なんか怪獣イラスト/怪獣の話などのてきとうwiki

   

なんかabout-15.8-2からの続き




●2015


最近観た映画



●ハンサム★スーツ

うわあああああぁああ、ごめんなさい、俺が悪かったごめんなさい、となった映画。

話を巻き戻すと、ラジオ番組ウィークエンド・シャッフルのコーナー、ザ・シネマハスラーやムービーウォッチメンなどがYouTubeなどにあるので、けっこう楽しんで聞いていて。
とくに盛り上がるのが酷評回とよばれる、罵詈雑言が飛び出るような話題。
明らかに面白くないとわかっているのにあえて観に行き、面白くねえぞゴルアと罵るような回、通称「当たり屋」がとにかく聞いていて楽しかったりする。
今回のハンサム★スーツもそれに該当し、とにかくけちょんけちょんに言っていたので、スゴい期待して映画を観たわけ。

今回はちょっと、映画よりも宇多丸の映画評を評しておこうかと。
いま調べたら、ハンサム★スーツはシネマハスラー時代に取り扱った作品で、実を言うといつもの「当たり屋」回とはじゃっかん趣が違っていた。


どうも元気が無いというか、酷評回タグなどでキレ芸的なものを期待するとガッカリみたいな力ない雰囲気ではじまった。
その理由は、当たり屋のつもりでハンサム★スーツを観に行ったら、思いのほかダメージが大きくて・・・ということだった。
このとき、自分の目が死んでゆく音を聞いた、とまで言っている。
そんな感じでぐったりと、でも頑張って酷評していたら怒りが再燃してきたのか途中から元気が出てきて、「ああよかった」と自分で言っているのでめでたしめでたしという。
いや宇多丸師匠のテンションが戻ってめでたしとか、そーゆう番組じゃないんですが、まあめでたいね。
途中でハンサム★スーツの製作者が「愛しのローズマリー」を参考にしている的な話も織り交ぜて、そのあたりで自分も気づくべきだった。
あの映画はちょっとね、製作意図はわかるけどどうにも偽善的な雰囲気がぬぐえない、ちょっと問題作なんではと・・・未だに率直な感動をする人がいるのだろうかアレ。
しかしハンサム★スーツの酷さはそんなもんじゃない、美醜と善悪、その論理が破綻したまま話が進んで元より出来もよくないという、最悪なことに。
最後はいつもの当たり屋回として、キレまくって終わった宇多丸師匠のハンサム★スーツ評でした。

そんなに酷い作品なのか、是非観なくてはw
と、HULUで観たんですけどね、最後まで。

いやあ、想像以上でした・・・・。
宇多丸の映画評を信じるべきでした。
ゆうても観なくちゃどんだけ映画評が的を射ているか分からんのだが。
もう視聴している間「うわあああああぁああ」となる出来栄えで、だいたい何、あの凶暴な世界は。 差別的な世の中の真実を、誇張して映画にしたつもりか、ただただバカバカしい。
クライマックスのステージとかもう、「何やってるんですか・・・」と力なくぐったりと観ていました。
本当に宇多丸師匠の言うとおり、ダメージが思いのほかでかい映画なんだ・・・そして、自分の目が死んでゆくのが確かに分かり、その表現の的確さにとても驚いた。
ラストシーンのアホらしさにはもう、「あっそう・・・・」くらいしか感想が。
なんだろうね、コントのような、というかなんというか、何なんだよコレは、みたいになります、観ていると。

映画の内容としては例えば、ひ弱な男が着るだけでジャン・クロード・ヴァンダムみたいに強くなれるヴァンダム★スーツのモニターに選ばれ、夢にさえ見なかったような大会に進出するが、そこで「本当の強さとは何だろう」と思い悩む、みたいな?
こう書くと単純な話であることがわかり、映画向けみたいな感じなんだが、これを容姿の美醜に置き換えたのが今回のハンサム★スーツだと思って欲しい。
単純な腕っ節がどうのこうのいうストーリと違って非常に繊細な問題を取り扱うことになり、脚本にも慎重さが要求されるんだけど。
そーゆー自覚もないまま、スゲえテキトーに書いたみたいなとんでもない映画ですた。

で、宇多丸映画評のとおりだったと。
どうせ大げさに騒いで酷評しているんだろくらいに思ってごめんなさい、疑った俺が悪かった、と心底思います。
ただひとつの苦行としてハンサム★スーツを観た時間、無駄とは思いたくはないですな。



●アンダー・ザ・ドーム〜1シーズン最終話

さて、見放題なのをいいことに、1シーズンぜーんぶ観ましたよアンダー・ザ・ドーム。

基本的なことがしっかりできてる群像劇、という感じで面白いドラマなんですけどね。
最終話に関しては、どうもこの、なんと言ったらいいのやら。
ハッキリ言うと怒り狂っているんだけど、情報がないんでどこまで怒ればいいか微妙で。

まず最終話、ラストシーンだけど、思わせぶりなとこで終わりました。
うーむ、誰でも知っている例えが思い浮かばないな・・・じゃあスター・ウォーズ ジェダイの復讐で言うとですね、クライマックスのデススター攻略戦で、ミレニアム・ファルコン号を先頭にリアクター爆破に向かいますが、そこで炉心に攻撃した直後、爆発とともに画面がどんどん白くなっていき、脱出するミレニアム・ファルコン号もその周辺の艦船も、そして見守るルークとダース・ベイダーや地上のイウォークたちも真っ白にフェードアウトしていってエンドタイトルロールみたいな?
うまくもないが、そんな感じか・・・いやもっと悪いな。

これをどう怒ればいいやら、ちょっと悩んでいる。
単純に最終話としては有り得ねえ、ふざけんなという話だが、ちゃんと2シーズンも用意されているのが告知されていたのだろうか。
というか、数ヶ月あけて次のシーズンがはじまるから、続きが知りたい人はチェックしてね! ということだったのか? 放送当時。
そうだとしても、かなりヒドい。
話の途中で真っ白にフェードアウトしてどうするんだと。 ←例え話だけど。
いちおう、誰がどうするかというドラマが見どころで、ドームの謎に関しては誠意を期待できないと感じてはいたが、これには殺意さえ沸くな。

普通に考えて、1シーズン終わって次の週に2シーズン目がはじまるわけないんよ、だったら他のアメリカドラマと同じ、第14話と表記されるはずで、シーズン区切りなのは放送に間が空いている証拠。
あのラストで視聴者を待たせたのか、マジで許されないだろアレは。
まーゆうても2シーズンも観るけどね。
だってすでに3シーズンまでHULUにあるんで、すぐ観れるから。
だが放送当時、見切りをつけた人が続出しても自業自得である。

とまあ、そんな感じで面白いだけにラストシーンの誠実さが欠けていて不満みたいな。
面白いゆうても昔からの標準的なレベルであって、やっぱ出オチのドーム謎が効いているせいもあるよね。



