葉鍵政界wiki〜いつだって歴史は一つとは限らない〜 - 維新政党わふー
葉鍵政界の政党
党名維新政党わふー
党名(英)Ishin Seitou Wafoo
略称わふー
政治的思想・立場国際平和主義

 元は能美クドリャフカによって結成された個人政党。その後あーちゃんの加入を経て2人羽織政党となった。
 
 「維新」という言葉の響きから右翼政党と勘違いされることがあるが、実際の政策は、国際主義・進歩主義・共生主義と、右翼的な主張とは真逆である。そもそも日本語の「維新」は「革新」と同義であり、その革新という語は日本に於いて左翼政党が自称として用いていた経緯を考えれば不思議では無い。
「国家における軍が握る特権は、あまりにも大きすぎるとし、世界からなくすこと」を目的に活動している。活動では軍事特権以外にも抗議活動や葉鍵国内外に関わる政治活動等を行っている。
 

2008年総選挙まで

 母国テヴァ共和国への支援を主目的としているものと見られ、泡沫政党呼ばわりされたこともあったが、棗恭介が提唱した全葉鍵超野党連合に、3番目に参加表明し、その後クドが超野党連合公認候補として当選したことで一挙に存在感を増した。(但し、超野党連合の規定で、クドはこの時維新政党わふーを一時離党している。)

 また、従前から二木佳奈多から眠主党入りを誘われており、合流の可能性もあったが、リトバス県超野党連合への対応をめぐり眠主党が分裂寸前の危機に陥り、それに伴って二木佳奈多・三枝葉留佳らと新党を結成する構想もあった。が、結局眠主党は寸前のところで分裂を回避し、新党結成は立ち消えとなった。
 また、この過程で「貧乳階級の提携」という名目で杏さん党西園美魚から杏さん党入りも打診されている。

 上記のような過程もあって、クドリャフカは超野党連合に急接近することになり、維新政党わふーは全葉鍵超野党連合ならびにリトバス県超野党連合に加盟することとなった。リトルバスターズ県の定数が2から3になったことを受け、リトバス県超野党連合では3人目の候補者として能美クドリャフカを擁立することを決定。
 リトバス県超野党連合の公認規定により能美クドリャフカは維新政党わふーを離党することになり、後任をあーちゃんに任せることとなった。

2008年総選挙〜2010年総選挙

 リトバス県超野党連合公認候補として、直枝理樹と共に国会議員当選を果たしたクドは、「野党」の存在意義にこだわり、政権入りは目指さないこととした。

 一方、超野党連合は、構成メンバーであった眠主党ことみん新党が新政権の与党になる一方で、葉鍵社民党はいち早く野党路線を鮮明に打ち出し、また杏さん党も当初は新政権に閣外協力するも政権発足直後から新政権中枢の新自由主義政党各派と対立し、半年も経たずに離脱。その一方で葉鍵社民党と杏さん党との長年の対立関係も解消できず、超野党連合は3つに空中分解した。
 
 その後もクドは各党の和解の為に奔走するも、対立はむしろ深刻化していった。さらに、ニー党(現・満腹実現党)やオカル党といった新興政党が勃興し、超野党連合が掲げていた反権力の旗印を奪われてしまうことになってしまった。さらに、超野党連合結束の最後の旗印であった棗恭介が、2009年のリトルバスターズ!県知事選でオカル党の西園美鳥に倍以上の票差を付けられて惨敗。超野党連合は事実上機能停止する。
 
 2010年葉鍵政界総選挙直前に、リトバス県超野党連合は正式に解散。クドは維新政党わふーに復党し、わふー公認で出馬する。が、同時出馬したあーちゃんが同率二位当選を決める一方で、クドは決戦投票にすら残れず、選挙区敗退。ブロック区でも復活当選できず、クドの落選が確定した。

2010年総選挙以降

 クドと交代する形で当選したあーちゃんが、維新政党わふーの党首をそのまま続行することになった。奇しくも直枝理樹と交代当選する形になった棗恭介と共に院内会派「拡大リトルバスターズ連合」を結成するが、直後から始まった政界大混乱の中、完全に埋没する。
 
 その後、藤林杏内閣が併存成立するにあたり、藤林杏政権の与党として参加することを決定。あーちゃんが外務大臣として入閣することとなり、独自人脈を生かした新たな生き残り策を模索し始めている。
 

党代表:

能美クドリャフカ →あーちゃん







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