「これで全部、終わりか。」
「――ああ……行きはな。とりあえず、ご苦労様。」
「――あたしは、何にも、しちゃいないけどな。」
「……まあ、子どもたちのお守り、ってことで――で、子どもたちは?」
「下で、あたしの車の中で、待ってるよ。」
 引っ越しトラックが去って、がらんとしたマンションを見渡して、春希とかずさは顔を見合わせた。
「こうなってみると、広いな。」
「――ああ……四人で暮らしてるときは、狭苦しくて仕方なかったんだけどな……それでも二人して必死で、家賃払ってたんだ――でももう、子どもたちが小学校に上がったら限界だな、って話し合ってた。で、そろそろ持ち家を購入しようか、って話も持ち上がってた。マンションにするか一戸建てにするか、無理してこの辺にするか、思い切って田舎に広い家を買うか――二世帯住宅なんて話も出たな……。」
 少しばかり遠い目をして話す春希に、かずさは、急に切なくなって、
「さあ、急ごう。引越し屋さんより先に、あたしんちについとかないと。子どもたちもしびれを切らしてるぞ。」
と促した。
「――ああ……。」

 最初は「あわてずにゆっくり」などと言っていたが、5月、ふとした拍子に二人が結ばれてからは、意外なまでにとんとん拍子にことは運んだ。二人とも忙しい身だからと(かつかずさの不調法を考慮に入れれば)、引っ越しの雑務も、思い切って金を使って業者に任せてしまえば、何ということはなかった。子どもたちの学校・保育園にしても、移動距離にして一、二駅程度でしかない引っ越しなので、当面は転校なしでしのぐことに決めた(雪音が小学校に上がる折に、春華の学校についてはまた考え直すことにした)ので、ややこしい手続きも必要なかった。つまりは、賃貸マンションを解約し、区役所に婚姻届と、住所変更届を出すだけの話だった。
 肝心の結婚式も、ごくごく内々で、ささやかに済ますことにした。かずさが有名人であること、しかしかずさ本人は基本的に人見知りであることに鑑みれば、むしろそちらが正解だった。そこで、ややせわしないが6月、孝宏と亜子の式の翌週の土曜日に、近所の教会にお願いして式を挙げ、夕方、新居となる予定の冬馬邸で、曜子お勧めの名店にケータリングを依頼してのパーティーを開くことにした。そうすることで橋本健二の、そしてとりわけ春希の上司、風岡麻理の渡米に間に合わせることが可能となった。
 そんなわけだから式も披露宴も、気心の知れた身内だけのものとなった。北原・冬馬両家の関係者を除けば、以前「〈親子のための〉コンサート」打ち上げに参集した面々、ママパパに子どもたち、飯塚夫妻に橋本健二、柳原朋に小木曽家の皆さんの他には、高柳教授をはじめとしたメディカル・ケア関係者、「マダム」シモーヌ、冬馬オフィスの工藤美代子、ナイツレコードの「冬馬番」澤口女史に、開桜社の春希の同僚たち――それに加えて春希の「担当」杉浦小春と、瀬之内晶=和泉千晶が招待されていた。
 北原家の関係者も、子どもたちと春希の母だけであり、岡山の本家からは相変わらず誰も来ない。冬馬家の方も、曜子には今となっては一人娘のかずさの他は係累もない。だから、にぎにぎしい大イベントとなった春希と雪菜の結婚式に比べれば、何とも地味でひっそりした、その分アットホームな宴となった。メディアにも、翌日新聞その他の隅っこにひっそりと「ピアニスト冬馬かずささん結婚 お相手は雑誌記者」と報じられただけだった。目端の利いたやつがいれば瀬之内晶の新作「時の魔法」に絡めて、面白おかしいゴシップ記事の一つや二つ作れたはずだが、とりあえずは何もなかった。
 だからその日のかずさの白いシンプルなドレス姿と、はにかんだ笑顔は、関係者の記憶とファイルに収められただけで、公けにはなっていない。
 ちなみにハネムーンは、とりあえずはなし。その夜は、子どもたちともども、まだ引越し前の冬馬邸に泊まっただけ。しかも夜遅くなり、後片付け等々でくたびれ果てたために、形式上はその夜こそが「初夜」だというのに、セックスせずに二人とも泥のように眠ってしまう始末だった。

 そしてその一週間後の今日、春希と二人の子どもは、雪菜との思い出が詰まったマンションを後にして、冬馬邸でかずさ、そして曜子とともに本格的に新生活を始める。大切なものは思い出も含めてみんな持っていくが、それでも、この部屋そのものは、持っていけない。
 駐車場から最後にもう一度、春希はマンションを振り仰いだ。隣近所へのご挨拶はもうとうに済ませている。それでも春希は、最後に一言、
「さようなら、ありがとう。」
と言わずにはいられなかった。かずさはそれを運転席から、泣きそうな顔で見つめていた。

 だからこそ、冬馬邸に一同がついたとき、車を降りて門の前にそろった三人に、かずさは芝居がかったしぐさとともにこう言わずにはいられなかった。
「ようこそ、お帰りなさい――。」
 玄関先には曜子も出てきて、手を振って迎えてくれた。

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 エピローグ前の箸休めです。次のエピソードで本編は終わり、あとは気が向いたら後日談など。多分エピローグ自体、一種の後日談ですが。





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このページへのコメント

柴田さん夫妻、、、絡めて欲しいような?

0
Posted by のむら。 2016年09月21日(水) 09:46:31 返信

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