なんか怪獣イラスト/怪獣の話などのてきとうwiki

   

なんかabout-16.3-2からの続き




●2015.3. 26 バイクのリアタイヤ

なんかこのwikiをブログに使ってるので、読み返せばわかると思うが。
14年の8月に入れ替える予定だったので、一年半以上、先延ばしにしていた。
もう当時からパターンがなくなって腐っていたので、良くないことです。 目先の小さなことから散財するんで余裕がなくて。

ちなみに入れ替える当日の画像。

まったくもってツルツル。 走っていて極端な不都合はないのだが、やっぱりバンクしても違和感というか、これだとむしろバンクしきった状態が安定しそう。 それよかセンターの溝がないと雨の日に排水性が発揮できないしちょっとの異物でパンクしそう。

バイクはゼルビス、250なのにでかくて動力性能に問題アリ、と言われるが、じっさいオーナーはじめ広い人気があるのはなぜか。
要は動力性能とかたいして問題じゃないんだよね実は。 例えば同じく250ccのビジネスバイク、CD250Uなんかは20馬力くらい、大型スクーターであるフュージョンとかも同じくらいでバカでかい、でもどちらも人気車種だし。
まあそのへんはタイヤに関係のない話題だが。

ともかくゼルビス、あるいはVTなどを選択した時点で、けっこー方向性が決まってる。
用途は街乗りメイン、通勤通学のキング、そんな車種であって、カワサキのバイクとはやや違う雰囲気。
なれば雨の日でもガンガン走るので、バイク屋行ってタイヤ交換の際はそのへんを伝えるのが常だった。 そーするとたいてい店員がカタログなどを睨んでけっきょく純正タイヤを選んでた。
そんなこんなで雨の日でもよく走るタイヤを選ぶのにたいして知識はいらん、パターンとかみてそれっぽければ大丈夫、とわかった。
トレッドパターンが多ければ晴天時のグリップは稼げないが、雨の日は差異が少ない。 簡単な話。
だからムチャクチャトレッドパターンが大きくて多いオフロードバイクが人気あるのかもね。
悪天候の日に落ち込まなくて済むから。

タイヤ交換というのはなかなか決断しないもので、ついつい減った状態で走ってしまう。
かなーりすり減ったフロントタイヤを交換したのが数年前、走りが激変したのに驚いたもの。
ゼルビスを買って最初にタイヤ交換したさいに選んだのはブリジストンBATTLAX BT-45で、純正タイヤと同じような特性で、仮にもブランドがあるのでお買い得感が高い安物みたいな。
雨の日に強いというヨコハマのスピードラインとか買ったこともあるが、近年は見かけないのでBT-45にしたのだと記憶。
そんなわけで前輪もBT-45にしてあるわけ。
後輪はわりといい加減に選んでも大丈夫だと思うが、今回もBT-45を選んでみた。


だが溝の口2りんかんにはゼルビスの指定サイズがなかった。
指定サイズは130-80-17
店においてあるのは130-70-17
ふたつ目の数字は扁平率で、これが違う・・いろいろネットで調べたが、扁平率が違うタイヤを履く、というのは普通にあることとわかった。
ただし違う扁平率を履いて、走りがどう変わったとかはあまり情報なし。
そもそも納得いかんのだが、扁平率という数字は大きいほど「扁平率が高い」となるようで、逆じゃね? と思えてならないのだが。
扁平率が100のとき、タイヤ断面は真円のような弧を描くわけで、数字が小さいとひしゃげたまんじゅうのようだ。
小さい数字ほど変形しているわけで、なのに100に近い数字のほうが扁平率高い、と言うわけ? わかんねー。

まあいい。

結論として130-70-17を買った。
店員にも相談したが、タイヤ直径が小さくなるのでギアレシオが変わったような感覚と、じゃっかんシート高が低くなる点を指摘された。
走りの影響とかはたいした問題じゃないらしい。
上記の変化がある点、念書みたいなのにサインしたが、とにかくタイヤ交換した次第。


何度かこのwikiに書いたと思うが、最近はサイドスタンドがすり減ってバイクを停めてもかなり傾くのでやや違和感。
じゃあシート高が低くなって好都合じゃん。
またギアレシオが変わったような変化って、よりローギアードっぽくなって、つまり出足が速くなってけっこうなことだ。
どちらにせよ一割未満の変化なんで問題はなかった。

走りはどうかというと相当ナチュラルになったっぽい。
が、最初は戸惑う。
説明が必要だが、これまで何年も限界を超えて使ってきたタイヤは、接地面がすっかり削られてセンターの溝さえ見えなくなっていて、かなり平らになっていたのでバンクに移行するさい不自然さがあったと考えるべき。
その不自然さがなくなって逆に「あり?」となるわけで。
にりんかんを出発して246ではなく下の道を行って、最初に高津のガストで左折するじゃん、天体戦士サンレッドでよく舞台になるあそこ。
何気に曲がったらバンクし過ぎでちょい焦った。

これまで意識してなかったが、今までバンクに移行するとき、最初の挙動で余分な力を入れていたんだよきっと。
センターだけボウズになったタイヤだったから。
新しいタイヤは倒しこむ時に余分な力がいらなくなったんだろね、普通に。
またなにかしらの違和感があったが、等々力緑地公園につくころには慣れたというか、たぶんタイヤを入れ替えた直後って人力でバールのようなもの(ギャグではなくてホントにそんな工具、靴べらのタイヤ版みたいな)を使ってねじ込んだ際にムラみたいな吸着をしていて、それが走る際に膨大な回転エネルギーをまんべんなく与えられて均一化してゆく・・そんな感じでタイヤがホイールに馴染んでゆくのでわ。

後ろの足回りが軽くなったような気がするが、まー気のせいかも。
そう思うのは良い意味だけでなく、路面の状況を拾って暴れるような・・・ただ、リアが暴れてもまったく不安感がない。
これも新品タイヤだから、もとい極端に摩耗していない普通のタイヤだからだろうね。

ところで最近はタイヤ換えても「しばらくは滑りやすいので注意してください」とは言われないんだよね、じっさい新品タイヤを触ってもかなり粘度が高い印象で、表面が中身と同じなのだろうか、剥離剤とか使わないとか、使っても完全に洗い落とせるとか、そんな感じで工程が進歩しているのかも。
以前はもっと、表面がプラスティックみたいに硬かったような・・・何かの思い違いかもだが。

まあとにかく、扁平率を80から70にかえて特に問題はないんじゃないかと、まだあまり走ってないけどそう思う。
扁平率の数字が低いのは「よく曲がるバイク」を目指したころの名残だし、よりバンクしやすいってことだと解釈していいみたい。
それで直進性が劣るわけでもないだろし、後輪がやや小さくなっても差異はあまりないし、あっても好都合な変化だし。

なにより安かったな、工賃込みで15000円をわずかに下回った。
そして問題がひとつ解決してスッキリ。
いやよかったよかった。

とまあそんな話。





最近観た映画



●ゴジラvsメカゴジラ

なんか最近にもDVD借りて観た気がするが、vsメカゴジラです。
このまえvsキングギドラ観たんで、順序でいえばモスラなんだけどあえてコレに。
iTunesStoreでSD画質300円だったが、奮発してHD画質でも良かったかも。

