ真帆奈ちゃん! こ、こ、これはそんなんじゃないんだからねッ!」
 めくり上げられたTシャツを素早く元に戻しながら雫が言った。
 真帆奈は、そのままピクリとも動こうとしない。
「「「……」」」
 気まずい沈黙が流れる。
「ま、真帆奈……?」
 恐る恐る呼んでみた。
 真帆奈はコテンと横になり、
「お兄ちゃん、外に出すんだったらお口に出して……むにゃむにゃ……」
 と、再び静かな寝息を立て始めた。
「寝言かよッ!!」
 び、吃驚した。心臓が止まるかと思ったよ。おっぱいを揉むことに夢中になりすぎていて、隣に真帆奈がいることをすっかり忘れてた。危ない危ない。
 俺と雫は顔を見合わせた。非常にこっ恥ずかしい。
「ハ、ハハハ……もう寝よっか……」
「うん……そ、そうね……」
 とても続きをするような雰囲気ではなかった。
「お、お休みッ!」
 雫はもの凄い勢いで布団の中に潜り込み、くかーとわざとらしい寝息を立てた。
「お休み……」
 俺も布団の中に入った。両手には、まだ幼馴染の乳房の柔らかな感触と温もりが確かに残っていた。


 小鳥の楽しそうな囀りで目が覚めた。
 真帆奈と雫は、左右でまだ安らかに睡眠中。
 俺は二人を起こさないようにそっと窓を開け、雨戸を開放した。
 空は快晴。雲一つない蒼が果てしなく拡がっていた。まるで昨晩の嵐が嘘のようだ。
 思い出す。
 昨晩の出来事は、本当にあったことなのだろうか? 今にして思えば、あのお固い雫が一時の気の迷いにしてもおっぱいを俺に揉ませるなど考えられない。質の悪い夢だったのでは、とすら思えてくる。
 気持ちよさそうに寝いている幼馴染の顔を覗いてみた。寝顔には普段の険しさは微塵も伺えず、とても可愛い。胸がキュンと疼いた。
 ちょ、ちょっと待て! おっぱいを揉んだからって相手は雫だぞ! なんでこんなにドキドキしてるんだよ! 正気に戻れ俺!
 ふと気付く。朝の生理現象のせいで、俺の下半身は痛いくらいに腫れ上がっていた。これはいかん。こんなところをこの二人に見られでもしたら大変だ。
 俺は膨張した肉棒を抱えるようにして、ダイニングに緊急避難した。
 そこで、ありえない光景に遭遇した。
「はうっああぁぁっ! そ、そんなっ!?」
「乃木くん、おはよう。休日なのに起きるのが早いのね。もう少しゆっくりしていればいいのに」
「と、と、と、東郷さんッ!?」
 我が学園の裏サイトの、『嫁にしたい女生徒&恋人にしたい女生徒』投票、二年連続でぶっちぎりナンバー1の不動の女王、東郷綾香がそこに存在した。
「どうしたのかしら? 朝からまるで『アパーム!』みたいな叫び方だったわよ」
「ど、どうしたもこうしたもないよっ! その格好はいったいなんなの!?」
「これ? これは先日の『すーぱーそに子 しまパンver.』を乃木くんが気に入ってくれたようだったから、今日は『すーぱーそに子 ベビードールver.』にしてみたのだけれど、お気に召さなかったかしら?」
 東郷さんは、ハート柄がとてもキュートでフリルが付いたスケスケベビードール姿だった。ものすっごい胸の谷間とピンクのポッチが透けまくりで、早朝からは目に毒すぎた。ショーツはありえないくらい布面積が少ないホワイトのTバック。そのたまらないほど美味しそうな可憐な桃尻が、惜しげもなく丸出し状態になっている。
「お気に召さないわけないよっ! お気に召すよっ! でもなぜそれほどまでにすーぱーそに子をプッシュしなければならないのか理解に苦しむよ!」
