覚悟や――決意、のようなものを込めてその部屋の前に立った。
いつものように一度だけ深呼吸。管理された清潔さや、新緑の萌える香りと相反する薬品の臭いを体に浸透させる。
これは俺なりの儀式だ。この扉の向こう、閉ざされた世界で毎日俺を待ち続けるアイツに会う為の、礼儀でもある。
「うし、行くか」
克己の言葉を呟いて、重く分厚い引き戸の取っ手を掴んだ。
・・・ひんやりした感触と、蛍光灯を受けて鋭く輝くそれが、俺が今日初めての来訪者であることを無言で告げた。
(いつも、ひとりぼっちだから、ね。本当に嬉しいんだよ)
静かな廊下にアイツの声が聞こえたような気がして、俺は扉を開け放った。

顔には微笑を。哀しみはこの胸に。
これは、たった二人きりで常識や道徳に立ち向かった兄弟の思い出、その最後のページ。
「おう、邪魔するぞ」
白で統一された殺風景な部屋。その中にあって一際白いベッドに座っているそいつは、俺の姿を確認すると、
一瞬だけその端正な顔に喜色を浮かべたが、すぐに頬を膨らませ、すねた声を出した。
「兄ちゃんの遅刻癖、いつになったら直るんだろうね。約束守ってよ。三十分も遅刻だよ?」
ぷんぷんと両腕を振って抗議している。俺は何だかそれがたまらなく可笑しく見えてしまって、
くっくっと肩を震わせながらそいつの頭に手を置いた。そのまま無言で、梳くように髪を撫でる。
「ちょ・・・こら!ごまかさないでよー!・・・あ・・・・・・」
威勢のいい声が艶やかな色を帯びるのを確認して、俺は声をかけた。

「調子はどうかね、我が弟よ」
「うん、元気。今日は昨日より元気だよ。だって僕は毎日、兄ちゃんに元気を貰ってるからね」
喜色を満面に浮かべて、心の底からの笑顔で俺を見上げる。何だか照れくさくて、ぶっきらぼうに返答した後、
照れ隠しのつもりで四角い窓から見える空を仰いだ。
「・・・それに、その・・・昨日は、兄ちゃん、たくさん、してくれたし・・・」
ああ、恥ずかしさと興奮で脳が沸騰しそうだ。こういう台詞を天然で吐き出すのだから、全くこいつは恐ろしい。
微妙な静寂が部屋を支配する。俺達はお互いに顔を赤らめたまま、そっぽを向いてしまっていた。

突然、弟の頭に乗せていた手に柔らかなものが触れる。・・・弟の手だ。
(――なんて、冷たい――)
鎌首を擡げる悲観を打ち払うように、俺はその手を強く握る。
ヴァイオリニストを目指していた弟の手は、細く、柔らかく、同性の俺が見ても(この言い方には何の説得力もないか)
美しい。
自然と指が重なり合い、絡まる。餌をねだる子犬の様な目で見上げてくる弟の頬には、鮮やかな朱が注していた。
「ねえ、兄ちゃん…いつもの……」
下唇を噛んで呟く弟の声が、上気している。

俺は空いているもう片方の手を伸ばし、音もなく部屋に鍵を掛けた。
返す手で弟の体を抱き起こし、小さく窄んだその唇に喰らい付いた。

(餌をねだる子犬は、どっちだ?)
そんな無粋な思考を排除。さあ、二人っきりの饗宴を始めよう。
挨拶代わりの優しい口付けは、待つまでもなく熱を帯びてゆく。
弟の、仄かにアイスクリームの残り香を孕んだ口腔は、酷く艶かしい。
衝動のままに舌を摺り合わせ、次に前歯から順に丹念に味わってゆく。
生えかけの親知らずに舌が触れた時、俺達は唇を合わせたまま微笑んだ。
微笑みも束の間、今度は弟の舌が俺の口腔に侵入してくる。
臆病だけど好奇心旺盛なでも不器用でもどかしい蹂躙。

