第19話



1-5 麻理 麻理宅 3月29日 火曜日





いつしか日は暮れ、西日が差しこみ始めていた。
いくら深刻な話をしていようと、体は正直で、欲求をストレートに渇望する。

佐和子「ねえ、麻理。夕食ってどうする?
    一応聞くけど、料理もするようになったの?」

麻理「あいにく料理だけは駄目だったわ。
   人には向き不向きがあるのよ」

佐和子「そんなの自信満々に言われても、かっこよくないわよ」

1か月前より若干小さくなった胸を張る麻理に、佐和子はカウンターを見事にくらわす。
しかし、麻理はそれにもめげずにくらいついてくる。

麻理「掃除も料理も全くしない佐和子には言われたくないわね」

佐和子「はい、はい。自分がちょっと掃除するようになったくらいでえばらないの」

麻理「そんなことないわよ」

佐和子「は〜い、わかりました。さて、食事はどうするのかな、
    掃除はしっかりするようになった麻理ちゃん」

麻理「な〜んか、馬鹿にしてない?」

佐和子「あっ、わかるぅ?」

佐和子は努めていつものように演じくれている。
演じるというよりは、これが佐和子と麻理の距離なのかもしれなかった。
なにがあっても揺るがない距離。
佐和子に面と向かって感謝なんてできやしないけど、
これが親友なんだなってしみじみ思ってしまった。

麻理「もう・・・。お弁当買いに行くわよ」

佐和子「お勧めはあるの?」

麻理「ついてくればわかるわよ」

佐和子「はい、はい」







佐和子「えっと、ほんき?」

麻理「なにか偏見もってない?」

佐和子「もってないし、悪くもないとは思ってるけどさぁ・・・」

麻理「だったら、いいじゃない。一度食べてみて、駄目だったら明日は違う店に
   連れていくわよ」

佐和子「まあ、いいかなぁ」

目の前の店には、でかでかとショップ名とともに、ベジタリアン食と表記されている。
日本よりも各自の食文化と宗教を尊重するアメリカならではともいえる。
ただ、麻理がどうしてこの店を使ってるのか、佐和子には疑問が残った。

佐和子「一応聞くけど、ベジタリアンになった?」

麻理「なるわけないでしょ。味もわからないんだから、お肉を食べようと
   野菜を食べようと、変わりはないわ」

佐和子「だったら、どうしてベジタリアン食?」

麻理「どうしてって、健康の為よ。さ、行きましょ」

佐和子「まあいいけどさぁ」

ちょっと不満そうな佐和子をよそに、麻理は店内に入るや否や、
すぐに注文に入る。
佐和子自身、NYでそれなりの食事も期待していたと思う。
だけど、本当に悪いけど、今の麻理にはその希望をかなえる事は無理だった。

佐和子「ちょっと麻理。さっさと注文しないでよ。
    私は初めてなんだし、お勧めとか教えてくれないとわからないわ」

麻理「ごめん、佐和子。お勧めも何も、味がわからないんだから、
   教えてあげることなんて無理よ。
   ・・・・・・私が注文したのは、あれ、だから。
   たぶんそれなりに栄養バランスを考えられたお弁当だと思うわ。
   ・・・・・・ごめん、佐和子。はい、これお財布。
   悪いけど、お金払って、お弁当も貰ってきてくれない?
   ここのお弁当は、私が奢るから。
   私は、外で待ってるわね」

そう佐和子に告げると、麻理は、店内から逃げるように出て行く。
口元を抑え、俯き加減で出て行く様は、事情をある程度知っている佐和子に
新たなる不安を与えるには十分すぎるる状況であった。

佐和子「はい、お財布」

二人分のお弁当が入った袋を片手に、佐和子は財布を差し出す。

麻理「急に店から飛び出しちゃって、ごめんなさい」

佐和子「気にしてないわ。でも、家に戻ったら、しっかり話してもらうわよ」

麻理「わかってるわ」

麻理は、財布を受け取ると、少し青白い顔で力なく答えるのであった。





家に着くころには、麻理の顔色も回復し、その足取りも軽くなっている。
麻理の体調が回復する一方で、佐和子の懸念は増すばかりであったが、
今の麻理に強引に全てを聞き出すことなんて、佐和子にはできはしなかった。

