なんか怪獣イラスト/怪獣の話などのてきとうwiki

   

なんかabout-19.8からの続き





●2019.7.31 討伐数1

もとい、釣果1。


例によって多摩川でコイのパン釣りです。
まあ今回は日光浴がメインでしたが。
夏だけどコレまで通り、五時から六時までが釣りごろという法則は変わらない模様。
だもんで釣れたあと雲が切れてから二時間ほどダラダラと。

何もしないで川辺で日光浴ってあんがい難しく、釣りをするフリをしていればかなり楽。
名付けて所在投げ・・・うむ、くだらない。

ちな日付はいま思い出したんで書いているだけで、釣ったのは先日。

今回は、いーかげんくたびれていたネットを交換しました。
Amazonで1450円だっけ、格安玉網で、高価な磯玉網に比べると重いに決まってるが、川でコイを釣るなら便利なものでして。
折りたたむと60センチくらいになるのが魅力。

 ↑もとはこんな黒い網だった

で、破れ目もあるもんだから替え網を求めて上州屋溝の口店だっけ、場所は国道246なんだけど、そこでレインボー替え網だっけ・・・何もかも曖昧。
とにかく買った次第。
店でいちばん安い千円の。
サイズがなんか45だったか、意味がよくわからんが直径をセンチメートルで表していると解釈して、とにかく張り替えたらジャストフィット、というかわりと余裕がありました。 43センチは格安玉網の、三角形になっている枠の1辺がその数値だったかもしれない。
三角形と円形の周囲の求め方とか忘れたが、とにかく余裕だった。


深さもちょうどよく、連れたコイは60センチ級だったか、フツーに入って、なおかつ「安くない網」なんで魚を入れるのも出すのもスムーズで。
前のはナイロンザイルっぽい、なんかゴワゴワした糸でずいぶん抵抗があった模様、このたび買ったレインボー替え網は、ナイロンラインみたいな?
とにかく元は磯玉網の替え網なんで、トラブルが少ない素材なはずで、じっさいそんな感じでした。
カラフルで引っかかりにくいので、なんか仕掛けの回収も楽。

なるほど、良い道具は便利なもんですね。
ゆうてもまだまだ格安、替え網も4000円以上する製品もあり、ネットそのものもやはり磯玉網が優れているに決まっている。
が、近所の多摩川でコイ釣るのに、気分的にも高額な磯玉網セットを揃えられない、つか金ないっす。

ちなロッドは未だにスズミの1180円を続投。
2017年はコレで55匹釣っているわけで、ちょっと意地になって、安さに挑戦みたいなとこ、あります。

とまあそんな日記。


最近観た映画




●シン・ジョーズ

 ↑DVDあんのかよ

久しぶりにGyaO!のB級映画を視聴。

いまHULUでゴジラ特集みてるから、ヒマがないけどついついと。
とりま説明欄の下に「(C) 2016」とか書いてあるんで2016年の映画だと推測。

ホント、サメとティラノが好きですねみんな。
どんだけバリエーションがあるのか不明だが、今回は邦題でわかるとおり、ゴジラっぽいヤツです。
原題はアトミックシャークだっけ、要は原爆サメみたいな。

先に映画の総括しとくと、面白くはないっすよ、なんか抑揚がない脚本で、まあ逆に言うとダメなところもないような。
そしてジュラシック・シャークのような底辺映画ではありませんでした。
まあアサイラム映画くらいの感じ? CGとかもホンモノに見えないだけで破綻はしてないっつー。
あとは、とりあえずすべてを茶化してるんで、話に抑揚がないのもムリはないか。

みどころは・・・サメはアレですね、赤く灼熱してるという、シン・ジョーズという邦題もなんか納得。
オープニングは、レジェンダリー版ゴジラなのかな、あるいは昨今のマーベル映画はじめ、普遍的なイメージでパクリではないのかも。
で、放射能汚染がB級映画らしく極端に描かれるあたりも見どころか。
魚が放射線で焼けただれ、それが砂浜に打ち上げられていていて、E・T以来おなじみの「白い服の男たち」が持ち去ったと思いきや・・・近所の名物レストランが食材にしてましたとさ。

放射能サメに警鐘を鳴らす元ライフガードたち主人公は、そこで作戦会議してたが、アイテムとしてガイガーカウンターを持ってきたぜ! ゆうたすぐに反応が。 料理は拾ったアレが素材だから、ガイガーカウンター反応というわけ。
自分たちが警鐘を鳴らすつもりが自分たちの警鐘を鳴らすという・・洒落にもならんな。
汚染魚を食ったレストランの名物男が七転八倒の末、ひでぶ! と弾けて。 続いて魚食った客たちももだえはじめて、次々発火、食卓の料理も発火、さいごにレストランがポンとバクハツという。

いやアメリカ人が放射線に対して無知とかそーゆーわけじゃないっすよ、知ってる人はわかってるというか。
B級映画なのだから、いかに「ありえない」ことをやるかって話で、それをこの作品では実践したという、まあだからバカなんだけど。
放射能魚を臨界まで食う人間はいないって、そのレベルに達する前にゲロゲロ体調崩すってw
つか最初のひと口で口の中なり胃なり火傷するやん、そこで食うのやめるやん。
それが一定量貯まってから発火とかバクハツとかww
というツッコミ待ちなわけです、こうしたB級映画ってのは。

ちなみに意図的なアホだとわかるのは、追ってきた放射能サメに対してボート内の酸素ボンベを投げつけよう、という件。
「酸素ボンベを口にくわえさせて銃で爆破するんだ!」「ジョーズかよ!!」というギャグがあり。

 ↑小型のスキューバっていっぺんやってみたい

倒し方だけど、もうネタバレもへったくれもないっつーか、観る人もいないだろし。
この放射能サメは、ゴジラvsキングギドラのベーリングゴジラと同じで、沈んだソ連原潜が原因みたいなこと言っていたが、それはどうでもよく。
常に熱を発して、海水で冷やされてどうにか現状を保っているので、ダイナマイトなどの爆破の他に、陸にあげても冷却ができず、自爆します。
核爆発するサメってわけです、わりと斬新かも。
でも要するにバーニングゴジラなんだけどね。 簡単に説明すると。

登場するアイテムとしてドローンは面白いね、救命胴衣を運べるんだ、あんなちっこいのに。
ライフガードが使うのは、Amazonで当時十万円から二十万円くらいで売っていたようなタイプ、一眼レフカメラを載せられる立派なヤツですが、さらに盗撮サイトの男がデバガメ用にスゲえ高性能なもん使ってます。 一抱え以上ある大型で、コレってM72ロケットランチャーとか載せられそうですね。
「ダークエンジェル」のホバドロンよりは小さいが、こんな兵器にもなりうるもんが買えるんだ民間で。


あとはウォーターボードだっけ、面白いもんあるな。
スケートボードで空を飛べるという、基本技術はウォータージェットですが、かなりアクロバティックなことやってます。
興味深いのでぐぐったらフライボードとして知られるもので、発表が2012年とか言ってたから最新の遊びですね。
ホース付きのウォータージェットをバックパックみたいに取り付けて、空を飛ぶってのは昔からあるが、バック・トゥ・ザ・フューチャーのホバーボードみたいにする、という発想はなかなか・・・あいや自分が思いつかないだけで、海外の遊び人とかは誰でも思いつくのかな。


他にも水辺の遊びはいくつか登場。
パラセーリングだっけ、名前がよくわからないというか脳内画像と名称が一致しないというか。 パラセーリングは浜辺を走るんだっけ。

まあいいや。

かように、盛り上がらないB級映画ですが、けっこう見るものはあるもんです。


●ゴジラvsモスラ


だんだんとこなれてきましたね、制作側も。

というわけでキングギドラの次はモスラ、実は他のゴジラ映画に比べると、あまり観ないほうでした。
あいやゴジラ映画だから繰り返し観ているんですけどね、たぶん数回くらいで・・・前作や次作のほうはもっと回数みてます。
それはどーゆーことかと自分の記憶をたどったりしたけどよくわからず。
たぶん・・・ほらほら昔はみーんな足茂区のレンタルビデオ屋に通ってもとい、レンタルビデオ屋に足繁く通っていたやん。
まあ男子であれば、なんとなく派手なタイトル、例えば洋画アクションとかを借りたりすることが多いけど、つても確固たる意識がないまま、長いことレンタル屋の中を彷徨うこともあるわけで。
自分のばあいは特撮タイトルが含まれるわけです、そしてゴジラ映画も。
仮に平成ゴジラがぜんぶそろったタイミングで(どれにしようかな〜)やったら、vsモスラは優先度ひくいかも。
それを繰り返したところvsキングギドラやメカゴジラはわりと借りる頻度が多く、モスラやスペースゴジラは少ない、そんな統計結果なのではと推測する。

要はほかの平成ゴジラより視聴回数すくないけど、それでも数回みているという。

で、映画館でみたときは満足度が高かったですよ、なんつても前作に比べるとかなりピントが合っていて・・・まあ特撮監督は怖い人なんでしょうね、企業努力した、という。 それでもまだ甘いですねピントは。
VHSレンタルからDVD時代を経て、HDだとピントがより気になる。
また先述したように、いろいろこなれてきて、もう一点豪華主義とかないかわり、ヘタレたショットも出さないみたいな。
なおかつ昭和ゴジラを意識した部分が非常に多く、それが良い結果みたいな。 オープニングのインファント島が嵐というシーンはモスラ対ゴジラみたいだし。
海上でゴジラとモスラが対決するシーンは、海なのに地形をうまく利用した戦いで楽しめる。

どうでもいいけど、モスラの卵を牽引している船、面白い構造ですね。
客船ではないようだけど、作業用の船ってみんなああなんでしょうか、通路やハッチも護衛艦みたいだけど、極端なところでは船べりの柵まで独特。
いちおう戦艦三笠に行ったことあるんで、軍艦のフォーマットは知ってるつもりですが、それに近い雰囲気。 海上保安庁か?

冒頭の遺跡荒らし・・体よくトレジャーハンティングとゆうときますが、アレは当時、映画館でみるとなかなかのシーンでした。
インディー・ジョーンズというより天空の城ラピュタみたいや、と想った。
むろん今では類似のシーンはいくらでもあり、とくにCG全盛だから予算のある海外作品だと、もっとスゲえもん造るんだけど。
まあCGじゃあ何を作ってもつまんないっすね。
走り抜けるのと足場が崩れていくタイミング、じっさいに撮らないとハラハラしないやん、いま該当シーンみると壮大なドリフのコントセットみたいだが。

インファント島の冒険は、まあ寸劇ですね寸劇。
設定上、そんな大冒険はありえないので、アウトドアにうとい三人が野外活動でてんてこ舞いしただけ、という寸劇です。
ここでもインディー・ジョーンズ的なシーンがあるんだけど、やっぱ映画力の差は歴然としていて・・・。
光が差し込んできて、それが例のモスラマークなんだけど、日が昇るのにあわせて光も移動・・・ってその動きがなんか人工的。
つか光がライトみたいで不自然だったり、とにかくツッコミどころ多い。

ここで小美人とーじょー、今回はコスモスと名乗ってます。
なんでひらがなでとーじょーと言ったのかとゆうと、漢字だと搭乗だの東條だの誤変換がおおくてめんどいため。
考えてみれば久しぶりですね小美人、すっかり現代人みたいになって、この時代だとナチュラルメイクなのかな、ホントに美人に。
昭和のメイクは酷かったですからね、素材はいいのにぜんぜん小美人ではないという残念なことになっとりました。


小美人シーンはハイビジョン合成使っているとパンフレットにありました。 なんのこっちゃ。
あのシーンぜんぶハイビジョンなのか、ハイビジョンでマスクを切ってフィルム合成したのか、意味がわからない。
ハイビジョンだとビデオなんで、例えば簡単なクロマキー合成できます、映画館でみた遠い記憶を思い起こすと、どうもそうなのかもしれない。
なんか解像度が足りてなかったような。
むろん単純クロマキーではなく、影を足したり手の混んだことはしている模様。

そういや最初に出てきた隕石は、ほぼCGみたいですね、なるほどそんな時代か。
来年あたり、ジュラシック・パークが登場する頃合いですから、いろいろ技術革新があるもんです。
くわえて84ゴジラのときはロストテクノロジーだった「特撮」が、どうにか再起動しているようで、また繰り返すがこなれてきた。
よっくみるとバトラが電着プラプラぶら下げてたり、間が抜けているとこもあるけど。
そんな総合力が養われているため、けっこう見応えがあるんです。

そのバトラは、けっこうカッコいい。
たぶん質感がいいんでしょうね、またオープン撮影が多いので、それも迫力。
目つきはなんか、安っぽいアニメみたいでアレなんですが、全身はなかなかです。
また水をくぐるとき、ノーチラス号みたいに水中で光るというのを昼間のシーンでやってますね、一瞬だが快挙。
まー逆にディズニーの海底2万マイルがどんだけスゴい映画かって話にもなるけど。



ここで些細な話。
富士山から逃げ出す連中が、途中で倒れている親子拾うやん。
アレはストーリーにまったく関係ないんですね・・地震が発生して、見た感じ火災もおこって、それで道端に倒れているってそうとう重傷だと思うのだが。
ガスでも吸ったのか、かなりヤヴァいはずだが、とりあえず人柄を紹介しただけ、なのか?

そんな善意の人々がいるいっぽうで丸友という、おそらく前回の帝洋グループと双璧をなす大企業が東条・・・・ほら誤変換でややこしい。
テレビアニメ「キルラキル」のノリで言うとたぶん「東の帝洋、西の丸友、日本を二分する財閥」くらいの勢い、ではないですね。 帝洋に比べると小物感が。
せこい悪役みたいなもんですね、善意の人々ばっかだと嘘くさいドラマになるので。
やっぱり日本が世界中で買い物しまくって、環境破壊の原因になってるというのが問題なんですよね、近年になって「それほど」酷くもなかったとわかってますが、迷惑には違いない。

あとは主人公のトレジャーハンター、まあかような悪党が海外で活動していると今なら「日本の恥や」と非難集中しそうですが、いやーじっさい日本人の悪党が大量に、各国で暗躍してまっせ。 ソースは西部警察。

今回、メーザー戦車がとうとう空を飛ぶようになりましたが、巨大発電車みたいなもんがどーやって飛ぶんだという疑問が。
まあそれ言ったらスーパーXがそうですよね、ゴジラの熱戦に耐える装甲が空を飛ぶかあ、っていう。
空とぶメーザー攻撃機はまあバッテリー駆動なのでしょう。
コレの音がなーんかピロピロしているような、妙に気になる。
つか、つられてゴジラの熱戦もピロピロしてないか?

 ↑基本はコレ

ゴジラとバトラは海中で対決し、そのとき海底活火山か何かに飲み込まれ、後日ゴジラは富士山から出てくるという。
1500度のマグマの中を泳げると判明し、だんだん無敵設定が増えてきますねこのころは。
ところでラストバトルの、モスラ奥義がなーんかガンダムのアッザムリーダーみたいで、仮に同等のものだとすると、4000度の高熱でゴジラを苦しめたことになりますね、1500度泳げるのに4000度でダメージくらうのかなという、仮定に仮定を重ねた考察。

話の順序がデタラメだが、国会議事堂にマユをつくって羽化するモスラは、つまりモスラ映画に必須の「変態」をぜーんぶみせたわけですね。
卵から成虫まで、ひと通りこなしたのは珍しいかも。
この羽化したモスラがスゲえ鮮やかに見えたのは、さいしょの視聴だけですね。
はじめて観たのは浅草東宝で、何度かこの劇場の話をしてるんでちょい説明。

浅草東宝は2006年に閉館と、ネットにはありますね。
しかしファイナルウォーズは浅草東宝で観ていないと記憶。 思い違いか?
まあいいや、少なくともvsキングギドラから東京SOSまで、ここで観ました。  数えてみるとちょうど10作品か、新作は。
平成ゴジラは年末に封切られ、じっさいに観に行くのは正月元旦と決まってました。 妙な習慣であり、しかし寒さと電車に弱いということで、苦行だったw
いまでも正月元旦に映画をみる習慣は残しています。
電車酔いさましをかねて、浅草をブラブラ略して浅ブラしたりしてたのは思い出、今現在はバイクですっと行けるシネマコンプレックスしか出かけないようになって、習慣が残ってるってそんだけのこと。

つまり封切られた新作を観ていたんですが、いっぽうでこの浅草東宝、独特のイベントをやっていて。
旧い映画(主に東宝)を数本、オールナイト上映するというもので、たまーに怪獣映画がプログラムされるので、そこが狙い目みたいな。
今はネットですが、昔は情報誌「ぴあ」を主に立ち読みしながら、それを察知するわけで。

だから平成ゴジラや平成モスラ、ミレニアムゴジラを浅草東宝で観たという話と、旧いキングコング対ゴジラとかモスラ対ゴジラなどを浅草東宝で観たという話が同時にこのwikiに綴られてますが、そーゆーことです。
いま思えば贅沢な体験でした。

はなしもどして。
最初に劇場のスクリーンでみた平成モスラは、エラい鮮やかで、その後VHSレンタル、そして配信などで見直しても、当時のインパクトが蘇らない。
映画館でしか再現できないコントラストだったのか、あるいははじめて新作のモスラを目の当たりにして、錯覚でもしたのか。
テレビでは再現できない色ってあるかな、妙な話です。


あとは懐かしいものがこの映画には映りますね。
ナムコ・ワンダーエッグだっけ、二子玉川ちかくの・・・入ったことはないけど、自転車でよく行った場所なんで馴染みでした。
あとは横浜みなとみらい、横浜博覧会に行ったことがあり、みなとみらいはそのときに作られた街だっけ、最初はイベント会場で。
その後も横浜いけばあの特徴的なランドマークタワーや観覧車、ヘンなビルは見えますし、やっぱり馴染みのある場所。
そこがゴジラ決戦というわけで、なかなか楽しいもんですな。
つかバトラが振り回してゴジラにダメージを与えた観覧車、乗ったことあるような・・・あまりにも遠い記憶なんでハッキリしない。

ゆうてもローアングル撮影が少ないので、どうも既視感はおぼえないですね。
ホンモノのみなとみらいに見えないってことです。
自分が歩いたあのイベント会場にモスラとバトラが降り立って、データ通信をするわけなのに、実感がわかない。
ちなこのシーンはなんか、携帯電話やPDAの赤外線通信みたいですね。
ゆうても映画の当時は、赤外線通信できる機器が普及しておらず、実践した人は少数派なんですが、今では「赤外線通信」というと古いですな。

とまあそんな感じで。
けっこう語れました。
つか自分の中でけっこう話題ですね、vsモスラって。




●ゴジラvsメカゴジラ


繰り返すけど今年、ゴジラ/キング・オブ・モンスターが上映された記念で、HULUはゴジラ特集をやってて。
初代ゴジラから順を追って観ている次第。 全作ぜんぶ配信って前回はゴジラ2014の次の年くらい? 記憶あいまいだが数年ぶりってことで。

えーっとvsメカゴジラですね、当時の感覚や時代背景を思い出すと、もうなんとなーく映画の制作はわかってました。
ビオランテからvsキングギドラは二、三年ほど間があったけど、すぐ次の年、やっぱり年末にvsモスラ出たやん、この時点で次もあるなと思えて。
また次回予告というか、映像はいっさい撮れていないので単なる告知みたいなもんだけど、次回作予定と映画の最初だか最後だかで公言するようになってきて、なおかつトライスター版つまりアメリカ版ゴジラの話が出てきたのもこのへんで。

けっこう盛り上がっていた時期です、はい。

内容的には・・・いくつか不満点もあって。

まんずどうも納得がいかないのが、メカゴジラの運用というか、存在ですね〜。
この後に空想科学読本などが出てきて、「質量とエネルギー」という問題が一般の特撮ファンにも浸透するのですが、けっこう当時から疑問だった。
大雑把にメカゴジラのスペック言います、重量15万トンでマッハ1。
そんなことが可能なら、ゴジラ型にせずとも、なーんか別なメカをつくって運用したほうがいいと思うのだが・・・自分は科学に詳しくないんであまり具体的なことは思いつかないが、何らかの飛行機械で、とにかく上空からゴジラ2000ミレニアムで登場した貫通兵器を撃ちまくるとか。
つかメカゴジラのアンカーはちゃんとゴジラに刺さってるやん、やっぱ貫通は有効なんじゃん。

野暮なこというようだけど、例えばメガギラス時のブラックホールなど、設定がハードでもちゃんと楽しめる展開にはなる。

そして最近どっかで書いたけど、ラドンの頭が動き硬いという。
余談だがゴジラヘッドは、前作のvsモスラでだいぶん柔軟になってきて、なんつても前後に動かすことができるようになったのは大きい。
今でもそうだが日本のトクサツって「モーション」つまり動きに関しては意識低くて、特撮だけではなくプレイステーションのゲームムービーでも同じでしたね、2000年前後になってやっと海外のゲームムービーと同等になってきたというか。

で海外の、まあ今作vsメカゴジラと同じ年に出たジュラシック・パークもそうだけど、それ以前のストップモーション・アニメーションでも、恐竜やクリーチャーは首の前後が非常に大事で、手人形でキツネとかやっても前後の動きでいろいろ表現するやん、ゴジラでも同じだろと思うのに、特にビオランテのころは非常にガチガチで前後のアクションはまるでダメ。
放射能火炎とかいったんアタマ後ろに下がってからクワッと吐くほうが躍動感あるやん、つか前作からソレが実現してきたし、今だとレジェンダリー版はそうなってるし。


それがラドンのばあい、今作でもまだまだ硬いというね。
ホント、シンプルなギニョールのほうが良かったんだけどね、じっさいには動きよりディティールを優先した模様。
ちなラドンの出番っていつ以来だろ。 怪獣総進撃あたり? あとは回想シーンみたいな。
で、このvsメカゴジラの次は確かファイナルウォーズ、十年くらい登場がなく、そしてまた15年くらい? 今年になってようやく再び。
まあフツーの怪獣は過去にテレビ/映画などに出演してそれっきりなんで、それでもまだマシなのかもしれない。

ダメ出しはそんなもんで、あとは良いことが多々あります。

やっぱりオープニングの迫力はそーとーなもんで、伊福部音楽で良かったーとつくづく思う。
それと約二十年ぶり? メカゴジラの逆襲以来のメカゴジラ、あのときもディティールに対するコダワリが垣間見えたが、今回はさらに細かい。
まあゆうても、超細密な工作でつくったメンテ用のスパーク? どんな用途なのかよくわからない。 溶接や切断じゃないんですよね、電子ライターやガスコンロと同じで端子から端子にスパークするプラグみたいな・・・。 まあうがった見方すれば単なる視覚効果で、それっぽい雰囲気でやったのかと。
この時代になるとこーした巨大メカの整備中は多重露光などで火花を入れるのが通例ですが、じっさいに作りたかったんでしょう。

デザインもなんか「当時らしい」というか、二代目までは意図的なリベット鋲打ちっぽい仕上げで、それがカッコいいはず、という判断でしょうね。
むろん70年代から、鋲打ちは時代遅れとわかっています、現実の航空機がもう沈頭鋲が多数派だったんじゃないかな。
ジャイアントロボと同じで、メカっぽさをアピールするアクセサリーみたいなもんです。
今回の三代目は、現在の人類がつくった設定なので、さすがに見た目で遊ぶ余裕はないだろうし、少しでも抵抗の少ない丸みデザインに。
そうはゆうてもガッシリと重量感があって、そこが90年代らしいおおらかさというか。

四代目の機龍は、トコトン凝ったデザインになりましたからね、まるでアニメのメカデザイナーが手がけたみたいな。
どれもこれも時代を良い意味で反映した名機。

またメカゴジラの伝統、火薬増量もちゃんとやっていて。
ラストバトルはスゲえ迫力で、スタジオ火災が心配だw


もひとつ伝統、小ゴジラが出るってんで、ゴジラのボリュームもアップ。
着ぐるみは前のを続投らしいんだけど、詰め物かえたのか、妙に迫力がある。
平成ゴジラは昭和と比べても、足音が重厚でカッコいいが、今回さらに重量感があるというわけで。

その小ゴジラ、ベビーゴジラはキャラデザはアレだけど、当時の日本では最も進化したモンスタースーツかもしれない。
一歩踏み出すとき、わざわざ足の指を開いてみせるあたり、かなり自信作とみた。
まー海外だとジム・ヘンソン工房とかあって、遅れているんだけどね、比べてしまうと。 とにかくベビーゴジラは「日本では」スゴいほう。

余談ながらいまウィキペディアみたらメカゴジラの、組織内での運用は「艦船」だそうで、かように登録されているそうな、面白いなソレは。
決して巨大なスーパーXってわけじゃあないんですね。 でもってOSはREIKOだそうな。 OSが設定されているってのがパトレイバー以降だよね。
余談ついでに、アルドノア・ゼロのスレイプニールOSがアシモフで、まあロボットだからね、それもいいね、となるんだけど。
アシモフというOS、他のロボットアニメにもあったような気がして・・それが思い出せない。

今回登場のファイヤーラドンはゴジラ・キング・オブ・モンスターズにも出ましたね、口から熱線ははかないけど。
そして粒子化してのフュージョンは、よっく考えてみると金子版ゴジラではなく、今回のラドンが最初だったのだろうか。 ウルトラマンシリーズならいくらでもありそうな話なんだけど。 でもってキング・オブ・モンスターズはハッキリとは言わないが、そこも再現していたという。


いやーほんと、日本はじめ世界中の特撮ファンがひっくり返るような、良い意味でスゲえ映画でしたキング・オブ・モンスターズ。
日本じゃ「究極超人あ〜る」など、一般人にわからんような特撮ネタを大量に仕込むっていう創作は、とくに今では枚挙にいとまがないほど多いんだけど、まーさかアメリカ版ゴジラでそれをやるとは、ツッコミが追いつかないという嬉しい悲鳴。

しかも、キング・オブ・モンスターズのエンドロールで中島春雄がゴジラ着ぐるみでニッコリという、メイキングシーンを入れるってのは、今回HULUでずーっとゴジラ特集みてますが、前代未聞であろうと思う。
つかゴジラ映画であるわけないよな、メイキングの写真が入るとか。

 ↑こんな感じの写真でした

あいやゴジラvsメカゴジラに話をもどそう。
もう三枝未希は空気のような存在になりつつありますね、2つの意味で。
Gフォースの食堂に、フツーにいるもん。 ゴジラと戦う組織に入れば、自動的に会えるみたいな。
どうでもいいけど、精神科学開発センター行ったら、夜なのに子供たちが働いていますね、泊まり込みか? それとも宿舎生活なのか。

そこで超能力児童たちが引き出したデータは音楽で、当時流行りの「音楽は人類の発明ではない」という考え方です。
というより、今ではより常識になってますね、あらゆる物質、空間にメロディが隠されているってのは。
一部の物理学者も「この世界はコード(記号)でできてね?」と考えることがあるらしく、NHKのドキュメンタリーでそう語ってたようなあいまい記憶。

