……その日の夜。

「……孝宏?」
「ちょっといい?」
「どうしたのよ急に?」
「……追い出された」





「急にすまないね」
「いえ、構いません」

 春希は夕食後、小木曽氏に呼び出されていた。『一緒に酒でもどうか』と声を掛けられたのだ。

「本当にすみません。急に参加ということに」
「いや、それも雪菜が言い出したことだ。君が気に病むことではない」
「……ありがとうございます」

 初日に購入した泡盛を酌み交わしながら、ゆっくりと時は流れる。

「実は昨日、妻と二人で君のお母さんと色々話したよ」
「ええ、それは聞いてます」
「そうか……」
「で、母とは何を」
「それは君が確かめなさい」

 やはり夫婦だな、と春希は思った。親子の問題には最終的に本人で解決しなくてはいけない、とどちらも理解しているから。

「ははっ、厳しいですね」
「厳しい……かね?」
「俺に自分たちの意志を伝えようとして、でも明確な答えは示さない」
「私たちに許されるのは、手助けだけだ。実際にするべきなのは君たち当事者だからね」

 小木曽氏の言葉に、確かな心遣いが籠められているのが春希は分かっている。ある意味本当の家族以上の付き合いを続けてきたのだから、自分達を心配しているのは十分伝わっていた。

「……難しいです」
「そうだろう。失う時は一瞬だ。でも取り戻すにはたくさんの時間が必要なんだよ」
「……ええ」

 耳の痛い話だった。それこそ雪菜との間にあった絆を失ったのは一瞬だった。その後その絆を取り戻すのに数年間の時を費やしたのだから。
 なのに、かずさとの絆を取り戻すのに、時間は必要なかった。かずさとの絆は途切れていなかったから。そしてその事実が再び雪菜を苦しめた。
 二人の絆が決して途切れることはないと思い知らされた雪菜の苦悩は如何ばかりであっただろう。

「……ひょっとして君は、雪菜が言い出すまでお母さんとのことを解決しないつもりだったのかね?」
「……ええ。多分、そうだったと思います。雪菜が真剣に俺たち親子の幸せを考えてくれているのに、俺は……」
「そうか。君にとっては大変なことになってしまったようだね」
「いえ……」
「しかし、君には悪いが、娘の取った行動の方が正しいといえるだろう」
「そうですね、それは承知しています……」
「しかしそれだけではないのではないかと思う。まあ、雪菜がそこまで深く考えているかどうかは甚だ疑問だが」
「……と仰いますと?」
「私は君たちが親子の関係を修復することで、君と雪菜の新たな関係を築くための礎にも繋がると考えているんだ」
「……それは?」

 小木曽氏は一度喉を潤し、グラスを空にした。春希が泡盛の瓶を持って空になったグラスに注いだ。

「よく言われているだろう、『子供は親の背中を見て育つ』と」
「ええ……」
「君には酷かもしれないが、君はどうだったのかね?」
「……正直、記憶にありません。両親の離婚以来、親とは干渉し合うことを避けていましたから」
「しかし、いつまでもそのままではいけない。何故なら、君もいつか親の立場に立つからだ」
「あっ……」
「自分の親と向き合えずに頑ななままの子供の姿を、自分の子供に親として見せ続けたら、その子はどうなる?」
「……その子も、俺に対して頑なになるでしょう」
「そうだ。そんな子供の心の中に芽生えた悲しさは君が一番よく分かっているだろう」
「はい……」
「自分の中に押し殺した感情に目を背けて、君にとっては上手く立ち回っているつもりだろう。しかしそれでは肝心な時に本当の自分自身を取り戻すことはできなくなってしまう」
「それは……」
「もしそれを正せないのであれば、君が自覚しているであろう雪菜に対する後悔も、今まで犯してしまった過ちも、これからの君の人生において何の意味も成さなくなってしまうだろう」
「はい……」
「まあ、これはあくまでも一般的な解釈だ。君たちの間には当てはまるかどうかわからないがね」
「いえ……」
「だからこそ、君にはお母さんと向き合って欲しいと思っている。そのためには君自身で今を変えようとするための覚悟が必要になるだろうが」
「覚悟……」
「何かを変えたいのであれば、自分で動かなくてはいけない。周りに流され、縋りつき、理想のままで逃げてしまっては、結局何も変えられないのだよ」

