雪菜Trueアフター「月への恋」第十三話「落ちた彗星〜依緒と武也」

6/13(金)冬馬邸にて


 冬馬かずさが初めて出演したテレビCMがオンエアされた。
 それはアムピトリテ社の新成分配合の化粧水のCMであった。
 かずさがピアノを弾くと鍵盤から水玉が宙に舞い、暗いホールがいつのまにか瑞々しい草原に変わるという幻想的な映像が全国のお茶の間に流れた。

 アムピトリテは武也の勤める化粧品会社であり、今回のCM撮影にあたっては武也が一時的に広報部に支援に入り、かずさの担当にあたった。
 冬馬曜子オフィス恒例の「お友達仕事」である。

 ともあれ、撮影はつつがなく終了。
 本日はかずさのCMオンエアを祝う飲み会が開かれた。春希に雪菜、依緒に武也、朋が集まってかずさのテレビCMデビューを祝った。
 二次会はカラオケ。もちろん、雪菜と朋以外はマイクを握りすらしなかった。
 そして今、冬馬邸では三次会が開かれていた。とはいえ日付をまたぐこの時間、参加者は翌日仕事がない依緒とかずさだけであった。少し酔いが回ったかずさを自宅まで送るついでに、朝まで飲もうという事になっていた。
 
「ういっす。それでは、これからのかずさの活躍を祈念して改めてかんぱ〜い」
「かんぱ〜い」

 甘いポートワインにつまみはチーズと野菜スティック。つつましくはあるが、女2人のガールズトークに花が咲く。

 帰国後、しばらくは2人の仲はぎこちなかった。5年の月日が流れていたし、かずさは有名なピアニストになっていた。そして何より、春希と雪菜の関係をかずさが壊してしまわないかと、依緒や武也、朋は恐れていた。

 しかし今ではかずさも、春希と雪菜のことを祝福してくれている。かずさの心情は複雑なところがまだあるだろうが、そこは慰めてあげたいと皆思っていた。

 そうして、かずさを輪に入れた皆の時間がゆっくりと回りはじめた。今ではもう「依緒」「かずさ」と名前で呼び合う仲だ。

「しかし、アムピトリテ社も度胸があるなぁ。わたしがふだん化粧するのに手を抜いているのなんてすぐわかりそうだけどなぁ…ちゃんとするのは公演の時ぐらいで、それも美代子さん任せなんだけど」
「ははは、モイスチャーローションのCMだから別にいいんじゃない」
「…部長がいろいろメイクのコツ教えてくれたよ。『ウチの他の商品もよろしくお願いしまっす〜』だってさ」
「なにそれ。ひょっとして買わされた?」
「うん。お友達卸値超特価だったんで、ひととおり一式」
「くくく…かずさお人好しすぎるよ。でも、あそこのスキンケア、ヘアケア商品は評判いいけどね」
「そうなんだ。まぁ、でもいろいろ教わったとおり試してみたんだけど…」
「みたけど?」
「…今日も部長しか気づいて誉めてくれなかったなぁ…」
「…あちゃー」

 依緒は苦笑した。鈍感さに定評ある春希が気づくはずがない。例え奇跡的に気づいたとしても、雪菜の前で誉めるのはためらうだろう。

「…まぁ、ナチュラルでセンスよくできていると思うよ。土台もいいし」
「…女に誉められてもなぁ…」
「…あはは…でも、春希も雰囲気変わったって言ってなかった?」
「ああ、最初に言ってくれてたね」
「フレンドリーな感じするの、そのメイクのおかげもあるんじゃない?」
「…かもなぁ」
「きっとそうだよ。それに初夏っぽい感じも出ているし、春に会ったときとは違う雰囲気出てるって」
「…そうか…そうだね。あぁ、そういえば相談したいコトがあったんだ」
「なに?」
「じつは、夏に向けて…」

 かずさがその相談内容を口にするや、依緒の顔色が変わった。

「やめて!」
「え?」

 あまりの依緒の剣幕にかずさは呆気にとられる。

「いや、わたしがCMしたの『ネルセア』とかじゃなくて、化粧水だし、イメージダウンにはならないと思うんだけど」
「…それでも、ダメ…」
「CMで顔が全国に知られちゃったせいでちょっと大変なんだ。いい手だと思うんだけど…」
「…ダメ、絶対」
 依緒は断固として反対の態度を崩さない。

「…わたしと春希のことは知っているだろ…むしろ普通のことじゃないか…」
「そんなのっ!…」
「…あ……」
 かずさは気づいた。依緒の両目に涙が溜まっている。
 依緒がかずさの思いつきにここまで頑なに反対するのは、依緒の個人的な何かのせいだと。

