●宇宙大怪獣ドゴラ
わしゃーまだまだヤングソルジャーじゃ。
なんかフツーに東宝特撮はいつでも観たくなりますね、洋画とかアニメにこってる時期でも。 とくにゴジラシリーズ以外というのは何となく独自性があっていい。
これまた過去、浅草東宝ではじめて観たという経緯があり、懐かしい一本。
今は有楽町の巨大スクリーンとかIMAXシアターとかありますが、シネマコンプレックスすら流行ってない昔、浅草東宝はけっこー大きく思えました。 ムチャなオールナイト強行軍で電車酔いが悪化し、廊下で寝込んだ思い出もあったりして。
今でもたまに夢に出ますな。
たぶん、フランケンシュタイン対バラゴンや美女と液体人間などと同時にオールナイト上映したうちの一本だったと思うけど、フィルムは痛みきって縦に傷だらけでした。 また退色してほとんど緑で。
いまDVDでみると良いマスターからとったのか、あるいは修復されたのか、映像がキレイでそこに感動。
80年代のコンテンツ大爆発状態から現在の有り余った時代をよく知っている自分には、こうした映画が作られた当時の状況がよくわからんとですが、かろうじて立派なわりにちょいススけた、浅草東宝という単館で大きなスクリーンと大音響で映画の中に放り込まれた体験は、「なんとなくわかった」気にさせます。
リッチなコンテンツが身の回りにない昭和三十年代、なんか今の映画ドラマではずいぶんと牧歌的に幸せな雰囲気で描かれますが、当時の人々はあたりが色あせて物足りないように映っていた可能性があり、そんな中で映画という華やかなものを見に行く喜びというかなんというか。 逆に贅沢かもしれません。
いやまあ映画が贅沢なコンテンツってのは今でも同じですね。
いかにテレビが大型化しても、テレビはテレビだし。
前にも言ったけど映画館の高音質化が叫ばれて二十年以上、今はどーなってるかというと・・・IMAXシアターでパシフィック・リムを観たら音割れ上等! な感じの大音響でした。 むろん静かな場面では高音質を堪能できるんでしょうが、フォルテシモ〜!!な場面では昔と変わらない音圧重視な爆音なわけです。
それまた自宅のテレビじゃ難しい。
あ、ドゴラの話ですね、怪獣的、特撮的な話はさておいて。
今みると面白いですな、まあ昔風のダサいコントなんだけど。
当時は日本びいきな外国人、というのが人気で・・・いまでも分かるかなこの感じ。 分かりますね、分かりまくりですね、血界戦線とゆうアニメみたらほとんどそんなニポンダイスキ外国人キャラでできた世界観でしたからね。 日本刀が好きとか技名が日本風とか板前とか。 つか日本びいきな外国人を特集したテレビ番組にあふれている現況。
その、日本かぶれなマークさんが観ていて楽しい。
なんだかんだで日本に理解があるって嬉しいし。 しかしとにかく怪しいくせ者で、しかし刑事との奇妙な友情という展開がよい。
最後は「報告書を連名で・・・」というくだり、素っ気ないようで分かりあえたという距離感が最高。 書類を連名ってのは苦労を分かち合ったと公言するようなものであり、協力者に対するねぎらいでもあるし、あまりデレすぎて「日本に残って探偵事務所をやろうと思いマース」とか言われても品がないのでこのくらいが。
なんつか、こーゆーストイックな幸福感がありますよね昔の映画は。
さんざん暴れた末に最後は刑務所行き、という作品も多かったし。
今はなんだかんだ理屈をつけて刑務所や少年院は免れますからね〜。
語っていたらけっこう長くなりました。
とにかく面白い、楽しい映画です。
●アレキサンダー
オリバース・トーン?
