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YUI・バイオグラフィ3(17歳)

福岡・天神のストリートでビアンコネロに出会い、地元音楽塾「ヴォイス」でギターと曲づくりを覚えたYUIは、シンガーソングライターとしての道を選ぶ。
2004年3月、音楽塾の人の薦めで、オーディションに参加する。
それがソニーグループの「SDオーディション」だった。

『オーディションを受けたのは自分で決めたとかじゃない。
音楽塾の人が薦めてくれたからなんです。』と語るYUI。

全国からの応募総数は10万通を超えていたという。
一次審査(書類選考)、二次審査と順調に進んでいったYUI。そして最終選考は東京。
『緊張しなかったと言ったら嘘になるけど、歌を届けたいという気持ちで集中していたので、緊張感は気にならなかったです。』

あぐらをかいてギターを弾きながら歌う、というのがYUIのスタイル。当日のオーディションでも、
他のみんなはスタンドマイクで歌っていたが、YUIだけは、自分のやりやすいスタイルで、と
「あぐらで弾いていいですか?」と審査員に聞いて、了解してもらい、
床に座りあぐらをかいて弾き語りをさせてもらったという。

さらにYUIは、オーディションでは2曲ずつと決まっていたけれど、どうしてももう1曲聴いてもらいたかったので、すごく短くして結局3曲歌わせてもらった。
ここで歌った曲は、YUIが初めて作った曲、「Why me」そして、「It's happy line」、「I know」の3曲。

※YUIさんがHOT EXPRESSのインタビューで、『I know』はまだそのとき作りかけだったのでデタラメ英語で歌ったんですけど。と語られてます。(その”デタラメ英語”は、「YUI語」と言われています。)

そして、審査員全員がその歌声に最高ランクを付けた。

このオーディションがきっかけとなり、YUIは福岡を離れることになる。
『TOKYO』の歌詞”つよがりは いつだって 夢に続いてる”東京での生活に期待しながらも、
不安な気持ちもあったが、夢のために前に進むことを決意し、上京した。

オーディションから半年が経過した
2004年9月、上京。YUIは東京での生活を始める。
それまでの半年間は、福岡と東京を1ヶ月に3回の頻度で、主にレコーディングのために行き来していた。

『最初は尽きない、果てないくらいの不安があったとしても、行く時にはもう気持ちは切り替わってました。なので、寂しいという考えはなかった。それよりもどういうふうに音楽をやって行きたいかを考えていた。』と語るYUI。

そして、福岡から東京へ向かう飛行機の中で、YUIはあの「TOKYO」という曲を書くキッカケとなるメモをつづる。上京する時の気持ちをつづったメモだ。

※この「TOKYO」という曲が出来上がることになった由縁が、書籍「100%SONYミュージック」という本の中に書かれています。

ここから、YUIの新しい生活が始まる。
2007年05月03日(木) 11:14:34 Modified by yui_net123




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