●アンダー・ザ・ドーム〜2ndシーズン

いやー面白いですなさすがに。
勉強のためにと最近、映画を毎日観ていたけど放っておいて、アンダー・ザ・ドーム観ている次第。
典型的なアメリカドラマなんだけどね、分かって観ているつもりで術中にハマってしまうな。
1stシーズンの第一話で予感して第二話で確信したんだけど、ドームの謎は引っ張りまくる予定、というのが分かっていて、なおかつ大した結論ではないだろうと予想されるので、とにかく(ドーム)中のドラマを見ればいいのだなと解釈して、観始めた。

このドラマでは二大勢力的な人物として、明らかな主人公であるバービーと、よく敵対するビッグ・ジムが描かれるが、バービーのほうは最もタフな男という触れ込みのわりに、冒頭のうっかり殺人がよほど堪えたのか、ずーっと平和主義を押し通していて、話し合いで解決できればそれがイチバン、という感じなのに対し、ビッグ・ジムはとにかく強引。

現在のアメリカ状況を知らないんだけど、このビッグ・ジムというキャラクター、例えば80年代であればアメリカで超人気になっても不思議じゃない。
やや腹が出てきた中年男でハゲで愛想なく、異常に自己顕示欲みたいなのが強くて常に「俺が俺が」と主張したがるのを、劇中の皆に何度も何度もツッコまれている、マジでどーしよーもない男なんだけどね、ある意味、魅力の塊みたいな。
いちおう強引な行動の源は町を想って、という建前なんだけど誰も信じていないし、まだ市民に知られていないけど、プロパンガス貯蔵庫を占拠されたとなったらその日の夜にもう相手を射殺、進撃の巨人のウォール教みたいになってきた牧師も厄介だから即殺害、秘密を知られたらその場で射殺、邪魔者になってきたボスであるマックスもとりま射殺みたいな、どんだけ自分勝手なんだと。
顔も苦みばしったような面構えでほとんどマンガというかやっぱ魅力だし、よくしゃべる男な割になにか感づくととたんに無口になり、視聴者をワクワクさせてくれるし、なにもかも自分中心に考えるエゴイストで、いっぽうで唯一の肉親と自分では思っている息子の危機には本気で苦悩するみたいな。
コイツ、こんだけ悪党面を続けながら、本業である中古車販売の広告がたまーに画面に映るとニッコニコの笑顔で、テレビの前の皆さんが大爆笑する、というシステムになっています。

息子のジュニアもスーパーサイコのストーカーで、ひたすら自分勝手という超キャラクターなんだけど、親父には負けるわ。
だいたいビッグ・ジムってなんだよ、40〜60年代のマンガや映画の悪役かよ、というネーミングが嬉しい。

これだけで観る価値あるんだけど、一時的に全米ナンバーワンを勝ち取ったビッグプロジェクトのわりに、マヌケな部分もあって。
まづ、編集なのか演出なのかわかんないけど、時々下手だなと思う。
昔のナイトライダーとか特攻野郎Aチームとか、アホな作品に見えて編集は一流だったような気がする。
見せたいものをうまく見せる技術というか、カメラワークとはまた違う何かがあった。
アンダー・ザ・ドームでは例えばイキナリの爆発シーンなど「ん?」となるよーな、カットとカットのつながりがやや未熟な感じがたまにあって。
もしかすると人材不足なのかもね、映画界とかも優秀なスタッフ欲しがって取り合いとかもあるだろし。

あとはいつもの、としか言いようがないドラマ独特な展開で、あるいは褒め箇所かもしれないけど。
例えば閉鎖状態の街で、食糧危機が迫っているという話があって、いよいよヤバいかも・・・と話を追うごとに緊迫するが。
直後に別な話題が浮上してきた。
なんだっけ、誰それと誰かが対立とか、ドームの謎系とか、忘れたけど食糧危機について語るヒマがなくなってきた。
珍しいことではなく、とくにアメリカのドラマは視聴者の反応をみながら製作するので、そーゆー路線変更はある。
そんな場合の解決方法もだいたいテンプレートがあって、アンダー・ザ・ドームではそのセオリーに忠実であるようだ。

今回は、街の住人が数ヶ月困らないだけの備蓄が発見されました、とゆう。
はら、アメリカにはサバイバルマニアがいるじゃん、退役軍人とかの。 今は街にいないけど、そーゆー人が趣味で備蓄していたんだってさ、地下シェルターか何かに。 奇特な人だねー、それなら安心だね、食糧問題は当面、解決だね。
ってそんなわけないだろ。
街に何百人の住民がいると思ってんだ、それらが数ヶ月、困らないだけの備蓄だと? 何トンだ? いや何十トンだ?
缶詰か? 穀物か? レトルトか? それら全部か?
確かに一家が数年、籠城できるだけの食料を蓄えた個人はアメリカ中にいるだろうさ、だけど数百人が数ヶ月、というと桁が2つ3つ、違うだろ。
でもまあ、アンダー・ザ・ドームという物語ではとりま、解決なのである。


このエピソードでもう明らかに、別な話題がはじまるなと露骨にわかってしまうわけ。
あとは続けざまに街の危機が訪れるわけだが・・・。
赤い雨はどうなったっけ、酸性雨みたいな危険極まる現象だったが。
湖にアルカリ溶液ぶちこんだら、直後に雨が元通りになって一発解決ゆう感じだった。
早っ、映画「孔雀王」で危険人物だがしぶしぶ蘇生を試みたら次の瞬間、神々しい光の柱が降りてきた以来の早さではなかろうか。
湖が汚染、というのは何度か聞いたが、だからって赤い雨になるかな、赤絵の具が揮発すれば赤い蒸気になって部屋が赤くなるかな、みたいな話であり、なおかつアルカリ溶液の効果が速すぎて「は?」となってしまう。 ここでも。

赤い雨の次は砂嵐、まあ特殊な環境になってるので何かあってもおかしくはないのだが。
砂嵐をおさめるために、でかい風車を作って鉄塔に取り付け、そこにポンプで水を送り込んで巨大なスプリンクラーにするわけだが。
うーん、なんだろねコレは・・・まず風車と鉄塔は実物をドラマのために造り、でも放水シーンはCGっぽかったけど、つまり現実にはできないってこととちゃうか? そもそも消防ホースに何らかの工夫をして、強力な霧吹きとしてマメに大地にまいたほうが良くね?
この件も赤い雨同様、水まいた次の瞬間、砂嵐が収まったーとバンザイして解決みたいな。
なんかこのシリーズが全体的に、ギャグになってきている気がする。

うーん、なんというか、こうなるとこのドラマのパロディ版とか観たくなってくるな。
誰か造らないかね、B級映画専門の制作会社でいいから。
タイトルはUNDER THE-BIGGEST DOMEでお願いします。
アメリカの州をいくつも巻き込む規模のドームとかで、最初から明らかに収集つかないコメディが観てみたい。


