兄がことみん新党入りした際に兄に誘われる形で妹の
麻宮空?と共にことみん新党入りし、パフォーマンス含みの遊説で弱小政党だったことみん新党の知名度を上げた。
2008年葉鍵政界総選挙では当時1人区だった鍵連合区から出馬し、
ほしのゆめみとの事実上の一騎打ちで敗れる。
*1
学生時代を過ごした
Kanon県で
相沢祐一知事が辞任し、知事戦に
一ノ瀬内閣与党候補として担ぎ出されるが、
国家社会主義葉鍵十字党の
川澄舞との激戦の末、破れる。
その後地元の鍵特別区に戻る。
定数増で鍵連合区が2人区となった
2010年葉鍵政界総選挙では、与党逆風の嵐が吹き荒れる中
ほしのゆめみと同票1位となり、当選を果たす。この選挙で兄の
北川潤も当選を果たした。
ところが、総選挙後の2010年5月、
オカル党革命が起こり、政界は混迷状態となる。この結果旧与党勢力は発言力を失い、一方で第1会派に並び立った
杏さん党と
葉鍵社民・食福連合は依然として対立状況にあり、政権を担いうる勢力が存在しない状況となったのである。そして、この状況を見て北川はことみん新党を脱してミニ政党側に属することを決意したのである。
2010年6月13日未明、北川は葉鍵イケメンの会代表として「
一ノ瀬(前代表)とも
水瀬(名雪・
眠主党代表)とも
美坂(香里・
新党魁政調会長)とも絶交する」と宣言し、事務所を出奔、
Kanon県倉田市の
国家社会主義葉鍵十字党本部へと内国亡命する。
同日夜の首班指名選挙で、
甘党代表・
美坂栞が首相に、
オカル党代表・
伊吹風子が議長に指名されるが、ことみん新党以下、旧与党勢力はこれを不正投票による無効投票と主張する。
一方、北川は国家社会主義葉鍵十字党本部に篭ったまま出席せず、葉鍵イケメンの会代表として、
美坂栞内閣に入閣し、金融担当大臣となった。
北川が、名雪や香里に一友人として以上には相手にされない状況に不満を感じて
ことみん新党を出奔してミニ政党側についたのに比べ、姫里はミニ政党と提携する動機に乏しかった。北川が名雪や香里に不満を抱いていたことは理解していても、それは個人的なものに過ぎないと考えており、ミニ政党側への転向につながるとは想定してもいなかった。兄に誘われる形で入党した姫里にとっては、北川の出奔は梯子を外されたようなものであった。
しかし、兄について自分もどこかのミニ政党に移るか、ことみん新党に残るか悩んでいる間に北川はことみん新党に戻ってくる
*2。
肝心の美坂栞内閣は機能不全状態が続き(状況の詳細は、
葉鍵国冷内線の記事を参照)、国家社会主義葉鍵十字党側も、地盤であるはずの
Kanon県内さえ十全に支配し経済計画などを実施できる状況ではなく、まして北川に構っている余裕などないのが実情であり、北川は再度失望して、ことみん新党に戻ってくることを選んだのである。
姫里は、腑に落ちないものを感じながらも、小牧愛佳代表(2010年4月に代表交代していた)に状況を説明、ミニ政党とのパイプは残しておいたほうが党の利益にもなると説得した。一ノ瀬ことみ前代表も北川を擁護したことで、北川は処分を免れ、ことみん新党への復帰に成功する。
上記の通り姫里は北川に比べミニ政党側に「転向」する動機に乏しく、
藤林杏内閣発足後は微妙な状況に置かれることになった。北川の美坂栞政権支持の立場に同調する一方で、本来の北川派のスタンスである親眠主党の路線を取り続けているため美坂栞政権とは微妙な関係になっているのである。