４ 狼狽える二人 ／ 2015年２月21日
最終更新：
ushigara_neko 2015年06月22日(月) 13:42:04履歴
その夜、春希は、付き合いのある雑誌社から、昨年末にリリースした『リスト・超絶技巧練習曲集』と、来月のプラハ公演について、インタビューの相談を受けていた。
だが、担当者が代わったのか、ウィーンを拠点にして以来の通常対応、つまり直接インタビューは受けない、ということを、なかなか理解してもらえず、ついつい長電話になってしまった。
……正確に言えば、かずさの適当な受け答えを春希が微に入り細に入り校正するものだから、ついには「勝手にやっとけ」と、全て丸投げされるようになっただけなのだが。
二人の寝室兼仕事部屋の窓から、遠くにウィーンの夜景が見える。
ドナウ川の水面に映える、明かりが揺れている。
「……ごめん、起こしちゃったか」
「起きたくて、起きただけ」
それから、お定まりの痴話喧嘩。「公演が近いからベッドで早く寝ろ」「ベッドの中で仕事するなら寝る」「お前、悪戯するから仕事にならないだろ」「一緒にベッドにいたら、我慢できないよ」……等々。
いつもの夜なら、マネージャーの方が根負けして、ベッドの中で愛する夫に変身するのがお定まりだった。
だから、その夜は例外だったのだ。
�爛廛襯襯覘�
冬馬曜子からのメールが、春希のパソコンに受信された。
北海道での講演旅行や、ウニとイクラとカニとホタテに関する長い長いおちゃらけた近況報告の最後に、そのURLは唐突に貼られていた。その最後の拡張子は、それが一塊のデータファイルであることを示していた。
春希はURLをクリックし、ファイルをダウンロードした。
そして、リンク先から数行空けた下に書かれた、曜子からのメッセージを発見した。
「もう二年にもなるし、そろそろかと思ってね。
小木曽雪菜さんの、こと。
あの後の、彼女のこと」
「雪菜……？」
かずさが、封印していたその名を呼んだ。
「…………」
春希が、息を飲んだ。
「あなたたちにとって、いずれは受け止めなければならないことだから。
覚悟して、確かめなさい」
「開く、ぞ」
「う、ん」
春希は、震える右手で、そのファイルにカーソルを合わせる。
自分の肩に置かれた、同じように震えているかずさの右手を、左手で握りしめながら。
動画ファイルが再生される。
画面の中には、……雪菜がいた。
雪菜は、アコースティック・ギターを抱えて、画面の向こう側で、しかめっつらをしていた。まるで、そこにいるはずの、かずさと春希を睨むように。
かずさの手に力が入り、指先が春希の肩に食い込んだ。
「頑張れ、雪菜。特訓の成果、存分に見せてやれ」
春希の旧知の親友、いや親友であった水沢依緒の明るい声が聞こえた。
「ついでに、今の自分のことも、存分にな」
そして、もう一人の春希の旧知の親友、いや親友であった飯塚武也の落ち着いた声が聞こえた。
雪菜の親友である柳原朋のツンデレな声。
雪菜の弟の孝宏の明るい声も聞こえた。
「うん、ありがと。
それじゃ……、『Powder Snow』」
そう言って、雪菜は、ギターをつま弾きながら、歌いだす。
春希の目は大きく開かれて、雪菜を見つめた。
雪菜の腕に抱かれた、自分の持っていた、その安物のギターを見つめた。
�燿� I still love you��
「Wie geht es dir? Ich singe immer noch」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
かずさと春希は、何もかも捨てて、日本を去った。
ハイリゲンシュタットに居を定めて、二年間。
春希との生活の中で、かずさは、ゆっくりと愛に育まれていった。
春希に守られ、より深く、音楽に向かえるようになった。
もともと、技術は世界最高レベルにあった。ピアノを弾く才能というものが存在するならば、かずさは、音楽神ミューズと母親の双方から、それを十二分に与えられていた。