 ↑キリエラ戦記編で、「この世界は旋律でできているのか」という台詞があった

その音楽はカセットテープで録音、再生ですね。
うーんそうなんだよね、自分もカセットテープから、次はイキナリiMacでiTunesという、最初はMP3というフォーマットの、つまりはデジタル。
要するにMD時代をすっ飛ばしているんですが、たぶん多くの人々がそうなんじゃないかなあ。
ま、個人的にはMDよりDAT、つまりデジタルテープに憧れましたね、何が違うのかよくわからんまま。
とうぜん、PCでデジタル録音できるようになってからはDAT機器はどうでもよくなりました。

製作年みると、五年後ですよミレニアムゴジラは。
ミレニアムには小道具としてiMacが登場しますが、つまりゴジラ映画の中でもMDをすっ飛ばしている。
ビオランテから、いや84ゴジラから通してみると時代ってほんとに面白い。

また今回、わりと重厚に見えるのは、たぶん次のvsスペースゴジラと比較して、ってことでしょうね。
内容的には自然賛美、極端なヒューマニズムという、ごくフツーの日本映画です。
ただ、その極端なヒューマニズムを貫くにも、まわりのGフォースメンバーや防衛幹部が冷めた目で常にみているため、ちゃんと「意地を押し通している」っていうことになるんで、そこはうまいというか。 まあ命がけですからね、この劇中世界でのヒューマニズムは。
安っぽい作品だと、上層部から市民連中まで、みーんなヒューマニズムにホイホイと賛同して・・・あ、vsキングギドラがそんな感じじゃん。
ゴジラという敵がいる以上、日本人は右傾化している、というのは良い設定かと。

いやなんか、細かいこと語ってたらキリがないので、とりまこのへんで。

次はゴジラvsスペースゴジラか。
あんがい作品数少ないんですよね平成ゴジラもミレニアムゴジラも。


★近況


ここで最近みたものを語ると。
HULUでゴジラ特集はじまったので、そちらを優先した結果、YouTubeの東映公式でみていた仮面ライダードラゴンナイトが観れないという。
ぶっちゃけぜんぶ観るほどには暇人じゃないですから、何を観るか何を観ないかという判断は必要。
そりゃそうだ。

まず基本的に無料配信部分ですねYouTubeやニコニコ動画、GyaO!の。
そっから番組表をながめると、ひとつふたつくらい観たいもんがあるものです。 仮にみっつの動画サイトに絞って、そこに今、ふたつ観たい番組があったとすると、六作品あるわけで、多くは二話同時に無料配信、期限は3日だとすると、いったい毎日、いくつ観ればスケジュールをこなせるのだろう。
また録画している番組も消化したいし。

で、ドラゴンナイトを途中で外したわけだが、すでに救急戦隊ゴーゴーファイブも見送っている次第。
あと特捜エクシードラフトなんて、いっぺん観たいな思っていたのでちょうどよい機会だし、超新星フラッシュマンも観たかったが同様。
超人機メタルダーはもう終わったころかな、何度でも観たいのだが・・。

あと、HULUやバンダイチャンネルにありそうなコンテンツは、どうしても先送りしますね。
機動戦士ガンダム00なんてそうです、もう十年以上前なんで、そろそろもう一度観たいがまあ仕方ない。 いまGyaO!にあるけど見送り。
GyaO!といえば、ASTRO BOY鉄腕アトムが来てますね、2003年だっけ、当時みてたが、ハッキリ言ってSF的に充実しないので印象が薄い。
まあプルートウのところだけ観たが、こんな作画凄かったのかと驚愕するいっぽう、内容はないようで。
アトムの奥義がなんだっけ、アームキャノンだっけ、単なる破壊兵器かよ、というあまり考えがない話なんです。
ましてや「ロボットとはなんぞや」などと哲学できるものではありません。

ちなみにGyaO!のレビューでも「ロボットの擬人化」と酷評してたが、まあわかりますね。
パトレイバーや攻殻機動隊が築き上げた、SF考証というものが一切なくて、設定だけロボットでパワーや内蔵装置などがあるが、じっさい人間として描かれていて・・・例えば停電で照明がおちると何も見えないってことです。 情けない。

どのみちGyaO!は広告が雑で酷いので、頻繁にみる気はしないです。
ゲームセンターあらしは、ひたすら懐かしい雰囲気なんで最優先したが、ほかはいいや。

まあ何度かこのwikiで書いているけど、2013年にiMacを今の4コアに新調、2014年に回線を1から8メガに変更して。
それ以来、絵を描くより配信動画みてるほうが多いという日々。
余談だがソレ以前は、iMacの熱暴走で動画どころじゃないという。 理由はコンテンツのリッチ化・・・と何度も書いてるけど、これは自分言葉。
要は動画サイトもアップグレードしているため、旧いiMacじゃマトモにみれなくなっていた。


だもんでiMacと回線かえてから、喜んで無料配信をみてました。
また別な理由として、例えば超人機メタルダーが配信されると「次はいつになるかわからない! いま観なくては!!」と想ったわけで。
そんなにがっつかなくてもいいなと反省した今では、チェック番組少なくしている次第。

っつーわけで、ネット配信視聴は減らしているという話。
ぜんぶ観てたらなんもできんわ。


●ゴジラvsスペースゴジラ


タイトルでなんかいつもいつも引っかかるのだが・・・。
じっさいはゴジラvsモゲラだよね。
どっちがより活躍するかって話で・・まあいいか。
バトルはいちおうスペースゴジラ退治なんで、間違ってはいないが印象度はモゲラ。

モゲラは確かに、前回のメカゴジラより強そうに見えますね。
まずゴジラに勝てるのはゴジラだけ、という呪縛から逃れられたのは大きいが、同時に宇宙怪獣がその呪縛。
あとはメカゴジラより頑丈そうにみえるし、シンプル化したぶん、強力に違いない、という感じで。


作品そのものについて語ると、うーん、まあ、なんつか、箸休めですよね。
当時は何があったんだろう、と思ったりしたわけだが・・・じゃあいま、ウィキペディアみると。
なるへそ、急遽制作されたってわけか。
我々観客はなんかルーティンに慣れてきて、また来年もあるっしょ、くらいに思っていたが、じっさいにはvsメカゴジラまで「コレが最後のゴジラ」という意気込みで作っていたのかもしれない。
ちな急遽制作された理由は、エメリッヒ版ゴジラが遅れているからとか・・・あ、トライスター版の件はもう、監督がヤン・デ・ボンからエメリッヒ変更して、かなり話がまとまっているんだこの頃。

前回に語った「周囲が右傾化して、その中でヒューマニズムを通す主役たち」という構図は引き継いでいるものの、今度はそれがテンプレートになった感じがある。 まあいいけど。
三枝未希は完全にゴジラ保護派閥になっていて。
要するにこの頃は再び、怪獣災害による被害者、遺族たちの真っ黒い憎悪という設定が忘れられている時期でして。
コレはたぶん、東宝のスタッフだけのことで、ファンはそれに対して「物足りない」と思っているんです。

それをうまく反映したのが平成ガメラシリーズってわけで、特に三作目、邪神(イリス)降臨は見事な出来栄えでした。
怪獣災害を真面目に描いたという点では、1954年つまり昭和二十九年の初代ゴジラ以降、久しぶりとなり、それ以後のゴジラにも影響があると思う。


スペースゴジラのほうは、もう伊福部音楽も使われていないので、かなりガッカリ感があって。
怪獣災害を本気で描いていない上に、音の印象も軽いので、そらそうか。
あとは何だろ、不思議と絵も薄いようなイメージがあって・・なんかコントラストがないような、そんな印象というか。
単に暗いシーンが少ないからだろうか。

で、vsモスラ同様、あまりレンタルしないほうですねゴジラ映画としては。
改めて念を押しますが、ゴジラ映画としては。ってことです、複数回は観てます。

実は前回のメカゴジラ、ラスト付近で、なーんかゴジラはもう理由もなく日本襲撃しないみたいな、そんな雰囲気になってて。
昭和ゴジラでいえば南海の大決闘くらいからそんな感じでしたが、再びという。
あいや、ゆうてもやっぱ危機感は残ってます、いつ上陸するかわからんので、ゴジラは滅ぼすべきと日本の誰もが思ってるという部分は継承。
じっさい、九州を横断するという暴挙になるわけですがゴジラさん。

その、九州縦断はわりと見どころというか、なんかノリがいいですね。
「誰か止めろよw」と思いつつ、いやスペースゴジラのほうが駆除優先だから・・みたいな。

逆に当時「なんじゃこりゃ」となったのは、アステロイドベルト。
たぶんこのwikiで何度か書いたと思うがもいちど言うと、1981年にスター・ウォーズ 帝国の逆襲があって、いま観ても「CGか?」ってくらいの出来栄えですよね、それが1994年のvsスペースゴジラでは「この程度かよ」という。
まあ時間も予算もないっていうのはわかるのだが、それだけか? とも思えて。
例えば庵野秀明、樋口真嗣みたいな若い(当時は)才能をシッカリ確保してれば、もっといい絵が撮れたんじゃね? みたいな。
ムリにアステロイドベルトを岩石操演とかせずに、少しはマシな演出ができたかもしれないやん。
まあ自分ならどうすればいいかわからんですけどね。
在籍している手持ちのスタッフに任せるくらいしかできないでしょう、自分なら。

あー肝心のスペースゴジラですが、どんだけ強くても、弱点設定がある限り、強敵ではないという結論。
それはもう、劇中でハッキリしております、はい。
なんか周囲のクリスタル壊されても弱いけど、両肩のふたつもけっこー砕けやすいんだ、みたいな。
あとはオーバーヒートで自滅みたいな。


モゲラは背中バックパックを射出してその肩クリスタルを破壊したって印象があったが、改めてみると背中バックパックがないっ。
使ったのはスパイラルグレネードミサイルであって、どうも後々のゴジラvs機龍とごっちゃになっていたような。
やっぱ何度も観ておくもんです。
モゲラの名前はこのたびは「Mobile Operation Godzilla Expert Robot Aero-type」、ウィキペディアからのコピペですが、まあ遊び心ありますね、観ているほうもまさかモゲラが人類の兵器として復活するとは、と感心します。
悪ノリととらえる人もいたかもだが、いいんです悪ノリで。

 ↑地球防衛軍のモゲラ

でもってこの映画、実はけっこう見どころが多いというか、あんがい充実しているというか。
テレパシープロジェクトのアイツ、ゴジラを操ってハカイをしようとした男。 84ゴジラのムッシュかまやつと、コイツを足せばガメラ3の倉田になるんでないか、とかなんとか思ったりした。 しかし今回視聴して、あーゆー死に方だったかと意外にも感じたりして。
最後は自分でテレパシーギアをかぶって、オーバーロードして気絶、みたいな退場という風に覚えていたのだが。
なんかコンソールのスライダーレバーを考えもなしにマックスまで動かすクセがあり、サウンドエンジニアには向かないタイプと思われ。

あとはバース島にいた柄本明とあとふたり、あれってゴジラを監視している左遷組という思ったら違うんだね。
つか監視員は必要だという考えがあり、それで誤解していたのだろうと。 まあ、じゃあ、監視は違うとして、左遷組という誤解はなんだろというと、本筋ではない作戦に躍起になっている柄本明の姿がそう思わせたのかと。 ま、Gフォースなどの右寄りな連中からの資金でしょうね、それなりの装備を整えていて、でも誰からも期待されていないやん、あんなちっこい血液凝固剤でゴジラ倒せるわけねえし。

ま、とにかくいろんなアイデアが詰まっているのを再発見。
また各地でのロケも盛んで、まあセカンドユニット、サードユニットが少数で日本中歩いたんでしょうね、ロケは日本を西東網羅して。

ゆうても、やっぱり薄い映画かもしれず、それは最後の福岡決戦は40分くらいあるというか、そこに至るまで1時間もどんな展開だっけ、みたいな。
テレビドラマのダイジェスト版みたいな、いつもと違う印象ですね。 特に時間制限はキツくないので、いつもどおりフルに1時間50分撮れた、という。
じゃあイチバン短いゴジラはオール怪獣大進撃あたりだろうか。 アレは確か70分くらい?
ゴジラ機龍も短いが、同時上映のとっとこハム太郎があるためで、実はそれほど短編ではないようで。

うんけっこう語れた。

さいごにひとつ、リトルゴジラなんだけど。
まあ前回もデザイン甘いとは思ったが、今回は最悪ですねw
黒歴史にしたいくらい。
ミニラとも違う酷さがあって。 つかミニラもそうだけど、成体より目がデカいってあるかなあ。
大きさは二十メートルくらい? もっとデカいかな。 そうなることは、前回のメカゴジラでもわかってるはずなんで、最初から無人島で飼えよ、という。


とまあそんな感じです。

ちな次はデストロイアなんですが、その後はどーしよ。
間に平成モスラがみっつ、挟んであるのがホントなんだけど、いまHULUにないと思う。
かわりに平成ガメラみっつ観れたらちょうどいいんだけど、それも無いかな。 でUSAゴジラをミレニアムの前に観ると順序どおり。
あいやUSAはガメラ2と3の間か。
まあいいや、あとで考え。


●ゴジラvsデストロイア


HULUのゴジラ特集、ここまで観進めました。
いやーしかしまあ、この時点で長い歴史ですね。
えっと初代が1954年でデストロイアが1995年・・・41年? 長いな、ほんと長い歴史や。(じゃあ今年は2019だから65周年か)
それだけに、ゴジラ映画の存在そのものが変貌していきます。
簡単にいうと、平成ゴジラはもう「かつてのファン」が制作陣なわけでして、はい。
しかも徐々に、80年代オタク文化、つまり現在と同じ感性が浸透してきますから、ゴジラも過去のリスペクトが多い。
とくにデストロイアはかなりマニアックな内容というか、こっからだんだんファンムービーっぽくなってるような。

まず当時の感想とか語ると。
vsキングギドラ以来、ずーっと続いていた正月興行も、ついに終わりかあと感じました。 ゴジラに関しては極端に情弱というか、意図的にそうしているんだけど、それでも「ホントに終わるな」とは想った。
「終わる終わる詐欺じゃねえぞ」ってコレはさらばあぶない刑事の宣伝文句だっけ。 ゴジラ融解のカットも先行していて、それが単なるイメージ映像ではないな、ということです。 予感です。

ゆうてもゴジラそのものが終わる、とは誰も思っていないのではないだろか。
平成ゴジラってややこしいけど、まあ個体としてはたぶん、昭和ゴジラと同じ二代目ではないかと。 初代は間違いなくオキシジェン・デストロイヤーでお亡くなりなんで、とにかく二代目以降。
じゃあ、三代目が出てきてもおかしくはなくって。
なおかつ、リトルゴジラがいるから、まあいづれ映画は復活するだろうと観る前からみんな考えたはず。

じっさい、そのとおりに。

とゆか三年の間をあけて再開した「ミレニアムゴジラ」は、各々が別な物語として、一貫しないという・・機龍は二作品で連続したが。
昭和ゴジラがそもそもそんな感じで、SF物語の発表会みたいな・・・そう考えると平成ゴジラって安定感スゴいな。

観る側もデストロイアでゴジラの仕舞い方を学んだので、ミレニアムゴジラの最後、ファイナルウォーズもうろたえなかったのでは。
まあファイナルウォーズのあと、十年も空白ができるとは意外であったが。
怪獣の正月興行もなくなり、わりと寂しい時代が今に至るが、昭和ゴジラあとの情報飢餓には程遠いので、苦しくはなかったような気もする。

本編はイキナリ香港でバーニングゴジラ登場、バーニングも予告編かなんかで知っていたと思うが、唐突ですな。
このバーニングゴジラ、映画を観ているときはわからんかったが、不可能ミッションに近い造形みたいだね、あんだけ電飾を仕込んだ着ぐるみはなかなか出来ねえぞ、という・・・映画のあとにパンフレット開くという習慣で、先述したように意図的な情弱はそこでも通してます。
で、パンフレット読んではじめて、大量の電飾で赤く光らせて、その配線をズルズル引きずって演技していたと知る。


当時の感想を続けます。
まあマニアックですよね、初代ゴジラの山根博士一族が登場して。
孫が主役というか、もう設定がゴジラマニア。 なんか超有能なブレインとして組織に勧誘されたが、まあご都合主義なスーパー能力ですね。
あれ? じゃあ山根博士の息子って誰やねん、宝田明ではないのか?
まあ宝田明だと年齢があわないので・・・まあパンフレットにはそのへんのドラマが書いてあるんでしょう。
ちなパンフレットは、いまこうしてPCに向かってタイピングしてるが、振り向いて手を伸ばせば届くところにゴジラの束が詰まった本棚あるけど、めんどいので参照しません。
山根家の婿養子・・・にはなれなかったんでしょうか。 まあいろいろあったんだろうね、孫の父親が宝田明なら、ムリにでも出演するでしょう。
と思ってウィキペディアみたら、なるほど、山根娘はけっきょく独身なのか、じゃあ孫と祖母じゃあなんだな。
つか河内桃子は当時六十代で、まだ若かったんだ、いやまあ、そらそうか。

うーむ入り組みすぎ。
初代ゴジラといえば90年代ですでにとてつもないレジェンドなんで、その山根博士一族をイジったこの映画、たぶん賛否両論でしょうね。
主役の学生は先述したようにゴジラマニアであり、要は我々の友達でもあるんでそこは好きだが、いっぽうで好きではない部分もあり。
ゴジラは趣味として研究してるんで、深入りするのは怖いなあとか、ゴジラは趣味のつもりが一線を超えてしまって、僕も必死なんだよ、とか。
お前の自分語りは聞きたくねえよ、ゴジラのことだけ語ってくれよ、という。

なんかスゲえ話が長くなる予感がするんで、ちょいマキを入れます。
ところでマキを入れるのマキってなんだろうね、ゼスチャーだと腕グルグルなんで、巻くという意味のマキなのか、あるいは燃料投下という意味の薪なのか・・おっと話が長くなるっ。
映画館でみた直後は、そんな評価が高くないですね自分の中で。
なんか雑然として、満足度が低い印象だったんです、とくに小型デストロイアと特殊部隊の戦いは、なんかパッとしないというか。
よっくみるとけっこー頑張ってるんですけどね、プロップも車両もわりと投入しているし。
それにしてもデストロイアのデザインはなーんか古いマンガみたいで・・・いや実はマンガのクリーチャーとか詳しくないけど、デビルマンあたりはこんな雰囲気なのではないかと勝手に想像。 要はデザインが二十年くらい古い。

また小型デストロイアの動きは明らかに操演で、なんとなくモガモガしていて、まったく冴えないのを正直にカメラに収めているという。

あとはミニチュアセットの撮影も、相変わらずセンスが悪いなあと思って。
そう思うには根拠ありますよ、ズバリ海外映画のSFXと比較しての話です。 こっから撮る! という明確なイメージが頭にないんでしょうね。 つまりフォトグラファー的なセンスが足りてない。 ミニチュアがミニチュアに見えるのはもう仕方がないことなんです、でも初期のゴジラや特撮映画は、もちっとカッコよく撮っていたんです。 今回もまたピントが甘いし・・・。
余談ながらミニチュアセットの精密さは日本ってけっこう出来がいいみたいです。 しかしセットの出来を語るなら、スピルバーグの「1941」で飛行機がアクロバットするシーン、背景の遠いビル群はダンボールの切り抜きだそうですよ、ライティングも相まって、とてもそうは見えません。
なんつか・・・そゆことです。
うまく撮れてないんです、平成ゴジラ全般に言えるんだけど。

だからゴジラの最後だからとて、そんなに盛り上がらないです。
ホント、デストロイアの古臭さは致命的です。


とまあ、当時の感想を語った、
なかなか辛口っしょ? 海外特撮も多くみてるんで、客観的に語った結果です。

さて、こっからちょい後の感想を綴ります。
なにがどうなのかというと、次の年にガメラ2レギオン来襲を観に行ったってことです。
平成ガメラ一作目は情弱なんで存在すら知らず、でも評判がスゲえいいんで、あわてて二作目を観に行ったみたいな。
だからもう、これは仕方のないことなんですが、デストロイアと比較せざるを得ません。
ソレとコレを比べないでどうする、って話です。

まんず歩兵部隊のシーンが、平成ガメラではうまく撮れてますね、うまくっつーかアレが当たり前なのでは、と思う。
そして小型怪獣が市民や兵士を襲う展開、ここはもう、圧倒的な差がついてます。
繰り返すけど海外特撮を多くみていて、なおかつ一般には知られない底辺、B級も含まれるんで、その理由がなんとなくわかる。
要はムリして何もかも撮らなくてもいいんだ、って話で・・・。
小型デストロイアはちょっと何もかも撮りすぎですね、ホント正直にカメラに収まっている。
映画はカットで見せるんだから、いくらでも工夫ができるわけだし、ダラダラすると思ったらシーンごとカットもできるんだし。

それに対して平成ガメラのレギオンは、ホント見事。
いちおう人が入っった着ぐるみなんだけど、パンフレットで全身写真みるとなんか冴えないですね、どこか間抜けで。つか足は中の人見えてるし。 それが劇中では、部位のドアップやカメラワークで、その間抜けを見せないんです。
つかまあ、デザインそのものもデストロイアよりレギオンのほうがはるかにモダンというか、ムリにキャラを封じ込めていないのが逆にカッコいいみたいな。

 ↑小型レギオン

あとは街の撮り方がカッコいいですね平成ガメラのほうが。
こっから撮る、って最初から絵コンテかなんか決めてたんですかね、ホント、ミニチュアの精密さだけじゃ語れない、絵としての良さがあって。
まあこの部分は、たぶんゴジラ映画を見慣れたスタッフたちが反面教師として、研究したんでしょうねたぶん。
また平成ガメラのほうが、頑張ってピントを合わせてますよ、巨大怪獣描くなら、焦点はマヂで重要。

ついでに言うと、ガメラ2はCGの使い方がホントにうまかった。
千体いる小型レギオンの群れをCGで描くってのは当時、斬新だったし、土砂をCG処理ってのも良いアイデア。

つまり最初からゴジラvsデストロイアはそんな評価が高くなかったが、平成ガメラの登場で、なお自分の中でランキング下がったという。

いやー最初に観た感想と平成ガメラが出てからの感想で、けっこう語れますね。

じゃあ今の感想はどうよ、ということですが、なーんか脳内で時系列がごっちゃでよくわかりません。
たぶん、当時と同じなんでしょうね。
平成ゴジラというひと枠の中で、とくべつ重視はしていないですし。
「あ、終わった」くらいの。

語りたいことはだいたい当時の話と、平成ガメラとの比較で言ったので、じゃあ別な話題を。

劇中で東京湾クルーズあるやん。
学者と山根姉ちゃんの実質デートとしか思えないんですが、この映画を観る前に自分も経験してるんですよ。
何だかんだでまだまだバブル残滓って時代でしたから、そういうお相伴もあったってことです。 記憶あいまいですが、もしかしたら映画と同じ船かもしれない。
何がスゴいってレインボーブリッジをくぐるときですね、なんか「おおおおっ!!」ってなります。 巨大な構造物を目の当たりにしたとき、誰でもかように感動するものです。 その感動が、映画館で観たときにはかなり保存されていた、という話。
これは観た時期が自分の、じっさいの経験と近いってこともあるんでしょうが、それ以上に映画館のパワーなんです。

観たのはやっぱり浅草東宝、とくべつデカいスクリーンじゃないが、かといって小さいわけでもない、なかなかの条件。
観るのは必ず正月元旦だったので、東京はわりと人が少ないんです、まあ浅草は別ですが、この日にわざわざ映画を観ようって人はいないようで、とにかく映画館の席は選び放題、なれば絶対に真ん中で前の方に座ります。
そうして視界いっぱいにスクリーンという条件だと、かなり現実の東京湾クルーズが、再現されるという。

なんか家電店にはテレビのデモで、いろいろ映してるやん。
もう4kテレビの時代で、まあスゲえ解像度ですよね、ライブシーンで観客ひとりひとりの動きがわかるという。 そして今でも巨大テレビ、売ってます。
スネ夫を例に出す必要もなく、やっぱ巨大テレビはステイタスなんですね、ムリして買う人がいるんでしょう今でも。
そんなスゴいモニターで視聴したとしても、ゴジラvsデストロイアの東京湾クルーズシーンは、たぶん映画館のスクリーンにかなわない。

映画館で映画をみると、そーゆう余録もあるってことです。
あ、ちなみにだから「すべての映画は映画館で観なくては!」ってことにはなりません、なんか、家庭のテレビでもええやん、って作品もあるんです。
具体的には今年正月にみたファンタスティック・ビースト二作目・・・まあ風評被害になるんで詳細は割愛。
「このシーンは映画館でないと伝わらない」って絵は、むしろ少数なのかもしれないが、平成ゴジラにはそれがちゃんと備わっているわけで。

他にもいろいろあるが、とりあえすこのへんで。


●GODZILLA


ついにここまできた、ゴッヅィーラです。
1998年アメリカ映画。

HULUのゴジラ特集で、時系列を追っていたんですが、ゴジラvsデストロイアからミレニアムゴジラまでの三年間、平成モスラがあるのにそれがHULUに置いてない、じゃあ平成ガメラを代入するかと思ったらそれもない。
つーわけで、すっ飛ばしてます。
まあUSAゴジラは置いてあるので、なかなか良心的ですHULUも。

いやー何度観ても条件つきで素晴らしいです条件つきで。

何がどうかと、まあ誰でも言うことですが「ゴジラじゃないじゃん」ってことで。
ゴジラと認められないんですね世界中のファンが・・・ありゃあ巨大イグアナだろ、と。
だもんで公式の、東宝のミレニアムゴジラの中でも少なくとも二回、否定してます。 ひとつは機龍編で特生自衛隊、アメリカに現れたアレは、ゴジラとは認められていないみたいな会話があり。 もひとつは会話どころじゃねえぞ、ファイナルウォーズにジラって出ちゃったw
もう完全否定ですなありゃあ。

※後述だが、機龍編じゃなくって金子版の防衛軍でした。

だもんで自分も、アレはゴジラではないってことで話進めます。
そうなると、この映画は素晴らしい。

本編の話するまえに、よもやま話をちょいと。
平成ゴジラもミレニアムゴジラも基本、浅草東宝で観たもんですが、この映画はどこで観たのか、映画館を思い出せません。 たーしか東京だったとは思うが・・・。
まあいいや。
そしてドキュメンタリータッチのオープニングは、なーんかレジェンダリーのモンスターバースシリーズみたいで、意識してるのかな。
それとも普遍的なオープニングなのだろうか、そこよくわからない。
まあいいや、本筋の話をします。

まず内容が、暗くならず前向きというか、深入りしないドラマなのが良いですね、それは重厚さに欠ける、と捉える人もいるかもだけど、いいんですこんな感じで、全部の映画がドシリアスである必要ないじゃん。 軽いコメディを観るような感覚、なかなかよろしい。

