雪菜Trueアフター「月への恋」第二十九話「夏と海とバンドと(2)」


 一同はロビーに集合するとビーチに向かった。
 保養所からビーチまで徒歩3分。一同は下に水着を着込んではしゃぎながら行進する。孝宏も大型テントをひょいと担いで軽々しい足取りだ。
 美穂子に至ってはもう空気を入れてしまったイルカのフロートを振り回して歩いている。
「お〜。あそこからビーチに降りれるよ。行こう行こう〜」
 千晶が真っ先に駆け出し、『だれとく』一同が後を追う。
 最後尾、足取りが重たいのはかずさだ。心なしか顔が赤い。
「かずさ? どうかしたか?」
 春希が聞くが、かずさは「なんでもない」としか言わなかった。

「わお〜。日本の海はキレイだ〜」
 小春は千晶を飛び越すようにビーチに降り立つと、上に着たシャツも脱がずに波打ち際に駆け出していった。
「おーい。着替えなくていいのか〜」
 テントを肩から下ろしつつ孝宏が呼びかけるが、小春は服が濡れるのもかまわずはしゃぎ回る。
「お〜。気持ちいい〜。みんな早く〜」
 そこに美穂子がイルカのフロートと共に突っ込む。
「え〜い!」
「やほ〜い!」
 歓声と共に迎える小春。日本列島が描かれた白いシャツが濡れて透け、緑の水着が透けて見えた。
 早百合もテントの展張を待たず、水着の上のシャツ等を脱ぎ始める。

 武也はそれを眺めつつ指示を出す。
「いやいや、若いっていいね。さて、孝宏くんテントの方はわかるかい? 春希はシェードの方頼む」
「了解〜」
「大丈夫です。このタイプなら立てたことありますよ」
 男たちが砂の上に拠点設置を始めた所で千晶が武也に聞く。
「ね〜ね〜。日焼け止めは? こちとら商売柄肌焼くワケにいかなくてさ〜」
「いいぞ。ほら、このビンだ。うちの開発からガメたやつだから、あとで感想頼むぞ。みんなも遠慮なく使ってくれ」
「お〜。タダと聞くと余計に嬉しいね〜」
 千晶は封を切ると遠慮なく顔や手足に塗り始めた。

 ほどなくテントとシェードが建つと、波打ち際ではしゃいでいた皆も一度戻り、着替えと荷物整理、日焼け止め塗りとなった。
 武也は依緒に、やれ擦り込むな、延ばすなと口うるさく塗り方を指示する。
「ど〜せ水で落ちるからいいじゃん」
「バカ。落ちたらまた塗り直すんだよ。2〜3時間おきに塗り直すのが理想だ」
「はいはい。この化粧品会社のまわし者」
「まわし者だよ。さあ、みんな塗った塗った」

 『だれとく』5人はテントに入らず素早く上のシャツ等を脱いで、波打ち際でボール遊びを始めた。
 雪菜や千晶はテントで着替えて出てきた。
 雪菜はピンクの花柄のモノキニで、同じ柄のパレオを腰に巻いている。千晶は赤のビキニにジーンズのホットパンツだ。
「雪菜、似合うよ」
「どういたしまして」
 そんな春希たちを武也は生暖かく見守る。そして、傍らの依緒をちらと見て溜め息をついた。
「はあ…」
「なに? 人を見てため息なんて感じ悪いよ!」
「いや、なんでもない」
 依緒の水着は全く色気のない、競泳用と見紛わんばかりの色気のない紺のワンピースだった。先程までなんとか誉め言葉を捻出しようとしていた武也もついにため息しか出なかった。

 そんな中、かずさ一人がテントにも入ろうとしない。
「どうしたの? かずさ?」
 雪菜が聞く。かずさは答えずシャツの下の身をよじる。
「まさか、水着が恥ずかしいとか?」
「…くっ!」
『まさか、当たり?』
 雪菜はあてずっぽうを言っただけだったが、正鵠を得てしまっていた。

 雪菜はこっそりかずさに耳打ちする。
「ねぇ、かずさ。毛抜きならあるけど…」
「そういう問題じゃないんだ…」
 かずさは答に窮した。そこを千晶が煽る。
「ほらほら、恥ずかしがらずに着替えた着替えた。
 詰まるところ、恥ずかしさってのは非日常性なのよ。オドオドしてると余計にヒワイに見えるよ。
 胸を張ってばばーんとしていれば恥ずかしくないんだってば」

 が、そこで春希は余計な口を挟んでしまった。
「ま、千晶が言っても説得力無いがな」
「むかっ! それどーゆー意味? わたしが色気がないって意味?」
「あー、はいはい。悪い悪い」
 春希は手をひらひらさせながら明らかに誠意のない謝りかたをした。それが余計に千晶を怒らせた。依緒が「まぁまぁ」となだめに入るが、千晶は収まらない。

「むか〜っ! もう、頭来た。いいわよ、春希。あたしの本領発揮を見せてあげようじゃないの!」
「…何する気だ?」
 春希は若干警戒の色を見せる。千晶は意味ありげに語る。
「女ってのは生まれながらに役者なの。女を感じさせない友達の仮面も男を誘う仮面も着けることができる。
 さっきまでは抑えてたけど、春希がわたしの魅力を疑うんであれば見せてやろうじゃないの。かずさも参考にしなさい」