あいやオリバー・ストーン監督か。
まあ意外性はありますが、ぶっちゃけ欧米人であれば誰でも、この題材を扱いたいでしょうね〜。 企画が出たとき例えば、リドリー・スコット監督その他も名乗りをあげたかもしれません、でも今回はオリバー・ストーン監督に譲るわ、みたいな可能性。
映画のみどころはなんつてもガウガメラの戦い。
この作品が映画的に優れているのかはわかりません。 大空を舞う猛禽類をキャラに加えることで上空からの視線も確保してますが、そんなことせんでも映画は自由ですし。 あまり手際がいい編集とも思えない気がするし。
しかしペルシャ軍と激突したこの戦いはやっぱいい。
とにかく「勝った、勝った〜」というそんだけなんだけど。
こうしてみるとアレキサンダーがなぜ広大な版図を得たか疑問が晴れますね。
要は特捜戦隊デカレンジャーの「どうしたら宇宙最高のスペシャルポリスになれるかがやっとわかった! それは最高のチームの一員になることッ!!」と同じ理屈で・・・アレキサンダーは世界最大の潜在敵国ペルシャを征服することで、最大の帝国を作り上げたわけかなるほど。
とゆう経緯をエジプトの老人が、過去形で語ります。
この人誰だっけ、アレキサンダー帝国の分裂後、エジプトをとってプトレマイオス朝をつくったアレキサンダー四天王のひとり・・・名前はまあいいや。
まあプトレマイオス朝も三百年後、クレオパトラの後くらいで立ち消えるんですが。
前にもこの映画を観て感想は書いてると思うけど、結論は「夢想家に手を焼いた」という一言に統括されてます。 じっさい、すったもんだの様子が描かれ、整然と軍を進めたという印象は意図的に、まったくないとゆう。
一方で東洋も西洋もない、お互いが自由に行き来できる世界と言う理想がこのころから語られていたんだなーというのも面白い。
だからこそ夢想家なんだろうけど。
あとは同じギリシャ語を話すということで、ひとつの国家群であるけれど、やっぱ都市国家で共和制が自慢のアテネってスパルタやマケドニアなどの王国からみると高慢だったんだろうなーというカンジが、台詞の端に読み取れて。
紀元前とは王制に対抗する市民の時代だったようですが、けっきょくその後は王国がスタンダードになったのは、個人的な考えですが通信の問題ではないかと。
共和制は立派だが、国家が広大であるほど意思疎通が難しいんでしょうね、たぶん王国であれば王が戦争で居城不在でもなんとかなるような仕組みだったのではと、ほとんどギリシャ不在だったアレキサンダー王をみて思ったりした次第。
なんかいろいろ話すことあるけど長くなるのでこのへんで。
●用心棒
むかしテレビ録画してMPEG変換したのを視聴みたいな。
この映画は本当に、面白いですね。
当時は「こんなスゴい映画観たことない」的なカンジだったらしいですが、今では「近年の映画よりぜんぜん面白い」という感覚になって妙です。
なんつか、歯切れがいいですね抜群に。
ちょっと詳細から語りたいところですが、インディー・ジョーンズのパクリかというオープニングで三船敏郎登場、やがて分かれ道で・・・棒が倒れた方向に歩き出す? なにやってんだコイツ、というとこでかなり感情移入。
でもって血気にはやる息子がヤクザな道に入ろうと飛び出し、それを怒鳴るオヤジにバッタリ、そのへんの会話もまた聞いていて歯切れよくて気持ちいいが、それは作品全体に言えること。 オヤジは水を飲んでいる三船敏郎を一瞥して「また血の匂いを嗅ぎ付けて人殺しが集まったか」と侮蔑しますが、いやいやいや、そうじゃないから、三船敏郎は棒が倒れた方向に歩いてきただけだからwww と観ているこっちが諭したくなります。
あとはもう、宿場のヤヴァい雰囲気、手首くわえた犬が通り過ぎるとか最高、この超リアルな手首の登場シーンで当時、いちばんビビったのが黒澤監督らしいが。
マトモじゃない、先ほど町外れのオヤジが言ったように人殺しだけが取り柄みたいなヤクザな連中が集まる異境というか、そんなシチュが成立しているというのがまた最高で、なおかつこの宿場町では二大勢力が抗争していて、よもや一触即発のご様子。 そんな超危険地帯にふらりふらりとやってくる三船敏郎もアレだが、危なすぎてもう笑いが止まりませんww
しかし町の真ん中にただひとり、マトモな人間がいました。
メシア・・・もとい飯屋です
あーゆーのをマトモな人間っていうんです、我々大多数の市民はまあ日和見か、悪党の片棒ってところですから。 その存在がまた奇妙に気持ちいい。
この構図がもう楽しくて楽しくて。
だから後にクリント・イーストウッド主演でリメイクもされるわけです。
ヤクザの二大勢力がにらみ合っているところですが、ヤクザには宿り主がいるわけで、ふたりの商人がちゃんといます。 元はヤクザの一家ひとつだったのが分裂したようで、そのへんの事情をドキュメンタリー映画のダイジェストみたいに説明できる場所が例の飯屋です。
