バー「ゆきねこ」


 麻理は苛立っていた。
 2次会に出ずに自分を追ってきたこの瀬之内晶という女は、親友の佐和子ともすっかり仲良くなってしまった。
 それだけならまだしも、この女の話術に引き込まれた佐和子は自分との近況話もそこそこに、冬馬親子についてのゴシップ話に興じだした。
 その話の内容たるや、2次会はおろか3次会でも完全アウトな下品たものであった。

「え〜。北原さん、そんなこと佐和子さんに相談しに来たんですか?」
「そうなのよ。しかも、自分の事だと隠そうとして。
 『とある記者が独占取材を受けたら、ホテルで隣室になってて…』って、何が『とある記者』よ。あなたのコトなのはバレバレよって」
「うわ。それヒきますわ…仕掛けた曜子社長にもかずさにも。何考えているんでしょう?」

 そんな女同士の醜聞の宴に対し、麻理はワイングラスをコツコツと鳴らして苛立ちを示すが、2人の話はエスカレートする一方だった。
「曜子社長も手口同じですよね。
 知ってます? 今年の初めのかずさ来日時のコンサートあったじゃないですか。あの時も北原さんが担当だったんですが…
 なんと、曜子社長、独占取材に北原さん指名した上に北原さんの自宅アパートの隣室まで抑えてそこにかずさ送り込んで…おまけに、布団とか家具の購入から家事身の回りの世話まで北原さんにやらせたそうなんですよ。
 独占取材の見返りとはいえやらせすぎですよね。こういうのって問題にならないんでしょうかね?」
「うわ…なんてコロンビーナ文庫的展開。
 それ、もう何回かお手つきあったんじゃない?
 健康な男ならガマンしきれるものじゃないわよ。
 まして、向こうがその気なら」
「親使って男に迫るのってタチ悪いですよね。何しに日本に戻って来たんだか。
 しかも、その取材のことを雪菜さんにも黙っておくようにさせたらしく…」

 たんっっ!

「いい加減にしろ!」
 ついに業を煮やした麻理がグラスを置きつつ二人のゴシップ話を遮った。
「この場にいない人のことをそんなに悪く噂するものじゃない!」
 怒気を見せる麻理に、佐和子は少し呆れ顔で反論する。
「おーこわ。噂話もメシのタネじゃない。あなたの」
 千晶は少し距離をおいて食い下がる。
「それは〜。風岡さんは開桜社の人として、かずさに逃げられたら困るわけですから、北原さんもジャーナリストとして腹くくってプライベートをある程度捧げるべきと考えるのはわかりますけど〜」
「…そういうことじゃない。あいつらは元から友達なんだ。知ってるだろ?」
「わたしも峰城付属の同学年なんでそれは知ってますけど、彼女さんにも内緒で隣の部屋に飛び込んでくるような事情、風岡さんはご存知なんですか? 来日の前後、開桜社で何かあったんですか?」
「……」
 麻理は答えるべきか悩んだ。

 千晶はそんな麻理の様子に目を光らせていた。

 この反応の仕方は…そして、やはりあのグラスは…
 間違いなく知ってるな。それもかなりのところまで。
 話に食いつかせるところまでは持ってこれた。
 ここからは違う方向から攻めないとな。

 千晶は少し攻め手を変え、春希たちを心配する人物を装った。
「友達としてはわたしも心配なんですよ。
 かずさをこのまま北原さんたちのそばに居させていいのかって。北原さんたちの関係壊しやしないかって。
 1.5次会で一緒に演奏するほど仲がいいけど、本当は二人は、いや、三人とも無理をしてるんじゃないかなって」
 佐和子もそれに便乗してきた。こちらは半分面白がってではあるが。
「わたしは詳しくは知らないけど、麻理は北原君から直接相談をされたのよね。今年初めのアンサンブルの増刊の件。どうなの?」

 麻理は眉を寄せて、ため息をついた。
 やはり話すしかないか。
「知っているが、私は彼らの保護者でも何でもない。
 ただ、彼らの選択を尊重してやりたいと思っている。
 そのつもりで聞いてくれ」
 そう言うと麻理は語り始めた。

