政界、財界の社交場所が東京の中心地に近い芸者町(花街)に移っていったことに伴い、吉原遊廓は徐々に縮小。関東大震災、東京大空襲による壊滅的な打撃を被りつつも営業は続けていたのですが、戦後GHQの指令により公娼廃止となり、営業形態も民主化され、特殊飲食店街、いわゆる赤線となりました。
そして、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行により、赤線は廃止。
吉原遊廓はその歴史に幕を下ろし、一部は「トルコ風呂」(ソープランド)に転身することとなったのです。
- 1872(明治5)年
- 1875(明治8)年
- 妓楼は貸座敷と名称を変える(実態は江戸時代とほぼ変わらず)
- 1876(明治9)年
- 1899(明治33)年
- 娼妓取締規則発布
- 貸座敷営業の許される地域が指定され、娼妓居住指定地と貸座敷指定地とを一致させられる
- 1911(明治44)年
- 1923(大正12)年
- 関東大震災
- 吉原の娼妓が近くの花園池に飛び込み、多数死亡
- 1933(昭和8)年
- 1946(昭和21)年
- 公娼制度廃止運動をキリスト教矯風会など4団体が展開
- 娼妓取締規制廃止
- 1947(昭和22)年
- 赤線(公娼地区の特殊飲食店※特飲)、青線(私娼窟)が出現
- 1948(昭和23)年
- 1951(昭和26)年
- 銀座「東京温泉」にトルコ風呂(個室付き浴場)が登場する
- 1956(昭和31)年
- 1958(昭和33)年
- 1966(昭和41)年
- 風俗営業取締法改正
- トルコ風呂、個室付き特殊浴場となる
- 1984(昭和59)年
- 風俗営業取締法改正
- 営業時間が午前0時までとなる
- トルコ風呂、ソープランドと改名する
- 2005(平成18)年