●終戦のエンペラー

iTunesStoreで百円の時にレンタル、今になって視聴したのだが。
なんかHULUでも観れるんですな、まあいいけど。
せっかくだからiMacで観ようと思った。(いつか書いたとおり、非常にややこしい迷宮にハマり、PCブラウザからHULU観れない)
つまりHULUはAppleTV使ってテレビで視聴、というスタイルを余儀なくされていて、iTunesで借りた映画はじゃあ、iMacで観ようかみたいなつまらない理由だけど。
なんかね、時々感じることだけど、PCモニタのほうがテレビより品質が良い、ということあるのかな。
地上デジタル放送の前ならテレビモニタよりPCモニタが解像度も高く高品質であるというのは常識であったが、HDテレビが普及している今でも、テレビモニタでレンタルBlu-rayのGODZILLAが暗くて何が何だかわかんなーい、という事態だったり、はて?と思ってしまう。

このまえ日輪の遺産を観たんで、その続編みたいな雰囲気で観れるからいいね終戦のエンペラー。
今回のマッカーサーはトミー・リー・ジョーンズさんでした。 いいたかないが、まさかの、である。
ところで鹿島役がまた西田敏行をちょい若くしたソックリさんと思いきや、本人だった。
この人ここ二十年、年取ってないような印象だな、想定より若くて・・・思ったらまだ60代なんか、なるほど。
じゃあ昔が老けていたんだよ!きっと。
伊武雅刀さんはアレだな、太平洋戦争マニアの外国人にも覚えられそうな勢いですな、太陽の帝国に続いて戦争映画出演とは。
どちらかと言うと性格俳優ゆうか、名優系ではないのだが、こーした場面のインパクトは絶大で、帝国軍人ははまり役かも。
そのような俳優陣を見れるだけで楽しく、また日本の映画(例えば日輪の遺産とか)より予算が上なのか焼け野原の東京などをシッカリ描けており、それもまたナイスな映画。

日本描写でいえばまだ、首を傾げるようなシーンもあるけどこれはかなり、リサーチしたほうではなかろうか。
その誠実さに免じて、多少おかしい部分は許せる。
おかしい部分といえば、主人公の准将は進駐してから出歩きすぎ〜思ったが、史実なのだそうだ。
ソースはウィキペディア。
あと非常に惜しい点として、うどんをうまく食うシーンを追加して欲しかったな。
「ブラック・レイン」でマイケル・ダグラスが大阪に来たが「ガイジン」なのでうどんをうまく食えない、とゆうか箸をうまく使えない場面が巧みで、「なれない日本に戸惑う」的な印象深さがあったので、終戦のエンペラーの主人公は逆に箸をうまく使って、周りの日本人が感心する、みたいなことになれば、ぶっちゃけ脚本、ストーリー的に無意味だが、映画の没入感は増すかと・・・そうでもないか。
まあアイツ、日本語喋れないくらいだから無理かもね。

終戦直後のドタバタは日本じゃ有名だが、アメリカではどうなのかね、最近、連中の知識というものが信用できない。
どうせアレだろ、史実なんて知らなくて、戦争映画も創作ものばかり観てるんだろ、くらいに思えて。
じっさい終戦のエンペラーという映画はアメリカでスカッと空振りしたようで、日本のほうが興行収入が多い珍しい例だし。
それはいいとして、マッカーサーが日本に降り立つ写真などはさすがにアメリカでも有名だろうが、そこで飛行機内で舞台俳優みたいに入念な準備をしてからタラップ踏むみたいなシーンが活きてくる。 やっぱりなー的な。
ちなみにこの時くわえているコーンパイプは通所マッカーサー・パイプなどと呼ばれていて、自分もひとつ持っているが、軸の真ん中を焦がしているデザインなのはマッカーサーが自分のパイプの軸に目印して、マイパイプと主張したことに由来するそうな。
要するに他人のパイプとの差別化で、誰もがよくやることなのだが、デザインとして定着しちゃったら無意味だよね、まあいいけど。
このコーンパイプもポパイみたいな感じで、自分自身を強烈なキャラクターとして創りあげようとしたってことなのかも。

アメリカ軍がそうして日本の目を気にして苦労した話は、日本映画ではなかなかできないことであり(外国人俳優使うの下手だから)、父親たちの星条旗みたいな感じでハリウッド映画である意義があるというもの。
そうして進駐軍が天皇の戦争責任を調べるシーンは、あまりにも謎アジアすぎて困る展開なのだが、じっさい現代日本人からみても当時の日本は謎なのだから、そりゃあそうだろうとなる。
繰り返すけどこの映画、かなり誠実に日本を描いたほうだと思うよ。
わからない部分はわからないのは仕方ないとして。

ともかく当時の様子をドラマにしただけでも観る価値があり、面白い映画。


●アンダー・ザ・ドーム 2ndシーズン〜最終話

いやーまたエラい途中で終わりました。
もう「あっそう」みたいな感じなんですけどね、さすがに今回は「はいわかりました」ゆうか、こーゆうシリーズなのだからと強引に納得させられたみたいな。
今度は具体的に話しても大丈夫げな展開で、要はドームが収縮して街中がゴゴゴゴと地震でエラいことなってるので、住民皆がドームの中心にできた穴がゲートだと決めつけて脱出しようとするが行き止まりで、だけど壁が突然崩れてその向こうが眩く光って続くみたいな。

個人的な意見としては何度か言っているように、ドームは対隕石群用のシェルターなのでわと思っていて、まあ隕石群かどうかはともかく、街の外は危険のような気はするので、ドームの外には出られないはず、と考える。
地下道の先は広い空間で危険が去るまでの避難所になっているか、あるいは光の先はまたドームの中で街に戻るんだよきっと。
じゃあまた堂々巡りの物語かというと違っていて、もうビッグ・ジムは街の敵なんだから、新しい展開はあるだろうね3シーズンでは。

ちなみに永遠にドームの中、というラストはないっぽい。
ネットのどこかで「原作ではドームの出現期間は数週間だがドラマでは延長してある」的なことを目にしたので。
いづれドームが消えて終わる話みたいだね、そうなると。
ただ、B級映画好きな自分としては地球が未曾有の大災害みたいな展開で、ドームが真っ黒になって街中ガタゴトして大パニック、やがてドームの透明度がもどってみるとそこは宇宙空間で、赤い地球を見下ろしている的なアホ展開もいいな、と思える。

あとかなり最初から、おそらく大勢の視聴者が気にしていたと思うんだけど。
ドームの高さが6000メートル、直径が16キロって真球じゃないやん。
じゃあドームはどら焼きみたいにやや潰れた形ってこと?
仮に真球であればその中心点はミニドームと卵があった場所ではなく、ずっと地下ということになるわけで。
つまり、2ndシーズンのクライマックスで中心に深淵な穴があいた時、観ている皆がそりゃそうだ、ドームの中心は地下深くなんだから、となる。
こんな単純な仕組みに、街の誰も気づかないのかな、ドームの高さを計測できていなかったとか?
いや確か、無線傍受でドームの寸法は聞いていると思ったが。
ともかくドームの発生源は地下と考えるのが妥当で、だとすると卵は単なるコントローラか通信機程度と普通はそうとらえる。



