雪菜Trueアフター「月への恋」第十四話「彗星ふたたび〜武也と依緒」




 中学時代の依緒の二つ名は「峰ヶ谷北中の黒い彗星」だった。その由来は、彼女の束ねられた長い黒髪にあった。
 彼女がコートを駆け回る度、その黒髪がほうき星のような尾を引き、彼女が得意のリバースレイアップを決めた時は、ゴール下から流れ星が舞い上がりボールをリングに置いてきたように見えた。
 そして、試合に勝った時には彼女は決まって髪を解いた。すると舞い広がった黒髪が勝利を祝福してくれているように見えた。

 そんな彼女には、恋する人がいた。
 一学年上のバスケ部の先輩で、彼女にレイアップショットを教えてくれた人だった。
 彼女は峰城大付属に進学した先輩を追い、そして合格した。

 そんな彼女に、恋する少年がいた。
 同い年の気弱な少年で、いつも彼女の黒髪の後を付き従うように歩いていた。
 彼は峰城大付属に進学する彼女を追い、そして合格した。

 彼女は、先輩が待ってくれているものだと思っていた。しかし、それは叶わなかった。

「どうして…っ。わたし、先輩が待っていてくれると…」
「………それは君の勘違いだ。忘れてくれ」
「…っ!」

 彼女は悲しんだが、それを表に出そうとしなかった。彼女の失恋に気づいたのは、気弱な少年一人だった。

 少年は、彼女を励まそうとした。同時に、自分の想いを伝えようとした。

 しかし、失恋の傷未だ癒えぬ彼女はその告白に憎しみすら感じた。3年間後を付いて来て、自分が失恋で弱った機会を狙っていたのかと

 だから、あんなことをしてしまった。

「ふうん。武也、わたしのどこが好きなの?」
「………えっと…そのキレイな髪とか、かな?」
「…へえ、やっぱりそうなんだ。じゃあ『あげる』ね」
「?」

 じょきっ、じょきっ

「!!!!?っ! 何してるの!? 依緒! やめなよぉ!」
「あははははっ! あんたにあげるんじゃん! 喜びなよ! ほら!」

 ばさっ

「うあぁ…っ。ああああぁっ…。ああ…」
「ばいばい。また明日ね」

 彼女は胸がすくような思いでその場を去り、床屋に寄ってから帰宅した。
 失恋の心の重みが髪と一緒になくなってしまったようにすっきりした気分であった。

 その夜までは。

 朝、鏡を見て気づいた。先輩に恋していた自分はいなくなってしまったのだと。

 気弱だった少年に会って気づいた。あの気弱だが優しい眼差しをしていた少年はいなくなってしまったのだと。

 彼女は、今も髪を伸ばせないでいる。




「それで、話って何?」
「まあ、千晶も知ってる友達…依緒と部長のことなんだけど…」
 かずさが相談相手として選んだのは千晶だった。

「ふむふむ。まぁ、わたしも飯塚君と水沢さんのことは付属時代も色々見ているからね……
 …飯塚君とは同じクラスだったし。一時期『観察』していたことあったしね」
 かずさは『観察』のニュアンスに若干不安を覚えたが、依緒から聞いた内容を教えて助言を仰ぐことにした。

 ひととおり依緒の話した話を聞いた後、千晶はかずさに聞いた。
「それで、かずさはどうしたいの?」
「どうしたいのって、なんとかしてやりたいと思うじゃないか…」

 千晶は、そう答えるかずさを下から見上げるように表情を観察した後、微笑みながら言った。
「やっぱり、あんた変わったわ。…春希や雪菜の影響?」
「…口うるさいお節介焼きばかりだからな」
「その口うるさいお節介焼きが7年近く手を焼いていて、本人たちにもどうにもならないでいる問題が、あんたにどうこうできると思ったの?」

「…まぁ、やっぱりそう言われると思ったけどね」
 かずさは自嘲気味に肩をすくめてみせた。
 そんなかずさを見て、千晶は席を立ち上がると、かずさを値踏みするように、ぐるりと一週周り、最後に正面からかずさの両肩に手を置いて言った。
「うん。あんたならできるかも」

 かずさはキョトンとした顔になる。
「冗談?」
 千晶は真面目に首を振って、かずさの両肩に置いた手にやや力を込める。
「…いいや。春希や雪菜にはできない、飯塚君や水沢さん自身でもどうにもならないことだけど…あんたにだけはできる」
「…本当か?」
 かずさが信じられないといった表情で聞き返す。

