雪菜Trueアフター「月への恋」第三十一話「夏と海とバンドと(4)」



 ひと通り浜遊びを楽しんだ一同は、いよいよ今回の旅行のメインイベント、クルージングと船上バーベキューに向かわんと、『ムタラース』号の停泊する桟橋へと向かった。

 防波堤の陰に隠れていた『ムタラース』号の船体を見て、春希らはその大きさに驚きの声をあげた。
「何これ! こんなの操縦する資格ってどんなの?」
 雪菜の疑問に早百合が答える。
「一級小型船舶操縦士免許です。20トンの船までOK。この船で16、7トンですね」
「いったいいくらぐらいするのかなあ?」
「10万くらいかかりますが、数日で取れますよ」
「ううん。この船の値段」
「億いくそうですね」
「…庶民には高嶺の花だね」
「でも借り物です」

 春希は船長早百合の操縦の腕の方が心配だった。
「免許取りたてでこんな大きな船の操縦、大変じゃないか?」
「ヨットハーバーからここまで20キロ近く操縦してきましたし、慣れました。車と違って他の船や人はほとんどないので楽で気持ちいいくらいですよ。ヨットハーバー出たらたまに釣り船見えるくらい。
 電子コンパスにGPS魚探付き海図ナビまであります。天気予報も調べあげてますし、航海に危険なものはありません。
 しかし、何事にも万一の事はありますからいざという時はわたしの指示に従ってください」
 春希は安心した。同じ免許取りたてでもどこかの誰かとは違うようだ。

「よし、乗り込むぞ〜。クルージングだ〜」
 千晶がはしゃいで船に乗り込む。早百合はフライングデッキの船長席に陣取り乗船状況を見守った。
 乗った春希たちは外見に引けを取らない内装の充実ぶりに驚く。
「へえ、この一枚板テーブルはウォールナット材じゃん。うちにもあるけど結構値が張るよ、これ」
「ソファーすげえよ…ホテルのロビー並みだな」
『ブッ…あ〜、あ〜。どうぞ乗客の皆様、ご遠慮なく座ってください』
「わわ。船内放送までできるんだ。すご〜い! あ、見て見て、春希くん。テレビにカラオケマイク付いてる!」
「雪菜…カラオケは止めときな」
「あ、エアコン動いた」
『只今、当船はエンジンを始動し、出航準備にかかりました。どうぞおかけになってお待ちください』

 最後に係留ロープを解いた孝宏が乗り込んだのを確認し、早百合は船を動かし桟橋から離す。
「おお〜! 動いた〜」
 千晶は船首に陣取り、海を指して見得を切る。
「いざ行かん! 黄金の羊毛を求め!」
「不吉な船の話を出さないで下さい」
 小春はすかさず副操縦手席から突っ込んだ。

『それでは出港です。『ムタラース』号と共に船の旅をお楽しみ下さい』
 小春のアナウンスと共に船は真夏の太陽に向かって進み出した。




 操縦席は2階建てのブリッジの上にある。
 早百合は高い位置から船と海を見下ろしつつ船を操り、小春はそのサポートをする。
 その下、サロンスペースでは亜子と美穂子が海図に手書きされたクルージングのコースを春希に説明していた。
「最初の目的地は…恋人岬?」
「ええ、『愛の鐘』という鐘が置いてあって、恋人と一緒に鳴らすと結ばれるという伝説があります」
「へえ、面白そうだな」
「ふふふ、行ってみるともっと面白いと思いますよ」
「?」
 くすくすと笑いを堪える亜子と美穂子。何か隠していることがあるようだ。




 雪菜とかずさと千晶は船首に陣取り、海の風を楽しむ。
 水着に合わせた花柄レースの雪菜のチュニックが風で膨らんでいる。
「結構スピード出るね! 気持ちいい!」
 雪菜は幅広の麦わら帽を押さえつつ、子供のようにはしゃぐ。
「ああ、でも少しスピードが速すぎないか?」
 かずさは風でバラバラになる髪を左手で、雪菜から借りたポンチョがはためくのを右手でなんとか押さえようとしていた。

 見かねた千晶がシュシュを持ってきた。
「ほら、上の子から借りて来たよ」
「ありがとう、千晶」
「ビーチウェアもちょっとは持って来ないと男ひっかけられないよ」
「誰が男ひっかけるんだよ」
「あれ〜? そんな水着着てきた人のセリフ?」
「………」
「はい、できたよ」
「…ありがと」
 かずさの長い黒髪は後ろでひとつにまとめられた。

「こうやって見ると、二人とも姉妹みたいだね」
 千晶がそう2人を評する。
「!」
「…えへへ、そうかな?」
 ちょっと驚いた様子のかずさに照れる雪菜。もっとも、姉妹のように見えるのは2人の着てるポンチョとチュニックが同系色の花柄だからかもしれないが。
「どっちが妹だ?」
 かずさの問いに、千晶は余計な事まで答える。
「雪菜は抜け目のないしっかり者の妹で、ビーチウェアまで妹に借りちゃうちょっと抜けてるお姉さんがかずさかな」
「…重装備の千晶に借りれば良かったかな?」
 かずさの言葉には若干トゲがあった。

