2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

子供達を主として、誰にでも気軽にデザインするコトの楽しさや喜びを知ってもらうため、
自分の名前を使ったデザインに挑戦しいてもらい、
出来たデザインを加工して1シートのシールとして参加者にプレゼントする、
ワークショップを出展されていました。



−山中さんは、Y150ヒルサイドの市民創発にどういう経緯で参加されたのでしょうか?

元々は横浜市の出身なのですが、デザインの専門学校を卒業した後は、
都内のデザイン会社に就職して横浜を離れ、デザイン業界で働いていました。
しかし6年前の退社を機に横浜に戻ってきました。
旭区では市民活動の一環としてデザイナーの活動は継続していて、
旭区生涯学習アドバイザーも6年務めています。
そんな折に、市民創発の存在を知り、
今までの経験を活かして地元で何かできないだろうかと思って参加することにしました。
また、上司や部下や学歴など関係なく、
此れから先一緒にお酒を飲める関係の友達や知り合いを作りたい気持ちがありました。


−今までの経験を活かす場所と友達作りですね。
そんな思いから始まった市民創発で一番印象に残ったことは何でしょうか?

出展者向けの任意プログラムでデザインの初歩を教える講義に参加した時、
デザインへの意識を再認識させられたコトです。
何かをデザインで表現するということは、
見栄えを良く綺麗にするということではなく、伝えたい意図が伝わるかが重用。
それは私にとって基本に戻れと言われたようでした。
そこで得た成果は、他の市民創発のパンフレット作成を頼まれた時に早速活かせました。
出来上がったパンフレットは、後で増刷りしたほど評判が良かったです。



−やはり基本が大切なのですね。では、市民創発を振り返ってみて得たコトはなんでしょうか?

お金には変えられない、色々な人達と知り合えたことです。
一部のみなさんとは会期が終わってからも一緒に活動していますし、そこに人とのつながりを感じます。
また、機械(PC)を使った出展は初めてだったのですが、
手探りで創ったワークショップの作業スピードは増しましたし、
人へのアイデアの投げかけ方が上手になりました。
それは自分自身のスキルが上がったということで、
出展していたワークショップは出し物として確立したと思っています。
その経験やノウハウが身についたのが嬉しいです。
今後の活動の土台が出来たように思いますし、出展を通じて自信がつきました。
またそれと同時に、社会人として自分に足りないモノが補えたように感じられたのが良かったです。



−活動の土台が出来た以外にも自己の成長を感じられたとのコトですが、今後はどのような活動をお考えですか?

横浜市内を中心にデザイン創りの市民活動を続けていきたいと思います。
また自分達の活動場所を探しているけど無いという方がいますので、
Y150で知り合った人などとも併せて、そういった方々と積極的にコラボして、
住宅展示場などへ出展していきたいと思っています。


−そういえば、事後の活動が紙面に取り上げられるなどご活躍されていますね。それでは最後に、何か思い出に残るエピソードがありましたらお願いします。

出展後半には、「今日で三回目なのだけどまた作って良いですか?」と何度も来場してくれた子供もいました。参加くださったみなさまには喜んで頂けたと思っています。そんなワークショップですが、実は現地で直接処理して渡していた分よりも、持ち帰って郵送で後日送った枚数の方がずっと多かったのです。送付の後日、電話や手紙でありがとうとお礼の言葉をたくさん頂きました。他にも、鶴ヶ峰で見知らぬ男性から声をかけられ「息子がヒルサイドでお世話になりました。その時のシールは大切に使っています。」と直接言われたことがありまして、それはびっくりしましたが嬉しかったです。
それと、台風が直撃した日は来場者が殆どいない中、雨を凌ぐためのブルーシートを被って、来場者と一緒にマンツーマンで作品を作り上げたコトを思い出します。


<了>

【園田明日香】

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