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概要

バラクィヤルの守護の下の悔悛騎士修道会
Ordo Militum Poenitentium sub Custodia Barachielis

(紋章)
形式騎士修道会
創設1207年
宗教アヴィニョン・カトリック教会
カタリ派
聖典聖書
・新約聖書
・聖書正典
・アポクリファ
思想思想的源流
・グノーシス主義
・マニ教
・ボゴミル派
中核概念
・善悪二元論
・反物質主義
・霊肉二元論
バラクィヤルの守護の下の悔悛騎士修道会(ラテン語:Ordo Militum Poenitentium sub Custodia Barachielis)、通称雷の悔悛修道会(ラテン語:Ordo Poenitentium Fulminis)は、キリスト教カトリック教会の騎士修道会である。
1207年、アルビジョア十字軍による攻撃からカタリ派の保護を目的にベジエでカタリ派司教ギルハベルト・ド・カストルと孤児アニェス(カストルのアニュス,Agnès de Castello)によって創設されて以降、現在迄存続している騎士修道会で、2029年にはアヴィニョン教皇スルピシウス2世によって承認された。複数の騎士修道会が設立されたものの十字軍による攻撃に対抗する為に設立された騎士修道会はバラクィヤルの守護の下の悔悛騎士修道会のみである。

その構成員は設立当初修道士であると同時に騎士であったものの実態としては医療奉仕を中心とする従軍医師であり、戦場での傷口の切断や止血、薬草を用いた治療といった前線での救護活動が中心であり、この点において修道会は後世の人道医療団体の先駆的存在と位置付けられる事がある。また、この活動は南仏諸侯の連合軍に追従して救護活動を行う事が前提となっていた為機動性の確保が重要視され、修道会の構成員が修道会設立前に保有していた不動産や南仏諸侯から寄進された宝物らは修道会の設立と共に換金されたものの、当時のフランスの通貨であるドゥニエ硬貨を大量の持ち運ぶ場合嵩張ってしまい、移動を阻害する要因となる事が想定された為、都市国家の債券の購入や現在の匿名組合契約に相当する商業投資への出資を通じた出資が行われていた。これらを管理する為に構築された独自の財務システムは国際銀行の発展と比しても高度なものであり、広域に分散した資産を維持・運用する事を可能にした点は特筆されるべきである。現在でもこの財務制度は継続されており、修道会が行う医療支援や災害救助と言った非政府組織としての活動の財源に占める資産運用の割合は一般人からの寄付以上に大きなものとなっている。

歴史

前史

公的な福祉制度の整備が未熟であった4世紀頃から公的な福祉制度が整備された現在まで、キリスト教の教会や修道院は全ての人間は神によって造られた尊い存在であるとの考えから、親がいないという境遇によってその尊厳が損なわれることを防ぎ教育や生活の場を与える、即ち神から預かった命を守る使命を果たす為に孤児院としての重要な役割を担ってきた。
父なる神が認めてくださる純粋な信仰とは、助けの必要な孤児や寡婦を親切に世話し、悪に染まらず、清い身を保つことです。
ヤコブの手紙1章27節
フランス南部ラングドックの町カストルにあったカタリ派の小さな修道会、聖なる書庫院も同様であり13世紀初頭には隠遁修道女マルティーヌの下でアニュスと名付けられた孤児が保護された。
1207年6月、孤児アニェスがマルティーヌの衣服を掴んで
「夢の中で夜空の稲妻がそのまま人の形になったかの様な、美しく力強い美男子が『剣を取るなら、自らも罰を受けよ。悔い改めよ』と告げていた」
と話しだした。
マルティーヌから報告を受けたトゥールーズのカタリ派司教ギルハベルト・ド・カストルはアニュスの語る人影の姿からエノク書に登場する堕天使バラクィヤルからの啓示と判断したものの外典・偽典の他、神の国(著:アウグスティヌス)や牧会規則(著:グレゴリウス1世)と言った神学書、教父文献、聖人伝、聖書注解、説教集等全て併せて10000冊近い宗教書物を所蔵していた聖なる書庫院で生活していたとはいえ、アニュスは創世記についての勉強を行っている途中であり、外典のエノク書にしか登場しないバラクィヤルの存在を認知している可能性は低かった事から本物の可能性が高い啓示と判断し、カタリ派への圧力を強めていたローマ教皇庁への対抗手段としてマルティーヌに対し『ノアの洪水』や『ソドムとゴモラ』と言った神罰に関する神話を教える様に命じた他、自らも剣術師範を派遣する事で修道騎士としての教育を施した。
この判断には、アニュスが
「剣を取るなら自らも罰を受けよ」
という啓示を受けたと話した事から
暴力に酔うならば啓示は偽りとして断罪し、罪悪感を抱くならば真の啓示と判断する様、改めて啓示の真偽を判断する事も目的としていたという。

