2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

エコヨコ/福田誠一郎

「愛・地球博」や「サラゴサ博」での市民参加を通じて、
人と人の顔の見えるつながりを推進しつつ、
サラゴサ博の対話で得た言葉「AGUA ES VIDA = 水は命」をもとに、
水と筆でかく「私たちのY150開国宣言」や「きき水」や「打ち水」など
「水で楽しむお祭り」を主題に出展されました。



−福田さん、市民創発に参加された経緯を教えてくださいますか?

私は大学生時代に、愛知県で行われた愛・地球博(2005年)に、
市民パビリオンオープニングイベントに出展者として参加し、
会期後は市民参加の枠組を残したいと思いました。そのような思いの中、
スペインのサラゴサ博(2008年)への参加要請がありましたので、
会社に休暇を頂き、愛・地球博に続き「個人」として市民参加しました。
その流れで、市民参加企画であるY150ヒルサイド(2009年)に参加することを決めました。

'''−愛・地球博から今日まで継続した活動になっているのですね。
福田さんは経験豊富だと思うのですが、今回の市民創発に参加して如何でしたか?'''

愛・地球博の時とは立場が変わって学生から社会人になっていました。
時間や金銭の負担はかかりますが、「博覧会への市民参加の理念を継承しなければならない」と、
個人で勝手な責任感を持って実施しました。今回の出展は学生時代に出会った友人に声をかけて、
同窓会の要素を込めてプロジェクトチームをつくりました。
平日休日問わず各人が時間とアイデアを持ち寄り、
出展までの間には何度も「俺はもう駄目だ」と思い挫けそうになりつつも、
途中から目に見えて作業が進むようになり面白くなりました。
出展の結果、私たちのブースには一週間で5,000名を超える方に参加頂き、
出展に意味を持たせるコトができました。私たちは勿論ですが、
友人たちも良い経験になったと思います。



'''−大勢の方に参加してもらえるのは嬉しいですよね。
では、今回の市民創発から得られたモノはありますか?'''

良い出展が出来たと思っていますが、評価は外部の方がするモノだと思います。
私としては、出展に際してヒルサイドの会場で知り合ったみなさんからの、
気付きが大きかったですね。
それと、愛・地球博以来、今まで散り散りになっていた仲間に、
出展への協力のために連絡を取り合って、再度集まる機会になったコトが大きいです。
また、学生の時とは違う立場に立ったのですが、その準備時期は丁度、
会社創業50年と北京オリンピックに関する会社でのイベント準備が並行していました。
苦しい中で自分がどこまでは大丈夫なのかのラインを認識することができました。

'''−自分の限界線が見えたというのは今後活動していくにあたって大事ですね。
今後の展開については何か考えられていますか?'''

団体同士の連携は理念や力関係、利益などに左右されるので、
私は「個人であること」が重要だと思っています。
上海万博は市民参加できる枠組がないそうなので、
此れを機に自身の行動をもう一回足下から磨きなおそうと思っています。
そしてそれは、学生時代から模索してきた
「個人のつながりによる市民力バンク」のための第二章です。



'''−「個人」のつながりによる市民力バンクですか!個人がキーワードですね。
さて、今回の出展を通じて何か感じたこや思ったコトはありますか?'''

出展に際しては、準備段階から会期終了までお互いに助け合い、
益々絆が強まったように感じています。やはり人間関係が大切なのだと思います。
この人間関係が築き上げた「Y150ヒルサイド」は、子どもたちが一日中滞在するなど、
今の時代に残すべく魅力をもった取り組みであったのだと思います。
最後に、準備から出展に至るまで、
今まで関係があった人とのつながりが復旧できたことが非常に大きな成果でした。
それは私だけでなく、社会へ希薄になった人間関係を問い直す、良い機会になったと思います。


<了>

【園田明日香】

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