かように好意的な理由のひとつは、あまり評判が良くないローランド・エメリッヒ監督が、実はけっこーうまいのではと再評価してきたんで。
なんつてもヒットメーカーで、超大作プロジェクトを任せて安心みたいな感じですからね。
それが唯一、ダメダメだったのがゴジラであり、でもこの監督、モスラを撮らせれば面白いもん撮れたんじゃないかなと思いますね。

モスラって核爆発が持続するようなもので、ハリケーンとも違う脅威やん、それはエメリッヒの得意とする描写ではないのか。
まあゴジラが致命的でしたからね、二度と怪獣映画はまわってこないでしょう、この人。

エメリッヒがダメだったのは・・まあ奴は最終的に雇われ監督やっただけだから、当時のアメリカスタッフがダメだった点ですね。
要はゴジラを、怪獣を信じられなかったことで、巨大なトカゲということにしちゃった。
そんな神みたいな存在を信じることができない、まあ常識人なんでしょうね。 でもそれじゃあ怪獣映画は撮れない。
逆に我々日本人以上に怪獣を信じられたのはギレルモ・デル・トロで、パシフィック・リムの怪獣は最初の弱いやつでさえ、倒すのに核兵器三発を必要としたって、どんだけ強いんだって話。 それが、1998年のゴジラでは通常兵器でダメージ、情けない。

 ↑Amazonで軽く探したらこんなネタモデルが最初にヒット

しかしモンスター映画として、今回のゴッヅィーラは素晴らしい。
先述したあまり深入りしない、ドロドロしていないドラマにくわえて、ちゃんと謎生物の解明を描いている。
そして特撮も本編も、ちゃんと撮れているってのがいいね。 編集もカメラワークもいい感じで、まあ「当たり前に撮れている」ってことですが。
で、映画では珍しいかもだけど、終始雨天なんですよね、それって撮影が難しいので避けるべきでは。
だいたいアメリカってハリウッドで撮るもんじゃんねえの、そのほうが楽やん。 なんで高難易度を選んだ。
雨天を選んだ理由もパンフレットに書いてあったかもだが、忘れた。

些細なことですが、ここで注目なのが雨の中で行動するという描写。
まず、ひとつ思い出すのはバック・トゥ・ザ・フューチャー2のラストシーン、土砂降りの中、配達が届くというところで、びしょ濡れのまま封を開けるやん。
おそらく紙も耐水なんでしょうね、日本じゃ馴染みのない習慣なんですが・・・。
配達の人はレインコートだっけ、わりと「いつもの」上着にも見えたのだが・・マーティーも濡れたまま受け取ったり、かようなシーンが海外映画には実に多い。 濡れるのを厭わないんですね。
今回のゴジラにもそんなシーンはふんだんにあります。
これだ、これが憧れるアメリカの姿や。 この雑で大雑把な行動論、日本じゃあ濡れるのを極端に嫌がって、いろいろ気を使うじゃん。
映画だけじゃないよ、最近ドキュメンタリーでアラスカの様子をみたけど、寒いとこなのにやっぱ雨合羽で濡れたまま行動するんだよね。
つまりアメリカ映画だから、わざと豪胆な仕草を見せているわけじゃなくて、骨の髄まで雑なんだよ、ザッツナチュナルボーンなんだよ。

ちなみに欧米でも傘を使う人はけっこう多いが、映画の中でソレは、スゲえ撥水能力を示している。
まあ撥水剤をガンガン使うんでしょうね、我々日本人は、環境に気を使ってかような撥水スプレーなどは控えるもんですが。
パシフィック・リムのマコが登場シーンでさしている傘も、そんな風で、レインウェアも多くの海外映画はスゴい撥水します。
まあホント、些細なことでした。

 ↑NIKWAX貼ろうかと思ったが、3Mの撥水スプレーのほうが普遍的と思って

あーUSAゴジラに関しては、語ること多いんですよ、でも全部はムリかな。

例えば、アメリカが東宝のゴジラをどう思っていたかという話で、ぜーんぶ自分の妄想なんですが。
まあ許せないでしょうね。
ゴジラの知名度って世界でも、これほど広く知られた日本キャラクターはなかなかいない、というか最も有名な日本発キャラでしょうね。 どのくらい有名かというと、アメコミヒーローに匹敵する。
それを、東宝は、製作費せいぜい十億円で小さな作品群をつくってる。
まさに超有名人の飼い殺し、そりゃあアメリカの興行師からみれば、許せないのでは。
なんとかゴジラの権利を手に入れて、映画を撮りたいと思っていたんでしょう。

やってみると難しいのは上記のとおり。
怪獣を信じられるスタッフを用意しないと、話が進まん。

今はレジェンダリーという、趣味としか思えない制作会社があるんで、ゴジラもできるんですが、当時は無理ゲーだった様子。

またネタとして、コバヤシ丸がありますね。
むろん元ネタはスタートレックのシミュレーターでしょう。 無理ゲーというか不可能ゲーというか、そんなお題がコバヤシマル。
たぶん、ギャグでコバヤシマルと名付けられたSF艦船は多いんじゃないかな、どういうことかというとつまり・・・。
ぜったい事故りそうな、あるいは遭難しそうな船名ってことですw
今回のコバヤシマルも案の定ゴッヅィラに襲われて災難なことに。
今後コバヤシマルという船名が映画に登場したら、「あ、事故るな」ってことで、その時点で笑えてくることでしょう。

他には出演者で、ジャン・レノっているやん、あの方、当時は人気俳優でした。
まあ今でも人気はあると思うけど。
ただ、映画のテレビ放送などでみると、出演作品では必ず死ぬんですわ。 それも爆死か水死。
今回のゴッヅィラでも、そらもう両方あり得るやん、フランスの工作員で、部下を引き連れ弾薬多数もって出撃、相手はゴッヅィラですぜ。
誤爆で死ぬか、水に落ちて死ぬか、そんな風に思ってたんですが・・・生き延びやがったw

まあしかし、良いキャラですねフランス工作員。
みるからにもう、あゃ☆しぃ。 つま先から頭のてっぺんまで怪しい。 しかし映画はおおらかなんで、けっこう街に溶け込みますw
またややこしいけど、アメリカ人の真似をする外国人なんです。
だからフランス工作員同士でよくわからないジョーク炸裂、日本人は置いてけぼりという。
なにがややこしいって、アメリカ人の真似をする外国人をアメリカ映画が描いているってことで・・・うーんこれを日本で例えるなら、ニポン文化ダイスキガイジンを日本のマンガ家が描いたらそうなるのかな、まあアニメ版だけど「血界戦線」にはよく出てきましたね、そーゆーの。
あ、TIGER & BUNNYの折紙サイクロンもそうだな。
アメリカドラマなんかにも「ブルース・リーやガンマンにかぶれたニポンジン」とかけっこういるような気がするので、そこはいいとして。

「アメリカ人はタバコを吸わないがガムはかんでいると外国人は思ってる」とアメリカ人は思ってるのかな。

ほらほら、そういう見どころもあるんですこの映画。

ニューヨークの風景もまだまだ80年代っぽくていいですね、ちゃんと路地裏まで映して。
今はどうなんでしょね、欧米はだいぶんモダンデザインにかぶれたって印象があるんだけど。
日本だとどのくらいだろ広さなのだろう。 東京23区が入る大きさ? もっとでかい? マンハッタンは良いロケーションです。
ちなみに地図でニューヨークみると、すぐ上の・・・NYを東京だとすると荒川対岸の埼玉は、もう人跡未踏の地、というと大げさだけど、エラい入り組んだ湾があって、その気になったら海賊なんて結成し放題やん。
ニューヨークの湾岸も、誰の目も届かないような地域がたくさんあり、テログループは武器の密輸入し放題ですな。

この無駄な広さ、だから成り立つ物語でもありますね、今回のゴッヅィラを探せ! っつー話は。
余談ながらそんだけ広い国土なのに、土地問題はおこるんです、それはもう西部劇の時代から。 特にニューヨークは蒸気で暖房してますからね、そのスチームパイプが通っている周辺しか価値はないっつーか、ホームレスなんてそーゆう蒸気のおこぼれがある場所でないと住めないでしょう。
他のアメリカ各州では、主に水の問題があるようで、広いのに住める範囲は狭いとこもあるので、わりと不便らしい。
まあ行ったことないんで知らんけど。

 ↑町山智浩氏であればアメリカに詳しい

あと買い物難民っつー言葉を思いついたんで、もしやと思ってぐぐったら既にある用語。
思いついたゆうか、どっかで聞いて頭に残ってたんでしょう。
アメリカで、つまり広い国土で買い物難民は深刻でしょうね。 車社会ゆうても、未だに車がないファミリーとか多いそうなんで。
つまり結論。 やたらめったら広ければいいってもんじゃない、ということ?
日本だったらわりとしっとりした風土なんで自然林など、利用目的はいくらでもあるんですがね。

ちなみにさっきからゴッヅィラゆうてますが、このたびの劇中でもアメリカ人がゴジラを言えなくてゴッヅィーラになる、というネタはやってます。
つかこの頃からちゃんと日本のゴジラに敬意を払う習慣はありました。 単なるドル箱じゃなくって。

謎の生物を追求するところからニューヨークの港にゴッヅィラが現れるとこ、良い流れですね、クドクドしなくて。
そしてあの巨大感、生物感、さすがにコレは、当時の日本に真似できません。 単純に予算がないってのもありますが、やっぱフォトグラファーセンスが足りなかった・・・つか東宝のゴジラになかっただけで、日本はセンスがあったこと、平成ガメラで知ることになります。
またこの映画の登場で、日本のゴジラスタッフも勉強したことでしょう。
むろんゴッヅィーラ特有のダサい面も、逆に素晴らしい視覚効果も。

文芸でいえば「やっぱ矮小化はマヅい」と思ってか、ミレニアムゴジラではかようなことになりませんでした。
またミレニアムゴジラからスクリーンサイズが横長ワイドスクリーンになってるので、なにか学んだ可能性もあります。
じっさいミレニアムになってから、わりといい絵が撮れている気がする。
まあすぐに思いつくのは、ミレニアムゴジラで繰り返された描写「海面が持ち上がってゴジラ登場」ですかね、アレは明らかに学んでる。

でもってゴッヅィラの話ですが。
いやーほんと、名作ですよゴジラではない、という前提で。
モンスター映画として最高峰ではないだろうか、やりたいことぜんぶやってる。

マンハッタンを自在に走り回る巨大生物なんて、なかなかないっしょ。
それがハドソン川では素晴らしい水中戦もあり、ここはレッドオクトーバーを追えとか意識して、じゃっかんパロディにしてるかも。
とにかく、何もかもがうまく撮れていて満足度が高いんです。
さらに小ゴジラ・・・つまり巨大生物だけどわりと等身大アクションというのもやっていて、コレってあんがいジュラシックパークシリーズや、実質その続編であるジュラシック・ワールドシリーズでもなかなか出来ないことです。
ひとつのスタジアムやビルディングに、二百匹のモンスターがいるなんてシチュエーション、考えられないっしょ。 ジュラシックシリーズで、どんな脚本ならラプトルを二百匹も特定区域に詰め込めるんだ? という。

だもんでマジソン・スクエア・ガーデンに小ゴジラ二百というシーンは、むしろグレムリン2に近いですね。
こんな異常なモンスター映画、しばらくないでしょうね、予算もかかることだし。

またマジソン・スクエア・ガーデンの地下から親ゴジラというシーンは最高に出来が良くて、まあ単純にスローモーション撮影が効いているってのもあります。 スローモーションでぜんぶにピントが合っているって、どんな魔法だと東宝ゴジラを見慣れてると驚くばかり。

親ゴジラが死んだ小ゴジラを鼻先でツンツンして、死んでいるのを確認して最寄りの人間に怒り狂う、という場面は、コレ以降も様々なモンスター映画で繰り返しあるシーンで、元は何だろ、少なくともドラゴンスレイヤー(1981年の映画)にはすでに、そういう場面ありました。

 ↑DVDも出てないんで、YouTubeで該当シーン貼っちゃいます

ちなみに地下探索で、あちこちにお魚がピチピチしてますが、どーみても作り物。
こんだけ大予算の映画でも、こんないい加減な創作があるんだ・・・などと思ってはいけない。
今はどうか知らんが、80年代後半から90年代は、本物のようなお魚造ると、動物愛護団体から鬼のようなクレームが殺到したはず。 だからインディージョーンズ/最後の聖戦でも海鳥やネズミの大群が登場するけど、けっこうフェイクであることを主張するかのような絵があります、あるいはメイキングでネズミはぜんまい仕掛けの作り物であること、見せてます。
要はお魚が作り物っぽいのは意図的なんです、たぶん。

その後のカーチェイスはもうアメリカの真骨頂というか、ホント得意ですねそれ。
綿密さと大胆さがないとあんな撮影できないと思う、むろん予算があるってのは羨ましいが、とにかく創作が論理的思考なんだろね。
ちな実はギレルモ・デル・トロ監督ってローランド・エメリッヒをわりと尊敬しているのでは、と思える理由に、このゴッヅィラに類似したシーンがちょくちょくあることで、まあ具体的にはパシフィック・リムのワンシーン、オニババが東京を襲うところとか、なんとなく似ている。

まあバカ超大作専門家と揶揄されているエメリッヒ監督を、大きな声で「尊敬しています」とは言わないかもしれないですけど。

それでひとつ思い出したのは、HULUの解説文に「インディペンデンス・デイのスタッフが」と書いてあることで、あーあったなそんな作品も。
むろんエメリッヒ監督なんですが、まあ最初にレンタルビデオで観た一発目から「なにやってんだコイツ」と思いました。
SF考証がムチャクチャというか、ホントなんじゃこりゃ、って映画ですインディペンデンス・デイ。
そのくせ画面の迫力がスゴいという困った映画でもありまして・・・つまり見応えはあるんで、まあ「オススメできません!」と断言もできないという。
あいや、けっこー楽しんで観れる映画です、はい。
だが同時に登場したアホ映画「マーズ・アタック」とどっちがアホかと言われば間違いなくインディペンデンス・デイに軍配。

しかし真面目な宇宙侵略ストーリーだからダメだったんですよインディペンデンス・デイは。
ゴッヅィラなら大丈夫、巨大怪獣という、もうアホ前提で楽しむ約束ができているんで、何をしても大丈夫。
大丈夫だからゴッヅィラはアトミックブレスを吐いてもいいんだよ、そこ遠慮するなよ、と言いたい。

あ、インディペンデンス・デイでさらに芋づる式に思い出したけど、このスタッフ航空機を詰め込みすぎィ。
どういうことかというと、ワンカット、つまり画面の中に複数の航空機をムリヤリフレームインさせるんです。 でもってハリウッドクオリティ、映像の出来はいいため、かえってヘンな映像になるというw
今回のゴッヅィラでもF-18や攻撃ヘリが強引に複数も画面に。 とくにマンハッタンをヘリで探索するとこは、10機くらい映ってるんじゃないかな。
かなりリアルな描写を目指したのはいいが、変なところで雑だなあという感想。


で、タクシーでゴジラから逃げ回るスゲえ見せ場が続き。
カーチェイスの末、吊り橋で引っかかって航空機のミサイルで仕留められたゴッヅィラですが、繰り返すようにゴジラじゃない! と思い込んでみれば、なかなか良い展開だと思う。 モンスター映画だから、巨大なトカゲのモンスターだから。

という自己暗示。

だいたいあのシーンも見事な撮影で、どーやって撮ったんでしょうね、半分以上着ぐるみ、CGも使っているとは知っているが、CGであんなディテールが出せるのだろうか、つても着ぐるみで吊り橋を走るなんてアクション、できるとも思えず。

とにかく、スゴいモンスター映画です。
これほどの作品、なかなか出来るもんじゃない。 超大作が得意なアメリカでも、数年に一度できれば良いほうかと思うスーパー娯楽作品。

あとはラストシーン。
焼け残ったひとつの卵が孵化してクワッとドアップで終わるといういつもの。
なんか類似のラストはたくさんあって、特に「プテラノドン」ではまんまクリソツであったと記憶・・まあ不確かな記憶、と書いときます。
これに関しては、なんか当時、映画館で観たときから「よくあるパターンだなあ」と思ったんだけど、具体例はとっさに出てこない。
でもまあ、たぶんスタッフ間でもモメたと思うよ。 「やめておこう、ぜったいダサいって」みたいな。
近年だと、コレは絶対必要な終わり方なんです。 だって「もしかすると続編」「あわよくば続編」みたいにできるやん。
興行的に、可能性は残しておくのは常套手段で、ぶっちゃけ日本のアニメなどもまったく同じです。

だもんでテレビアニメ版リトルウィッチアカデミアのラストは驚愕もんでした。 まーさか全部に決着つけて終わるとわ!! ってことです。
もう続編とかパート2とか考えていないんですね、スポンサーから怒られないのかな。 あ、同じ製作スタジオTRIGGERのプロメアも、続編がありえないラストで、あのスタジオほんとやるなあ、と感心すること多い。 (厚顔無恥な製作者なら『プロメアが再び現れた!』とか言って続編やるかもしれんが、TRIGGERでそれはないと思う)
ちなみに誰がどう観ても駄作のエアベンダーも、続編ありそな終わり方だっっと記憶してます、まあシャマラン監督ではない体制で、続きは作りたいでしょうね。

で、その続編を匂わせる約束ですが。
いやまじで続編みたいです。

ゴッヅィラの続編、観たいもんです、あの卵から孵化したヤツがどうなったのか、成長してまた戻ってくるのか。
もうイグアナ怪獣ジラ、ということでいいから、ゴジラではないということにしていいから、続編みたいです。
アメリカ中で小ゴジラ、中ゴジラが歩き回ってて大混乱、みたいな話、期待します。

ということで。

条件つきで大賛美の映画。


●ゴジラ2000 ミレニアム


HULUのゴジラ特集で、デストロイア→USAゴジラ→ミレニアムという順番になっとります。
タイトルは2000だけど1999年の映画。

当時の話からはじめよか、いつもどおり。
ここに至るまでいろいろあったんです。 つか具体的には平成ガメラとUSAゴジラなんですが。
個人的なこと話すと、1997年に川崎市民ミュージアムにて「怪獣シンポジウム」があったんで、行ってきました。 いやー面白かった。
池田憲章司会、他には開田裕治、金子修介といった顔ぶれだっけ。 内容はここでは語りませんが、トークショーです。
市民ミュージアムといえば時々、怪獣映画を上映するんで、このときも怪獣を複数やってそのシメにシンポジウムみたいな。

かように、平成ゴジラからはじまったムーブメントが、かなり盛り上がっていたのが90年代後半です。
例えば80年代だと、ビデオデッキの普及、オタク文化の蔓延など、雰囲気は急激にかわったが、じっさい上の方・・つまり映画や社会はそれに追従できずに、なんか空回りしていたような感じでした、はい。
わりと小回りがきくのだろうか、アニメのほうが文化を牽引していたような気がする。
それが90年代終わり頃はもう、じっさいに怪獣映画が多く制作されて、それを論じることができるわけで、当の映画も日進月歩で。

だいたいデストロイアのあとに三年間の穴埋めした平成モスラも、かなり世の変化を反映していました。
ほらほら海外SFXとかで、スゲえ特殊効果あるやん、ジュマンジなんかだとギミックを仕込んでペチャンコに潰れる自動車を製作、それにCGのゾウを足すとゾウが自動車を踏み潰している絵になるわけで、こーゆーの平成ゴジラまでは、まったくもって不得意だったんです。
平成モスラでは、フェアリーを呼ばれる子モスラが室内を縦横無尽に飛び回り、家具が倒れて壁が凹む、ということを実現。
ま、モスラ3ではワイヤーアクションのワイヤーをコンピュータ処理で消す、というのも、海外に遅れて実現して・・・でも今みると消した跡がハッキリわかるというw

そして今回、ミレニアムでは・・・。
もう平成ゴジラとはまったく絵が違いますね。
何が違うって、合成がうまくなってる。 つか昭和ゴジラの終わり頃から平成ゴジラまでが下手過ぎたw 単純なマスク切っただけの合成でも、一歩間違えば怪獣が身長1キロメートルあるよなヘンなことになります。
平成ゴジラといや、霞がかった自然な合成ができるようになって、ブレードランナーやスターウォーズに一歩近づいたんだけど、そーゆう大きさがおかしいという基本的な失敗は数知れず。

それがミレニアムではかなり進歩して、なおかつ複雑なことやってのけますね。
実景にゴジラを合成する、という場面が多いです。 なおかつ走っている車の向こうにゴジラがいるみたいな、つまりカメラが並走して自動車をフレームに収めて、その向こうにゴジラがいるから、画面は揺れているんです。 ちょうどツイスターみたいな・・・あ、誰も知らんか、1996年前後の映画で、竜巻をテーマにした技術的には最新の作品なんだけど、テレビで放送されたのみたら謎は謎、神秘は神秘で片付けてなんも解決されないため、たぶん今では埋もれているかと。

ツイスターでは移動撮影のブレを、手動でひとコマずつ修正して、自動車の向こうで進行している竜巻を合成したとのこと。
そのメイキングはテレビで放送され、たぶんゴジラスタッフもそれ見てる。
まあ張り切りすぎて、空撮の実景にゴジラを歩かせるとこなど、わりとムリが出てますがw

USAゴジラから学んだというか、意識していると思われるものは、例えば漁船が落ちてくるのを、なるべく実物大で表現とか・・・。
他にもトンネル内でゴジラに襲撃されるなど、似ているシーンはあった。


で、自分思い出ですが、むろん浅草東宝で正月元旦といういつもの。
ずっと平成モスラでしたから、いやー日常が戻った、とまではいかないが、ホッとした記憶があるようなないような。
またシネスコサイズになったので、かなり楽しんだと思います。 昭和ゴジラはカラー化してからずっとシネスコサイズですから、平成ゴジラでビスタサイズ(要は今のテレビとほぼ同じ感じ)になったときは、じゃっかん「小さくなったなあ・・」と思ったもの。
あいや浅草東宝のばあい、ビスタサイズのほうがスクリーンの面積デカいと思うけどね、ちなみにスタンダードサイズはもっとデカいと思う。

いっぽうこの映画、その後はあまり観ていないほうなんです。 なんでやろ。
2000年ゆうたらレンタルビデオ全盛期ですよね、繰り返し観ようとは思わなかったのだろうか。 あいやもしかすると90年代が全盛期で、2000年代の中頃にDVDへシフトしたやん、そのへんはもう安定期っつーか、それほど熱烈なビデオブームでもなかったのかも。
あいやそんなわけねえか・・・映像コンテンツ商戦は白熱していたような記憶がある。
とにかく自分史でいうと、ミレニアムゴジラはあまりレンタル視聴していない。
さらに最近まで語ると、2015年くらいからHULUなど、配信がメインになって、DVDすらあまり借りなくなったという。 今年2019はゼロです。
近所のビデオレンタル屋いくつかなくなったし。

でもって映画の話に入ると。

最初にゴジラが登場するのは灯台ですが、コレはやっぱり意味があって、ゴジラの元ネタになった原子怪獣現わる、その原作であるレイ・ブラッドベリの「霧笛」という短編が、太古の大恐竜が灯台にやってくる、という話でして、原子怪獣現わるという映画は原作を大いに引き伸ばしてぜんぜん違うストーリーになっとるのですが、申し訳ていどに灯台シーンは入れてあります。
まあゴジラが灯台に来るってことは、原点回帰でしょうね。


このゴジラに関してはなーんの説明もなく、ただゴジラが存在して、それに対応する組織もすでにある、という感じ。
ただ平成ゴジラとの関連はまったく感じられず、おそらくデストロイアもスペースゴジラも存在しなかった世界であろうと思う。
ゆえに「ゴジラジュニアが成長した姿では・・」という推論もあまり意味がない。
また結果論だけど、この話は独立したものとなっており、あまり考えても仕方ないことでしょうね。

対戦相手のUFOは、海底で眠っていたのが潜水艇のライトで復活、だそうです。
「あれに日光を当ててはならん!」とかウォール教の司祭さんも言ってたけど、じっさいよくわからん設定ですよね。 ウルトラマンコスモスでも若干の光で復活というシーンがありましたが・・・。
重戦機エルガイムの太陽光エネルギーとかはまあ、なんとなくわかるかもしれないが、よくある光設定はどうもね。

光なんて微弱じゃん、エネルギー源にはならんだろ、という疑問は、空想科学読本でハッキリしました。 つかそれ読んだら思った以上に微弱。
じゃあ、エルガイムなどはなにかの触媒として、あるいは化学変化の要素として太陽光があるのか、とも考えられる。
ちな空想科学読本は光の微弱さについて語るいっぽう、巨大な間違いも犯していて、マジンガーZの光子力は違うんだよ、アレは放射能がないだけで、実質原子炉みたいなものなんだよ、という。 たまったま光子力という名前なだけで。

ともあれ、UFOのエネルギー源が光って納得できん。
光で化学変化という手順でエネルギーに変えるとしてもさ、光なんてあんだけの科学力があれば作れるやん、UFOの機内で。
人類でさえ、マグネシウムなどすぐに光を取り出せる金属をもってるよ。 非常用に、何万年でも保存できる光源は可能だと思う。
つかビーム兵器もってるやん貴様! 装置を何万年も保存させるのはできるやん、できてるやん。
だいたい人類が冒険する時、単一の技術に全生命を預けるってことはなくって、例えば火をおこすばあい、マッチの他にライター、火打ち石、虫メガネなど、複数手段を用意して・・・。
このUFOは光エネルギーだけにすべてを賭けていたってこと?
つまり6500万年も海底で行き倒れていたってのがヘン。

あまつさえ潜水艇のライトていどで海面まで浮上するとは・・・。

まあいいや、間抜けな宇宙人ということで納得するとしよう。
その間抜けが目指したのは地球の支配、そして即行動。 ほらほらまたまた失敗をやらかす。
最初は友達のフリをしないと。 反撃されまっせ。
この宇宙人、人類文明のハッキングができるようで、じゃあいづれ会話もできるよな。
まずは野心を隠して行動しないと・・・。

宇宙人はガス人間で、ガス人間第一号という映画でも宇宙旅行は人間を流体化するのが良いとされてました。
地球は理想的な目的地だったようで、じゃあここで流体から元にもどろうかってことでゴジラを食おうと。
は、間抜けだとは思っていたが、元に戻る手段は用意していなかったのか・・・開いた口が。
もしかして戻るクスリ用意してたが、期限切れ・・・長年の行き倒れは痛かったという可能性も。
いや長期の宇宙飛行をするならクスリではなく、それを造る装置を用意するやん、それもないんか。
という。


とにかく自前の手段はないようで。
ゴジラvsビオランテでも、G細胞には驚異的な再生能力があるとされてましたが、それが目当てでゴジラ狙い。
肉体がもどった暁には、この世界をテラフォーミングして、自分色の王国を作ってやると。
あーつまり、コイツ知性のあるレギオンなんだな。
それとも宇宙のはぐれものか。

