2010年葉鍵政界総選挙直前に、杏さん党を離党して
甘党を結成し杏さん党への攻撃を繰り返していた
美坂栞が、突如攻撃中止と総選挙での杏さん党への一方的協力を表明する。この動きに杏は迅速に対応、独断専決で甘党との協力を決める。これが功を奏し、杏さん党は16議席を獲得して第一党に躍り出る。
だが、これは杏にとってはとんだ読み違えであった。杏の読みでは、総選挙で勝利するのは
葉鍵独裁同盟であり、杏さん党は良くて現状維持、となっていた。その為にも、来るべき葉鍵独裁同盟政権に対抗する為にも甘党を取り込んでおく、というのが杏の戦略であった。
ところが現実は全く逆のものになり、杏さん党は第1党として政権作りの中心にならざるを得なくなった。しかし、議席配分からいって旧与党か
葉鍵社民党かのどちらかと必ず組まなければならない状況にあったが、仇敵とも言える
坂上智代率いる
葉鍵社民党と組むことは杏としては耐えがたく、また有権者から野合との批判を浴びかねない危険があった。その一方で、散々煮え湯を飲まされてきた
葉鍵自由同盟と組むという選択肢は絶対にあり得ず、またそれ以外の旧与党も、有権者から見れば「同じ穴の狢」であり、杏さん党・甘党連合が旧与党への批判票を集めて躍進した経緯を考えれば、簡単に組むことは出来なかった。まさに前門の虎後門の狼状態に追い込まれたのである。
そこで杏は、杏さん党以外から人望のある人物を押し立てて、その呼びかけで連合政権を作る、という構想を描いた。首班候補には
リトバス社会大衆党委員長の
棗恭介か
食と福祉を考える会代表の
川名みさきを、政権与党としては他に
葉鍵社民党と
眠主党を加えることを想定していた。
ところが、招集した政権協議会議に、呼んでいない(敢えて呼ばなかった)
新党魁の
来ヶ谷唯湖が乗り込んできた為に会議は大混乱に陥り、結局決裂してしまう。
これで杏は自信喪失に陥り、議員宿舎に引き籠もって同人誌を読みふけってばかりの生活を送るようになる。これに合わせるように杏さん党議員団も国会に登院せず自主行動を取るようになり、連合を組んでいた甘党も離反する。
結果、
オカル党革命を経て
美坂栞内閣の成立へと至る。