葉鍵政界wiki〜いつだって歴史は一つとは限らない〜 - 葉鍵連合
葉鍵政界の団体
党名葉鍵連合
党名(英)Leaf&Key Union
略称(無し)
政治的思想・立場反神聖麻枝帝国
葉鍵政界の政党
党名葉鍵連合
党名(英)Leaf&Key Union Party
略称(無し)
政治的思想・立場社会民主主義


 葉鍵連合(はかぎれんごう)は、葉鍵国建国以前に存在していた支配勢力、並びに葉鍵国建国後それが政党に改組したものである。
 
 このページでは、両者について共に記述する。

 なお、連合葉鍵?は名称は似ているが、労働組合のナショナルセンターである葉鍵労働組合総連合会?の略称であり別組織である。ただし葉鍵連合はその末期を除き、連合葉鍵の支援を受けていた。
 
 

神聖麻枝帝国抵抗組織時代

創立経緯

 葉鍵独立追放革命中期に於いて、鍵島並びに戦略島の一部地域を領土とする神聖麻枝帝国?が成立した。
 神聖麻枝帝国は鍵族並びに戦略族の麻枝信者を中心とする国家であり、皇帝麻枝准への忠誠を誓うものは手厚く保護したが、逆に麻枝に敵対するものには激しい弾圧を加えた。この為、麻枝准への恭順姿勢を示していた魁派は帝国臣民として麻枝信者と同様の諸権利が与えられたが、一方でAIR等の麻枝作品への中傷を繰り返していた久弥信者は激しい弾圧を加えられた。
 
 この頃、葉族は葉鍵独立追放革命の原因となった内紛が未だ収まらず、紛争状態を嫌った穏健派葉族は鍵族と連携して新国家を築く事を目標に、鍵島対岸部に集結していた。
 彼ら穏健派葉族の呼びかけに応える形で、神聖麻枝帝国の弾圧を受けた久弥信者らが合流し、臨時統治体としての「葉鍵連合」を結成した。
 葉鍵連合には、久弥信者のみならず神聖麻枝帝国の政策に疑問を抱く涼元派や魁派、それに穏健派麻枝信者も加わり、人口数では神聖麻枝帝国と拮抗できるだけの勢力になった。
 

臨時政府時代

 「葉鍵連合」は、あくまで葉族・鍵族・戦略族の統一国家が出来るまでの暫定組織であり、正式な国家や政府では無かった。また、支配地域は葉島・鍵島・戦略島3島にわたっていたものの、それ故に葉族内戦から生まれた葉系軍閥勢力と神聖麻枝帝国との間に挟まれる形となり、地政学的には非常に不利な状況にあった。
 一方、葉族の間では長引く内戦に嫌気が差し、軍閥支配地域を逃れて葉鍵連合支配地域に逃れるものが徐々に増えていった。これは葉鍵連合にとっては勢力強化に繋がることであったが、一方で連合内で葉族の構成比率が大きくなり、3族統一国家を最終目標とする葉鍵連合にとって一概に好ましい事柄とは言えなかった。
 
 この頃、神聖麻枝帝国?内部で、鍵島で開発途中であったCLANNAD地区(現在のCLANNAD県智代アフター県)の開発を巡って麻枝信者と涼元派が激しく対立し、涼元派の一部が鍵島から対岸の葉島に逃れるという事件が発生する。涼元派はAIR開発に多大な貢献をした為、当初は帝国内で麻枝信者以上の厚遇を受けていたが、CLANNAD開発では動きが鈍かった為、帝国は開発促進の為涼元派に対し半強制的な労働義務を課した。が、涼元派はこれに反発し、鍵島を脱出してAIR地区(現:AIR県)対岸部の葉島域内(現在のAIR県涼元市)に脱出した。
 帝国軍が逃げた涼元派を追って葉島内に侵入した為、葉鍵連合はこれを口実に穏健麻枝派の手引きで神聖麻枝帝国領内に逆侵入し、葉鍵連合と帝国軍の戦いの火ぶたが切って落とされた。
 弾圧を受けていた非麻枝系鍵族の蜂起もあって、葉鍵連合軍は一挙に鍵島の半分近くを占領し、帝都「中京」(現在の鍵特別区)に迫った。が、体勢を立て直した帝国軍に足止めをくらい、一進一退の攻防となった。
 神聖麻枝帝国側は、海外在住の鍵族にも義勇軍参集を呼びかけ、徐々に勢力を回復させていた。長期戦になれば不利と見た葉鍵連合側は、総攻撃による決着を図り、柏木将軍を総司令官とし軍閥勢力との境界線上に配置していた部隊も総動員して、帝都中京の陥落を目指した。
 が、この動きに感づいた帝国軍の倉田総司令も総力戦での迎撃を決め、帝都中京から打って出た。葉鍵連合・神聖麻枝帝国両軍は最萌ケ原で激突し、一昼夜にわたる激戦の末帝国軍が帝都中京に撤退、葉鍵連合軍が勝利した。
 