「あの…千晶さん。何する気?」
 雪菜が心配そうに声をかけるが、千晶は飄々と答える。
「大丈夫。ちょっとこの男懲らしめてやるだけだから」
 懲らしめてやる、と言われて春希は訝しげな顔をする。しかし、この時点では春希たちは『また悪ふざけか?』ぐらいにしか思ってなかった。

 千晶はシェードの下で、まるで舞台に上がるようなステップを踏みつつ口上回しを始めた。
「さっきまでの千晶が余裕綽々のナイスな千晶ちゃん。そしてこれからが…」
 そう言いつつ、千晶はデニムのホットパンツを少しだけずらした。
「オドオドのドキドキ千晶です。黙って見てなさいよ」
 一同、何が起こるのかと少し固唾を飲んで見守った。

 すうっ
 千晶の呼吸ひとつで場の空気が変わる。真夏の砂浜のシェードの下が濃密でまとわりつくようなねっとりとした夜の色を帯びた。

 次の瞬間、千晶は突き飛ばされたかのように尻餅をついた。
「きゃあっ!?」
 千晶は驚きの表情をつくって春希たちを見る。彼女の表情からさっきまでの余裕があっという間に消え、戸惑いの表情が形づくられた。
「な、なに?」
 今、千晶の顔から見て取れるのは怯えの色だけだ。みるみるうちに顔から血の気が引き、口元が震えている。
「お、怒ってる?」
 春希は少し口を開きかけ、黙り込む。
 千晶はチラリと春希の目をのぞいた。そして、恐ろしいものを見たように目を見開いた。
「あわわわ…」
 あわをくったように千晶は後ずさりするが、すぐテントの壁に退路を断たれる。千晶は太ももにズレたホットパンツを戻すことも諦めたように地面にへたり込んだまま体を震えさせる。

「や、やめて。…み…見ないで…」
 千晶はこれから自分の身に起こる事を悟ってしまったかのように内股を固く閉じ、水着のみをまとった身体を手で隠す。
「ゆ、許して」
 しかし、その抵抗も、身をよじるしぐさも、許しを乞う言葉も、そしてその恐怖に引きつった表情すらも、男の劣情と嗜虐心をかきたてるように調律されたものだった。

 先程までの千晶とは全くの別人。今の千晶は怯えて震える被食者だった。
 手足の先まで蒼白になってしまった千晶がカチカチ歯をならし、かすれた涙声で最後の哀願の言葉を口にする。
「も、もう、春希のものとったりしないから…」

 見ているだけで自分が強姦魔になってしまったかのような罪悪感と劣情をかきたてられた。即興で傍観者まで引き込む悪魔のような演技だった。
 そして、皆が引き込まれたところで、千晶は唐突にオチをつけた。
「春希の海パンのヒモとったりしないから!」
「!?」
 一同、春希の海パンに注目する、

 もちろん、千晶は春希の海パンのヒモを抜きとるなんて手妻をしたわけではない。それは、皆の注目を春希の海パンに集めるための嘘だった。
「ちょっと、春希くん!」
「わわわっ! 違うんだ!」
 そこには、千晶に反応した小さくも───いや、日本男性の平均は優に上回っている───立派なテントができていた。

「にひひひ〜。討ち取ったり〜」
 千晶の勝利宣言に、武也とかずさはあきれ果てた声を挙げる。
「和泉…付属の時も思ったけど、やっぱお前怖いわ」
「千晶…悪いが凄すぎて参考にならん」
 雪菜は何も言わず、笑顔で春希の背中を思い切りつねった。
「いででででっ!」

 そんな春希を見ていられないと思ったのか、千晶に対抗心が芽生えたのか、かずさは「こんなことしてても仕方ないしな、着替えてくるよ」と言ってテントに入った。
 みな、一抹の不安とともに待った。

 やがて現れたかずさを見て、みなうめき声ともつかぬ声をあげた。
「うあ…」
「そ、それは…」
「…ちょっとあれだね…」
 かずさの水着は下半身にほとんど布のない超ハイレグのマイクロワンピースだった。黒地に赤い薔薇の花弁の柄が余計にエロチックで、かずさのスタイルではシャレにならない。これで海辺を歩いたら痴女スレスレだろう。
「ふ…どうだ…笑いたければ笑え!」
 虚勢を張る声も震えていた。
「………」
 一同、しばらく言葉を失った。

 一時の後、雪菜が哀れむように声をかける。
「ねぇ、かずさ」
「なんだ。…いや、言いたいことはわかる。なに考えているんだと怒るのも無理はない」
「ええっと、そういうことじゃなくて…」
「いや、言い訳させてくれ。これは母さんの悪ふざけなんだ」
「ま、まあ。なんとなくそうだと思ったけど…」
「私にも非がある。言われるままにエステで脱毛受けてても不審に思わず水着を任せて確かめもしなかったなんて…」
「あのね、かずさ。わたしが聞きたかったのはね」
「なんだ?」
「パレオが一枚余ってるけど、使う?」
「………」
 かずさは『最初から言ってくれ』と叫んでしまいそうだった。



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