これが後世で言われる(いや当時から言われてたけど)ミレニアンである。
ゴジラをかじって実体を取り戻せたかって? まあソレは成功しました。
が、行き過ぎて怪獣化してしまって。 いやあG細胞のオルガナイザーG1って人間には毒なんですね。(いや人間ゆうか宇宙人だけど)
この映画、テレビドラマとの差別化で台詞は少なめなんですが、このときのミレニアンの絶望感はちゃんと無言で演出してました。
怪獣化して、直後にUFOもゴジラに撃墜されて、この地球で野生化するしかないのか、という。
まあ侵略宇宙人ですからね、うはw コイツww 泣いてやがるwww みたいな感じです、はい。
敵星人に情けは無用というのが東宝特撮伝統。
あんだけ大見得きって侵略するぞーと公言していたのに、あのザマでは笑うしかない。

ちな怪獣化した状態はとりまオルガと名付けられてるが、まあどうでもよくて。
なんかヤケをおこしたのかヘンな本能が追加されたのか、さらにゴジラにしゃぶりついてちゅーちゅーして、もうゴジラ化しようとして。
この頃から人類はゴジラのペットなのだ、という理屈でしょうか。 まあ動物界の王にはなれますね。
ま、けっきょく力負けして死んでしまうわけで。

宇宙人死んで、最後はゴジラを止めることもできず、「ゴジラは我々の中にある」とかなんとか言って終了。
いやまあ、知ってるけどねゴジラファンはみんな。 しかし人類文明である核兵器が生み出したいっぽう、野生のパワーも身につけたゴジラは人類の理解を超えたスーパー生物なのも確かで。
ゆうても余韻のある良い終わり方ですね。
ここでゴジラが街を火の海にするシーンは、かなり印象深い。

キャストについて感想いうと、阿部寛さん若いっすね。 考えてみれば孔雀王2からまだ十年って時期だからそりゃそうか。
あ、孔雀王2はあまりにも出来が悪い映画なんで、DVDも見つからない。  正式なタイトルは「孔雀王アシュラ伝説」で、AmazonにもVHSソフトしかないという。 このせいか、苦労人よばわりされることもあります阿部寛。 今回も怪獣と戦っているうちに怪獣に魅入られるという、まあ怪獣ストーリーは怪獣と人間ドラマを結び付けなくてはならないので、魅入られるってのは定番なんですが、その結果、常軌を逸した殉職を遂げるという壮絶な役どころ。
まあ映画映えする人なんで、今後もゴジラ映画に出演してもらいたい。
でもってゴジラvsモスラにも登場した・・・・名前なんつったっけ(ぐぐる)、村田雄浩。
当時から名脇役として有名でしたが、ここにきて主役級という。 使いやすい俳優さんですな。

でもって子供の篠大王もとい篠田イオは当時、番宣でテレビに出てました。 ちびっ子に見えるけど共演する大人たちが薄らデカいだけで、じっさいは小学五年生だとテレビでは言ってたような記憶。
あとで機龍のときにまた語るけど、この子はわりと好きですね、生活感あふれるキャラクターということで、なおかつ金に汚いw
逆に言うと、他映画の子供配役は好きではないことが多いんです。 とくに大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオスの英一君は。
ガメラの背中に乗せてもらったり、ヘンなアイデアを披露したり、ギャオスの命名したり・・くっそ羨ましいw
要は機龍編の、あの学者の子供も好きではない、ってことで。

佐野史郎はまあ顔からしてゴジラファンと思ってたが、劇中の仕草でそれを確信。
初代ゴジラの、山根博士がネクタイを直す仕草をソックリ真似しているんです。 なるほどマニアですな。
そう思ってパンフレットを(例によって映画を観たあとで)読むと、そのへん明文化してるので、ただ顔で判断したって話じゃないっす。

しっかしこの映画も、もう二十年前ですか・・・ゴジラの歴史はホント長いっ。

久しぶりっつーか、平成ゴジラから四年ぶり? ですが、先述した宇宙人のアホさ加減をのぞけば、かなり見ごたえのある映画。
むろん視覚効果ではハリウッド版にはかなわないんですが、物語で勝負、ってことで、かなり勝ってると思う。
マグロ対宇宙人侵略、スケールだけでも違うやん。

いやーでも、たぶんゴジラ映画のスケールダウンは、80年代くらいに検討されたと思うよ。
ゴジラも五千トンくらいに小さくして、もっとリアリティを目指そうよ、という考えはあったと想像されるので。
しかしソレに手を染めないで良かったなーというのがUSAゴジラで判明したわけで。

今後ミレニアムゴジラも、大スケールで通します。
さあ次は、メガギラスだ。


●この世界の片隅に


を観ました。

という話じゃなくって。

テレビ放送したのに、観逃しましたw
それも何気なくテレビのチャンネルをガチャガチャ回していたら、映画のワンシーンが映ってるやん、なんだろ近々テレビ放送するから、番宣でもやってるのかなと思ったんです、場面で言うと最後の数分、戦災孤児のところですね。
よっく確認したら番宣じゃなくって、今日、このとき、放送していたのだと判明。

えっとチャンネルはNHKだっけ・・・だとするとCMすらない貴重放送なんですけど。

何このタイミング、ずーっと後になて判明、とかなら悔しいけど諦めもつくが、なんで最後の数分で気付かされる。
こんだけ惜しい見逃しは、久しぶりや。

ちな「君の名は。」は録画成功したけど、未だに観てません。

とまあ、そんだけの話なんですけど。
映画は二子玉川で観ました、例えば帝都大戦など、太平洋戦争での市民生活を描いている作品は多いが、この世界の片隅にって映画はリサーチがハンパないんです。 しかも現代人の価値観でフィルターかけてない(と、錯覚させるほど)タイムトラベリングなわけでして。
NHKドラマ「カーネーション」なんか、そこが怪しいんですよね、「後になって思うこと」で物語を脚色してませんか? みたいな。

なんかもうね、ひとつの文化財として保存しておきたい映画。
そーいやNHKとかでも消えた広島の爆心地を再現するプロジェクトを積極的に取材してたっけ。
十年前なのか二十年前なのか、スゲえ記憶があいまいなんですが。
だからこの映画は、そうした知識保存の、ひとつの集大成なのかもと思ったり。

という雑談。


●ゴジラ×メガギラス G消滅作戦


来ましたー、メガギラスです。
えっと説明すると、ゴジラの物語っていくつにも分岐するんですよね。
まず昭和ゴジラ、これはオール怪獣大進撃だけ別で(怪獣が存在しない唯一のゴジラ映画でもある)、あとは時系列がごっちゃなだけで、一貫した話らしいんです。 例えば怪獣総進撃、怪獣大戦争はかなり未来の話で、他が現在進行系みたいな。
ゆうても深くは考えていない様子。

それとは全く別な分岐が平成ゴジラ。
昭和29年、つまり1954年の初代ゴジラだけは繋がるが、ゴジラの逆襲含めてそっから先の昭和ゴジラが無かったことに。
平成ゴジラはデストロイアまで何作品だっけ、その流れで続くことになります。

で、まったく説明のないゴジラ2000ミレニアムが登場。 おそらくまた分岐したのでしょう。
そしてその次である今回のメガギラスで、もう分岐しまくりとなるわけです。

このたびHULUで久しぶりに観たが、驚いたのはオープニングで、「あ、こんな冒頭シーンが長かったんだ」という。
いまみると再現度が低い「昔風味」のフェイクドキュメンタリーがあり、昭和29年のゴジラ上陸、1966年の再上陸が説明されて、現在とは全く違う架空の近代史が語られ・・・好きですねーみんな、かような架空の昭和史みたいなの。 そして1996年にみたび現れたゴジラと、戦う人々との因縁が描かれて。
この昭和29年のゴジラふくめて、ニセドキュメンタリーがうまくないのが面白い。 なるへそ、この映画2000年だから、そんなもんか、みたいな。

今ならフェイクドキュメンタリーというか、再現ドラマが発達しているから、もっと上手く作るでしょうね。
フィルムっぽい視覚効果も上達しているだろうし、あんなわざとらしいテロップとかねえだろ、みたいな。

ちなみに今回のメガギラスもそうだけど、分岐点は昭和29年の初代ゴジラそのものです。
一種の呪縛であって、どうしてもコレだけは、外せない要素だったんです。 初代ゴジラのあと、アンギラス戦となってキングコング、キングギドラ、ヘドラにガイガンと戦ったのが昭和ゴジラシリーズ。
初代ゴジラのあと、長い平和があって、イキナリ再来したのが平成ゴジラシリーズ。
ゴジラ2000ミレニアムはよくわからんので置いておいて、さらに初代ゴジラのあと別な歴史がはじまって今回のメガギラス、そして同様に初代ゴジラのあと巨大生物との戦いに明け暮れた日本を描いた機龍編、また初代ゴジラを、防衛隊が自力で倒したと嘘の公表をして、新たな歴史とした金子修介版ゴジラ、初代ゴジラも含まれるようだけどあまりにもカオスでわけわかめなのがファイナルウォーズ、というあんばい。

必ず、初代ゴジラは含まれるんです。
その呪縛から開放されたのは、まあ日本じゃシン・ゴジラが最初ですかね。 実写映画では。

ちな映画館はやっぱり浅草東宝で、このときは珍しく売店でパンフレットの他に冊子も買いました。 内容はほとんどメイキング。
ゆえに一番メイキングを観ているゴジラですね、付属CDには貴重な動画もたくさんありましたし。

ところで今回のゴジラはデザイン的にはミレニアムなんですが、色が緑ですな。
そーいや昭和ゴジラも、途中から緑だったよね、いつからゴジラは黒くなったのだろう。 じゃねえや、最初が黒で途中から緑、平成ゴジラあたりは黒にもどってそのまま継続、今回は緑でややこしい。
まあ緑はいいや。


↑余談ながら、このメガギラスのゴジラは、なかなかAmazon検索で出てきません。
理由はカンタン、ゴジラ2000ミレニアムのゴジラがヒットするから。
いやーゴジラ2000ミレニアムは1999年の映画で、メガギラスが2000年なんですけどね。
ややこしいんで「ゴジラ 2000」でヒットした1ページ目のをテキトーに貼ります。

内容的には非常に充実というか、まあ平成ゴジラの時点でかなり充実していたんですけどね。
それ以上に、このときはもう「何でも撮れる」みたいな雰囲気ありました。 平成モスラからミレニアムの四年間に培った技術を使えば。
移動撮影しながらの合成など、前回より慣れてきたようで、なんか色々ソツがない。
悪い言い方すれば、スター・ウォーズ以降二十年間、ずーっとハリウッドSFXに遅れをとっていたのが、このへんからよーやっと「近いことができる」ようになったみたいな。 むろん2000年当時も今でも、向こうがずっと先を走っているんだけど、真似事だけはできるようになった。

特筆したいのはやっぱゴジラ乗り、略してゴジライドとでもいうのか、他にはないよな、自分の記憶にないってことは。
ガメラにはけっこう乗れるんだけどね、ゴジラは難しいんです、形状からいうと、背びれはわりとつかまりやすいんだが問題が。
今回は主役の桐子が乗ったんですが、胸の放射線警報みたいなのばビービー言ってて気が気じゃないというw
まあ場所が海だったんで、うまいこと水に洗われて放射線は深刻じゃなかった様子。

このシーンも新技術が使われてゴジラの背中にいる人間という絵が撮れたってのと、同時に東宝伝統の特撮プールもあることだし、良い機会なのかな。
ゆうてもゴジラの航跡とかはうまく再現できず、ライブアクションはどっかの波の出るプールで撮ったほうが・・・とも思える。
要はフツーならゴジラの航跡で激しい飛沫、荒波とかあって、下手すりゃあ発生した渦に巻き込まれるってのが水難映画の定番なんですが、ゴジラから放り出された桐子のカットは「凪」なんです。 だから「特撮プールで撮ったな」と想ったわけです、はい。

他にも空中戦、水中戦など、あらゆるものが平成ゴジラと比較してアップデートされてます。

あとはブラックホールでゴジラを消滅させるという発想、ここが当時も今も、よくわからんですね。
前作のフルメタルミサイルはちゃんと刺さったやん、威力が足りなくて致命傷はムリだったけど、とにかく刺さった。
つまり貫通は有効という、以前からの定説がより強固になったのがミレニアムゴジラなんで。

じゃあ、ブラックホールなどという突拍子もないもん試す前に、いろいろあるんじゃないか、という。
まづフルメタルミサイルのスペックは重さが40トン・・・重いなあ意外と。 速度は・・80キロ? お、遅い・・・。
以上、ウィキペディアで拾った数字ですが、じゃあ重さはいいとして、速度を上げれば威力も増すやん。

機龍編になると「しらさぎ」だっけ、別な名前だっけ、メカゴジラを吊って飛べる飛行機があるんで、フルメタルミサイルも運べる。
が、今回のメガギラスではそこまで科学力がないと思うんで、じゃあヘビー級のフルメタルミサイルを運べるものは・・・飛行船ですね、他にない。
ゴジラはファイナルウォーズの個体をのぞいて、上空からの攻撃には弱いと思われるので、まあ飛行船で上空1キロメートルくらいにつけて、そっからフルメタルミサイルを投下、途中で点火して加速すれば、おそらく時速300キロ以上に達するハズで。
威力は二倍、三倍でっせ、これならダメージを与えられるはずで。

ゴジラvsメカゴジラのときに「メカゴジラ:スペック:15万トン:マッハ1」とか聞いたとき、考えたのがそんな感じでした。
当時はフルメタルミサイルは未登場だったので、自分のアイデアは鋼鉄の槍みたいなもんですね、ゴジラの身長と同じ長さで、要は杭です。
メカゴジラ作るくらいなら、そんな貫通ミサイル・・・ちょうどイカの串焼きみたいに刺せるんでスクイッドミサイルと名付けるが。
スクイッドミサイルを六本くらい装備した、15万トンも要らんから空中護衛艦みたいな、大型のスーパーXを製作すればいいやん。
あいやスクイッドミサイルを種子島からロケットで打ち上げてもいいか。
むろん、確実に仕留めるためには現地で決死隊が誘導、そのくらいはやるよ劇中兵士なら。

今回のメガギラスでは飛行船にフルメタルミサイル、多少スケールが小さいが、まずソレを試してですね。
それでダメならブラックホールもやむなし、と思うんです。
それが順序じゃねえかなあ。
劇中では「もうブラックホールで消去するしかない」と飛躍したこと言ってましたが、そこに違和感。

まあいいや、まあいいや。
そーゆーツッコミはまあいいや。

内容は充実しているというか、また新たにいろんなアイデアを詰め込みましたね、ゆうてもウルトラマンシリーズなどではやったが、ゴジラではまだ、という類のSF設定なんだけど。
先述したゴジライドはじめ、クリーンエネルギーを目指した架空世界、ということで、今川版ジャイアントロボや特命戦隊ゴーバスターズなど、他ではみーんなやってるので、ゴジラにもそんな架空歴史の話があってもいい、という。

肝心の大戦怪獣メガギラスですが、まあさほど強敵感はないですね。
ただ外骨格の怪獣なんでエビラ同様、部位破壊の目にあいますね、これまたデストロイアより行動原理がいい加減な怪獣で。
異常に巨大なのはゴジラ細胞を取り込んだから、と考えれば納得するが、テリトリーを広げてその中にいる敵を攻撃する、ってとこまではデストロイアと同じで、でも排除すべきゴジラが自分より強いと判明したら、とっとと逃げるべきだと思うよメガギラス。 デストロイアは最後に逃げましたw
逃げて自衛隊のスーパーX靴砲箸匹畛匹気譴泙靴拭 なんか意地になって最後はゴジラにやられたメガギラスは、生物らしくないのでは。


最後に子役について語るが、じつはどうでもよいです。
この作品の子供は好きも嫌いもなくって、かなりどうでもいい。 しかしこの子の周辺には語ることがあって、例えば母親、あののどかな田舎から渋谷にもどって「やっぱり東京はいいわね」とかなんとか、正気かよ。 あいや主婦だから、わかりづらい原理があるに違いない。 買い物の利便とか・・・。
でもって子供がメガニューラの卵を捨てたために渋谷は大被害ですね、あとでGグラスパーに相談するけど、早めに言ってれば。
つても子供のすることだから、まあ仕方ないね、ですむ問題。

その子供は極秘実験を目撃して、守秘約束をさせられるんだけど、そのときにバッジをみて「お姉さん、Gグラスパー?」みたいな会話があって、それは自然なことなんだけど・・・次回作の大怪獣総攻撃では似たシーンとして「お姉さん、デジタルQ?」となり。
いやデジタルQはカッコ悪いだろ、場面としてw

まあいいや、他のことは前に視聴したときに語っていると思うんで、こんかいこのへんで。



●この世界の片隅に


こんどは観た話。

先にテレビ放送を見逃したってのを書いたけど、いやー捨てる神あれば拾う神ありってのか、まあ誰も捨ててないけど。
なんとGyaO!にありました。
うまい話ってけっこうあるもんですね。

ひと月くらい配信期間あるんで慌てなくてもいいんだけど、観たいから観ました。

ずっと気になってた中抜きをあまりしないアニメーションというのを、改めて気にかけたが、うーんよくわからないっす。
日本のアニメーション独特の中抜きをしないってことは、海外カートゥーンみたいな動きになる? と思ったが、そうでもないし。
まあその件は今後も研究してみますが、逆にプロメアはもう中抜きしまくりですね、別にコマ送りでみなくても、フツーに鑑賞していてわかる。
自分は動体視力があるほうなのかな、ゲームのフレームが多い少ないもわかるし、かなり速いアニメ演出も目が追いつくほうだと思う。
まあ目が追いつくだけで頭は追いつかないんだけど。
プロメアは例えば殺陣、決めポーズから腕を移動させて、次のコマではもう獲物を構えているみたいな動きが見てわかります。
つまり中抜きしまくって、アクションにメリハリつけてるわけで、スゴい職人芸ではある。

この片(ムリに略した)の中抜きを極力しない動きって、どんな効果があるのか、配信期間内にもいちど観て確認したいです。

内容的には・・・ほとんどギャグなんですよね実は。
特に前半はお笑いのオンパレードみたいな作品で、だからスゴい、とも言えるわけで。
本当に真剣な創作はギャグが多いものだと、町山智浩解説や岡田斗司夫解説など、複数で聞くことですが、まさにそう。

あと、これは個人研究なんだけど、どうやらソレが日本の、元来あった感性らしいっす。 たぶん。
むろん物語はシリアスな映画は昔からあるが、古い作品ほどけっこー笑いが多く、湿っぽくないようで。
だから戦後、だいたい1960年代くらいまでは、日本の映画は登場人物がみーんなカラカラ笑ってるよ。 クレイジーキャッツ映画だけじゃなくて。
でもって、じゃあ、今のやったら深刻ぶったシリアスドラマはどっから来たかと言うと、欧米の文化ではないかと想像している。

なーんか欧米の、つまりキリスト教文化圏はやったらめったら深刻ぶるのが好きらしいよ。
海外だと真顔で仏頂面で、ニコリともしない映画はわりとある。 これはキリスト教というか、ナザレのイエスを曲解した結果なんだろうけど。
キリスト教映画もけっこう観るけど、この前みた奇跡の丘なんてまさにその類ですね。
基本、主役のイエスが真顔で説教しているみたいなキリスト映画ばかりで。
それは、本来的ではないと自分は思うね。 まあ福音書を読んだ感想というか印象だけど。


ちょいと話しズレているようだけど、ちゃんと制御できてます。
でも余談すると、新しいキリスト映画ほど、本来的なイエスの姿を再現していると思う。 これもこのwikiで何度か書いたけど、「サン・オブ・ゴッド」がそう。
明るく快活な、みんなが楽しくなるような、あるいは嬉しくなるような、そんな人物像なイエスという。 最近ではね。
しかし中世ヨーロッパでは、マジで深刻な独特のキリスト教が発展していって。
理由のひとつとして、実は聖書を読めない人々が大多数だというのもあるんだろうけど、完全に独自解釈に走っていると思われ。

その、中世以降キリスト教の深刻ぶった真顔文化が、たぶん太平洋戦争あとの日本に持ち込まれたんだよ。
そのあたりはまだ研究中で、確信はないけどそう考えると納得がいく。
例えば同じ日露戦争、日本海海戦を描いた1969年だっけ、「日本海大海戦」と80年代の「日本海大海戦/海ゆかば」では雰囲気にエラい差があって、要は「海ゆかば」のほうは戦争の苦しいとこ悲しいとこドロドロしたとこだけピックアプして詰め込んだ映画。
日本海海戦ってまあ、確かに悲劇ではあるが、同時に日本が恐ろしい運命から助かったって史実やん。 じゃあ巨大な不幸から回避するための犠牲だったんだよ戦没者は。 それを80年代の「海ゆかば」では戦死者だけに目を向けるから暗くなるわけで。

太平洋戦争は意味が違うが、戦時中の人々は必ずしも真顔でニコリともせずに日々を送っていたとも思えない。
あの「はだしのゲン」でさえ、楽しそうなシーンは数多くある。 まあ半ば自暴自棄な笑いもあるにはあるが。

いまじゃ太平洋戦争を描くってのは、暗いドラマを制作するのと同義となっているのだが・・・。
それをぐいっと、やや強引に本来的な当時の世界をアニメにしたのが本作だろうと思っている次第。
別な言い方すると笑いやユーモア交えてないと、ホンモノのドラマに見えない。

ほらちゃんと「この世界の片隅に」に着地した。
でもここまででかなり長文になっちゃったな・・・・。

様々な要素がちゃんとリサーチして、事細やかに再現してあるというこの映画。
例えば空襲警報が発令された日時もホントみたいです。 軍艦から街の様子まで、とにかく頑張って再現。

 ↑こーゆー街だったかはわからないが、近いと思う

あ、自分の耳で聞いた、もしかするとネットに載ってない戦争逸話もあるんで、ちょいと掲載。
ひとつは、戦争中の貧しい時期、空襲があって学校だったかの牛舎が焼けたそうです。
その学校では食糧難なのに、その次の日は牛丼が出たとかなんとか。 ホントかよw

もーひとつは、これは不思議な話なんですが・・・。
空襲があったあくる日、田んぼで袈裟を着たお坊さんが、頭に焼夷弾ささった状態で死んでいたそうで。
なぜ、有事のときに袈裟など着ていたのか、なぜ、田んぼなのか。 なぜそこで、タイミングよく低確率なのに焼夷弾が命中するのか。
ホント、どこまで事実かわからんけど、謎ですよね・・・。
帝都物語みたいに、アメリカと呪術合戦やってたのか?

ここでまたひとつ疑問なんだけど、映画「火垂るの墓」では焼夷弾、カラカラと軽い感じで降ってきたやん。
いっぽう、先のお坊さんの話だと頭に刺さるくらいの落下エネルギーはあるということになり。
何が本当なのか、自分にはわかりません。
この映画では刺さるタイプありますね、布の帯がついてて、刺さると同時に火薬で帯に引火、火災をおこす仕組み?
こんだけ詳細だとなんだか信じられる。

何が本当かわからに話をもーひとつだけ。
国語の教科書で、戦時中のある家族の一日だっけ、それを描いたストーリーがあって。
戦争だから食糧難、ひもじい中、お出かけするのにちっちゃなおにぎり作ってもっていきました、というくだりがあり。
これを実際に戦争中子供だった人に聞くと、当時のおにぎりはデカかったという。
なんでかというと「食いもんがなかったから」という意味不明な答え。 うんどっちがホントやろ。
ちなみに黒澤明監督「赤ひげ」などみると、アレは江戸時代だけどおにぎりは巨大ですね。 まあ昔はデカかったとして、戦時中はいかに。
自分的には、どっちの話も本当ではないかと思ってる。
未来人に平成、令和の市民は、スゲえ荷物が多くてたいへんだった、という話と、いや手荷物なんてなくて、手ぶらで出歩いていたよ、という話と、どっちがホントやろ、と未来人は悩むだろうが、どっちもホントです。 今はゴミ箱が街から減ったので、ゴミは自分でお持ち帰りです。
地域、状況、各ご家庭によって、いろいろあるんだよきっと。

おっとこんどこそ話ズレてきた。

まあとにかく、実はわからないことだらけの太平洋戦争、それを可能な限り調べた「この世界の片隅に」はエラい、ということで。

そうは言っても、今の世代に伝わるような演出で、この映画は出来てます。
単なる昔物語のトレースではなくって。 まあ当時の言葉全開にしたら、字幕が必要になるしね。
また非常に長い自分語りなど、今風の要素も入れてます。
その結果、もんのスゲえ萌えアニメとなってます。
あ、pixivやアマチュア創作の世界だと、萌えってほとんど可愛い女の子限定になってるけど、そーじゃなくって、ホンモノの萌え。
むろん主人公のすずさんなど、可愛い萌えもあるんだけど、とにかく何もかもが萌えなんで、若い世代にも(安心して?)観てもらいたいもんです、はい。

余談ながらこの極端な萌えアニメ構造、何に似ているかって、イチバン近いのはじゃりン子チエですかね。
あれも全キャラクター萌え萌えという、原作からして凄まじい作品です。 主役のテツがまず、超萌キャラだし。


いろいろ語りたいけど、ここでこうした感想を書くこと自体が忙しくなってきたのでこのへんで。


●ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃


出た、ついに出た、金子修介版ゴジラ。

ある意味待望、ある意味当然の成り行きみたいな。
平成ガメラが評判ですからね、でもじっさいの「数字」はとれなかったガメラ、あんなに出来が良いのに。
そこで逆に数字をとってるゴジラに金子組を登用は、まあ自然じゃないですかね。 たぶん。
思ったら、実は金子監督のほうから立候補したらしいですね、ゴジラ製作は。

じっさい、ミレニアムゴジラの前二作よりも、出来は良かったです。 うまく言えないが怪獣映画みたっていう満足度が高い。
毎度まいど原点回帰を目指すゴジラだが、今回はホントに「怖いゴジラ」を実現できているわけだし。
また映像技術も、やっぱり予算と技術力でUSAゴジラには勝てないが、それでも平成ゴジラ時代を思えば素晴らしい進展ぶりで。
単純に、ぶっ壊れるまでミニチュアと気づかない建築があるので、総合力が養われたんでしょうね。

何度か書いているけど、元ネタは怪獣学・入門!という本・・・いまウィキペディアみたらその件が記述ないけど、確か明言されていると記憶。
怪獣学・入門!で最初の章、ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか? という話がそうで、ゴジラ英霊説ということです。
そっからアイデアを広げて護国聖獣ということになったようで。
それは繰り返されてきた構図、「ゴジラから日本を守る怪獣戦隊」というのを、より怨々と(←てきとうな造語)したイメージにしたのが聖獣かと。