 かつて、かずさに揺れていた自分が雪菜に諭されたことだ。何も背負う覚悟がなくて逃げてばかりいた自分を、雪菜はしっかりと叱咤し、包み込んでくれた。

「雪菜のワガママに振り回されて、君もこれまで大変だっただろう。これからも大変だとは思うが」
「いえ、雪菜には……本当に頭が上がりません。逃げてばかりだった俺の傍にずっといてくれて。あんなに強い娘が本当に俺なんかでいいのか不思議に思ってるくらいです」
「それこそ私には君のような男が娘を選んでくれたことが過ぎるくらいなんだ。周りを振り回してばかりの娘を迎えてくれるなんて」
「そんな。雪菜はそれこそ本当にずっと俺を、俺のことを真剣に……」
「北原君……」
「なのに俺は、雪菜を、ずっと……」
「北原君、雪菜は幸せになる。君とこうして共に歩む道へ進んで行けるのだからね」
「……お父さん。俺、考えてみます。母のため、俺自身のため。そして何より……雪菜のためにも」
「うん。君自身が幸せになることを、私たちも心から願っている。雪菜を……よろしく頼む」
「はい……」

 二人は改めて乾杯した。グラスを同時に煽り、喉を通る熱さにこれからの決意を込めて。





 ……その頃、雪菜は母と共に水着を洗濯している最中だった。父から部屋を追われた孝宏の相手をする気にもなれず、結局自分も部屋を追われる形で母の部屋へと向かい、今日着た水着の洗濯に掛かったという訳だ。

「……お父さん、どうしたんだろ?春希くんと話だなんて」
「まあまあ、お父さんも今回の旅行で色々思うところがあるんじゃないかしら?」

 正直、雪菜の内心は穏やかではなかった。今回の旅行が始まってから父が落ち着いていた場面を見たことがなかったから。
 とはいえ、春希の母の同行を半ば強引に認めさせたことや、部屋割りで成り行きとはいえ春希と同室になってしまったこと等、思い当たる節がいくつもあるのも確かだが。

「心配ないわよ。ああ見えてお父さん、北原さんのこと認めてるから」
「お母さんの同行?」
「ああ、そうじゃなくて、春希さんのこと」
「ええ〜っ、そうかな〜?」
「そうよ。お父さん、春希さんのこと信頼してるんだから」
「そう〜?普段春希くんが家に来たってあまり顔合わせようとしないくせに」
「それは仕方ないわよ。自分の娘が恋人とくっついてる場面なんて父親としては心中穏やかではいられないものよ」
「まあ、それは分かるけど〜」
「それでも、お父さんは春希さんのことを信頼してたのは確かよ」
「本当かな〜?」
「だって、春希さんを信頼できないってことは、春希さんを好きになった雪菜を信じていないことと同じですもの」

 母の言葉に、雪菜はハッとなった。よく嫁と姑がいがみ合う話があるが、それは結局は嫁を選んだ息子に女を見る目がないと姑が宣伝しているようなものだ。自分の恥をさらす行為でしかない。

「まあ、お父さんも素直じゃないから春希さんに誤解されているかもしれないけどね」
「『かも』じゃないよ。きっと誤解されてる。ああもあからさまに避けてるとね」
「でも雪菜が自分の気持ちを簡単に変えない頑固な娘だってことも分かってるから」
「ううっ。そこでわたしに振るかなぁ」
「自分がいくら春希さんのことを疑って掛かったって、雪菜の方が春希さんを心の底から信じているんですもの。いくら言い聞かせたって無駄だってことがお父さんにも分かってるのよ」
「もうっ。お母さんっ」
「でもそうでしょう?実際、春希さんを冬馬さんに奪われても、あなたの想いは変わらなかったでしょう?」

