当初は腐女子政党として発足したが、
杏さん党分裂事件の後支持基盤を広げる為
牧村南を党に迎え「開かれた
同人主義」を前面に掲げる同人主義政党としての活動を開始している。その後、旧
葉鍵共産党(
柏木千鶴)の合流を経て、表現の自由と格差無きオタク社会の創設を歌う葉鍵左翼政党としての現在の姿が完成した。その名残として、今日までリア充解放政策に断固として反対している。
2010年総選挙までは他政党との連合・交流に乏しく、関係があるのは
リトバス県超野党連合ぐらいであった。
リトルバスターズ!県では同連合を通して他の野党との共闘関係があり、
全葉鍵超野党連合の結成に伴い、党全体として他政党との連合・交流が生まれる可能性があったが、
葉鍵社民・食福連合が伝統主義化し、独自路線を取ったことで全葉鍵超野党連合の構想は有耶無耶となる。
一方で、リベラル派の
ことみん新党・
眠主党、リベラル右派(
リバタリアニズム)の
葉鍵自由同盟の躍進に伴い、ことみん新党から、左右のリベラルによる連立を打診されていた(当時の
一ノ瀬ことみ首相は
杏さん党分裂事件以前は杏さん党の一員であった)。
2008年葉鍵政界総選挙では11議席を獲得し、
眠主党と並んで選挙終了時点で第2党に躍進。
首班指名選挙ではいったん閣外協力を前提に
一ノ瀬ことみへの投票を決定するも、右派との連携に反発する労働左派や、逆に閣外協力ではなく本格連立を目指すべきだとする議員の反発にあい、造反の火種となる。その後、
藤林椋副委員長が
葉鍵自由同盟から出された財政改革案に対するコメント中で失言をし、自宅謹慎処分となる。この処分への反発が首班指名への党方針への反発と結びつき、結果的に大量造反を生み出すこととなった。
当初
一ノ瀬ことみ内閣への閣外協力の立場を取るが、閣外協力の前提として副議長ポストは杏さん党の
牧村南が貰うということで合意していたにも関わらず、
葉鍵自由同盟の両党(
葉鍵新党・
新党魁)が約束を反故にして新党魁の
石原麗子を副議長にしてしまい、杏さん党内では早くも葉鍵自由同盟に対する反発・不満が渦巻いていた。
さらに、葉鍵自由同盟の両党は、一ノ瀬首相の了解もなく(当然杏さん党にも何の相談もなく)
うぐぅ民主党の与党入りを決めてしまった。これにより一ノ瀬政権は杏さん党抜きでも議会過半数を確保出来るようになったが、逆に
一ノ瀬内閣に於ける杏さん党の存在意義は無くなり、また「非うぐ民政権」という大義名分も失うこととなった。
度重なる葉鍵自由同盟の背信行為に杏さん党メンバーはついに怒りを爆発させ、
藤林杏委員長に対し断固たる措置を執るよう要求した。
藤林杏委員長は一ノ瀬首相と極秘裏に会談を行うも、一ノ瀬首相はじめ
ことみん新党が既に葉鍵自由同盟の傀儡と化していることを見て取った藤林杏委員長は、一ノ瀬政権からの離脱を決断する。
ただ、「武士の情け」として、一ノ瀬首相に恥をかかせない為に、表向きは閣外協力解消の理由は「ネタ展開に行き詰まった」為、として発表した。(しかし、一ノ瀬政権に配慮して行ったこの措置を、
新党魁が意味不明だと猛批判したことから、杏さん党の新党魁に対する憎悪は決定的なものになった。)
その後、
眠主党左派(三枝グループ等)や
食と福祉を考える会と組んで葉鍵自由同盟を追い出し入閣・政権入りして政治的実権を握ることを是とするグループ(
まーりゃん等)と、同人左派政党としてのポリシーをあくまで貫こうとするグループ(藤林杏委員長など)の間で議論はあったものの、結局野党のまま次の総選挙を迎えることとなった。