第7話 




5-5 春希 カジュアル衣料店 1/7 金曜日 15時前



麻理さんに連れられ、麻理さんのマンションからほど近いカジュアル衣料店に来ていた。
お金を節約したい学生としては、無駄な出費は抑えたい。
だからといって、安くても2度と着ないような服は買いたくない。
それを考慮して連れてきてくれた結果がここというわけだ。

麻理「これなんか似合うんじゃないか?」

春希「そうですか? あ、ちょっと待ってくださいよ。」

北原に似合う服を見繕ってやると宣言され、今や俺は、麻理さん専用のマネキンに
任命されてしまった。
俺に服をあてては真剣に悩む麻理さんは、仕事場とは違った無邪気さをはっきしていて、
かわいく思えてしまう。

麻理「私のセンス疑ってるんだろ?
   私がスーツしか着てないなんて思ってないだろうな。」

春希「思ってませんよ。今着ている服だって、とても似合ってて綺麗ですよ。」

麻理「そうか? だったら、よし。」

麻理さんは、鏡で自分の服を確認し、両手で小さくガッツポーズなんてするものだから、
あまりにもおかしくて、あまりにも愛らしい。
かずさへの想いを最優先にするなんて言っておきながら、
目の前の麻理さんといることに喜びを感じてしまうなんて、
俺って薄情だなと思いながらも、麻理さんに再び夢中になりかけていた。

散々とっかえひっかえ着せかえられ、1時間かけてようやく麻理さんが
納得するコーディネートが完成される。
寝まくって睡眠不足は解消されたが食事がまだの俺には、少々きつかった。
しかし、楽しそうなはしゃぐ麻理さんを見ていたいという気持ちが勝り、
俺も時間が過ぎ去るのが気にならなかった。

麻理「こんなものかな。どうだ、北原? 私もやるもんだろ?」

俺と服とを繰り返し見て、自慢げに訴える。

春希「ありがとうございます。あともう一つ買いたいものがあるので、
   ちょっと待っててもらえませんか?」

麻理「なんだ北原。ここまでやったんだ。最後まで私が見てやろう。」

早く案内しろと訴えてくるが、俺はその場を離れることができなかった。
なにせ、欲しいのは下着だし・・・・。
そんな俺の気持ちを察してくれるわけもなく、なかなか動こうとしない俺に
業を煮やして、ついには俺の腕を引っ張っていこうとする始末。
これ以上ここで押し問答をしても解決するわけもないので
麻理さんがどんな反応をするか予想がつくけど、
ストレートに俺が欲しいものを伝えよう。

春希「麻理さん!」

意を決した俺の声は、勇気を振り絞って声を出してしまったため、
大きくなってしまう。
そんな俺を見て、麻理さんは、きょとんとして俺を見つめかえす。
この人は、本当に気がついてない。
平日の昼間ということもあって店内には客は少ないが、注目されてしまったのは事実。
どうしたものか・・・・・。

春希「麻理さん、ちょっと。」

麻理さんの手を引っ張り、人がいない場所に移動する。
訳も分からず連れて行かれた麻理さんは、頬を染めながらも困惑気味であった。

麻理「北原、どうしたっていうんだ。」

春希「大声出してしまって、申し訳ありませんでした。
   それで、俺が買おうとしている品なんですが・・・・。」

麻理さんの耳元に寄り、小声でささやく。

春希「下着が欲しいんです。」

お互い密談しているというシチュエーションもあって、照れてしまうが、
俺の発言を理解した麻理さんは、俺の比ではない。
麻理さんは、その場でフリーズするも、風呂場での一件でわずかな耐性ができたらしく、
すぐさま再起動を開始できたようだ。

麻理「察してやれなくて、悪かった。・・・・・外で待ってるから。」

春希「はい。支払いを済ませた後、すぐ行きます。」

俺の返事も聞き終わらないうちに、麻理さんは、なぜかロボットのような歩行で
駆け去って行く。
いまどきの中学生でも、もっと落ち着いた対応できるはずなのに、
恋愛に大きなブランクがあるとここまで退化するのかなと、ほほえましく思えた。
人のこと言えないのが痛いけど。









5-6 かずさ 冬馬邸 1/7 金曜日 14時頃





曜子は、自分の食事をとることもなく、かずさの気持ちが落ち着くのを待っている。
話しかけることも、かずさを見つめることもせず、
ただかずさに背を向けて窓の外を眺めていた。
心地よい日差しが曜子をくるみ、静かな午後が眠気を催そうとしていたが、
ようやく重たい口が開く。