「べつにニトロプラスと結託しているわけでも、販促のお手伝いをしているわけでもないのよ。そうね……言うなれば、ただフィーリングが合うからかしら」
 そんな理由で早朝から我が家に忍び込み、ダイニングでしれっとモーニングコーヒーを飲まれて困るのだ。
「あれっ、ちょっと待ってよ。確か玄関にはチェーンがしてあったはずだよね? 東郷さんはどうやって家の中に入ったのさ?」
 どういう手段を使ったのかは知らないが、目の前のベビードール娘は我が家の合鍵を勝手に保有している。その対策として、昨日から玄関にはちゃんとチェーンをかけるようにしていたのだが。
「チェーン……? もしかして逆襲のシャアの話かしら」
「違うよね! チェーン・アギの話なんか全然してなかったよね! 玄関のドアチェーンのことだって普通はわかるよね!」
「あっ、ドアチェーンのことね」
 天然なのかボケてるのかよくわからんな。
「さて、どうだったかしら? 私が乃木くんの家にお邪魔した時には、すでに壊れていたように思うのだけれど。あまり記憶にないわ」
 これは後で確認したことなのだが、我が家のドアチェーンは見事に切断されていた。恐らくワイヤーカッターでも使用したのだろう。完全に手馴れた空き巣の手口だった。
「そんな細かいことよりも、乃木くんも一緒にコーヒーどうかしら。家からブルーマウンテンを持ってきたのよ」
 なんて怖い娘なの……。いったいなにが彼女をここまで突き動かすのかコンボイの謎だよ。
「今はそんな呑気にコーヒーを飲んでる場合じゃないですからっ! お願いだから早く服を着てください!」
 とにかく東郷さんがこんな過激なファッションでいるところを茶髪の人に見つかりでもしたら、本当に洒落では済まされないのだ。よくて腕の一本や二本といったところだろうか。今や俺の命は風前の灯だった。
「あら、ついさっき着替えたばかりなのよ。今日は学校は休みなんだし、そんなに焦る必要はないわ。もっと気楽に行きましょう」
「気楽にしてたらまずいんだってばよ! もう取り返しがつかないことになっちゃいますからっ!」
「ふふっ。乃木くんはせっかちさんなのね。まぁ、確かに取り返しがつかないことになってはいるようだけれども……」
 半裸のベビードール娘が、口角を妖しく釣り上げた。猛禽類のような鋭い眼差しが、俺の下半身に突き刺さる。
「えっ……? あっ! いやっ、ち、違うッ! こ、これは……!」
 下半身がスクランブル状態であったのをすっかり忘れていた。
「こ、これは朝だから自動的にこんな攻撃モードに入っちゃってるんだよっ!」
「いいのよ、乃木くん。男の子の生理現象については、ある程度は理解しているつもりだから。ふぅ〜……さてと……」
 東郷さんは眼鏡を外してテーブルの上に置き、気だるそうな仕草でゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと待ってよ東郷さん! な、なんでこのタイミングで眼鏡を外しちゃうのさ!?」
 説明しよう。眼鏡を外した東郷さんは、二話収録で定価九千円オーバーの角○価格よりも質が悪いのだ。
「そんな大変ことになっているのなら、ゆっくりとはしていられないわね。ごめんなさいね。気が利かない牝犬で」
「いやいやいやっ! もう明らかに間違った方向に行こうとしてますからっ! お願いだから冷静になって!」
「大丈夫よ。ちゃんと牝犬としての責務は果たします。こんなことをするの初めてだけれど、たぶん上手くできると思うわ。だから乃木くんのタイミングで出してちょうだい。すぐに楽にしてあげるわ」
 全然人の話を聞いてくれないよ! また暴走だよ!
