最終更新:ID:rayhoC73eA 2014年01月20日(月) 12:24:44履歴
大晦日のコンサートに向かったら 第十四話
1月5日 19時 有海グランドホテル
「――元気そうね、ギター君」
曜子はすっかり完治して、きちんとスーツを着込んでいる春希に向かい、微笑んだ。
ここは有海グランドホテルの最上階にあるレストラン。
曜子から会食の場所が伝えられた時、春希は一瞬ためらった。クリスマス、雪菜と食事した時の事を思いだしてしまって…
それでも、春希は場所の変更を申し出なかった。
自分はかずさと共に歩む、そして雪菜に全てを話す、その決意の表れ。そしてもう雪菜がかずさと自分の関係に影響を与えることはないことの証明に。
1月1日、春希とかずさは二人のこれからへの想いを伝え合った。
それから四日間、春希はかずさの買ってきたドイツ語の参考書を読みながらベッドの上で静かに暮らした。
かずさは悪戦苦闘しながらうどんを作ったり、薬の用意をしたり、恥ずかしがる春希をなだめながら体を拭いたりと、春希のために尽くした。
かずさの献身のおかげで春希の熱は完治し、こうして曜子に今までの事の感謝と、これからの事を話す機会を得た。
「はい、色々と買い揃えていただいてありがとうございました。おかげさまで、体調の方は万全です」
「いいのよ、あなたがあんな風になっちゃったの、私の娘のせいでもあるんだし」
「は、ははは…」
春希は苦笑いをしている。
「いや…それは…うん…そうなるのかな…」
かずさはどこかとぼけた表情をしながらぼそぼそと話した。
「二人とも否定しないのね、そりゃそうか、もう嘘なんて吐く必要ないもんね」
「はい」
曜子に向かい、まっすぐに答える春希。
「じゃあ聞かせて、あなたはどうしたいの?」
「俺は、かずさと一緒に居たいです。たとえかずさがどの国に居たとしても」
曜子はかずさを見ていた。三年間愛し続けていた男が、故郷を離れても自分と一緒にいたいと話している様子を見ていた。
なんとまぁ満ち足りた表情をしているのだろうか…
「曜子さん、俺を、冬馬曜子オフィスで雇って下さい」
春希の人生をかけた申し出に曜子は顔色一つ変えない。だって、自分でそうなるよう動いていたのだから。娘が幸せになるように。
「あら、それは本当に良いことだわ。本当に…。でも、ヨーロッパに来てもらうのは一年後よ?」
「むしろ一年間、勉強の機会を与えてくれたことに感謝しています」
「さすが優等生らしい回答だわ。かずさ、一年後、彼があなたのマネージャーになって、あなたがどこ行くにしてもべったりついて来るけどいいのね?」
「母さん…あたしの反応楽しむために聞いてるだろ…」
「ふふふ、バレちゃった。でもあなたの表情を見ているだけでも楽しいわ。あなた今、本当に幸せそうよ」
「……否定はしないよ」
「春希君、ご両親に説明はしたの?」
「一応、卒業後に外国へ行くことは伝えますが、反対されるような事は一切無いと思います。……お互い、関心が無いので」
「屈折してるのね…」
そう言いながらも、曜子は心の中で喜んでいた。かずさと春希の関係の妨げになるものは少ない方が良い。
「それじゃ、口頭での契約完了ってことで。ようこそ北原春希君、冬馬曜子オフィスへ」
「よろしくお願いします、曜子さ…いえ、社長」
「ふふっプライベートな席では曜子でいいわ。いえ、『お母さん』でもいいわね」
「ちょっと母さん!」
「何よ、間違ってないわ。春希君を見てみなさい」
春希は顔を紅くしながらうつむいていた。
「その件については、もう少し時間を……」
「――春希?」
春希の表情と言葉の意味を察し、かずさの顔も紅くなる。かずさのマネージャーとなり、一生支えていく。それは当然、仕事上だけの話ではない。
「自分で言っといてなんだけど、見ているこっちが恥ずかしくなるわね。この私からこ〜んなピュアな娘が生まれるなんてね…とりえあえず…」
曜子はグラスを掲げた、春希とかずさもグラスを持つ。
「――二人の未来に」
三人はワインを口に運ぶ。春希が今まで口にしたどのワインよりも芳醇な香りが口の中を包む。
