英国のような「class」(アクセントや生活様式を異にする階層。
コラム#92参照)による分化や米国のような、富・人種・宗教をめぐる分化が存在しない金太郎飴的日本に、英米のような、世界観を異にする2つの政党からなる二大政党制が成り立つ基盤があるとは思えません。
戦後の55年体制というのは、旧社会党に政権奪取の意思がなかった以上、自民党一党体制であったと言ってもいいと思いますが、その自民党は、党内の派閥の合従連衡によって主流派と非主流派に分かれ、主流派が政権を担当し、非主流派が批判勢力となる、ということを繰り返してきました。
旧社会党がほぼ消滅した現在、自民党(を中心とする与党連合)はかつての自民党主流派、民主党はかつての自民党非主流派だと考えればいいのです。
(以上、
http://blog.ohtan.net/archives/50955649.htmlより)
一般論だけど、自民党が一貫して吉田ドクトリン「右」派勢力であったように、昔の社会党も現在の社民党も、吉田ドクトリン「左」派勢力であることに変わりはない。
自衛隊にできるだけカネをかけず、かつ、本来の仕事をさせない形で、宗主国米国に安全保障・外交の基本をぶん投げ続ける、というのが吉田ドクトリンだけど、その「理念」面・・気持ちイイ・・を強調するのが「左」で、その「現実」面・・おトク・・を強調するのが「右」で、「左」と「右」はテーブルの下で手を握りあってきた、ということさ。
こういう意味において、政権に入れば、かつての社会党同様、社民党が「左」から「右」に「転向」することは必至でしょうね。
(以上、
http://blog.ohtan.net/archives/51402408.htmlより)
日教組等の「左」と自民党等の「右」は、どちらも吉田ドクトリン墨守勢力であり、互いにテーブルの下で手を握りつつ、米国と日本国民を裏切ってきた、という意味で同じ穴の狢です。
もちろんより責任が重いのは、権力を掌握し続けてきた「右」の方です。
(以上、
http://blog.ohtan.net/archives/51339845.htmlより)
戦前の1940年における大政翼賛会の成立は、自由民主主義世界の中で日本が先駆けとなって無党派時代を切り開いた画期的出来事であったと私は理解しています。
この大政翼賛会は、いかなる意味でも政党ではありません。綱領・宣言の類を持っていなかった(
大政翼賛会 - Wikipedia。12月12日アクセス)からです。
こんなことが可能であったのは、当時の日本において、世界の他の自由民主主義国では考えられないことに、既に階級間対立も宗教間対立も人種間対立も地域間対立も基本的に克服され、存在しなかったからです。
戦後の55年体制も形を変えた大政翼賛会の継続であり、自民党と社会党の対峙は、実質的には大政翼賛会内の主流派と反主流派の対峙でしかなかったのです。
どこが違うかと言えば、戦前の大政翼賛会は独立国における大政翼賛会であったのに、戦後のそれは米国の従属国(保護国)の大政翼賛会である点です。
つまり、私は本来日本は政党の存立基盤がない国であると見ているのです。
しかし、戦後の日本が米国の従属国(保護国)であることからすれば、日本は米国から「独立」すべきか「独立」すべきでないのか、という対立軸をめぐって政党的存在が二つ存立し、対峙しても不思議ではないのではないでしょうか。
私は、この対立軸をめぐって政界大再編がなされることを願っています。
(当然のことながら、このような対立軸において、旧時代の遺物である公明党が存続する余地は皆無です。)
(以上、
http://blog.ohtan.net/archives/51095100.htmlより)
日本は属国なるがゆえに、本来の意味での中央政府がないのが根本的問題なんだから、この上地方政党がどんだけ登場したって何も変わらんよ。
肝腎の中央政党についてだが、イデオロギー/宗教政党である共産党や公明党を除けば、日本には複数政党が並存できる社会的・地域的基盤がない。
このところ、政官業三位一体的癒着構造を打破するかどうかでかろうじて民主党と自民党の2大政党制になってるわけだ。
政官業三位一体的癒着構造打破の後には、「独立」を掲げる政党と現状維持に固執する政党による2大政党制に変わることをボクは期待しているわけだ。
民主党か自民党が「独立」を掲げる政党に脱皮できないのなら、第3極に「独立」を掲げて欲しいところだねえ。
(以上、
http://blog.ohtan.net/archives/52050550.htmlより)
今回の組閣で最も「注目」すべきは、与謝野馨の起用(
http://www.nikkei.com/news/topic/article/q=9694E3E...)だろ。
日本には内政面で、対立軸など目を皿にして探したってどこにもないってことがこれほどよく分かる話はないからだ。
増税ないし増負担に踏み切るタイミングの違いなんて、極端に言や、些末なことだもんね。
(以上、
http://blog.ohtan.net/archives/52053510.htmlより)