最終更新: sharpbeard 2013年10月24日(木) 12:57:59履歴
千晶True後の話です。
東京の空に珍しく雪がちらついていた。
街頭テレビは幾つかの交通機関の運休を伝えているが、所詮は東京の雪、たった数ミリも積もっていない。
しかし、寒さは雪国以上に身にしみ入り肌を焼くものだった。
春希は缶コーヒーを飲み干すと、出張で3日ほど空けていた我が家へと足を進めた。
千晶も待っているはずだ。
部屋に帰ってきて驚いた。
部屋は真っ暗だった。
ファンヒーターは給油ランプが灯りっぱなしであった。
食卓には3日前のトーストが食べかけのまま置き去りだった。
そして、千晶は部屋の奥の布団の中だった。
千晶の状態は深刻だった。
頬はこけ、目は虚ろで意識は朦朧とし、春希の呼びかけにもまともに反応できていない。
食事も3日前から何も食べていないようだ。肌や唇のカサつきもひどいが、水はちゃんと飲んでいたのだろうか?
風邪でもこじらせたのか…携帯も電池切れのまま布団の側に転がっていた。
春希は救急車を呼ぶため自分の携帯を取り出しつつ千晶に聞いた。
「とりあえず何か食べたいものはないか?」
千晶はしばらくの後、やっと絞りだしたようなしわがれ声で言った。
「…あめゆじゅとてちてけんじゃ(雪を取ってきてちょうだい)」
「雪? 雪が食べたいのか?」
春希は悩んだ。外はこの冬一番の寒さで雪がちらついているが、取って集められるほどは積もっていない。かき氷等で代用するにしてもどこにも売ってないだろう。
まて、なぜ生まれも育ちも東京の千晶が、方言で喋ったのだ?
確か、岩手の花巻地方の方言だが…自分はなぜそれを理解できた?
春希はしばし考え真相にたどり着くと、布団の側に歩み寄り、千晶に拳骨を振り下ろした。
「いやぁ、ゴメンね。役に入り込みすぎちゃって、元に戻らなかったんだわ」
千晶は先ほどまでの様子がウソのように元気に鍋をぱくついている。血色まですっかり元どおりだ。
「…ったく」
『あめゆじゅとてちてけんじゃ(雪を取ってきてちょうだい)』とは、宮沢賢治の「永訣の朝」という詩の一節で、死の床にある賢治の妹のトシが賢治に雪をねだる際に言ったせりふだ。
「いやもう、舞台から降りても役を引きずっちゃヤバいよね。来月の役とか気をつけなくちゃ」
「…来月は何の役なんだ?」
「浮気症で色狂いの娼婦」
「………」
タグ
コメントをかく