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私のパパは2ちゃんねら

先日、子供に「親が2ちゃんねらってやだな、でもVIPPERじゃないからまだいいけどさ」と言われました...orz

2ちゃんねるからのクリップ集


2ちゃんねるから、面白いレスを拾ったエントリーです。

社会、国際ネタ



政治、マスコミ関連



その他




2ちゃんねる論


日本の公共性はどこに?


2ちゃんねるは、輸入したものではなくて、日本で自発的に生まれた言論空間である。はるか遠いポリスから生まれた「公共性」(結局、西欧から輸入したものは根っこにそれがある(とアーレントは言っている))より、ここに茅生えている「公的な言論」こそを誇りに思い、大事に育てるべきではないだろうか。

聖俗と公私のよじれ


欧米の「公」は世俗的権力であって常に教会と戦ってきたので、「公」と「聖」は反対のカテゴリーに入る。「いいことを言うけど、役に立たない」人では、教会と戦えないので「公」の一員となれない。

しかし、日本の「公」は天皇という宗教的権威と結びついていて、それのアンチテーゼとして「私」つまり武家政権ができた。だから日本では「公」=「聖」であって、企業の中では、「公」=「聖」という属性を本社が担い、そこは美しく空虚なことが言えれば実効性は問われない。「責任ある人」は「私」である事業部(現場)に所属する。

2ちゃんねるに代表される匿名性は、この「公」=「聖」VS「私」という対立図式そのものを破壊して、実効性のある公共性を確立しようとしているのではないでしょうか。

モナーの著作人格権は場の管理者に -- 離脱可能な独裁権力


2ちゃんねるはあらゆる意味で「離脱可能性」が高いものですから、「離脱可能性」の高さによって、管理者のひろゆき氏は、その総意を代行する権利、正統性を獲得しているとみなせる、と私は考えます。もし、違うと思ったら、誰でも別の掲示板を作ることができます。もし、運営側が陰で不当な利益を得ていると思ったら、誰でも同じことに挑戦して、同じだけ稼ぐことができます。


匿名掲示板=バーチャル流民の群=天意


匿名掲示板なんてロクなもんじゃない。バーチャル流民の群です。しかし、それをバーチャルに血を見ないでできることが文明の進歩ではないのか。


老子的2CH論



2ch、特に祭スレッドの恐しさというのは実はこれで、頭のいいやつが虎視眈々と見張っている中でバカの相手をしなくちゃならないから大変なのである。世の中にこの攻撃に耐え、正体を曝さずにすませることができる奴はいない。

いや、よく考えると一人だけいる。他ならぬひろゆきだ。ひろゆきだけがバカと頭のいい奴の連合軍の総攻撃をいくら受けても平然としている。

「ここはひどいインターネット」を強いられる「場」ですね


2ちゃんねるは「ここはひどいインターネット」が許される場ではなくて、「ここはひどいインターネット」を強いられる場なのである。「ここはひどいインターネット」でないものは拒否され、誰もがその暗黙の「場」の圧力を感じて、自分をそこに合わせるか逃げてしまう。本質的には、リアルで行なわれていることと同じだ。

ネットを「贈りもの」として見る


実際、ひろゆきがもう少し馬鹿だったら今ごろ塀の中だし、もう少し賢こかったら2ちゃんねるなんて危いものには手を出さず、何か別のことをしていたでしょう。ですから、この世界に2ちゃんねるが存在することの理由を考えるとしたら、「なぜ我々はちょうどよい馬鹿さかげんでちょうとよい賢さかげんのひろゆきを手にしたのか?」という謎について考える必要があると思います。

CNN.co.jp : 亡命求める中国外交官、「豪州にスパイ1000人」


中国の人々の不信感を拭うとしたら、「日本では政府に都合の悪い話も表に出せるので、人々が望まないような戦争を政府がすることはできない」と言って、2ちゃんねるを見せるのが一番ではないでしょうか。「もし、こういうとこが無くなったら、我が国はもうヤバイので信じない方がいいです。なんだったら遠慮なくアボーンしちゃってください」とつけ加えた上で。

次の政界再編は「親2ちゃん党」と「反2ちゃん党」に?