それに加えて、以前にも増した情熱的なアプローチと、深い叙情と、作曲者の意図を深く洞察する力が備わった。
母親の名前から独り立ちして、ヨーロッパで活動していくための手応えを感じていた。
春希は、冬馬曜子オフィス欧州支部のマネージャーとして、かずさを脅かそうとする外部の雑音の全てを排除し、彼女を必死に守ってきた。
仕事は派手に見えるが、実際は、二人の絆だけを信じて、静かに暮らしてきた。
春希の手料理と甘い口喧嘩、お互いの体温を感じて過ごす夜、そして熱い吐息と抱擁。
かずさも春希も、お互いの仕事に自信を掴み、お互いの愛に深い信頼を感じていた。
�爐覆里法△匹Δ靴董△海Δ覆辰討靴泙Δ鵑澄帖牒�
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
……最初は、取り繕えた。
「あいつ、笑ってたな」と、かずさが切り出す。
「ああ。笑ってた」と、春希が返す。
「部長も、水沢も、笑ってたな」
「ああ。みんな、元気そうだった」
「雪菜が、元気そうで、良かった……」
かずさは、改めて彼女の名前を口にした。
…………。
一週間前のヴァレンタイン・デー。
去年と同じように、春希は一番小さなホールのケーキを買って帰った。
何時もとは違う、口数の少ない夜だった。
二人は「おめでとう」とだけ言い、またそれを、三つに切り分けて食べた。
その瞬間でさえ、二人は、その日に誕生日を迎えたはずの、その人の名前を呼ぶことができなかった。
ちょっとビターなショコラ・ケーキを、静かに食べることしかできなかった。
…………。
「そう、だな……」
二人は雪菜の健康を喜んだ。そのことに、偽りはなかった。本当に安心した。
だが、その安心もつかの間、二人の心には、波紋が広がった。
「あたし、春希に『Powder Snow』の話、したことあったっけ」
「いや」
「あたしにとって、『Powder Snow』は、あたしのための歌なんだ。
三人で温泉に行ったクリスマス、雪の中で転げ回った時の楽しそうな春希。
三人で温泉に浸かって、何度か触れてしまった、春希の背中。
御宿郵便局前の路上で、春希とキスをしたこと。
卒業の日、雪の降る夜に、春希に見つけられて、愛しい傷をつけられたこと。
……母さんと二人、ウィーンで暮らしていた頃、ふと寂しい気持ちになった時や、粉雪が舞い落ちる日に、お前とのことを思い出しては、時々一人で『Powder Snow』を歌ってたんだ」
「そう、だったのか」
「……あたしは理奈派だからな」
かずさの、目が涙ぐんでる。
「そう、だったな」
そして、��I still love you�瓩伐里�時、空港でお前と別れた時のことを思い出して、きまって泣いてしまうんだ。
今更、痛い話だけど、な」
「…………」
「そんな時は、少なくはなかったんだ」
「かずさ……」
より強く抱きしめようとした瞬間、かずさの右手が春希の胸をトン、と打つ。
「その歌を、何故、今、雪菜が歌うんだ？」
…………。
かずさは知らない。
二年前の2月、かずさと決別した直後、雪菜の身に起こったことを。
ボロボロになりながら、降ってきた雪に誘われるように『Powder Snow』を歌っていたことを。
…………。
「あたしは、春希から離れて暮らしていた五年の間、あんな風に笑うことは、一回もできなかった。大切な仲間に囲まれて、誕生日を祝ってもらったり、あんなに暖かい声で歌うこともできなかった」
かずさの心の中に、苦い想いが広がる。
一方、春希の心の中にも、有海での、雪菜との別れの情景が思い出される。どう観ても体調が悪そうな雪菜を有海に置き去りにした、自分の非道の記憶とともに。
「それに、『I Still Love You』って、春希に向かって言ってるのか。
ドイツ語で話しかけて来たって、どういうことなんだ？」
「…………」