佐和子「本当に大丈夫? 少し休んだ方がいいんじゃない?」

麻理「大丈夫よ。いつもの事だから」

佐和子「そう? ならいいんだけど」

麻理「さてと、聞きたいんでしょ」

佐和子「まあ、ね」

麻理「だよね。・・・・・・外で食事できないのは、いったわよね」

佐和子「ええ」

麻理「食事を見るのも臭いを嗅ぐのも無理なのよ。
   仕事の時は集中しているから大丈夫なんだけどね。
   でも、オフのときは無理・・・かな」

佐和子「それって、そうとう・・・・」

麻理「重症よね。・・・野菜中心にしているのは、特に意味はないわ。
   ただ健康に良さそうな物を選んでいるだけ。
   できるだけ体が拒否反応を起こしにくい消化がいいものを選んでいるだけよ。
   だから、お肉が無理ってわけでもないわ」

佐和子「そっか。色々考えてはいるのね」

麻理「まあね。でも、あまり意味はないみたいだけど。
   さあて、そろそろ食事にしましょうか」

麻理の掛け声にあわせ、佐和子もお勧めのお弁当を若干の期待とかなりの不安と共に開く。
麻理は今まで味がわからなく、見た目でしか判断できていなかったが、
佐和子曰く、そこそこ美味しいらしい。
ダイエットに向いているし、毎日は無理でも、たまに食べる分には十分すぎる美味しさを
兼ね備えているらしかった。

佐和子「NYにまできて、精進料理みたいなの食べるとは思わなかったわ。
    もっとジャンクで、おにくぅって感じのをガツガツ食べると思ってから、
    これはこれで貴重な体験かもね」

佐和子は、一人お弁当の感想を述べ続ける。
麻理があまりにも無言でもくもくと食べるものだから、場を持たせようと佐和子も
必死であったのだが、それが今回のちょっとした失敗をおびき寄せた。

佐和子「私も日本に戻ったら、こういうお弁当探してみようかしら。
    日本も健康ブームが飽きずに続いているし、案外美味しいのもあるかも・・・・・。
    ねえ、麻理。顔色悪くない?」

麻理「ごめんなさい。・・・・・・ちょっと休ませて」

麻理は、弱々しい声で呟くと、ふらふらとソファーに倒れ込む。
小さく足を抱え込むように横になると、テーブルに置かれたリモコンをとろうと
必死に手をのばす。

佐和子「はい、このリモコンでいい?」

麻理「うん」

麻理は、リモコンを受け取ると、再生ボタンを押し、演奏が始まるのを確認すると
深くソファーに沈み込んでいった。

佐和子「大丈夫?」

返事はない。佐和子の声さえ聞いているのも疑わしかった。
けっして演奏の音量が大きいわけでもない。
そのギターの演奏は、静かで、ゆっくりと語りかけてくように音を紡いでいた。

佐和子「麻理?」

やはり麻理からの返事はなかった。
麻理は、世界を拒絶する。たった一つの光を除いて、大切な生きがいの仕事さえも
この時ばかりは外の世界に置き去りにしていく。
ここにあるのは、ギターの音のみ。
彼が奏でるギター演奏が、麻理の心を癒していく。
4分ほどのギターソロが終わり、リピート再生が始まった。
そして、同じ音色を規則正しく奏でていく。
何度となく聴き、すべての息遣いさえも覚えてしまった麻理にとっては、
全てが完璧に構成された世界であった。
三度目のリピート再生が始まるころ、麻理は、ゆっくりと体を戻し、
二人だけの世界から、通常の世界へと帰還する。

佐和子「麻理? 聞こえてる?」

麻理「ええ、もう大丈夫」

まだうつろな目をした麻理に、佐和子は心配そうにのぞきこむ。
いつの間にかに麻理の傍らに佐和子は寄り添ってはいたが、
麻理には佐和子が側にいた事さえ気が付きはしなかった。

佐和子「私は聴いた事はないけど、このギターって、北原君のよね?」

麻理「ええ、そうよ。北原に無理を言って送ってもらったCDのコピー。
   本当はヴァレンタインコンサートのDVDだけだったんだけど、
   私が無理を言って、ギターだけの音源も送ってもらったのよ」

佐和子「北原君なら、喜んでギター弾いてくれたんじゃないかな」

麻理「だったらいいわね」

佐和子「大丈夫よ。あの北原くんなんだから」

麻理「そうね・・・・・・。でね、精神安定剤飲まないって言ったでしょ。
   その答えがこれなの」

佐和子「えっと・・・、どういうこと?」

佐和子は不思議そうな眼で麻理を見つめていたが、答えに気がつくと
急激に顔をこわばらせていく。

麻理「北原のギターを聴いているとね、心が落ち着くの。
   ご飯を食べても、食べているときは大丈夫なのよ。
   でもね、御覧の通り、食べ終わると、急に気持ち悪くなっったり
   お腹が痛くなるのよね。
   でも・・・・・・・、大丈夫よ」