・・・とまあ推察してから、自分自身の話が「本当かなあ」と思えてきて、SHADEとゆう3DCGソフト引っ張りだしてアナログ&目分量で計算してみたところ、まあ確かに直径16キロ、高さ6キロはドームの上端部分ですな、赤い逆T字型の横幅が16キロ、高さが6キロの実寸でつくってあるんで。
さらに実物大で作ったこの3Dデータならドーム本来の直径が割り出せるんだけど、そこまで考えが至らずにアプリをシャットダウンしちゃった、保存もせずに。 ま、気になる人は画面に定規でも当てて計算してみるといいかも。


それと卵が最大のお宝みたいな雰囲気になりつつあるが、最高の取引材料でもあるんで、ダミーくらい大量に作っておけと。
もう手遅れで、本物を町の外に送り込んでしまったため、その特性が知られてしまい、ダミー作戦は通用しなくなってしまった。
元々なんらかの探知機で卵の位置はわかるそうだが、住民ひとりひとりに持たせれば一時的な目眩ましには・・・って脱出作戦も失敗したから今更なにもかも無意味か。 争奪戦となり、卵を使ったアメフト的なギャグシーンも観たかったが、そーゆうドラマではないし。

あー、2ndシーズンになって初めて出てきた数字に、住民の数があるね、吹き替え版では言わなかっただけかもだけど。
総勢2000人ですか、想定より多くて本気で撮るとけっこうたいへんだ、例の中心部にある穴から横穴へのセットも小さくて、とてもそんだけ大勢が短時間に通れそうもないが、そこはそれ、テレビドラマだし。 学校の避難訓練やイベント等、集団行動した経験がある人ならわかると思うが、縄ばしごを降りるだけでけっこう時間かかるよ、しっかりロープをくくりつけても百人目あたりから緩んでくるとも思うし。
しかし2000人となると、やはり先に問題になった食糧危機が簡単に解決できる案件ではないと、改めて感じる。
備蓄がみつかってあの件解決、って安易だなーとも。
あいや、そこまでリアリティを求めるのも酷だ、というのも承知してるけど。

さて2ndシーズン終わって、しばらくは開放されるかな。
3シーズンも7話まで来ているようだが、カードが揃うまで手をつけることもないか。
仮面ライダー鎧武とか獣電戦隊キョウリュウジャーとかずっと途中のままだし、いちおう観たい映画もあるし、HULUに観るべき過去ドラマもあったし、なんだかんだで忙しいな。
とまあそんな話。

●学校の怪談

普段あまりホラー系とか観ないんだけどね怖いから。
この学校の怪談は昔テレビ放送した時に観て、あまり怖くないと知っていたので午後のロードショーでまた観たわけ。
なんつかね、最初のエピソードは「後ろのメリー」とでも名付けようか、出だしはスゲえ怖かったんだけど、恐る恐る振り向いてみたらそこには・・・・中に浮いたスイカ? ここで、とっても安心した次第。
ああこの程度の映画なんだなあと。

有名な学校の怪談系エピソードが複数詰まっており、なおかつ当時はようやくハリウッドSFXに追いついた感が、錯覚であった可能性もあるが、とにかくあった。 ゆうてもジュラシック・パークより後の映画なんだけどね。
特殊メイク、メカニカル、コンポジット、クレイアニメなどなどを駆使してどのようなものが出来るのか、ワクワクする内容でもある。
まあクリーチャー系に関しては無理に入れている気がするけど。 それもまた時代というかなんというか、SFXといえばモンスター的なイメージがありすぎて、ついつい盛り込んでしまったんだろうね。
SFX監修みたいなとこに中子真治さんがクレジットされていて、なるほど取材などでハリウッド特撮を知り尽くしただけにうまく出来ている部分もけっこうあるし、ゴーストバスターズ的なキャラクターもそれなりな出来栄えだった。
内容的にはこの頃すでに、やや旧くなってきた学校系怪談、および通常の都市伝説系怪談を組み合わせていて、例えば口裂け女もゲスト出演みたいなお茶目な場面も。 また近代的な怪談というより旧い話、定番の話を優先的に盛り込んでいるが、理由としてはたぶん、60年代ですでにかなり進められていた学校の近代化はほぼ完遂されており、よって舞台はより怖い感じな木造の旧校舎としたほうが・・・それに合わせて内容も新しい怪談より定番のほうが、みたいなことかなと。 よくわからんが。
大人からすればまだまだ木造校舎の記憶がある時代で、じっさい木造で授業をうけた人、木造校舎の学級は未体験だけど学校に旧校舎はあり、それを見たことがある人などが非常に多かった。 遠目にでも木造校舎を見たことがあるなら怖さも想像できるもの。
今回の映画はあえて、それを映像化しているみたい。
1995年だとそのほうが、いろいろタイムリーなわけで。

ただ鉄筋校舎であればあったでまた違う怖さがあるもんで、たぶん続編ではそこに着目してるんじゃないかな、観てないけど。
それと都市伝説系、学校系の怪談は出尽くしたわけではなく、いくらでもネタあるんで、今後も同じ系統の映画できるかも。

ところどころ言語というか論理を無くしてしまい、ビガーっとなってドドーンと来てババーンとなるような展開は、当時どころか未だに邦画では定番の、いわゆる病理だろうか、まあ無理にでも映画を締めくくる、ゆう点で便利なんだけどね。
今回は魔法陣の中心で壊れたハニワを戻して旧校舎に囚われていた皆が戻ってくるつうことで、話はわかるし納得力もある。
いろいろ稚拙なとこある映画だが、都市伝説の映像化として、子供向けのホラーとして需要はあると信じていたし、だからこそ続編もできたのではないだろうか。

午後のロードショーだと学校の怪談2も録画してあるんで、近いうちに観てみようかと。

●学校の怪談
普段あまりホラー系とか観ないんだけどね怖いから。
この学校の怪談は昔テレビ放送した時に観て、あまり怖くないと知っていたので午後のロードショーでまた観たわけ。
なんつかね、最初のエピソードは「後ろのメリー」とでも名付けようか、出だしはスゲえ怖かったんだけど、恐る恐る振り向いてみたらそこには・・・・宙に浮いたスイカ? ここで、とっても安心した次第。
ああこの程度の映画なんだなあと。