かずさ「作ってくれたんだ。
    学園祭直前、あたしが倒れた時、春希が雑炊作ってくれたんだ。」

かずさの声で瞬間的に覚醒した曜子は、かずさの方に振り向く。
かずさは、春希の幻でも見ているかのように語ってくる。

かずさ「料理へたくそなくせに作ってくれたんだ。
    あいつの料理を食べたのなんて、あれが最初で最後だったけど
    今でも覚えてる。
    すごく美味しいってわけでもないし、全然普通の味だったけど、
    脳が記憶しちゃって、忘れることなんかできやしないんだ。」

ときたまかずさの視線が曜子と重なることがあっても、
かずさの視線の先には曜子はいなかった。
曜子は、自分の方が幻なんじゃないかと錯覚してしまう。

かずさ「優等生のくせに、朝あたしが来ないからって、学校抜け出して
    あたしを探しに来てくれたんだ。
    電話に出なくても、それくらい気にしないでほっとけばいいのに、
    わざわざ来ちゃうんだ。
    風邪で弱ってるあたしに付け込んでくれればよかったのにって
    腹立たしく思ったりもしたけど、そんなことしたら蹴り飛ばしてたかもな。」

曜子「もう少し素直だったらよかったのにね。」

かずさ「母さん? ああ、そうだな。
    もう少し素直で、もっとずる賢かったらって思うこともあるよ。」

かずさが曜子の存在に気がつく。
本当に曜子の存在を忘れていたと分かった曜子は、苦笑いするしかなかった。

曜子「あなたには、ずる賢い女なんて似合わないわよ。
   でも、素直になるのは必要ね。」

かずさは、曜子の提案に深くうなずく。

かずさ「そうだな。あの時、あたしの方から迫って、もし駄目だったとしても
    弱ってたから近くにいたお前にすがってしまったなんて
    計算づくで演じることなんて、あたしには無理だろうからな。
    後になって、あの時ああすればよかったって考えることはできても
    あたしには、それを実行することなんて、この先もできそうにないな。」

曜子「そんな計算づくのあなたなんて、魅力的じゃないわよ。
   きっと春希くんも、そう思ってるんじゃない?」

かずさ「どうだか?」

一通り話すことは話したのか、かずさは口を閉ざし、幻と会話を始める。
その姿が、曜子が見たこともない女の顔をしていて、
同じ女であったとしてもドキリとした。
艶っぽくて、そして、彼に素直に接している姿は、さっきまで素直になれないと
嘆いていた少女だとは思えなかった。

曜子「それで、この先どうするつもりなの?
   なにもしないでウィーンに戻るのは、お勧めできないわ。」

かずさ「母さんに頼みがあるんだ。」

かずさは、幻と別れ、曜子をはっきり見つめて告げた。









5-7 春希 スーパー 1/7 金曜日 16時頃





支払いを済ませ外に向かうと、何もなかったかのように麻理さんは笑顔で俺を
迎えてくれた。
といっても、俺の顔を見ようとはしてくれないけど。
俺も、もし視線が交わってしまったら、どうしたらいいかわからなくなって
しまうと思う。しかも、お互い街の真ん中でフリーズ状態で見つめあってるなんて
考えただけでも恥ずかしかった。

麻理「さあ行くぞ。私がよく行くスーパーで、ワインの取り扱いも豊富なんで
   重宝してるんだ。24時間やってるのも助かる。」

出かける前にキッチンを見てきたが、麻理さんがワインやビールがメインなのは
明白である。麻理さんの需要からすれば、そのスーパーは麻理さんのリクエストに
見事応える店なんだろうと思っていたが、思いのほか、野菜や魚、調味料まで
豊富に取りそろえている。
麻理さん、偏見を持ってごめんなさい。
でも、麻理さんがいうように、酒類の取り扱いも素晴らしく充実してたけど。

春希「麻理さんは、ここのお弁当をよく買うんですか?」

麻理「なんでお弁当限定なんだ? 野菜とか肉とかも、たくさん売ってるだろ?」

麻理さんは心外だという顔を見せ、むくれてしまう。
今日は、いろんな麻理さんの表情を見られる日だなって、嬉しく思っていると、
その表情が馬鹿にしていると感じた麻理さんは、眉間にしわが寄ってきた。