佐和子「大丈夫って、それってつまり」

麻理「北原のギターを聴いていれば、気持ち悪いのも忘れてしまうのよ。
   だから、精神安定剤はいらないの」

佐和子は、気がついてしまった。
だから、もはやこれ以上の言葉は絞り出せなかった。
だって、それは、精神安定剤以上に常習性が強くって、
一度取り入れたらやめることができない悲しい麻薬。
もはや北原春希に依存しなければ生きていけなくなってしまう。
もう後戻りなど、できやしなかったのだ。

麻理「電車もね、食事をしているわけじゃないのに、もし気持ち悪くなったら
   どうしようって思っちゃって、それが自分で自分の首を絞めることになるというのに、
   結果として気持ち悪くなることもあるのよ。
   だから、何度も途中の駅で降りた事もあるわ。
   だって、電車って密室で、急に降りたりできないじゃない」

もはや佐和子は、麻理の一人語りを聞くしかなかった。

麻理「でもね、北原のギターを聞いていると、今いる自分を忘れられるのよ。
   電車に乗っているのも忘れられるし、気持ち悪いのもなかった事になる。
   だから、電車に乗るときはいつも北原のギターを聴きながら乗ってるわ。
   もう駄目ね、私。北原がいないと生きていけないかもしれない」

麻理も、佐和子に聞かせるのではなく、自分に語っていたのかもしれなかった。
北原春希という精神安定剤は、世界中を探しても、たった二人にしか効果はない。
でも、きっともう一人の彼女には必要はないはず。
だって、彼女には彼がいるもの。
今は離れていても、必ず彼は彼女の側に寄り添い、支えていく。
もし彼女に何かあったとしても、彼が直接癒せばいい。
まやかしによる精神安定剤など、必要すらないだろう。
強い依存は、さらなる依存を引く寄せる。
それは最初に依存してしまった者の意図とは異なっていたと思える。
こんな悲劇を引き寄せるだなんて、彼も思いもしなかったはずだろう。
日本にいる誰もが、NYにいる彼女が世界を拒絶していたなんて気がつかないでいた。










1-6 佐和子 麻理宅 3月29日 火曜日





麻理「殺風景だけど、この部屋使ってね」

佐和子がこの家に訪れ、荷物を置きに来た時も感じたことだが、
誰かを迎え入れる為に用意したとしか思えない部屋だった。
ベッドしかなく、物悲しい雰囲気を漂わせているものの、床を見れば綺麗に磨かれている。
ベッドの白いシーツは、新品を用意してくれていた。
他の部屋も見せてもらったが、物が置かれていない部屋はこの一室のみであった。
そもそも友人を泊めるにせよ、日本ではこんな部屋は用意していない。
あるのは予備の布団くらい。
普段使っていない部屋があっても、そこには荷物が山積みだったし
いくら部屋を掃除する習慣ができたとしても、荷物を置かない部屋などありはしない。
つまり・・・・・・。

佐和子「ねえ、この部屋について、まだ説明してもらってないんだけど。
    ・・・でも、言いたくないんなら、また別の機会でもいいわよ」

もはや麻理は隠し事をする気もなかった。
同様に、佐和子においても、強く説明を強要しようとなど考えてもいない。
順を追って、必要な時に必要な情報を開示する。
佐和子にとって、今一番恐れている事は、強引に麻理の心をこじ開け、
その結果麻理が二度と心を開かなくなる事であった。
だから、麻理のペースでやっていくしか道はなかった。

麻理「この部屋は、北原がゴールデンウィークに来るって言ってたから」

佐和子「そう・・・・・・」

麻理「うん」

佐和子だって、わかっている。
たった数日泊まるだけの為に部屋を一部屋多く用意するなどありえないと。
年に数回遊びにくるとしても、それはいきすぎた準備である。
たとえこの部屋で生活する事を前提にしてたとしても・・・・・・。

佐和子「そっか・・・。ねえ、麻理」

麻理の体が硬直する。これから佐和子が追及するかもしれないという恐怖心が
麻理の体と心を堅く身構えさせてしまう。
その目に宿った脅えの色に、佐和子はどうしようもないやるせなさを感じてしまう。
ここまで親友を変えてしまった彼を、恋愛面では評価できる面もあるが、
総合評価としては、どうしても偏った評価をせざるを得なかった。
たとえ麻理の休眠中の恋愛体質を引き出したにせよ、たとえ実らない恋であったにせよ、
もっとプラスの方向に引き寄せてあげられなかったのかと。

