葉鍵政界wiki〜いつだって歴史は一つとは限らない〜 - 緒方理奈
葉鍵政界の政治家
人名緒方 理奈
出身WHITE ALBUM
所属葉鍵社民党
政治的思想・立場???主義

 緒方 理奈(おがた りな)はWHITE ALBUM県の政治家。葉鍵社民党所属。トップアイドル歌手としても有名である。

 2008年葉鍵政界総選挙では中立を保っていたが、第2回最萌トーナメントで葉鍵社民党代表の坂上智代と戦って勝ったことから、総選挙の最中に昨日の敵は今日の友とばかりに葉鍵社民党に入党。2010年葉鍵政界総選挙で、葉鍵社民党から立候補。現職のうぐぅ民主党篠塚弥生らを破って、初当選を果たす。
 
 木田恵美梨と共に親・杏さん党のグループを形成し、第1党・第2党*1大連立の実現に向けて努力するが、連立協議が進まない中、葉鍵社民党の幹部陣が保守色を強め、葉鍵創新党などとの連携を模索し始めるなど、杏さん党との関係が再び対立に傾き始める。それでも杏さん党との融和を重視し、幹部陣の動きによっては恵美梨は幹部陣の動きによっては思い切った行動を取ると宣言しており、今後の動向が注目されていたが、その矢先オカル党革命が発生してそれどころではない状態となる。
 
 葉鍵社民党自体はオカル党革命の標的とはなっておらず、理奈は杏さん党との連立協議再開を模索する。しかし坂上智代代表は杏さん党を非難する言動を繰り返し、杏さん党との融和・連立実現に向かう様子が見えないことから、木田グループは捨て身の戦術として突如離党を宣言。しかしこのときは当の杏さん党が葉鍵社民党に応戦する構えを見せなかったために木田グループも党中央と戦う意味がなくなり、事態は有耶無耶に終わる。
 
 また、この頃、AngelBeats!特別開発地域では行政長官には立華奏が任命されており、これにSSS(死んだ世界戦線)が抵抗運動を展開していたが、オカル党革命の混乱に乗じ、SSSメンバーだった音無結弦が政権を簒奪し、独裁体制を布き始めていた。SSSメンバーで、音楽による宣伝活動にあたっていた岩沢まさみは音無体制に対抗すべく、アーティストとして尊敬していた理奈を通じて葉鍵社民党に支援を要請してきた。理奈は音楽を通じた平和闘争路線を唱える岩沢に共感し、葉鍵社民党から支援要員を送り込む。また、岩沢との面会の際、偶然居合わせた、国家人権委員会より同地域の停戦監視団に出向していた冬馬かずさ?と対面。かずさも理奈の熱烈な信奉者であり、対面を非常に喜んだという。理奈はかずさに政治的な支援や軍事的な支援は根本的な解決手段たり得ないが、現に人権侵害の危険が認められる場合には厳正な対処・救済措置が必要だと語った。
 
 一方で、何故か度々行動を共にしたことのある白チーズ派を通じて、オカル党革命後に成立した美坂栞内閣に自衛隊派遣を働きかけ、甘党美坂栞首相は杏さん党との関係改善をはかる意味もあって、独断で自衛隊派遣を決定するに至る。
 
 しかし、岩沢は同時に葉鍵社民党の仇敵である公芽衣党にも、(やはり岩沢がアーティストとして尊敬していた)芳野祐介を通じて支援を要請。この結果、両党から送られた支援要員が現地で抗争をはじめ、本来岩沢派が目指していた平和闘争路線とはかけ離れた実態になってしまった。また、国家人権委員会は武力闘争路線をとる仲村派と平和闘争路線を目指す岩沢派が対立する中、両派を両天秤にかける対応をとったことで却って両派の対立を煽るばかりか、双方から信頼を失い、そのすきを音無政権に付け込まれる形で事態の膠着化を招くことになる。理奈はあくまで岩沢派を支援しつつ、人権委員会に対しては政治対立には干渉しないよう警告するが、チャーら、ギルドメンバーを中心とするグループが仲村派から分裂し、既に音無政権とSSSの分断、SSS内部の分断は固定化された状況となった。

藤林杏内閣実現へ


 その後、今度は葉鍵社民党の側から杏さん党に藤林杏を首班とする連立政権の提案がなされる。しかし、葉鍵社民党側は藤林杏政権樹立を持ちかけながら、例によって無理難題を立て続けに提示して杏さん党側の交渉担当人である長谷部彩を困惑させ、それを知って激怒した恵美梨と共に、理奈は党中央に杏さん党への提示条件の理不尽さを説明するが、ここで折れては葉鍵社民党の存在意義がなくなる、木田達こそもっと意見の合う政党を探すべきではないかと党中央からは退けられる。
 