ゴジラvsキングギドラからの正月興行から数えて三作目、いわゆる平成ゴジラとして四作目、ストーリーにつながりのある1984年版から数えると五作目、まあ84年版は初代54年版とも繋がりあるんでややこしいが、そんな感じの立ち位置がゴジラvsメカゴジラ。
かなり脂が乗っている時期であり、かなーり無難な脚本に仕上がっているような気もする。

観た感じを言うと、とにかく堂に入っている、と思えた。
この作品独特の重量感があり、平成ゴジラは何かとダサ目なんだけど、これはまー許容範囲みたいな感じもあるし。
なによりオープニングの伊福部音楽でつかみは十分、コレでもう幸せな満腹感で店を出られるみたいな。
内容的にもあんがい、ドッカンドッカン景気の良いことをやってるし、この作品のために造ったのではないと記憶するが、ゴジラの着ぐるみも妙な迫力があった。

メカゴジラが登場する作品としては三作目なんだが、不思議とメカゴジラ回は「火薬の量が多くなくてはならない」という伝統があるようで、特撮も派手。
サウンドデザインもわりといい感じで、ゴジラの足音とかなかなか重量感があっていい。
ただひとつ文句があって、ラドンの造形はともかく、動きが硬すぎ。
火薬を使った特撮に耐えるためだろうが、アレじゃ駄目だろと思う。 造形と動き、どちらかしかとれないなら動きをとればいいのに、と思う。
特に問題なのはラドンのアップで、つまり首から上がもうガチガチで、ほんとフォームラテックスのような高等技術でなくてもいいからせめてフォームラバー(確か当時でも東急ハンズで買えたはず)でも使い、スポンジのように柔らかいハンドギニョール使えば一発解決だと思うのだが・・。 予算がないはずがないんで、考える時間がなかったのだろう。

どうでもいいけど、このときの小さなゴジラザウルスがミレニアムゴジラなんだっけ?
もちろん現時点ではコイツが凶暴なゴジラになるとは限らない、人類の敵になると決まったわけじゃない、という感じで保護してるんだけど、その後を考えると皮肉なもんですな。 けっきょく機龍によって海底深く眠ることになったわけか。
あれ? 途中で金子監督版ゴジラがあって、それは別ストーリーだっけ・・じゃあどこまでつながっとるんだ?

いろいろ語ろうと思ったが、なんか混乱してきたのでここまで。


●モスラ-1996

いやーホントひさしぶりに観た。
まさかHULUにコレが来るとは思わなんだ、感心感心。

劇場に観に行ってそれっきりな気がするんで、じゃあ19年ぶりか。
どうもVHSレンタルでも観たような記憶もあるようなないような感じだが、あるようなないような感じはないものと考え、やはり19年ぶりとしとこう。

この作品が話題になることはほとんどないんで、そこで世間の評価は決定してるようなもんだが、自分的にも高評価はしていない。
なぜならモスラ映画は豪華である、という伝統がだんだん擦り切れていった結果、ついに子供向け興行になったので。 いろいろとスケールダウンしているし、ゴジラvsモスラのように上っ面だけ環境保護とか持ち出す姿勢は同じだが、今回は開発する側の人間とその家庭を描いて、深みを与えたつもりらしい。
まあ確かに思ったほどには安っぽい話にはなってないけどね、深くて感銘を受けるほどかというとそうでもなくて。

また特撮的にはがんばって、それまではハリウッドなどでしかできなかったことを、ハイビジョン合成なども駆使して実現はしている。
合格点かどうかは観る人次第だが、まー個人的に及第点だと思う。
ガルガルの動きとかケッコーしなやかで、ゴジラvsメカゴジラのラドンもこのくらい動くべきだ、というのはスタッフもわかっていたんだろうね、スケジュール的にムリだっただけで。
ただ当時、かなり辟易したのはベルベラのキャラクターデザインで、社会人一年生くらいの女性に曽我町子的な衣装、メイクをほどこしているわけだが、まー安っぽいなーと思ってうんざりだったが、いま観るとそれほどでもないようで、どうもアニメなどの影響か、このていどはステレオタイプ的にアリ、となったみたい現在では。
でもコイツ、シリーズ通して知った今では「ちょい可愛い、許せる悪党」くらいの人物造形らしいが、いま平成モスラシリーズ(いま造った造語だが)の一作目をみると、モスラが負けて死ぬ、という場面で高笑いして喜んでいるやん、許せる範囲を踏み越えてますよ、ベルベラさん。

あとモスラの矮小化というか、インファント島の守り神だったのに今回どーよ、と思ってしまう。
使い魔ていどの小美人、エリアスがモスラ幼虫をみて「あの子、とても勇気がある」ってあの子よばわりかい!
つか島民はどこいったって話に。 サイズが小さくなったのはまーかまわないけど。
最初の登場以降、ずっと順調に小さくなってるし。
それとゴジラvsモスラからだけど、描写が手軽すぎになってきて、もう冒頭のキラキラ鱗粉が収束して卵になるとことか、幼虫成虫のあらゆる部位から光線が出るとか、どーよという。 今作から既に分身の術使ってるし。

ストーリーは前後編みたいな雰囲気で、ぶっちゃけ後半の記憶が薄い。
当時は忙しい中、元旦に急いで浅草までバイクを乗り付けていたので、疲れてウトウトしてた可能性大。
前半、けっこーテンポがいいのに、後半どうもノリが悪いのでそれも影響してるかも。 そういったことを十年やっててさすがに懲りて、最後の正月興行には途中までバイクで、あとは電車で行くようになったんだっけ。 今ならぜーんぶ電車を利用しようと考えると思う。
寒い中バイクで川崎市から浅草ってあまりにキツいんで、今は真似できないし。
違法駐車が認められるほどおおらかな時代でもないし。

ところでこの前、ジュラシック・ワールド観たときにすかさず連想したのがこの平成モスラ。
ラプトルを手下にした戦略性などが分身の術を思い起こさせるのだが、それ以上に擬態能力が。
じゃー次のジュラシック・ワールドシリーズのインドミナス・レックスも読めたな。 まずは水中モードを身につけ、島から外へ出る危険性をアピール、次はアンキロサウルスの鎧を身につけて無敵に、という展開かな。
ジュラシック・ワールドってレジェンダリーだっけ? あそこの連中は日本の怪獣映画も観ているんで、けっこーあり得る。

とま映画の内容から雑談するとこんな感じなのだが・・・あとどうしようかな、まだ関係する話あるが。
ま、いい機会だから記しておこう。

むかーし趣味で8ミリ映画やろうと思って、カメラだけは中古で10台くらい揃えたのだが、フィルム代高いし実力もないんで近所を撮影するホームビデオもといフィルムしかできなくて。
ホントはモデルアニメーションをやりたかったのだが。
でも自分の身の回りを撮影していてよかったと後日、つまり今になってつくづくと。 いい思い出記録だ。
その8ミリ映画記録の最後のほうが浅草東宝に行ったさい、その周辺を写したものだった。
おそらくその時の映画がこの平成モスラだったとおぼろげ記憶。
まー数年前に映写機のランプ買い換えているため、いつでも観れるのだからフィルムかけて確認すれば、映画のポスター映っているのでわかるのだが、今はめんどう。