有名な学校の怪談系エピソードが複数詰まっており、なおかつ当時はようやくハリウッドSFXに追いついた感が、錯覚であった可能性もあるが、とにかくあった。 ゆうてもジュラシック・パークより後の映画なんだけどね。
特殊メイク、メカニカル、コンポジット、クレイアニメなどなどを駆使してどのようなものが出来るのか、ワクワクする内容でもある。
まあクリーチャー系に関しては無理に入れている気がするけど。 それもまた時代というかなんというか、SFXといえばモンスター的なイメージがありすぎて、ついつい盛り込んでしまったんだろうね。
SFX監修みたいなとこに中子真治さんがクレジットされていて、なるほど取材などでハリウッド特撮を知り尽くしただけにうまく出来ている部分もけっこうあるし、ゴーストバスターズ的なキャラクターもそれなりな出来栄えだった。
内容的にはこの頃すでに、やや旧くなってきた学校系怪談、および通常の都市伝説系怪談を組み合わせていて、60年代ですでにかなり進められていた学校の近代化はほぼ完遂されており、よって舞台が木造の旧校舎となっている。
大人からすればまだまだ木造校舎の記憶がある時代で、じっさい木造で授業をうけた人、木造校舎の学級は未体験だけど学校に旧校舎はあり、それを見たことがある人などが非常に多かった。 遠目にでも木造校舎を見たことがあるなら怖さも想像できるもの。
今回の映画はあえて、それを映像化しているみたい。
1995年だとそのほうが、いろいろタイムリーなわけで。

ただ鉄筋校舎であればあったでまた違う怖さがあるもんで、たぶん続編ではそこに着目してるんじゃないかな、観てないけど。
それと都市伝説系、学校系の怪談は出尽くしたわけではなく、いくらでもネタあるんで、今後も同じ系統の映画できるかも。

ところどころ言語というか論理を無くしてしまい、ビガーっとなってドドーンと来てババーンとなるような展開は、当時どころか未だに邦画では定番の、いわゆる病理だろうか、まあ無理にでも映画を締めくくる、ゆう点で便利なんだけどね。
今回は魔法陣の中心で壊れたハニワを戻して旧校舎に囚われていた皆が戻ってくるつうことで、話はわかるし納得力もある。
いろいろ稚拙なとこある映画だが、都市伝説の映像化として、子供向けのホラーとして需要はあると信じていたし、だからこそ続編もできたのではないだろうか。

午後のロードショーだと学校の怪談2も録画してあるんで、近いうちに観てみようかと。

●椿三十郎

全編笑いどころ満載の、何度観ても飽きない名作。
前作「用心棒」よりもやや都会的な話で、まったく劣らないどころかむしろ良く出来ているくらい。
違いがあるとすれば、用心棒は全部たたっ斬っても文句のない極悪人集団を向こうにまわしていてのに対し、今回は役人というか戦国でいえば足軽みたいな連中を斬りまくっている点で、これを後味悪い、と思う人にはいまひとつかも。
ただこうした戦いはまあ内戦、あるいはお家同士の戦争みたいなもので、本来気にすることではないし、じっさい例えば忠臣蔵もそんな話だし。
だいたいチンピラ集団と違って、今度の相手は侍みたいなもので、それを30人斬るとか時代劇の偉業みたいな。
それにしても当時の映画は贅沢だよなー黒澤映画だけか?
映画っていうのはどうも基本的に写真よりも中望遠みたいなレンズを使うのがセオリーらしく、それでいてスケール感を出すにはエラい苦労が必要な気がするのだが・・・むろんセットも大きくあるべきだが、カメラマンなどスタッフが距離を走りまわらないと撮れないのではないかと。 今だったら広角レンズを多用するようなシーンでも標準レンズっぽい絵だしね、ご苦労さんです。

長台詞は映画的ではないと敬遠されがちだが、この椿三十郎では冒頭で面白い話を聞ける。
なんというか若侍というよりバカ侍みたいな9人がアジトに集まって、不正を正したい会議をしているんだけど、相談した馬面の城代はのらりくらりと当てにならず、大目付の菊井に持ちかけたらこっちはテキパキとしてやっぱ頼りになるなーということを話しあう。
内容はそうなんだけど、聞いている我々観客からすると「危ねえ危ねえ」としか思えないヤバさがあって。
純粋で単純だよなこの9人は、講談とか読んだことないのかね、菊井のほうが怪しすぎだろ、と思っていると。
そこはふだん誰も来ない古びた社なんで奥で寝ていた三十郎が出現、我々が思っていることを代弁してくれる。

割りと単純な騒動に三十郎が巻き込まれるというか参加する話なんだけど、敵がけっこう切れ者で長引くみたいな映画。
前作「用心棒」で明らかになっているのだが、剣の達人でしかも頭が切れる、ずば抜けた男という、ある意味スーパーヒーローなんだけど、とにかく状況を引っかき回すのが得意で、でも今回はそれが敵と対等、という感じになった。

今回、三十郎が女性を苦手とすることが判明、ゆうても前作の悪党女将みたいなのは別として。
苦手というか、上品な階級の人々と触れると、ものすごく調子を狂わされるみたいな。
ゆーっくり語られるとイライラする様子が、観ていて笑える。
いい意味で野良犬なんだよな三十郎は。 じっさいイメージ動物は「犬」ということらしいし。

でもって前作よりスケールアップの一環として室戸という、三十郎並にずば抜けた存在があって。
時は江戸時代、なにもかもが型にはまった役人の世なのだが、コイツ戦国時代だったら確実に成り上がってるぞレベルな男。
悪の野心も凄まじく、演じる仲代達矢は顔にドーランでも塗ったのか異様な眼光が際立つ隙のない黒用心棒みたいな。
普通だったらただただ怖いだけのキャラなんだけど、コイツ実は仲間が欲しいと常々思っていたのでは、ともとらえられる。
三十郎を勧誘し、ともに影の番長をやろうぜと持ちかける様は、ホントは友達が欲しかったんだねと同情さえわく。
そりゃそうだよね、あんだけ突出した存在は、誰とも打ち解け合うことができなかっただろうし。
三十郎を見て自分と互角の悪党にはじめて出会ったと思ったのかもしれない。

だけに、三十郎の行動には怒りが収まらない、ということなのかな。
裏切られた、と思ったかも。
というかそう解釈しないと合点がいかないとこあって、要するに室戸が悪党なのは確信犯なんだよね、俺は悪いぞ〜って。
じゃあ裏切られても文句ねえな、とフツーそうなるんだが、ともかく室戸は怒った。
やっぱり三十郎に友情を求めていたのでは、と。
ま、前作から三十郎の手腕というのは、マジでタチの悪い作戦が目立つから、そこで怒っているのかもだが。

で、あのラストの決闘だ。
時代劇に語り継がれる名シーンだが、マジで速いんだなコレが。
どうも現代の映画でもなかなか真似ができないようだが、アクションの素養がある俳優とスタッフ、それとたっぷりの練習時間が必要だから、逆に今は難しいのかも。
YouTubeなどではものすごく速い居合い斬りの達人動画とかあるから現代人でも可能なのだが、ここは俳優がやらねば意味が無いし。 具体例をあげると「日輪の遺産」の勝負シーン、アレは惜しかったな・・・居合い斬りの練習を一週間、させてくれれば。
というか日輪の遺産のばあい作品の目玉というわけではないので、無理せず編集しちゃえばいいのにね。
余談だけど。

