2010年葉鍵政界総選挙では、
杏さん党への追い風を受けて選挙区でトップ当選する。
その後の連立工作で、(思想政策の違いはあれ)盟友である
久寿川ささらと共に
川名みさき擁立工作を進めるが、みさき本人が乗り気で無かった為、
棗恭介擁立にシフトする。が、連立交渉の場に
来ヶ谷唯湖が乱入するなど、連立参加が当たり前であるかのように振る舞う
新党魁にさすがに嫌気が差し、
向坂環を通じて善処を求めるも改善の見通しが立たない為、他の杏さん党議員と歩調を合わせて連立工作そのものを放棄してしまう。
その後、
オカル党革命を経て
美坂栞内閣が成立するが、一部旧与党議員がこれを認めず首相官邸に
一ノ瀬ことみ前首相を軟禁して立てこもるという事件が発生する。さらに、
水瀬秋子が会計検査の不備を口実に国会議事堂を占拠するに至り、葉鍵政界は完全停止に陥る。
この事態を好機と見たまーりゃんは、単身旧与党議員が立てこもる首相官邸入りする。
新党魁を中心とする立てこもりメンバーは、まーりゃんが自由主義陣営に鞍替えしたものと見て是も非もなく官邸入りさせ、さらにはまーゃんを通じて杏さん党との連携構想まで勝手に描き始めた。だが、
三枝葉留佳を通じて一ノ瀬前首相を解放したまーりゃんは、自らが首相官邸を占拠すると宣言し、立てこもり組旧与党議員を首相官邸から追い出してしまう。
その後暫く好き勝手に政策をぶち上げていたまーりゃんであったが、実権の無い状態で実現可能性が無い事は明白であり、暫く遊んだ後に
美坂栞首相に首相官邸を明け渡す。