2010年葉鍵政界総選挙で
杏さん党は地滑り的勝利を果たして第1党に躍り出、CLANNAD県知事選に続く連勝となった。CLANNAD県選挙区でも、
藤林杏杏さん党委員長がトップ当選したほか
藤林椋も当選し、杏さん党は二人当選を果たした。
その一方、
葉鍵社民党の
宮沢有紀寧・
オカル党の
伊吹風子・
公芽衣党の
春原芽衣も当選し、まさに「地盤を分け合う」形となった。
最後の一人は
眠主党の
仁科りえであったが、仁科は元々葉鍵自由同盟に牛耳られた一ノ瀬政権に批判的であり(それ故に県知事選の際に
新党魁から刺客を送り込まれたとも言える)、また2008年総選挙では落選して非議員だったこともあり、「旧与党」系とはみなされなかったのが勝因といわれている。
故に、CLANNAD県からは、旧与党系の国会議員は完全一掃されたと言える。
が、選挙で勝利した
杏さん党は、その後の対応を誤ったが為に政権獲得に失敗し、
オカル党革命を経て
公芽衣党などが支援する
美坂栞内閣が成立した。
美坂栞政権は国会で少数与党であったことから、地方での支持基盤を固めることで政権基盤の強化を図り、その第一歩として葉鍵国の2大政治大県である
Kanon県・
CLANNAD県の県政奪取を企てる。
Kanon県では、美坂栞政権与党の支持基盤が殆ど無かったこともあり、武力介入を試みるも、武力戦では百戦錬磨である
川澄舞知事と
国家社会主義葉鍵十字党の前にあっさりと敗れ去る(
Kanon県三分問題の項を参照)。
一方、CLANAND県では
公芽衣党・
オカル党共に強大な支持基盤が存在しており、故に一般支持者を巻き込む戦闘は避けたいというのが本音であった。その為、
柊勝平県政が導入した地域サークル制度を利用して、公芽衣党・オカル党の支持の強い地区を順次県庁から離反させ、最終的に県都・光坂市も落とすという計画が立てられた。
この作戦はある程度功を奏し、
伊吹風子・
伊吹公子・
春原芽衣・
芳野祐介の地盤である地区は新市を設立して中央与党に有利な条例を制定し、
杏さん党 やその他非美坂栞政権与党の政党の追い出しに成功した。
だが、柊県政が「やる気が無い」事を理由にこれに一切干渉しない態度を取った為、中央与党は結果的に肩すかしを食らうことになる。また、柊県政は制度通り、公芽衣党やオカル党が支配する地域サークルにも規定通りの予算配分を行った為、中央与党が期待していた「柊県政による地域住民の弾圧、公約違反」という構図は、微塵も成り立たなかった。
一方で、中央与党系新市の条例規定により事実上新市から追い出された他党支持者は、当然県内の他地区、特に光坂市や蔵京都市に流入することになり、彼らの証言によって光坂市や蔵京都市並びにこれらを中心とする地区は、逆に中央与党に対する反感が大勢を占めるようになる。
この為、公芽衣党・オカル党は、県都光坂市を制圧するどころか、逆に支持を失うという結果になってしまった。
とは言え、公芽衣党・オカル党系新市では、(徴税権を柊県政に握られているとは言え)支配権を完全に確立しており、県庁から独立した「第二CLANNAD県」の様相を呈している。
一方、光坂市・蔵京都市を初めとする県域の大半は柊県政支持でほぼ固まっており、中央政界での
藤林杏内閣成立後はこれを支持する住民が圧倒的に多い。
特に、
葉鍵特別市最大の副都心であり葉鍵特別市の都市機能の大半を担っている蔵京都市を押さえていることは、藤林杏政権にとって大きな強みとなっている。
一方、柊知事は相変わらずやる気の無い状態であるが、元々県民はそれを承知で県知事に選出したこともあり、逆にこれといった失政も無い為、特に不満は出ていない。