ちな劇中の本「護国聖獣伝記」はもってます。 浅草東宝で観たとき、売店で買いました。 中身はノートです。

さて、今回マジで怖いゴジラをやるにあたって、ゴジラ第二番目のお仕事は・・・。
あ、最初は原潜襲撃で、そこはいつものことなんで、重要ではないっす。
二番目にやったことは、「ゴジラを殺すなんて可愛そうよね〜」とか言っている女子をぶっ殺すこと。
これってアクション映画などの定番展開なんです。
「加害者にも人権があるんだ!」とか言っているキャラほど、真っ先に酷い目にあうというw

余談ながら87年頃のテレビドラマ「俺がハマーだ!」ですでにパロディになってるので、かなり古いアクション映画常識で、やっぱりダーティーハリーシリーズですかね、アレにそんなキャラいたっけ。 むろんハマー以降はいくらでもあると推測。

ちな旅館ごと踏み潰された人々のうち、シノラーは(本来は篠原ともえのファンをさす言葉らしいですねシノラー)なんとか生き延びて、しかしゴジラは病院まで追ってきたw
まさに怖いゴジラ、ちゃんとそうした描き方してるわけです。

ゴジラに対する聖獣どもも、石碑を足蹴にする奴らを皆殺しみたいな、まあ怪獣の暴れっぷりは素晴らしいですね、他のゴジラ作品と比較しても。
だけど無法な若者描写は、ほとんどテレビドラマのレベルですね金子監督w
こんだけ面白いもん撮れる人でも弱点はあるんだとう安心感。

 ↑白目むいて怖いっす・・つかこのフィギュアいくらするんだ

この映画は2002年だっけ、一番テクノロジーがわからない時期ですね。
カセットテープだったゴジラvsメカゴジラが93年、そっから9年で、ここがMDの時代なんじゃないのか。 またビデオカメラだと8ミリビデオのような、小型のテープがあって、そこそこカメラの小型化が進んでいたような。 このへんの製品群はまったく把握してないです。
ちな小型テープなら、VHS-Cがありましたね懐かしい。 コレをVHSデッキにかけるには、五千円もするVHSカセット形の機械に入れる必要があった。
たぶんその五千円がネックになって、普及はしなかったはず。 知らんけど。

カメラの小型化ゆうても、まだまだデカいですからね。
いま現在のビデオカメラは、SDカードとか使えるんで全体の構成の大部分がレンズとバッテリー、モニタみたいなスッキリ化が進んだが、当時はテープデッキを内蔵するわけでして。 テープデッキの小型化も80年代のウォークマンはじめ音楽プレーヤー歴史があるんで、もう驚かなくなったけど、逆にいま思うとスゲえ。 あまりにもメカニカルな構造が複雑なんで、CDなど光学ドライブにしようという動きもあったが、焼き込みは瞬発力がないのかな? あまり普及した覚えもなくって、それってこの頃だったろうか。
とにかくカメラは小型でもそこそこ大きい。

だから隠し撮りシーンはなかなかムリがある。 で、こうしたビデオカメラと何かしらの機器を数珠つなぎにして、自転車で出発。
ライブ放送を開始するのだが、むろんネットワークではなくテレビ中継。 そんなことが可能になった時代らしい。
むろん今だともっと進んで、スマートフォンいっこで、まあ個人チャンネルだけどライブはできますが、2002年もあなどれない。
ただ、高額だったろうなとは思う。

 ↑いまのビデオカメラは壮絶な性能ですね

またミレニアムゴジラの三作目で、もうすっかりネットやホームページはドラマに必須となった様子。
ノートパソコン歴史はまったくうといが、Macならわかる。 たぶんこの頃のMacノートはPowerBookG4チタニウム時代。 もうチタニウムからアルミに変わるか、変わった頃でしょう。 昭和ゴジラ後期から84ゴジラで防衛隊や科学者が使う装置のコンポーネント化が進んでいたが、もうノートパソコンひとつでかなりこなせるってことです。

あと出演者がことごとく贅沢という不思議があるんですけど・・・予算が増えたのか?
いまみても「宇崎竜童さん若ーい」とか盛り上がれる出演陣ではなかろうか。
まあ当時は「宇崎竜童さん老けたなあ・・・」でしたけど。

他にはなんか語ること・・・あるないっぱい。
でも全部はムリなんで、じゃー聖獣に絞ろうか。

過去に出演した怪獣を、こんどは日本の守護神という設定にしてリデザイン。
リデザインゆうても全く新しいわけではなく、和風テイストを加えた感じです。
ふと思ったんだが、ほら仮面ライダー以前からマンガのクリーチャーには水木しげる妖怪とかあったやん、ということは、和風ってけっこう古くからあるデザイン分野ってことで、そんなに新しくないんですね。 よーっく考えてみるとキングシーサーがそうだし。
で、キングシーサーは好例ですが、けっこうショボくなるんです和風って。
が、今回は一周回って逆に新しいと思わせることに成功したっぽくて。


モスラ、バラゴン、キングギドラを和風にして新調。
既存の設定をなんかごにょごにょして別な物語を仕立てるってのは、アニメ特撮の常套手段でして、まあ幼稚な遊びとか学芸会とか思う人もいるかもだが、我々ファンも共犯者なんで、あまり偉そうなことは言いません。
ただ、仮面ライダー響鬼の劇場版は酷かったなあとだけ。 アレが真の学芸会だよ。

大和言葉のクニを守る聖獣という設定で、だから必ずしも人に優しいわけではないってのが制作側の良心。
平成ゴジラのモスラがそうで、考え方がデカすぎて個人の生命とか頭にないんですよね連中は。
だもんで84ゴジラ以降、特撮スタッフはだいぶん良心的に、テレビドラマだと多少、ご都合主義も混ざるけど、なるべく誠実な脚本を書いているっぽい。
現代日本人と会話できるような怪獣はヤダしね。

にしてもキングギドラって和風にできるんだという驚き。
これもよく考えてみると、ドラゴンはドラゴンでも、キングギドラの首は東洋ドラゴンでしたね元々。
羽根の感じから西洋ドラゴンみたいに感じていたが、じゃあ和洋折衷なんだ最初から。

この大怪獣総攻撃も、語ると長くなるんでこのへんで。


●ゴジラ×メカゴジラ


順調に観てますが、よっく考えたら大詰め。
ミレニアムゴジラはコレ含めてあと三本、残りはゴジラ2014とシン・ゴジラだけやん。

そしてまたまた、新たな派生ストーリーです、基本はもちろん昭和29年の初代ゴジラ。
今度はそっからゴジラの逆襲やキングコング対ゴジラ等々、昭和ゴジラを省いて、代わりにゴジラ以外の怪獣映画、モスラやらサンダ対ガイラを代入したという、ちょっとかわったレシピ。
このややこしい構成は必ずしも無駄ではなく、けっこう設定を拾って進みます。

でもってこっから二作、対特殊生物自衛隊の登場となって。
基本的に、好きなゴジラ作品なんですが、同時にかなり色々「引っかかる」のも確かで。

まず、主役の釈由美子、というより茜という役がどーもすっと入り込めないっつーか、冒頭の説明シーンはだいたい、メガギラスと同じなんですが、このときになにかミスをして、同胞が死んだとかなんとか。 えっと、どんなミスだっけ、何度みても忘れる。
このファーストバトルが1999年で、以降三年間ほど自らを左遷して資料室勤務。
でもエースパイロットなんだぜ、って、あるかなあそんなこと。

無思慮な男女平等論もあるようだが、女性はやっぱり「育ちが違う」ので、技能職は男が多い。
とくに平成女性はプリンセスですからね、現実を見るまでは。 自分を削って叩き上げるようなバカでないと、エースパイロットは難しい。
まあ映画「あずみ」の上戸彩ほどではないが、釈由美子もわりと弱そうに見え、なおかつ三年間も干されていて後に最前線ってリアリティがないような気がして。 いちおう申し訳ていどに「実はこの三年間トレーニングはしてました!」ってシーンはあるが、逆に嘘っぽい。
「天性の才能」とか言ったほうがまだわかる気がする。

つか釈由美子は地上部隊だったやん、なんでイキナリ、エースパイロットっーかしらさぎクルーに抜擢なんだろ。 劇中、なんか説明あったかもだが、繰り返すように頭に入ってこない。
いやまあ、実はそれ言ったら科学特捜隊など、ウルトラチームもそーなんですけどね、あとガッチャマンの白鳥のジュンも爆弾のプロって設定だし、昔ながらなんだが、この映画のばあいリアリティを全面に出してくるんで、逆にアレで。

まあいいや、問題は子役のほうで。
先にゴジラ2000ミレニアムでも語ったが、今回の教授の娘があまり好きではないというか、不自然というか。
父親を補佐するしっかり者、みたいな文芸は備わっているが、なんだろう、脚本のせいでしょうね・・・いや脚本が悪いというより、センスの問題?
まず、要らないだろこのキャラクター・・・とか言うのは野暮なんで、でも出番が多すぎだとは思う。 ムリヤリ顔だしている感じ。
しかもそのムリヤリ顔だしているのにはちゃんと説明があって・・・説明があるんですぜ、xメカゴジラは従来より十五分短い1時間半になったのに、そーゆーシーンはあるんだ、みたいな。
「子供がベンチ入り」という説明はともかく、メインステージの開発現場に、この子供はいつもいるってわけです。
書いていてなんかウゼえと思えてきたw


興が乗ってきたので筆を走らせます。
で、この子供のキャラクター造形ですが、鉢植えを持ち歩いているんですわ、いつもいつも。
何かと言うと、母親がいない喪失感だろうか、心の拠り所ということで、ネムリ草だっけ(定番のオジギソウじゃないんだ)それを持ち歩いている次第。
じゃあ、しっかり者に見えて実は寂しがり屋なのを全身全霊アピールじゃん、なんだそのキャラ造形はw
もいちどまとめますよ、映画の主な舞台である機龍開発の現場シーンでいつもいつも、教授の子供が写り込んでいて、それが鉢植えを常に持参して寂しいアピール。 そーゆう映画になっちゃったわけです。

で、ラストシーンもなんかねー、とくにどーでもいいみたいな・・・けっきょく誰が主役かわからないために、仕方なく子供がラストシーンに登場したみたいな感じに思える。 演じている子役はまあ、演技もうまいほうなんだろうけど、たいへんですよね子役も。 子供時代に良い脚本に出会える可能性はとっても低いわけで・・・。
まあガメラ対ギャオスの英一くんに次いで、好きではない子供キャラです、怪獣映画では。
要は自分のメンタルが子供と同次元なのが原因でしょう。

実はこの子役と釈由美子に関してはまだあるんだけど、いったん人間ドラマの話から抜け出します・・・いや他にもあったな何か。

あー思い出した!
あともひとつ、葦原涼!
じゃねえや、葦原涼は仮面ライダーアギトでの約名で、友井雄亮! ってコレは俳優名ですが。
あんな嫌味な恨み言、いまどきねえってw あいや昭和であっても、パイロットチームだといないかもしれない。
けっきょくチームの和を乱すのは禁物、ってことだし。
つかトラブルの元はそく退陣じゃねえの、この映画で機龍チームは日本最高峰なはずだし。


どうも脚本甘いっつーか、たぶん過去にも似たようなシーンが多々あるから、それを模したのかもしれないが、これまでの映画は例えば徴兵されてチームメンバーを選べない状況とか、あるいは最高峰ではないわりと場末の集団ストーリーだったり、やむにやまれぬ理由でチーム入りした話だったり・・・あるいは愚連隊だったり。 それなりに裏打ちするものがあるんです、エース中のエースであるしらさぎクルーが、こんなドタバタをするとは思えない。
人員は慎重に、吟味に吟味を重ねて選別するっしょ、対人関係も含めて。

先ほどラストシーンの話したけど、なにか解決したんですかね。
自分はまだまだ戦える、という、そーゆー話・・・でもないようだし。
あるいは自分を許すことができそうです・・・でもないようで。
いやそれだったらそれで、なんかつまんないなーというテーマですよね。

なにがどうだったんでしょうね、よくわからないし、なーんか実感がない。

かように、ストーリー面では見るたびに消化不良なりそうな、煮え切らないとこあるんです。

しかし肝心の機龍は良いですね、単純にカッコいい。
つか腕兵装にバックパックキャノン、自分がメカゴジラをデザインしたらこーなるのではないだろうか、顔のラインを含めて。
自分にはできないことも多々あって(そりゃそうだ)、首は有機的でありながらのメカメカしさ、足首のダム(足に無駄がないデザインをこういう:出典はトニーたけざきのガンダム漫画)、尖った指先など、本当によく出来ている。

 ↑元祖

ついでに言うと、内閣総辞職ってシン・ゴジラのネタですが、機龍でもあったんだ。

ビルの土手っ腹にデカい風穴をあけて進む機龍ですが、とーぜんの迫力で・・・逆に言うとUSAゴジラに同じような穴あきビルが二回ほど出たけど、あの巨大イグアナにそんな破壊力あるかなあ、と疑問に思う。
機龍はそんな疑問は発生しない、納得だけ。

些細なことでは機龍の必殺技、アブソリュート・ゼロのデモンストレーションで、海外の報道陣が小さな悲鳴をあげるってナイス演出。
ニッポンが野心的な超兵器を作ってるぞーって、言うでしょうねじっさい。
しかし驚くほどの破壊力かなあ・・・高さ百メートルくらい? 中まで何かをぎゅーぎゅーに詰め込んだ構造物を怪人溶かす、もとい灰燼と化すという威力ではあるが、それって核兵器でも実現可能なことやん。 まあ核兵器と同等って時点でそーとー怖いけど。

そーいやこのアブソリュート・ゼロ、絶対零度攻撃、けっきょくゴジラを殺せませんでしたね。
vsメガギラスのブラックホールもダメで、じゃあどーすりゃあ殺せんるんだ、って感じですな。
メガギラスといえば、「何かがゴジラを日本に呼び寄せている!」という話は似てますね。 よりミリタリーにしたのが今回のxメカゴジラなんだろうけど。

何だかんだでCGは未熟というか、まだモーションがうまくいかないので、だから着ぐるみなんでしょね、2002年になっても。
そのため機龍のジャンプシーンは、どれもこれも軽いw
またバトルステージに乱入するさい、体当たりで強引にゴジラの侵攻を止めますが、ここもちゃいと笑えるというのが正直な。
四万トンというからパシフィック・リムのイェーガーより十倍以上重いんだけど、ホント軽いですねー。 おまけに玉突き原理でゴジラがぶっ飛び、機龍と入れ替わるような演出でした。
うーむ予算と撮影期間に上限があるんで贅沢はあまり言いたくないが、ここはキングコング対ゴジラの、あのもつれ合いながら転げ回るヤツを、2002年の技術をフル動員して再現してほしかった。
それってたぶん、過去やってないっしょ。 ガメラのスライドしながら着地、というのとも違うし。
ミレニアムゴジラで、しかも都市でそれやったらスゲえ迫力になるんですが・・・やっぱ予算的にムリですねw 転げ回るのではないが、組み合いつつビルディングを壊してゆく、というシーンは、先述したパシフィック・リムの対オオタチ戦で実現しています。


機龍というのは、93年のメカゴジラと違ってゴジラのサイボーグとなっており、整備中の様子からして、以前より凝ってます。
メカゴジラの逆襲からして前作よりディティールにコダワリがあった様子なんですが、とにかく年々進化する描写に感動。
その、ゴジラのサイボーグという件で、子供と釈由美子がもめるシーンがあって、そこは蛇足ではないかと。
まず、論点にしたいのは子供が機龍を「あの子」とかゆうてるところで、巨大ロボットを「あの子」と呼んでいいのは泉野明だけだろ。
泉野明(機動警察パトレイバー)にしたってじゃっかんネタが入っているんですけど。

で、どんな会話したっけ子供と釈由美子は。
「あの子も生きているのに」とか言ったっけ? とにかくゴジラの死体をメカゴジラとする件は納得しない様子で。
「大人は生命の大切さを説くのにじっさいはどうだ!」とも言ってて、それに対する釈由美子の台詞も冴えないような・・・よく覚えていないけど。
最低でも四回観たはずなのに、ここ頭に入らないって、何度も書いたけどほんとそう。
釈由美子は「私も望まれない生命だから」とかなんとか、どんだけめんどくさいんだよこの御方。
で、両者の結論は「望まれない生命なんてない!」だっけ。
うーんそれテーマなの? とってもどうでもよろしいのですが。

いやーこの二人のキャラクター、決して最悪ではないっつーか、マイナスではないから余計に問題なんですわ、だってマイナスとマイナスをかければプラスになるやん。 両者微量にプラスだから、かえって盛り上がらないのだと推測。
あと釈由美子の単独活劇だと、機龍のメンテナンスハッチから乗り込んで、なんつたかな。
「お前と私は同じだ」みたいな、だから一緒に戦おうって、知るか人間ふぜいが! おめ、ゴジラなめんなよ。

なーんかヘンな論理が複数、まかり通っているという・・・いやこの映画だけの病理じゃないんですけどん、なんか誠実じゃない。
あの、ゴジラの骨を使うのは許せない子供にはハッキリ言ったらいいやん、我々日本人は生き残りたいんだよ、そのためだったらどんな汚いことだってやってのけるし、おまいら次の世代はその恩恵で生きてくんだよ、ってのが事実だし、それ言うのが誠実でなかろか。
どうしても機龍に反対するならお前、機龍によって守られる・・・例えば電力の恩恵を受けずにエコ生活してみな、海外のYouTuberにはたぶん、それを実践しているヤツがいると思うが、探し出して視聴してみるといい、それがどんだけたいへんなのかを。

あ、こうした現実論を無視して明後日の方向みながら会話してるのは、子供と釈由美子だけで、他はちゃんと現実直視でドラマってます。



釈由美子は主役なので外せないとして、子供の出番を減らしたほうが映画の骨子がガッシリしてくると思うんですがね。

余談ながらこの監督と脚本家、たぶん「よくわからないまま他の映画を模倣する」タイプの人たちだと推測するが、それは決して間違いとは限らないこと、あるシーンでわかった。
機龍隊が総理に出動許可を請願する場面で、一見そっけない五十嵐総理は、それでも出動許可出してくれるという。 それも背中で語る。
いやー背中で語るか、ぜったいなんかの映画を真似ているだろw でもちゃんと決まった。

いろいろ真似ながら数撃ちゃ、いくつかは当たるのでないかという仮説。
それは、方法論として決して間違っていないどころか、むしろ創作において正攻法かもしれない。

じっさいダメなところも多いけど、基本的に、いやほんと基本は、良いゴジラ映画です。
なんつても平成ゴジラ以降、ミレニアムになっても順当に進化しているのが心強い。

で、語りたいことまだあるような気がするが、とりあえず次を観たいのでこのへんで。


●ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS


まーた長いタイトルだなあ、普段は「東京SOS」とだけ言ってれば通じるのですが。

機龍編の第二弾にして完結編です。
いやーこの作品はやっぱ好きですね、つか嫌いなゴジラ映画ってあまりない気がするんだけど。

強いて言えば前作は主役のドラマが盛り上がらない、という問題があって、たぶんそうした反省点はこのたび、見直されて反映されてるかと。
まず主役はガオレッドこと金子昇となり、役職も整備員ってことに。

前回のメンバーも顔を出すけど、今回は事情があって機龍チームは入れ替わってます。
観た当時はあまり疑問を感じなかったが、同じ釈由美子でゴジラとの決着をつけるのが自然と思えてきたので、入れ替えはたぶん、予算の問題かと。 あるいは・・・釈由美子って名前だけ知っていて、じっさいに映画、ドラマで観たのはゴジラだけなんですが、思ったより人気女優なのかも。
つまりスケジュール問題で、今回は出演が最小限みたいな。

で、機龍チーム入れ替えはいいんだけど、まーたトラブルメーカーが混じってるぞw
ホント実力主義もほどほどにしないと、内部から崩壊するよ。

前回の感想でも書いたけど、今回は昭和29年初代ゴジラを軸に、続くゴジラ映画を無かったことに、かわりにゴジラではない怪獣映画を代入しているため、モスラ出ます。 つか渋谷を破壊して東京タワーにマユを作ったモスラはあったことになるわけで。
あ、カメーバも「あったこと」になりますね、劇中の17年ぶりって台詞は気になるが、1986年にかような映画あったっけ、とウィキペディアで調べるも、とくに記述はないため、この映画の世界だけの話らしい。 ちな数字は1987年となってました。

つーことはこの世界、イカ怪獣ゲゾラも存在するのか、なんか楽しいですな。
ところで「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」はなかなか観る機会はないっつーか、観たことない。 テレビでもビデオレンタルでも観たことない。 店頭に並んでいれば、物珍しさからすかさず借りたであろう。
で、いま調べたらiTunesストアにはありますね、いつか観よう。


ドラマ部分は、妙な安心感があります。
モスラ世界とつながっているってことで、まさかの中條先生が登場、世間離れした印象だった若い頃にくらべ、だいぶん丸くなりましたな。
そして主役はガオレッドってことで、ほらほらカケル先生だから、こちらも何かが手堅いですぜ。
そして当たり前のような顔をして小美人登場、ドラマを引っ張ることにかけては定評・・・はないけど、任せて安心じゃないっすか。

そっからいつもの対ゴジラ内閣の様子も描かれ、重厚な雰囲気をお馴染みの俳優陣でしっかり築き上げて。
子供に関しては今回、わりとどうでもいいというか・・・いやコレ重要、目障りにならない程度の活躍、ということでしょうね、前回の反省から。
いやーほんとうに、安心感があるドラマですね今回は。
患者が、いや機龍がどこで困っていようと、きっとカケル先生が駆けつけてくれる! ってのもありますし。

ちなみに金子昇がもってるケースが気になるな。
開けてみると機龍を応急修理するためのツールが入ってるんですが、なんせ日本最高の機龍整備員が使う道具でっせ。 そらもう、世界でもトップレベルの逸品に違いない。 我々庶民にはスナップオン・ツールズでさえ高嶺の花なんですが、それ以上かと。
まあたぶん、機龍には車載工具が積んであると思うけど・・・。
ケースそのものも頑丈で、サバイバリティですね、さらに携帯電話を探す機能みたいなのもついていれば完璧だったのに。

 ↑こんな感じのでもいいから欲しい 使う機会ないけど

探す機能といや、小美人のタブレットが有能でした。
いや小美人の所有物には違いないと思うが、じっさいに手にしているシーンがないので、大きさ比率不明、でもタブレット端末くらいっしょたぶん。
人間がもつとマッチ箱より小さいんですが・・・裏には注意書きというか、生命は時の流れの中にあるべし、だっけ、そんなん書いてて。
表はモスラの、例の放射状マークとなってます。 迷子のときはコレが物を言う。 (文字通り)
マークが放射状だから、進むべき方角を示すのにちょうどいいんです、彫り込んだとこは宝石が埋め込まれてるのかな、光る仕様。
また道を示すポイントに来たら、バイブレーションで通知してくれます。
これでカケル先生は患者の元へたどり着いた。
いっこほしいです。

機龍出撃は、やっぱり総理大臣が決断することらしいです、まあ自衛隊もそうだしね。
先にモスラがゴジラと戦っていて、それみた総理が友軍が戦っているのに、自分たちは静観していていいのか、という理論。
このときの「我々は臆病者ではない!」というのはいいですね、やるときはやる日本、誠実な日本、というのを描いていて、とかくグダグダになりがちなシン・ゴジラとそこが違うw ちょっと日本を理想的に描きすぎじゃね? という考えもあるかもだが、これでいいのだ。
と、たぶん本多猪四郎監督なら言うかと。

モスラ映画でお約束の変態は、今回ナシ。 かわりに幼虫の双子が駆けつけるという。
そうした総力戦で、ゴジラに勝ちます。 今回は勝つんです。
機龍の最終兵器は、アブソリュート・ゼロがないので三連ハイパーメーザーだっけ? そのように劇中の皆が言うんだけど。
うーむじっさい、決め手になったのは右手のドリルじゃね? 文字通りの決め手です。

何度か書いているんだけど、昭和ゴジラ、平成ゴジラにかけてみっつのゴジラ打倒論が登場。
ひとつ、ゴジラに勝てるのはオキシジェン・デストロイヤーだけ。
ひとつ、ゴジラに勝てるのはモスラだけ。
ひとつ、ゴジラに勝てるのはゴジラだけ。
ひとつ、ゴジラに勝てるのはキングシーサーだけ。

あ、よっつだ。

で、ミレニアムゴジラになってからドリルが追加となったわけです。
今回はゴジラ(機龍)、モスラ、ドリル、みっつも動員して、まさに総力戦。
ええ、「〇〇だけ」ってのは誇張です、はい。
そうしてゴジラに勝った後に、まーた機龍が暴走、でもちょっと雰囲気が違うぞ、と。
こんどの暴走は、ゴジラとともに日本海溝に沈むためで、眠らせてくれ、ってことでした。

ふだんバルカン砲が笑ってるとか言ってるメカオタク金子昇も心中、と思いきや、これまたみんなが助け出す。 機龍ふくめて。
ゴジラの骨だけではなく、人類が作り上げた有機的コンピュータと融合した機龍が、最後に残したメッセージは・・・。
サヨナラ、でした。
そうです、そーでなくっちゃ。
ここでまた「ありがとう」とかやったら、バカじゃねえの? って大勢の観客に笑われますからね。
・・・やってる作品も多いんです、じっさい。
例えばゴジラvsビオランテとか・・・。

作品世界は繋がってないけど、ミレニアムゴジラにおいて、ひとつの完結編となりました。
そー考えると余計、ファイナルウォーズの蛇足感がハンパないですw

最後にひとつ、冒頭のモスラ追撃は好きですね、あーゆう描かれ方したモスラってあまりない。
まず、怪獣図鑑にあるような高速で巡航しているシーンが珍しく、まあ平成モスラにはあったけど、ゴジラ映画では次のファイナルウォーズくらいではないだろうか他には。 そして2機の戦闘機がスクランブルという、ちょうどガメラ3の京都上空みたいな感じになってます。
じっさい夜だし、雲海の中を未確認飛行物体が飛んでいるというシチュエーションはかなりイメージが近い。 (同じではないが)
で、まあガメラ3ほどのスピード感はないというか、正直もったりしてますが、とにかく面白いもん見た、という嬉しい気持ちに。
雲海が切れたところを並走して、パイロットがやっと「モスラ?」みたいな顔をして、なかなか良い演出。
まず昭和ゴジラじゃあ、技術的にも難しいシーンですね、ジェット戦闘機のスピードは。

他にもなんか語ることあった気がするが、とにかく次を観たいのでこのへんで。



●ゴジラ FINAL WARS


ついに来たッ!
最凶の問題作! とっておきの愚作!
ゴジラ史上に燦然と輝く失敗作!!
しかしイチバンの問題は・・・・。

実は嫌いではない。 ←これな

まず監督の北村龍平って誰ですかーって話ですが、のちになってルパン三世撮ったので、逆に「ルパンの人か」とヘンに納得。
まあそのルパン三世のほうが深刻に問題だったですけどね、要は怪獣が出ないファイナルウォーズ、という中身。
ルパンはそうでしたが、ゴジラの方は「怪獣が出るルパン」なわけで、意味合いというか価値が全然ちがってきて。

みんな、ファイナルウォーズには最悪の評価をしていきますよ、でも多くの方々が実は嫌いではない。 困ったもんです。

いやーツッコミどころ多すぎて・・つかオープニングはどんなだっけ、とイチイチ思い出すのも妙な労力。
まんず、スゲえノリノリの音楽でしたね、羽目外しすぎじゃね、ってくらい。
そして旧型轟天号とゴジラの対決、南極で激戦ゆえか偶然か、地震が起きて、すかさず轟天ミサイルでゴジラの逆襲的な雪崩作戦。
ゴジラは南極で冷凍保存とあいなって。 ちなここ、今年の映画ゴジラ/キング・オブ・モンスターズでネタにされてます。
しょっぱなから「なにこれ」って感じなんですこの映画。 それがラストまで続いて。
でも実は嫌いではない。

で、これがオープニングの前で、オープニングそのものは、とってもわかりにくい凝った字体とエフェクトで、なんだろね、はじめてPC編集ソフトを触れた初心者みたいな匂い、もとい香りがするんですけど。
いちおう映像は、過去のゴジラ映画ですね、じゃあミレニアムゴジラの、一連の派生ストーリーの中では昭和ゴジラを継承してるんだ、なんだかウルトラマンメビウスみたいだな。 そーいやウルトラマンメビウスもこの頃だっけ?

