「葉鍵連合」は、あくまで葉族・鍵族・戦略族の統一国家が出来るまでの暫定組織であり、正式な国家や政府では無かった。また、支配地域は葉島・鍵島・戦略島3島にわたっていたものの、それ故に葉族内戦から生まれた葉系軍閥勢力と神聖麻枝帝国との間に挟まれる形となり、地政学的には非常に不利な状況にあった。
一方、葉族の間では長引く内戦に嫌気が差し、軍閥支配地域を逃れて葉鍵連合支配地域に逃れるものが徐々に増えていった。これは葉鍵連合にとっては勢力強化に繋がることであったが、一方で連合内で葉族の構成比率が大きくなり、3族統一国家を最終目標とする葉鍵連合にとって一概に好ましい事柄とは言えなかった。
この頃、
神聖麻枝帝国?内部で、鍵島で開発途中であったCLANNAD地区(現在の
CLANNAD県、
智代アフター県)の開発を巡って麻枝信者と涼元派が激しく対立し、涼元派の一部が鍵島から対岸の葉島に逃れるという事件が発生する。涼元派はAIR開発に多大な貢献をした為、当初は帝国内で麻枝信者以上の厚遇を受けていたが、CLANNAD開発では動きが鈍かった為、帝国は開発促進の為涼元派に対し半強制的な労働義務を課した。が、涼元派はこれに反発し、鍵島を脱出してAIR地区(現:
AIR県)対岸部の葉島域内(現在のAIR県涼元市)に脱出した。
帝国軍が逃げた涼元派を追って葉島内に侵入した為、葉鍵連合はこれを口実に穏健麻枝派の手引きで神聖麻枝帝国領内に逆侵入し、葉鍵連合と帝国軍の戦いの火ぶたが切って落とされた。
弾圧を受けていた非麻枝系鍵族の蜂起もあって、葉鍵連合軍は一挙に鍵島の半分近くを占領し、帝都「中京」(現在の
鍵特別区)に迫った。が、体勢を立て直した帝国軍に足止めをくらい、一進一退の攻防となった。
神聖麻枝帝国側は、海外在住の鍵族にも義勇軍参集を呼びかけ、徐々に勢力を回復させていた。長期戦になれば不利と見た葉鍵連合側は、総攻撃による決着を図り、柏木将軍を総司令官とし軍閥勢力との境界線上に配置していた部隊も総動員して、帝都中京の陥落を目指した。
が、この動きに感づいた帝国軍の倉田総司令も総力戦での迎撃を決め、帝都中京から打って出た。葉鍵連合・神聖麻枝帝国両軍は最萌ケ原で激突し、一昼夜にわたる激戦の末帝国軍が帝都中京に撤退、葉鍵連合軍が勝利した。
帝国側は趨勢は葉鍵連合側にあると見て、余力のあるうちに対等和平に持ち込むべしとの意見が多数を占め、葉鍵連合に和議を申し入れた。一方の葉鍵連合側も、最萌ケ原の戦いでは勝利したものの、国境防衛部隊をも動員しての総力戦で帝都を落とせなかった事から先行き不安が拡がり、また帝国が篭城戦に持ち込んだ上軍閥勢力と結べば逆に葉鍵連合側が不利になるとして、帝国からの和議の申し入れには即座に応じた。
葉鍵連合と神聖麻枝帝国は交渉の末、民主共和制の新統一国家「葉鍵国」の樹立で合意した。が、帝国議会を初めとする統治機構は帝国側の方が整っていた為、これをほぼそのまま流用することで新国家建設をスムーズにしようとした。その為首都も、将来的に新首都を建設するとした上で、当面は旧帝都・中京(現在の
鍵特別区)に政府機構の大半を置くこととなった。
葉鍵連合は支配地域とその統治機構を新政府に移譲し、自らは議会政党として改組し、新たな出発をすることになった。