語るとキリがないんでこれまで。




●学校の怪談2

今度はコメディだ! 的な第二弾。
まあ前作も似たようなもんですけどね。
引き続き木造校舎の怖さをテーマにしつつ、都市伝説にこだわらない楽しい映画になってました。
ただまあ観ていても騒動の原因がよくわからないみたいなとこもあるけど。
岸田今日子演じる校長がいい味出しているよね、さすがというかなんというか。 この校長が過去に死んだことになっていて、まあ歴代校長の額縁にあるので以前、存在したことは確かだが、首を取られて死んだとかホントかなあみたいな曖昧さが。
少なくとも住職の話だと、それが学校が呪われている原因ゆうことなんだけど、じっさい違うような感想。

だいたい校長が死んだ都市伝説が事実なら、怪死した理由も何らかの呪いだと思われ、むしろ太平洋戦争の亡霊のほうが古参なのだから、そっちに原因がありそうなんだが、どうも明確な理由がわからない。
午後のロードショーの時間枠に収めるため、カットされたシーンがあるのだろうか。
ともかく怪奇現象の原因が特定できないと、物語が収束に向かうタイミングとかも曖昧になるので、そこはちゃんと描いてよと。

あとは明らかに昭和の子供がふたり、混じっているんだけど、最後の最後でおじいちゃんとおばあちゃんと判明。
いやおじいちゃんは従軍して戻ってこなかった言ってたやん。 じゃあ昭和は昭和でも戦前の子供だよ。
うーん、ファッション的にそうは見えなかったな・・・・昭和30から40年代くらいに思えて。
つうか戦前の人間だとあまり話が通じないよ、いや言葉はあまり変わってないけど、用語が全然違うから噛み合わないんよ。
「チンしておいて」とか「ケータイある?」とか昔じゃ通じないし、逆に「手水(ちょうず)をまわせ」とか・・・これは江戸時代か。
そこが今ひとつだったなーという、まあ重箱の隅をつつくよな感じだけど。

それともうひとつあるとすれば、お化けが前作ほど充実ではない的な。
感心したのはでかい昆虫標本セットの中で人と虫が逆転している場面と例の岸田今日子だけど、それ以外に有名な、皆で共感するようなお化けあったっけ。 壁の顔って有名な話なのかな?
もともと怪談には詳しくないんだけど、巨大なからくり人形とかも有名なんですかね。

今回の主役は泥棒だけど、なんか振り向いて悲鳴みたいなシーンがデジャヴで、ぐぐったら前作と同じ人ですな、野村宏伸ゆう人で、映画の「顔」みたいだよなあの振り向き悲鳴は。 この泥棒もまた極めて怪しく、なんで無口な子供の話が通じるんだよとゆう疑問はどうなったみたいな。 まーとことん自己中な泥棒で、子供の都合など知らん、という無責任ぶりなのに笛語が通じるという、それだけで相当な親近感のわく設定だったが、ともかく疑問は疑問のまま。
別に論理的な理由でなくてもいいから「俺も昔その笛会話やったよ」とか言っとけば納得なのだが。
あ、いろいろ掘り下げてみるとけっこう片手落ちなんだ今回の二作目。
まあいいけどね。



●BALLAD 名もなき恋のうた

もう何度目になるやら。
ザ・シネマハスラーやムービーウォッチメンで酷評された映画を、「え?逆に観たい観たい」と借りてきたパターン。
今回は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』のリメイク映画、BALLADを観ました。
つてもこれを書いている段階で、まだ半分なんだけど。

いやーあと一時間もあるのか、きっついなー。
この映画、いちおう表面的には高評価で、GEOにあるかと行ってみたらDVD十本も揃えてありました、スゴいね人気が。
ところが一部では酷評、この違いは何なのか。
要は好きな人は観るし、買うし、借りるし、レビューに高得点もつけるんだけど、観て「ダメだこりゃ」思った人はそのまま忘れる、結果的に高評価だけが残るのだろうと、そーゆーことだろね。
本当にいい映画なら二十年後、三十年後に勝負してみなよ、酷評している我々が正しかったとわかるから。

具体的に何がどうかというと、原案の『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』は観ていないのでそこは割愛するが、BALLADのほうはつまり、戦国自衛隊みたいな現代要素半分、時代劇要素半分、という構成になっていて。
この現代要素がなんかウザいんだよね、とにかく、これでもう0点みたいな。
でもって時代劇要素のほうは、なんか現代人が考えたお話的な、安い史劇で0点。
さて合計何点でしょう、みたいなことになるわけ。
いやこの造りが悪いとも思えないんだけどね、例えば名作「隠し砦の三悪人」も現代喜劇的な造りになっていて、成功しているし。
よーするに不徹底なんだろうね、時代劇を今風に変換する作業が。

ただひとつ良かったシーンは、両親が過去に飛んでくるとこ。
劇中の台詞通り「はやっ!」みたいな笑いはうまかったね。
よって0点という酷薄な採点はここで撤回しときます。
でもその後の自動車で道をゆく場面では早くもいろんな齟齬が生じてきて、後半観るのが不安になってきます。
例えば未来技術である自動車を戦国時代の人々はもっと珍しがるべきでしょ、みたいな。 姫は靴を脱いで乗車してたけど、まあこれはいいや、日本は政治的理由から馬車とか牛車とか普及せず、この姫はおそらくカゴも乗ったことないと考察できるんで。
有名な文明開化ギャグを入れとくのもまあ妥当かな、みたいな。
でも周りの百姓はフツーに農作業してるし、駆けつけた無頼漢も車にはツッコミをいれず、不自然すぎ。
というか未来から子供が来た時点で、残念ながら黒い陰謀が発生しますよ戦国時代は甘くないから。
未来の政治家と懇意になって戦国バトルを有利に進めたいと思うのが自然だろうし、何か未来技術を使って軍を強化したいとか考えるだろうし、タイムワープ少年をあんなに放置しないだろと。
そーゆーいい加減なところは、ザ・シネマハスラーだっけムービーウォッチメンだっけ、宇多丸師匠によるとクレヨンしんちゃんの悪い部分、という説明だったが、言い換えるとギャグアニメだから許される、つまり良い部分だったということでもある。
それをフツーに実写映画化するとマヅイんでないかという杞憂がそのまま具現化。