アルビジョア十字軍

  • 前史
南フランスでは12世紀中頃からカストルと同じオクシタニー地域圏のタルヌ県に位置する町、アルビを中心にカタリ派、現地ではアルビ派と称されるキリスト教の影響を強く受けた民衆運動が盛んであった。
教皇庁はトゥール教会会議や第3ラテラン公会議によるカタリ派の禁止を経て現地に度々教皇使節を派遣し、カトリック教会への復帰を呼びかけたもののフランス王権の及ばない南フランスで教皇庁の影響力が広がる事を恐れた世俗君主達とその後押しを受けた地元の司教達の反発によって教皇使節の介入は失敗。教皇庁による地元司教達の統治権停止を招いた。
政治問題と化したカタリ派問題を解決する為、教皇庁はシトー派の修道士ピエール・ド・カステルノーを教皇特使兼主席異端審問官として現地に派遣した。
彼はラングドックで活動した後、ヴィヴィエとモンペリエで活動を続けたもののその高圧的な性格が祟り、カタリ派で無かったにも関わらずカタリ派の領民を守る為弾圧に反発した為難癖を付けて破門したトゥールーズ伯レーモン6世の指示によって1208年1月15日にオクシタニー地域圏ガール県の港町サン=ジルで暗殺された。教皇特使の暗殺によって面子を潰された教皇インノケンティウス3世は、確証が無いにも関わらずレーモン6世が暗殺したとしてカタリ派の殲滅と南仏諸侯征伐の為に十字軍を宣言した。
  • ベジエへの入城
十字軍が宣言されると、南仏地域は戦争状態に入り、カストルはカタリ派の武力を否定する非暴力思想を体現しつつ十字軍の殲滅戦に対抗する為、アニェスの受けた
「剣を取るなら自らも罰を受けよ」
という啓示を下に悔罪を伴う騎士団として次の4ヶ条を誓約とするバラクィヤルの守護の下の悔悛騎士修道会を創設した。
第一条 戦端について
騎士は自ら進んで戦いを起こしてはならない。
ただし、信徒・孤児・巡礼者・修道者が害される時、これを守るためにのみ剣を抜くことが許される。

第二条 懺悔について

騎士は戦いに臨む前、自らの罪を司祭または同胞の前で告白しなければならない。
罪を告白せず剣を取る者は、神と同胞の前で過ちを犯した者と見なされる。

第三条 断食について
戦いの後、騎士は三日間の断食を行う。
この断食は流された血のための悔悟であり、勝利の祝宴として行われてはならない。

第四条 死者の埋葬について
騎士は敵味方を問わず、戦場に残された死者を埋葬する義務を負う。
死者を辱める者は、神の裁きに背く者とされる。

第五条 心の戒めについて
騎士は戦いを喜んではならない。
戦いを楽しむ者は剣に酔った者であり、悔悟の騎士の名に値しない。
この修道会はアニェスを中核に十字軍への対抗を目的に編成され、1208年6月にオクシタニー地域圏エロー県のベジエに入城した。