 帝国側は趨勢は葉鍵連合側にあると見て、余力のあるうちに対等和平に持ち込むべしとの意見が多数を占め、葉鍵連合に和議を申し入れた。一方の葉鍵連合側も、最萌ケ原の戦いでは勝利したものの、国境防衛部隊をも動員しての総力戦で帝都を落とせなかった事から先行き不安が拡がり、また帝国が篭城戦に持ち込んだ上軍閥勢力と結べば逆に葉鍵連合側が不利になるとして、帝国からの和議の申し入れには即座に応じた。
 
 葉鍵連合と神聖麻枝帝国は交渉の末、民主共和制の新統一国家「葉鍵国」の樹立で合意した。が、帝国議会を初めとする統治機構は帝国側の方が整っていた為、これをほぼそのまま流用することで新国家建設をスムーズにしようとした。その為首都も、将来的に新首都を建設するとした上で、当面は旧帝都・中京(現在の鍵特別区)に政府機構の大半を置くこととなった。
 
 葉鍵連合は支配地域とその統治機構を新政府に移譲し、自らは議会政党として改組し、新たな出発をすることになった。
 
 

議会政党−与党時代

共和制初期

 議会政党となった葉鍵連合は、第一回葉鍵国会総選挙で単独過半数を取り、与党として葉鍵国の政権を担うこととなった。
 
 葉鍵連合は元々、葉鍵結集・反帝国で集まった寄り合い所帯であり、内部に様々な政治的主張・思想を持つ勢力が割拠していた。そのバランスに乗るように中道左派が党運営の主導権を握り、政党・葉鍵連合は反表現規制と社会民主主義路線を党並びに政権運営の基本とするようになった。
 連合内諸勢力の殆どはこの路線に従い、政権与党の恩恵にあずかる道を選んだが、神聖麻枝帝国皇帝麻枝准の処刑を求めていた過激派久弥信者勢力は帝国との融和政策に反発して離反、一部は議会勢力として留まるも、残りの大半は海外に脱出した。
 
 また、葉鍵連合は経緯上議員・構成員の大半を葉族が占めており、その為葉族の中には「葉鍵連合は葉族の政党」という認識を持つものも少なくなかった。が、実際には葉鍵連合は3族統一を掲げている為当然のことながら葉族を優遇するような政策は採らず、逆に葉鍵国に取り込んだ神聖麻枝帝国の諸制度に手を付けようとしなかった為、葉族右派の間では「歴史と伝統ある葉族が格下の鍵族に乗っ取られた」という反感・不満が拡がった。
 
 また、葉鍵連合にとってもう一つの敵対勢力であった軍閥諸勢力は、一部が葉鍵国に合流するも、既に経済的に自立していた山間部の諸派は抵抗を続け、葉鍵国への合流を拒み軍事的にも対立し続けた。
 
 
 このように党内外に不安要素を抱えていた葉鍵連合であったが、逆に旧帝国議会の穏健派の協力を得て、神聖麻枝帝国時代に築かれたアニメ合衆国との外交関係の維持・発展に成功、合衆国とエロゲ大陸とを繋ぐ中継貿易地として経済発展の足がかりを掴み、来栖川グループ等の大企業も育った。

第一次月厨侵攻

 紆余曲折を経ながらも何とか葉鍵国を自立国家路線に乗せた葉鍵連合であったが、その政権基盤を根本から揺るがす事件が発生した。コミケ連邦発祥の流浪の民であった型月族が、政情が不安定な葉鍵国への定住を謀り、侵略を開始したのである。
 型月族は、葉鍵連合政権に不満を抱く一部の鍵族を抱き込み、鍵島に上陸してその一部を占拠した。葉鍵国は、旧葉鍵連合・神聖麻枝帝国の両軍を解体して新たに国軍を編成する途中であったが、利害対立からなかなか再編成が進んでいなかった。そのような中で起きた型月族の侵攻に対し、国軍はまともな対応を取れず、型月族の占領を許してしまった。また、葉鍵連合政権内にはむしろ積極的に型月族を受け入れるべしとの意見も出る有様で、政権内の意思統一すらままならない有様であった。
 
 しかし、型月族が次第に占領区域を広げ、さらに鍵族を虐殺し始めた為、葉鍵連合政権も型月族撃退に舵を切り、第2国連(通称2ちゃんねる)に支援を要請した。が、第2国連は葉鍵国を敵視しており、むしろ型月族との間の潰し合いを望んでいた為、この支援要請を無視した。
 中央政府も第2国連も当てにならないとみた鍵族は自警団を組織し、独力で型月族撃退に乗り出した。彼らは同胞を虐殺した型月族を「月厨」と呼んで憎悪し猛抵抗したが、その「月厨」の中には型月族に協力した鍵族も含まれており、鍵族内部に少なからぬ亀裂を残した。*1
 
