子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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『バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書)



目次

はじめに i

第1章 民謡の「発見」 3
 文化的独立?
 十九世紀の「ハンガリー音楽」像
 ハンガリー音楽におけるナショナリズムの時代
 交響詩<<コシュート>>の矛盾
 中欧の音楽状況
 ゲルリーツェ・プスタで
 コダーイとの出会い
第2章 民俗音楽収集旅行の時代―1906‐18年 25
 旅程
 1907年夏、トランシルヴァニアで
 収集の様子
 仮説
 ハンガリー音楽のヴォルガ河流域起源説の帰結
 アラブ・ビスクラ地方への調査旅行
 採譜、録音、写真
 タームラップ
 採譜の極限
 編曲、出版

第3章 民謡コレクション『ハンガリー民謡』を読む―1919‐23年 75
 第一次世界大戦後のハンガリー
 国外脱出の計画
 右翼からの批判
 「文化的優越」という発言
 博物図譜としての『ハンガリー民謡』
 『ハンガリー民謡』の分類法
 A/B/Cという三分類の判断基準
 分類法の扱いにくさ
 分類の意義
 <<舞踏組曲>>

第4章 「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通念をめぐって―1920年代 113
 「ハンガリー音楽」という通念
 <<ハンガリアン・ラプソディー>>の成立史

 「ジプシー叙事詩」というコンセプト
 「リストに関する諸問題」
 バルトークによるリスト批判の骨子
 真のジプシー音楽とは?
 ラヴェル<<ツィガーヌ>>
 パリ、プルニェール邸での晩餐
 イミテーションの美学
 「まがいもの」のイミテーション
 ファリァとの対比
 バルトークの反応
 バルトークの<<ラプソディー>>

第5章 晩年―1934‐45年 159
 <<ピアノ・ソナタ>>第三楽章
 科学アカデミーでも仕事
 『ルーマニア民族音楽』の分類
 『ハンガリー民謡全集』における分類法の修正
 コダーイのバルトーク批判
 『ハンガリー民謡全集』出版までの経緯
 移住の決意
 出発
 『南スラヴ民俗音楽』
 アメリカでのバルトーク
 死

あとがき 193
参考文献 204
 A.バルトーク自身による民俗音楽研究
  『バルトーク 音楽論集』(岩城肇編訳、御茶の水書房、1988年)
  『ビハル県(ハンガリー)のルーマニア民謡』
  『トランシルヴァニアのハンガリー人:民謡』(コダーイとの共著)
  『マーラマロシュ県のルーマニア民謡』
  『ハンガリー民謡』(間宮・伊東訳、全音楽譜、1995年)
  『ルーマニアのコリンダ(クリスマス・ソング)の旋律』
  『セルボ・クロアチアの民謡』(A.B.ロードとの共編)
  『セルボ・クロアチアの英雄歌』(ロードとの共著)
  『スロヴァキア民謡』
  『ルーマニア民俗音楽』
  『小アジアのトルコ民俗音楽』
  『ベーラ・バルトークのトルコにおける民俗音楽研究』
  『南スラヴ民俗音楽』
  『ハンガリー民謡全集』
 B.バルトークの民俗音楽研究に関する文献
 C.本書各章で特に参考とした文献
  ひのまどか著『バルトーク』(リブリオ出版、1989年)
  J.カールパーティ著『バルトークの室内楽曲』(江原・伊東訳、法政大学出版局、1997年)
  J.シゲティ著『弦によせて』永井・北村訳、音楽之友社、1967年→『もういちど読みたい=弦によせて』(音楽之友社)

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