甲冑を身につけながらも稲妻の印が縫い付けられた粗布の外套を身に纏い、「主よ、我ら罪人を憐れみ給え」と祈りを唱えながら入城した集団は当時の市民の目にも奇怪に映った様である。
  • ベジエの虐殺
1209年7月、シモン・ド・モンフォールら北フランスの諸侯によって率いられた十字軍は多くのカトリック信徒や避難民が存在するカタリ派の拠点都市ベジエを包囲した。
十字軍は教皇特使であるアルノー・アマルリックの指揮の下、降伏を要求しものの市民はこれを拒否した事により十字軍は1209年7月22日城壁外の衝突を契機として市内へ突入し、シトー会修道院長アルノー・アモーリックの「皆殺しにせよ。Caediteeos.神が自らの民を知り給う。NovitenimDominusquisunteius.」の言葉の下にカトリック教徒含む多数の市民を殺害した。
当時創設されたばかりであった修道会は、ベジエ市内の聖堂区画を拠点に戦闘に参加したものの数十名規模の騎士では十字軍の大軍を阻止する事は出来なかった為市街戦の開始と共に負傷者の救護や孤児の保護に専念したとされる。
伝承によれば、修道会の中心人物であったアニェスは、市内の聖堂に避難した多くの市民が殺害される光景を目撃したとされており、修道会の年代記『雷の書』は、この時の彼女の様子を次のように記している。
少女は剣を持たず、血に濡れた石畳の上に跪き、長く声を上げて泣いた。
そして言った。
「もしこれが神の御心であるなら、私はその御心を理解できない」
  • 第2の啓示
虐殺の後、修道会は数日間かけて戦死者の埋葬を行った。この頃のアニュスは毎晩墓地の丘で祈りを行っており、埋葬作業が三日目の夜に及んだ頃、ラングドック一帯を激しい嵐が襲ったとされる。修道会の年代記『雷の書』によれば、アニェスは墓地の丘で祈り続けていた時、雷鳴と共に再び光の人影を見たとされる。『雷の書』には、アニェスが聞いたとされる言葉が次のように記されている。
汝は血を見て絶望した。それは正しい。血に慣れる者は、最早剣の奴隷である。

剣は神のものではない。剣は人の罪が生んだ道具である。故に、剣を持つ者は、自らの罪を背負って持たねばならない。

もし汝らが戦うなら、その勝利を喜ぶな。もし汝らが勝てばまず死者を埋葬せよ。敵の死者も、兄弟の死者も、同じ土へと還さなければならない。汝らは剣の騎士ではなく、悔い改める騎士であるのだから。
この啓示を契機にカタリ派共同体を守るための防衛騎士団として編成されていた修道会の活動方針は大きく変化し、修道会は戦闘そのものよりも戦場での救護活動を重視するようになった。
当時の戦争において組織的な医療活動は殆ど存在しなかった為、修道会の活動は異例のものでありカタリ派からは裏切り者、カトリックからはカタリ派と同様の異端として敵対視されていたが戦場での埋葬や救護活動は兵士達の間で一定の評価を受け、後には北仏・南仏双方の領主から非公式に黙認されるようになったとされる。

地下化(13世紀)

1229年に締結されたパリ条約によってレーモン7世はフランス王に屈し、トゥールーズ伯領の自治縮小や王権による南フランス統治と共に教会による異端対策強化が行われた。1230年代に入ると教皇グレゴリウス9世はアルビジョア十字軍終結後も尚残存する異端思想、取り分けカタリ派の地下活動を根絶する目的で修道士を審問官として派遣し、所謂中世異端審問の制度的基盤を整備した。

この時期、南フランス各地では、十字軍期の混乱の中で生まれた小規模な宗教団体や信徒集団もまた、審問の対象となり、その中でも、正典に含まれない天使の名を崇敬対象として教会の裁可を受けない私的啓示を団体の根拠とする独自の誓約と武力を保持していた修道会は、そもそも教義からしてカタリ派と同様の物が採られていた事もあって審問官の着任と同時に調査対象に指定された。
異端審問官による調査の結果、修道会の教義と組織形態は、教会の承認を受けた修道規則と当時の教会法から大きく逸脱していると判断され、審問官は、修道会に対し団体としての存続を認めないとの裁定を下した。これにより、修道会は正式に解散を命じられたもののアニュスを含む団員個人の多くはカタリ派等の明確な異端とは断定されなかったため、正統な修道規則の下で信仰生活を続けることを条件に処分が決定された。
この判断にはアルビジョア十字軍中に修道会が救護活動を行った市民の中にシトー会の関係者が含まれていた事からシトー会から異端審問官に圧力が掛けられた結果とされており、事実団員の大部分はシトー会の修道院へ編入されたと伝えられている。

ルネサンス期の復興

シトー会による吸収後も団員達は秘密誓約を維持し、細々と継承されていった。
15世紀末から16世紀にかけてヨーロッパ諸国では中世の神中心から人間中心へ価値観が転換し、古代ギリシャ・ローマの古典を再評価するルネサンスと称されるリ・ナシータ運動が発展した。この過程で南仏では神秘主義と古文書・外典研究が流行し、聖なる書庫院が所蔵していた当時の書物を開放した事もあって誓約団の団員の一部が
「古き誓約を復興する」
として誓約団を離反し、新たに神秘主義的友愛団体「雷の誓約団」を結成した。