「今は本当に困るから――って、うわああぁぁっ!!」
 偽りの仮面を脱ぎ捨てた東郷さんが、縮地のような光速タックルを敢行。俺はあっけなく床に引きずり倒されてしまった。
「それじゃあさっそくこんなところで一人でおっきしている元気な子を紹介してもらおうかしら。なにが出るかな♪ なにが出るかな♪」
 超有名なBGMを口ずさみながら、東郷さんが嬉々として俺のズボンを脱がせようと試みる。
「ちょっと待って! その子は人見知りだから会わせるわけにはいきません!」
「心配しないで。すぐに人懐っこくなるわよ。ふふっ」 
 あっけなくズボンが脱をされてしまった。
「い、いやぁぁぁーっ! やめてぇぇーっ!!」
 眼の色を変えた東郷さんが、最後の一枚に襲いかかってきた。まさに絶体絶命ピンチ。
 そして、漫画のようなバットタイミングで雫が現れたのは、俺と東郷さんが不毛なパンツの取り合いをしている真っ最中だった。
「涼介、お、おはよう。そ、その、昨日のことなんだけど……なにか変な勘違いとかしてたら嫌だからちゃんと説明――ッッ!!」
 カッと両目を見開いたまま凍りつく茶髪。
「し、雫ッ!?」
「あらっ、おはよう、児玉さん。昨日は乃木くんの家に泊まったんですってね。話は聞いているわ。よく眠れたかしら?」
 こんな激しく説明に窮する状況だというのに、爽やかな笑みを浮かべて挨拶をする東郷さん。
「ちょっと待って! 話は聞いてるって、いったい誰から聞いたの!?」
 雫がうちに泊まりに来ることは、東郷さんには秘密にしておいたのだ。色々危ない気がしたからな。
「麗ちゃんよ」
 もうっ! なんで君はそんな余計なことばっかりするの!
「と、東郷さん……えええっ!! なっ、な、なんで!? ちょ、えええぇぇぇっ!?」
 雫のパニくり方は、ちょっとエクソシストを呼ばないといけないくらい半端なかった。  
 そりゃそうだろう。なんせあの誰もが認める学園ナンバー1のアイドルが、ほとんど裸のおっぱいスケスケで俺のパンツを脱がせようとしているのだから。
「雫さんッ! とりあえず落ち着いて! ここからは冷静にお願いします!」
「あ……っ、あ……っ、あーーッ!! な、なんなのこれはーッ!!」
 無理だったようだ。
「児玉さん、朝から騒がしいわね」
「騒がしいわねじゃないわよ東郷さん! それはいったいなにをやってるところなのよっ!?」
「これ? もちろんプロレスよ。見てわからないかしら」
「プ、プロレス!? なんで朝からそんなことをしないといけないのよ! それにどう見ても、パ、パンツを脱がせようとしているとしか思えないないわ!」
「違うわ。これはちゃんとした技なのよ。ここから伝家の宝刀スピニング・トーホールドに移行するのが今の流行なのよ」
 なるほど。パンツに気を取られている隙に足を取りに行くというわけか。たしかに有効な連続技かもしれない。そんなことが許されるのならばの話だが。
「そんなわけないでしょ! だいたい東郷さんのその格好はなんなの!? も、もう裸じゃないのよっ!」
「裸ではないわ。ちゃんとベビードールを着ているでしょ。私、寝る時はいつもこの格好なのよ。今朝は乃木くんがそれをどうしても見たいと言うから着替えてみたの」
「そんなこと俺は言ってないよね! そういう嘘をつかれると本当に困るよ!」
「こ、こ、このエロクソボケがぁぁぁ……昨日は私にあんなことした癖に……ウギギギ……」
 茶髪の幼馴染の整った顔が、まるで金剛力士像のように変貌していく。全身から放出されている瘴気のようなものは魔闘気なのだろうか。なるほど。これが幻魔影霊という奴か。ついに彼女は魔界に辿り着いたというわけだ。
