(承前)
 ちびたちと遊ぶ橋本健二をニコニコと眺めながら、朋はウーロン茶のグラスを片手に鼻歌を歌っていた。そこでひとつ、かずさはたずねてみることにした。
「今日――なんで……歌わなかったんだ……ですか?」
 問われた朋はひょい、と眉を上げ、
「前もって申し上げたでしょう? 今回は、歌えません、って。」
と、よどみなく答えた。
「う、うん――その通りです……でも……なぜ、ですか? あの時は、本番前だったから、「なるほどそんなものか」とあなたの申し入れを受け入れた。でも、終わってみると思うんだ。あなたなら、司会だけじゃなくて、雪菜みたいに歌えたんじゃないかって。」
 ――そう、あたしは、あなたの歌を知っていた。雪菜を送るとき、あたしのピアノで、あなたに「時の魔法」を歌ってもらったんだから。あれは、完璧だった。
 その思いを胸に食い下がるかずさに、朋は「えへへ」と笑った。
「――うーん、そりゃね、私もどっちかっていうと歌いたかったですよ、久しぶりに冬馬さんのピアノで。でもね、少なくとも今回は、ちょっと、準備不足かなー、って。」
「――そんなことは――それならそれで、リストをいじれば……。」
「――それじゃだめなんですよ。――もちろん、雪菜だってポップシンガーで、ちゃんとした声楽の訓練は受けてませんでしたから、アリアとか歌ってたわけじゃないことは私だって知ってます。実際2回は客席で聴いてましたから。でも――。」
「――そう、大体雪菜にだって、本格的なリートよりは、むしろミュージカル・ナンバーとか、映画音楽とか、ポップスに近いものを多く歌ってもらってたんだ。だから、柳原さんだって、十分……。」
 案外としつこいかずさに、朋は目を丸くして、ため息をついた。
「――うーん、まいったなあ。……わかりました、白状しますよ。すみません、今回「歌わない」といったのは、基本私のわがままでした。ごめんなさい。」
 頭を下げる朋に、かずさもほうっ、と、一息ついた。
「――いえ、謝っていただく必要なんか、ない。「わがまま」で、全然問題ない。そんなこと言ったら、そもそもあなたが「コンサートやれ!」って怒鳴り込んできたところから全部、あたしたちはあんたのわがままに付き合わされた、ってことになる。でも、それに結局はそれに乗っかって正解だったんだから、むしろ感謝してる。だから、わがままを責めてるんじゃあありません。ただ、何で、今回は歌いたくなかったのかな……と。」
 かずさの問いかけに、朋はグラスのウーロン茶をぐい、っとあおってから応えた。
「――そう、ですね。端的に、準備が足りないな、と思ったんですよ。雪菜の完璧なコピーをするにも、逆に、雪菜のことなんかなかったことにして、まったく新しい「うたのおねえさん」を作るにも。今回私が歌っちゃったら、雪菜の中途半端なコピーにしかならないな、と。それくらいなら、司会に徹しちゃったほうがいいな、と思ったんです。あくまでこのコンサートの主役は冬馬さんであって、「うたのおねえさん」じゃない。雪菜だって、そりゃ自分でも楽しそうに歌ってたけど、あくまでも冬馬さんを盛り上げることを眼目にしてたはずです。」
(ふふっ、相変わらず、朋らしいな。全然ぶれてないよ。自分が一番。――でも成長してる。)
 かずさの脳裏でまた、雪菜が楽しそうに笑った。
「そもそも私は、雪菜みたいな「歌バカ」じゃありません。機会さえあれば、何が何でも歌いたいってわけじゃ、ないんです。私が目指してるのはシンガーじゃありませんから。」
グラスを空にして言い切った朋に、思わずかずさは
「――そうか……つまり、マルチタレント?」
と突っ込んだ。さすがに朋は顔をしかめた。
「――間違ってないんだけど……そんな風に言葉にされると、なんかイヤですね。」
(でも、間違ってないよね。あたしが「歌バカ」なら、朋は「マルチタレント」。うん。問題ない。)
とかずさの脳内の雪菜は、反論されない強みを楽しむがごとく突っ込み続けていた。
 と、そこに
 きんこーん――
と呼び鈴が鳴った。インターホンの近くにいた春希が
「はーい?」
とたずねると、
「すみません、おそくなりましたー。」
と女性の声が応えた。
「ああ、お義母さん、わざわざありがとうございます。今開けますよ。」
「ああ、あたしも――。」
と立ち上がりかけたかずさを目で制して、
「おばさんたち、いらしたのね? いまお迎えしまーす。」
と朋は腰を上げた。