再結成

1789年、フランス王家の財政悪化を原因とする第三身分への増税を機にフランス革命が勃発すると、それによって成立した革命政府は、アンシャン・レジームの解体を目的として教会権力の大幅な制限を行い、各修道会の解散と教会財産の国有化を断行した。これにより、多くの修道院は閉鎖され、その蔵書や記録文書は没収あるいは散逸する事となった。こうした状況は、長らく教会法上の問題を避けるため秘密結社としてのみ活動していた誓約団にとって大きな転機となり、革命によって教会の権威が弱体化したことで、教会法による直接的な拘束から事実上解き放たれることとなったのである。
この状況を受け、誓約団と、その分派とされる「雷の誓約団」は合同し、革命によって散逸した修道院文書の収集と整理を開始した。彼らの目的は、13世紀に解散させられた旧修道会の歴史と規則を復元することであり数年に及ぶ調査と文章収集によって修道会の誓約文と規則を再構。1793年に再びバラクィヤルの守護の下の悔悛騎士修道会が結成された。

近代

ナポレオン戦争
  • 背景
フランス革命によってアンシャン・レジームの撤廃やキリスト教勢力の弾圧が行われると国内への革命の伝搬を恐れたオーストリアやプロイセンといった周辺国はフランス国王ルイ16世の復権を求めて武装干渉を示唆する等フランスへの圧力を強めていった。
特にフランスとオーストリアとの間には長年アルザス=ロレーヌの帰属について争ってきた経緯もあり、革命政府の存続を目的としてフランス立法議会は外務大臣シャルル・フランソワ・デュ・ペリエ・デュ・ムリエの指示の下、1792年4月20日にオーストリアへ宣戦布告した。10年に渡って欧州全土で戦乱が繰り広げられるナポレオン戦争の始まりである。

当時フランス軍の士官の大半は貴族階級の為革命政府に非協力的であり、またそれを理由に兵士たちは敵前逃亡や上官の殺害を行なっており、当時のフランス軍はまともな戦闘が行える状態では無かった。
加えて戦争初期にはフランス王妃マリー・アントワネットの手によって敵方にフランス軍の作戦が漏洩した事もありフランス軍は劣勢となった。
これを受けて国民公会は1793年、戦時体制の許可を目的として後に公安委員会となる国民公会を設置。フランス各地での反乱や海上封鎖を経て国家総動員令を発令し徴兵制度を施行した。
  • 出陣
徴兵制度の施行と共に修道会員達は戦場に赴く事となった。しかし、修道会の誓約では、団員は武器を取って人を殺すことを禁じられており、彼らは戦闘行為への参加を拒否した。団員たちは自らを負傷兵救護や医療支援に限定した形での従軍を申し出たが、革命政府はこれを認めなかった。

当時の革命政府は、王党派や反革命的なカトリック勢力に対して厳しい取り締まりを行っており、1791年に制定された聖職者統制政策に基づき、革命体制への忠誠を拒否する宗教関係者を拘束する措置が取られていた。このため修道会会員の良心的兵役拒否は反革命的行為と見なされ、修道会の指導層の多くが逮捕されることとなった。再結成から僅か数年にして、修道会は再び存続の危機に直面することとなったのである。
しかし、野戦病院等の医療体制が未整備であり、負傷兵の多くが放置されるという深刻な問題に直面していた現場の指揮官達が戦わないが医療活動を行う集団として修道会会員を利用する事を提案。当時フランス軍内で画期的な医療改革を進めていた軍医ドミニク・ジャン・ラレーによる後押しもあって革命政府も、彼らが武装せず宗教活動を控える事を条件に、軍属の医療補助団体としての活動を認めた。
  • ナポレオン戦争後
1815年、ワーテルローの戦いでナポレオン・ボナパルトが敗北すると、フランスではブルボン家による王政復古が起こり、ルイ18世が王位に就いた。同時期にヨーロッパ全体ではウィーン会議が開かれ、革命以前の秩序の回復が目指される事となる。この流れの中で、革命期に再結成され、ナポレオン戦争では軍属の救護団として活動していた修道会もまた、政府による調査の対象となった。当時の修道会は軍事組織としての性格を捨て、再び宗教騎士修道会としての独立を模索していた為、その思想や組織構造について調査が行われることとなったのである。