あとはとにかく長い、何でこんなに長いんだ! と半分観て思う。
それもなんかしみったれた長さなんだよね、どーも好きになれないというか。
作劇の心意気みたいなのが姑息なのかテレビドラマ的な思考なのかソウルやスピリットを感じられない一例として、少年とブンちゃんだっけか、見習い騎士的なアレと夢に見た湖のほとりをリサーチしに行ったとこ。
そこに姫が馬を駆ってやってくると二人がそそくさと隠れる場面。
なんで隠れるんだよ、と思うがマジで自然にそーゆー演出してるから。 ここは隠れるのが当たり前、と思っているんだろうね作者が。
この草むらに隠れる行動に意味はなく、追い剥ぎ登場とともにすぐ姿をあらわすという。
古代とかの庶民が歩いていて、豪族来たら草むらに・・・というのとは違うだろ、つか現代劇でもそんな風に「誰か来たらとりま隠れ」ってやるだろうな、ホントこの手順が、ドラマとして正しいと思っている昨今の映画作家が・・・いやまあいいや。
だいたい武士の端くれに対してブンちゃんって何よ、今どきの子供がいくらアホだとしても、ここまで空気読めないってことはあり得ず、つまり映画を作った世代、我ら大人の方がアホなのだということかなるほど。

だから現在の価値観を持ち込むなっての、テルマエ・ロマエなんかも映画は面白かったけど、そこだけは引っかかった点で。
テルマエでいえばすべての道はローマに通ず、とゆーくらいで興行から建築、美術や司法、そして風呂文化までもが遡ればローマに辿り着く偉大な文化なのに、なんで現代日本人が偉そうなんだよみたいに思った。
今回のBALLADもねえ、戦国時代に対する敬意が足りなくね? と早くも感じられる。
だいたい誰でも、時代劇を観るときは自分自身を時代劇モードに変換しているものだよ大なり小なり。 だから戦国時代人に半分なりきっている脳内で、思わず現代少年を何度か手討ちにしてしまったよ、乱暴だけど。
思い切って隠し砦の三悪人的なギャグ映画にしてしまえば、ぜんぶ許せるんですけどね。
テンポもよくなるだろし。
具体的なこと言うとだな、BALLADの悪いところってアイデアを出したけど煮詰めず放置している点で。
だから現代少年が戦国時代に適応しようとせず、なんか生意気なのはそれはそれでよかった。
その生意気をそのまま放置してるから問題なのであって、少年が失言するたびに殿が仁王立ちして「斬る!」と抜刀しようとして、まわりの家臣たちが「未来人のすることですからご容赦」みたいに一斉になだめるようなギャグを三度くらい繰り返せばおkだった。
自動車の件も、背景の農民が珍しさに見とれ歩いていると水路に落ちるホットショット的笑いを入れておけばみたいな。

ちなみにライムスター宇多丸の映画評で酷評された映画、とくに邦画で共通している点がこの「アイデアを煮詰めていない」ゆう部分なのは・・・・まあここではあまり関係ないか。

ついで話だけど、まだ半分観てないのに、ウィキペディアで情報読んじゃった。
ここでは合戦シーンでの流血描写がない点について、監督の「子供が観る映画にしたいから」という意見、それは賛同する。
ただ・・・子供が観る価値があるかどうかという問題があって、これは微妙だぞ、と。
うーん、うーん、なんか映画は子供向けのほうが作家的に敷居が高い的なことを宮駿監督が言っていたような。
このBALLADが「子供に見せる価値があるのか?」「あります」と即答できればいいんだけど、うーん、微妙だなあ。
決して無価値ではないと思うんだけどね、戦国時代に現代人、という話は。
ただ「絶賛できる出来栄えか?」「出来ません」とは即答できる。
いろいろ文句言ったけど、まー「うまくはない」という程度なのかも知れないね。
じっさい罵詈雑言するほど熱が入らないし。


●後半観た

あーなんか力抜けるなあ・・・。
まあ観たんですけどね、いちおう。
合戦シーンはそれなりに、皆の知らない戦法、などが描かれてこれは原案のクレしん映画からなんだろうな。
なんだけど、やっぱ現代人パートがぜんぶ邪魔だわ。
テンポを阻害しているみたいな感じで、どーにも納得がいかない。
最後に敵将の首を取らない、というのはまあいいね、助命すれば感謝されるのは当然で、まーステレオタイプのサムライだと逆に怒るかもしれないけど(例:隠し砦の三悪人の田所兵衛)歴史的にみても敵を逃がせば器の大きい奴だと好評化みたいな話。
そーゆー粋な計らいができないからこそ戦国時代になっとるわけで、ここで現代人が無意味な殺生だと諭すのはわかる。
数少ない現代人活躍シーンだ、ショボいけど。
ただその後の展開がもー、もったり遅くて、なおかつ現代流の味付け時代劇全開で。
それも単に無知だから、という可愛いレベルではなく、姫が大きく手を降ってお出迎えのシーンでは隣の者が「はしたない!」と言って姫のたもとを押さえている、つまりちゃんと歴史考証ができた上で、確信犯的にやっているわけ。
その後の姫が走りだすシーンもね。

つか未来の日本では春日の国が残っていないから奮戦は無駄だった、これからは自由に生きようとか・・・アホちゃうかと。
突っ込みどころ多すぎてうまく言えないが、まず目先の生活、領民の財産、その他の諸々を守る戦い、という意味合いもあるんですけど。
つか春日の国が残ってないって消滅したわけじゃないだろ、名を変えて、様々な国が併呑され、あるいは分化して今では県などの形で残ってますがなきっと。 当時、戦国時代の方々ってそーゆー理屈で動いていたとは思えないし、数百年後を考えて生きてるようにも見えない連中だし。 春日国という独立国家が存在してなきゃヤダーとか言うか? 戦国時代のヤツらが。
あとみんなで自由に生きようぜ、って具体的に何?
現代人でさえ時代の制約にとらわれて生きているのに、何がどうあれば自由なのかと。
「戦国時代の人々は窮屈な強制観念に囚われて生きているなんてかわいそう」という、現代人であるスタッフの上から目線を感じてとにかく不快なんですが。
戦国時代はある意味、今よりよっぽど自由みたいな考え方もあるんですがね、ただいづれにせよ「力こそパワー」みたいな根源的な原理は健在で、それゆえ制限はあるが。
数多くのアメリカドラマ、映画で登場する移民、怪物、怪人のたぐいは最終的に「アメリカの市民権を得ることが最上の幸せ」という法則みたいで、なんかね、現代人みたいに自由に生きるのが幸せなんだよ、というメッセージか? なんかもうヤダ。
昔が上等などとは思っていないが、上から目線みたいなのは最高にヤダ。

ま、ライムスター宇多丸の映画酷評を聞いて「自分も苦行に参加」的な意味合いで観ているんだけど。
宇多丸師匠が絶叫していた「バカじゃないの!?」のシーンはもう解説のとおり、ラジオのトークを聞いて想像したとおりの絵でした。
現代に戻ると石碑が立っていて、そこに「ありがとう」って書いてあるんだよね、確かにバカじゃないの?としか言いようがないですはい。

とまあそんな具合です。
だいたいが想像通りです。
ゆえに激高するほど怒ってないです。
はい。


●赤ひげ-前編

BALLAD 名もなき恋のうた、をイマひとつな解釈だなーと思ったので、次は隠し砦の三悪人でも観て口直しオモタけど、赤ひげを観たくなったのでそちらを。
まあ三時間クラスの長い映画なんで、半分づつ観ます。

