2010年葉鍵政界総選挙では、
Kanon県選挙区にて
北川潤を、鍵連合区にて
麻宮姫里を当選させ、快調なスタートとなったが、その後の地方区では悉く落選し、ついには代表のことみ自身が落選する。その後、ブロック区選挙にてことみは復活するが、これによって、ことみは代表辞任に追い込まれる。
紆余曲折の末、4月10日に眠主党(代表の
水瀬名雪もことみ同様ブロック区復活となった)・
葉鍵新党(代表の
水瀬秋子が
会計検査院に転身)と合同で代表選挙が行われ、小牧愛佳が代表に選出され、ことみは代表を辞任することとなる。
5月13日、自身の誕生日に首班指名選挙を行おうとするが、
オカル党革命により流れてしまう。その後、再起を図り6月13日、再び首班指名選挙を行う。だが、これをめぐって混乱が起こる。この時
棗恭介を首相に、
牧村南を議長に指名するつもりであったのだが、どうしたことか
美坂栞を首相に、
伊吹風子を議長に指名したのである。
ここで、ことみはこれを偽装投票として無効と主張し、改めて
棗恭介を首相に、
牧村南を議長に指名した。だが、これは両名の承諾が得られず、不発に終わる。
その後、棗恭介の首班指名が承諾を得られなかった以上、一ノ瀬内閣が依然存続していると主張し首相官邸に居座り、美坂栞首相への
官邸明け渡しを拒んできたが、7月に
まーりゃんが「臨時首班」を称して首相官邸を占拠し、その後に伊吹風子による再度の首相官邸占拠を黙認する形で自体を収拾させた。
だが、ことみとしては、この間に、葉鍵自由同盟と距離を置き、
同人左派に回帰して杏さん党との関係修復を目指すことを考えていた(それゆえ、まーりゃんによる首相官邸占拠には積極的には抵抗しなかった)。
この間に、北川がことみん新党を出奔し、葉鍵イケメンの会代表として
美坂栞内閣に入閣しながら、同内閣に失望して、ことみん新党に戻ってくるという事態が起きている。新代表の小牧愛佳はこれを非難するが、ことみは葉鍵自由同盟と距離を置くいい機会と考え、敢えて北川を擁護し、美坂栞政権への消極的協力の取り付けに成功したのである。
しかし、その後
藤林杏内閣が実際に成立してしまったことで、状況は変化。ことみは北川を説得しながら藤林杏政権との関係修復を目指さなければならない微妙な状況となってしまう。
また、実際問題として、抽象的で現実離れした世界観、(杏さん党が目玉政策に掲げる)
ハイブリッドスマートグリッドに批判的であること、そして、首相公選制を経由した大統領制導入論や極度の少数精鋭主義的教育論といった独特の政策論は相変わらずであり、これらが
杏さん党との和解における障害となって立ちはだかっている。
(ただ、保守化した
葉鍵社民党と変形リベラル路線の
杏さん党との違いを考えればさほど大きな壁では無く、問題はむしろ北川派や小牧派との関係に象徴される
ことみん新党内の党内力学である。)