しかし、この時期においても修道会は設立当初からの教義、すなわち堕天使バラクィヤルの啓示に由来するとされる神秘思想を維持しており、神学的観点から見れば異端的要素を含むことは明白であった。最も、19世紀に入る頃には中世に見られたような宗教裁判制度、即ち中世異端審問は既に消滅しており、加えてナポレオン期に締結されたコンコルダート (1801年)によって、フランスにおける宗教は国家の監督下に置かれることとなり、教会は独自に異端を裁く権限を事実上失っていた。そのため、修道会の教義が神学的に問題視されたとしても、それを理由に国家が直接解散を命じる法的根拠は乏しく、また修道会自体も政治運動や反政府活動を行っていなかった。この為フランス政府は厳重な監視を継続しつつも、組織そのものの存続については容認する方針を取ったとされる。この決定により、修道会は合法的な宗教団体としてではなく、半ば私的な宗教的結社としてではあるものの、19世紀フランス社会の中で活動する事が可能となった。
世界大戦
  • WW1
1914年、オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されたサラエボ事件を発端とする国際問題を機に、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し、史上嘗て類を見ない規模の総力戦が始まった。
機関銃・重砲・毒ガスなどの近代兵器の登場により負傷者数は急増し、各国の医療体制は深刻な不足に陥った。この状況の中で修道会は戦場救護団として各地に派遣され、主に前線救護所の設置や負傷兵の搬送、野戦病院・捕虜収容所での医療支援を担当した。
またこの時期、修道会は人道活動組織であるフランス赤十字社・赤十字国際委員会と協力関係を築き、負傷兵の保護や捕虜の待遇改善に関する活動に参加したとされている。
  • WW2
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、修道会は第一次世界大戦時と同様の大規模な救護活動を行う事を決定した。1940年、ドイツ軍がベネルクス三国とマジノ要塞の中間に位置するアルデンヌの森から電撃戦によってフランス本土に侵攻した結果フランス軍は壊滅しフランスも降伏。
フランスはドイツ軍の直接占領地域と親独政権の統治する地域にに分割され、南部ではヴィシー政権が成立した。この状況下で多くの宗教団体や人道組織は活動を制限され、表向きには中立的な救護団体として活動していた修道会もドイツ占領当局から警戒され、外国との連絡や難民支援は 外国との連絡や難民支援は厳しく監視される事となった。

占領が長期化すると、修道会内部の一部の団員は人道救援を名目とした地下活動、具体的には負傷兵輸送や医療物資輸送を利用しての難民の輸送や地下組織への物資供給と言った偽装医療輸送に関与したとされている。しかしながら、こう言った行為は赤十字、赤新月、赤のライオン及び太陽の標章、加えて現在ではレッドクリスタル等の特別標章の使用の有無に関わらずハーグ陸戦条約と1906年に制定されたジュネーヴ条約によって規定された背信行為、即ち戦時国際法違反であり現在まで修道会は偽装医療輸送への関与を認めていない。

現代

宗教活動の禁止
1994年8月10日以降アイリスの花・真人十字教によって始められた史上初のキリスト共和制革命である8月革命により政権が教団に奪取されると、国民に対する思想改造を強化し、崩壊の兆しを見せた国の基盤を再び固める目的で教団の教義に基づくカトリックと先住民族ジェヴォーダン族の信仰するトーテミズム以外の全ての宗教の信仰・宗教活動が禁止された。
この政策により、修道会も国家から非合法の宗教団体と見做されるようになり、修道会は解散を回避する為1990年代後半にかけて自主的に大規模な組織再編を実施し、表向きの宗教活動を停止した上で、人道支援を主目的とする非宗教組織となった。

これによって修道会は教団からの監視を受けつつも解体命令を免れる事に成功し、国内においては医療支援、災害救助、貧困層への援助等の非宗教的活動に限定して活動を継続する一方、宗教的伝統や誓約については公的には言及しない方針を採る事となった。しかし内部においては中世以来の誓約体系が非公開の形で維持されており、2007年には宗教活動規制法違反の容疑で国内治安総局による家宅捜査が行われている。
教皇による承認
  • 背景
イエス・キリストの受難から2000周年が近づくにつれて、フランス国では国内外における宗教的統合と正統性の確立が重要課題として浮上した。この過程で、教団と教皇庁との間では、宗教政策の再編および国際的承認を巡る交渉が進められる事となり、その議論の中で改めて議題に上がったのが国内で非合法とされつつも実質的に人道支援活動を継続していた修道会の処遇についてである。