「違う違う! 本当にそんなことは言ってないからっ!」
「……うっさい……もう黙れ」
「お願いだから話を聞いてっ!」
 できることならLCL圧縮濃度を限界まで上げたいところだった。
「黙れつってんでしょうがこのド変態の腐れ外道がぁぁぁぁーっ!! 今すぐに地獄に送ってやるわ! 黙ってとっとと死ねーーーッ!!」 
「待て! 話せばわかる!」
「問答無用ッ!!」
 バスケットウーマンの特性を活かした対空時間が異様に長いフライング・ニー・ドロップが腹部に炸裂。俺は悶絶した。
「うがあぁぁぁーっ!!」
「百万回死ねッ!!」
 そんな優しい捨て台詞を吐き捨てると、雫は荷物をまとめて俺の家から出て行った。
「児玉さん、怒ってしまったわね。いったいなに気に入らなかったのかしら?」
 なぜかしら、と可愛らしいく小首を傾げる東郷さん。
 平気な顔でそんなコメントができる彼女が怖い。
 バタン。
 勢いよく玄関のドアが開く音が聞こえた。
 タッ、タッ、タッ、タッ。
 廊下を走ってくる足音。
「はぁ、はぁ、はぁ……な、なんで私が出て行かなきゃいけないのよっ!」
 なぜか雫が戻ってきて怒鳴った。
「私はちゃんと招待されて涼介の家に来たんだから! 本来なら出て行くのは東郷さんの方でしょ!」
「なぜ私が出て行かないといけないのかわからないわ。児玉さんにそんなことが言える権利があるのかしら?」
「あ、あるわよ!」 
「それはぜひ伺いたいわね」
「……りょ、涼介! 説明しなさい!」
「俺!?」
 そんな無茶振りされても困る。
「昨日、私に、あ、あんなことしたの忘れたの!」
「痛い痛い! 耳は引っ張ったら駄目だから!」
 昨晩おっぱいを揉んだのは事実だけど、それでなにをどう説明すればいいのかさっぱりだよ。
「あんなことね。昨日の夜に、いったいどんな素敵なイベントがあったのかしら?」
「えっ、い、いや……それは、その……」
「そ、そんなことわざわざ他人に言うことじゃないわよ。ね、ねえっ、涼介」
 他人という言葉をことさら強調する雫。動揺しながらもなぜか勝ち誇った顔だ。
「そう。まぁ、べつに細かいことはどうでもいいわ」
 東郷さんは緩やかにエアウェーブした黒髪をふぁさっと掻き上げて、妖美な視線をこちらに向けた。
「例え乃木くんと児玉さんとの間にのっぴきならないなにかがあったとしても、それで私と乃木くんの関係が変わることは万が一にもありえないのだから」
「か、関係ですって!? いったい涼介と東郷さんにどんな関係があるってのよっ!」 
「そうね。児玉さんにはちゃんと話しておいた方がいいかもしれないわね。私と乃木くんの切っても切れない関係を」
 東郷さんは、まるで大魚を釣ったかのような笑みを浮かべた。
「と、東郷さん、あんまりおかしなことを言われても困るよ!」
「アンタはちょっと黙ってなさいよ!」
「痛い痛い! 暴力反対!」
 また耳を引っ張られた
「その切っても切れない関係とやらを聞かせてもらおうじゃないのよ! ど、どうせお向かいの幼馴染よりもあっさ〜い関係に決まってるんだから!」
「ベットなの」
 あわわわわ……。
「はぁ……? なに言ってるの?」
「だからペットなの。私、乃木くんのベットになったのよ」
「ペット……」
 いったいどこの国の言葉なのだろうか、といった表情で暫く考え込む雫。
「ぺ、ぺ、ペットーーッ!?」
 ようやく言葉の意味が理解できたようだ。
「そう、ペット。犬なの。乃木くんは私の飼い主になってくれたのよ。ワンワン」
 余裕の東郷スマイルだった。
「キッ!」
 幼馴染がもの凄い眼で睨み付けてくる。
「ひいいぃぃ!」
「どういうことよッ!?」
「俺に聞かれても困ります!」