こっちの隙間からのぞけば猪キチがやってくるのが見え、そっちからのぞけば造り酒屋が、あっちの窓からは役人が賄賂を受け取っている様子が観劇できるという具合に、ホントによくできた構造。
まさに劇場型の飯屋。
そしてこの作品は、映画の究極とゆうもののひとつを、教えてくれます。
最高のエンターテイメントそれは、悪党同士の殺しあい。
冗談でも比喩でもなく、さんざ引っ掻き回して悪党二大勢力を焚き付けて戦争に導いた三船敏郎は、やぐらに上って高みの見物です文字通り。
楽しそうにヤクザ同士が殺し合いをはじめるのを観ているその姿にまた共感しているのが我々観客。 とにかくまー短時間によく感情移入できること。
このあたりから三船敏郎に桑畑三十郎とゆう名前がつきますが、むろん偽名・・というより当てずっぽうなもので、要は正体不明なんですよね主人公が。
ほかにもぜんぶのキャラが魅力で、たとえばカンヌキは巨体で怪力で異形ですが、頭が悪いようには描かれていないんですよねコレが。 ちょい役の、先輩な用心棒である先生は抗争のさなか昼逃げしますが、去る際にニカッと笑うのが魅力。
偉そうなのに卑怯で、でもぜんぜん憎めなくて、あんないい笑顔はきょうびなかなかないであろう。
とにかく強くて頭のいい三船敏郎浪人ですが、なにもかも計算通りにいかないという絶妙なところにより魅力を感じるのかも。 そして危ない橋をわたったあげく、とうとう捕まって痛めつけられます。 そこから、普通なら死んだ方が楽なのに逆転しようとあがくところが、短いシーンなんですがより感情移入を深めて。
単に悪党同士が殺しあうのが面白い、だけじゃなく、いろいろ重なってくるわけで。
しかし根性の起死回生描写はそこまでで、次の脱出シークエンスは元に戻って「悪党同士の殺し合いが最高の見物」という初心回帰。
この凄惨な殺戮を思ったほど堪能してないようでしたが、三十郎も成長したんでしょうか。 最初から最後まで完成されたキャラ、という印象なんですが。
さらに続きのシーンは一転してギャグというか、自分を捜している猪キチに棺桶の片棒を担がせるというwww アホかw
最後は唯一のマトモな人間を救い出すために飛び出し、あとはもう後片付けですね。
煮えくり返った鍋の中のような状況をぜーんぶ整頓。 元凶のお題目太鼓をどんどんつくつく鳴らしているどんつく様と対立している造り酒屋が斬りあってゴタゴタはすべて終わり。
ものすごくサッパリしたところで三十郎の決まり台詞「あばよ!」で幕をとじるという・・・。
いやあスターウォーズ以降という言葉が自分の中にあるんですが、スタッフの続編希望な取り組み方のせいか一本でキレイに収まる作品が少なくなってます。
だから用心棒という、見事に完結した映画は実に気分がいい。
簡潔に、リアリティよりわかりやすくを目指したんでしょう、台詞のひとつひとつが小気味よくて。 映像も素晴らしく、あえてカラーにしないのはキレイに撮るためでしょうね、ラティチュード云々よりも感度が高い方がピントが合う、というのが白黒である理由でしょうたぶん。 とにかくいい感じに収まった絵がいい。
とにかく何から何まで楽しい、面白い映画です。
●椿三十郎
用心棒とくれば椿三十郎。
こんだけ成功した続編は珍しいくらいの出来。
前回の物語は完璧に、完結してますから、主役の三十郎だけ引っ張ってきて別な話にしたのが成功したんでしょうね。 今で言うスピンオフみたいな。
また前回は悪党だけバッサバサと斬ってればいいのに今回の敵は別に悪党ではないわけで、そこに宮仕えはつらいよ的なテーマに切り替わってるみたいな。
変な主君に仕えたおかげで抗争に巻き込まれ、斬られた大勢がいるので。
そんな敵陣のひとりをとらまえて押し入れに詰め込んでいるけど、まあ話せばわかるというか、言われた通りに働いていただけなんですなやっぱり。
これが押し入れ侍としてひとつの見所となるわけです。
三十郎というキャラクターもより深く語られて、コイツは女に弱いと判明、ゆうてもルパン三世的な女にだらしないというのとは違って、上品な奥方とかマイペースな女性にあたると調子が狂うという感じ。
この奥方が抜き身という言葉を使っていたが、英語だとなんでしょうね、ネイキッドブレードとかいうんでしょうか。 そんな風に殺伐と生きていたのに、のどかな人々に触れると膝の力が抜けちゃうんでしょう、きっと。
またこのたびは室戸という、三十郎に匹敵する剣客が登場。
悪党三人組の手下、という位置づけですが、実はいちばん悪い、という感じがいい。
コイツが三十郎をなんか唯一の友人と思ったらしく、後でそうとうご立腹です。
一流の悪党になれる実力があるのに、義侠心や情に流されたのが許せんのでしょうか、単に陥れられたのに怒っているのとは違う感じ。
でもって有名なラストの一騎打ちとなるわけで。
なんど観ても速いッ!!