 千晶はパーカーにタイパンツ、カンカン帽と日焼け完全防護態勢。確かに『重装備』だ。
「ひひひ。わたしには舞台の上のわたしを金出して見に来てくる客がいるからさ。いつ何時も気を抜く訳にはいかないのさ」
「千晶さんも大変だね。プロだもんね」
 感心する雪菜に千晶はからかうように言う。
「あらあら、春希くんの為に着飾る雪菜さんのほうがずっと健気で美しくいらっしゃってよ。ほーっほっほ」
「…んもう! 千晶さんたら!」
「それに、ビーチにはどこかの誰かさんみたいにきわどい水着で男を誘う悪いオオカミ女がいるからねぇ。雪菜さんも気が抜けませんて」
「わたしの水着のコトをそれ以上ネタにするのはやめろ!」
 かずさの顔は水着の柄より赤かった。




 依緒と武也、孝宏は船尾デッキで流れていく風景を楽しみつつ、目的地の話をしていた。
「へぇ。恋人岬ねぇ」
「ええ。2人で鳴らすと永遠に結ばれる『愛の鐘』がある他、『恋人証明書』も発行しているそうですよ。帰りに水沢さんと寄ってみます?」
「なっ!? 何を!」
 真っ赤になる依緒。対して、武也はさらりと受け止めて返す。
「いいねぇ。孝宏君も誰か2、3人と発行してもらってくるかい?」
 想定済みの返しに孝宏もノリツッコミで返す。
「そうですねぇ、じゃあ誰と誰…って、複数人と発行してもらうってどんだけ鬼畜なんですか、俺」
「いやいや、どうだか。バンドメンバーの立場を利用して4人とよろしくやってるんじゃないの?」
「勝手に話作らないでください。
 同じバンドにいたら付き合ってたことになるんだったら、今ごろ俺は北原春希と呼ばれてます」
「はは…」
 依緒の笑いは乾いていた。




 最初の目的地の恋人岬が近づいてきた。岬の突端に鐘架が見える。
 しかし、皆の目を引いたのはそれだけではなかった。
「見て! あれ!」
 いち早く気づいた雪菜が叫ぶ。
 見ると、岬の上にたくさんの人が集まっている。皆、背広にドレスと盛装だ。手にはハート型の紙風船を持っている。
 そして、鐘架の下にいるのは…
「ウェディングドレスだ! 結婚式だよ、あれ。すごいぞ!」
 かずさも興奮している。サロンの春希たちもデッキに出てきた。

 小春は岬の上の司会者に手を振って合図するとマイクを握った。
『前方の恋人岬では、ちょうど結婚式が行われている模様です。当船もささやかながら若い二人の門出をお祝いしたいと思います』
 小春がそう船内放送すると、早百合は汽笛を高らかに鳴らした。
「ほいきた!」
 さらに孝宏が『航海の安全を祈る』を意味するU旗とW旗をマストに上げる。

 岬の上の司会者がそれに応じて参列者にアナウンスする。
「ご覧ください。海を行く船も2人の門出を祝っています。それでは、私たちも祝福の気持ちを大空に向け、2人のこれからの幸せを願いたいと思います。………おめでと〜っ!」
 司会者の合図と共に参列者の手からハート型の紙風船が一斉に大空に放たれた。
「わぁ…きれい…」
 雪菜が感嘆の声を上げる。小春が機を逃さずシャッターを切る。

「向こうの司会者さんと調整済みだったんだな」
 春希は感心した。小春は今日、恋人岬で結婚式が開かれる事を事前に調べあげた上で、向こうの司会者と調整して、サプライズ演出を手伝う代わりに結婚式の見学をかこつけたのだ。
「もちろん。いきなりお邪魔したら迷惑かもしれないじゃないですか。この写真も後で送る約束です。このアングルからの写真ってなかなかないですからね」
 小春はカメラを手に得意になって言った。

「ね〜ね〜。あのカップルってどんな人たちなの?」
 千晶の質問に小春は答える。
「地元のホテルの従業員さん同士ですって。職場結婚らしいです」
「ふ〜ん。見ず知らずの人を祝福するのって不思議な気持ちだけど楽しいね」
「そうですね」
「小春ちゃん。結婚式のサポートとか天職なんじゃない?」
「え!? な、なんでですか?」
「当人たち以上に結婚式を盛り上げることに熱心で、結ばれる二人のために労苦を惜しまず、共に喜ぶことができる子だからかな。あなたが」
「えっと…」
 照れて返事に詰まる小春。
「あ、トラベルライター志望だっけ? ま、まだ若いんだから可能性は無限大だし、いいんじゃない?」
「どうも…」
 そう言われつつ小春は「北原先輩の結婚式でなければ何も躊躇することなく応援できているのだろうか?」と自問していた。
 春希と結婚式について詰めようとするとすぐ言い争いになってしまうことが少なくない。特に最近はその傾向が酷いので、雪菜を介して打ち合わせをするようにしてしまっている。
 「2人の結婚式については少なくとも『共に喜ぶこと』はできていないな、とくに先輩の前では…」と小春は思った。