 春希に伴われてごった返していた冬馬邸のリビングに現れたのは、小木曽家の面々、雪菜の両親と弟の孝宏、そしてもう一人、若い女性だった。
「おじさん、おばさん、ご無沙汰しています。」
「ああ、お久しぶり、飯塚君。――すっかり、父親らしい貫禄がついたな。」
「えっ、俺、そんなに太りましたか?」
「大丈夫、まだそんなに目立ってないわよ。――でも気を付けた方がいいわ。」
「――まいったなあ……とにかく、お久しぶりです。お元気そうで何より。孝宏君も。」
「今晩は飯塚さん。おちびちゃんは?」
「ああ、おかげさまで。おーい、依緒?」
「はいはい。ちょっと待って……。」
 出迎えた飯塚夫妻と談笑する小木曽家に挨拶しようと、かずさは曜子に目くばせした。曜子は軽くうなずき、水野夫妻との会話を切り上げて立ち上がった。
 久しぶりに会う雪菜の父は、少し白髪が増えたようだった。しかし今日の夫妻は二人とも、雪菜が亡くなって以来の晴れやかな笑顔を見せていた。
「雪菜のお母さん、お父さん、今日はわざわざありがとうございます。」
「小木曽さん、奥様、ご無沙汰しています。娘がいつもお世話になっています……。」
と母娘そろって頭を下げると、
「いえ、こちらこそ、いつもいつも本当にお世話になっています。」
「冬馬先生、お久しぶりです。お嬢さんには感謝の言葉もありません。生前はもちろん、亡くなってからもここまで付き合って下さって……本当にありがたいことです。――先生も、おからだ、大丈夫ですか?」
「お気づかいありがとうございます。おかげさまで、何とかまだ生きておりますよ――。」
 何だか、どっちがより深く頭を下げるか、の勝負になってきつつあった。
「本当に、今日は、娘が亡くなってから初めての「子どものためのコンサート」だというのに、伺えなくて、申し訳ございません。」
 雪菜の父が改めて深々と頭を下げた。
「こうなってみると、生前、もっと雪菜のステージに足を運んでやればよかった、と悔やまれます。――まあもちろん、本人は私どもが客席にいることを、ひどく嫌がってはいましたが。しかし、こうして「コンサート」が続くことで、なんだか、あの子が生きていた証が刻まれていくようで……本当に、感謝しています。」
「ええ、主人の言うとおりですわ。朋ちゃん――柳原さんもね、本当にありがとう。」
「――やだ……おばさん……やめてください――。」
 朋は泣き笑いになった。
「――今日のコンサートに伺えなかったのは、ひとえに、ぼくたちのわがままによるものですから、ご勘弁ください。」
 そこに緊張した面持ちで割って入ったのは孝宏だった。
「はい、孝宏さんと私――いえ、私の事情によるものですから。本当はお父様もお母様も、お出でになりたかったはずです……。」
と、孝宏の隣の女性も、頭を下げた。そして、
「ご挨拶が遅れました。冬馬曜子先生、はじめまして。園田亜子、と申します。冬馬かずささん、お久しぶりです。」
と、まっすぐ前を向き、曜子とかずさに、やや緊張した面持ちで正対した。
「ああ、あなたが……。お噂は伺ってますよ。大丈夫、今日の事情は小木曽さんたちからちゃんとお聞きしてますから。」
 曜子は破顔した。かずさも、
「ああ、お久しぶり、亜子さん。――おめでとうございます。孝宏君も。」
と明るく声をかけた。
「あ、ありがとうございます!」
「……ありがとうございます!」
と亜子は、そして涙ぐみながら孝宏も、再び頭を下げた。

(まったく、肝心なところで抜けてるんだから、孝宏も、お父さんも……。)
 頭の中の雪菜がため息をついた。
(まあ、言ってやるなよ。こっちも、朋のおかげで、急にどたばたと話が進んだわけだし、向うも困ったんだろうさ。)
 少し酔いが廻った頭で、かずさは脳裏の雪菜に切り返した。
(まあね。結局、朋が悪い、としとけば、丸く収まるよね。……でも、なんだか安心したよ。お父さんもお母さんも、またあんな風に笑えるようになったんだ……。)
 今日、小木曽家の面々がコンサートに間に合わなかったのは、孝宏と、園田亜子との結納のためだった。本来であれば、もう1年以上も前に済んでいるはずだったのだが、雪菜の急逝のために延期となっていたのである。雪菜の喪が明けてどたばたと進めて、何とかスケジュールを都合してセッティングが終わったあたりで、今回のコンサートの日取りが決定したのだから、どうしようもなかった。
(死んじゃった者より、生きてる人の方が大事だもん。うん、これ以上引き伸ばさなくって正解だよ!)
(それはそう……なんだろう……けど、さ。)
(かずさ。かずさの、大事なもの、は、何?)
 軽やかに笑っていた脳裏の雪菜が、急にこちらを向いて静かにたずねた。狼狽したかずさは、つと眼を泳がせた。そこに、孝宏、亜子と談笑する春希がいた。
(そう、だよね!)
 雪菜が脳裏で再び笑みを見せた。かずさは目を閉じた。





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