 千晶はそこでかずさを試すように聞いた。
「ああ…でもそのためには、あんたに『百人目の生贄』の役になって貰わないといけないんだよね。できる?」

「…よくわからんが、覚悟があるかって事なら大丈夫だが?」
「ふうん。確かに大丈夫そうだね」
 千晶はそう言うとかずさの両肩から手を下ろして言った。
「じゃあ、まずは情報収集かな…」



6/17(火) 東京国際空港国際線ターミナル展望デッキ 日没後


 空港の展望デッキに呼び出された武也は驚いた声をあげた。
「冬馬!? その髪…」

「ああ、部長。やっと来たか。どうだ、この髪。似合うか?」
 かずさは手すりから振り返った。
 その髪は後ろでひとつにまとめられていた。

「…いいや。あまり似合わないな。どっちかっつーと快活な子向きの髪型だ」
「バスケとかやる子向きか?」
「な!? …依緒に何か聞いたのか?」

 かずさは肩をすくめて言った。
「ああ、部長は長い髪の子が好きだってな」
「………」
「この髪を切ろうとしたら止められたよ。依緒は切って後悔してるって」
「…伸ばせば済む話だろう」
「怖いんじゃない?」
「なにが?」
「自分から相手をはねのけてしまったから、今度は自分がはねのけられるのが怖くて手も髪も伸ばせない…って、千晶が言ってた」
「瀬能か…あいつ…」

「付属時代の依緒を千晶はこう評してたよ『武也にふられるのが怖くて女捨てて逃げてる』ってね。だから、下級生の女の子は寄ってきても、告る男はいなかったとさ」

「…なぜ、俺をここに呼んだ?」
「今日は何の日だ?」
「今日? あ…」
「もう1年引きずらないよう、今日にした」

 そうか、今日は…7年前、依緒が髪を切った日だ

「場所は私の趣味だ。この場所は私にとって苦い思い出の場所なんだ」
「何で?」
「春希たちと別れ、逃げはじめてしまった場所…
 わたし、馬鹿だよ…5年間も春希たちに電話ひとつしなかったんだ…」

「自分が嫌われているだろう、憎まれているだろうなんて、あり得ない言い訳に逃げていた。日本に居場所なんてないって」

「本当に大馬鹿だよな…春希や雪菜も、部長や依緒もいるのにな。わたしにはもったいないほどの友達がいるのにな」

 本当に大馬鹿だよ。冬馬。
 自分の方がよっぽどつらいだろうに、俺みたいな男を慰めに来るなんて。
 お前の方が俺たちにはもったいないほどの友達だよ
 依緒の昔の髪型までまねるなんて道化までしてみせて…

 と、その時

 ごおぉ…

 と、一陣の風が吹き、かずさの下げた髪が舞い上がった。

「おっと…」
 武也が反射的に手を顔の前にあげた。
 その手に髪が絡みつく。

 武也は7年前のことを思い出した。

 依緒が切った髪が河川敷に散らばっていた。
 無我夢中で拾い集めた。そんなことをしても何にもならないのに。

 何本もの髪の毛が手に涙と共に絡みついた。
 ぶつけられた感情が痛かった。散らばった思い出はかき消えて、泥のような鬱屈が残った。

 後悔と劣等感が爪の間から染み込んで心を腐らせ、吹き続ける風が心を冷えさせた。

 大好きだった笑顔がぬりつぶされ、恨みと苦みをかきたてる哄笑だけが耳にこだました。

 そして次の日から、好きだった依緒にはもう会えないと思ってしまった。自分の目に浮かんでいる暗い情念に気取られるのが嫌だったから。

 しばらく時が過ぎて、友達のように話すことができるようになったが、目を合わせることはできていなかった。

 そうして、依緒に癒やしてもらえないものをどれだけ抱えていただろう。

 武也は、今自分の手にしているかずさの髪をいじりつつ、自分の手に触れられるものに心情を転嫁させてきた過去に思いを巡らせた。

 はらり、はらり

 一本、また一本と手から離れていく髪が、武也の抱え込んだ荷を下ろし、過去を過去のものにしていった。

 最後の一本の髪が飛び立った。武也は礼を告げた。
「ありがとう。冬馬。冬馬の心遣い、涙が出るほどうれしかったよ」
 かずさは武也の面差しを確かめて言った。
「いい表情になったな部長。最後に泣いたのはいつだい?」
「…泣いている子を慰めてあげられなかった時かな」

