最終更新:ID:MIol34hYkQ 2011年10月03日(月) 13:01:41履歴
葉鍵政界の政治家 | |
人名 | 北川 潤 |
出身 | Kanon |
所属 | ことみん新党 |
政治的思想・立場 | ??? |
北川 潤(きたがわ じゅん)はことみん新党副代表(2008年?月??日-2008年12月15日)。
政治手腕の皆無な一ノ瀬ことみ代表(-2010年4月10日)に代わって、党の運営を実質的に執り行っている。
アホ毛解散?の際にうぐぅ民主党を離党した人々をことみん新党に取り込むことに成功したが、その後いつの間にか殆どがうぐ民党に復党してしまった。
また、一時期所属をめぐって揺れていた美坂香里(現・新党魁政策調査会長)の取り込みも試みたが、失敗に終わった(ジャム送りつけ事件)。
その後は順調に候補者を確保しているようである。また、男性キャラの地位向上を掲げており、住井護、宮沢謙吾、七瀬彰などを引き込むことに成功する。
美坂香里への未練が抜けないのか、親葉鍵新党・新党魁的な行動を取る事が多かった。ところが、小牧愛佳が党の政策立案担当として台頭し、政策立案の過程で香里と共に行動することが多くなったことで自分が香里に相手にされていないと認識し始め、今度は眠主党代表の水瀬名雪に接近を始め、親眠主党に立場を切り替えてしまう。
2008年葉鍵政界総選挙ではKanon県選挙区から立候補するが8位で落選。ブロック区でも決戦投票に1票届かず落選する。副代表は小牧愛佳政調会長が兼任することとなる。
2010年葉鍵政界総選挙では、3位で当選を果たし、鍵連合区?で当選した妹の麻宮姫里と共に、兄妹揃っての国会議員デビューとなった。
ところが、国会議員デビューを果たしたにもかかわらず、今まで入れ込んできた名雪にも一友人としてしか相手にされない状況が続く。不満を抱いている間に、オカル党革命が起こり、政界は混迷状態となる。この結果旧与党勢力は発言力を失い、一方で第1会派に並び立った杏さん党と葉鍵社民・食福連合は依然として対立状況にあり、政権を担いうる勢力が存在しない状況となったのである。この状況を見て北川はことみん新党を脱してミニ政党側に属することを決意。2010年6月13日未明、北川は葉鍵イケメンの会代表として「一ノ瀬とも水瀬とも美坂とも絶交する」と宣言し、事務所を出奔、Kanon県倉田市の国家社会主義葉鍵十字党本部へと内国亡命する。なお、直接のきっかけは名雪に罵声を浴びせられての発作的な行動であったため、正式な離党届の提出は行っていなかった。
同日夜、首班指名選挙が行われるが、北川は国家社会主義葉鍵十字党本部に篭ったまま出席しなかった。一方、この首班指名選挙で甘党代表・美坂栞が首相に、オカル党代表・伊吹風子が議長に指名されるが、ことみん新党以下、旧与党勢力はこれを不正投票による無効投票と主張する。そこで、ミニ政党側はともかく政権の体裁を整えて事態を乗り切ろうとする。国家社会主義葉鍵十字党はここで北川を、他のミニ政党とのパイプ役として活用することを考える。その結果、北川は葉鍵イケメンの会代表として、美坂栞内閣に入閣し、金融担当大臣となる。
しかし、期待の美坂栞内閣も機能不全状態が続く(状況の詳細は、葉鍵国冷内線の記事を参照)。国家社会主義葉鍵十字党側も、地盤であるはずのKanon県内さえ十全に支配し経済計画などを実施できる状況ではなく、まして北川に構っている余裕などないのが実情であった。北川は再度失望し、ことみん新党への復帰を考える。
小牧愛佳代表(2010年4月に代表交代していた)は、北川の一連の行動に呆れ果てながらも、一ノ瀬ことみ前代表と、北川の妹である麻宮姫里の取り成しにより、処分は免れ、ことみん新党への復帰に成功する。
藤林杏内閣の成立後も美坂栞内閣を支持し続けているが、杏さん党との関係修復を望むことみの取り成しで党に復帰した立場では、明確に美坂栞内閣を支持する活動を行うことは難しく、今後両政権の対立が顕在化したときには「二度目はない」状況であり、依然として困難な状況におかれている。
なお、発作的に絶交宣言はしたものの、実のところ水瀬名雪・美坂香里には今なお未練が残っており、両名にラブコールを送り続けているのは相変わらずである。
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_φ___⊂)_ このページは未だに未完成である。
/旦/三/ /| 有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
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|超葉鍵政界|/
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