軍馬が野を駆け、騎兵隊が剣を掲げ、黄金の冠と瑪瑙の杖を象徴とする諸王が争う時代。
猛き尊き騎士道精神と優美絢爛たる貴族の生活の陰に、一部の、人権を剥奪された人々の姿があった。
<奴隷>――ある者は遠き異国から、またある者は戦に敗れた隣国から、老若男女を問わず集められた<資産>。
使用人として、作業員として、果ては男女を問わずの娼婦として市場で競り落とされる<美しき畜生>。

人身売買の歴史は産業革命に沸くその国に於いて連綿と続き、中世から近代へと移行した文化の闇で当たり前のものとして息づいていた。

1899年、某国。我々の知らぬ歴史の一ページ。
「私」は、戯れに出掛けた競売で、一人の少年に目を、否、心を奪われた。

肩口まで伸びた髪は長い勾留の中にあって尚美しい金色を枯らす事無く輝き。
両の瞳は困惑と恐怖を孕んだ碧玉。むき出しの白い肌には鞭で打たれたのであろう、赤い筋が一本。
木目の細かい肌はそこだけ腫れ上がっている。

壇上では奴隷を連れて来た屈強そうな男が何事かを早口で捲くし立てていた。
恐らくは彼ら奴隷の流通経路――如何にして彼らが奴隷に身を堕とすに至ったかを説明しているのだろう。
だがそこに悲劇的な色はなく、むしろ喜劇的に、或いは煽動的に、競売参加者達の購買意欲を邁進させようと息巻いていた。
――無論、これは経験則から推測されうる事であり、実際、その時の私といえば男の後方で憔悴に満ちた瞳を俯かせる少年に釘付けであった。

競売の開始を知らせる鐘の音で、私の意識は此岸へ戻る。
途端に周囲の、他の参加者の存在が浮かび上がり、私は苛立ちと焦りを覚えた。


後になって思ってみれば、私は何故あれほどの強迫観念に襲われていたのだろう?
あの時は只、周りの人間全てが、少年を私の元へ来させまいと画策する敵の様に思えて――


急ぎ、手持ちの資金を確認する。
持参した金貨は凡そ六百枚。日常的に売買される奴隷ならば余裕を持って落札出来、帰り道でそれに召し物を買い与える事の出来る金額だ。
だが、私は安心出来なかった。(何故だろう、その日の目玉商品は遠き極寒の凍土を故郷とする少女であった筈なのに)
宝石細工が施された懐中時計を取り出し、売価の算段を始める。(何故だろう、これは亡き叔父から貰った大切なものであった筈なのに)
それでも足りぬのならば、と、家財の売却を考え始めた時――遂に、少年の競売が始まった。

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