 思わぬ母の言葉に、雪菜は言葉を詰まらせた。ここでかずさの名が出てくるとは思っていなかったから。

「ど、どうしてここでかずさが出てくるの!?」
「あら、お母さんが知らないと思ってるの?ずっと知ってたわよ。あなたが大学の頃にずっと隠れて泣いてたこと」
「そ、そんなぁ」
「大丈夫。知ってたのはお母さんだけ。お父さんも孝宏も気付いてない」
「そう、なんだ……」
「昼間に春希さんに聞いたわ。あなたたちのこと全部」
「うん。わたし、春希くんがかずさのこと好きだって知ってて告白した。かずさから、春希くんを奪った。だから、春希くんがわたしを裏切ったなんて思ってない。わたしが悪いんだよ」
「そうかしら?親の贔屓目がなくても、話を聞く限りあなたは悪くないと思うけど?」
「ど、どうしてっ?」
「だって、春希さんも冬馬さんも、お互いに好きなのなら自分の気持ちを打ち明けなくちゃ始まらないのよ?何も言わないまま好きだっていうだけで付き合えるなんて、それはただの夢物語でしかないわ」
「お母さんっ」
「好きな人と付き合えるのはね、お互いに好き合ってる同士ではない、先に好きになった人でもない、先に自分の気持ちを打ち明ける勇気を持った人なの。一番最初に自分の気持ちを打ち明けたのは誰?」
「……わたし、だけど……」
「でしょう?だからあなたは間違っていない。少なくともお母さんはそう思うわ」
「お母さん……」
「だからこそ、飯塚さんや水沢さん、それに朋ちゃんだってあなたを支えてくれたんだと思うわ。あなたが間違っていたのなら、あの子たちはそのことをきちんと指摘してあなたの非を正そうとさせるもの」

 確かにそうだ。クリスマスイブにかずさを忘れられない春希を拒絶した雪菜を依緒は正面から叱咤した。依緒が自分に対して正面切って説教をしたのはあの時くらいだ。
 朋も歌を失っていた自分に歌を取り戻すよう叱咤し(やり方が少し?強引だったとは思うけど)、かずさに再会して揺れていた春希にあからさまな嫌悪感を抱いて雪菜を押し留めていた。
 彼等には伝わっているのだ、雪菜の告白こそが彼等の仲の一番勇気のある、一番大切で一番正しい行動だということに。

「そう、かもね。皆なら、そうするかもね」
「だからあなたはもっと自分を信じても大丈夫なのよ。春希さんだってそんなあなただからこそ結婚しようって言ってくれたんじゃないかしら?」
「春希くん、が……」
「確かにあなたはワガママだけど、だからこそ自分だけのワガママでは終わらせない。ワガママを貫き通した先にある幸せを求めて全力投球だもの、あなたの場合は」
「もうっ、褒めるのか貶すのかどっちかにしてよぅ」
「褒めてるのよ。あなたのワガママが春希さんを、そしてあなた自身を幸せにしたんでしょう?そして周りの皆を幸せにするために頑張ったんでしょう?」
「うん、そうだよ。わたしが自分の幸せを手にできたから、皆にも幸せになって欲しいって思えるようになった。そのためにこれからも頑張れる」
「今回、北原さんを一緒にお招きしたのもそのためですものね」
「そうだね。もっと皆で幸せになってもらいたいもんね」

 乾燥機のブザーが鳴り、洗濯物を取り出した。袋に詰めて蓋をして、廊下に出た。

「さて、孝宏も退屈してるでしょうし、そろそろ部屋に戻りますか」
「明日は早いから、あなたたちも早めに寝ておきなさい」
「じゃあわたし、春希くんを迎えに行くね」





「あれ?春希くんは?」
「さっき部屋に戻った」

 春希は既におらず、父が一人で酒を飲んでいた。

「そっか。じゃあわたしも戻るね。孝宏もそろそろ戻りたがってるだろうし」
「……雪菜」
「なあに?」
「彼も、我々の知らないところで色々あったんだろう。そしてこれからも様々な困難が待ち受けているはずだ」
「うん……」
「それでも、お前は彼と力を合わせて生きていく覚悟があるか?」
「うん。もちろんだよ」
「……そうか。ならもう私から言うことはない。彼と、幸せになりなさい」
「……お父さん」
「でも、私たちは家族だ。それだけは忘れないでくれ」
「忘れないよ。忘れる訳ないよっ」
「ああ、頑張るんだぞ、雪菜」
「お父さぁんっ……」

 縋りつく雪菜を優しく抱き締めながら、小木曽氏はこれからの雪菜達の未来の幸せを願った。今まで苦労を重ねてきた若者達に、幸多き未来が来ることを。

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