「3人の関係を聞いたのは3年前、春希に冬馬かずさの記事を書かせた時のことだった。私は同窓の北原が自分のコネを駆使した記事の書き方を覚えてくれればいいと思っていた。
 軽率だった。
 まさか、北原春希と冬馬かずさの間に深い関係があったとは思ってもいなかった」
「付属の軽音楽同好会ですか?」
「ああ。あの峰城祭の後、雪菜さんと付き合う事にした北原だが、実は冬馬かずさへの恋心を捨て切れていなかった。冬馬かずさもまた、北原に惚れていた。
 友人として3人で旅行するほど雪菜さんも冬馬かずさと親しかったが、その裏では北原と冬馬かずさは惹かれてしまっていたらしい。
 そして、冬馬かずさがウィーンへ留学する前の晩、2人は一線を越えてしまった。それで雪菜さんとの関係もこじれ、冬馬かずさも関係を絶ってしまった。
 私はそんな男に過去の傷をえぐり出すような真似をさせてしまった」
 麻理はグラスの端を軽く噛んだ。

「こじれたままの雪菜さんとの関係には春希も苦しんでたし、雪菜さんも苦しんでた。
 そんな中、あの記事が2人の傷を表に開いてしまった。互いに傷つき傷つけながらも前に進めなかった3年分の傷が露わになり、しばらく2人は断絶状態になってしまった。
 仕方あるまいな。あの記事を少しでも事情知る者が読めば北原が冬馬かずさへの想いを捨てられてはいないことは自明だったからな」
 ここで、麻理はしばらく沈黙した。

 その沈黙を破ったのは佐和子だった。
「それで麻理はどうしたの?」
「……」
 麻理は答えずゆっくりとグラスを揺らし続けた。
 その様子は次の言葉に迷っているというより、何かを自問しているように千晶には見えた。

 グラスが空になり、ようやく麻理は続きを口にした。
「私にできたのはその悩みを聞いてやることぐらいだった。肯定も否定もせず、ただ聞いてやっただけだがな。 その後、北原は雪菜さんと関係修復したと聞いた。
 それまでは周囲との間に一枚壁を作って仕事に逃げてるようなきらいのあった男だが、それを機に変わってくれたから良かったと思う」

 佐和子はそれを聞いて残念そうに言った。
「麻理にとっては残念だったわよね。あの子を麻理が『自慢の部下』と言って連れてきた時は麻理にお似合いだったと思ったんだけどね」
「はは、何を言ってるんだ。二股男などこちらから願い下げだよ」
 麻理は即答し、マスターの満たしたグラスをあおった。

 千晶は『その答え、佐和子さんの問いを予想して前もって用意してましたね』との追及を飲み込んだ。
 今はかずさについて語らせる方が先だ。

「…その話は3年前の話ですよね。去年の来日の時は?
 かずさは…かずさは関係を壊して、手遅れな時の過ぎた後になって春希に近づいてきただけなんですか!? 春希はその時、風岡さんに何を相談したんですか?」
 千晶は麻理に詰問するような表情をつくってみせた。春希のことも『北原さん』ではなくワザと『春希』と呼んでみせた。

 麻理は少し気圧されつつ答えた。
「まあ、落ち着け。
 ここから先は私の主観も憶測もかなり入る。私も北原から全てを聞いたわけではない。
 そして、冬馬かずさともそれほど深く話したわけでもないし、冬馬曜子とは話せてはいない。
 私は北原から話を聞いた上で、アンサンブルの増刊の件でも助言はした。しかし、そこから先は彼らの選択だと思っている。
 そのつもりで聞いて欲しい」

 麻理は再びグラスを空にした。しかし、酒が入りながらも麻理の眼光は鈍くなるどころかより鋭さを増した。
「ようやく麻理らしくなってきた」
 佐和子は麻理の様子を楽しそうに見守った。
 千晶はじっと、麻理の言葉を待った。


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