これはホント、黒澤映画だからとか有名作品だからとかでなく、面白い映画だよな。
むろん黒澤明印の個性もあるんだけど、昔の映画は基本、面白いと相場が決まっているんで。
主役の赤ひげに三船敏郎という安心感もあるが、相変わらずキャラ設定がうまく噛み合っているみたいな。
とにかく嘘つきで頑固なボッタクリ医者赤ひげの個性、奉行を脅迫して現金をせしめ、人の意見も聞かない横暴さで、街で暴れては大勢を脱臼させる暴虐ぶり、この赤ひげの妙なカリスマぶりが映画の面白さを引き立てているのは間違いない。

でもって前半ですでに、ドラマがギュウギュウ詰めなお買い得感なんだよね。
じっさいに複数のドラマを述懐する方式で語られていて、診療所の患者たちの人生はそれぞれ一本の映画のような贅沢さ。
まあただ、カマキリ女のくだりはやや退屈だったかな、撮りっぱなしみたいな印象で。
対して例えば、六助の娘編は講談の名人みたいにうまく語られているし、佐八編では再現ドラマ的にちゃんと撮られているし。
とゆうか診療所のルーキー、加山雄三の初出勤みたいな感じで始まるが、そこから面白いことこの上なし。
来たくないのにイヤイヤ来ているんだよね、コイツは。
ただでさえ結婚に失敗した的に荒れているのに、どーゆうわけか出世街道からいったん離脱して場末的な赤ひげ診療所に勤務することになって、俺、確かなコネもあるエリートなのに何故こんなことに? という疑問もあるが、逃げるに逃げられない。
横暴な赤ひげの元、ふてくされながら勤務という流れ。
この件、何がどうなったのか後で判明なんだけど、いいね人情劇、みたいな話。

またこの加山雄三が気概あるというか子供というか、まあ骨はある的な人物なんだよね。
なんでこんなところに追いやられた? 逆らってやる、禁じられたことは何でもやってやる、向こうから出て行ってくれと言わしめてやる→うむ、気に入った、みたいな展開がナイス。
とんでもない海賊診療所みたいなとこなんで、よっぽどの男でないと務まらず、メガネにかなっちゃったわけ。
こうして加山入隊、もひとりそれなりの秀才で、赤ひげルールを理解できる土屋嘉男と三人で物語が進んでゆく。
このへんのドタバタ喜劇っぷりが楽しい。

余談だけど赤ひげって我道の医師みたいな独特なキャラで、手下はブラックジャックもとい加山雄三だし。
これがなんか時々、シャーロック・ホームズを連想させるところがあって。 腕っ節の強さとか、金持ちからボッタクって庶民は無料で治療したりする独善的なとことか、やや自虐的に自分を評価しているところとか。
そこまで我が道を行く男なのに、明らかに「他者」を必要としていて、もし自分のすることが目に余るようになったら、遠慮なくこの件で責めてくれ、みたいな話がシャーロック・ホームズの「黄色い顔」のラストそっくりだったりする。
そいや「ベル ある伯爵令嬢の恋」でも「黄色い顔」を引き合いに出したっけ、イギリスにおいて黒人の子供がどんな風に思われていたか、考察するためのひ貴重なデータであるような気がするエピソード。
ちょい話ズレた。

三時間映画で途中、トイレ休憩みたいなインターミッションが入るが、ここでいったん切り上げた。
単純に考えて一時間半か、よくもまあ詰め込んだなと感心する充実ぶり。
ここに来てもうひとりの主人公、加山雄三はすっかり正道に立ち返っているので、今後は具体的な活躍というわけ。


●ミラクル7号

なんか情弱すぎて存在を知らなかった映画。
いやタイトルくらいは知ってたけど、チャウ・シンチー作品だとは・・・それ聞いてあわててHULUで視聴。
つかHULUにあるってのがいいよね、あわてて→視聴という、反射的な対応ができるんで。
余談ながらカンフー・ハッスルもあったんで、こちらも観ねばと思ってます。 赤ひげ後編は後回しにしてでも。

少林サッカー、カンフー・ハッスルでもう映画屋としては立派なもんだと評価してるんだけどねチャウ・シンチー監督。
例えば・・・何度か引き合いに出している映画「あずみ」に登場するショボいモーフィングに対して、少林サッカーの似たようなシーンはうまく出来ているのは、映画としての基本がしっかりしているからではないかと。
カンフー・ハッスルでは味方陣営の達人が六人も登場するのに敵は三人だけとか、構成が非常にうまかった。
九人のバトルロイヤル展開なわけで、わかりやすいし後半で物語がラストに向かって急速に収束してゆくし。

そんなわけで期待して観て、じっさい期待通りでしたミラクル7号。
ただひとつ、アクションらしいアクションはなかったけどね。
近年はCG等を使って様々な表現ができる時代だけど、たまーに辟易することもあるのは、安易すぎとか下手すぎみたいな理由、それの元祖である少林サッカーのチャウ・シンチー監督は、さすがに技術の使い方がうまいなと感心できた。 要はじっさいの撮影が困難な場合や出来栄えのアラをごまかすのではなく、シーンをより良くするためのCGみたいな。
まあ今回は宇宙オモチャ犬がCGキャラなんで出番は多いけど、とにかくうまい。

内容的にもベタだけどやっぱ感動するという。
ただオチの付け方がいつもながらやや甘い感じもあるが、ぶっちゃけもっとダラダラした邦画を見慣れているので、全然おk。
なんでだろうね、この映画観ると基本が大切だってつくづく思う。
繰り返すけど最近の邦画がどーもパッとしないので、焦燥感みたいなのが常々あって、それで海外の良い作品観ると考えさせるわけ。
ホント比較するのはアレだと思いつつ、やっぱり比べずにはいられないんだけど、少林少女に出てきた中国人の女優さんが、このミラクル7号では教師として登場するのに、見栄えがぜんぜん違うなーと。あとはお馴染みになりつつあるラム・ジーチョン、少林サッカーで卵を食ってた太ったヤツ、彼も工事現場のボスとして登場するが、比べるの失礼と思いつつ、少林少女での寒いギャグ担当という扱われ方が酷くて、思い出さずにはいられないという・・・・なんか少林少女って映画界に恐ろしい傷跡を残したよね、そう考えると。

歩行者信号機が赤から青になるシーンなど、ホントうまくてさりげないなと思うミラクル7号は。
当たり前のことを当たり前にせよ、と植木等演じるスチャラカ社員が偉そうに言っていたが、そのとおりな作品かと。

余談ながら香港映画ってよく聞くけど、中国映画とはちゃうのか?
もうイギリス圏ではないと思うのだが、どーなんだろ。
まあいいけど。






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次はabout-15.9となります。
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