そのあまりの美味しさに、つい曜子にこのワインの品名と値段を尋ねそうになる。でも聞いてしまったら気が引けて飲めなくなってしまいそうなのでやめた。
前菜の後、ウェイターがステーキを運んできた。その霜の降り具合はこれまた春希には値段の想像がつきそうにない。
「――お母さん、じゃなくて…」
ステーキをナイフで切りながら、曜子が話す。
「じゃなくて、何なんだよ」
「おばあちゃん、って呼ばれる日も近いのかしらね? というより、もうなっていたりして」
曜子がかずさのお腹をのぞき込む。
「母さんの考えてるような事はしてない! 春希はずっと風邪を引いてたんだぞ」
「あらそう、お気の毒に」
曜子の言ったお気の毒に、がどういう意味を含んでいたのかは分からない。
春希とかずさは、ベッドでお互いの胸の中で眠ることがあったり、深いキスをすることはあったが、それ以上に発展する事は無かった。
春希が風邪を引いていたのも理由の一つだが、まだそこまでしてしまうには心残りがまだ二人にはあった。
二人が行為をしようとすると、初めての高校時代を思い出してしまう。
雪菜を裏切ったまま及んだ背徳の行為を。
――かずさと春希があと一歩先に進むには、やはり雪菜に全てを話す必要があった。
デザートが運ばれてきた、美味しそうな、というより食べるのがもったいないぐらい綺麗に飾られたティラミスだった。
「これ、あと三つお願いするわ。かずさは?」
「――同じく」
「春希君は?」
「い、いえ、俺はこれで十分です」
コース料理で追加ってできるものなのか、と春希は首をひねった。
「じゃああと六つ追加で」
「か、かしこまりました」
ウェイターはこの細い二人の女性のどこに大量のデザートが入っていくのか不思議そうな顔をしながら戻っていった。
「それでね、かずさ、あなたいつウィーンに戻る?」
曜子のその問いかけに、二人のスプーンが止まる。
「…まだ…挨拶したい人がいてね。その人といつ会えるか分からないからまだわからない。いつ帰るかは、それから決めるよ」
かずさと春希は目配せをする。
曜子は二人のその様子を見て、二人が『挨拶』しておきたい、しなければいけない相手を思う。
「レッスンが始まるまで時間があるから自由にしなさい。でも日時が決まったら早めに連絡頂戴ね、チケット予約しておくから」
「――分かった、ありがとう。母さん」
◇◇◇
曜子との食事会が終わった。曜子はそのままグランドホテルに泊まっていくそうだ。
春希とかずさはホテルのロビーでタクシーを待っていた。
「これから忙しくなるな…」
「バイト減らしたらどうだ?」
「そうだな、必要最低限にして、空いた時間は勉強にあてるよ。でも出版社のバイトは最後まで続ける。あそこでの経験はマネージャーとしても生きてくるしな。でも、麻理さんに正社員の話断らないと…」
「麻理さん? 女が職場にいるのか?」
「女性はどの職場にでもいるよ。ファレミスでも予備校でも」
「下の名前で呼んで、やけに親しそうじゃないか」
春希をジト目で見つめてくるかずさ。
「お、お前、麻理さんに妬いてるのか? お前が思っている関係になんてない! 麻理さんがアンサンブルの記事書くよう薦めてくれたんだぞ」
「そ、そうなのか…」
雪菜と春希の中を割いてくれた記事、春希をコンサートチケットを送るきっかけになった記事。その記事を春希に書かせてくれた人、麻理。
見たことも会ったことも無い人物に心から感謝するのは、生まれて初めてかもしれない。
「――その出版社、何て名前だっけ?」
「開桜社」
「そこの会社のインタビュー、優先して受けるようにするよ。インタビュアーがその麻理って人だったら最優先、プリンを食べていてもインタビューに行く」
「そ、そうか、麻理さんも喜ぶよ」
話しているうちにタクシーが来た。
二人はロビーを出てタクシーへ向かおうとすると、春希のポケットの携帯が震えた。
「かずさ、先にタクシー乗っていてくれ」
「分かった」
春希はポケットから携帯を取り出した。
――ディスプレイを見ると、メールが一通届いていた。雪菜からのメールが…