 理奈は新党結成を検討するに至り、恵美梨はこみパの盟友が無理難題で追い詰められたことへの抗議の意志もこめて、離党届を提出。葉側のトップである柏木梓幹事長はこの動きを見て取り、木田グループが離党して杏さん党と連立すれば、葉鍵社民党の政権参加は絶望的になると判断し、恵美梨と会談。その結果、恵美梨は離党を撤回し、理奈を含む木田グループの議員も残留を決める。智代は離党して他の政党に合流するなり新党結成するなり本人に任せれば良いと離党を受け容れる考えを示していたが葉側のトップである梓からも批判が出たことで梓・恵美梨会談の結果に従うことを決め、最終的に杏さん党との連立交渉も恵美梨に一任されることとなり、藤林杏内閣の成立に至る。

憲法擁護庁と人権法制問題


 坂上智代代表は杏さん党との妥協を一時は受け入れたが、再び強硬な発言を開始し、遂には(当時リアル日本でも制定されていなかった)共謀罪創設を主張し始めるにいたる。この主張は藤林杏内閣与党・美坂栞内閣与党・野党のすべてから批判されるが眠主党を事実上主導していた二木佳奈多リトバス県超野党連合以来杏さん党と関係が深く、またオカル党代表の笹森花梨がかつて佳奈多と同じ三枝グループに属しており、藤林杏内閣・美坂栞内閣双方に一定の影響力を持っていた)が共謀罪創設論を批判しつつも戦う民主主義による反民主主義的勢力排除を訴え、憲法擁護庁設置構想を掲げる。この構想も各方面から批判されるが、がおがお憲法擁護を訴えていた葉鍵社民党の神尾観鈴がこれに同調した。
 
 木田グループはこれらの構想が表現の自由や政治的自由の制限につながるとして反対し、うぐぅ民主党御影すばるや無所属の伏見ゆかりうたわれ自治皇国連邦停戦監視委員会の副委員長を務めていた)も招き、代案作成にとりかかり、実務能力が高くAngelBeats!特別開発地域での支援実績もある理奈がその中心的存在となった。代案チームは、まず現在の公安権力自体が人権を不当に侵害する存在となっているから、これを解体し、新たな公安機関を設置するという前提を共有しつつ*2、表現や政治活動そのものの規制は設けず、また、公権力の関与する人権侵害については人権委員会の機能を強化することで対処することを提案した。
 
 ところが、葉鍵社民党の木田グループ外の多くの議員や杏さん党の大部分の議員を含む、一般議員の多くには公開の議事録を除いて直接の説明がなされないまま、一部の議員の合議で審議は進行し、神尾議員殴打事件?久弥鹿捕獲問題などの混乱でその審議も十分に進行しないまま採決を迎える。そして採決段階で一般議員の多くには直接説明がなされておらず、情報が正しく伝わっていなかったことが判明し、杏さん党や葉鍵社民党の首脳部が激怒し、理奈は他の木田グループの議員と共に党の査問を受けることになる。首脳部は理奈の人権法制審議に関わる行動と共に、神尾議員殴打事件の際、観鈴を殴った美坂香里と私的に院内で自警体制を組んでいたことを追及。
 
 理奈はオカル党革命後に成立した美坂栞内閣が学級崩壊状態に陥り、坂上代表の非協調的な姿勢と藤林杏委員長の無気力状態によって両党の連立協議が進まない中で葉鍵政界の正常化のために有志議員が集まり政策審議や官僚とのやり取りを行うようになり自然発生的に合議体が成立したこと、藤林杏内閣の成立後も、両内閣の並立による混乱が収束しておらず、合議体内部で一定の問題意識の共有が行われ、議論を続ける必要が認められたためにこの合議体は存続し、その中で院内自警団の結成や、人権法制の議論がなされたことを説明。離党未遂事件の再来となることを恐れた首脳部が査問を中断する。一方、各法案は審議停止状態となる。

その後


 2010年葉鍵政界総選挙によって選ばれた議員が任期満了を迎えたため、リアル日本時間2013年以降、各地で日程が統一されないまま散発的に国会議員選挙が行われることとなる。リアル日本時間2015年1月30日に行われた2013年葉鍵政界総選挙では定数が2に増えたWHITE ALBUM県選挙区から立候補し、2位当選の篠塚弥生の倍以上の得票で1位当選を果たし、健在を見せつけた。



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