どちらからともなく離した唇を伝い、互いに繋がる唾液の銀糸。
小さな唇の周りを唾液でべとべとに濡らし、嬉しそうに微笑む弟を見ただけで、俺の欲望が天を仰いでそそり立つのを感じた。
荒く息を吐く弟はしきりに下半身をもぞもぞと動かしている。
ああ、わかってる。もちろん気付いてるさ。だけど兄ちゃん意地悪なんだ。
「どうした?トイレに行きたいんなら、止めにするけど?」
うう、とだけ呻いて眉根を寄せる弟が、たまらなく愛しい。
「…意地悪、バカ兄貴。僕が…その、キ、キス弱いの、しってるくせに……」
「ああ、そうだったな。お前はあんな優しい事で下着を汚しちまう、淫乱のド変態だもんなぁ?」
考えるまでもなく、嗜虐的な言葉が口を吐く。反応して、顔を真っ赤にして俯く弟。
機を見て、俺は大げさに毛布を取り払った。
股間が、焦げそうに熱い。それは弟も同じようだった。
呼吸にあわせて上下するそれは弟のズボンにテントを張り、そのテントの頂点は歪に濡れていた。
「……何だお前、寝小便か?」
「ば、バカ、そんなわけないだろ!」
「じゃあ、それは何だよ?どうしてここはこんなに濡れてるんだ?」
言いながら、その頂点を指先で弄ぶ。
「これ・・・は、その・・・ッ・・・あ・・・ッく・・・」
電気を流されたように小さく痙攣する弟。その反応が俺の嗜虐心を助長するのを知っているのだろうか。
「ホラ、言えよ。お前は誰に何をされて、どうしてこんなに濡らしちまったんだ?」
指の腹で円を描くように撫で、なぞる。時折爪を立てると、桃色の吐息を侍らせてそこが反応する。
「だ、から・・・これ、は・・・はぅ・・・に、兄ちゃん、の・・・」
それでも尚快楽に耐え、俺の質問に答えようとする。
興奮の係数曲線が重なり合って上昇してゆくのを感じる。
堪らなくもどかしくなって、俺は弟を抱きかかえ、ベッドから下ろした。
興奮にふらつく足で俺にもたれかかり、熱い吐息を漏らしている。
「さあ、これ以上続けたいんなら……わかるだろう?」
腕を組んでにやりと笑う俺を見上げる弟。その頬の赤さは興奮と、これから自分が行う行為への羞恥、或いは
期待が混ざり合ったものだろう。
俺は、きゅっと下唇を噛んでズボンに手を掛ける弟の動きを制止した。
「違うな。…昨日、教えただろう?」
弟は一瞬だけ不思議そうな顔をして、すぐに俺の言っている事の意味に気付き、くるっと回り、俺に背を向けた。
か細い背中が羞恥に震えている。だが、逆らうことなどできはしない。
弟もまた、それが己の望む快楽への最善手であると知っているからだ。
弟は背中を向けたまま、静かにズボンに手を掛けた。
それを見て俺も、静かにズボンに手を掛けた。
開放を待っていた俺の欲望が、脈動はそのままに姿を現す。…弟のそれに比べると、やはり、グロテスクだ。
弟は震える喉で深呼吸をした後、下着も一緒にパンツをずり下げた。
膝下の辺りまで、しゃがむことなく、そう、立位体前屈のような状態で。