春希「すみません。そんなつもりはなかったんです。」

麻理「そんなつもりってどんなつもりだ?」

春希「それはその・・・・。」

墓穴を掘った俺は、素早く敗戦処理をしなくてはならなく、

春希「ここのスーパーのお弁当美味しそうじゃないですか?
   それに外食ばっかだと飽きるし、それに・・・・・・。」

麻理さんの視線を見ないように顔を背け、本当に言いたかったことを
付け足しのようにつぶやく。

春希「麻理さん、料理全くしていないみたいでしたし・・・・・・。」

麻理「聞こえてるぞ、北原。」

麻理さんは、俺を睨めつけながら、俺が逃げないように腕をからませてきた。
麻理さんの柔らかい感触が俺の腕に押し返されて形を変え、じかに温もりを伝えてくる。
なんで俺はここにいるんだっけ?
そもそも、麻理さんが編集部から戻ってきた時点で、俺が家に帰れば済む話じゃ
なかったのだろうか?
着替えなんか買いに来なくても、電車で帰るくらい我慢できたはず。
現に、今だって服は買っても着替えないでいるし。
俺が難しい顔をしていると、逆に麻理さんの方が気を使って自虐ネタを披露してきた。

麻理「悪かったな。料理できなくて。だから、男にも振られるんだ。
   お前の言う通り、ここのお弁当だって全て制覇してる悲しい女だよ。
   栄養だって偏ってるし、年を重ねるごとに肌の張りだって・・・・・・。」

自虐ネタを演じようとしたら、本当に落ち込みだした麻理さん。
これはやばいと感じた俺は、笑顔を引き出して、フォローに回る。

春希「料理できなくたって、それ以上の魅力が麻理さんにはありますよ。」

麻理「例えば、何があるんだ。」

ぐずった声で、上目遣いで迫ってくるのは反則ですよ、麻理さん。

春希「えっと、仕事ができること。アネゴ肌で面倒見がいいところ。
   先頭きって突っ走る強いところ。・・・とか?」

麻理「それは全部仕事のことじゃないか。」

涙目になって今にも泣きそうになってるのは、
ここが酒コーナーに近いからだからですか。
酒なんか飲んでいないのに、感情の起伏が激しくなってる気がした。
いつもは感情をコントロールして、仕事に徹しているあの麻理さんが、
素顔の風岡麻理を俺に見せてくれてるのか?
それは、大変光栄なことだけど、それって、つまり、そうなんだろうか・・・・・・。

春希「あとはですね・・・・。」

俺の頭に、今日見てきた麻理さんがよぎる。

春希「例え勘違いであっても、大変な時には仕事を放り投げても助けに来てくれる
   ところですかね。それに、普段は熱血漢でクールに仕事してるのに、
   ちょっと抜けてるところがあって、それがなんか見ていてかわいいなって、
   思えてしまうんです。顔を真っ赤にするところなんて、
   中学生かよって言いたくもなるくらい愛らしくて。
   ・・・・えっと、まあ、そんな感じです。」

妙に恥ずかしいことを語ってしまった俺は、最後だけはぶっきらぼうに締めた。

麻理「そうか。」

俯く麻理さんは、まさしく俺が言った中学生そのものだった。
しかし、腕から伝わる感触は、まさしく大人の魅力そのものであって、
大人と少女の魅力を両方兼ね備えた麻理さんは、暴力的な魅力をふるっていた。
俺は、これ以上はまずいと思い、話を切り替える。

春希「そういえば、編集部の方は大丈夫なんですか?
   麻理さんが突然抜けたら、泣き出しそうなメンツがそろってる気も。」

麻理「その辺は大丈夫だ。しっかりと割り振ってきたし。
   それに、普段からこういう時があっても大丈夫なように、鍛えてきたつもりだ。」

春希「それはそうですけど、麻理さんが仕事を抜け出してくるなんて、
   想像できませんでした。」

麻理「それは私自身も驚いてる。この私が嘘をついてまでして
   仕事を放り投げたんだからな。」

春希「すみませんでした。」

麻理「いや、いい。私の勘違いもあったんだし。
   それに、嘘をついたのも私がしでかしたことなんだから。」

春希「麻理さん。」

麻理さんは、本当に後悔なんてしていないって伝えようと、笑いかけてくる。
俺、はそれにどう応えればいいか、わからなかった。

麻理「それで、北原は何を御馳走してくれるんだ?」

もうこれで仕事の話は終わりってことなんだろう。
麻理さんの優しさに素直に乗っかることにしよう。

春希「難しいものじゃなかったら、リクエストにこたえますよ。」

麻理「本当か? う〜ん・・・・。なにがいいかなぁ。」

考えに集中してるせいか、俺に体重を預けてくるせいで、
ますます麻理さんの温もりが伝わってきてしまう。
そんな俺の苦労なんてつゆ知らず、麻理さんは真剣に悩んでいた。