「雪菜は、春希に会い来るつもりじゃないのか？」
情けない声で、かずさはつぶやく。
「……分からない」
雪菜がどういうつもりなのか、春希は本当に分からなかった。
思い出すことが辛い、雪菜との別れの作業。
壊れて行く雪菜を見ながら、雪菜への想いを抉(えぐ)り取った。かずさ以外の全てを捨てて、ここまで逃げてきた。
……そんな自分に、以前と変らない笑顔を見せてくれた雪菜。
だが、雪菜はどのように、傷を癒したのだろうか。
それとも、必死になって、癒えた振りをしているのだろうか。
彼女の家族や、友達（自分がそう呼んで良いのなら……）の笑い声は、本物なのだろうか。
かずさは自分の過去を想い、春希は雪菜の過去を想う。
寄り添う二人の心に、異なる想いが抱かれた。
春希のことに関しては、極めて敏感なかずさが、春希の瞳の中から、違和感を探し出す。
「あたしは、……あたしは、どうしたら良いんだ？
ダメだよ……。あたしは会えないよ。無理だ。
あたしは何も変わっちゃいない。
あんな風には、笑えないよ。
雪菜を壊しちゃったあたしが、どの面下げて、もう一度、あいつに会えっていうの……。
無理だよ」
かずさの声が震えた。
春希は、何も言えない。言える言葉がなかった。ウィーンに来て以来、全て隠さず、かずさに本心を伝えてきた。
だが、今、雪菜に対する複雑な感情を、安易にかずさに伝える訳にはいかなかった。
後悔はある。でも、未練はない。
ただ、自分が犯した罪に対して、相応の罰を受けていなかった自分の呪わしさを受け止めた時、それをそのまま、かずさに伝えることはできない。
ウィーンに来て以来、こんなに取り乱したかずさを見るのは始めてだった。
春希は、不安に震えるかずさを、無言で抱いてやる以外、成す術を知らなかった。
だが、春希は、すぐ後悔することになる。
問題を先送りして、雪菜のことを、かずさと深く話し合わなかった、その夜の対応が、さらに深く、かずさを戸惑わせてしまったことについて。
目次 ／ 前回 ／ 続き
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だが、担当者が代わったのか、ウィーンを拠点にして以来の通常対応、つまり直接インタビューは受けない、ということを、なかなか理解してもらえず、ついつい長電話になってしまった。
……正確に言えば、かずさの適当な受け答えを春希が微に入り細に入り校正するものだから、ついには「勝手にやっとけ」と、全て丸投げされるようになっただけなのだが。
二人の寝室兼仕事部屋の窓から、遠くにウィーンの夜景が見える。
ドナウ川の水面に映える、明かりが揺れている。
「……ごめん、起こしちゃったか」
「起きたくて、起きただけ」
それから、お定まりの痴話喧嘩。「公演が近いからベッドで早く寝ろ」「ベッドの中で仕事するなら寝る」「お前、悪戯するから仕事にならないだろ」「一緒にベッドにいたら、我慢できないよ」……等々。
いつもの夜なら、マネージャーの方が根負けして、ベッドの中で愛する夫に変身するのがお定まりだった。
だから、その夜は例外だったのだ。
�爛廛襯襯覘�
冬馬曜子からのメールが、春希のパソコンに受信された。
北海道での講演旅行や、ウニとイクラとカニとホタテに関する長い長いおちゃらけた近況報告の最後に、そのURLは唐突に貼られていた。その最後の拡張子は、それが一塊のデータファイルであることを示していた。
春希はURLをクリックし、ファイルをダウンロードした。
そして、リンク先から数行空けた下に書かれた、曜子からのメッセージを発見した。
「もう二年にもなるし、そろそろかと思ってね。
小木曽雪菜さんの、こと。
あの後の、彼女のこと」
「雪菜……？」
かずさが、封印していたその名を呼んだ。
「…………」
春希が、息を飲んだ。
「あなたたちにとって、いずれは受け止めなければならないことだから。
覚悟して、確かめなさい」