ゆうても二十年近くになるのだな、8ミリ映画を趣味にしていた最後のほうは。
何もかも懐かしい。

ということで。

●モスラ2 海底の大決戦

HULUに平成モスラが三作ぜーんぶ来てる。
最近はなんかミラーマンを観ていて、特にスゴいとも面白いとも思えないが何故かミョーにハマっている。
主人公の鏡京太郎(だっけ?)の衣装が毎週違ったりするので、70年代ファッションチェーック! とか言いながら観るのもよし。

でもやっぱ映画も観たいのでモスラの二作目を。
うーむ懐かしい。
何度か言ってるがゴジラvsキングギドラ、というよりゴジラvsビオランテも観ているが、ファイナルウォーズまで東宝特撮の正月興行はぜーんぶ観ているので、平成ゴジラとミレニアムゴジラの合間にある平成モスラ三作もちゃーんと含まれている次第。
でも浅草東宝で観た後に、レンタルビデオで観たという記憶が無い。

けっこーツボなんだけど・・南国(つか沖縄)、海底遺跡(話題になっていたが、取り上げるの速かった)と二拍子揃っているわけで、プロットとしては最高によろしい。
だがじっさいに観て、それほど感銘がなかったような気がして、レンタルでは観なかったのかと。
いま観かえして、理由がわかった。

編集がなんか変なのです。
上手くないというか・・編集が甘いというのなら、それは編集担当が下手なのではと思うが、これは監督が下手なのでは・・根拠はないが。
シッカリした映画なら観終わったあとに「観た!楽しんだ!面白かった!」とチャキッとした想いになるはずだが、なーんかそうはならなくて。
「モスラ2? 観たよ〜、まあ楽しかったよ〜、うん面白い映画かな?」みたいな。

映像的にはわりと見どころはある作品で、海上を驀進するダガーラとか東宝得意の、何人も綱引き状態で引っ張ることによる迫力の海シーンとなる。
また浮上する海底城とか、重機を使ってプールから引き上げたそうで、最近の安いCG使った海外特撮などでは真似できない効果がある。
むろん大予算ハリウッド超大作のスゲえCGとかに比べりゃリアリティに欠けるが、平成モスラの製作費考えるとスゴい絵を実現してる。
あとは海底城の中とか、ワンブロックだけ作ってそれを特殊効果で延々と続くように見せたそうな。
総じてこの海底遺跡、よく出来てる。

それと特筆すべきなのか、わりと見慣れた満島ひかり、このころは可愛かったのだなと改めて思う。
いやまあ今でも可愛いし、ウルトラマンマックスのエリー役も良かったけど、あの時はミズキ隊員役の長谷部瞳さんに注目してたんで。
編集が変、という点の他にゴジラvsモスラ以降の、テキトーファンタジーが絶好調の時期でして。
ゴジラvsモスラではバトラ幼虫がビカビカビヤーッと発行したかと思うと次の瞬間には成虫になってたり、身体中のあらゆる部位から光線が出るし、もうすでにいーかげんだったのだが、平成モスラ一作目でキラキラ鱗粉から卵に、小さなモスラ群体に変身とかやってて、今回はなんでもアリ的な。
だからモスラがダガーラにやられててもあまり危機感がないんです、もいっかい群体になって再構成したらいいんでね? ダメージのぶんサイズは小さくなるかもだが、くらいに思えて。
だいたい相手が強敵なら「早く新技開発しろよ」となるし。

あ、まだあった。
なんかゴーゴというマスコットキャラクターみたいなのが登場するが、それ以前の問題が。
そもそも平成ゴジラのときにモスラを復活させた理由として「かわいいと女性に評判があった怪獣だから」というのがあったと記憶するが、そこに無理がある。
まあ当時(平成ゴジラから平成モスラくらい)の東宝がどんな会社か知らないけどさ、想像するにギャング映画みたいな中年から初老のいかつい男たちが寄り集まって、バーボンとか煙草を肴に企画会議とかしてたんだろうね・・・それで可愛いものが出来るわけないと思うのだが。
モスラってそんなに可愛いかなあ、つか女性ファンとか意識しても甲斐があるのかなあ、とか思うし、ゴーゴは遠目にモグタンとかモンガーみたいだが、寄ってみると人間の顔しとるやん、あれ可愛いつもりでデザインしたのかな・・と。
まあその昔のアニメ制作会社では、魔法少女アニメの企画会議で男たちが魔法の呪文とかのアイデア出し合っていたそうなんで、そういうものかもだが。

個々のプロットはいいんだが、やっぱり何度も観たい映画じゃないなと再確認。
つても嫌いな作品でもないし、悪い作品とも思ってはいない、ただ傑作ではないというだけで。

とまあそんな感じ。


●モスラ3 キングギドラ来襲

えーっとモスラ3です。
HULUに三部作が来ているので・・って前置きはもういいとして。
劇場に観に行った当時からなーんか困った作品かなという感想が。

いや、そんな感想さえわかなかったような気がする。

いちおう映画館で眠っていたわけではないんで、内容はちゃんと覚えているけど。
どうにもこうにも印象が薄い作品で・・・。
部分的には、悪い意味で記憶に残る映画でもあるが。

まず主人公はあの少年ですか、なんか特殊事情なのかよくわからんが学校には行かず、でも特別悩んでいる子供、という風ではなくて、とにかく空気のような、あるいは幽霊のように画面の中、ただ存在する感じ。 幽霊であればまだビックリ仰天なんだけど。
そこからもう求心力のないストーリーなわけ。
一作目、二作目もそうで、まあ今どきの子供に限らず、ちょい昔の映画でもそうなんだけど、子役で物語を回すのは難しいだろうと思うが、でも前作まではベルベラやエリアス、ゴーゴに出会う事自体が冒険だったのでムリがなかった。 怪獣モノの子供ってつまりそういうもんだろうと。
怪獣だけじゃない、フツーの日常を描いて成功する作品はごく稀で、サザエさんでさえ毎週、何らかの小事件がおこるもの、登場人物にも特徴がなくては観る側が困る。
ガメラ3みたいに両親妹を怪獣災害で亡くしたみたいな孤児とか、そのたぐいの強烈なキャラクターなど、現代人の子はあまり望めない。
人物のバックグラウンドが普通の現代人でも最低限、「これから」日常とは違う冒険がはじまる・・ということでないと映画にならないし、それで一般市民がドラマティックになるならそれでもいいよと。
でも今回、そういうわけでもないようで、とにかく希薄。

他の内容でも例えば、エリアス三姉妹のトライアングル、あの剣はまったくどうでもいいアイテムだったようで。
登場したときにはケッコー期待したんだが、力を合わせる象徴みたいな感じで、集めるとどうこうなるわけではないのか、ふーん。
でもってテレビ特撮みたいな、説得力に欠ける展開は相変わらずで、効果もわからないビームを身体のいろんな部位から出して・・って何度も呆れているのだが。
この時代ならすでに「ワンビース」が売れている頃で、あの作品は考証のないビームは出ない、という特徴があるのだが、こうしたビームドラマのアンチテーゼなのかもしれない。
さらにタイムワープという大技というか、またまた開いた口がふさがらないことに。
エリアスのひとりが生命を賭ければ出来る、って普通は何人殉死してもできません。
そこで恐竜時代に話が飛ぶが、それは後述。
問題は太古の昔から現在まで帰る手段だが、タイムカプセルを使うときた。 うーん一万二千年でも長いのに、一億三千万年はかなり難しいと思うよ。
そもそも「なにを目覚まし時計にするか」、つまり何をキッカケに再起動するか、というのがありとあらゆるファンタジーや冒険活劇の重要素なのに、このモスラ3では、そこんとこ全く触れていない。 キングギドラ復活したときに、なんの前触れもなくイキナリ山の中から登場、これでは面白みに欠けると思うのだが。
「何かが目覚める予兆では・・」ってのを映画の冒頭でそっと用意して伏線にする、これが普通ではなかろうか。
最後は怪人倒した瞬間、全部の感染患者が元通りになりましたみたいな、仮面ライダーもビックリな、でも恒例のオチが。

