葉鍵キャラを政治家に見立て葉鍵国を統べる仮想政界「葉鍵政界」の派生wikiです。葉鍵板を参考に、99%のネタと1%の知性で盛り上げ楽しんでいきましょう。(元は葉鍵政期スレのまとめwiki的位置づけでしたが、現在は三次創作サイトの方向に突き進んでいます。)

葉鍵政界の政治家
人名水瀬 名雪
出身Kanon
所属眠主党(水瀬グループ)
政治的思想・立場???


↑選挙運動用ポスター(30分で製作した超手抜き)

 水瀬 名雪(みなせ なゆき)は眠主党の創設者・代表。
 自ら「『眠』ってばかりの『主』(メイン)ヒロイン」を党名に付けているほどの眠り姫。野党第一党の党首でありながら、政策理念が全く見えてこない。

 普段は99%寝惚けているが、突然態度を豹変させることがある。うぐぅ民主党総裁選の告示の際、連立を持ちかけていた月宮あゆ前総裁(現・幹事長)にお腹に赤い文字で『怨』と書かれたけろぴーを送りつけるという暴挙に出たのはその好例。そのことを葉鍵新党新党魁より抗議され(新党魁の美坂香里政策調査会長から直接叱責されたらしい)謝罪し、あゆと和解、うぐぅ民主党との連立路線に転じたようである。

 その路線転換を受けてか、突如リトバス県選挙区での、リトバス県超野党連合からの離脱・同連合候補への推薦取消しを表明。これを受け、三枝葉留佳は眠主党首脳に質問状を提出。折原浩平・代表代行が回答を行うが、回答の内容・および折原浩平の突然の浮上という事態そのものに三枝グループは納得がいかなかった。一方その頃、棗恭介リトバス社会大衆党委員長は全葉鍵超野党連合の結成を表明。そこで二木佳奈多全葉鍵超野党連合への加入の意志の有無を問う質問を行う。なおこの際、三枝グループは、眠主党が全葉鍵超野党連合に加入しない場合、三枝グループの集団離党を内々に決定していた。

 名雪はこの事態を受け、ことみん新党七瀬彰の仲介により、斉藤と共に棗恭介・宮沢謙吾との会談に臨む。会談により、自らがリトバス県超野党連合に抱いていた疑念は誤解であることを認め、全葉鍵超野党連合への加入と、リトバス県超野党連合公認候補の推薦を表明。これにより、分裂の危機は回避された。

 水瀬秋子葉鍵新党代表の娘である。月宮あゆや美坂香里の他、ことみん新党副代表の北川潤Kanon県知事の相沢祐一とも縁が深い。

 2008年葉鍵政界総選挙ではKanon県選挙区から立候補し、2位で当選する。当初、「次の内閣」総理大臣とされており、政権交代後に総理大臣になる予定だったが、ことみん新党小牧愛佳杏さん党を与党側につけようと調整した結果、同党代表の一ノ瀬ことみが総理大臣となり、名雪は総務大臣に就任する。

 ところが2月15日、葉鍵郵政資産の不正売却疑惑に関する説明のための記者会見の際に事実誤認に基づく発言や、記者の質問の意図を理解しない発言を繰り返し、さらに度々目を瞑っていたことから、居眠りしていたのではないかという疑惑が噴出。葉鍵社民党神尾観鈴はこの件を追及し18日夜、不信任決議案を提出。採決前の19日夜、名雪は「うおー、辞任だおー」と発言し自ら総務大臣を辞任した。

 さらに、3月8日、甘党からの不正献菓子疑惑が浮上。その後の調査により、甘党から提供された菓子を換金していたことが判明し、実質的な献金に当たる疑いが濃厚となった。にもかかわらず、名雪は次期選挙が当分ないことから続投の意志を見せていたが、党内からは二木佳奈多を中心に辞任を求める声が強くなり、民意を問うべく、4月11日に代表選挙を行うことを決める。

 当初は度重なるスキャンダルから代表交代の可能性も囁かれていたが、代表選では単独過半数を獲得し代表に再選。眠主党の創業者としての面目を保った。

 その後、ことみん新党との合同会派の結成と組織再編を進める。10月24日には官庁で閣僚のサポートをしている非議員党員を幹部昇格させる人事異動を行った。さらに10月28日には、17人からなる院内第一会派であることみん新党との合同会派を結成し、一ノ瀬ことみと共に会派共同代表に就任する。

2010年葉鍵政界総選挙では2/3獲得を掲げ、自身は第一日、Kanon県選挙区にて選挙に挑んだが落選してしまう。その後も党は不調が続き、自身はブロック区で復活当選するが、党としては最終的に地方区で4人、ブロック区で3人の当選に留まり、議席率はほぼ半減となった。

 この事態の責任と、自身の地方区落選の反省から代表を辞任。しかし4月10日の代表選挙では三選を果たす。

 三選は果たしたものの選挙での敗北と、自身の地方区落選の影響は否めず、自派閥の水瀬グループは自分ただ1人となったこともあって、元々寝てばかりでいたため決して大きくなかった党内での発言力はさらに低下し、事実上党の主導権は左派の三枝グループ、特にその実質的な代表者の二木佳奈多へと移っていく。

 その結果、オカル党革命(三枝グループに属していた笹森花梨オカル党代表となって主導した)以降の混乱の中でも、当初「旧与党」として葉鍵自由同盟と一括りに攻撃され、また佳奈多が葉鍵自由同盟との訣別を掲げ、同盟への攻撃に転じるのを傍観せざるを得なかった。

 と思いきや一方では北川潤からの告白を足蹴にして、北川が美坂栞内閣支持に走る原因を作ったりもしている。

 その後は好きなときに寝られる労働環境を実現すると言ってワークシェアリングを掲げたり、国会で寝る自由を守ると言って佳奈多の憲法擁護庁構想に反対したり、眠主党らしさを前面に押し出した活動をしてそれなりの存在感を見せているが、自身が寝てばかりでいるのは相変わらずであるため、党の主導権を奪い返すには至らない状況である。



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       _φ___⊂)_   このページは未だに未作成である。
     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
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      |超葉鍵政界|/ファイル
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