つかなんど観ても目に留まらない。 斬ったあとのポーズでどーやったのかはなんとなく分かるが、その瞬間が。
このへんがシリアスなところで、斬った本人たちもなんでそうなるのか、じゃっかんの疑問をもっているらしく、もっと普通な人生であるべきではないのかというメッセージをにおわせて、でも全体的には徹底したエンターテイメントですね、とくに笑いを込めたとこ評価したい。
かように凄惨な斬りあいのあとも重い雰囲気を引きずらず、例の「あばよ!」で締める話運びもいい。
続編として成功したのはやっぱ前作とまったく違うことにしたからでしょう、場所さえよくわからん謎の宿場町から都会へ、デタラメな悪党どもから役人同士の抗争にと、逆なことをしているんで、それが良かったみたいな。
三作目をつくらなんだのも正解かもしれません。
いや黒澤監督が考えた話ならそれも面白いかもしれないけど、ムリはしない方向で。
今、日本にこんな時代劇超大作を造れる実力あるんでしょうか、単にでかいセットや優れた時代考証、見栄えのいい俳優さんとアクション得意な俳優さんであれば、それぞれ揃えられるだろうけど、ここまで見事な作品にはできないだろうと。
とゆかできてないしじっさい。
なればコダワリの強いハリウッドなど海外でリメイクすれば・・と思っても、こんどは日本文化に精通してないとという問題が。
昨今の(ここ三十年ちょい)映画だとすーぐに現代の価値観を持ち込む、という脚本上の問題もありますね。 まあいいやそれは。
とにかく、存分に楽しめる一本。
●電送人間
例によって過去に録り貯めてハードディスクに収納したライブラリーをまたひとつ。
ハエ男の恐怖を日本で造った的なお話です。
ここでは電送機械を犯罪に使います、遠い場所へと一気に移動、もしくはアリバイ確立のためにも便利なスーパーアイテム。
この犯罪を立証するには電送機械を解明するか、現行犯でとらまえるか。
しかしけっきょく、電送機械は小道具のひとつにすぎず、連続銃剣殺人事件とよばれるこれら一件は、犯人の身体能力はじめ腕の善し悪しにかかってるっぽい。
並の警官では取り逃がすくらい身軽で素早いんだよねこの銃剣魔。
ちな電送機械はハエ男伝来のスリットがついた、以降も伝統的にそーなっとるデザインであり、造った東宝のスタッフにスキャンという概念があったのか不明。
人が入れるそんな受像機みたいなのを四つ、用意して犯行現場の近くに設置しておくという入念さ・・・いやごくろうなことです。
最後は親機のほうが浅間噴火で故障したのか、あるいは博士が死に際にハンドル回してたけど戻れないよう停めたのか。 電送に失敗した犯人は唸り声をあげながら消えてゆくという。 どうなったのかわからんが恐ろしい末路ということで。
どのみち手口は解明されたのだから、あそこで生き延びても浅間の警察に追われてけっきょくはお縄というとこでしょう。
いや警察の裏をかくのが得意らしいからまた逃げ延びるかな。
あのラストがベターってことでしょうね。
こんども土屋刑事が怪奇人間と対決、というカンジだけどやっぱ逃げられ。
いろいろと変な映画ですが、なにより昭和35年の二子多摩川園の近くらしい風景が見られただけで個人的に大満足。 あの風景がギリギリ、信じられる世代なんですわ、今みたいにいろいろ充実するまえ、ちょっとした空隙があのへん一帯にあって、なかでも空き地同様になってた中でポツンと残った映画館の風情は貴重でした。
仮に駄作でも、いまじゃいい思い出ですしね。
とまあそんな感じ。
●ミミック2
HULUに扱いの難しいモンスター映画きてました。
いや以前からあったかもですが、更新したのかな。
ミミックの続編、監督はギレルモ・デル・トロではない、というところまでは把握しています、それ以上はおぼえてないけど。
扱いの難しいモンスター映画といったけど、前作のユダの血統でしたっけ、巨大昆虫の売りは「人間に擬態」なわけです。 ところが古来からある食人怪物が社会に紛れ込んでいる! という話とニュアンスが違う。