あとやっぱ今回も編集、下手じゃね?
前作は編集の間が悪い印象があるんだが、今回は繋ぎが変な気がして。
でもってやっぱり言わなくてはならないだろうが、恐竜時代。
これは製作の現場ではなくプロデュースが悪いのでは・・と思うのだが、仮にキングギドラを25分の1で作ったとして、恐竜もそれに合わすかな普通。
ティラノサウルスでさえ30センチくらいになり、じっさいギニョールとしか思えない出来で、あとでウィキペディアみたらホントにギニョールでした。
映画館で観て、けっこう驚いたんだけど・・出来の悪さというか、大胆さに。
この絵を作るなら予算と準備期間が必要なのだが、まあ間に合わなかったなら仕方ないか。
なんつても恐竜素養(いまつくった造語)がないからね、当時は。
2000年頃からの恐竜ブームというか恐竜テレビ番組ブームがあってはじめて、恐竜を造れる(描ける)人が増えたのだろうし。

ちなみに鎧モスラの必殺技は、マッハ15で突撃するものだとパンフレットに書いてあったような。
それで超加速して突っ込む絵が自分の頭の中にあったのだが、今回17年ぶりくらいで観たらあんがいユックリモッタリ。
どうも仮面ライダーファイズの「エクシードチャージ→超加速」というイメージが脳内で鎧モスラ技とゴッチャ煮になってた模様。

最後にひとつ、前作もだいぶんアレな作品だったが、今回はより印象薄い映画になった理由。
たぶんそれは、ロケーションの魅力がイマひとつだったせいでは。
最初は北海道、次は沖縄、今回は青木ヶ原樹海で、これまでは北海道でっかいどうとか南国沖縄とか、そんな雰囲気をうまく使ってたのに、今回のモスラ3では青木ヶ原樹海の魅力を出し切っていないと思う。
まーひとつ言うならば、ベルベラのデザインが変わったのは良かった。
もう一度言うが、前二作は新社会人くらいの年齢で曽我町子演じる黒魔女、黒女王みたいなファッションが痛々しくて困ったものだった。
ベルベラはキャラ的に風格もないし、女王どころかポールのミラクル大作戦のキノッピー程度の存在なんで、あの格好はないなと。
今回はまあなかなか良かったというか無難というか。

とまーそんな感じで、良いところがあまりない。
公開時に疲れた身体を引きずって忙しい元旦に浅草まで行って観て、感想としては怒り狂うほど酷い映画というわけではないが、一年ごとに興行する東宝特撮にしては・・というくらいのガッカリ感があったこと、おぼろげな記憶にある。

ゆうても薄いなーという感じで、例えば「小さき勇者たち〜ガメラ〜」や新しい方のギララほどの反感はない。

そんなわけ。


●バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

劇場で観てまいりました。
ほとんどのスーパーヒーローものは劇場スルーしていて、DVDとかレンタルが安くなってから観ればいいやみたいな感じ。
じっさいマン・オブ・スティールもダークナイト・ライジングも劇場では観てないし。

でもコレは観なくては、と思っていたのは、バットマンvsスーパーマンだから。
一昨年くらいだったか、このワードが頭に浮かび、GoogleではなくYouTubeで検索したところ、けっこうあるある。 ほとんどはアニメーション作品で、たまにゲームがヒットするが、内容的にはスーパーマンの圧倒的な力をどうするか、という点で共通している。
バットマンがスゴいスーツを着込んで戦うこともあるが、多くはクリプトナイトを利用していた。 ゲーム動画ではバットマン側にいろいろオプションがあるが基本互角で、バットマンWINNのを視聴している。 他にも画像検索すればコミックもあったと記憶。

そんなわけで、もともとアメコミヒーローはみんな仲が悪くて年中ケンカしているが、バットマンとスーパーマンという対決もまた定番な模様。
当時はそんなアニメーションをYouTubeで手軽に観れたが、今じゃ今回の実写映画化のほうが検索ヒットするから難しいかもしれない。
ともあれアレを映画にするなら興味深いので観に行った。
まーマン・オブ・スティールは最近なので把握しているが、今のバットマンって誰だっけ? という感じでしたけど。
ダークナイト・ライジングがいちばん新しいんだっけ。

いちおう、観る前に覚悟はしていたのが上映時間で、三時間近くある。
こうなると自然と思いだすのがウォッチメンで、なおかつマン・オブ・スティールの暗くて地味な雰囲気も考えるとけっこー気合入れて視聴する必要があるかなと。
ちな後でぐぐったら監督はぜーんぶザック・スナイダーだった。
予感はわりと的中というか、未だにスーパースローモーションを多用したオープニングとか、そこテンポよくすればもっと短く出来るのに・・という感じ。
あ、300 〈スリーハンドレッド〉 もザック・スナイダー監督だってね、まだやってんだそれ、みたいな。

しかしまあ、ちょい退屈な話かな思ったらワンダーウーマンとドゥームズデイも出ていたのでなかなか良かった。
ワンダーウーマンの実写化も噂には聞いていたが、かなり先だと思っていたので、今回の参戦はサプライズ〜って自分が情弱なだけなのだが。
ドゥームズデイに関しては、デザインが悪いね、登場は嬉しいんだけど。
ここ十年くらい? 流行りの知能低そうなモンスター的デザインで、これドゥームズデイとちが〜うと最初に思って、でもだんだんパワーアップでメキメキと鉱物化していって「おおっ、やっとドゥームズデイらしく?」と思ったが中途半端な変化でやっぱだめじゃん、という。
違うんだよ、もともと知能があった超人が、何らかの理由で知性を失った感じなんだよ、最初から理性も何もない怪物、というデザインじゃだめだよ、とドゥームズデイをよく知っているわけではないが、そう思う。
いやよく知らないゆうても最初の登場であるスーパーマンの最後だけは読んでいるから、基本は知っている。

これもYouTubeで観たんだけど、ドゥームズデイはどんどん格が下がっていたみたいだね、順調に。
しまいにゃクローンで大量出演し、ジャスティスリーグと戦ってワンダーウーマンが複数体を相手にしていたし。
メタルクウラ軍団のほうがよっぽど威厳を保てたね、一体でも強敵のままだったから。
そいやロウキも別格級だったのにガオシルバーと分離してからはただの怪人になり、最後は巨大化したんだっけ。
スーパーマンを殺したことで有名なドゥームズデイも同じくスペシャル感を失っていったようで。

ところでここからネタバレだが、あのラストはどうも納得いかん。
つてもスーパーヒーロー映画は変な展開が多いのが普通だが、それでもスーパーマンとドゥームズデイの相打ち具合はなんだか。
クリプトナイトの槍を使うわけで、それをふるうスーパーマンも影響をうけるため共倒れになるのだが・・・槍をもってもあんだけ動けるなら、槍の端っこを持てよ、と誰もが思うのではないだろうか。 でもって後生大事にしがみついてないでまずは投げなさいよ、ちょっとでも刺さったら仮面ライダー555のクリムゾンスマッシュを決めればいい話だし。 あるいはワンダーウーマンに槍をわたせばよかったのでは?