「開く、ぞ」
「う、ん」
春希は、震える右手で、そのファイルにカーソルを合わせる。
自分の肩に置かれた、同じように震えているかずさの右手を、左手で握りしめながら。
動画ファイルが再生される。
画面の中には、……雪菜がいた。
雪菜は、アコースティック・ギターを抱えて、画面の向こう側で、しかめっつらをしていた。まるで、そこにいるはずの、かずさと春希を睨むように。
かずさの手に力が入り、指先が春希の肩に食い込んだ。
「頑張れ、雪菜。特訓の成果、存分に見せてやれ」
春希の旧知の親友、いや親友であった水沢依緒の明るい声が聞こえた。
「ついでに、今の自分のことも、存分にな」
そして、もう一人の春希の旧知の親友、いや親友であった飯塚武也の落ち着いた声が聞こえた。
雪菜の親友である柳原朋のツンデレな声。
雪菜の弟の孝宏の明るい声も聞こえた。
「うん、ありがと。
それじゃ……、『Powder Snow』」
そう言って、雪菜は、ギターをつま弾きながら、歌いだす。
春希の目は大きく開かれて、雪菜を見つめた。
雪菜の腕に抱かれた、自分の持っていた、その安物のギターを見つめた。
�燿� I still love you��
「Wie geht es dir? Ich singe immer noch」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
かずさと春希は、何もかも捨てて、日本を去った。
ハイリゲンシュタットに居を定めて、二年間。
春希との生活の中で、かずさは、ゆっくりと愛に育まれていった。
春希に守られ、より深く、音楽に向かえるようになった。
もともと、技術は世界最高レベルにあった。ピアノを弾く才能というものが存在するならば、かずさは、音楽神ミューズと母親の双方から、それを十二分に与えられていた。
それに加えて、以前にも増した情熱的なアプローチと、深い叙情と、作曲者の意図を深く洞察する力が備わった。
母親の名前から独り立ちして、ヨーロッパで活動していくための手応えを感じていた。
春希は、冬馬曜子オフィス欧州支部のマネージャーとして、かずさを脅かそうとする外部の雑音の全てを排除し、彼女を必死に守ってきた。
仕事は派手に見えるが、実際は、二人の絆だけを信じて、静かに暮らしてきた。
春希の手料理と甘い口喧嘩、お互いの体温を感じて過ごす夜、そして熱い吐息と抱擁。
かずさも春希も、お互いの仕事に自信を掴み、お互いの愛に深い信頼を感じていた。
�爐覆里法△匹Δ靴董△海Δ覆辰討靴泙Δ鵑澄帖牒�
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
……最初は、取り繕えた。
「あいつ、笑ってたな」と、かずさが切り出す。
「ああ。笑ってた」と、春希が返す。
「部長も、水沢も、笑ってたな」
「ああ。みんな、元気そうだった」
「雪菜が、元気そうで、良かった……」
かずさは、改めて彼女の名前を口にした。
…………。
一週間前のヴァレンタイン・デー。
去年と同じように、春希は一番小さなホールのケーキを買って帰った。
何時もとは違う、口数の少ない夜だった。
二人は「おめでとう」とだけ言い、またそれを、三つに切り分けて食べた。
その瞬間でさえ、二人は、その日に誕生日を迎えたはずの、その人の名前を呼ぶことができなかった。
ちょっとビターなショコラ・ケーキを、静かに食べることしかできなかった。
…………。
「そう、だな……」
二人は雪菜の健康を喜んだ。そのことに、偽りはなかった。本当に安心した。
だが、その安心もつかの間、二人の心には、波紋が広がった。
「あたし、春希に『Powder Snow』の話、したことあったっけ」
「いや」
「あたしにとって、『Powder Snow』は、あたしのための歌なんだ。
三人で温泉に行ったクリスマス、雪の中で転げ回った時の楽しそうな春希。