麻理「オムライスがいいな。卵が半熟なやつ。
   これだったら、できるだろ?」

春希「うまく半熟にできるかわかりませんが、オムライスくらいなら作れますよ。」

麻理「よし、決まりだ。そうと決まれば、さっさと買いものを済ますぞ。」

春希「ちょっと待ってください。そんなに引っ張らなくても・・・・。」

元気よくぴょこぴょこ揺れる黒髪を見つめながら後を追う。
普段からは想像もできないはしゃぎようにうれしい戸惑いを覚えていた。

春希「そういえば、麻理さん。」

麻理「なに?」

勢いよく振り向くものだから、組まれていた腕が引っ張られてバランスを
崩しそうになる。

麻理「あっ・・・、すまない。」

春希「大丈夫ですよ。」

麻理「それで、なに?」

謝っておきながら、全然反省しているとは思えない。
笑顔で謝るなんて反則すぎます。
思わず見惚れてしまいました。

春希「あっ、はい。台所を見たところ、フライパンなどの道具は揃ってたんですが、
   調味料とかは全くないですよね?」

麻理「砂糖と塩くらいならあるんじゃないか?」

春希「それだけで、どうやって料理するんですか。」

この人の壊滅的な生活能力にため息が漏れる。
洋服も脱いだまま散らかってたし、俺の周りには、
生活能力がゼロか100かのどちらかに偏っている人物しかしないのではないかって
本気で信じてしまいそうだ。

麻理「あとは、えぇ〜と・・・・・、マスタードとか?」

春希「マスタードをどうやってオムライスに使うんですか?」

麻理「世の中にはいるかもしれないぞ。」

春希「だったら、麻理さんのオムライスにはマスタードを入れますね。」

麻理「北原が、い・じ・め・るぅ」

甘えた声で訴える麻理さんをみていると、
なんか、俺が勝手に作っていた風岡麻理のイメージが壊れていく。
大人の女で、面倒見がいい姐御肌。
仕事に情熱を注ぎ、誰よりも自分の仕事に厳しい。
生活能力はないけど、そのマイナス面でさえ魅力だと感じてしまうほどの安心感。
だけど、今、目の前にいる麻理さんは、そのどれにも該当しなかった。
あまりにも無邪気で、どこまでも愛らしい姿をしている。
そんな風岡麻理の全てを見逃すまいと目が追っていた。

春希「それにしても、フライパンだけじゃなくて、包丁まですごいのそろってますね。
   それほど料理に詳しくなくても、名前を聞けばわかるような高級器具でしたし。」

オレンジ色のホーロー鍋や、有名フライパンセット。
包丁にいたっては、用途別にそろえられた包丁セットだけでなく、
見るからに切れ味が抜群そうな輝きをもつ鋼の日本包丁。
しっかりと製作者の名前まで掘られていて、調べればすぐに名前が出てくるのだろう。
そんな一流器具が新品のまま埃をかぶっていた。

麻理「ああ、あれね。あの部屋に引っ越した時に、佐和子とそろえたのよ。
   使うわけないのに、この部屋だったら似合うだろうって。」

春希「なんとなく想像できます。」

麻理「誉めてないだろ。馬鹿にしているのがまるわかりだぞ」

怒ってないのに怒ったふりをする麻理さんを、ほほえましく思える。
この数日抱えていた溶けない悩みを、優しく包みこんでもらっている気がした。
けっして解決できない悩みを無理やり解決するのではなく、
寄り添って痛みを忘れさせてくれる。
それは依存であって、誉められた対処法ではないのかもしれないけど、
今の俺には必要だって思えた。

結局麻理さんは、レジで会計をするまで腕を離してくれなかった。
俺も、それを指摘することはない。
それにしても、あんなにお腹すいていたのに、
麻理さんがいてくれるだけで空腹感を忘れてしまうなんて、現金なものだな。