古寺などで住職の正体が人食い妖怪だった!などという場合は要するに、化けるほうにも人間を騙すだけの知性があるわけでして。
ミミックの「ユダの血統」は立ったときのシルエットがコートを羽織った男のようであり、顔はカマキリのような前足を合わせることで凹凸が人の顔に近い造形になるだけで、近くで見れば人間じゃないってすーぐわかります。
そして知性はなく、本能のみで動くという変わり種。
つまりミミックというのは「通りの向こうにたたずんでいる男や、駅のホームに立っている向こうの人影が実は人間ではない何かなのではないか・・・」という、一種独特の煙いカンジなホラーなわけで。
私はパシフィック・リムではじめてギレルモ・デル・トロ監督を知ったのですが、以前より映画ファンの間ではけっこう別格で有能な人材と思われていたようで、じっさい今になってみるとギレルモ・デル・トロだからできた映画かも。
それが別監督で続編という。
二作目は不安という好例で、じっさいパッとしなかったですミミック2。
あ、タイトルは原題もミミック2みたいです。 珍しくシンプルだな。
なんつか・・誰でも映画を観るときはディティールに着目するもんですが、この二作目は意味ありげな台詞の数々、謎の事件の発端、落ちていた鍵束などなど、どーも回収する気がないように思えて。
前作から数年後、ふたたび現れたユダの血統は、そうした伏線っぽい会話から推察すると最後に残った個体であり、そのままでは滅ぶので全く新しい進化を模索している、と解釈しながら観るとなんかパッとしない展開にガッカリ。
いや進化はしましたけどね、より高度な擬態ができるようになってるし。
でもだからどーした、というカンジ。
近年の日本怪獣映画みたいに「し、進化しているッ・・!? ジャジャーン!(伊福部音楽)」という具合なハッタリがなくってガッカリ。
内容的にも焦点がわかりづらいですが、つまり学校に巣を作って危機一髪からの脱出劇〜! というところが見所だったのかな。 それなら学校の怪談のほうが面白かったような。
じっさい危機は事件後の、退院したのちにも引き継がれてますし。
けっきょく個体だったのか複数体だったのかもわかりづらい。 あと土にまぎれて地上に持ち出された幼虫群はなんだったのかね。 例の国家組織との関連?
どうもパッとしない・・。
そして前作が、ギレルモ・デル・トロ監督の物語が低予算ドタバタホラーのわりには荘厳というくらい、うまく出来ていたもので、どうしても比較してしまう。
うーんまあでもいいや。
普通にモンスター映画として観ればいいわけだし、ちょっと人間に近い姿と言う嫌悪感も売りだし。
というわけで、モンスターホラーとして気軽に観れば楽しめます。
●海底軍艦
すぐに観れる録り貯めた映画シリーズ。
ちなみに最初に観たのはたぶん浅草東宝で、十年くらい前にも川崎市民ミュージアムで観たような。 スクリーンで観ると、あんがい特撮のピントが甘くて改心の出来ではないことがわかります。 もしかしたらテレビドラマの轟轟戦隊ボウケンジャーのほうが、うまく撮れてるのかも。
ボウケンジャーは明らかに海底軍艦をリスペクトしたシーンがあり、なおかつ当時最新の35ミリフィルムカメラとレンズを使ったのかは不明だが(たぶん中古)フィルムはとーぜん最新の高性能、高感度なものであるはずなんで、かなりうまく撮れていのではないだろうか。 まあアナログ放送を観てたんで判定不能だが。
それはいいが、当時からの定番がドリル。
出典というか元ネタはどうも海外SF小説らしく、アメリカ、イギリスの映画も同じようなドリルを装備したメカが登場し、サンダーバードなどが代表例なんですが。
日本はホント、ドリル好きですね〜このころから。
モゲラは鼻面と両腕がドリルでしたっけ、海底軍艦の元になった小説らしいのはふたつ読んでいて、どちらも三尖衝角でしたか、ドリル装備の潜水艦で名前は轟だったと記憶。 なんで同じような秘密兵器でふたつの小説が存在するのかが不思議ですが。
まーともかく、百年以上前からドリル好き、という妙な国民性。
その究極として登場したのが今作、海底軍艦の轟天号でしょう。