佐和子「今日一緒に寝てもいいかな。
    ほら、NYって思ってたよりも寒いじゃない。
    それに、まだもうちょっと麻理と話していたいかなぁって思ってね」

麻理「ええ、枕だけ持ってきて」

麻理はぎこちない口調で答えると、頼りない足取りで寝室へと佐和子をおいて
進んで行く。
その後ろ姿に、佐和子は一抹の寂しさを感じざるを得なかった。





佐和子「起きてる?」

隣に寝ている麻理からは、寝息は聞こえてこない。
暗い室内に薄っすら浮かぶ親友の横顔を見つめ、何度目かの決心をようやく言葉にできた。
佐和子の呼びかけに、麻理は瞬きを数度繰り返してから、天井をまっすぐ見つめた。

麻理「起きてるわ」

佐和子は、麻理の方にと体を沈ませ、体の向きを変える。
わずかに揺れるベッドのマットに、麻理は身じろぎひとつ起こさない。
でも、佐和子の言葉に、麻理の心は大きく揺れ動くのだろう。
けっして心穏やかにいられるはずもないが、麻理の親友として、
佐和子は言わなければならなかった。

佐和子「ねえ、麻理」

麻理「起きてるって」

佐和子「そのままでいいから、聞いてくれるかしら」

麻理「・・・・・・・・・・」

麻理の体が堅くなるのを、羽根布団から伝わってくる動きから敏感に察知する。
しかし、麻理は、佐和子に背を向けてしまう。
佐和子は、麻理の心の準備ができるまで静かに待った。
数分後、麻理が佐和子に向き合うと、佐和子はゆっくりと、努めて優しい口調で
厳しい現実を麻理に突き付ける。

佐和子「北原君はさ、きっとNYまで麻理を助けに来てしまうわね。
    あの子の事だから、麻理が一人で歩いていけるまで側にいてくれるわ」

麻理「北原にだって、大学があるし、来年は就職よ。
   そんなのは、・・・・・・無理・・・に決まってる」

麻理は、布団から半分だけしか顔を出していなかった。しかも、声も小さい。
だから、布団の中から発せられる麻理の声は、くぐもってよく聞こえるはずもない。
しかし、これだけの悪条件が重なっても、佐和子には、はっきりと麻理の声が聞こえていた。

