『……軽音楽同好会、入らない?学園祭、出るんだけど、ボーカルがいなくて』
『俺は絶対に小木曽から離れていったりしない!』

 屋上で、自分の歌声を求めてくれたのも。
 恥ずかしくて内緒にしていた、偽りの自分を生み出したきっかけとなった過去を語った時に約束してくれたのも。

『どうして……俺を責めないんだよ』
『こんな酷いことされて……どうして何も言わないんだよ。
 お人よしにも程があるだろ……』
『冬馬ぁぁぁっ!』

 自分ではない他の女の子に、既に気持ちが向いていたのも。
 目の前で、自分ではないその女の子にまっしぐらに向かっていったのも。

『それなのに俺……やっぱり雪菜が大好きだから』
『だって……俺が一番好きな人は、俺の前で、楽しそうに歌う雪菜だから』

 大晦日に、それでも自分を好きだと打ち明けてくれたのも。
 バレンタインコンサートで、失っていた歌と笑顔を取り戻してくれたのも。

『今、俺の腕の中にいる雪菜が、世界で一番好きな女の子に、なりました』
『大丈夫だよ、雪菜……。俺たちはもう、大丈夫なんだよ』
『これからは、何があっても受け止めるから。雪菜のこと、離さないから』

 誕生日に、身も心も愛し合ったのも。
 帰る日の夜明けに、安らぎをくれたのも。

『誰よりも、世界で一番愛してる。
 俺が“愛してる”って言える人は、もうこの先、雪菜しかいない』
『ずっと一緒にいてください』
『結婚してください』

 三人が三人に戻れた時に、愛してると言ってくれたのも。
 その後に、プロポーズしてくれたのも。

『俺と、幸せになろう……?絶対、幸せにしてみせるからさ』
『俺の命を捧げます。……自由に使ってください』

 ありとあらゆるワガママを受け入れてくれたのも。
 そして、それを受けてくれる勇気を見せてくれたのも。

 ――春希くん。

 机に突っ伏したまま、雪菜は思いに耽っていた。
 思い浮かぶのは、かつて自分に投げかけてくれた春希の言葉。
 春希と過ごした、あらゆる思い出。
 誰に言われるまでもなく、自分が一番よく分かっていた。
 ……自分が春希を、どれだけ愛しているのかを。
 春希と出会ってから。付き合い始めてからも。裏切られても。
 空白の三年間も。結ばれてからの時間も。
 ずっと雪菜の心の中は、春希のことばかりだったのだから。

 ――やっぱり、わたしには春希くんしかいない。

 雪菜にとってとても当たり前の結論に辿り着くのに、時間は掛からなかった。

 ――春希くんと、話し合おう。自分の気持ちと、向き合おう。

 そう思い立って、雪菜は立ち上がった。

「……ん?」





 ……春希は、疲れ果てていた。
 結局、長野くんだりまで行って指輪を探したが、徒労に終わってしまった。
 肉体的にも、精神的にも、ボロボロになっていたのだ。

「はあぁっ……」

 御宿で乗り換え、南末次に着く頃には、空腹と寝不足でフラフラだった。
 それでもかずさの取材の名目である程度の自由が効くのは幸いだった。

 ――こればっかりはかずさに感謝するか。

 冬馬親子には、既に口裏を合わせてもらうように頼んである。
 公私混同も甚だしいのは承知の上だが、今は勘弁してもらおう……と、普段の春希からは決して出てこない結論ではあったが。
 自分でも気付かないうちに、そうとう参っているようである。

「ただいま……、……?」

 自宅マンションに着いて鍵を開け、部屋の中に入ると、何故か電気が付いていた。
 それに心なしか、何だかいい香りがする。
 電気を消し忘れたか、それとも……。

「あ、お帰りなさい」
「え……?」

 テーブルには夕飯の支度が整っていて、エプロンを掛けた雪菜が台所からお盆にご飯と味噌汁を乗せて入ってきた。

「せ、雪菜……」
「お疲れさま、お腹空いたでしょう?」

 雪菜は話している間にもご飯と味噌汁、お箸や調味料などをテーブルに並べる。

「え、どうして……?」
「さあ春希くん、冷めないうちに食べちゃおう」
「で、でも、一体」
「まあまあ、今は食べよう?春希くん疲れてるんだし」
「あ、ああ」

 訳が分からないままに雪菜に促され、春希は食事を始めた。





「……ごちそうさまでした」

 雪菜が終始にこやかなまま食事が済み、それが却って春希を落ち着かせない。
 この間孝宏達からある程度話が出ていたが、そうだとすると今の雪菜の様子はどう考えても当てはまらない。
 こうなったら、覚悟を決めて聞くしかない。そう考えて春希は雪菜に尋ねた。

「なあ雪菜、今日はどうしたんだ?」
「うん?」
「いや、今日ここに来たのって何かあったのかなって」
「ああ、そうだね。あると言えばあるかな」
「そうか。で、何かな?」
「一つは、かずさの件」

 言葉の端から生じた疑問が浮かんだが、それはひとまず置いておくことにして、雪菜の質問に答えようとした。
 しかし今の段階で、どこまで話していいのかが読めない。

「あ、えと……」
「ああ、じゃあこう聞くね。かずさと探してた、指輪の件」

 まさか雪菜の方から出てくると思っていなかったので、春希は目を丸くしてしまった。

「え……知ってたのか?」
「うん。今日会社にかずさが来てね」

 春希は首を振りながら一つ溜息を吐き、改めて雪菜に向き直った。

「……かずさから、どこまで聞いてる?」
「春希くんがなくした指輪を探してるってことだけ。
 そのためにこの間わたしたちが泊まったホテルに二人で探しに行ったことも聞いた」
「そうか。そこまで聞いてるんだ」
「ごめんね。わたしすっかり気が動転しちゃって」
「いや、俺が軽率だったんだ。雪菜のこと思えばもっと深く考えて行動しなくちゃいけなかったんだ」
「ううん、それだけ春希くんがわたしを信じてるってことだもん」
「雪菜……」