 笑い声をあげながら髪を切るその子
 目の端に涙が一粒浮かんでいた。

 泣きながら拾い終わった髪に誓った
 もう俺は泣かないと

「まだ手遅れじゃない。慰めてあげな…依緒を呼んである」

 そう言うと、かずさは『send-off』と書かれた方の出口から出て行った。

 ちょうど別の入口から入れ替わるように依緒が現れた。

 依緒は武也の両目を見つめるやいなや、吸い込まれるようにその胸に飛び込んで行った。

 そして、あの日以来言えなかった言葉…
 武也が変わってしまったから
 自分が変わってしまったから
 ずっとずっと言えなかった言葉を口にした

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ…」
「…謝るんだったら最初からするなよ…」

 武也はやさしく依緒の髪を撫でた。
 その髪にひとしずく、ずっと流せなかった涙が、たった一人の女の子を慰めるために落ちた。

「依緒。俺は長い髪が好きなんだぜ」
「うん。うん。これから伸ばすよ」
「泣くな、依緒」



「おお〜、すごいすごい。うまくいったよ〜」

 展望デッキの階下の庭園スペースの窓際からは、展望デッキの端に立っている二人がよく見える。
 逆に、展望デッキから庭園スペースは光の加減でよく見えない。

 ここが千晶の選んだ観客席であった。

「あはは…和泉さん。趣味よくないね…」
 よくわからないまま『観客席』に案内された雪菜は苦笑しつつ言った。

 なにしろ、「かずさが依緒と飯塚君を仲直りさせようとしているよ〜。依緒たちには内緒で明日、空港まで来て〜」と、千晶より雪菜と春希に電話があったのだ。

 数日前にかずさが依緒たちのコトを聞き出そうと春希に電話してきていたから信憑性がわずかにあったが…雪菜も春希も半信半疑だった。

「春希くんは、依緒と武也くんの間に昔、何があったか知ってるの?」
「親友だからな…何も聞かなかった」

 7年前のあの日春希が見たのは、河川敷で泣きながら何かを拾い集めている武也の姿だった。
 近くに行って見ると、武也が拾い集めていたものは、風で飛び散った長い髪の毛だったとわかった。
 だから、何も聞かなかった。

『ほら、ビニール袋使うだろ』
『暗くなってきたな。ライト持ってくるよ』
『いつまで手伝う気か、だって? お前が帰るまでに決まってる』

「かずさからも聞かれたけど、答えられたのは日付だけだった」
「だいじょうぶだいじょうぶ〜。舞台作りにはそれで十分だったし。何せ、役者がいいから」

 ちょうどその時、かずさが降りて来た。
「あんなもので良かったのか? 脚本家がヘボだからよくわからなかったぞ」

 何せ、かずさが千晶から受けていた指示は、
『遠まわしに慰めろ』
『風が吹いた時に下げた髪が武也にかかるようにしろ』
『武也がいい表情になったら、依緒が来ることを告げて去れ』
 それだけだった。

 千晶は答える代わりに窓の外を親指で指し、そして、掌を挙げた。

 ぱしっ

 かずさとすれ違いざまにハイタッチ
 かずさは髪を束ねていたひもを解いて髪を広げた。

 春希は少し椅子からふりかえると左の拳を水平に伸ばす。

 こつっ

 春希とかずさの拳が突き合わされた。

 かずさは窓際まで歩くと、二人を見上げた。
「何で、こんな簡単な事なのに、二人とも7年近くも立ち止まってたんだろうなぁ…」

 そう言いつつ、かずさはわかっていた。

 どんな簡単な事でも自分自身ではどうしてもできないことがあると。

 自分が5年間も立ち止まっていたように。

 携帯に電話一つできなかった。
 2年前の元旦、空港で電話が一度つながらなかっただけでくじけてしまった。
 ストラスブールでは雪の中、春希を追うことができたくせに

 そこへ柳沢朋が駆けつけてきた。
「もしかして、出遅れた?」

 かずさが振り返り、親指で窓の外を指した。
 窓の外では、展望台の上で二人がまだ抱き合っているのが見えた。


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