1月5日 19時 有海グランドホテル
「――元気そうね、ギター君」
曜子はすっかり完治して、きちんとスーツを着込んでいる春希に向かい、微笑んだ。
ここは有海グランドホテルの最上階にあるレストラン。
曜子から会食の場所が伝えられた時、春希は一瞬ためらった。クリスマス、雪菜と食事した時の事を思いだしてしまって…
それでも、春希は場所の変更を申し出なかった。
自分はかずさと共に歩む、そして雪菜に全てを話す、その決意の表れ。そしてもう雪菜がかずさと自分の関係に影響を与えることはないことの証明に。
1月1日、春希とかずさは二人のこれからへの想いを伝え合った。
それから四日間、春希はかずさの買ってきたドイツ語の参考書を読みながらベッドの上で静かに暮らした。
かずさは悪戦苦闘しながらうどんを作ったり、薬の用意をしたり、恥ずかしがる春希をなだめながら体を拭いたりと、春希のために尽くした。
かずさの献身のおかげで春希の熱は完治し、こうして曜子に今までの事の感謝と、これからの事を話す機会を得た。
「はい、色々と買い揃えていただいてありがとうございました。おかげさまで、体調の方は万全です」
「いいのよ、あなたがあんな風になっちゃったの、私の娘のせいでもあるんだし」
「は、ははは…」
春希は苦笑いをしている。
「いや…それは…うん…そうなるのかな…」
かずさはどこかとぼけた表情をしながらぼそぼそと話した。
「二人とも否定しないのね、そりゃそうか、もう嘘なんて吐く必要ないもんね」
「はい」
曜子に向かい、まっすぐに答える春希。
「じゃあ聞かせて、あなたはどうしたいの?」
「俺は、かずさと一緒に居たいです。たとえかずさがどの国に居たとしても」
曜子はかずさを見ていた。三年間愛し続けていた男が、故郷を離れても自分と一緒にいたいと話している様子を見ていた。
なんとまぁ満ち足りた表情をしているのだろうか…
「曜子さん、俺を、冬馬曜子オフィスで雇って下さい」
春希の人生をかけた申し出に曜子は顔色一つ変えない。だって、自分でそうなるよう動いていたのだから。娘が幸せになるように。
「あら、それは本当に良いことだわ。本当に…。でも、ヨーロッパに来てもらうのは一年後よ?」
「むしろ一年間、勉強の機会を与えてくれたことに感謝しています」
「さすが優等生らしい回答だわ。かずさ、一年後、彼があなたのマネージャーになって、あなたがどこ行くにしてもべったりついて来るけどいいのね?」
「母さん…あたしの反応楽しむために聞いてるだろ…」
「ふふふ、バレちゃった。でもあなたの表情を見ているだけでも楽しいわ。あなた今、本当に幸せそうよ」
「……否定はしないよ」
「春希君、ご両親に説明はしたの?」
「一応、卒業後に外国へ行くことは伝えますが、反対されるような事は一切無いと思います。……お互い、関心が無いので」
「屈折してるのね…」
そう言いながらも、曜子は心の中で喜んでいた。かずさと春希の関係の妨げになるものは少ない方が良い。
「それじゃ、口頭での契約完了ってことで。ようこそ北原春希君、冬馬曜子オフィスへ」
「よろしくお願いします、曜子さ…いえ、社長」
「ふふっプライベートな席では曜子でいいわ。いえ、『お母さん』でもいいわね」
「ちょっと母さん!」
「何よ、間違ってないわ。春希君を見てみなさい」
春希は顔を紅くしながらうつむいていた。
「その件については、もう少し時間を……」
「――春希?」
春希の表情と言葉の意味を察し、かずさの顔も紅くなる。かずさのマネージャーとなり、一生支えていく。それは当然、仕事上だけの話ではない。
「自分で言っといてなんだけど、見ているこっちが恥ずかしくなるわね。この私からこ〜んなピュアな娘が生まれるなんてね…とりえあえず…」
曜子はグラスを掲げた、春希とかずさもグラスを持つ。
「――二人の未来に」
三人はワインを口に運ぶ。春希が今まで口にしたどのワインよりも芳醇な香りが口の中を包む。
そのあまりの美味しさに、つい曜子にこのワインの品名と値段を尋ねそうになる。でも聞いてしまったら気が引けて飲めなくなってしまいそうなのでやめた。
