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「―――神王様?―――神王さまぁ!?」

 ジュノーの顔が、すぐ間近にあった。あぁ、肩越しに覗き込んでいるのか。
 目の前にあるのは、手の込んだ縁飾りの付いた大鏡。髪を梳かれている私と、髪を梳いているジュノーの姿が映っていた。
「ん、どうした?」
 すぐ傍にあった額を、指の平で優しく押し返してやる。
「『どうした?』ではありませんです。ぼうっとされていて、呼びかけてもお返事をなさらないのですから。」
 その少し拗ねた口調に苦笑しながら。梳いてくれている小さな手の甲に触れ、言葉を返す。
「あぁ、悪かったな。」
 だが・・・今のは何だったのだろう?
 私は謁見の間で、家臣と兵士達に向けて、世界制覇の号令を掛けていたはずだ。
 そのはずが、まだ自分の居室で、ジュノーに髪を梳いてもらっている。・・・夢でも見ていたのか?
 そう言えば、その時に私の傍にいた月人・・・あれはジュノーではなかった気がする。あの月人は、“これ”よりかなり大人で、落ち着いた雰囲気がしていたな。
 鏡越しに、ジュノーと目が合った。
「神王様、いかがなされました?」
 いつになってもお前は幼さが抜けないな、と言ったら、“これ”は怒るだろうな。
「いや、なんでも・・・ん、寝台が片付いているな?」
 鏡越しに、綺麗になった床に目が止まる。
「え、えぇ。・・・カムキア様とローゼ様が、片付けてくださいました。」
 少しばかり、返事をするジュノーの歯切れが悪い。まぁ、己の粗忽ぶりを晒してしまった訳だから、無理も無かろう。もっとも、“いまさら”の感はあるが。それはさておき。
「その・・・二人は、何と言っていた?」
 一瞬、ジュノーの眉が僅かに動いたような気がした。いかん、私は何を気にしているのだ?
「・・ローゼ様には『あはは〜!これ、ジュノーがやったの〜?すごいね〜!』と笑われてしまいました。」
 彼女は、はにかみながも、家臣の天真爛漫な口ぶりを交えて答える。む、結構似ていたな。やはり似た者同士だからか。
「で、カムキアは?」
 気になるもう一人の方の反応を聞く。
「カムキア様は、え〜と・・・『神王様は、お変わりありませんでしたか?』とだけ。」
 それがどうかなさいましたか?と言う表情を浮かべ、ジュノーは答えた。
「そうか。」
 やはり、気付かれたかもしれんな。
「あ、それと・・『全ては神王さまの御心のままに』と申しておりました。」
「!!」
 そうか・・・そう、言ったか。
 大鏡の側に置かれた小さな鉢を見る。
「――『“奇殿持ち”は、時に、恐ろしい程に勘が鋭くなる』――」
「はい?」
 鉢の上のずんぐりした丸まっちい植物は、常と変わりない。
「そう言っていたのは、確か、【希泉】神王だったか?」
「・・・?【希泉】の神王様は、カムキア様と面識があったのですか?」
 鏡に映るジュノーの困惑しているのが見て取れた。そうだな、カムキアは希泉へ行ったことなど無い。リヴァス神王の下へ使いに行ったことはあるが。
「いやなに、神王たる者、月人や家臣に気遣われる様ではいかん・・そういうことだ。」
 神王の内心を汲み取ることに関して、月人が武将に遅れをとったと気づいたら、いくらジュノーでも気落ちするであろうな。話題を変えておこう。
「まぁ、気にするな。あぁ、確かこの鏡、リヴァス神王が寄越した物だったな。」
「はい。同盟の印に、と言うことでした。」
「思えば、アレにしては、なかなか気が利いていたな。」
「ふふっ、そうでございますね。」
 私の髪を梳きながら、ジュノーがころころと笑う。
「もしかすると、この鏡で私を監視しているのかもしれんがな。」
「えっ!?」
 一瞬、髪を梳く手が止まる。
「冗談だ。気にするな。」
 ジュノーの手を、軽く叩いてやった。
「はぁ・・・びっくりしました〜。」
「そんなことで驚くな・・・同じ見るにしても、あの男ならきっと、全く別のものを見るのだろうし。」
「別のもの、ですか?」
「あぁ、神王の動向などよりも、もっと“面白いもの”を、な。」
「・・・例えば、どういったものでしょうか?」
「わからん。」
 即答する。一癖も二癖もある神王達の中でも、リヴァス神王はとりわけ掴みどころが無い。戦略上の必要が無い限り、その思考を追う試みは徒労だろう。が、ジュノーを見ると、何やら真面目な表情で考え込んでいた。
「う〜ん・・・あははは、やっぱりよく分かりませんね。」
 そう言いながら髪を梳き終えると、私の前に回って膝をついた。その手には数本の小さな筆。
「うぅ、私はそういうのは好みではないのだが・・・。」
「だ〜め〜で〜す!神王様はお綺麗なのですから、きちんとされないと勿体無うございます。」
 動かないでくださいませ、と言って、私の眉や瞼、頬などに黒やら蒼やら朱やらと色を入れていく。
「はい、これで仕上げです。」
 私の顎に指を添えると、唇に紅を差した。
「どうですか?」
 満面の笑顔で見上げてくるが、それには答えず。
「家臣たちが待っている、行くぞ。」
 立ち上がりざまに彼女の頭を軽く叩き、謁見の間へと向かった。
2008年03月23日(日) 16:06:12 Modified by curios_moon




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