「ふざけんなーっ! な、なにが犬よ! ちゃんと説明しろッ!」
 そんなことを言われても、東郷さんが一方的にペットになると言い出して聞いてくれないのだから説明のしようがないのだ。
「説明もなにも今言ったとおりよ。私は乃木くんの犬なの。児玉さん、忠犬ハチ公の話は聞いたことがあるわよね? ハチ公は飼い主が亡くなった後も、ずっと渋谷駅の前で一途に主人が帰ってくるのを待ち続けたのよ。犬と飼い主との絆はそれほどに強いものなの。もっとも崇高な主従関係と言えるわ。これでわかってもらえたかしら?」
「全然わからないわよ!」
 そりゃわからないだろうな。はっきり言って、俺も東郷ワールドにはついて行けてないからな。
「それは困ったわね……。わかったわ。なら犬と人の歴史について簡単に説明するわね。そもそも犬の先祖は狼だという説が有効なのだけれど――」
「そんな話聞きたくないわッ! なんで東郷さんが涼介の犬なのか理解できないって言ってるのよ! アナタ、人間でしょ!?」
「もちろん私は人間よ。でも人間が犬のように飼われてはいけないなんて、いったいどこの誰が決めたことなのかしら?」
「な……っ!」
 雫は絶句する。
「そして、常に犬が飼い主のそばにいるのは当然の行為。たかが幼馴染にどうこう言われる筋合などなにもないことなの。これで私と乃木くんの関係をわかってもらえたわよね」
 スケスケになった胸を張る東郷さん。
「ウギギギ……だ、だったら……」
「なにかしら? ただの幼馴染の児玉さん」 
「……だったら私は……涼介の猫になる!」 
 頭に血が上りすぎてどうにかなってしまったのか、雫までもが信じられないことを口走った。
「お前までなに言ってんの!?」
「猫……そう。そういうことなの……」
 猫という言葉を聞いた途端、東郷さんの口元から余裕の微笑みが消え去り、今まで見たことがないような真剣な表情に変化した。
 スケスケおっぱいと幼馴染の視線のビームが真正面から衝突し、見えない火花がバチバチと散った。
「ちょ、ちょっと、二人とも落ち着いてよ。そんなわけのわからない話で熱くなってないで、とりあえずコーヒーでも飲まない?」
「アンタは黙ってなさいッ!」
「乃木くんは黙っててちょうだい!」
「は、はい……」
 俺って扱い悪いよな……。
「ならこうしましょう。どちらが乃木くんのベットに相応しいのか、乃木くん本人に決めてもらうことにしましょう」
「い、いいわよ。昨日あんなことをしておいて、私の方を選ばないわけがないんだから!」 
 これは児童ポルノ規制条例が成立した京都府民くらいまずいことになってしまったぞ。とばっちりが全部こっちに回ってくるパターンだ。
「乃木くん、そういうことだから、犬がいいのか猫がいいのか決めてちょうだい」
「ちょっと待ってよ! 犬も猫もどこにもいないし! そんなこと急に言われても困るよ!」
「いいからさっさと決めなさいよ! もしどちらも選べないとか調子に乗ったこと言いやがったら、足腰立たないようにしてやるんだから!」
 なんという恐ろしい殺し文句だろうか。
「乃木くん、犬よね。犬を選ぶに決まっているわよね」
「猫よ! 猫の方がいいに決まってるわ! はっきりしなさい涼介ッ!」
 どちらの選択肢を選んでもバットエンドが待っていることがわかりきっている以上、俺が取るべき方法論は一つだけだった。 
「さ、さらば友よ!」
 戦略的撤退である。
「あっ! 乃木くん、どこに行くの!」
「こらぁーっ涼介! 逃げるつもり!」
 俺はパジャマのままで家を出た。眩しすぎる朝日が目に染みる。当然、行く宛などありはしない。
 とりあえず、あの太陽に向かって走ることにした。