修道会は歴史的にカトリック圏に起源を持ちながらも、独自の神秘思想と誓約体系を維持していた為、教義上の位置付けが曖昧であり、教団・教皇庁内部でも異端的残存組織として排除すべきという意見と歴史的修道伝統の一分派として限定的に承認すべきという意見の2つの見解が発生した。最終的に教皇庁は後者の立場を採り、2003年には教団に対し非公式に修道会を
「教義的には問題を含むが、実践においてキリスト教的慈善の理念に適合する団体」
と位置付ける様提言する意見書を送付した。
  • 承認
実態としては傀儡に過ぎないながらも一応は教団の上位に位置する教皇庁の意見書を受け、明確を立場を示す事の出来ていなかった教団も非公式ながらにその立場に追従すると共に将来的に実施が検討されていた宗教規制政策の一部緩和のモデルケースとする方針を決定した。
この決定により教団は教皇庁に対し修道会の承認を要求する提言書を送付。
2029年8月1日に教皇庁は教皇スルピシウス2世の名前の下に正式な修道会として承認を行った。
  • 影響
教皇による承認と共に施行された改正宗教活動規制法によって修道会が合法化された事により修道会は一定の手続と監視の下という誓約が有るとは言え35年振りの宗教行為が可能になった。

カルト教団としてのイメージが普及していた事により大幅な会員増加には繋がらなかったものの、宗教行為の解禁と同時に認められた宗教法人としての法人格の取得によって正規の手段による資金運用が可能となり財政的に余裕が生まれた他、フランス国政府から2007年の家宅捜査時に押収された非公開の誓約文書や中世起源とされる写本、儀式用記章と言った歴史的資料の返還が行わる事となった。
これらの資産はロゼール県フロラック地区バッスレルコミューンに建設されたテーマパーク型野外博物館、聖なる書庫院博物館の運営・展示に充てられている。

教義

修道会の教義は、中世南フランスに存在したカタリ派を源流としており、古代のグノーシス主義、マニ教、ならびにバルカン半島におけるボゴミル派の思想的影響を強く受けている。その根幹を成すのは、霊的世界と物質世界の対立を中心とする善悪二元論であり、修道会ではこれを「二つの創造の教理」と呼称している。

二元論的宇宙観

修道会の世界観では、宇宙には相互に対立する二つの原理が存在するとされる。その一つは、霊的天界および人間の魂を創造した「真の神」であり、完全な善と光の源泉。もう一つは、地上世界や肉体を創造した「偽の創造主」であり、物質と束縛を司る存在である。

カタリ派では、この悪しき創造主は旧約聖書の神ヤハウェ、すなわちデミウルゴスと同一視される傾向が存在したが、修道会においては悪の原理についての言及は比較的曖昧であり、明確にサタンと断定されることは少ない。この点については、13世紀の異端審問以降、教義的迫害を避けるため意図的に秘匿化された結果であると考えられているが、異説としてキリスト教においては基本的に堕天使として扱われるバラクィヤルとの関係性を重視した結果、敢えてあやふやにしたという説も提唱されている。というのも、修道会において「バラクィヤル」は単なる堕天使ではなく、物質世界へ堕とされた魂に真理を伝える守護者として位置付けられており、真理を知ったがゆえに天界から追放された存在であるバラクィヤルを善悪二元論の観点から見れば「純然たる悪」ではなく、寧ろ物質世界の闇に囚われた人間に光(真理)をもたらす「善の使者」あるいは「もう一つの救済の原理」となってしまうからである。そのため、彼を悪の根源サタンと同一視することを避け、結果として悪の原理そのものを敢えてあやふやに表現せざるを得なかったのだと考えられる。

人間観・輪廻思想

修道会では、人間の本質はかつて霊界から堕落した天使的存在の魂であると考えられている。魂は物質世界へ幽閉されており、肉体はしばしば「泥の檻」或いは「沈黙する墓」と表現される。魂は真理(グノーシス)に到達するまで、人間や動物の身体へ繰り返し転生するとされ、この輪廻思想は古代ギリシア語由来の「メタンプシコシス」と呼ばれる。

キリスト論

修道会のキリスト理解は、カタリ派以来の仮現論的性格を強く残している。仮現実論的価値観においてイエス・キリストは、真の神によって人類へ遣わされた純粋霊的存在であり、物質的肉体を持たない天使的存在であったとされる。そのため、キリストの受難や肉体的復活は文字通りの歴史的出来事ではなく、魂に真理を示すための象徴的幻影であると解釈される。最も、カタリ派はそうした経緯から十字架を「処刑器具」として忌避したのに対し、修道会は善そのものの象徴として十字架を受容している。