前菜の後、ウェイターがステーキを運んできた。その霜の降り具合はこれまた春希には値段の想像がつきそうにない。
「――お母さん、じゃなくて…」
ステーキをナイフで切りながら、曜子が話す。
「じゃなくて、何なんだよ」
「おばあちゃん、って呼ばれる日も近いのかしらね? というより、もうなっていたりして」
曜子がかずさのお腹をのぞき込む。
「母さんの考えてるような事はしてない! 春希はずっと風邪を引いてたんだぞ」
「あらそう、お気の毒に」
曜子の言ったお気の毒に、がどういう意味を含んでいたのかは分からない。
春希とかずさは、ベッドでお互いの胸の中で眠ることがあったり、深いキスをすることはあったが、それ以上に発展する事は無かった。
春希が風邪を引いていたのも理由の一つだが、まだそこまでしてしまうには心残りがまだ二人にはあった。
二人が行為をしようとすると、初めての高校時代を思い出してしまう。
雪菜を裏切ったまま及んだ背徳の行為を。
――かずさと春希があと一歩先に進むには、やはり雪菜に全てを話す必要があった。
デザートが運ばれてきた、美味しそうな、というより食べるのがもったいないぐらい綺麗に飾られたティラミスだった。
「これ、あと三つお願いするわ。かずさは?」
「――同じく」
「春希君は?」
「い、いえ、俺はこれで十分です」
コース料理で追加ってできるものなのか、と春希は首をひねった。
「じゃああと六つ追加で」
「か、かしこまりました」
ウェイターはこの細い二人の女性のどこに大量のデザートが入っていくのか不思議そうな顔をしながら戻っていった。
「それでね、かずさ、あなたいつウィーンに戻る?」
曜子のその問いかけに、二人のスプーンが止まる。
「…まだ…挨拶したい人がいてね。その人といつ会えるか分からないからまだわからない。いつ帰るかは、それから決めるよ」
かずさと春希は目配せをする。
曜子は二人のその様子を見て、二人が『挨拶』しておきたい、しなければいけない相手を思う。
「レッスンが始まるまで時間があるから自由にしなさい。でも日時が決まったら早めに連絡頂戴ね、チケット予約しておくから」
「――分かった、ありがとう。母さん」
◇◇◇
曜子との食事会が終わった。曜子はそのままグランドホテルに泊まっていくそうだ。
春希とかずさはホテルのロビーでタクシーを待っていた。
「これから忙しくなるな…」
「バイト減らしたらどうだ?」
「そうだな、必要最低限にして、空いた時間は勉強にあてるよ。でも出版社のバイトは最後まで続ける。あそこでの経験はマネージャーとしても生きてくるしな。でも、麻理さんに正社員の話断らないと…」
「麻理さん? 女が職場にいるのか?」
「女性はどの職場にでもいるよ。ファレミスでも予備校でも」
「下の名前で呼んで、やけに親しそうじゃないか」
春希をジト目で見つめてくるかずさ。
「お、お前、麻理さんに妬いてるのか? お前が思っている関係になんてない! 麻理さんがアンサンブルの記事書くよう薦めてくれたんだぞ」
「そ、そうなのか…」
雪菜と春希の中を割いてくれた記事、春希をコンサートチケットを送るきっかけになった記事。その記事を春希に書かせてくれた人、麻理。
見たことも会ったことも無い人物に心から感謝するのは、生まれて初めてかもしれない。
「――その出版社、何て名前だっけ?」
「開桜社」
「そこの会社のインタビュー、優先して受けるようにするよ。インタビュアーがその麻理って人だったら最優先、プリンを食べていてもインタビューに行く」
「そ、そうか、麻理さんも喜ぶよ」
話しているうちにタクシーが来た。
二人はロビーを出てタクシーへ向かおうとすると、春希のポケットの携帯が震えた。
「かずさ、先にタクシー乗っていてくれ」
「分かった」
春希はポケットから携帯を取り出した。
――ディスプレイを見ると、メールが一通届いていた。雪菜からのメールが…
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