編集日時:2010年08月16日(月) 18:27:22履歴
- 属国論と吉田ドクトリン
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自己紹介
#4051(2010.6.5) 私の考えはいかに形成されてきたか(その1)
#4093(2010.6.26) 私の考えはいかに形成されてきたか(その2)
私は、自分がリベラル右派であると言ったことがありますが、より正しくは、日本(縄文)の顔をしたアングロサクソン的価値観を抱いている者です。
「日本(縄文)の顔をした」とは、人間(じんかん)主義と自然との共生志向を、「アングロサクソン的価値観」とは、自由主義的(=必ずしも民主主義的ではない)価値観を含意しているところです。
(以上、http://blog.ohtan.net/archives/51356097.htmlより)
私の裏芸は官庁不祥事・・要するに政官業癒着構造・・問題であり、表芸は安全保障問題・国際問題であります。
これは別段、裏芸はヘタで表芸は上手だということではなく、両者は表裏一体をなしています。
よりピンポイントで申し上げれば、私は、安全保障を表芸にしているからこそ、国内政治について的確な判断が下せる、と自負しています。
(以上、http://blog.ohtan.net/archives/51350654.htmlより)
私は国際問題(安全保障・国際関係・比較政治)の専門家を自称していますが、私がコラムを通じて訴えているのは、「独立」することで、国際問題の専門家が活躍できる国に日本をすべきだということです。
私が国際問題をとりあげることがあるのは、あくまでもそのための手段としてであって、それ自体が目的ではないということです。
(以上、http://blog.ohtan.net/archives/51986234.htmlより)
#4051(2010.6.5) 私の考えはいかに形成されてきたか(その1)
#4093(2010.6.26) 私の考えはいかに形成されてきたか(その2)
私は、自分がリベラル右派であると言ったことがありますが、より正しくは、日本(縄文)の顔をしたアングロサクソン的価値観を抱いている者です。
「日本(縄文)の顔をした」とは、人間(じんかん)主義と自然との共生志向を、「アングロサクソン的価値観」とは、自由主義的(=必ずしも民主主義的ではない)価値観を含意しているところです。
(以上、http://blog.ohtan.net/archives/51356097.htmlより)
私の裏芸は官庁不祥事・・要するに政官業癒着構造・・問題であり、表芸は安全保障問題・国際問題であります。
これは別段、裏芸はヘタで表芸は上手だということではなく、両者は表裏一体をなしています。
よりピンポイントで申し上げれば、私は、安全保障を表芸にしているからこそ、国内政治について的確な判断が下せる、と自負しています。
(以上、http://blog.ohtan.net/archives/51350654.htmlより)
私は国際問題(安全保障・国際関係・比較政治)の専門家を自称していますが、私がコラムを通じて訴えているのは、「独立」することで、国際問題の専門家が活躍できる国に日本をすべきだということです。
私が国際問題をとりあげることがあるのは、あくまでもそのための手段としてであって、それ自体が目的ではないということです。
(以上、http://blog.ohtan.net/archives/51986234.htmlより)
太田述正氏のブログ中の「皆さんとディスカッション」シリーズから、太田氏の主張(読者への回答)を読者が勝手にピックアップして整理するつもりのFAQもどきです。現在作成中。