禁欲主義

カタリ派は、物質世界からの離脱を目指すカサリズムを重要視し、歴史的に極めて厳格な禁欲生活を実践してきた。伝統的戒律では、肉類や卵、乳製品等の生殖行為によって生じる食物の摂取を禁じる菜食主義が採用された。また、婚姻や性交渉は、新たな魂を物質世界へ閉じ込める行為として否定的に扱われた。但し、魚類については「自然発生する存在」と見なされ、例外的に摂取が認められる場合が有った。

修道会内でも1800年代後半から1900年代前半にかけて同様の教義が採られていたものの1900年代前半にカトリックの現代化を目指すアジョルナメント運動の影響を受けて行われたレノバシオ(刷新)で独自の新プラトン主義的カトリックとも言える新たな神学基盤が確立されると、物質を悪の創造物と見做すのではなく、神の栄光を現す器として肯定的に捉え直す精神性の昇華物質の聖化が行われた為に菜食主義は否定された。禁欲主義も緩和され、婚姻や性交渉は快楽を目的としない物に限り許される様になった。

平和主義

修道会は、凡ゆる生命に魂が宿る可能性を認めており、原則として殺生を禁じている。この思想は中世以来の平和主義へ繋がっており、修道会が近代以降に戦闘行為を放棄し、人道支援団体へ転換した背景にもなった。また、世俗権力への絶対服従を拒否する思想から、国家や裁判所への宣誓を禁じる伝統も存在した。

組織構造と儀式

組織や儀礼においては、ローマ・カトリック教会をサタンの教会と呼んで教皇権や聖職者階層、什一税などを完全否定する反教会主義をとり、独自の2階層からなるコミュニティを形成している。最上級の信徒である完徳者ペルフェクティは一切の現世的欲求を断って禁欲戒律を完全に遵守する男女の指導者層であり、その下に通常の婚姻や肉食などの世俗生活を営みながら完徳者を支える一般信徒の信奉者クレデンテスが位置付けられました。

修道会における唯一かつ最高の秘跡が、カタリ派から継承されて来たコンソラメントゥムと呼ばれる霊の洗礼であり、これは完徳者による按手、すなわち頭に手を置く儀式によって聖霊を授け、過去の罪を清めて魂の救済を確定させるものでした。一般の信奉者は再び罪を犯して魂が汚れるリスクを避けるために通常は死の直前にこの儀式を受ける事とされていたが、教団によって弾圧が行われた時期には信仰を守るために、自発的に絶食死を選ぶエンドゥーラと呼ばれる過酷な慣行も行われたとされる。

会員

階級

修道会では任務と役職に基づいて設定された独自の階級制度が整備されており、この内会友者を除く7階級の者が騎士団員と称される。観想士並びに誓約守に相当する5階級は階級的職位としての役割が大きい一方、観想士並びに誓約守本体は長年にわたり病者・貧者の救済に顕著な功績を挙げ、法曹・学術・医療界のリーダーである会友者を表彰する目的での昇格先として運用されている面も大きい。
総長
総長(ラテン語:Magister Generalis)は修道会全体の活動の方針決定を行う最高責任者であり、大騎士に就いている修道士の中から大騎士間の互選によって選ばれ、3年の任期の間に宗教的権威と組織運営の双方を担う。歴史的には大団長(英語:Grand Master)に相当する地位であり、ラテン語名称Magnus MagisterはGrand Masterと訳される場合が多い。
大騎士
大騎士(ラテン語:Magnus Eques)は修道会の各地域管区や主要部門を統括し、総長を補佐する修道会の指導者として施療総監、対外庶務卿、秘録守護卿、教義監護卿、教務卿の5つの役職に就いている修道士に与えられる階級である。
観想士
観想士(ラテン語:Contemplator)は、神学研究を通じた誓約の解釈や維持によって修道会の宗教活動を行う修道士に与えられる階級である。
誓約守
誓約守(ラテン語:Custos Votorum)は、観想士と同様に神学研究を通じた誓約の解釈や維持によって修道会の宗教活動を行う修道士に与えられる階級であり、観想士の下位に位置する。
救援士
救援士(ラテン語:Servator)は大騎士(施療総監)の下で救護・人道支援活動を行う修道士に与えられる観想士相当の階級である。その性質上一般に実務的な役割を担当する事が多く、救援士の殆どは医師や看護師と言った医療系の資格を持っている。
学術士
学術士(ラテン語:Scholaris Ordinis)は大騎士(施療総監)並びに救援士の下で救護・人道支援活動を行う修道士に与えられる誓約守相当の階級である。救援士と同様に医師や看護師と言った医療系の資格を持っている修道士が大半を占めるが、医師(特に外科医)や看護師は入会後短期間で救援士に昇格する傾向にある為救援士と比して義肢装具士や理学療法士、救急救命士と言った医療系資格を持つ者の割合が多い。
従騎士
従騎士(ラテン語:Armiger)は、大騎士(教務卿)の下で活動する修道士のうち警察権を担当する修道士に与えられる観想士相当の階級である。2029年の教皇庁による承認と同時に開設された聖なる書庫院博物館における自治体警察官としての活動を行う者に与える為設けられた修道会で最も新しい階級である。
会友者
会友者(ラテン語:Socius Ordinis)は、イエス・キリストを信じて洗礼を受けた所謂一般信徒である。他の階級者とは違い修道誓願を経て修道士として共同生活を行う必要はない一方であくまでも強制では無いが一定額の月定献金が求められる。