内容的には戦後2十年くらいらしくて、とーぜん戦後の厭戦思想ど真ん中な作品であり、戦争中の思想を引きずっている神宮寺を「亡霊」あつかいしてますし、主人公はじめみんな自由な現代人となっていますが。
その一方で国に殉じたムーの女帝の見事な散り際も描いていて。
東宝特撮らしくていいラストですね、映画としてうまくまとまってるし。
ちなみにムー帝国ですが、科学神官の作り出した兵器群が無敵なだけで、国民性としては戦いにまったく向いてませんね〜。 もう油断と隙だらけで、突撃されるとたいした抵抗もできずに終わりという。
落盤事故さえなければそのまま海底都市で生活してたでしょうね、地上侵攻などという、向こう見ずな夢をみることもなく。まあ気の毒に。
ともあれ何度観ても面白いという、いつもの。
●キング・コング(2005)
いちど76年にギラーミン版といわれるものが登場したが、こんどのは決定版というかなんというか、1933年のオリジナル版を正式に継承するみたいな。
HULUで視聴。
要は三度目のキングコング映画なんですが、むろん派生作品やらパチモんやら多数あるので、映画では見慣れたキャラクターでもあり、また今はキングコング:髑髏島の巨神というのが上映中だし、知名度はゴジラ以上かと。
髑髏島(どくろ島)のほうは、かなり以前から予告編で注目みたいな作品ですが、とにかくデカイですねコングが。 それも映画解説の町山さんが言うには「ゴジラとの対決に向けて着実に育ててています」だそうなので、まだまだ成長する可能性が。
いっぽうピーター・ジャクソン版といわれるこの2005年作品は。
最もリアルで、ギラーミン版に不満な大勢の人々が望んだ最高に納得できる7メートルくらいなサイズです。 じっさい私もこの映画が出た当時、膝を打つ想いでした、コレが見たかったんだと。
ところが十年以上たった今になると・・・デザインがまんまゴリラだなあ、と。
サイズに関しては聖典とされるオリジナルでも5メートルから20メートルくらいに見えて、制作側は「場面によって最も効果的なサイズにしてある」と大きさがバラバラな点を弁明しているが、じっさいには製作現場でゴタゴタしただけだろ、と思えてならない。 デビッド・アレンなどが記したモデルアニメーションの歴史などは(立ち読みなどで)よく読んでいたが、たぶん意図的な大きさ不一致ではないであろうと。
まあいいや。
とにかくオリジナル版のスタッフが言うには、「ゴリラと人間の中間的な生物」だそうなので、2005年版はゴリラに近すぎみたいな。 いや背中白いし、まんまシルバーバックのゴリラやん。
そーゆー意味で今年の髑髏島には期待なんですけどね。
この映画に関しては語ることが多いですが、まあなるべく短く・・といいつつやっぱいろいろ記します。
まず、映画が三時間以上な件は、オリジナル版のファンであれば「仕方ない」となります、どーしても。 なんせ舞台設定が1933年、まだ世界が神秘を信じられたギリギリでもあり、むろんオリジナル版に敬意ということでもあります。 それは解説文とか読まんでも、ファンならすぐわかります、ファンならね。
つまり1933年のニューヨークが全力で再現されているわけです、2005年のコンピュータグラフィックスの全てを懸けて。
だからニューヨークのシークエンスが長くてとーぜん、むしろ見所なんです。
オリジナル版のファンにはね。
でもって驚異的な映像で魅せるこの作品、でも「オリジナル版を超えた!」とはファンはもちろん、制作者の誰ひとりも思ってないでしょう。 それは、そーゆー映画ではないから。 オリジナル版を超えるための作品ではなく、世界一贅沢なファンフィルムといった趣き。
そもそもオリジナルを模倣しているだけだし、オリジナル版にあってこちらでは割愛されたアイデアもあるわけだし。
新たなアイデアとしては恐竜のスタンピード・・集団暴走ですね。
これは史実に基づいているというか、じっさいに発見されているんです、集団暴走の末に崖から落ちて死んだらしい群れの化石が。 多くの観客は物好きで、そんな知識もあると思うので「荒唐無稽なストーリー」とは感じないかと。
