2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

若い頃からフィリピンに深い関わりを持ち、現在、横須賀でフィリピン雑貨のお店を経営している吉澤さんは、
「模様」をテーマとして、フィリピンと日本、延いてはアジア圏における文化理解を出展を通じて、来場者に伝えてきました。



―まずは、お疲れ様でしたっ!本当に大変だった企画作りでしたが、
そもそも今回、このようなイベントに参加した理由はなんだったのですか?

参加の動機としては「これまでの「殻」を破りたかった」ということが挙げられます。
つまり違う分野、考えの人達と、何かを創りあげる経験をしたかったのです。

私自身、これまでにも数々の国際関連のイベントに出展させていただいていますが、
どのイベントも似たり寄ったりで、いつも特定の人しか集まりません。
もはや既存の形を大切にしているだけでは限界があると思っています。
様々な分野の人たちと手を取り合い、新しい方向へのアイデアを出し、
NPO/NGOとして新しい提案をしていく事が今必要だと思っています。

―異分野の方々と関わりを持って、具体的にどのような成果がありましたか?

色々考えられますが、一番大きかったのは、
展示のプロである主催者の皆様と関わりをもったおかげで、
どうやって見せればよいのか、
「えっ?」と思わせる力とはどういうことなのかについて、
新しいヒントをもらえたということです。

これまで、模様をテーマにした出展だと、
民族衣装を展示したり、ただ模様を紹介しようとしかしていませんでした。
それを今回、浴衣や帯に仕立て、展示できた事で、
日本とアジアの文化融合という新たな提案を形にできたと思っています。
これは非常に画期的なことで、これまであまり馴染みのなかったアジアのバティック模様と、
日本の和装とがコラボレーションする事は、
日本人の新しい生活様式の提案にもなったのでは無いかと手応えを感じています。

私は、他の国際協力系NPO/NGOにありがちな、
日本文化を拒否した上での、外国文化の紹介をしたくないのです。
あくまで自分自身は日本人という前提に立って、これからもフィリピン文化を大切にしていきたいのです
今回は、それが形として出来て、本当に良かったと思っています。

また、出展とは少し外れますが、今回実は、Y150の公式記念グッズショップに自分のお店の商品を、
置かせていただくことが出来たのです。
ライセンシーの担当と本当に大変なやりとりをさせてもらいましたが、これは本当に勉強になりました。
この経験は、フェアトレードとか発展途上国支援といった箕をはずして、
商品の品質で勝負できるという自信にもつながりました。




―創発メンバーとの関係で、何か成果はありましたか?

はい、もちろんありました。
特に隣り合ったブースのメンバーさんには、
大変お世話になりましたし、これからにつながる関係になったと思います。
また身内の中でも、これまでは挨拶程度のつきあいだったものが、出展を通して、密な関係が生まれました。
これらは、損得勘定無く、お金で足らないところを、人脈でフォローしたからこその成果かなと思っています。

―沢山の出会いに恵まれたプロジェクトだったと思いますが、
苦労や、喜びを含めて一番印象に残ったことはなんですか?

そうですね、どのプロジェクトの方もそうだと思いますが、やはりお金の使い方が一番苦労しました。
この手元の支援金を何に使うべきか、どう使うべきかに一番悩みました。
なぜならば、このお金はあくまで税金である訳なので、【死んだお金】にしてはいけない、
大きな何かを動かすための【生きたお金】にしなければならないと考えていました。
つまり自分だけの満足にとどまることなく、社会的に価値のある利用をしていきたかったのです。
だからこそ、時間がかかったし、とても苦労をしました。
しかし、そのかいあって非常に価値のあるお金を使うことができたと思っています。



―最後に、吉沢さん自身の今後の展開を教えて下さい。

1986年、フィリピンを長く独裁していたマルコス政権が失脚した時、
民衆が訴えつづけた言葉があります。それが「体験(experience)」というワードです。
「(虐げられてきた)体験を忘れるな、体験こそがスタートなんだ」フィリピンにはそういった文化があるのです。
参加、対話、体験というキーワードを大切にしてきた今回の出展において、
改めてその事を思い出しました。

今後は、フィリピンを中心にしつつも、アジアというもう少し広い視点にたって、
文化融合を目指した横断的な何かを作り上げていきたいと思っています。

<了>

【シヅカマサノリ】

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