あと今回のレックス・ルーサーが変であったが、まあ自分が知っているのはリチャード・ドナー版スーパーマンの雰囲気なんで、あーゆーのもアリなのかな? 思ったらあとになってちゃんとスキンヘッドに・・それはいいとして、ルーサーがばらまいたという弾丸はいったいなんだったのか。
対スーパーマン用の特殊弾とかそーゆーのではないのか? だいたい身元がバレるような変な武器を作って限定された状況で使うってアホ?
考えてもなんかよくわからん。 どんな作戦、あるいは工作であれそこまで特殊な弾丸が必要なのかな。

まあいいか。

ともあれじゅうぶんに楽しんだ。
むろん長くて暗い、という予想をして覚悟を決めていたためそうなるので、なんの心構えもなければけっこう退屈したかも。
ワンダーウーマンが観れただけでもかなり価値のある作品。

最後に余談。
近場では二子玉川にシネマコンプレックスできたらしいが、まだよくわからんので今回はいつもの港北ニュータウンへ。
上映の前にいろいろCMや予告編あるが、レヴェナント:蘇えりし者の予告で何々賞とずらーっと並んでいるとこで観客の誰かが「賞とりすぎィ〜」とナイスツッコミ。
アカデミー賞など怪しくなってきたと言われて久しいが、なかなか考えさせられるものですな。

とゆわけ。



●レディ・イン・ザ・ウォーター

シャマラン監督のを観たくなってコレを。
まあテレビでシックスセンス観て、ラストに仰天したが、最近観たアンブレイカブルは「なんじゃこりゃ」となり、どうやらかような困った作家らしいので、中でも問題作とされるレディ・イン・ザ・ウォーターを借りた次第。
HULUにあるかわからんが百円で、なおかつGEOには複数のシャマラン監督タイトルがあるのを確認した。

内容的には作家とストーリーが世界を変える、という単純なものだが。
なーんか伝わりにくいんだよなコレが。
作家が書いたものを読んだ少年が未来を変えてゆく、ということらしいのだが、とりまここで問題とされるのがインド人青年の作家で、まーアメリカ映画でなんで急にインド人? となるが、ほとんどの観客が「コイツはシャマラン自身だ」と考えている模様。
確かにぐぐるとシャマラン監督は典型的なインド人容貌で、なおかつかなり若手、レディ・イン・ザ・ウォーターの「作家」は自分自身だと考えてよかろうと。
じゃあ、自分のストーリーが世界に好影響を与え、やがて変化をもたらすと、そんなふうに本気で思ってるのか? となる。
 ※あとで知ったが「シャマラン自身だろ」という意見は言葉の比喩ではなく、シャマラン自身の出演らしい そこまでとは想定外でスゴいな・・

物語的にもなんだかなー、いちおう苦労話は盛り込んでいるが、どうでもいいみたいな感じもする。
解釈が違うのか、どうしたらいいのだろうか、悩むんだけど、それ以前に何の理由もなくアパートの全員が仲間って変だろうと。
同じようにアパートを舞台にした話に、なんかかけ離れているようだが「カンフーハッスル」があるが、こっちのほうが描き方うまくね? と。

最終的に言い伝えどおりになるように全員で調整して、うまくまとめるのだが。
うーんとくに感動もないかな、今回は意外性もなかったし。
物語には人物の役割分担があるのでそれを捜すが、「お前が“通訳”だったのかっ!」とか「コイツが“守護者”なのか?」とか別にサプライズでもないし。

しかし聞けば何度も何度も失敗作を送り出してしまったらしいじゃん、シャマラン監督。
エアベンダーとか傑作アニメの実写化という、なーんか急に作家性を奪われて雇われ監督になったのか、という感じで、でも観たら「もったりして遅いな」という、あまり面白くない映画に仕上げちゃったし。 面白くない言えばアフター・アースもあるけど、まーウィル・スミス親子が原案らしいので、そっちの責任があるのだろうが、それにしてもやはり雇われっぽくなっちゃったよなーみたいな。 

そう考えると、もっともしぶとい監督なのではなかろうか。
この人、ついに雇われ期を脱して、自分の作家性を活かした新作を撮ったらしい。
興行的な失敗が多かったが、あまりに癖があるんで固定ファンもかなりいるようで。

とまあそんな感じか・・感銘うけにくいこと、そこが問題な気が。



●モスラ対ゴジラ

平成モスラ三部作がHULUに来てぜんぶ観直したし、じゃーモスラ繋がりで昭和ゴジラでもっとも華々しいコレでも観よかとiTunesStoreで。
最初は浅草東宝のでかいスクリーンで観たんだけど、まあゴジラ映画史上ある意味最大の超大作ではあるが、特撮のピントとか合っていないのを知っているのでHDではなくSD画質で。

ある意味最大の、と言ったのは最大予算のキングコング対ゴジラが、かなりの金額をキングコング出演料に持って行かれたらしいという噂があるんで、おそらく直接に製作費使えたのはモスラ対ゴジラのほうではなかろうかと想像したため。
ちなみにモスラ出演はたぶんコレが二作目だと思うんだけど、最初のモスラが250メートルという大怪獣だったのに、今回はゴジラと共演するために125メートルにダウンサイジングされた・・というふうな記憶がある。 じっさいの数字はともかく、以後どんどん小さくなって、しまいにゃ平成モスラのような小怪獣となるのは確か。

映像的には先述したように、特撮のピントがあってなかったり稚拙な部分も多いが、それでも圧巻。
とにかく造る、造り込む、という姿勢でドラマ部分のセットもそうだが、特撮部分がひたすら多い。
ワンシーンでワンセット作りかねない勢い。
いっぽうで洗練されたために迫力を失った部分がモスラ幼虫で、初代モスラでは大勢が入る着ぐるみと言うには巨大すぎるものを使ったのに、今回は見た感じ50センチから1メートルくらい、間をとって75センチとしようか、そんなメカニカルを作って小さな幼虫をゴジラと共演させることができた。
で、言ったように迫力は失ったわけ。 撮影の効率はだいぶん良かっただろうけどね。
ほかにも一瞬だが、ストップモーションアニメのゴジラも観れたり。

モスラの造形がダウンサイジングと言ったが、それでも小さなモスラの質感はなかなかで、また有名なモスゴジの悪そうな顔が魅力で、自分を含めファンが多い作品に。
そいやなんか、記憶がおぼろげだが「映像の50%に特撮が絡んでいる」という事をどこかで読んだような。 そんな市民ケーンみたいなことあるか?
普通にドラマ部分も多いし、やや大げさかと思う。 でも確かに、ゴジラ史上サイコーに特撮な作品だなという感想が。