いや知らなければまあ「あるわけねえよ!」と言いますけどね自分も。
そしてオリジナル版では永らく失われて未だに出てこない「スパイダーピット」。
コレがちゃんと再現されてましたな。
これは捜索隊が谷から落ちたあとのシークエンスで、丸ごとカットされる部分。
つか谷から落ちて全員死亡、でなっとくする場面なんですが、実はみんな柔らかい地面にでも落ちたか、水に落ちたかで生きていて。
そこから巨大な虫の大群(クモガニと日本のファンは言う個体もあり)に襲われて、そこでホントに全滅という筋書きだったそうで。
ここで何故、そのシーンが削除されたのかが伝説的なんですが、あまりの恐ろしさに試写会がパニックになったという・・・なんせ1933年ですからね、それもまた信じそうになってしまうが事実不明。 以来、そのシーンは失われたままで、でもピーター・ジャクソン監督はキングコングを造るついでか、それとは関係ないのか、そのシーンも再現しました。
余談ながら従来のキングコング映画と違い、今回はやや小さめなボロ船で、それがなんか妙にワクワクしますね。 ちょうどテレビアニメ「巨神ゴーグ(ジャイアントゴーグ)」の第三話くらいで島に渡るため裏ルート船を手配してたけど、アレに似た高揚感が。 ただオリジナル版ではちゃんと繋がっていたこの船と髑髏島とニューヨークの物語が、2005年版では船に物語性を加えたために映画が前半後半で別なストーリーになったというか・・・要は船中のジミーとヘイズのエピソードってニューヨーク編では途切れてそれっきりになるわけで。 まあいいや。
オリジナル版はテレビ録画したのを二十回は繰り返して観たんでよくわかるが、通訳キャラである普通な紳士の船長は今回かような存在としては登場せず、かわりに主役の航海士ドリスコルがガテン系から文系の脚本家に変更、そして船長がかつてのドリスコルそっくりなキャラになるというややこしさ。
それもまた原作リスペクトの結果なのでしょう。
なんかギラーミン版では中国人がジョン・ローンだったんだっけ? けっこー重要キャラなのに今回は死んでいたような。
ということは続編である「コングの復讐」はなかったことにする計画ですねこりゃ。
コングの復讐はデナムのほか、船長や中国人が冒険する話で、ヒロイン新調だっけ。
この物語を認めると髑髏島は火山活動で海に沈んだ、ということになるのでそれ以上の続編ができなくなるんで、なかったことにするのだろうと推察。
あとまあ今ではブルーレイや配信などで当たり前なHD品質について。
当時は映画館で観た後、これは幅1920のHDでもいっかい観たい! と思ったものです。 当時はアナログテレビでしたから、もったいなくて観れんかったですレンタルDVDは。 その翌年ぐらいにはもう、近所のコジマで巨大パネルのテレビでブルーレイを流してました。 それで大迫力かというとそうでもなくて。
すっげえ画質が悪かったんです、確かに解像度は高いのになんでだろ。
2006年の大画面テレビは、そのていどの実力だったのでしょう。
その後、HD時代はあんがい早く到来して、でもキングコングは三時間以上なんでなかなか借りて観る機会はなかったですね。 そしていま、32インチていどでも品質は確かなテレビとHULU配信という組み合わせで、不満のない映像が楽しめました。
HULUだってMPEG品質が低いのか、グラデーションでけっこうガタガタしますけどね、それでも気にしなければオッケーみたいな。
そんなわけで、HD品質が家庭で観れるって夢のような時代です。
12年前はiMacも横幅1650くらいなんでPCでもムリでしたし、そんな高品質配信なかったし。
とまあそんな感じで。
ホント語るとキリがないのでこのへんで。
●激突!
スティーブン・スピルバーグ監督のデビュー作だっけ。
とにかく有名なこの映画が午後のロードショーに。
とりま思い出をちょい語ると、二度目の視聴になるんでしょうか、三度目かな?