 一呼吸置いて、雪菜は春希を見詰め、ふと寂しげな瞳で続ける。

「でもね、やっぱりわたしに話してもらいたかったよ。
 春希くんの気持ちは分かるけど、内緒にされるのはやっぱり嫌だもん」

『「仲間外れがこんなにも怖い」ってことまで思い出させるなんて酷いよ……』

「……そうだったな。ごめん」
「じゃあこの話はひとまずお終いってことで、もう一つの話」
「……もう一つ?」
「わたしね、春希くんが落としたものを届けに来たんだ」

 そう言いながら雪菜は鞄の中からごそごそと荷物を弄り、一つの小さな箱を取り出した。

「俺の、落し物?」
「うん。この間ね」

 そして、雪菜がその箱を春希の方に向けて開けると……。

「あっ……それは」
「どう?間違いない?」
「雪菜、これは」
「大丈夫。わたしはまだ中は見てないよ」
「え?どうして」
「だってこれは春希くんの落とし物だから。わたしが勝手に見ちゃダメでしょう?」

 箱の形と雰囲気で、雪菜には何かが分かっているのは間違いないのに、あえて中を見ていない。春希は申し訳なさで一杯だった。

「でも、それは、どこで」
「わたしの部屋」
「ええっ!?」
「ほら、この間わたしの部屋に来た時。
 春希くん、電話の最中に自分の鞄に躓いて転んで、鞄の中身ばら撒いちゃったじゃない」
「ああっ!?あの時!?」

 そうだった。浜田からの電話中に躓いて鞄の中身が散乱して……。

「じゃああの時、書類や筆記具と一緒に、指輪も……」
「みたいだね。わたしの部屋の机とベッドの間の隙間に落ちてたんだよ」
「そ、そうだったのか……」

 指輪が見付かった安堵と脱力感で、春希は全身の力が一気に抜けていくのが感じられた。
 へなへなと体が崩れ、テーブルに肘をついて辛うじて身体を支える。

「よかったね。見付かって」
「はぁっ……ほんっとうにごめん!」
「だからぁ、謝らなくていいんだって」
「だって、このせいで皆にも、雪菜にも迷惑掛けちゃったし」
「わたしはいいけど、皆にはちゃんと謝らないとね」
「ああ、そうだな。また皆を引っ掻き回したからな」

 春希は体を起こし、背筋を伸ばして雪菜と向かい合う。

「じゃあ雪菜、そのまま受け取ってくれ」
「それはダメ」

 しかし、雪菜は拒絶した。春希はいきなり地獄へ突き落されたような感覚に支配される。

「ど、どうして……」
「だって……」
「や、やっぱり、そうなのか?俺が、内緒にしたのがいけないのか?
 それとも、かずさとのこと、許してくれないのか……?」

 雪菜の拒絶の行為が、春希の中でどんどん悪い流れを生み出し、それがさらなる拍車となって春希を押し流していく。
 雪菜は沈んだ表情で春希を見詰め、そして……。

「だって言ったじゃない。わたしは春希くんが落としたものを届けに来たんだって」
「え……?」

 悪戯がばれたような可愛らしい笑顔で春希に向かって微笑んだ。

「春希くんだって、人の落とし物を拾ったら持ち主に届けるでしょう?」
「あ……」
「わたしも、春希くんの落とし物を届けに来たの。
 だからこれは、まずは春希くんに返さなくちゃダメじゃない」
「え……ええっ?」

 そこで、ようやく春希は今までのやりとりが雪菜の悪戯だと気付き、呆気にとられた顔をした。

「返した後は、春希くんの好きにすればいいよ。自分で持って置くなり、誰かにあげるなり、ね」
「あ……」

 そして雪菜は、指輪の入った箱を春希に差し出す。

「じゃあ、これは春希くんに返します」
「雪菜。落し物、拾ってくれてありがとう」

 春希はそれを受け取り、その存在を確かめるように一度しっかり両手で包み込むように握りしめてから、雪菜の方に向けて箱の蓋を開けた。

「じゃあ改めて。雪菜、俺からの婚約指輪、受け取ってくれますか?」
「……はい」

 雪菜は箱から取ろうとして、でもそこで制止してから。

「ねえ……春希くん」
「何?」
「春希くんが……付けてくれますか?」
「……ああ」

 そして雪菜の左手を取り、薬指に……。

「あ……」
「そうだ、この指輪」

 そこには、かつて春希がプレゼントした指輪が。

「……どうしようか、こっちの指輪は」
「そうだね。どうしようか?」
「まあ、古い指輪だし、何なら捨てちゃっても」
「ダメだよ。春希くんからもらった指輪を捨てるなんて」
「でも、そっちを付けっぱなしって訳にも」

 折角婚約指輪を受け取るという瀬戸際で、相変わらずぐだぐだになってしまう二人である。

「ねえ春希くん、この指輪を買ったお店って何処にあるの?」
「前の方の?それなら御宿だけど」
「じゃあさ、今度二人で行こう?この指輪を加工してもらいたいんだ」
「どうするんだ?」
「それは行ってからのお楽しみ」

 雪菜はまだつけたままの前の指輪を包み込むように左手を包み、うっとりとした表情で瞳を閉じた。

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