二大政党制は、国論を二分するような大きな対立軸で分かれてないといけないわけだが、「保守VS革新」とかは、大半の人にとってどうでもいい選択肢になっている。そこで「都市型リベラルVSヘタレ保守」ですよという話になるのだが、これは確かに重要な対立軸であるけど、「向こう側の人とメシを食うのも嫌だ」という感じの激しい議論にはならない気がする。政治的な対立というのは、議論してるうちに血管がブチ切れそうになるような、熱いものにならないとうまくない。

そういう意味で、一番ありそうなのが「親2ちゃん党」VS「反2ちゃん党」。

基本的には、これからの政党というのは、政策や代表者個人でなく意思決定システムにコミットする対象になっていくと思うが、意思決定システムの中で最も重要なポイントは、世論形成のあり方である。私自身も、まだ漠然としたイメージでしかとらえられていないが、上にあげた対立軸はどれも、もうちょっとうまく言語化されて政治問題として実体化したら、死人が出るような大騒ぎになる対立軸だと思う。


「2ちゃんねら」という「ふつうの人」


2ちゃんねるに対してモノを言う時は、たいていこの類の文の主語は「ふつうの人」でなく「2ちゃんねら」だ。

テレビも2ちゃんねるも、総体として論じるのは意味がないが、そこを通して論じられることには、だいじなことがたくさんある。

ミルヒョー戦レベルの大衆と力道山レベルの知識人



大衆が、つまらん扇動に躍らされると安易に思う人は、力道山のプロレスが今でも通用すると思う人くらい、馬鹿で時代遅れ。大衆は単純な八百長には見向きもれません。大衆はきちんとディテールを見るしディテールを楽しむ。技を見て技を楽しむ。人間を見て人間を楽しむ。対価は払うわけですが、騙されて払うのではなく納得して払うのです。


2ちゃんねるの勝ち負け


そこで、「自分は何を2ちゃんねるの勝ちとみなして、何を負けと考えているのか」について、いろいろ考えた結果です。私にとっては、次の条件を満たしたら「2ちゃんねるの勝ち」です。

  • 他のメディアに見られない、論点、観点が生まれているか?
  • その論点、観点は複数の人間の共同作業から生まれたものか?
  • その共同作業は、他の場では起こり得ないものか?


うまか棒と制御棒 -- 「ひろゆき」という職種


ネットビジネスもこれと似た性質があって、火をつけるには苦労しますが、いったん発火してしまったら、あとはほっておいても火が広がります。つまり、情報がどんどん集まりだして、その情報が金を産み、金がまた情報を集めます。しかし、これは進み出すと止まらずに加速するプロセスですから、制御棒の無い原子力発電所と同じで、基本的にはメルトダウンするまで止まりません。

ですから、グローバルなネットビジネスも「ブレーキ」つまり「制御棒」が重要です。儲ける仕組みより儲けない仕組みが重要なのです。情報の流量に比例して金が入るようになっていると、メルトダウンしてしまいます。

「制御棒」の機能は、最初から作りこんでおいて、それを恒常的にメンテナンスする人をアサインすることが必要です。それができているのが2ちゃんねるです。「ひろゆき」という職種が用意されていて、初代「ひろゆき」の西村氏はこの機能を十分に果たしてています。

「ひろゆき」の仕事は、自社サイトが儲けすぎないようにすることで、トラフィックに比例して利益を産むようなビジネスモデルをつぶすことです。時には、儲かる仕組みを作ろうとする内部の優秀な人間を解雇するような、非常手段を取らなくてはならない場合もあります。そして、その代わりにもっと利益率の低いビジネスモデルによって、サイトを安定して運用するように、組織をリードすることです。

「ひろゆき」には、日々のオペレーションだけでなく、「うちは儲からないんだぞ」という組織の強固な意思を代表する組織のシンボル、カリスマとしての役割も期待されます。そのためには、「断固としたやる気の無さ」が必要です。西村氏は、天性のものか、陰で努力してそのようなパーソナリティを作りあげたのか、強烈なメッセージを常時発信して、見事その責を果たしております。真偽のほどはわかりませんが、彼が部屋に入るだけで、回りの社員はいっぺんでダラーンとしてやる気を失なったという伝説もあります。


2ちゃんねるの稼働率の高さ


2ちゃんねるは意外に稼働率が高い。いつも動いているからこそ、閉鎖騒ぎの時にマシンが次々落ちていくことが驚きになったのだ。

この事実はもっと注目されていいような気がする。単純なシステムでもトラフィックがバースト的に変動するシステムを安定運用するのは難しい。運用側の技術が高いとは思えないので、安定性を損なうようなシステムの改良を意識して極力避けているからその稼働率を維持できていると見るべきだろう。

英語2ちゃんねると日本語ロック


英語のロックを単純に日本語に訳してそのまま歌うと何か変。そのまま英語にした2ちゃんねるには、そのまま歌詞を日本語にしたロックのような違和感を感じる。2ちゃんねるを無難にやるには、日本語を覚えて日本語でやってもらうのがいいと思う。




2007年06月21日(木) 17:33:18 Modified by uncate




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