最初はやっぱ、午後のロードショーもとい、2時のロードショーだったかと。
今も昔も宣伝文句は一緒です、スピルバーグデビュー作という。
ゆえにわりと低予算で、テレビ映画なのかなコレ、そんなんが未だに傑作映画として歴史に残るのは有名監督だからという面もあるんだろうけど、じっさいに面白いからでもある。
まあ自分の思い出はそんなもんです。
印象深い映画には違いない。
ストーカー殺人未遂という、ありふれた題材、古今東西いくらでもありそうな話なのに(ヒッチコックなら十本ぐらい手がけていそう)、あるアイデアが光ってより面白くしている映画でした。
つまり「相手がすぐそばにいるのに相手が見えない」という状況を、自動車を使って表現しているという。
これは当時、多くの映像作家が「やられた!」と思ったでしょうね。
アイデアとして浮かんでいた人もいるかもだが、速いもん勝ちでスピルバーグに栄冠が授けられる。
銃弾やナイフが飛んでくる、毒が仕込まれるなどの手法ではなく、大型トラックという「巨大な姿」は常に目の前にあって、直接的な物理攻撃を繰り返すのに、運転手の顔は見えないという。
欧米人が持つ「いったい誰だ何者なんだ!?」という潜在恐怖にも結びついて。
むろん、同じようなアイデアは昔からあったでしょう、例えば戦争映画なら敵の姿が直接映らないスリルある頭脳戦とかを潜水艦、駆逐艦、航空機、戦車などで多数あったのではと想像。
でも激突!は日常の運転というところが違う。
昔みたときはラジエターホースが「まだ保つだろう」と伏線を台詞で言っていたのが印象的ですが、改めてみるとあんがい台詞や独白が多いですね。
また「そういや店で飯食ってたうちの誰がトラック運転手だったっけ」という疑問は、「あの店にはいなかった」と記憶が新たに。
つまりホントに謎なんですね相手は。
「何故こんなことに!」という疑問に対しては、まあすぐに思い浮かぶのは主人公のデビッドが目的地に着くことで何らかの新兵器開発が進み、ベトナムで敵味方大勢が死ぬことになるので、それに気づいた誰かが何度も何度も迷いつつ攻撃をしかけていた・・・みたいな。 いやーそんな仕事してなかったな主人公は。
でもまあ1971年の映画らしいんで研究は進んでいるでしょう、車のナンバーや車種、一瞬映った靴などからプロファイリングしている映画ファンがいるかも。
単純にキ○ガイと考えることもできるし、考えすぎても仕方ない。
むしろ異常者というシンプル結論がいいような気がする。
ところでこの映画、1971年という、そんなに旧かったかという事実が驚きで、とーぜん当時の車社会とかが興味深かったり。
ラジオでヘリコプター実況とか、いろいろ今とかわらんですね。
あとは主人公のデビッド、アメリカ人のくせに意外と内気というか話下手というか・・・店でしどろもどろしてますが、別な可能性として昔は珍しかったのかもしれませんね、キ○ガイ運転手が。
話しても理解してもらえない、ということだったのかも。 今じゃ考えられんが。
それとアメリカ映画見慣れてくると、向こうでも超無神経な市民と、逆に日本じゃ考えられないくらいセンシティブな連中がいるらしいと分かってきます。
それを題材にしたのがテレビドラマ「ダーマ&グレッグ」なのかも。
アメリカ下級階層と上流とで差がありすぎて、よくつきあえるなというコメディ。
激突!みてて二度ばかりある給油シーンもビックリで、ボタボタたれまくりやんか! 昔は知らんが今の日本じゃ一滴もたらさずに給油できるんですけど。
やっぱ雑なアメリカ人は確かに存在したのだな。
いやまあ給油はさておいて。
デビッドは神経質なタイプのアメリカ人だったのかもしれない。
でもってまったくの余談。
ここ二十年くらいで少なくなったもの、爆煙をもうもうと吐く自動車。 以前は珍しくなかったんでしょうね・・・日本もアメリカも80年代はバブル景気で、じゃっかんリッチになったので「整備不良車は恥ずかしい」みたいになったと思うんですが、ふたたび不景気になった90年代からはまた増えて、今では規制やら何やらでまた減った、と考えていますが、じっさいはどうだか。
煙を吐くトラックは、演出としてもいいですね、今じゃ難しい見せ方。
とにかくサイコで不思議なお話で、いま観ても面白いです。