なんか前作キングコング対ゴジラと二三年しか違わないはずなのに、雰囲気がまったく違う。
キングコング対ゴジラは当時としてもファンタジーとしか思えないほど(←たぶん)「昭和感」が強調されていたのに、今回は当時の他の映画とあまり変わらない。
不思議だ。
そしてコレは最高にどうでも良さげな余談だが、ハッピー興行社の立て看板がみっつくらい登場して、でもそれぞれデザインがまったく違うという点が、昔からスゴい気になる。 要はイラストとか描くとき「昭和三十年代っぽく」と考えたりするのだが、典型的な三十年代っぽさが未だに見つからない。 立て看板ひとつとっても、場所や書いてある内容でデザインがひとつひとつ違うのでは、どう描いていいやらわからんことに。
カメラでもメーカーや用途で見た目違うし。

そして特筆しておくべきか、やはり佐原健二氏の怪演について。
とにかくやる気満々なことで有名な特撮俳優さんだが、こんどは(たぶん志願したんだろうね)悪党を演じて、これがなかなかのものだった。
悪党同士で血まみれの殴り合いして昏倒、ふらつきながら立ち上がろうとすると窓の外にゴジラが迫っている! というシーンは最初に観た時ギョギョッとした。
悪が栄えた期間の終わりを告げる場面であり、ゴジラ登場で猶予がなくなったため殴り合いが殺し合いに発展、破滅へ一直線という。

モスラに関しては最初の作品でその全てが明らかになっているのに、漁港に流れ着いた卵が何だかわからないというストーリーに最初、戸惑いをおぼえたもんだが、あとでよっく考えたら、文明社会の目に触れるのははじめてだったんだ・・と納得。
またこの回からモスラが最後の生命を賭けて戦う、というのが定番になって、羽根の鱗粉を使う「最後の武器」が初登場。 つても蛾や蝶にそーゆー鱗粉がある、というのを知っている人は今、少ないのでは・・・と思う。 若い世代とか言う話じゃなく、老齢であっても昆虫に関して無知な人が多い昨今なので。
ちなゴジラvsモスラでは鱗粉プラス熱攻撃で、ちょうどアッザム・リーダーみたいになっててなかなか良かった。

まあそんな感じで楽しんだし、二三年おきに繰り返し観ている作品です。

●モスラ

肝心の作品を語る前に、思ったことをひとつ。

以前、アメリカでゴジラやったやん、ローランド・エメリッヒ監督版ってやつ。
エメリッヒがゴジラに対して理解がないのは明らかで、しかも元々大雑把な人なもんで、世界中から怒りの声が、という結果に。
その大雑把で大味なスーパー超大作専門みたいになりつつあるエメリッヒ監督、モスラを撮らせたらいけるんでないか、と思った。

もちろん、アメリカとドイツの特撮ファンは未だに怒っている状態なんで、オファーがいくということはないのだろうが、意外とアリではと。
ゴジラとモスラ、何が違うってその破壊描写が違うので、そう感じた。
モスラの破壊ってゴジラほど致命的な一撃ではないようで、実は面の破壊が凄まじいので広範囲が惨劇となる。
台風もハリケーンも竜巻もちっぽけに思えるほどで、ほとんど核爆発の爆風が持続している状態。
ハッキリ言うと巨大津波と同等の威力であり、これを本気で映像化できれば、類を見ないスペクタクル映画になるやん。
できる奴がいるとすれば、ローランド・エメリッヒかマイケル・ベイか、という感じ。

ニューカークシティの破壊を観て、そんなことを思った次第。
ここから本題というか本編の話を。
まあ贅沢で、なんとなく当時のハリウッド超大作を思わせる造りだよねこの映画。
それでいて昭和の日本もよく描いていて、なんかお得感がハンパない。
セットも豪華で、モスラ幼虫が渋谷あたりを進撃する場面とかどこまでセットでどこまでじっさいの街なのかわからんくらい。 つうかアレが渋谷かよ、まったくもってファンタジー世界としか思えないビジュアルで、なおかつモスラという映画ではわりと特徴的なんだけど、ミニチュアに人形を多用しているのでなおさらファンタジー感が割増となっておる。 戦車が街を往く場面とか確か画面の右側がミニチュアで、左側が実写という合成だったが、その戦車のミニチュアといっしょに自衛隊のオートバイがいるわけで、すぐ左の本物避難民と比較してもライダーの大きさに違和感がなく、よく計算して合成したなーと感心する。

クライマックスでのニューカークシティ近郊もぜーんぶセットの街並み、あの感じがたまらん。
巨大セットの中に別な建築があるため、その建物内から外(つまり街並みセット)をうかがう、という構図が可能となり、視覚的に自由度の高いことになってる。
てなもんや三度笠の感じってこんな具合だったのかね、セットが豪華っていいものだ。
いっぽうで何度か言った「特撮のピントが合ってない」という、まあ当時のフィルム感度を考えれば仕方ないことだが、時々あって、水の特撮が他の場面ほど立派には見えないことも。 また繰り返し見ている映画なため、今思うとけっこうシンプルな構成となっていて、渋谷から東京タワーに取り付いたあと、原子熱戦砲攻撃となるが、なかなか息を呑むシーンだけどその続きはあんがいアッサリ。
とゆか先ほどニューカークシティの破壊がクライマックス、と言ったがドラマ的には東京タワーがいちばんの盛り上がりかな。
ニューカークシティは凄まじいカタストロフィで、アメシア連邦・・じゃなかった、ロリシカ国そのものが架空なんで、一部合成用の背景を使った以外はほとんど作り物となっているため、大変な予算がかかったろうと考えられるが、実はそれほど迫力はない。
ラドンの福岡襲来と違い、最初から全てをデザインする必要があるけど間に合わなかったんだろうね、どうも見た目が薄い印象。
漠然とした外国、という感じのニューカークシティは、電柱、立て看板などなどディティールが甘く、現場のスタッフが何を作ればいいやらわからんかった、みたいな。

まーゆうてもイチから創造し、壊滅させるために存在する架空の都市なんてSF、見どころには違いない。

あと最高にどうでもいい余談だが、フランキー堺演じるスッポンのゼンちゃんはあまり魅力的ではないキャラというか、古くさいとゆうか。
このゼンちゃんがショートピースの箱から一本取り出して吸うシーン、逆に火をつけてないかみたいな。
手にとってすぐ、向こう側をくわえるのは素早くて合理的だけどね。
まあ両切り煙草に前も後ろもないのだろうが、普通「PEACE」と金色で印字された部分を吸口にするだろ思ったり・・ホントどうでもいい話だが、もしかして「ブンヤ吸い」みたいなネーミングのついた短気な人独特な吸い方とかあるのかな。
さらに関係のない話を続行すると、2016年4月の今、タバコが値上げしたと聞いていて、じっさい210円だったゴールデンバットが260円というスゴい値上がりではあるのだが、いっぽうでショートホープとショートピースを買ったら以前とかわらなかったような・・・どうなってんだ一体、という。

もいっこ余談だけど、橋の上に赤ちゃん取り残されるシーンが毎回気になるというか、あのゆりかご、鉄釜で炊いたごはんを移し替えるおひつを、さらに包み込むカゴに似ている・・偶然なのか、もしかすると当時の日本ではゆりかご造る専門の職人とかいなくて、ご飯用のカゴを作ってる人がゆりかごも手がけたため、あーゆー風になったのか、あるいはもっと単純に、ご飯カゴのお古をゆりかごに流用したのか・・そんな余分なことまで考えてしまった。