三人で温泉に浸かって、何度か触れてしまった、春希の背中。
御宿郵便局前の路上で、春希とキスをしたこと。
卒業の日、雪の降る夜に、春希に見つけられて、愛しい傷をつけられたこと。
……母さんと二人、ウィーンで暮らしていた頃、ふと寂しい気持ちになった時や、粉雪が舞い落ちる日に、お前とのことを思い出しては、時々一人で『Powder Snow』を歌ってたんだ」
「そう、だったのか」
「……あたしは理奈派だからな」
かずさの、目が涙ぐんでる。
「そう、だったな」
そして、��I still love you�瓩伐里�時、空港でお前と別れた時のことを思い出して、きまって泣いてしまうんだ。
今更、痛い話だけど、な」
「…………」
「そんな時は、少なくはなかったんだ」
「かずさ……」
より強く抱きしめようとした瞬間、かずさの右手が春希の胸をトン、と打つ。
「その歌を、何故、今、雪菜が歌うんだ？」
…………。
かずさは知らない。
二年前の2月、かずさと決別した直後、雪菜の身に起こったことを。
ボロボロになりながら、降ってきた雪に誘われるように『Powder Snow』を歌っていたことを。
…………。
「あたしは、春希から離れて暮らしていた五年の間、あんな風に笑うことは、一回もできなかった。大切な仲間に囲まれて、誕生日を祝ってもらったり、あんなに暖かい声で歌うこともできなかった」
かずさの心の中に、苦い想いが広がる。
一方、春希の心の中にも、有海での、雪菜との別れの情景が思い出される。どう観ても体調が悪そうな雪菜を有海に置き去りにした、自分の非道の記憶とともに。
「それに、『I Still Love You』って、春希に向かって言ってるのか。
ドイツ語で話しかけて来たって、どういうことなんだ？」
「…………」
「雪菜は、春希に会い来るつもりじゃないのか？」
情けない声で、かずさはつぶやく。
「……分からない」
雪菜がどういうつもりなのか、春希は本当に分からなかった。
思い出すことが辛い、雪菜との別れの作業。
壊れて行く雪菜を見ながら、雪菜への想いを抉(えぐ)り取った。かずさ以外の全てを捨てて、ここまで逃げてきた。
……そんな自分に、以前と変らない笑顔を見せてくれた雪菜。
だが、雪菜はどのように、傷を癒したのだろうか。
それとも、必死になって、癒えた振りをしているのだろうか。
彼女の家族や、友達（自分がそう呼んで良いのなら……）の笑い声は、本物なのだろうか。
かずさは自分の過去を想い、春希は雪菜の過去を想う。
寄り添う二人の心に、異なる想いが抱かれた。
春希のことに関しては、極めて敏感なかずさが、春希の瞳の中から、違和感を探し出す。
「あたしは、……あたしは、どうしたら良いんだ？
ダメだよ……。あたしは会えないよ。無理だ。
あたしは何も変わっちゃいない。
あんな風には、笑えないよ。
雪菜を壊しちゃったあたしが、どの面下げて、もう一度、あいつに会えっていうの……。
無理だよ」
かずさの声が震えた。
春希は、何も言えない。言える言葉がなかった。ウィーンに来て以来、全て隠さず、かずさに本心を伝えてきた。
だが、今、雪菜に対する複雑な感情を、安易にかずさに伝える訳にはいかなかった。
後悔はある。でも、未練はない。
ただ、自分が犯した罪に対して、相応の罰を受けていなかった自分の呪わしさを受け止めた時、それをそのまま、かずさに伝えることはできない。
ウィーンに来て以来、こんなに取り乱したかずさを見るのは始めてだった。
春希は、不安に震えるかずさを、無言で抱いてやる以外、成す術を知らなかった。
だが、春希は、すぐ後悔することになる。
問題を先送りして、雪菜のことを、かずさと深く話し合わなかった、その夜の対応が、さらに深く、かずさを戸惑わせてしまったことについて。
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