 恋人岬を離れたムタラース号はさらに南下し、黄色っぽい剥き出しの岩肌が見える岬の近くに停泊した。
「ここは?」
「夕日の絶景スポット、黄金崎です。
 この崖の地層は海底火山の火山灰が固まってできたもので、夕日を浴びると黄金色に染まりま〜す。
 まだ夕日まで時間がありますが…バーベキューでゆっくり待ちましょう!」
 小春の言葉を合図に孝宏が炭の梱包を解き始める。

「そういや、孝宏君はグッディーズでキッチン担当なんだって?」
「そうなんですよ。かなりの腕ですよ。
 北原先輩の編み出したコロッケトラップにもひっかからなかったんですから」
「へえ。あの底意地の悪い罠は北原さん考案だったんだ」
「ちょっと、孝宏君、杉浦、誤解だ…」

 コロッケトラップ
 グッディーズ某店でフライヤーを任される前にくぐり抜けなければならない試練だ。

 グッディーズでコロッケを揚げるには、混雑前に自然解凍しておいたものを除いて、「解凍してから揚げる」という手順が必要になる。
 しかしこの解凍時間、コロッケの種類によって全然違うのだ。
 通常のコロッケ、大判コロッケ、クリームコロッケ、カニクリームコロッケ、付け合わせ用ミニコロッケ、子供用ミニクリームコロッケ…これらの解凍時間を誤るとどうなるか? 答えは「揚げる時にコロッケ内の温度差により爆発する」である。
 グッディーズ某店ではステップアップの時期になったキッチンのバイトに「フライヤーやってみる? コロッケ一通り揚げてみて」ともちかける。何の注意喚起もなしに。
 何も知らず「フライヤーを任されれば時給アップだ」と意気込む挑戦者の8割はこのトラップにひっかかり、まかないに爆ぜたコロッケを食べさせられるとともに再挑戦までまた長く待たされることになる。再挑戦時にまで失敗する者も珍しくない。
 孝宏はこの試練に一発合格した。たまたま前日別件で軽いミスがあり、マニュアルを読み返していた等の幸運にも恵まれてではあったが。

 ただ、このトラップの考案者が春希であるというのは誤解で、春希が来る前からこの試練は行われていた。他の店舗でもこの試練を使う店舗は少なくない。
 嘘の噂を流したのはホールの中川嬢であったが、春希の普段の人柄もあり、この間違った認識がグッディーズ某店では今でも語りつがれている。

「孝宏ったら、家では全然ご飯の支度手伝ってくれないんだよ。今日こそはお手並み拝見させてもらうからね」
「へいへい、どうも」
 雪菜に促され、孝宏がまず炭熾しから始める。
 手際良くコンロ内に炭を並べた孝宏が手にしたのはガスバーナーだった。アルミホイルで簡単な盾を作ると軍手をつけ、バーナーで直接炭を炙る。

 ばちばちばちばち…

 急激に熱された炭の表面が音をたてて爆ぜる。アルミホイルの盾はこの対策だ。
「ずいぶん荒っぽい熾し方だな」
「ちんたらやってらんないッスよ」
 春希の言葉を軽く受け流すと、孝宏はあっという間に炭を熾してしまった。素早く炭を配置し直すと焼き網を置く。その上に岩塩プレートや小型の鉄鍋─100円均一の鋳物製小型フライパン、通称『100スキ』─が並べられ、網の左半分を占拠する。
 さらに孝宏は手元のカセットコンロに中華鍋を乗せた。
「さ、姉ちゃんたちはサロンで待ってて。すぐにご馳走届けるから」

 人数が多いので、後部デッキのコンロ周りは孝宏含む『だれとく』5名のみ。雪菜たち6名は冷房の効いたサロンで料理が届けられるのを待つ。小春たちが給仕も兼ねる形だ。
 ドリンク担当の亜子から各自に飲み物が配られる。ただし、操船をする早百合はもちろん『だれとく』の皆はこの後演奏があるのでアルコールはなし。サロンのメンバーはビールサーバーから泡立ち美しく注がれたジョッキを手にする。

 小春に促され、雪菜が乾杯の音頭をとる。
「え〜。この度はみんなと旅行でき、ほんとうにほんとうに嬉しいです。
 依緒たちは宿を準備してくれたし、早百合ちゃんたちは素敵な船旅に招待してくれたし、孝宏はこれから腕を振るってくれます。
 春希くんや武也くん、和泉さんも忙しい中ありがとう。特にかずさはツアー中なのに無理して参加してくれてほんとうに嬉しい…」
 それを聞いてかずさは「全然無理なんてしてないよ、やだなあ…」とひとりごちた。
「こんな幸せな日がいつまでも続くといいな、この旅行のことはずっと思い出に残るだろうな、そして、またこんな旅行ができたらいいな。そう思います。
 やだ、涙出てきちゃった…じゃあ、みんなに今日この日のような幸せが続くことを願って、乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱ〜い!」
 グラスが合わせられる音が鳴り響いた。



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