佐和子「本当に、そう思ってる?」

麻理「・・・・・・」

佐和子「ねえ、麻理? 麻理は、絶対北原君なら来てくれるって確信してるんじゃない?」

麻理「来てくれるかもしれないけど、ずっとそばにいてくれるはずなんてない。
   大学も仕事もあるんだから」

佐和子「ほんとうに?」

麻理「しつこいわね」

佐和子「だったら、私の方が北原君の事、よく知ってるって事になるわね。
    最近仕事終わりに食事する事も増えてきてるからかしら」

麻理「ちょっと! たしかに北原の近況を知りたいから、佐和子に様子見てくれって
   たのんだわよ。でも、佐和子。あんた、北原にちょっかい出してないでしょうね」

隠れていたと思ったに、突然勢いよく布団から出てくるんだから。
北原君の事となると、ブレーキが壊れちゃうのよね。

佐和子「ちょっかいなんて出していないわ。
    彼ったら、目の前に麗しい美女がいるっていうに、話すことといえば
    あなたのことばかりよ」

麻理「そう? なんて言ってたのかな?」

布団からせり出した体を布団の中に戻した麻理は、恐る恐る彼の情報を集めようとしていた。

佐和子「あんたねぇ・・・・・・。自分で言っちゃってなんだけど、
    少しは突っ込み入れなさいよ。言ってるこっちの方が寒いでしょ」

麻理「え? 佐和子、何か言ったの?」

佐和子「はぁ・・・・・・・」

佐和子は、深く、深くため息をつくと、麻理と同じ目線になるべく布団にもぐる。
ただ、麻理と違って、口元を布団で覆ってはいなかった。

佐和子「何も言ってないわよ。あんたがNYへ行っても、ろくに連絡もしてこないから
    心配してたわよ」

麻理「そうなんだ。心配してくれてたんだ」

佐和子「たまに私が電話しても、仕事で忙しいってことしか言ってこないでしょ、あんた」

麻理「それは事実だから、しょうがないじゃない」

佐和子「それはそうだけど、新しい住居がどうとか、食事がどうと・・・・・ごめん」

麻理「かまわないわ」

佐和子「うん。・・・・・・ねえ、麻理」

麻理「うん」

佐和子「本音では、来てくれるって思ってるんでしょ」

麻理「うん」

佐和子「きっとかなり無理目な難題だって乗り越えて、NYまできてしまうわよ、彼」

麻理「うん」

佐和子「責任感が強いってこともあるけど、それだけじゃないんでしょうね」

麻理「うん」

佐和子「愛情に近い感情かしら?」

麻理「・・・・・・うん」

佐和子「もうっ、のろけちゃって」

佐和子は、麻理に襲い掛かり、脇をつついたりくすぐったりして、
麻理の心を解きほぐす。
麻理も佐和子の攻撃に若干の抵抗はするものの、されるがまま身を任せていた。

佐和子「でもね、麻理」

麻理の頭を、胸で包み込んで優しく抱きしめている佐和子には、
麻理の体が堅くなっていくのが感じ取れた。

佐和子「北原君は、あなたの状態がよくなって、一人で歩いて行けるのを確認したら
    冬馬さんの所へ行ってしまうわ」

麻理「うん」

佐和子「あなたの事だから、笑顔で送り出してあげるんでしょ」

麻理「うん」

佐和子「うん」

佐和子の腰に麻理の手が回され、佐和子の体は強く引き寄せられる。
佐和子もその力に合わせて、麻理の痩せすぎた体を壊れないように抱きしめる。

佐和子「私は、ずっと麻理の側にいるからね。
    あんたがおばさんになって、おばあちゃんになっても、いつも側にいるから」

麻理「うん」

佐和子「うん」

麻理「でも、私がおばちゃんになったら、あなたもおばあちゃんよ」

佐和子「今、それ確認する必要ある?」

佐和子があきれ顔で呟くと、そっと麻理は微笑んだ。
儚くも美しい幼女のような頬笑みに、佐和子の心がざわついた。
今まで見たこともない表情に、驚きを隠せない。
それは、窓から差し込んだ月明かりの幻想だったのかもしれない。
もう一度佐和子が確認しようと、その顔をみつめようとするも、
麻理は佐和子の胸に顔をうずめていた。

佐和子「ほんと、北原君って不思議よね。
    麻理との付き合いは長いって自負していたのに、
    まだまだ知らない麻理がいたんだから」

麻理「え? 何て言ったの?」

佐和子「な〜んにも」

麻理「なにか言ったわ」

佐和子「ん? 知りたい?」

麻理「別にいいわよ」

このちょっと拗ねた顔なら、何度も見たことがある。
普段はしっかりしているくせに、ちょっといじめるとふてくされるんだから。
それがかわいいってこともあって、いじめちゃうのよね。
だから、この顔を失わせない為にも、北原君、頼んだわよ。

佐和子「麻理って、かわいいなぁってことを言ったのよ」

麻理「ふぅ〜ん。北原の事言ってたじゃない」

佐和子「こら、麻理。聞こえてたんなら、聞きなおすな」

麻理「全てが聞こえてたわけじゃ、ありませ〜ん」

夜がにぎやかに過ぎてゆく。
この日初めて、この部屋から明るい声が漏れ響いた。
それは、小さすぎて、耳をすまさなければ聞こえないのかもしれない。
それは、小さく、儚く、そして大事そうに呟いた声色で、
そっと耳に記憶していかなければ聴きとることなんてできやしないのかもしれない。
聞く者によっては、彼女らの声は、儚すぎるほどの悲痛なしゃぎ声だったのかもしれない。
けれど、虚勢を張った小さな泣き声が聞こえない夜は初めてであった。








第19話 終劇
第20話に続く

このページへのコメント

最近読み始めたけど、かずさと麻理さんが好きなので楽しく読ませてもらってます

0
Posted by ソーや 2016年07月09日(土) 08:00:42 返信

どうにか今週かずさを登場させることができました。
思うに、春希、かずさ、麻理の三人が、日本、ウィーン、NYと、別々な所に住んでいるのが原因でして、
各個人に頑張ってもらわなければ、話が盛り上がりませんorz
それでも、今週のかずさは、お馬鹿なお話でありながらも、一話でおさまらないあたりがかずさなんでしょうがw

0
Posted by 黒猫 2014年10月21日(火) 07:29:07 返信

確かにかずさは出て来ていないけど個人的には全く気にならないですね、寧ろもうちょっと後でも良いと思ってすらいます。このssにおける麻里さんの今の状態はかなり深刻な筈なのに佐和子の挑発にむきになるなど乙女な所が全開で新鮮です。その辺りが私としてはかずさの不在が気にならない理由かなあ、次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2014年10月13日(月) 17:46:54 返信

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