 鍵族の猛抵抗と国軍の本格反攻により、月厨の大侵攻は止まったものの、月厨に占領された区域を完全解放するまでには至らなかった。
 この事件をきっかけに、鍵族は葉鍵連合政権に不信感を抱くようになる。
 
 

CLANNAD紛争とうぐぅ民主党結成

 2004年に、神聖麻枝帝国時代から開発がすすめられていたCLANNAD地区の開発がようやく完了した。これにより疲弊しきっていた鍵族は活力を取り戻すが、このCLANNAD地区が新たな火種をもたらすことになった。
 CLANNAD地区では、Kanon以来鍵族の間に普及・定着していた「鍵にエロはいらない」という思想に基づいた政策が実施され、人の目に触れる場所での性行為を禁ずる一方で18歳未満にも諸権利を与え積極的な社会参加を促す等の「全年齢政策」が採られた。
 
 これに対しエロゲ大陸から移住してきた世代を中心に「CLANAND18禁化」要求が起きるが、非エロ移民中心の新鍵族が大半を占めるCLANNAD地区住民はこれに猛反発し、「エロの押しつけだ」として激しい抵抗運動を展開した。
 この運動はKanon・AIR地区にも波及し、鍵島全域で「反エロ運動」が繰り広げられ、エロゲ大陸からの完全独立を求める運動へと発展してゆく。この動きは、拡張開発が進められていた葉島のToHeart地区(現在のToHeart広域県?)にも波及し、拡張地区は全年齢政策地区として旧地区とは分離行政が採られることになった(ToHeart2地区、現在のToHeart2広域県?)。
 
 「全年齢問題」はCLANNAD地区の一地方の問題から葉鍵国全体を揺るがす大問題となり、その後数年にわたって論争や紛争が続いた。
 葉鍵連合内部でもこの問題を巡って激しい意見対立が起き、内紛状態に陥った。もとより寄り合い所帯であった葉鍵連合は、先の月厨問題への対応への不満もあり、鍵系党員が徐々に離反し、その支持を受ける鍵系議員も離党した。
 
 離党した鍵系議員は、葉鍵連合に変わる新しい与党を作るべく動き始めた。これに呼応する形で葉鍵連合から、労組寄りの姿勢を取っていた執行部に反発していた葉系右派議員が離党して新党結成運動に合流し、葉鍵連合は分裂した。
 
 新党結成運動には、葉鍵連合から離党した議員を中心に、葉鍵連合に協力していた旧帝国会議派穏健派、さらには杏さん党分裂事件杏さん党から分裂した古河派も加わり、鍵族久弥系の月宮あゆを総裁としてうぐぅ民主党が結成された。
 
 葉鍵連合の保守系支持層をほぼそのまま引き継ぎ、さらに鍵系左派も取り込んだうぐぅ民主党は次の総選挙で第1党の座に就き、連携していた公芽衣党と連立を組んで月宮内閣が発足。
 同時に、葉鍵連合は与党の座から転落した。

議会政党−「左派」時代

野党第一党時代

 与党の座から転落した葉鍵連合だが、それでも尚月宮内閣に対する野党第一党の地位を確保していた。
 それまで葉鍵連合を支持していた保守系・右派はほぼうぐぅ民主党に鞍替えしたが、葉鍵労働組合総連合会?連合葉鍵?全葉鍵労働総同盟?(同盟葉鍵)と葉鍵労働組合総評議会?(総評葉鍵)が統合して結成)を中心に葉系左派に支持基盤を保持し続け、葉地区はうぐ民党と葉鍵連合の二大政党でほぼ二分される情勢になった。
 対して鍵地区・戦略地区では元より葉鍵連合への進歩系・左派の支持が薄く、保守系・右派が抜けた後の葉鍵連合は支持基盤を殆ど失い、特に戦略地区では壊滅状態となった。
 鍵地区の左派勢力は、従前は旧帝国会議派左派の流れを組む議員が中心であったが、学生時代から市民運動・政治活動を行っていた坂上智代が結成した社民党(智代社民党)に徐々に結集し始め、鍵社民党として勢力を拡大し、葉鍵連合の市民運動系議員とも連携するようになった。