あまり意識はしてなかったが、じゃあ、このあたりは昭和に活躍した怪獣たちが大量に観れた幸せな時代だったんだなるほど。

で、自分の思い出も語りたいところだけど、どうも記憶がハッキリしない。
というのも、このファイナルウォーズは「いつもの」浅草東宝で観たのではない、という気がするんですね。
じゃあどこの劇場と言われても、よくわからない。 観た映画のチケット半券はぜんぶ保存してあるので、調べりゃわかるんだけどめんどいし。
あ、破天荒な内容に関しては、テレビ予告編でなんとなく薄々と。
CMで印象的なのはガイガンですね、さっき観た記憶だとたぶん、炎を背景に決めポーズとるとこかと。 「人間の動きやんw」ってことです。

それにしても、浅草東宝ではないとすると、何があったんでしょね。
ネットで調べると浅草東宝が店畳んだのは2006年となっており、観たのは十中八九正月元旦なので、2005年でしょう。
つまり次の年まで浅草東宝はあったはずなんだけど、そのタイミングで改装でもしてたのだろうか。
あるいは、ゴジラ映画は東京SOSまでしか上映しなかった?
自分の都合で、浅草に行けなかった可能性もあるが、どーゆー事情やねんそれ。 想像がつかない。


まあいいや、自分史はまあいいや。

このたび、怪獣がかなり数多く出ます、さすがタイトルがファイナルウォーズ、豪気ですね。
数を出せばクオリティが下がるわけで、そこも評価が低い理由かもしれないが、今回HULUのゴジラ特集で連続視聴したところ、アンギラス、ラドン、ジラなどなど、ひとつひとつが少なくとも平成ゴジラよりは出来がいいようで。 なんか威厳がないのは、ライダー怪人みたいな肉弾戦に特化した演出だからで、特撮の出来は悪くないと思いました。 むろん公開当時、自分も皆と同じで低評価したもんですが。

この作品のゴジラは、歴代でも最強ではないだろうか。
と同時に、最も身軽で素早いゴジラでもある。 ほとんどウルトラマンなど、巨大ヒーローですね。
どのくらい強いかと言うと、ほらほらスピードではUSAゴジラに負けそうやん、だってゴッヅィラは時速480キロだっけ、攻撃ヘリの追撃を振り切る快速なんで、さすがに勝てねえだろと思いきや。
事実上USAゴジラと思われるジラを、ほぼ瞬殺したw
運動神経がいいんです、今回のファイナルウォーズゴジラは。
つかスピードが早ければ強いという理論は、ごくごく一部の少年マンガだけの話であり、うがった見かたすれば太平洋戦争末期、戦艦大和が航空機に撃沈された、という表面的な史実も影響しているんでしょうね。 「第二次大戦後の常識」みたいな感じで。

じっさいにはそれはない。
極端な話、スピードが早ければ勝てるというなら、人間の速度はイチバン速い奴で短距離だけど時速45キロと言われていて、野球の投球はわりとある記録が160キロ、じゃあ野球のボールは人間に勝てるかっつーと、そら勝負が噛み合いませーんって話になる。
ボールは生き物じゃねえし、意志も戦闘意欲もないし、あったとしても球体と人間じゃあ格闘もできねえし、だいたいウェイトが違うやん。
というか人間は飛んでいる野球のボールをバットでしばいてるし。
相手の最大速度より速ければ、動きを見切られないてことないから。
ゴジラもジラを打ち返して場外ホームランとなった次第。 いや場内かなある意味。

ここで有名な台詞がっ。 「マグロ食ってるようなのはダメだな」って、名台詞となりましたねこれはw
ジラはどう見てもUSAゴジラ、それがゴジラと対決した時点で「あれはゴジラじゃないよ」と確定したわけで、それを皮肉った名言。
世界中の人が同じような気持ちだったと言われている。

あーなんか色々ありすぎて時系列が脳内でまとまらないのだが、シドニーのジラよりガイガンが先でしたね。
ゴジラ対ガイガン、例の、人間みたいに滑らかな動きのガイガン。 コイツ今回、アンカー付きワイヤーを射出して、でもそれをむんずと掴むゴジラ、やっぱ運動神経ハンパないっす。 腹のノコギリは役立たずなんで、せめてワイヤーで絡め取って引き寄せ、ハグして攻撃、のつもりらしいが、引っ張ってる間は無防備なわけで・・・真正面から放射能火炎くらってどたまぶっ飛び・・・弱いなー、スペックは高いのに戦略は全くなし。

なんかもう、後になってまた改造ガイガンの話するのもめんどうなんでここで言いますが、例のテレビ予告編で見た、腕にチェーンソーつけたタイプの強化型です。 で、こんどはモスラと対決するんですが、怪獣図鑑にあるような高速を出したモスラは、平成モスラ以降だろうか、あいや東京SOSの冒頭シーンもあるんだけど、あれはスピードで戦わないし、もっさりしてたから。
で、モスラ対ガイガンなんだけど、やっぱスペックではガイガンが上っぽい。 しかしガイガンの拡散型ビーム砲みたいなもん、威力弱いよね。 ビルをひとつ破壊するってシーンをわざわざ入れているんだけど、逆に言うとその程度かよ、という。

かように火器は貧弱なんで、チェーンソーが頼りと思いきや、ブーメラン手裏剣を繰り出して、でもモスラに避けられる。
しかし駄菓子菓子、ブーメラン手裏剣なのである。 そのままUターンしてモスラを背後から切り裂く!!
と思いきや、戻ってきたブーメラン手裏剣で自分の首チョンパするガイガンでした。 マジよええ。

サイボーグ怪獣って機械と融合しただけで、どうやらコンピュータは今のゲームAI程度の模様。
先のことこれっぽっちも考えることができないようで。


他の怪獣もゴジラと対戦して、まあ悲惨なことになりますねw
とくにカマキラスは、別にパワーも防御力もない上にライト級なんで、せめて今回は超スピードと平成モスラみたいな保護色を身に着けたが、やっぱりゴジラに投げられて鉄塔串刺し。
クモンガはわりと強敵でした本来は。 しかし今回のは、やっぱりライト級やん、しかもカマキラスとは逆に、得意の毒針は使わないという。
あまつさえ糸を吐いて、それを掴まれてブンブン振り回され、くわえている糸を離せばすむのに、気が動転したかそのまま遠投。
で、統制官の様子からすると、死んじゃったみたいだよ地平線の向こうで。

どうも単純に敵が弱いだけではなく、ゴジラもまた強くなっているようで・・・。
エビラとヘドラはまとめ焼きされてますね、エビラはまあ、それほど強敵ではないと思う。 相手を海に誘い込めば強い! ってタイプでしょうが、ゴジラは水棲なんで陸も海も強さかわりませーんって感じ。
しかしヘドラは最凶の敵やん、それをエビラごと焼き殺せるようになったのか。
あ、今回のゴジラ、さっきどのくらい強いかで「スピードのジラ」を引き合いに出したけど、放射能火炎もさいきょーです。
なんでひらがなでさいきょーと書いたかと言うと、誤変換で最凶とか西京とか出るのがめんどいので楽をしただけ。
シン・ゴジラなんて東京を火の海にして、上空からの攻撃もビームで射落としていたけど、ファイナルウォーズのゴジラは地球に迫る流星を攻撃してましたから、放射能火炎の集束もシン・ゴジラ以上と考えて良いでしょう、威力もヘドラを電極の助けなしに焼けるくらいスゲえ。

あとはキングシーサーとかアンギラスの戦いもあるんだけど、まー調子に乗ってアホやってますね。
アンギラスがアルマジロみたいに丸まって攻撃、って他の作品であった? ファイナルウォーズのオリジナルアイデアだとすると感心する。
それでアンギラスボールを蹴って、ゴジラとキングシーサーがサッカー勝負。
ボールが大きく逸れるとゴジラはジャンプして取ろうとするが間に合わず。 いやとってどうすんだよw ゴールキーパーじゃねえからww
このキングシーサーの動きもほぼ人間で、これまたテレビ予告編で「なんじゃこりゃ」となった部分です。

えっとツッコミどころ羅列する感想をいま、書いているんだけど、まだ半分以下ですね。
なかなかツッコミ追いつかんので、ぜんぶを網羅する気はないです。
まったくもってアホ映画。 マニアが暴走したと思われるイロモノ映画。
好きな特撮のパロディをこれでもかと散りばめたプロがお贈りするファンムービー。
評価が低くなるのもとうぜんで。
でも実は嫌いではない。

しかしまあ、ツッコミどころを羅列するのも疲れてきたんで、じゃあいいところ語ります。

この映画、実はけっこうマトモな内容です。
えーさっきまでの意見と逆じゃん、と言われそうですが、ツッコミどころを引くと、あんがいとちゃんとしたアクション映画にみえる。
たぶん銃をもったままの格闘技術、ガン=カタみたいなことをやりたかったが、やっぱり編集でのスピード感は難しかったようで、モタモタしたところはあるんだけど、ライブアクションでの爆発シーンはなかなか頑張ってます。

またX星人の安っぽい造形や、ちょっと理屈があわない敵拠点攻略など、ヘンな部分が目につくため、ついつい低く見てしまうんだけど、全体的によくできた宇宙人侵略ストーリーかもしれない。

ちな理屈があわない〜と言ったのはスター・ウォーズ/ジェダイの帰還でお馴染み、戦闘機で要塞のダクトに突っ込み、そのままリアクターまで侵入して攻撃! って戦闘機が直接入らないよう、通路はクランクになってるっしょ普通。 今ではみんなそう思うので、銀河英雄伝説では歩兵部隊でまかり通りました。 オフレッサーとかゆう障害物はあったけど。
とにかく、戦闘機でリアクターまで行けないと思いまーす。

褒めたいんだけど、ついついツッコミどころ語ってしまう。
敵の中にふたつの勢力があるってのも、面白いところで、だから最初は「味方に見せかけて〜」とかまどろっこしいことやってるわけさ。
なんせ二時間もありますからね今回のファイナルウォーズ、そういうストーリーの見せどころはわりと多い。

バトルシーンもけっこういいやん、誰ソレを倒せばどうなるって、ちゃんとルールがわかるので、入り込みやすい。
しかしX星人は今回、ミュータントと同じ戦闘力があることになってるが、けっこう普通の人間に負けてますなw
しかも殴り合いを申し込めば黙って銃ポイして、まあ思ったほど論理的な種族ではない様子。
だが、アクション映画はこうでなくてはならんのです、論理的な敵なら発泡して映画おわりやん。

また新統制官もなかなか良いキャラで、あんだけエキセントリックなボス敵なかなかいないって。
悪魔的な笑い(モンティ・パイソンネタ)も魅力で、誰だろね俳優さん、かなりの逸材でした。

他にも探せばいいところあると思うよ、スタッフにしても最後のゴジラだし、出し惜しみはないだろうから。

怪獣バトルだと、例えばカイザーギドラは面白いキャラですな、最初はモンスターX、やっぱ怪人みたいな怪獣だったのが、変身してキングギドラっぽくなるという。 ここでも新しいものを造りつつ、過去の資産も活かしているわけで。
例えばキングギドラは背負投げに弱いという、まあ半ば内輪ネタなんですが、これを見せてます。
コジラ対ガイガンだっけ、やっぱり背負投げでキングギドラは負けていて、この頃はキングギドラの着ぐるみもヘタれていたんで、ダメージが大きそうに見えるっていう。
キングギドラは他にもテレビ特撮にゲスト出演したそうだけど、そりゃあ長年酷使されて、ボロボロでしょうね。

背負投げっつーか尻尾掴んでの地面叩きつけ、とでもいうのか。
まあいいや、とにかくこの映画、実は嫌いでは以下省略。

そんなこんなで、書いてたらかなりの文量になったのでこのへんで。

さて十年休んで、次はゴジラ2014か・・・。


●海底超特急マリンエクスプレス


24時間テレビのアニメが、たぶん期間限定と思うがYouTubeに。 (後述:「期間限定と思うが」って、YouTube動画のタイトルが〜【公式】期間限定配信中 『海底超特急 マリン・エクスプレス』〜でした。 たぶんもへったくれもないですね)

ここでいささか説明すると。

まず、24時間テレビの枠内に、手塚治虫アニメがあった時期があって・・・まあ80年代くらいと思っていただきたい。
じっさいには第一弾が「100万年地球の旅 バンダーブック」で1978年、マリンエクスプレスは翌年の1979となります。
結論から言うと、ほとんどすべてのシーンを覚えてました。 まあ「観れば思い出す」くらいのもんですが。

HULUみるのに忙しいのに、いくら懐かしいからといってYouTubeみる暇はないんですが、これは気になったので視聴。
理由は、岡田斗司夫チャンネルにある「宮崎駿と手塚治虫の歴史」みたいな話題に、24時間テレビのアニメに触れていたため。
まースゲえドタバタだったらしいですね、岡田斗司夫トークの内容は、『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』というマンガの紹介で、ガイナックスでアニメプロデューサーやってた自分の知識ともあわせて、24時間テレビあたりの出来事を語ってます。

まさに修羅場、アニメ史上空前のハードスケジュールだったようで、しかも知らないだけで、まだまだ下には下があるかもしれないとう業界の闇。
岡田斗司夫の解説は、いちおう第二弾のマリンエクスプレスまで続くけど、話としてインパクトあるのはやっぱり第一弾のバンダーブック。
だもんでいちどバンダーブックを観たいと思っていて、じっさいこのたびのYouTube手塚プロダクションチャンネルでは、マリンエクスプレスの他にバンダーブックもちゃんと配信されているんだけど、なんかマリンエクスプレスを先に観ました。

理由は簡単、YouTubeのオススメ項目に、たまたまマリンエクスプレスが先に出たためです。
あとはもう、「バンダーブックもあるかも」などと考えず、反射神経でマリンエクスプレスを視聴したのでかようなことに。
だから後でバンダーブックも観ます。
ゴジラで忙しいけど、やっぱ修羅場で鋳造された業物は観てみたい。


おっと内容のほうで、またまた結論から言うと、さほど事故物件ではありませんでしたマリンエクスプレス。
オープニングで歌劇団のレヴューのように登場する手塚キャラクターのスターたちで、もう雰囲気はわかります。
登場するスターはヒゲオヤジ、お茶の水博士、アトム、ロック、ブラックジャックなど出し惜しみないけど、ブラックジャックはおそらく素のままで登場してますね、お茶の水博士なんかはポリネシア諸島出身のナーゼンコップ博士となってます。
いやまあ「いつもの俳優陣」ってことですけどね。
マンガなのにキャラが俳優みたいなもんで、なんだっけ「頭の中にストーリーのストックが400ある」とか豪語していた手塚治虫のこと、ストーリーを書き上げることが優先で、キャラクターデザインが間に合わないので、既存のキャラを「俳優」として使いまわしているのでしょう。

ちなみにバンダーブックはまだ観ていないっつーか、過去にはきっと観ているはずだけど、いまのところ思い出せていない。
バンダーブックはもうスケジュールが間に合わないってことで、マジ地獄だったとかで、それが作品に反映されてるようなんだけど。
マリンエクスプレスは、さっき言ったようにさほど事故物件ではなく、ちゃんと観れる作品じゃん、という感想。

むろん今のアニメと比べてはイカンというか、昔アニメは脚本とか演出がかなり悪いのがフツーで、それでもマリンエクスプレスはけっこう話も破綻していないし、作画も崩壊していないし、問題なく観れるやん、みたいな。
バンダーブックはさぞかし事故物件だと思うが、理由のひとつとして手塚治虫が何もかも、絵コンテから動画まで、なんでもやってたからだそうな。
それじゃあスケジュール厳しいよね、マリンエクスプレスはそうした労力の一点集中を拡散できたのだろうか。

アニメ史でいうとカリオストロの城がこのあたりかと。
宮崎駿はいちどアニメ映画監督にまで上り詰めたが、なんかカリオストロの城ってまったく売れず、宮崎駿監督はしばし干されたみたいな話。
まあゆうても、「コレはスゲえアニメだ」って誰が観てもわかりますよね、映画が売れなくてもビデオレンタルで・・・って当時はまだビデオデッキがあまり普及しておらず、とうぜんビデオソフトも売れない時代でした。 さすがにビデオソフト一本が何万円もするようなことはないと思うが、80年代のしばらく・・・たぶん五年くらいとだと思うが、当時の五年くらいって今の十五年くらい長く感じるのでは。
ともかく五年くらい、ビデオソフト14800円とか言ってた時代ありました。
それより前の映画ですからカリオストロの城。 まあ、映画がダメならあとはテレビ放送ですかね。
これは想像だが、テレビ放送されたとたん、一気に評価が上がったと思う。


とにかく不評ではないが業績では失敗作なカリオストロの城、単純に言えば24時間テレビで高視聴率とった手塚アニメのほうが、成功者と言えるわけです、すくなくとも当時は。
いまはどや。 ルパン三世カリオストロの城とバンダーブック、DVDの売上はどっちが上や。 調べてみる価値あるやろか。

マリンエクスプレスで印象的なのは、不思議と宴会シーンですかね、シャラクが主催する歓迎会ですが、実はアイツ生命を狙ってるとわかってるので、いつ襲撃されるかというスリリング。 ダンサーの剣舞をみても「あの剣で斬りかかってくるかも」とか面の盾からにょきっと出てる筒をみて「吹き矢だ〜」みたいな戦々恐々。 なんか普遍的なシーンだけどわりと楽しい。
あとはラストの遺跡。 一万年前の、ブラックジャックの請求書がw

かように、わりと普通に楽しめる第二弾、マリンエクスプレス。
24時間テレビの目玉コーナーであって、逆に他の時間帯はなにやってたっけ。 なんか駅伝マラソンみたいなこと、チャリティーライブイベント、スタジオでなにかやってたような・・・そもそも観たことないのでわかりません。 最後のほうは90年代? そのあともやってた?
やってても観ないんです、なんか食指が動かない。
もともとテレビをあまり観ないし・・・。

とにかくそんな感じで。


●100万年地球の旅 バンダーブック


順序が狂ったけど24時間テレビのアニメ第一弾、バンダーブックを視聴中。

バンダーブックとマリンエクスプレスだけがオススメに出てくるけど、他もあるっぽい。
と思って手塚プロダクション公式チャンネルみたが、あれ? ないぞ。
これから配信される・・・ってこともないか、マリンエクスプレスが5日前で、そんなに間あくかなあという論拠。
他の公式チャンネルもそうだけど、思い出のエピソードを選んで配信、という形態が多いようで、一話から最後まで順に無料配信は一般的ではないってことか。

まあいいや、先ほどのマリンエクスプレス同様、修羅場で生まれたと伝えられるバンダーブック、どんだけ事故物件か観たかったのだが。
あれ、それほどでもないぞ、というのが正直な感想。
ひとつには手塚治虫先生といやストーリーマンガの創始者みたいに言われていて、ゆうても鳥獣戯画はストーリーマンガちゃうの? という疑問もあるのだが・・・とにかくストーリーはたくさん持っている(脳内にストックがある)マンガ家なんで、バンダーブックもさほど「つまらない」話ではない。

それと作画や演出だけど、これどうなんでしょね、24時間テレビの後に作られたリテイク版なのだろうか、そんなに酷くないという。
つか当時にテレビアニメと比べると上等とすら思える。 作画枚数も多いほうだし。
いま半分観たとこだけど、べつだん作画崩壊もない様子。

あえて苦言が予想されるのは、SFのいい加減さだけど、それはファンタジーなら今でもフツーじゃん。
惑星間移動の設定がとくにないとか、地球人が他の惑星で暮らせるんかとか、言語問題はどーすんだとか、科学知識のない主人公が宇宙の無法地帯に馴染みすぎィとか、いろいろあるんだけど、ホントそれは標準的なファンタジー。
例えばそれを現代的な(当時は)視点で描いたのがドラゴンボールなわけで、ドラゴンボールは今でも違和感なく観れるやん。

見どころは、一種の手塚節というか、アニメをやらせた場合の手塚治虫節という持ち味ですかね。
具体的には、無駄によく動く、つまりカートゥーンに近いんです。 近いっつーかたぶん、カートゥーン目指していると思う。
漫画の神様、ストーリーマンガの創始者と言われつつ、アニメやるとディズニーやワーナーみたいにやりたがる。
そして不定形オブジェクトですね、多くは不定形生物あるいは変身生物で、今回のバンダーブックでは変身生物が二種類くらい。

ひとつは地球人に近い惑星人で、リングの力で変身が可能という設定で、まあとにかく、変形を描きたくて仕方ないんでしょうね。
さらに変形を描きたい欲求がマックスになったとき、ついにはアイテム無しで常に変身している小動物みたいなのをマスコットに加えて。
頼めば何にでも変身してくれるんで、(まあサイズ制限、強さ制限はあるようだが)知恵さえあれば最強のパートナーですね。
「ダンボール箱に変身して」と言えば、どんな軍事基地でも潜入し放題じゃないっすか。

常に変身だから、シーンやシークエンスではなく、カットごとの変身です。 色や顔で、何に変身しても個性は残る。
会話も変形で(つまりパントマイムで)やるので、元の姿がよくわからないくらい。(褒め言葉)

今回はなんかブラックジャックが、宇宙海賊みたいになって、キャプテンハーロックとキャラがかぶらんか心配する。
しかし意外と重ならないもんですね、顔に縫い目がある男、という共通点はあるものの、あんがい別人なんだ。
声は気のせいか「いつもと違う」という感想で、しかし逆に「いつも」ってなんだろうね。 ブラックジャック単独のアニメはあまり観ないんですけど。

シャラクの声がオヤジ声なのは、先にみたマリンエクスプレスでもう慣れた。
むろん主役を張ってる「三つ目がとおる」では、顔に見合ったマトモな声なんだけど、ゲスト出演ではかようにオヤジ声なのはなぜだろう。

主人公のバンダーは自分が惑星にひとりカプセルで送り込まれた理由というか、17年前の地球で何があったか探偵するのだが。
そんな広い宇宙で、ピンポイントな情報がわかるわけないやん、と思ってると・・・あんがい出てくるんですねw 世間は狭いな。
つか何の話をしても「そういえば17年前、地球で事件が・・」みたいに、自動的に確信にせまってるような。
SFよりもドラマのテキトーさ加減が問題かも。

というわけで前半をみた感想。
後半も、なにかあれば書きます。

●後半みた

なんか一部のシーンで判明したのだが、コレ何回か観てるわ。
つまり何度か再放送しているってわけで、それはマリンエクスプレスも同じこと。 たぶん古い時代は昼間に放送して子供たちに、そのあとは夜中に放送して「懐かしい〜」と感じる大人たち対象でやってたと思う。
もうビデオレンタル全盛期であろうが、やっぱり24時間テレビ用の一発アニメのその後は、再放送で元を取るのでしょう。

で、どのシーンでわかったかというと、シャラクが研究室で、何をやっとるのかと問われて「宇宙の謎からハナクソのほじくりかたまで」という、コレが視聴するたびに印象的で・・・というのもかなり深読みして、「ハナクソのほじくりかたにも最適な、最も効率的な方法があるんだ」と解釈して勝手に感動したため。 カンフーブームとかありましたから、人体の最も優れた運用方法、洗練された技術があるんだ、みたいな。
・・・・・・・まあ今おもえば、シャラクが言いたいのは「なんでも研究するよ、テーマを選ばずにね」ということなんでしょうね。

で、他のシーンはまったく記憶にございませーんw
だから逆に楽しく観れました。
とゆうか、17年前の博士爆殺って宇宙時間のトレーダー分岐点(銀河鉄道999用語)なんですかね、どーあってもそこに行き着く。
これだけ容易な探偵って観たことないので斬新だ。


で、判明したのは17年前って1978年、つまりこのアニメの公開時ですな。
そうは見えないんです、モダンタイムスみたいに進みすぎた国家、巨大なマザーコンピュータに支配された世界、それに対抗するために宇宙船に乗り、地球以外の人々の理解を得る旅に・・・そんな1978年ないやろ。
逆に現在は1995年? 宇宙のアチコチに地球人が進出、猛威をふるってるって、蒼き流星SPTレイズナーの1996年よりスゲえw

あまり関係のない話なんだけど、さいきん青空文庫で読んだ小説に海野十三「海底都市」ってのがあって、コレはタイムトラベルものであり、二十年後の凄まじく進化した未来都市を見聞する、という話で、一部を除いて典型的な超未来世界が描かれます。
動く歩道は六車線、最大五百キロというハイスピードで、車道には電気自動車が走ってるみたいな。 一部を除いてと言ったが、お食事はカプセル食・・・と思いきや、とってもおいしいごちそうではあるが、わりと普通の食事な様子。
未来世界では薬など時代遅れ、その時々に応じた最適な食事をとることで健康になる、という思想なのだという。

海野十三にしては、なかなか洒落た未来描写ではないか。
しかし、海底都市では二十年前の自動車や道具はもう博物館入り、人間は新人類となって、昔のことは学者しか知らないって感じで。
そういうところはまあ、極端だなーと思って、じゃあ時代はいつよ、と読んでいたら、「元の時代」は1948年だって。
じゃあ二十年後の未来ってことで、1968年なんだ、なるへそ。
いやあ昔の人が考えた未来って、古いんだよね確かに。

現実に、1968年は我々令和の人間には昔話。
バンダーブックの1995年も同じことなんです。

ちな80年代によく使われた近未来が「2019年」、今年ですね。 たぶん元ネタはブレードランナーかと。
ブレードランナーが近未来を19年と設定したため、その後多く使われて・・・まあ自分が覚えているのは他にはAKIRAくらいだが。