 依緒は溜まった涙を落としつつ語り出した。
「そんなことしたら、春希も雪菜も傷つく! そして何より、あなた自身も毎朝鏡を見てきっと後悔する! すぐに元に戻ると思っているでしょう? そんなことないんだからっ!」

 もう、依緒がかずさだけのことを語っているのではないことは明白だった。かずさは依緒の頭を抱いて言った。
「わかった。やめる。
 でも、良ければ依緒の話、聞かせてくれないか?
 …わたしの最近できた友達ならこう言うと思うんだ。『誰かに話した方が楽になるよ。例え相手が最低のクソ女でも』って」

 依緒はうなづきつつ、まだ誰にも話した事のない、武也との過去の事をたどたどしく話し始めた。



「わたしね、中学の時は髪伸ばしてたんだ…
 …こう、束ねていてね」

 そう言うと、依緒はかずさの黒髪を指で束ねてみせた。その両目に羨望と悲しみが満ちていたのにかずさは気づいた。

「バスケの試合で勝った時、解いて広げるのが好きだった。自分でもお気に入りだったし…周りからも羨ましがられたし、わたしのトレードマークみたいなものだったなぁ…」

「その頃わたし、好きな先輩がいたんだ。
 バスケ部の先輩でさ、私にレイアップを教えてくれた人でさ、みんなの憧れだった」

「どこに惚れたかって? …さあ…」

「武也は…今と違って優しいやつだったよ。
 …気弱だけど優しい、どこにでもいる奴だった」

「武也のことどう思っていたかって? …それもわからないなぁ…」

「…ともあれ、わたしはその先輩を追って峰城大付に入学。バスケ部に入部。夏前には告ることにした」

「そして、玉砕」

「そしたら、3日後、武也が告ってきた」

「…どうって、正直、腹が立った」

「…どうしてって…わかんない。『弱っているとこにつけ込みやがって』くらいに思ったから、かな」

「だからって、わたし、すっごい最低なことをした…武也が『依緒の長い髪が好き』って言ったから…」

「こう、ハサミでじょきじょきって、自分のおさげ切り落として、『あげる』って言って投げつけた…」

「…ひくよね。軽蔑するよね。絶交ものだよね…武也、すごく泣いていた」

「それなのに、自分だけは清々した気分で帰って…なんであんな酷いことできたか、自分でも未だにわからない」

「後悔が始まったのは翌朝からだね…」

「自分の顔を鏡で見て、なんなんだ、これって、思ったよ…」

「前の日までの自分もその日の自分も、できの悪い小説の登場人物みたいに、リアリティのないものに感じた」

「忘れちゃう、気持ちをなくしちゃうってすごく怖いよ。自分をふった先輩やその彼女と普通に話できる自分が気味悪くてしょうがなかった」

「バスケ部ではウケ良かったよ。
『前々から切った方がいいと言っていたがやっと切ったか』って」

「先輩から余計にかわいがられるようになったし、得意技のリバースレイアップもやりやすくなったし、良いことずくめだったな」

「良いこと、ずくめ、だったよ」

「悲しいことを悲しく感じる気持ちごとなくしちゃったから…」

「武也に謝ることもできなかった。
 武也はずっとわたしを恨んでたかも知れないけど、わからない。
 お互いに目を逸らしてしか会話できなくてさ」

「『武也が色気づいてる』とか『上級生の女の子と武也が付き合ってる』とか聞いたときも何も思わなかった。というか、感情的に何も反応できなかった」

「春希からは『気にしてあげる素振りだけでも見せてあげられないか? お前に構ってもらえないから武也がエスカレートしてしまうんだぞ』なんて、おせっかいされたよ。
 …あいつ、何もわかってなかったなぁ。
 そんな話…わたしの周りの女の子全員から既に言われてたよ。」

「ははは。さすがに、バスケ部の後輩に手を出した上に部室にワザと痕跡残していきやがった時はキレたけどね」

「…そうだね。義憤や呆れからだね」

「嫉妬も感じてあげることができなかったから…」



「ふうん。そうなんだ」
「…武也がああなっちゃったのは…わたしのせいなんだ」


「…伸ばしてみたら? 髪」
「そんなこと…できない…」

「…部長ね。長い髪に触れている時に、時々優しそうな目になる」
「…そう…なの?」


「………」
「…依緒…寝た?」
「………」
「…おやすみ…依緒」


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