ゴジラやラドンと比べると雰囲気がぜんぜん違うが、それゆえ逆に面白い作品かと。
とまあそんな感じで。

●サイン

シャマラン監督に注目月間というか、そんなノリで。
宇宙戦争シャマラン版、これはなかなか良さげで、じっさい問題作の多いかの監督作品でもコレは面白かったと、映画解説の町山氏が太鼓判を押すので観た次第。

まず、若いシャマラン監督とメル・ギブソンという組み合わせがいいよね。
次はメル・ギブソン監督でシャマラン脚本と主演の映画を観たい、というくらい。
何を見せたくて何を省略するのかわからんし予想もつかないシャマラン作品だが、サインに関してはギャグも盛りだくさんで楽しめた。
ただSF的には甘いというか、宇宙人が地球に来訪するという点で「アフター・アース」と同じなのだが、とにかく考証が甘くて、シャマラン監督はアフター・アースの監督を見習えよ、と思うが、まあ同一人物だし。
具体的には・・いろいろあるが、宇宙人に集約してみよう。
みっつ、言いたいことが。

まず宇宙人、素っ裸なの? という疑問。
義体能力があるという設定だが、それにしても原始人じゃあるまいし、そりゃねーだろ的な。
さらにこの宇宙人、武器はなくて徒手空拳だった。
まあ身体から毒を出して人を殺し、喰っているらしいのだが、なんかなー。
あとは弱点が水で、水をかけられると融けるとか。

ここでSF映画の名作、ではないがナンボかマシなアフター・アースを引き合いに出すと。
 素っ裸の宇宙人とかそんな原始的なことしないでも、アフター・アースみたいに義体能力があるスーツを着てればいいじゃん、となる。
まあアフター・アースの変色するスーツもなんだかなー思ったけどね、着るコンピュータならもっとマシな機能はないんか、みたいな。
 次に宇宙人が徒手空拳って、ウルトラセブンの侵略宇宙人でもあまりいないのでは。
これもアフター・アースではちゃーんとハイテクな武器が用意されていて、七種類に変形するスティックが兵士の武器になっていた。
まあそれもなんだかなー思ったけどね、剣や槍に変形するのはいいが飛び道具はないんだ・・みたいな。
 そして弱点が水って、そんなんでよく地球侵略に来れたな宇宙人が。
ここでもアフター・アースを引き合いに出すと、千年前まで地球人だった主人公らは現在の地球には適応できないため、呼吸を楽にする飲み薬を用意して冒険するとなっていて、サインよりマシな部分。 環境のあわない星で活動するなら、かような薬で対処するだろフツー。
つか水で皮膚が融けるならなおさら、スーツ着ろよと思うのだが。
まあアフター・アースの飲み薬、それもなんだかなー思ったけどね、うっそうとした木々に覆われた地球で、息が苦しいってあんのか。
酸素が多いならマスクとかで解決できないの? みたいな。

あとは映像特典を観ないとわからなかった点が。
子供を抱える宇宙人、というシーンで手のアップになるのだが、ここではふたつの意味が込められている。
ひとつは指が二本、欠損しつつ再生しかかっているという事で、「あの時のアイツか!」とわかる。
問題なのはもうひとつ、手が子供が着ている服のチェック模様になっていることで、先に述べられた「宇宙人には義体能力がある!」という件が確認される・・これが伝わらなかった。 手という、ひとつの部品にワンカットで同時ふたつの意味をもたせても、ついてゆけん。 だから次の展開で宇宙人の背中に変な模様が浮き上がっても意味不明だし。
急展開で観客も忙しいのに、同時にふたつの意味を汲みとった人そんなにいるかな。
そもそも義体能力の確認とか、ドラマの中頃で語るべきことであり、クライマックスで言われてもねー、物語の収束で目まぐるしい中、観ているこっちは処理しきれません。

とまー変な部分はあるにせよ、普通に楽しめた。
コレ以降はあまり冴えないんだっけシャマラン監督って。
有能な若手には違いないが、変わり者だからなー。

という感じ。


●ヴィレッジ

シャマラン監督の一本。
最寄りのGEOは文教堂の中にできた小さなものなんで、品揃えわりいなー思ったらシャマラン監督作品はだいたい揃ってるんだな、意外と。

ヴィレッジはもう大雑把な内容を知った上で観たのだが、要は18世紀の田舎村で、なんか不気味なルールがある・・という話。
問題なのは、あまり面白くないという点か。
意外なつもりの展開がラストあたりにあるのだが、時系列で言うとトゥルーマン・ショー(観たことないが)より数年後の映画じゃん、ヴィレッジって。
ヴィレッジは2004年の作品で、トゥルーマン・ショーはともかく、この時期に何の策もなくあんな設定でいいのかよ、と誰もが思うし、じっさいありがちな内容で、類似の作品は趣向を変えていろいろあるし、現実に酷評されたらしいし。
趣向を変えて、というとマイケル・ベイでさえアイランドという映画やってるし、他にもいろいろあった気がするが急には思い出せん。

具体的に何がどうなのかここで書くのはネタバレになるんでどうかと思うが、ぶっちゃけたいした事ではありません。
ただ村の創立者たちの思惑というか、漠然として話に求心力があまりないゆうか、同じシャマラン監督でもサインの場合はメル・ギブソンというじっさいキリスト原理主義者を起用して「失われた信仰心」「神の御印」を題材としたのでわりと面白かったのだと思う。
今回のヴィレッジは、大人たちの考える「無垢な環境」みたいなとらえどころのないものが出発点になるので、話のテンションがそもそも存在しないのかな。

村のあれこれとかドラマもあるんだけどね、どーでもいいよ、という。
あ、いま思い出した、類似の作品として「天元突破グレンラガン」の第一話とかあるが、わずか二十分ちょいであんだけ魅力的な物語にできるわけで、逆に考えるとヴィレッジは長すぎるのではないのか、とも思える。 長さは映画だからしょーがないが、だったらドラマをダラダラするなよみたいな。

テーマ的にはすさんだ世の中を憂いてみる、みたいなもんだろうか。
観せ方としてはファンタジー、なのかな? ミステリーなのかな?
そこがわからん。
まさかアレでホラーのつもりじゃないよな・・といった感じ。
あの怪物は誰かの仮装だろ、というのはかなり初めからわかってしまうし。

酷評された映画つても、知った上で観たためか、激怒するほど酷いとも思わなかった。
まあわりと楽しんだかも。
どのみちシャマランがクセのある監督と心構えてれば無問題かと。

とまあそんなわけで。


●どろろ

最近、GyaO!でどろろを全話、配信していて最終話までしっかり観れた。
その総仕上げに映画のどろろを観た次第。

わざわざ借りなくとも、もしかするとGyaO!で配信やるかもだが、アニメチャンネルと映画チャンネルが連動して企画するほど気の利いたサービスではない可能性大。
結論から言うと、やっぱだめじゃんコレ、という作品でした。

つても見どころは多く、とくに映像は、むろんハリウッドの一流と比べりゃアレだが、なかなか良かったと思う。
それなりに魅力的なCGもそうだが、着ぐるみなどの造形が的確に織り込まれている感じで、カムイ外伝の特撮よりうまいと思う。
アクションもキレがよく、なんかファイナルファンタジーアドベントチルドレンみたいで楽しめた。
時々「おおっ!」というような意表をつく殺陣とかもあってなかなか。
最初に二時間十五分くらい? 上映時間みて「長っ!」と思ったが、そこはあんがい問題なかった。
ただ観る前から予感していたのだが、醍醐景光のキャストが「きっとイメージ的に似てないんだろなー」思ってたら見事的中。
中井貴一さんですか、いい俳優だとは思うだけど、見た目が違うしそんな威厳の必要はない役柄なんだけど・・という。
あとラストの話運びにやや不満があるが、ドラマ的にもわりと面白いんでないかという感じで、総合的な点数は高めにしてあげたい。

