葉鍵キャラを政治家に見立て葉鍵国を統べる仮想政界「葉鍵政界」の派生wikiです。葉鍵板を参考に、99%のネタと1%の知性で盛り上げ楽しんでいきましょう。(元は葉鍵政期スレのまとめwiki的位置づけでしたが、現在は三次創作サイトの方向に突き進んでいます。)

葉鍵政界の政治家
人名藤林 杏
出身CLANNAD
所属杏さん党
政治的思想・立場同人主義
      ,へ、,.-‐ー/´\- 、 
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 藤林 杏(ふじばやし きょう)は杏さん党創設者。杏さん党中央委員会委員長。

 腐女子代表を自任し(ただし買い専である)、「幼児教育に同人誌を取り入れる」と宣言して同人主義政党を創設した、葉鍵政界の草分け的存在。
 鍵社民党(当時、現:葉鍵社民党)の坂上智代党首と激しい対決を演じながら、葉鍵政界に同人主義勢力を張ってきた。
 ところが、コミケ初当選時に友人を集めて同人誌を作ろうとした際、コミケ初当選に狂喜して同人誌作りに熱中するあまり、周囲はあまりの過酷さについていけなくなり、最後は喧嘩別れする事態となり(杏さん党分裂事件)、この際に古河渚一ノ瀬ことみらが離党。渚はうぐぅ民主党へ移籍し、ことみはことみん新党を結成する。
 
 

2008年総選挙〜2010年総選挙

 さらに、葉鍵新党結成の際に、当時杏さん党に在籍していた美坂香里(現・新党魁政策調査会長)が水瀬秋子代表・来栖川綾香(現・新党魁代表幹事)と共に連名で結成宣言を出したことで激怒。その際香里は杏さん党に残留の意志を表明するが、秋子がお騒がせのお詫びにと杏・香里の両名に贈ったジャムを杏が食べてしまい、重度の食中毒と、精神的な後遺症を患うことになる(ジャム送りつけ事件)。さらに、その香里が綾香と共に新党魁に移籍してしまったことで一層立場が危うくなる。
 その後、委員長の座には残留しながら、党の代表権を牧村南に預け、上記のジャムの後遺症で長らく療養中であったが、11月1日に政務復帰。再びうぐ民党や葉鍵社民党との対決路線を強めている。

 2008年葉鍵政界総選挙では、CLANNAD県選挙区から出馬し、2位当選。

 ことみん新党と和解を進め、同党から、ことみん新党・眠主党葉鍵自由同盟(葉鍵新党・新党魁)の連立政権への協力を打診され、閣外協力する。
 しかし、野党第一党党首として存在感を発揮する坂上智代とは対照的に存在感が埋没してしまった事に加え、葉鍵自由同盟の度重なる背信行為に杏さん党メンバーの怒りが頂点に達したことから、一ノ瀬ことみ首相(当時)と直談判し、杏さん党と葉鍵自由同盟とどっちを取るのかと迫るも、一ノ瀬首相が一存では決められないと答えたことから、一度は和解したことみとの再決別を決め、閣外協力を解消する。
 
 

2010年総選挙〜2011年

 2010年葉鍵政界総選挙直前に、杏さん党を離党して甘党を結成し杏さん党への攻撃を繰り返していた美坂栞が、突如攻撃中止と総選挙での杏さん党への一方的協力を表明する。この動きに杏は迅速に対応、独断専決で甘党との協力を決める。これが功を奏し、杏さん党は16議席を獲得して第一党に躍り出る。
 
 だが、これは杏にとってはとんだ読み違えであった。杏の読みでは、総選挙で勝利するのは葉鍵独裁同盟であり、杏さん党は良くて現状維持、となっていた。その為にも、来るべき葉鍵独裁同盟政権に対抗する為にも甘党を取り込んでおく、というのが杏の戦略であった。
 ところが現実は全く逆のものになり、杏さん党は第1党として政権作りの中心にならざるを得なくなった。しかし、議席配分からいって旧与党か葉鍵社民党かのどちらかと必ず組まなければならない状況にあったが、仇敵とも言える坂上智代率いる葉鍵社民党と組むことは杏としては耐えがたく、また有権者から野合との批判を浴びかねない危険があった。その一方で、散々煮え湯を飲まされてきた葉鍵自由同盟と組むという選択肢は絶対にあり得ず、またそれ以外の旧与党も、有権者から見れば「同じ穴の狢」であり、杏さん党・甘党連合が旧与党への批判票を集めて躍進した経緯を考えれば、簡単に組むことは出来なかった。まさに前門の虎後門の狼状態に追い込まれたのである。
 
 そこで杏は、杏さん党以外から人望のある人物を押し立てて、その呼びかけで連合政権を作る、という構想を描いた。首班候補にはリトバス社会大衆党委員長の棗恭介食と福祉を考える会代表の川名みさきを、政権与党としては他に葉鍵社民党眠主党を加えることを想定していた。
 ところが、招集した政権協議会議に、呼んでいない(敢えて呼ばなかった)新党魁来ヶ谷唯湖が乗り込んできた為に会議は大混乱に陥り、結局決裂してしまう。
 
 これで杏は自信喪失に陥り、議員宿舎に引き籠もって同人誌を読みふけってばかりの生活を送るようになる。これに合わせるように杏さん党議員団も国会に登院せず自主行動を取るようになり、連合を組んでいた甘党も離反する。
 結果、オカル党革命を経て美坂栞内閣の成立へと至る。
 
 

藤林杏内閣の成立

 2011年になり、美坂栞内閣の機能不全とそれに伴う葉鍵国の混乱を憂慮した葉鍵社民党が、杏さん党との連立政権樹立に向けて動き出す。当初は引き篭もりを続行していた杏であったが、木田恵美梨らの必死の説得についに折れ、葉鍵社民党との大連立と自身の首相就任を承諾する。
 
 だが、伊吹風子議長が新首班指名の為の臨時国会開催を承諾しなかった為、協議の結果「伊吹風子議長はじめオカル党議員は国会議事堂を占拠している水瀬秋子に軟禁されていた」「やむを経ず葉鍵国際展示場にて代理議長の下臨時議会を開催し藤林杏を新首班に指名する」という「シナリオ」が用意された。
 これにより、杏はイレギュラーな形で新首相に指名され、美坂栞内閣と併存する形で藤林杏内閣を成立させた。
 (詳細は葉鍵国冷内線の項を参照。)

対麻枝政策について。

2012年4月3日に2003年以来続いていた戦争に無条件降伏する形で、麻枝国が葉鍵国に併合されたが、その後の2013年に施行された愛国法による旧麻枝国民に対する迫害とも言える政策をマスコミから批判された際に、「我々杏さん党に犯した麻枝の罪は10年経っても変わらないものである」と政策を肯定する発言を行い、与野党などからの批判にさらされる。しかし、戦争を経験した旧葉鍵国民からこの発言を支持する声が多いことから、現在も60%という高支持率を守っている。

 
 



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       _φ___⊂)_   このページは未だに未完成である。
     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
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      |超葉鍵政界|/

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