坂上智代代表は杏さん党との妥協を一時は受け入れたが、再び強硬な発言を開始し、遂には(当時リアル日本でも制定されていなかった)共謀罪創設を主張し始めるにいたる。この主張は藤林杏内閣与党・美坂栞内閣与党・野党のすべてから批判されるが
眠主党を事実上主導していた
二木佳奈多(
リトバス県超野党連合以来
杏さん党と関係が深く、また
オカル党代表の
笹森花梨がかつて佳奈多と同じ三枝グループに属しており、藤林杏内閣・美坂栞内閣双方に一定の影響力を持っていた)が共謀罪創設論を批判しつつも
戦う民主主義による反民主主義的勢力排除を訴え、憲法擁護庁設置構想を掲げる。この構想も各方面から批判されるが、
がおがお憲法擁護を訴えていた葉鍵社民党の
神尾観鈴がこれに同調した。
木田グループはこれらの構想が表現の自由や政治的自由の制限につながるとして反対し、
うぐぅ民主党の
御影すばるや無所属の
伏見ゆかり(
うたわれ自治皇国連邦停戦監視委員会の副委員長を務めていた)も招き、代案作成にとりかかり、実務能力が高く
AngelBeats!特別開発地域での支援実績もある理奈がその中心的存在となった。代案チームは、まず現在の公安権力自体が人権を不当に侵害する存在となっているから、これを解体し、新たな公安機関を設置するという前提を共有しつつ
*2、表現や政治活動そのものの規制は設けず、また、公権力の関与する人権侵害については人権委員会の機能を強化することで対処することを提案した。
ところが、葉鍵社民党の木田グループ外の多くの議員や杏さん党の大部分の議員を含む、一般議員の多くには公開の議事録を除いて直接の説明がなされないまま、一部の議員の合議で審議は進行し、
神尾議員殴打事件?や
久弥鹿捕獲問題などの混乱でその審議も十分に進行しないまま採決を迎える。そして採決段階で一般議員の多くには直接説明がなされておらず、情報が正しく伝わっていなかったことが判明し、杏さん党や葉鍵社民党の首脳部が激怒し、理奈は他の木田グループの議員と共に党の査問を受けることになる。首脳部は理奈の人権法制審議に関わる行動と共に、神尾議員殴打事件の際、観鈴を殴った
美坂香里と私的に院内で自警体制を組んでいたことを追及。
理奈はオカル党革命後に成立した美坂栞内閣が学級崩壊状態に陥り、坂上代表の非協調的な姿勢と
藤林杏委員長の無気力状態によって両党の連立協議が進まない中で葉鍵政界の正常化のために有志議員が集まり政策審議や官僚とのやり取りを行うようになり自然発生的に合議体が成立したこと、藤林杏内閣の成立後も、両内閣の並立による混乱が収束しておらず、合議体内部で一定の問題意識の共有が行われ、議論を続ける必要が認められたためにこの合議体は存続し、その中で院内自警団の結成や、人権法制の議論がなされたことを説明。離党未遂事件の再来となることを恐れた首脳部が査問を中断する。一方、各法案は審議停止状態となる。