問題なのは主人公のどろろを演じる柴咲コウさんが、役に合っていない点。
どろろを女優さんが演じるのは、これはもう仕方ないことだと思っていて、アニメ観たから知ってるが元々女の子なんだよね、最終話でイキナリ言われたけど。
ちなアニメの最終話で思わず「ああそうか!」となったのは映画アリオンにセネカとゆーちびっ子こそ泥がいるけど、元ネタがこれだったんだ! と今になってわかった事。
まあアリオン原作読むとどーみても男なんだけどね。
子役にこんな難しい役ができるわけもなく、なれば大人の、それも女優さんに頼ろうかというのは無理もないこと。
だが、じゃあ適した人材を選べよと言いたくもなる。

まあ柴咲コウさんも気の毒だよね、少林少女と食堂かたつむりという、かなり酷評された映画で主演していて本人は悪くないのに良いイメージがないのでは。
47RONINでハリウッドに進出と思いきや、あまりヒットしなかったし。
とにもかくも、けっこー魅せる映画なのに肝心のどろろが出るたびに「うーん・・・」という感じで違和感に苛まれてしまうとゆう。

ちなみにラストあたりの話運びにやや不満、と言ったけど、どろろと百鬼丸が何をしたいのか、不明瞭なままちょい意外な展開になってゆくからかな。
アニメ版では目的が不明瞭でもそれ自体がドラマとなるので無問題なんだけど。
要は「俺はいったい何をしたかったのだ!」という自問でストーリー進めりゃいい話がアニメ版で、映画のほうは最後の十分間で語りきれなかった感じ。
また醍醐との決着あたりでは逆に話がもたついた感じもあり、ちょい残念。
まあいいけど。

なかなかやるな、と思ったのは、アニメ版(たぶん原作も同じ)では説明がぜんぜん足りなかった全てのディティールを補完している件。
現代の科学力でもバイオニックを実現できないのに、百鬼丸の義手義足とかどうなってんだ、なんで戦国時代の医者が自由に動ける手足を造れるんだブラックジャックか貴様、という疑問が、映画ではオカルトとファンタジーでうまく解説。
まーあれだね、その部分を語り部方式で見せる必要はあまりない気もするが、どろろと観客が同時に情報を仕入れる体験《イベント》、ということでおk。

やっぱだめじゃん映画と言ったが、確かに主演の柴咲コウさん違和感ありまくりだけど、よっく考えたら元々の「どろろが女の子だった」とゆー設定で、オリジナル(もしくはアニメ版)でさえ魅力をだいぶん失っているので、仕方ないとこあるけどね。
映画では最初から女性であることを明らかにして、でも男として生きるぞオレは、みたいにしたのは良い判断かと。
ファンタジー世界観にしたのも正解だと思うし、どろろと百鬼丸の名前などを時代劇でありがちな「仮名」としたのもいい設定。

なんだかんだで悪くない映画かも、という感じ。
でも次は誰がどろろを演じるにしても「百鬼丸とどろろ」みたいに、後ろに下げたほうがいいかも。

てなわけ。


●ハプニング

またまたM・ナイト・シャマラン監督。
メジャーな作品はコレで網羅したのかな、新作コーナーにヴィジットがあって未観(あんのかそんな言葉)だけど。
もともと失敗作映画に興味があって、ニコニコ動画の「正直なトレイラー」で酷評の嵐であったエアベンダー、アフター・アースから入ったんだっけ。 その時には偶然にアンブレイカブルを観ていた気もするが、順序はよくわからない。
まあwikiに感想とか記しているので調べればいいいのだが、そこまでする気力なし。

まあいいや、ともかく癖のある作家性、という言葉は魅力的で、ついつい観てしまったわけ。
いくつかを観終わって言うのだが、トワイライトゾーン的なテレビドラマっぽい作風ですねシャマラン監督。
それを二時間近い映画で見せるのだからプラスアルファが欲しいのだが、そこが不十分な感じがいつもある。
今回の場合、ちょっと仲の悪い夫婦と友人の子供、という三者が主役なのだが、そのへんがどーも作りが甘いみたいな。
決して難解な話ではなく、設定も無理なく伝わるのだが、その三人のドラマが正直「どーでもいいや・・」となってしまう。
そいやあの夫婦、それなりにイケメン&美女なのに魅力がまったくないな。

このハプニングという映画で見どころは、やはり謎の集団自殺という部分で、風が吹くと公園の皆が立ち止まり、やがてひとりが変な動きをしだす・・という絵は非常に魅力的だし、音楽PVとかCMではなく映画のストーリーに乗せているためよりいっそう引き立つ。
ただそこからの展開が、たぶんココがシャマラン監督の特徴なんだろうね、強引な話運びに転じるわけで。
映画を観終わってから気づいたのだが、このお話はたった一日の出来事だそうだ。
最初の公園で異変がおこってからニュース番組や政府広報など、みーんなすぐに状況を把握、すわテロかと都市部の集団避難ということに。
鉄道で移動しているとそれも止まって、大勢がそこの街に移動、さらに安全と思われる場所に行くために車がある人々はバラバラに散っていき、少しずつ人数が減って田舎に田舎にと逃げ延びてゆく、という。

風が吹くとヤバい、という重要なところが中盤でわかるというのも意外で、みんな危険度を理解して行動してたやん、みたいなちぐはぐも。
ストーリーを構成するための手段も強引で、スマートフォンでメール動画を使ったり、電話していたら相手がとつぜんおかしくなってガチャンと自殺音、そして風がびゅーびゅー吹いているのが聴こえる・・みたいな。
またなーんか変な世捨て人の家に流れ着くという強引な展開、そこで「離れの小屋とは伝声管でつながっている」というムリクリ設定が披露される。
もちろん離れの小屋と母屋という状況を後でちゃーんと使います。 でも電話でいいじゃん別に。
ともかく、これがいい物語なのかなーと観ながら疑問。

そこから、人様のお子様がいらっしゃるのに「ひとりで死ぬのヤダ」と、危険な風が吹く外に出て行って・・というのもなんかね。
欧米人は悲観的、あるいは悲観的な自分たちが好き、という話は本当なのかもね、本来なら最後までお互いの場所で粘るべき状況じゃん。 まあ日本でも近年ではそんな雰囲気に影響されて、すぐ諦めるドラマが主流になりつつあるようだけど。

とまあ、いろいろ変な作品。
そうは言ってもこの強引なストーリー展開が魅力でもあるんだけどねシャマラン映画の。
いちおう興行的にはコケた映画で、町山解説によると夜遅い上映で観終わった観客のひとりが「Refund〜!!」と叫んだとか。
金返せってか。
まあ酒が入ってたんだろうし、「あのシャマランか」と冷やかしで観に行ったんだろうけど、だいたいそんな評価だそうな。

B級映画好きとか癖のある作家のファンであれば、楽しめる映画。




なんとなくキリがいいので次に移動。
次はabout-16.5となります。
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