PRIDE 徳山関連

11月はじめあたりからボクシングWBCスーパーフライ級王者
徳山昌守のプライド参戦がささやかれる

11/6

PRIDE参戦及びボクシング引退についてJBCが
徳山に事情聴取
http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/fight/news/20061...

11/6のスポーツ報知サイトの記事

プロボクシングWBC世界スーパーフライ級王者・徳山昌守(32)=金沢=が、5日、本紙の電話での取材に対し、総合格闘「PRIDE」からのオファーを受けることを初めて明らかにした。
徳山は、6日に行われる日本ボクシングコミッション(JBC)からの事情聴取で、PRIDE転向の意思を正式に伝える意向。
王座の返上は免れず、事実上の引退となる。
国内歴代3位の8度連続防衛を誇る名王者が、ついに進退に結論を出した。腹は決まった。WBCからの指導を受け、事情聴取に乗り出したJBCの安河内剛事務局長との会談を前に、徳山が沈黙を破った。PRIDEとの交渉について「オファーがあったのは事実」と初めて認めた。「(PRIDEに)出るとか出ないとか、言い分はある。それを伝えたい」と語った。「もう決めているのか?」という問いに「もちろん」とキッパリ言い切った。
進退が宙に浮いたままの名王者に、PRIDEは早い段階から接触していた。12月31日、「PRIDE男祭り2006」での参戦
オファー。対戦候補である五味隆典(28)の実力も申し分ない。
セコンドのメンバーなど、詳細も固まっており、別のリングへ移る
環境は整った。紆(う)余曲折があった。2月27日。
“ラストマッチ”と銘打たれた初防衛戦で、12回判定勝ち。だが、試合後のリング上では「WBCのスーパーフライ級を卒業する」との表現にとどめ、現役続行か否かで揺れ続けた。
それから、既に8か月が経過した。
2日のWBC総会(クロアチア)で、事態は急転した。
ホセ・スライマン会長が、立場を明確にしない徳山に対し
「事情を聴取するように」と、JBCに指導。
WBCトップからの“強制捜査”によって、態度を明確にする
リミットが設けられた。安河内事務局長は、6日午後にも大阪市内で
徳山と会談。リングを変えて、徳山が新たな戦いに挑むことは
間違いない。


記事は削除済み

報知は以前からPRIDEに取材拒否されているので有名

11/6 DSE榊原社長のコメント

部報道ではボクシングの徳山選手のPRIDE参戦が噂されていますが?


バラちゃん
「コメントは差し控えさせてもらいます。私たちがWBCやJBCさんの規定を曲げてまで色々するというのはネガティブなことですし、徳山選手サイドで話し合いがあると聞いています。そこでもし私たちが何か協力できることがあれば、協力するかもしれません。現時点では何もありませんし、今後の動向を見ていきたいと思います。」

http://www.prideofficial.com/free/news/details.php...



11/7 徳山、自身の公式サイトでPRIDE参戦を否定

http://www.chang-su.com/hitorigoto-2.html

PRIDEからは5月から再三のオファーを受けた


ルールは完全ボクシングルールで4R制、判定無しKOのみで決着


対戦相手はPRIDEの70Kg階級のチャンピオンクラス

(徳山の階級Sフライ級は52Kg程度)

徳山自身挑戦したい気持ちはあったが、圧倒的に不利な体重差とボクシング業界全体の影響を考え断念


くどいようだが我らがバラちゃんのコメント





「コメントは差し控えさせてもらいます。私たちがWBCやJBCさんの規定を曲げてまで色々するというのはネガティブなことですし、徳山選手サイドで話し合いがあると聞いています。そこでもし私たちが何か協力できることがあれば、協力するかもしれません。現時点では何もありませんし、今後の動向を見ていきたいと思います。」

◆徳山 昌守(とくやま・まさもり)
1974年9月17日、東京・大田区生まれ。32歳。
国籍は北朝鮮で、本名は洪昌守
(ホン・チャンス)。94年9月、グリーンツダジムから
プロデビュー。
96年2月、金沢ジムに移籍。99年9月、
東洋太平洋Sフライ級王座獲得。
2000年8月、WBC世界同級王座獲得。8度防衛し、
04年6月に陥落。
05年7月18日、同級王座奪還。1度防衛。
身長171センチの右ボクサー。
2006年11月08日(水) 02:12:17 Modified by yesyeesyeees

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Uploaded by yesyeesyeees 2006年11月07日(火) 03:58:05



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