上記の通り
杏さん党分裂事件で離党した
一ノ瀬ことみによって結成されたが、
うぐぅ民主党の結成、
杏さん党と
葉鍵共産党の合流、智代社民党(後の
鍵社民党→現:
葉鍵社民党)の勢力拡大、
公芽衣党の急浮上といった
葉鍵連合弱体化後の各政党の勢力増進の中、
ことみん新党は一歩遅れをとっていた。
それでも学術文化界は
一ノ瀬ことみの影響力が強く、ことみん新党の安定した支持母体となっていた。また、鍵地区の保守左派系市民派勢力が智代社民党に加わり、葉鍵連合における
葉鍵労働組合総連合会?(
連合葉鍵?、
全葉鍵労働総同盟?(同盟葉鍵)と
葉鍵労働組合総評議会?(総評葉鍵)が統合して結成)の影響力が高まる中、ことみん新党に市民派リベラル層の主張を代弁する政党としての役割を期待する向きもあり、これらの層にある程度浸透することができた。
また、
一ノ瀬ことみは結党当初から
杏さん党との和解を模索しており、一時は和解・再合流に近づいたが、当時
来栖川グループで起きていた研究開発職と経営陣の間の労使紛争に関して
杏さん党・
葉鍵共産党を支持する労働組合と
ことみん新党を支持する研究者団体の間で路線対立が起こったことで和解は白紙化してしまった。
その後、
北川潤の入党がきっかけとなって北川の知己が多数入党し、一方で党首である
一ノ瀬ことみ自身も図書館・出版関係の伝手や科学人文魔術に及ぶ独自の学術文化界の人脈を通じて党員を確保し、ことみん新党は有力政党として大きく飛躍することとなった。
10月4日、「森のくまさん」を名乗る人物により
杏さん党への誹謗中傷が行われたことから、
鍵社民党(当時)の
坂上智代党首への智アフ選挙区での推薦を取り消し、弟の
坂上鷹文?を選挙区に擁立しようとした。しかし、その鷹文の調査により
公芽衣党の工作であったことが判明し、智代の選挙区推薦を撤回しないことにし、鍵社民党には代表が謝罪して解決した(なお、このときは珍しく代表の一ノ瀬ことみが自ら行動している)。
しかし、鍵社民党と杏さん党との間の口論は今回に始まったことではなく、まして誹謗中傷の犯人が判明してもいない段階で、推薦取消しという処分を行おうとすること自体が、ことみん新党と鍵社民党との関係が微妙なものとなっていることを示唆している。
現在、
杏さん党との関係回復を進めようとすることみと
眠主党との関係を強める北川の間の路線対立が発生している。また、これとは別に、独自に他政党との交流を進める党員も多い。そのためか与野党の対立や左右対立が激化したときには仲裁役として登場することが多い。
2008年葉鍵政界総選挙では6議席を獲得し、躍進。しかし副代表の北川潤始め北川派が軒並み落選するという憂き目にあった。
杏さん党との関係修復を目指す一ノ瀬ことみ代表と、中道路線を指向する小牧愛佳副代表と、どちらが主導権を取っていくのかが注目される。
現時点では、リベラル右派の
葉鍵自由同盟が躍進したことから、ことみん新党はリベラル左派の杏さん党を取り込むことで勢力のバランス維持を計り、左右のリベラルの連立を目指す方針である。
結果として、杏さん党の閣外協力のもとで連立政権が誕生するが、葉鍵自由同盟の発言力が増大する中、舵取りがうまく行かず2009年5月に杏さん党が閣外協力を離脱してしまう。
2009年7月、一ノ瀬ことみ首相が眠主党の合同・葉鍵社民党の連立参加も視野に入れた政界再編を仕掛け、小牧愛佳を
葉鍵社民党との交渉に当たらせるも、保守本流的な傾向の強い葉鍵社民党には、改革リベラル派のことみん新党との連立案など相手にされず、不調に終わる。
一方、その後も眠主党との統一会派結成に向け調整を進め、10月28日、眠主党との合同会派を結成、これにより同会派は17人からなる院内第一会派となる。