 その一方で、藤林杏が結成した杏さん党が、一度は分裂して弱体化するも、ONE県七瀬留美こみっくパーティ県?長谷部彩牧村南が合流し、CLANNAD県の地域政党から全国政党へと飛躍していた。
 また、葉地区で柏木千鶴の指導の下地下政党的に活動していた葉鍵共産党が杏さん党に合流して活動を急速に活発化させ、葉鍵連合に偽装入党していた党員が一斉に杏さん党に移籍した。
 さらにToHeart2広域県?知事を務めていたまーりゃんが、知事職を久寿川ささらに禅譲した後突如杏さん党に移籍し、人気知事の移籍に葉鍵連合には大激震が走った。
 
 さらに、上述の杏さん党分裂事件により分裂した勢力のうち、一ノ瀬ことみのグループはうぐぅ民主党には加わらず、ことみん新党を結成していた。
 ことみん新党杏さん党鍵社民党に比べ党勢の拡大において大きく後れを取ったが、それでもリベラル派にはある程度浸透することができた。坂上智代は保守左派系の運動家であり、進歩系・左派勢力の中には智代社民党に属することを忌避するリベラル派も少なからず存在し、特に一ノ瀬ことみと結びつきの深い学術文化系にはその傾向が強かったのである*2
 
 このような鍵社民党の勢力拡大・杏さん党の急速な勢力伸長・ことみん新党のリベラル派への浸透に、葉鍵連合内部では危機感が高まっていた。
 

再分裂−解党へ

 Kanon県では、旧帝国議会時代から議席を保持し続け「政界の魔女」の異名を取っていた水瀬秋子が絶大な権力を保持しており、月宮あゆのうぐぅ民主党総裁就任、さらに月宮内閣発足の際にも後見人役を務めていた。
 が、「全年齢問題」に対して、水瀬秋子は性行為やエロ表現などは完全自由とした上で、18歳未満にも参政権などの諸権利の保障を行う「局外中立政策」による解決を掲げ、うぐぅ民主党に働きかけを行うが、性行為やエロ表現の規制にこだわる古河派や公芽衣党の反発で実現しなかったため、うぐぅ民主党に失望し、うぐぅ民主党とも葉鍵連合とも異なる、政権交代可能な中道政党の結成を画策し始めた。
 その後、娘の水瀬名雪がメインヒロイン交代を掲げて眠主党を結党し、水瀬秋子の計らいで鍵地区の連合葉鍵?が支援に回ることになった*3
 
 さらに、連合葉鍵?主導で政権交代可能な中道勢力の再結集が推し進められ、連合葉鍵の全面支援を受けていた葉鍵連合も眠主党への合流を求められた。労組への依存度が高い議員はこれに同調する動きを見せたが、市民運動系等の非労組系議員は反発し、同じ市民運動出身の坂上智代率いる鍵社民党への合流を逆提案した。
 連合葉鍵は鍵社民党も含めた大連合を画策したが、労組嫌いの坂上智代*4に拒絶されて頓挫した。その一方で葉鍵連合内の労組系・市民運動系は対立を深刻化させ、多数派の労組系が眠主党への合流を進めようとするも市民運動系が猛抵抗し、業を煮やした労組系議員(神岸あかりなど)や、非労組系のうち鍵社民党への合流に否定的な議員(柚原このみなど)は葉鍵連合を集団離党して眠主党に移籍した(現在の眠主党神岸グループ*5)。
 
 市民運動系他非労組系が残された葉鍵連合は、従前から交流のあった鍵社民党との合流を決定し、葉鍵社民党として再出発した。
 
 こうして、葉鍵国建国以前より続いていた葉鍵連合は、組織的には消滅した。
 

現在の葉鍵政界に及ぶ葉鍵連合の影響

 上述のように、組織的には葉鍵社民党が葉鍵連合を継承しており、これが「葉鍵社民党が葉鍵国最古の政党」という主張の根拠ともなっている。
 坂上代表始め鍵系葉鍵社民党議員が保守左派色が強いのに対し、葉系葉鍵社民党議員はリベラル色が強いのは、葉系葉鍵社民党が葉鍵連合左派の流れを組んでいる為である。その中でも杏さん党に移籍した党員と親交があった木田恵美梨らは親杏さん党の傾向が強く、後に藤林杏内閣成立の際の原動力となった。
 
 また、組織的には別とは言え、議員・党員が結党に大きく関わったうぐぅ民主党や、大量移籍した眠主党、まーりゃん派や葉鍵共産党系が移籍した杏さん党も、葉鍵連合の流れを組んでいると言える。また、葉鍵連合解党後久寿川ささらが合流した食福会も、葉鍵連合の系譜に入れる見方もある。
 
 一方、2010年に成立した美坂栞内閣は、閣外協力のうぐぅ民主党を除いて葉鍵連合の流れを組む政党が参加しておらず*6、建国以来初の非葉鍵連合系政権と言える。
 
 


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     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
      l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  |
      |超葉鍵政界|/