職務従事者

修道会の会員は全会員が無償奉仕を行う訳ではなく、救護活動を行う会員に対して修道会から毎月一定額の給与・報酬が支給される制度が設けられている。この区分は、職務従事者と称され大騎士(施療総監)と救援士、学術士の会員のうち宗教法人としての修道会に雇用された会員が対象となっており、長期的且つ専門的な活動を維持する為に19世紀以降の人道団体化の過程で整備された。
8月革命時の非合法化と共にその制度は有耶無耶になったものの2029年の教皇による認可後修道会は、宗教法人格と非営利法人格の双方を同時に保有する特殊な法的地位を獲得した。これはバラクィヤルの守護の下の悔悛騎士修道会の認可に関する特別措置法?に基づくものであり、フランス国国内では他に類を見ない事例である。

この法的な再編により、修道会は従来曖昧であった職務従事者制度についても明確な再定義が求められる事となり、現在では医療従事者に加えて大騎士(教務卿)の下で修道会の運営に関わる者のうち、以下の資格を持つカトリック教徒が職務従事者の対象となっている。
医療関係
  • 医師
  • 看護師
  • 手術室看護師
  • 准看護師
  • 救急救命士
  • 薬剤師
  • 臨床心理士
  • 臨床検査技師
建築関係
  • 衛生管理士
  • 管理建築士
  • 管工事施工管理技士
  • 建築士
  • 建築施工管理技師
  • 建築設備士
  • 獣医師
  • 電気工事士
  • 電気主任技術者
訴訟・会計関係
  • 公認会計士
  • 司法書士
  • 社会保険労務士
  • 弁護士
教義関係
  • 学芸員(人文系)

組織

修道会本部

総長宿舎
  • 施療総監部
  • 対外庶務部
  • 秘録守護部
  • 教義監護部
  • 教務部
修道会は特定の部署に属さない修道会の事務全般を担う事によって教徒が質の高い修行と布教を行う為、バッスレルコミューンに置かれた修道会本部に教務卿を代表者とする教務部を設けている。

附属・関連団体

飲食
サービス
  • アニェス・ドゥ・カステロ衛兵連隊
出版
食料
非破壊検査

事業

医療活動

公衆衛生

移動式ICUユニット
診療支援
修道会では宗教活動規制法の規制を免れる為、表向き宗教活動を停止していたが度々国内治安総局や対外治安総局による取り締まりを受けていた。この取り締まりによって会員が負傷する事も少なくなかったが、フランス国の医療機関はアイリスの花・真人十字教の運営する教団付属病院を除き全て第三厚生省の監督下に有り、治療の為の手術に託けて身体機能の一部を低下させたり、或いは奪ったりする手術が施されたり、暗殺されたりする可能性が存在した。

修道会の活動を容認する改正宗教活動規制法の施行と同時期に修道会総長に就任したイザベル・カストルは、会員の取り締まりが停止される事により負担がかなり軽減される事となった修道会所属の医療従事者達の一部に仕事を与えると共に修道会のイメージ戦略の一環として総長直轄の医療チーム‘‘即応医療ユニット‘‘(Unité Médicale d’Intervention Rapide,UMIR)を設立した。

このUMIRは、移動式ICUユニットを中核としている。

社会的弱者の救済

難民保護支援
生活困窮者支援

文化・史料保護

文化遺産保護

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