5-8 曜子 冬馬邸地下スタジオ 1/7 金曜日 17時頃





曜子「病み上がりに録音しなくてもいいんじゃない?
   練習不足もあるだろうし。」

かずさ「大丈夫。・・・・・今の気持ちを残しておきたいんだ。
    それに、無理言って機材用意してもらった美代子さんにも悪いだろ?」

そう宣言するかずさの顔色は、けっして良いとは思えなかった。
透き通るような白い肌は、今は寒々しいほど白い。
しかし、鍵盤を走り抜けるかずさの指先は、病気だったことを感じさせなかった。
むしろ邪念が抜けた分だけ余計な力が入っていない。
以前、曜子がお色気全開のピアニストと揶揄したことがあったが、
その評価は今も変わっていない。
ただ、一つ変わったことがあるとしたならば、
・・・・・・・・・・・・いや、以前から全く変わってなどいなかった。
かずさは昔も今もまっすぐ北原春希のみを見つめていたのだ。
それを意識して全面的にピアノで表現しているかいないかの違いがあっても、
かずさの本質は変わることなどない。
聴く者によっては不幸の谷底に叩き落とされる音色。
あまりにも純粋すぎる吐息は、人の建前や社会的地位などを崩壊させてしまう。
それほど一途なピアニストを見て、曜子は寒々しいほどの興奮を覚えた。
一方で、母親としては、力になりたいと思う気持ちがわいたが、
それと同時に、女としては、北原春希に強い関心が芽生えた。

曜子「別に今すぐ録音する為に、美代ちゃんを呼んだわけじゃないのよ。
   たまたまスケジュールが空いてただけなんだから。
   それでもあなたやるつもり?」

我ながら建前すぎるセリフを吐くもんだと辟易していたが、
手だけは録音の準備を進めている。
この瞬間のかずさを切り取りたいという願望の方が強かった。
今この場にいられることに感謝さえしている。
コンサートで、身が震えるほどの感動を覚えた演奏に出会ったことはあった。
なんども繰り返されるコンサートであっても、その時その時によって
演奏は微妙に変わってくる。
気候によっても音色は変わるし、奏者の精神状態によっても変わる。
ただ、そんな違いがあっても、何度も繰り返されるコンサートのなかの一回にすぎず、
いずれ感動も薄れていってしまう。
この瞬間でしか聴くことができないという演奏には出会ったことがない。
たった一度。冬馬かずさのこれから演奏される音色は生涯で一度きりだろう。
それも、特別すぎるほどに特別な演奏。
だから、これから始まるここにはいないたった一人ためだけに開催されるリサイタルに
第3者としであっても居合わせることができて、これほどまでの幸運はないと思えた。

かずさ「準備できた?
    早く始めたいんだけど。」

曜子「もうできるわよ。一応美代ちゃんがいたときに全て準備は整えたから。
   だけど、もうちょっとだけ待ってちょうだい。」

そう言うと、曜子は録音開始ボタンを押し、
最高の演奏が聴ける席に移動させたソファに身を沈める。

曜子「じゃあ、始めてもいいわよ。」

かずさは、返事の代りに一つ深呼吸をする。
吐き出した空気さえも演奏の一部だと感じてしまうのは、
かずさの存在そのものが芸術へと転化してしまっているからだろう。
曜子は、二つの呼吸と二つの鼓動を、一つの呼吸と一つの鼓動にしてしまいたいジレンマ
をかかえつつ、歓喜の瞬間を待った。
そして、かずさが最初の音色を紡ぎ出す。





第7話 終劇
第8話に続く

このページへのコメント

続きが読みたいと思ってくださり、ありがとうございます。

現在、長編は週2本アップしていますが、
『心の永住者』(火曜)
『やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部』(木曜)
たまに語り手の口調がごっちゃにw
それに麻理さんなんて、女性っぽい口調と男性っぽい口調が
混ざってるし、読み直すほど違和感を感じてしまいます。

あと、『やはり雪ノ下〜』で扱ってるネタでかずさを描いたほうが、
かずさ派には受けがいい気もする今日この頃・・・・・・。

0
Posted by 黒猫 2014年07月29日(火) 06:01:43 返信

続きがはやく見たいです

0
Posted by 冬流 2014年07月28日(月) 11:03:26 返信

今回は春希とかずさが互いの心の傷を癒そうとしますが、それが対象的ですね。春希が風岡麻里と一緒に暖かな感じのする中でという感じですが風岡麻里にすがっているところが大きいので1人になったらまたわからないかもしれないですね。、かずさは曜子さんが側にいるとはいえ荒療治という感じですね。かずさが録音した自分の演奏をどうするか興味深いです。雪菜を出すタイミングは難しいでしょうね、彼女が出る時は大袈裟に言えば嵐が起きる可能性大ですから。次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2014年07月22日(火) 17:31:09 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

SSまとめ

フリーエリア

このwikiのRSSフィード:
This wiki's RSS Feed

どなたでも編集できます