まあとにかく、どんだけ事故物件か気になったが、別に作品として酷いってわけではない様子。
むろんリテイク版なのかもしれないが、スタッフがどれだけ倒れたか、何人やめたかって競う分野みたい事故アニメって。

ただ再放送で繰り返し観ているのに、ほとんど覚えていないって事実があるわけで。
なんというかまあ、(おそらく当時から)どうでもいいアニメではあるんですよね、岡田斗司夫チャンネルで言っていたように、ビデオデッキが普及する以前におきたアニメブームのさなか、テレビ放送で、タダでアニメが観れて、それが通常のテレビアニメよりはるかにクオリティが高いなら、素晴らしい内容でなくても観るんですよ必ず大勢が。

新聞のカラー化っていつからだっけ・・・・まあとにかく、大勢の人々の大切な情報源のひとつが新聞のテレビ番組表で、今ではカラーで色分けしてるので、映画、アニメは一発でわかりますよね。 テレビ自体に内蔵されている機能で番組表みても。
カラーで色分けされていない時代であっても、まあ市民全員が職人芸みたいなもので、目ざとくアニメは見つけたことでしょう。
というか、なんか昔はタイトルでわかったんです、今と違って。 今だとドラマも子供向けショートコーナーでも特撮でも似たネーミングセンスですが、昔は「無敵鋼人ダイターン3」と書いてあれば、「あ、アニメだ」って。
すなわち誰もが新聞番組表を毎日、目で素早くスキャンしているってことですが。

24時間テレビのアニメコーナーはもっと直接的な説明が入ると思うが、とにかく「アニメだ!」ってみんなが観る。
企画としては大成功なわけです、このアニメコーナーは。 ただ、スケジュールが間に合わず、放送するフィルム1巻が映写されて、つまり放送されているころ、最後のフィルムリールはまだ現像所で、つまり「今そっちに送りまーす」ってこと? 雇われプレスライダーがフィルム缶背負って、バイクで放送局の中まで疾走してドアをぶち破って映写室に飛び込まないと間に合わないのではないだろうか。
「キルラキル」でも似たような(製作側の)話はあるが、アニメってそんな事故ばかりなのか。

まーいいや、兎にも角にも、いまYouTubeにおいてある「作品」は、すました顔で存在しています。
説明されなきゃあ事故物件なんてわかりませんね。
例えばチャージマン研!なんか、作品みると現場のドタバタも垣間見えるのですが・・・。

という事故物件判定でした。


●フウムーン


なんか来ました、マリンエクスプレスの次、フウムーンが配信されてて。
二作品だけって寂しいなとは思っていたんです、じゃあだいたい一週間でひとつづつ配信するスタイルかなるほど。

ちなみに岡田斗司夫チャンネルで「ブラックジャック創作秘話」というドキュメンタリーマンガを紹介してた件で、まあ直接的に聞ける秘話はマリンエクスプレスまでで、なんせあまりにも修羅場なんで24時間テレビアニメを最後まで付き合ったスタッフが少なく、うまく取材できないようです。
ただその修羅場は最後まで続いたようで、バンダーブック、マリンエクスプレス以上の惨状もあったとかなんとか。

その説明によると何もかも自分でやるという手塚治虫スタイルのせいなんですが、自分自身がイチバン地獄をみたようで。
原作だけ提供して、何もかも人任せにするのが理想的な解決方法でしょうね、優れた人材はいくらでもいるはずだし。
とゆか毎年のことなんだから、かように状況改善するべきではないだろうか。

で、フウムーンです。
予備知識がないというか原作を知らないというか、手塚治虫作品をぜんぶ知っているわけないから、そりゃそうだ。
余談ながら火の鳥、日本古代編の奴だけはアニメもみたけど原作を「立ち読み」で読破しましたw 立ち読みは誰でもするだろうが、マンガを読破したのはたぶん後にも先にもこれくらいかと。

予備知識がないうえに、まあオープニングは退屈な模様アニメのプロモーションビデオで、意味不明。 昔のテレビ視聴ってチャンネルをガチャガチャ言わせながらみるもんで、つまり「何か面白いもの〜」って切り替えながら探すってのもよくあること。 今でもそうか。
だもんで退屈なオープニングとか「大丈夫かよ」と思うんだけど、劇場アニメと24時間テレビアニメだけは大丈夫なんでしょう、劇場だとオープニングの段階で退屈なことやっても、「じゃあ帰る」って人はいないでしょう、料金払ってるんだから。 24時間テレビも番宣というかアニメの出番が来る前に、しつっこく部分的なシーンで短い予告編つくって繰り返し流したはずで、まあオープニングくらい待つでしょう、誰でも。

内容はともかく、世界観は確立してますね、独特なものは電気自動車、植物保護カプセルでしょうか。
街中の、あるいは室内の観葉植物までもがカプセルに入って保護、直接な説明はないが、どんだけ貴重なんだよという未来設定。
人類による環境破壊が進んだっていうことなんでしょうね。
それが原因か新人類が誕生、これはまた可愛らしいデザインと言うか、今どきのマスコットキャラクターみたいやw
ただ重要キャラのロココだけは例によって手塚治虫得意の擬人化みたいな、デカいまつ毛長い目をしてます。
他は丸いやつちっこいやつ、色トレスということもあって、点目の愛らしい謎生物に。

えっと話の核は「暗黒星雲迫る!」だったかな。
いかにも当時のアニメらしい話ですね、印象深いのは銀河鉄道999の化石化ガス雲だっけ、生物が石の彫刻になっちゃうやつ。 そして宇宙戦艦ヤマト復活篇の移動性ブラックホール・・・これはわりと最近か。 要するに惑星規模のカタストロフィーです。
無駄にデカい話がけっこうあったりします、SFアニメってのは。

実はまだ半分しか観てないけど、わりと面白くなってきた。
なんつか、役者が出揃った頃合いです。

ここでひとつポイントは、ピノコ(今回はピーチというキャラ名)が意外と可愛い、ということ。
もともと手塚治虫キャラって、ミョーに立体的というか、全方向から描けるんです、あんだけデフォルメされているのに。 やっぱ若い頃にカートゥーンとか独自研究して、どの向きでも描けるようなデザインを編み出したんでしょうね、鉄腕アトムなんかは逆に、そうした立体デザインの遊びとして、立体フィギュア化できない髪型になってるわけで。
ピノコも今回は(いつもじゃないよ)そうした立体造形の可愛らしさが満載で・・・じゃあいま、3DCGで再現したら同じように可愛くなるかっつーと、それはアニメーターの腕次第でしょうね。


あ、もひとつあった、円盤の周囲に風車みたいな、回転する模様がたくさん描いてあるんです。
回転が回転を内包するってデザイン、1998年のスプリガンはじめ、今では普遍的っつーか、自分もホビー3DCGやってるからわかるけど、スゲえ簡単に面白い絵ができるんです3DCGならね。 曼荼羅とか輪の中の輪みたいな古代神秘な雰囲気も出せるし。
が、手描きアニメでどーやるんだそれ。 おそらく紙と画鋲で簡単なくるくるモデルをつくってひとコマづつビデオ撮影(そんなビデオカメラあまりなかったから、8ミリフィルムカメラや16ミリカメラのほうが手っ取り早いかも)、それを参考にアニメーションするか・・・あるいは熟練のアニメーターが神業でもって手がけたのか。
あるいは熟練ではないアニメーターがひたすら定規で当たり線を引きながら苦労して描いたのか。

●後半みた

えっとまず、最初に言っとくと・・・この作品、観たことないような気がする。

バンダーブックやマリンエクスプレスは間違いなく、それもおそらく複数回、たぶんテレビ再放送で観たのだと推測されるが、フウムーンは、どうにも記憶にございませーん。
次のブレーメン4とかはタイトルからして知っているような気がするんだけど、フウムーンはもう何もかも確信がもてない。

内容的には特筆すべきことあったかなあ、暗黒ガス雲が接近して、人間よりよっぽど高等だがケンカはからっきしのフウムーン一族はアホな人間と荒廃した地球を見捨ててそれっきり。 地球や人間に未練があるロココひとりが残って、命がけで尽くすのは、どうもアンフェアな気がする。
地球人はだいたい暴徒で、多くが何もせんのです。
まー唯一、バリア装置の関係者だけが奮戦して、しかしロケットは暴徒によって破壊されているのでロココが円盤でっていう。

暗黒ガス雲は大部分逸れて、でも打ち残したのが地球に飛来、よくわからない効果で世界を色のない風景に変えて兵器群は崩れ去り。
それをロココの円盤で、反重力の応用らしいが、拡散して雨に溶かすと。
ロココはどうなったって? 最後に光になったから、まあ爆発でしょうね円盤の。 そして彼女は雨に混じって虹になったのだ。
という強引な美談。
あ、暗黒ガス雲が雨に溶けて無害化した件は、お茶の水博士が「何らかの化学変化」とか言ってたから、私の解説がテキトーなだけじゃないっす。

もちっと努力しよーよ人類。
と、思うけどそれがテーマなんだよね。
高等人類フウムーンの、地球を見限らなかったロココが生命と引き換えの献身・・・それで救われた、という。

あとはアレだな、おそらく多くの視聴者が意味不明な部分を解説します。
途中、暗黒ガス雲の接近でパニックになった地球上で、大量の自転車が壊されてタイヤを抜き取られ、積み上がっている。
そのタイヤはパニック市民たちが奪い合って暴力の嵐みたいな場面が続く。
なんで自転車のタイヤ? と思うかもしれんが、これ本来の目当てはタイヤの中のチューブなんですわ。
クルマやバイクのチューブレスタイヤでは役に立たない、自転車のタイヤチューブが欲しいわけさ。

チューブなんかどうするかって? アレは取り出して空気入れで膨らますと、風船みたいに膨れるんだよ。
つまり、欲しいのは空気、地球がガスで覆われたときに空気ボンベがわりにチューブでしのごうって算段なわけで。
ま、劇中で言っているとおりガスが晴れるまで半年はかかると想定されているので、無駄なんだけどね。

そしてこれの元ネタはおそらく、「空気がなくなる日」で、児童文学です。
たまったま自分はソレ読んだことあるんで知ってるが、いま教材として出回ってるのかなあ。
だから、「おそらく多くの視聴者が意味不明」と言ったんです。


空気がなくなる日はハレー彗星が接近した1910年に「彗星接近で地球の空気が数分間だけもっていかれて、人類滅亡」というデマが広まり、パニックになった人々が息を止める練習をしたり高価な自転車チューブを手に入れたりする話。

しかし劇中の悪党、ランプだっけ? おそらく時々、後頭部にロウソクつけてるやつ。
まあロクな死に方しないタイプですね、マリンエクスプレスで溺死したのコイツだっけ。 まあ悪役俳優、みたいな感じなんです。
同じキャラクターを複数の作品で使い回すため、手塚治虫キャラクターは何となく俳優みたいに思えるわけ。

いまみると上出来ってほどでもないが、当時としてはちゃんと価値のある映像作品になっていたと思う。
要はテレビアニメとは、演出の重みが違うわけで、「世界が文字通り色を失ってゆく・・・・」というカタストロフィーを、じわじわと描いてゆくシーンは劇場用アニメに匹敵するかもしれない。

だからゆうて率直に感動するタイプの作品でもないかもしれんが。
まず「何やってんだ人類」とか「人類はダメだなあ」とかいうのが感想ではないかと。

とまあそんな感じで。
バンダーブック、マリンエクスプレスだけじゃなく、ちゃんとフウムーンも配信されて、それが何より有り難い限り。

とかいって視聴している間にブレーメン4来てるw



●ブレーメン4 地獄の中の天使たち


えっとまず、タイトルをコピペするためにウィキペディアを見ちゃったのでそれについて。

記事が短いから、即興で読破できてしまって・・・。
何が重要かってこれもコピーペーストですが「作品は製作が間に合わなかったため未完成のまま放映された」ってところです、はい。
うはw 制作現場だけではなく、作品までもがついに事故物件にww いや笑える話ではないんだがwww

いったい何がおこったのだろう、いやさ何が放送されたのだろう、実に興味深い。
そして今、観ることができる版はオンエア後に直された完成版であるとのこと・・・オンエア版はもう観ることが、知ることができない。
要は宇宙戦艦ヤマト復活篇のDVDなどに入っているオリジナル版を消して、ディレクターズカット版だけが市場に残ったみたいな?
あいや残ったっつーか、オンエア版は映像ソフトにならなかったんですねブレーメン4.
ちなみに宇宙戦艦ヤマト復活篇はテレビ放送されたのはもちろんディレクターズカット版で、元がどんだけ失敗作だったか自分は知りません。

そして何より興味深いのは、24時間テレビのリスト。
このブレーメン4とプライム・ローズという作品の間、1982年のアニメ枠は竹宮惠子作「アンドロメダ・ストーリーズ」となっております。
つまりバンダーブックからすでに現場は修羅場であったのだが、このブレーメン4でついに限界が来たってことが、リストから読み取れるんです。
自分は岡田斗司夫Pのような業界通ではなく物知りでもなく、逆に普通のアニメ特撮ファンからみても情弱だが、それでも放送リストみればそんだけのことが分かってしまう。

まあフウムーンまで三作みて、わかるのは劇場用アニメのレベルを目指しているってことで、それがまずムリなんじゃないですかね。
ビデオデッキ普及、ビデオレンタル時代以前なんだから、テレビアニメと同じクオリティでもいいじゃん、と思ってしまう。
あ、ちなみにわりと覚えているのは「銀河探査2100年 ボーダープラネット」・・・1986年の手塚アニメで、確か深夜に再放送していたようなおぼろげな記憶があるが、これは話がぶつ切りで酷かったような・・・まあ今いったように「おぼろげな記憶」です、はい。

手塚治虫が皆の説得に応じて、労力分散をしたんでしょうね、アンドロメダ・ストーリーズのあと再開したときに。
それで1986年までには品質が下がった?

というわけでアニメ的に最後の聖戦、おそらく手塚治虫が倒れる寸前まですべてを仕切ってついに間に合わなかった恐怖のスケジュール。
次の年はもう力尽きてアンドロメダ・ストーリーズに譲った、その理由となる事故物件。

これから観ます。

●視聴開始

えっと観てすぐわかったのは目指しているってことです。 目指してます、劇場用アニメクオリティ。
それは分かるんだけど、じっさいの映像はテレビアニメ「巨神ゴーグ」(1984年)と同じくらいです。 どういうことかというと、五年くらいで日本のアニメそのものがずいぶん変化したためで、昔なら劇場用クオリティと言えるものが、ブレーメン4が放送された1981年あたりから例えば1983年の幻魔大戦、1984年の風の谷のナウシカなどなど、劇場アニメが底上げしているような時期。

手塚プロダクション、あまり無理しないほうが・・・と心配するが、オープニングクレジットみると、それほど「何もかも手塚治虫がやってる」わけでもないような。 あいや絵コンテなど、初期の工程が遅れると、続くみんなが困るっていう構図かもしれず。

まあいいや、とにかく最初のシーンは宇宙、そして宇宙船、やっぱり当時としては「つかみバッチリ」なのではないかと。
宇宙船の中には手塚治虫得意の平和的宇宙人がいて、地球語のピースがお気に入りな模様。
この宇宙人、今回は獣型で、まあケモナー大歓喜ですな。 それが地球人のデータを開いて、ハイテクな木の葉を頭にのせると変身。
地球人に化けてもワイルドは残るので、まあケモミミ好きは大歓喜ですな。
なんだか今現在のアニメ風俗を語っているようですが、じっさい手塚治虫ってそうなんです。
それもわりと意図的にケモミミなどを導入して、萌えという言葉はなかったが、用語がないだけで意識していた。

繰り返し書いていることだけど、昔は萌えという言葉がないだけで、萌えという概念はあったのは間違いない。

転じて地球では・・時代がよくわからないが、まあ現代かあるいはちょい近未来なのか、兵器群は未来的ですね。
とにかく戦争しているっぽいです。 今日も村がひとつ占領され、人々が虐殺されて。
そんなところに飛来した平和星人は、巻き込まれて森のなかに逃げ込んで。
同じように母親を亡くした子供も森に逃げ込んで。

ってところまでが十五分くらいで。

同じ手塚治虫でもブラックジャックばりの劇画調です。


●三十分ほど視聴

この調子で、ぶつ切りに観るかな、それは楽なんだけど本来的ではないような気もする。
まあいいか。

えっと時計の針が十年以上、戻ったような感覚があります。
まづ背景に戦争があるけど、そのドサクサの中で動物が次々と合流、だからタイトルがブレーメンなわけです、そこはお題に忠実。
ロバ、犬、猫、ニワトリ・・・こんな異種間で友情とか発生するわけないやん、だから旧いファンタジー風味なわけで。
せめてもの工夫として、猫だけが人語を理解する、人間界の知識があるってことになってます、むろん人間とは話せないが、とにかく劇中ではフツーに声優さんがあてている。
人間に飼われている他の動物も多少は人間らしい語録があるって設定になってるが、ロバとニワトリはあまり達者ではなく、ゆえに犬が相互間で通訳みたいなスタイル。

もう「太陽の王子ホルスの大冒険」くらいの、昔アニメみたい。

他キャラクターとしては司令官、若くて非情な男であり、まあ侵攻して領主かだれかをムリヤリ屈服させ、譲渡書類にサインさせたらすぐ射殺。
コイツが戦争の、虐殺の張本人なわけ。
おまけにこの司令官、核のスイッチももっているという、手に負えない暴れん坊やん。


猫は最初、ニワトリを捕食しようとしてたじゃん、もう友達もへったくれもないと思うんだけどね、仲良くなるんです。
最初のアニメ版ジャングル大帝は、レオたち肉食獣は舞台となるジャングルで、肉食わないという設定があり、まあ今ではまったく存在しない、誰も傷つかない理想郷、というテーマがあるみたいな。 最初はイナゴかなにか、次は植物から生成した人工肉だっけ、そんな世界。
今回のブレーメン4はそこまでお花畑ではなく、他のニワトリは人間に食われてますね。
またリメイク版ジャングル大帝・・・確か1989年だと思うが、そこではレオたちもフツーに肉食ってるわけで。

とまあ、ちょっとづつ役者は出揃ってきたんだけど。
うん、まだ話が見えませんね。

戦争している司令官、ブレーメンの動物隊、戦災孤児、ケモミミ星人、ぜんぶ個別なエピソードです。

それと、クオリティは高いほうなんですが、ソレ以外の雰囲気はなんとなーく韓国アニメみたいな。
韓国はアニメが大好きですね、それもカートゥーンやピクサー、ドリームワークス的なヤツが造りたくて仕方ない、というのが伝わってくる。
だから日本に接近して、下請けやって技術を育てていたのだと思うが、1970年代から80年代の韓国アニメは発想が自由で、何かがブレーメン4と似ている。 まあブレーメン4はまだ地道で堅実なほうで、コレが韓国アニメだったら「宇宙ブレーメン音楽隊」となるでしょうね。

それと、ここでひとつ記述しておくと。
いまのところ、この作品観た記憶がありません、覚えているシーンが出てこない。
しかしタイトルはなんとなーく馴染みがあるんだけどね。

あ、話とは直接関係のない映像話としては、司令官が「核のスイッチを押すぞ」と脅すシーンで、じっさいの核実験映像が使われます。
しかし気になるのが、核実験のキノコ雲周辺にある小さな煙の数々で・・・普通に考えれば観測用じゃん。
でも爆発のあと、キノコ雲は発生しているのに、あまり動じた様子はなくって・・どゆこと? 地上だけ破壊して、空中は影響がないのか?
いやそんなはずはないと思うが。 もしかして衝撃波くらっても、煙は四散したりしないとか?
核爆発だもん、高熱で大気は膨張し、そのぶんが爆風として、煙なんか吹き飛ばすと思ってたんですけどね。
ついでにラジコン飛行機も大量に飛ばして、墜落するか実験してほしいもんです、影響を知りたい。
ただし実験はアメリカ国内でな。


●一時間ちょい視聴

さっきはどこまで進んでたんだっけ・・・まあいいや。

まずケモミミ宇宙人ですが、戦争から逃れて森に、と思ったらなんか水落ちで行き倒れてました。
そこを動物隊が助け出して・・・。 彼女はなんか、平和宇宙のメッセンジャーとして、地球も仲間になりなよって使命で来たんだけど、どーも地球を代表する知的生命である人間は野蛮だなあ、という印象をもった模様。
それよりも自分を助けてくれた動物たちのほうが、平和の精神をもってね? ということで、例の変身葉っぱをくれました。

正直、「ここにちょうど葉っぱが四枚あります」みたいな展開は笑えたけど。


まあとにかく、かなり回数限定の「不思議な力」を「誰かが」授けてくれるってのは定番なんです、たぶん今でも。
例えば・・・透明剣士だっけ別な映画だっけ、とにかく天狗だったか妖怪だったかが、三回だけ透明化できるアイテムをくれるって話があって。
まあうち二回はかなり気軽に使ったような記憶があるようなないような。
あ、それより有名なのはアラジンですね、魔法のランプは確か三回限定だったかと。

つまりケモミミ宇宙人の役目は、この変身葉っぱを動物たちに渡すってことだけでした。
そして消えて退場なんですが、戦争に巻き込まれた傷で死んだのか、地球から去ったのかはよくわからず。 なんか宇宙船を隠す時と似たようなエフェクトで消えたので、おそらく後者でしょう。

人間化した動物たちは、とくに猫の要望で、飼い主の子供を探すことに。
ほらほら四つのストーリーのうち、みっつまでが合流した。 あとは司令官だけか。

と、そっから先はトントン拍子で、猫が子供を探すって、なにか手がかりはあんのかってことで、彼らが使えるランゲージは音楽、あの子供だけが知っている死んだ母親の子守唄をアレンジして歌ってれば、かならず会えるはずという理屈。
まあ動物ですから、とにかく人間の社会にうといんです、思いつくのは音楽くらいでしょう。

というわけで、ブレーメンの街で音楽隊、原作っつーかオリジナルの童話に忠実ですね。
余談ながら変身葉っぱの使用回数はなんと1回w じゃあ戻ったらそれっきりか。
という若干のスリリング。
話は込み入ってて、まあせいぜい省略して書きますが、途中でブラックジャックも登場します。 ちょっとだけだったが。
動物の音楽隊は才能があったのか、成功して大スターっつーかアイドルに。
どんな話やねんと思ったのもつかの間、すぐに音楽隊と子供はまとめて司令官に捕まり、地下牢へ。

ちなみに音楽で成り上がる途中なんだけど、一瞬、ほぼワンカットだけですが、ハーメルンの笛吹き男的な絵があって、そっち方向に話いくかと思いきや、素振りだけですた。

そっから脱走撃になるわけだが、一匹づつ変身を解いて動物にもどり、「ここはオレが食い止める! 先に進めええええ!!」ってわけではないが、とにかくひとりづつ戻って動物の能力で逃走を続け、ゲリラのヒゲオヤジの仲間になって。
猫とニワトリは別行動で、まだ城にいます。

というところで一時間ちょいです。
これからゲリラの反撃がはじまるのかな。

楽しい見どころは司令官が飼っている二匹の猛獣ですね、たぶん黒豹でしょう。
まさかアレが伏線だとは・・・・司令官が音楽好きで、レコードをかけているときは「音楽が流れている間くらいおとなしくしていろ!」と一括され、黒豹二匹はそのたびに直立不動でいなくてはならないという。
それが後、核のスイッチを探すため猫とニワトリが部屋に侵入、そこに留守番の黒豹たちがやってきて大ピーンチってときに、うっかりレコードの再生ボタンを押して。
あとはもう、直立不動ですw 音楽が鳴っている間はww こんなコントの伏線だったんだwww


まあいいや、自分用にまとめメモっておくと。

猫は未だ人間で先に動物にもどったニワトリと城に。
ロバは逃走のさいロバにもどって、未だ人間の犬とともにゲリラに下宿。
書いててややこしいわ。


●最後まで視聴

とくと観た、事故物件らしいアニメのリテイク版。
その放送事故らしき片鱗は、確かにありますね、作画が一瞬、ガタッと崩壊しそうになるとか、何か時間が飛んでるような感覚とか。

そして何より、その内容。
いやー放送は1981年、その当時の感覚でいうと「今どき」動物が話し合って世界平和を説く、とか子供だましでしょ、ってこと。
うんそういうのを子供だましって言うのだと思うよ。
動物にはそんな知能ないだろ、ってのが普通で、まあ今だったらかろうじてかようなファンタジーも成り立つかもだが、80年代じゃあリアリスト時代だから、これは失敗作だったと推測。

だいたいバンダーブック、マリンエクスプレス、フウムーンと、それなりにSFだったのになんで急に、という思いもある。
いちおう先述したとおりブラックジャック風味の劇画タッチで、血まみれの死体がバンバン出てくるストーリーに動物お花畑という組み合わせ。
でもまあいいや。

面白い点も数多く、例えば司令官が実はロボットだった件。 目が明滅する演出があり、最初は気にしなかったが二度三度あると「あ、もしかしてコイツ自身が核のスイッチなんじゃないか・・・」と思うやん。
ところがどっこい、確かにロボットではあるが、核のスイッチは指輪でした。
そしてコイツ、マスク外すとブラックジャックに似ているという。 つまりコイツを作った男がブラックジャックの父親で、非情な支配者に育てようとしたが反発されたので勘当、国外追放し、かわりにブラックジャック似のロボットを製作という。
ロボットだから顔に縫い目がなくって、髪型は変えているんでマスクしたらなかなか気づけない。

話の争点はその指輪の争奪戦となり。
あまりに指輪に固執して追いかける司令官にオヤジが「指輪物語じゃないぞ」とか言う台詞もあって、そういやマリンエクスプレスでも指輪物語って台詞はありましたね、当時は映像化など夢のまた夢だったと思うのだが、海外アニメとかあったのだろうか。
まあ普通に考えればスタッフが(あるいは手塚治虫が)小説のファン、でしょうね。

ゲリラの総攻撃がはじまる時点では、けっきょくみんな動物にもどって、むろん武力では無力なんだけど、指輪持ち逃げで尽力という。
あとはまあ、ふたりのブラックジャック対決でシメたんだっけ。
動物にもどった四人は「行方不明扱い」な様子です。 彼らはいったいどこに行ったのだろう、という。

まあ先に書いたように、四人・・四匹の音楽隊は動物たちに世界平和を説いてまわる旅をしているのだ、ということなんですが。


うーん、なんかね。 あまりいい話じゃないなという感想です。
テーマはけっきょく戦争反対だったわけ? いやもうどうでもいいけど。

というかせっかくブレーメンの音楽隊やるんだったら、合体技のブレーメン同身(即興命名)をやるべきではないかと。
音楽隊という設定も途中であやふやだし、何もかもが中途半端なんです。

ただ、ひとつ楽しんだのは・・・例の音楽で硬直する黒豹w
最後までそれで自滅という、これは良い見せ場でした。

とまあ、リテイク版ということもあり、作画などではそれほど破綻してはいないが、消化不良感ある一本。
オンエア版もぜひみたい。


※ここで考察。

当時の「手塚治虫」はどんな存在だったのかが気になる。 が、いろいろ考え合わせると、それほど熱烈でもないような世間の評価。
むろん24時間テレビの時代から「漫画の神様」と言われていて、じっさい24時間テレビのアニメ枠は「手塚治虫」というネームバリューが売りみたいなもんで、それなりに集客力のある名前でした。
なんつても過去、「鉄腕アトム」などのヒット作品が多く、また日本においてはテレビアニメなど、いろんな新基軸の功労者となっております。
でもそのあとすぐ、スポ根アニメやらタツノコプロやら登場し、すぐに風化したんです手塚アニメは。 たぶんそう。

よくブラックジャックの説明で、「手塚治虫の再起」と言われるのは、逆にそれまで低迷してたってことでしょうね。
あとはまあ、昔のアニメ界は視聴者も造り手も、それぞれ逆に節操がないっつーか、造り手は「宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムを観る層が、手塚治虫を観るはずがない」とか考えたかも。 じっさいアニメファンは反対で、アニメであれば何でも観るって人、多かったと思うよ。
だから70年代に、ちょっと低迷したのだと思う。
制作がキッカリカッチリしすぎだったのではという、個人意見。
しかし80年代、例えばビデオアニメという時代になり、手塚アニメ(過去の原作とか)投入してみたらわりと普通に受け入れられるわけで。

 ↑劇場アニメもあるよ

手塚治虫って多作が自慢でテーマもストーリーもちゃんとしてるから、数多いアニメに手塚治虫原作を混ぜれば、わりと当たんるんです。
少なくともハズレはないと思う。 だって手塚治虫だもん。(もはや理屈を超えた)
それにしても、存在感の大きさは考察するほどわかりませんね。
今、国民的アニメっつーったらドラえもんとゲゲゲの鬼太郎が双璧だと思うんだけど、それが鉄腕アトムだった時代があるのでは。
ちな国民的アニメって即興造語だが、まー条件が複数あって、えと少なくとも2世代のファン層、十年以上の歴史というハードルをこさえてみた。 考えながら書いたことで、残りの条件は後日の課題。
手塚治虫の話ですね。
作品数を思えば、一世を風靡したと考えるのが妥当なんだけど、いっぽうでどの時代も、ライバル作家の方が目立って。

わかるのは死後もその前も、評価は一定しているっつーか、人気度合いも一定してないか? 安定感はバツグンですね。
だから推測なんだけど、「大人気というより良い意味で空気みたいな存在」とか?