「そう、そのままストップ」
言いながら俺は、弟の腰に手を廻した。腰から尻へのなだらかな曲線を、両手でがっしりと固定する。
「ちょ・・・え、兄ちゃん、まさか・・・駄目、駄目だよ!まだ心の準備が・・・」
却下。
俺は滾る欲望の狙いを定め、一気に、突き通した。
弟が、声にならない叫びを上げる。くず折れそうになる体を支えようと、その両手は壁を探してせわしなく彷徨っている。
「あ・・・ッ、んああっ!」
ゆっくり、慣らすように、弟の中に侵入してゆく。
まだ抽送も始まっていない。
「にい、ちゃ・・・こん、な・・・!」
せめて少しでも痛みが緩和できるようにと、弟の前に手を伸ばす。
硬度を保ったまま…否、ともすれば硬度を増したそれは、だらしなく液体を滲ませ、それだけで弟の射精が近いことを教えてくれた。
睾丸から筋、亀頭にかけての窪みを指でなぞる。肩を震わせ声を殺そうとする弟の背中が、じんわりと汗ばんでいる。
「何だ?お前は兄貴を置いて一人だけ気持ちよくなるつもりかよ?」
そう仕向けているのは自分だ。矛盾したことを口走っているのはわかっているが、とまらない。
潤滑油で滑りがよくなったそれを握りこむ。そのまま上下に、乱暴に…しかし強弱をつけながら、扱いた。
自慰とは勝手が違うものだな、などと思っているうちに、弟の体が徐々に硬直してゆく。
繋がったままの俺の欲望も、自らの行為と弟の痴態に興奮し、潤滑油を分泌していた。
徐々に抽送を開始する。
爛れそうに熱い直腸に欲望を打ち付ける。
眩暈がするほどの快楽が、脊髄を舐めて往く。
リズミカルな、肉を打ち付ける音と俺のうめき声、弟の艶声混じりに俺を呼ぶ声だけが、聴覚を支配する。
「も……っと…んッ!あ、あッ!にい、ちゃん…!」
お互いの快楽が、肉欲が、渦を巻いて溶け合って、上り詰めて行く。
ぴくん、と撥ねる背中。
俺は只、獣のように、柔肌に自らを打ち付けた。出しては入れ、入れては出すこの単調な繰り返しが、
俺達を煮立たせる。
「ぐ…ッ、もう、限界、いく、ぞ……!」
噛み締めた歯の間から、何とか声を絞りだす。
「うん、にい、ちゃ、いっしょ、いっひょ、に…!」
壁に当てていた弟の両手が、俺を求めて後ろに廻される。
その手を握り締めた。離さない。離すものか。この手を離そうと画策するものは、誰であろうと許さない。
喩えそれが、今も弟の体を蝕み続ける致死の病魔であったとしても――

「「――――!!」」

重なり合う声。重なり合う感情。重なり合う掌。
俺達は盛大に欲望を撒き散らし、その場に崩折れた。
熱い塊が薄れ、消えてゆく。
リノリウムの床が、爆ぜそうに熱かった体を冷やしてくれた。



全ての後始末を終えミネラルウォーターを口にしている時、弟が唐突に呟いた。
「ねえ、兄ちゃん。一つだけ、お願いしていいかな…?」
返事の代わりに、目で答える。ミネラルウォーターのボトルを足元に置き、俺は弟を見つめた。
「こんなお願いは変だって、自分でもわかってるけど…あのね。遅刻癖を、直さないでほしいんだ」
一瞬どういう意味かわからずに、考え込む。それはつまり、今までどおりでいいってことなのか?
…いや、今までどおりでいいなら、別にお願いする必要なんか――

「僕は、死んじゃったら、たぶん一人ぼっちで寂しくて、兄ちゃんのことを考えてしまうと思う。
兄ちゃんは何してるかなー、とか、兄ちゃんは元気かなー、とか……それでね?きっと…きっと、
兄ちゃんに会いたくなっちゃうと思うんだ…」

 言葉が、出ない。

「でも、兄ちゃんは遅刻していいからね?いっぱいいっぱい、遅刻してね?
兄ちゃんがもし僕に会いたくても、遅刻じゃなかったら、絶対に会わないからね?
だから……僕が居なくなっても…ひぐっ…兄ちゃんは、今のままでいてね――」

俺には、弟が居た。
華奢で肌が白くて、怖がりで、意地っ張りで、優しくて、可愛い、たった一人の弟。
俺が愛し、俺を愛してくれた、この世でたった一人の弟。

今はもう居ない、たいせつなたいせつな、弟。
<終>
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