ちなみに立体的でありながらデフォルメされた手塚キャラは、今だと(並のアニメーター集団だと)難しい素材です。
うーん例えばスタジオTRIGGERくらいの実力がないと、デフォルメキャラで活劇は出来ないんじゃないかと思う。
つか手塚キャラに限らないんですけどね、なんか演出が写実前提になってきてるから、デフォルメキャラの活劇はヘンになる。
とくに顔アップで語るところなんかね。

ちな2003年の『ASTRO BOY 鉄腕アトム』がそれでした。
写実前提の演出に手塚キャラ代入、不自然感はかなりあって。
アストロボーイは作画レベルが高かったので逆に困ったことに。

最後にひとつ、アニメで放送事故といや、超時空要塞マクロスがありますね。
はじまった当初は「スゲえええええ!!」ってなるようなハイクオリティだったのに、途中で力尽きたのか、紙芝居以下のことになって。
いま、ウィキペディアで調べると、11話ですね、いや11話「から」ですね。 アニメ制作は原画、動画という順で枚数が増えてくけど、動画が間に合わずに原画に着色して撮った、ということみたい。 観ているこっちは前代未聞なんで仰天しました。
原画だけだと動きカクカクかって? 違うよ、そんなもんじゃないよ、アニメーションになっていないわけよ。
いまマクロスシリーズが存在するのは、マクロスが失敗作として歴史から抹殺されず存続したのは、その低クオリティにリベンジがあったからで、つまり劇場版「〜愛・おぼえていますか」の、凄まじいまでのハイクオリティっぷりがあるためかと。 あの映画はね、たぶん五年後くらいに浅草東宝のアニメ特集オールナイトで観たんだけど、マジビツクリでした。
要は汚名返上できた次第。


※気になったので調べる
マクロスを動画でみたが、紙芝居は11話からじゃないやん、問題は10話ラストふきんからだよ。
そして原画だけだとカクカク以下と言ったが、いまみるとそれほど事故じゃないね、うーん「カクカク」で済ませることが出来る範囲内?
しかしはじめて観たときはあまりの酷さに驚愕したんですよ、だから未だに語り継がれている。
うーむ、これは意外というか、もしかして今のほうが圧倒的にアニメの質は上だと思ってたが、昔のアニメファンもあんがい良いものを観ていたという可能性もあるね、あの程度で放送事故だもん。
ちなみに止め絵、つまり一枚絵のばあいは確実に、圧倒的に現在のアニメが上です。 動かすと互角みたいな。
まあいいや、とにかく。
ブレーメン4も、ソレに似たことが起きたのではないか・・・という、まあホントに想像ですけどね。
それはそれで見たいなあ。 アニメ現場の苦労は蜜の味っていうし。 (言いません)

まあそんなこんなで。
海底超特急マリン・エクスプレスは何度も再放送で観たのに、ブレーメンは初観としか思えない不思議はおいておいて。

YouTubeの手塚プロダクション配信が、順序どおりなら次は竹宮惠子作アンドロメダ・ストーリーズをすっ飛ばして、プライム・ローズとなるはず。

座して待つ。


●ひろしま


教育テレビで映画放送してたんで視聴。

つか部分的にですけどね。
チャンネルをガチャガチャ回していたら映画やってて、かような広島を舞台にした作品、あるのは知ってたが・・・わりと近年、反戦意識でつくられた映画やろ、と思ってたんで、わりと軽くみてました。
映像が白黒だけど、確かブレックレインと同時期つまり1989年前後に撮られた日本の広島映画も意図的に白黒撮影だったという、まあおぼろげな記憶なんですが・・・つまり、映像が白黒なだけではまだ「信用」がないんです。

何の信用かって? 後世になるほどプロパガンダになるやん、NHKドラマ類なんかそんな傾向で、まあ悪気はないんだろうが。
しかしチェックしたところこの映画は1953年でした。
つか観はじめて最初に思ったのは「あ、伊福部昭だ」という、音楽面。
伊福部昭先生はわりとフツーにドラマっぽい映画もやってたんですけどね、だから不思議ではない。

ちな観たゆうても「みんなが空を見上げている」→核爆発→地獄のような被災地という、二十分くらいですか、眠いんで続きは録画して、あとで観るんですが、そうとうに充実した内容で、そもそも当時としても超大作の部類じゃないですかね。

何がタイムリーって、はだしのゲン同様に被爆者たちを描いたってことは、これがゴジラの源流ってことじゃん。
ゴジラのメッセージってまさにこれで、リメンバー・パールハーバーもとい、広島ってことかと思う。 忘れるなって話ですね。

かなり大人数、大規模な撮影だけあって、鬼気迫る迫力は見どころっつーか、中には熱演しすぎて逆に「元気そう」な被災者もいるが、兎にも角にもメッセージは伝わる。
面白いっつーか、まあ面白いも不謹慎だが、家族を探す人々のひとり、おっさんがいるんだけど、救護所で自分の子供らしいのが死んでいるのを見つけるシーンですね、知らない子供に呼び止められて、指差すとこに倒れているという。
その知らない子は自分の子供といっしょに避難して、なおかつ最後を看取ったらしいので、「なにか言ってましたか」と訪ね、知らない子が黙って首を横に振ると、「お世話になりました」とだけいって遺体を引き取っていくという。

うーむ、これが日本人なのかな・・・良く言えば冷静、あるいはとてつもない憔悴というのか。
あまりパニックシーンがないんです、1953年ならまだ8年、記憶も新しいので、だからそうだったんでしょうねじっさい。

自分的にはこうした広島の惨状を描いた作品、なんか架空のSFでもフィクションでもないというか、信じられます。
単なる知識ではなく、実感として。
なんだろうね、311の震災以前からそうで、極めてリアルに感じられるというか・・・自転車やバイクで街を行けば、そら分かる人には分かるもんで。
「大災害がおこったら、どうなるのだろう」って話です。
なおかつ、「今だとどうなるか」まで考えてしまって。
都会がいかにキャパシティオーバーしているか、今はほら、東京湾からの物資流入でかろうじて生活を保ってるけど、何らかの理由で港が使えなくなったらどうなるか、街を歩いて見回せば、多くの人が危機感を感じるのでは。

なんかムリがあるんですよ、隠してるけど見える。

とくに現代は畑もない、果てしなく続く住宅街がかわりにあったりして、つまり生産性のない土地になってて、それが例えば東京だけならいざというときに神奈川、千葉へ逃げればいいんだけど、関東一帯がそうなったら、住宅地になったら、どんだけヤヴァいか。 なってるんだけど。
身を寄せ合う場所すらないのでは。
なおかつ、水路がないですからね今の街は。 水道は地下に埋設して。
大火災のさいは、これが怖い。 逃げ場ないじゃん。

なおかつ、どこもかしこもフェンスで囲って、その足で逃げるにも、危急の際はどんだけ移動できるやら・・・。
言っちゃあ失礼だけど、先の震災は東北だからまだ救われたってとこあると思うよ、関東ほど街が災害に弱くないのでは。
クルマがあれば、火災からはすぐに逃げられるでしょう。
東京だと街から出ても街なんですよ。
食料だって東京みたいに人口密集だと、ホントに危険。 港が火災などで封じられたら、あとは陸路だけど、富士山ふもとの危険地帯にそのライフラインが集中していて、大丈夫ですか、という。 空輸? 量が足りん。

そもそもこんだけ人が増えて、東京湾からの物流でもってる、ってのが信じがたいんですけど。

とまあ、この映画を観ながら、そんな危機感が次々とよぎって。
火に追われた人々が、どんどん川や用水に逃げ込んでは死んでいるけど、水にありつけただけでもいいほうなのでは・・という。
火傷をすると熱いというより痛えんだよ、それが水ですこし和らぐ。 だから死ぬなら水に触れて死にたいじゃん。
今現在、川崎市で同じようなことになれば、水さえ遠いですからね、とにかく怖いんです。

むろん広島の過去には同情しますよ、悲惨だなあという思いは、それはある。
しかし今の街が災害にどれだけ強いのか、実態がわからず、とにかく怖い。
広島に同情しているばかりではすまない、自分らのことで頭いっぱいになります。

怖いといえば、みんなが同じ考えなのが怖いっつーか、コレは思想の問題じゃありません。
食糧危機になれば、まあ自分だったら多摩川や平瀬川のコイを狙いますね、一匹ゲットすれば一日二日の食料にはなる。
でも、それってみーんな考えるじゃん、ソレが怖いって話です。
どこかの隙間にある水も食べられる雑草も、すぐ枯渇するでしょうね、みんなが同じこと(あ、これ食える)考えるから。

そもそも現代人である自分が、サバイバルに耐えられるかって話。

というわけで、本当なら「可哀相だな〜」「戦争っていやねえ}と観なくてはならんのだが、ホント今の状況に置き換えて、危機感ばかりが頭によぎるわけで、落ち着いて観れません。
映画みると知人が死んだらとにかく泣いてる暇もない、火葬して弔ってやらにゃあならんらしいんだけど、燃料はどうする・・・みたいな。
故人の思い出より燃料調達を考えなくてはならんのか。

それも昔はなんでも木製品だから、まだいいほうなのでは。
いま、戦争とは限らないが、大震災みたいなことになって、国も市もひとりひとりの面倒はみれません、となったらアウトかも。
物流の、フォークリフト移動で使う荷台、パレットでさえ木製品からプラスチック製に切り替わってるし。
燃料がとにかくない。

あ、映画の話だった。
もちろん今の、ミョーに危機感のない都会人にも観てもらいたいが、なによりアメリカ人にみせたいですね。
日本人として、被害者気取りのつもりはないが、連中にはホント、観て欲しい。
欧米はとにかく昔から偉そうでしたからね、「日本人は歴史を知らない」とか「日本人は新聞を読まない」とか「日本人は旧い事件はすぐ忘れてしまう」とかとか、昔からなんですよ、口だけ番長連合。 まあ今頃「そんなこと言ったっけ我々」とか思ってるでしょうね欧米人。
おまいらこそ、こーゆー映画みろよと言いたいわけで。
無知はどっちだって・・・まあ単なる喧嘩腰です。
当時は国際映画祭で観たらしいけどね。

というわけで。
なんか怒りの気迫を感じる映画で、続きもむろん観ます。


●はだしのゲン


「この世界の片隅に」といっしょにGyaO!に来てます。
この夏限定、無料配信。

一部のシーンは観たことあるんですけどね、たぶん夜中に放送している類のをちらっと観たとか、あるいは終戦番組でシーンをちょっと見せ、みたいな感じのもあったかと。
だからまあ、どんなアニメかは把握してます。

そう、絵柄が全然ちがうw
でもって、そうなると見えてくるのが、「あれ、あんがい名作かもしれんぞ・・・」というね。
原作は、まあ昔の定番なんで読んでいて、でもあの絵柄って強烈じゃないっすか、だから一種のネタみたいなところがあり。
だいたいゲンが小学二年生って、いやいや十歳くらい上に見えますがな。
それが絵柄を丸くしてアニメ化すると、ストーリーを率直に追える。 すると、なんか良いエピソードもすっと入り込める。

今回はGyaO!でフル観れるってことで、まあ最初のクレジットでわかるのは、プロデューサーというか制作が原作者の中沢啓治先生。
本気でこの物語を世に伝えたいんだなというのはわかった。

実はまだ、コイのエピソードまでしか観てないが、そこまで原作を忠実に追っているっぽい。 まあ記憶が曖昧だけどたぶんそう。
個人的に気になるのが、箸が立つほどの雑炊で、いやあ、今現在でもそんなにご飯いっぱいの雑炊はないんじゃねえの? という。
まあ今、雑炊に箸が立ったら単に水が少ないだけですね。
おこわご飯でも雑炊にしたのだろうか、そんなに固いとは。

ちなみに下駄の塗りは内職じゃなくて本職なのか?
ちょっと前まではそうした手描きの品物、例えば釣具屋などではいくらでも見れましたね、今じゃあそんな優雅な感覚が我々にない。
あとコイを釣るって、まあ昭和の70年代までは延べ竿・・・あ、リールを使わない竿のことじゃないよ、延べ竿ってのは一本の竹で出来ている、あるいは継ぎのない竿のことで、振り出し式グラスロッド、継ぎのあるカーボンロッドを延べ竿というのは完全に間違いと言うか、今でも全国の釣り堀では布袋竹(ほていちく)の延べ竿が使われるため、振り出しロッドを延べ竿言うのは混乱を招くだけなんですがね・・・こうもこの、「延べ竿」という呼び方はとなりのトトロ的なすさまじい郷愁を誘うらしく、釣具メーカーが率先して使ってます。

「延べ竿」という単語で意味不明の懐かしさが胸の奥から、ぐももももぉおおおッとマックス状態! 完全にヘブンなっております!! みたいな?
「延べ竿で釣りに行こう」とか、言いたくて言いたくてしょうがないんですね、意地になって使ってる。
ほんと、話がややこしくなるのでやめてほしいんですが・・・。
だいたいリール付きの延べ竿もあるんだし。

スゲえ話それた。
ともかく延べ竿は最強クラスなんで、まあコイは釣れるでしょう。
釣り針もとっておきのを使うだろうが、ラインはどーすんだという疑問が。 戦時中の子供が、コイを釣れるラインを入手できるのか。
ゆうてもタコ糸でも、油断してるコイなら釣れるかも。 基本魚はバカだから。

倒れた母にコイの生き血と身の・・・味噌煮? という親孝行。 まあ盗みは悪いが、屋敷の主人も情で許して。
浪花節、とは違うが(お国が)、いい話だなあという。 コレが原作だとボゴッ、グハアアア、いくらでも殴ってつかあさいッ、みたいなアクション巨編となってしまう。

ちなTVKかなんかで、実写版映画を観たときも、このシークエンスでした。
まあその時は、あまりにも電波が悪いので視聴を中断したんですが・・・。

●続きみる

えっとコイのエピソードあとに、イキナリ原爆投下で。

じゃあ、だいぶんストーリーを端折ってる?
ちなみにテレビの終戦番組で観たシーンがコレで、原爆の破壊力で子供が溶けるっていう。
それは違うだろ、爆風が来る前は、熱でやられるのであって、なんで溶ける、と思ったもんです。 じっさい蒸発した人もいて、それは壁などに人の影が焼き付いているというか「原爆の光が焼き付いているところに人影が「残っている」ってことなんですが、焦がされたあと粉々に吹き飛んだってことではないかと・・・まあいいや。
いやよくねえな、「原爆の被害を大げさに描写したプロパガンダ」と言われるのがイチバン困るんで。
ソレ以外は「語る活動」で伝えられた、話のとおりでしょう、原作者も体験と取材両方の知識があるだろうし。

語る活動ってのは即興命名だけど、要は記憶を風化させないために、語り継ぐことをずっとやってるんです、市民活動で。
原爆に限らないけどね、311の震災もそうだし。
そのおかげで今の日本があるのではと思ってるっつーか、日本は日本やん、言語が日本語でも民族性がアメリカになったらやだなあという。
言語と記憶が民族性の礎だと想っとります、はい。

そこでゲンの家族が焼死するところで気づいた。
あれ、町内会長がいないぞ、と。
アイツが手を貸してくれれば、家の下敷きになった親父や弟、姉のうちひとりくらいは救えたであろうに・・・というシーンでした元々は。
たぶん話が長くなるということで、町内会長とその息子はいなかったことになったのかと。

スゲえ余談ながら、まあこの場面は進撃の巨人で再現されてますね、あっちは母親のほうが助からなかったんですが・・・。
じゃあハンネスさんは朴さんというわけかなるほど。

朴さんは朝鮮人だという理由で虐げられているという話も、ここでは省略されてますね。
今の人がみると「朴さん、ちゃんとした一軒家に住んでるやん、ちょっとも差別されてないやん」思うかもだが、どうもこの、戦前くらいはホームレスという者があまりいないみたいなんです、家に住めるのは当たり前、みたいな雰囲気がどの映画でもみてとれて。
皆無じゃないですけどね、ルンペンなどという、どこの国の言葉からもわからん用語もあったし。
とんでもないあばら家かもだが、とにかくわりと低収入でも家はあったっぽい。
収入なければホームレス、というのは戦後の文化なのだろうか、そこ、よくわからん。
ちなみにはだしのゲンという物語だと、基本的に戦後を描いているのでホームレスはいます。
つか終戦直後はみーんなホームレスですね。

また一説によると「それ」が戦争の一因だとも。
つまり、土地問題・・・いや人口問題ですね、今(戦前)はひとりひとりに家があるくらいだが、今後は手狭になる! という考えから、やたら大日本帝国は海外進出したがった、という説。
それを裏付けるかのように、戦後つまり敗戦後は目当ての国外土地をなくして、国内では団地ブームとなりましたが、しかし土地がないってほどでもないだろうに、とも思えて。
戦後の団地は新築時の写真見ると、まわりは田園っぽいですし、よくわからん。
ただわかってるのは、戦後から今に至って、ひとりあたりの家は狭くなった、という事実。

うーん話がどんどんズレるけどまあいいか。

で、どこまで観たんだっけ・・・数字が思い出せんw
まあGyaO!のほうで覚えていて、勝手に続きから再生できるんでいいか。


●ぜんぶ観た

いやー繰り返すけど、意外と名作なんだなという感想。

原作の話をちょいすると、いつ頃からだろう、特に後半は、良いことと悪いことが交互に、アザナエルの縄(←持ちネタ)もといあざなえる縄のようにやってくるんです、たぶん編集部の指導でしょうね。

強烈な絵のインパクトから、かような「良い話」ってのが薄れてしまって、でもとにかく勉強になります、昭和の風物などなどが。
だから、今でもみんなに読んでもらうのがいいと思うんですけどね、史実とは違う部分があるとか、細かいことでクレームがつくことがあると、さっきウィキペディアで知りました。
なんつてもテーマが太平洋戦争とその終戦直後ですから、とくに80年代あたりまでは、プロパガンダが入った偽情報は、ほぼ確実に掴まされるでしょう、はだしのゲンにも反戦教育がちょい現れてます。 が、それはそれで時代なのだから、編集者の中訳、解説を加えるなどして、とにかくなるべくオリジナルのままで読んでもらう方向がいいのでは。

何が嫌って色々な理由をつけて、過去のコンテンツを封殺するのが嫌で、欧米などは暴力的な描写という理由で多くの映画をテレビ放送できないようにする、というのを成功させたとか。 青少年から過去の知識を奪って、その後どーするんでしょね、愚民のほうが操りやすいという考えか?
まあ欧米の青少年はレンタルビデオや配信で、過去の映画などに触れているみたいですけどねけっきょく。

えっとアニメのはだしのゲンですが、スゲえ細かいところでは、トレードマークの消防団帽子をゲットするタイミングがヘン。
ありゃあ確か、ハゲたあとに隠すためかぶったのでは・・・アニメでは拾った次にハゲるみたいな。 さっき観たばかりなのに記憶あやふやですが。


あとは兄貴が帰ってこないっつーか、いないことになっている模様。
第二部でイキナリ登場すると、格闘マンガの定番「生き別れ兄弟」みたいになるんですけど。

被災してすぐに食料調達って場面では、食料ゲットの方法がだいぶん、かわりました。
原作では呉だっけどこだっけ、大発動艇、略してダイハツとよばれる船で大遠征、だったような。 さすがに無茶がすぎると思ったか、米は市内で入手できたという変更。 まあ小学二年生ですからね、今の常識だと「そんなに行動力があるはずがない」と思われてしまう。
今っつーてもアニメは1983年なんだけど。

隆太はもちろんメインキャラクターなので登場だが、アニメは政二さんエピソードまでカバーしてました、さすがに無念の死をとげたのち化けて出るってところまではムリ。
とにかく急ぎ足で後半は進み、原爆の焼け野原で生まれた友子が栄養失調で死んで、失意のうちにも七十年草木も生えないと言われた大地が芽吹いて、同時にハゲたゲンの頭にも毛生えてきて、じゃっかんの希望が見えてきた(気がする)ところで終劇。
最後は弟が大好きだったおもちゃの軍艦を再度つくり、それを灯篭流しにしてエンドロールみたいな。

じゃっかんの希望が見えたと同時に、それまでに亡くなった故人を悼むという、人間らしさが戻ってきたようで。
まだまだ戦後のドタバタで、落ち着きが戻ったというには程遠いんですけどね、サバイバルは乗り切ったかも・・というタイミング。

よく言われるのが原爆投下って落下傘はついていたのか、って問題だが、写真資料とかないんですかね。 投下の瞬間、撮影してなかったわけ?
はだしのゲンは落下傘つき、という説をとってます。 アニメはどうだったっけ、またまた観たばかりなのに覚えていない。


ともあれ中沢啓治という作家のメッセージと本気度は伝わりました。
本当に被爆地という物語を語り継ぎたいということでメディアミックス展開、結果いちおうアメリカにもDVD出てるってさ。

つか先ほどの「ひろしま」でも似た感想を言ったけど、中沢啓治先生もアメリカにこそ読んでほしい観て欲しいという気持ちがあるとのこと。
結果はだしのゲンは多国語でコミックもアニメも展開中らしい、頼もしい話題ですねそれは。

あと余談、実写映画は知ってるけど、他にもいくつか映像化があるとのこと。
具体的にはアニメは二作まで、実写映画はパート3、他にはテレビドラマスペシャルみたいな。

今じゃ難しいでしょうね、かなり攻撃的な演出ができないと、テレビスペシャルはムリ。
いっそハリウッドで巨大資本使った映画化してほしいが、映画そのものより誰が企画をどのていど受け止めるかが知りたい。
まー「アメリカ人の誰それは企画書を真摯に読んでくれたが、国内での興行成績が見込めないということで惜しくも不採用となった」くらいのニュアンスになるでしょうね今は。 「敗戦国の恨み節なぞに金を出せるか〜」などと絶叫する者は、いまどきいないかと。
あるいは「非常に心動かされる物語だが、R指定を免れないのでウチでは難しい、表現を無難にしての映像化ではメッセージが伝わらず無意味であろう」などなど、まあけっきょくは当のアメリカ国民の多くが観ないっつー推測、というか結論になるかと思うが。
企画書を突き出すくらいはやってみたいですね。

とまあそんな具合で。
GyaO!も時には有能、という話。(違うって)


●2019.9.12 動画進捗


なんか本来、次のページになる日記ですが、ちょい飛ばしてここに置きます。

理由は単純、日記は遅々として進まないのが常なんで、たぶん次のページをアップする頃には動画、完成しているかもしれないため。
完成してから動画進捗とか投稿しても遅いような気がするんで。


つかそれにしても、エラい時間かかるなアップロード。
小さなサイズのラッシュみたいなヤツなんだけど、こんだけかかるって異常だわ。
むろん上りと下りは速度違うってのはあるんだろうけど、しかし普段、HDの映画とかフツーに観れるやん、それがYouTubeアップロードだけこんなに遅い?
1.6ギガで20時間くらい? まあ今は回線が混む時期なのかもだが。

イチバン安い回線つかってるから仕方ないか、世の中涼しくなればネットも冷める・・いや逆に映画ドラマを配信で、という時期に突入しそうな気がする。

どのくらい、完成したんだっけ・・・そもそもいつから編集はじめた?
二週間くらい前だろうか、スゲえスピードだな我ながら。
で、一時間二十分くらいだっけ完成したのは・・・残り三十分ほどですねたぶん。

まあここから、新たに描くもんが多いので、ゆっくりやります。
とくに目標もないし、年内以内にできればいいくらいの感じで、ムリなら来年でもいいわけで。

という日記。

●2019.9.16 まさかの完成


さきほどの話つづき。

まさかの完成です、こんなに速く編集できるとは・・・。
むろん、二年前からpixivでイラスト投稿していて、それを使ってカンタンレタッチとかできる強みもあるが、雨ばかりですっかりインドア人間になったというのもある。
また基本が静止画の動画なので1時間50分ゆうても、かなり時間を稼げるみたいな。

つか動画編集に入ってから三週間くらい? というだけで、ちょくちょく準備はしていたので、例えば「あ、あのシーンはどうしよ」と想ったら、去年の末から手がけていた何かしらのアイテムがあって、そうそうこの室内セットが必要だったんや、という感じでわりと順風満帆な。

まああまりにも早くできたんで、すこし手直しもしたいなと思い、そのままYouTubeにアップロードするかは考え中。

という話。

例によって次の日記ページなんだけど、先にこのページに書いておきます。



なんか三ヶ月くらい放置してるので、そろそろ次のページに。
次はabout-19.10となります。
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