「で、いつまで隠れてるつもり、麻理」
「しっ、静かにしててよ、出てくまでに決まってるでしょ、佐和子」
「全く、部下の決意を聞いて何にも言えずに頭をひっこめてるとはそれが三十代の姿?」
「私はまだ29だ! っと、いけないいけない」
「面倒臭いなぁ、もう。出てったよ、あの二人なら」
「サンキュー、佐和子」

 小春と鈴木が扉から姿を消すのを確認してから頭を出す麻理。いや〜、まいった、まいったと頭をかきながら姿を現す姿はいっそ滑稽。

「全く、自分に都合の悪い話だからって隠れる必要ないでしょうに」
「いや、さ。さすがにプライベートの愚痴を頼み込まれたわけでもないのに聞き入る訳にもいかないでしょうが」
「おーおー、見事に知らんふりしやがって。一回りも下の子が勇気を振り絞ってロープレスバンジーを試みるというのに、この三十路は」
「だから、私はまだ29だと言ってるだろ! 全く」
「それで、あんたはどうすん――「そう言えばさ、佐和子」――何?」

 聞きたくないとダダをこねる子供の様に麻理は佐和子の言葉を遮る。それが一種の答えだという事を本人は理解しているのか。
 それを理解している本人ではない佐和子は、心底呆れた表情を浮かべて、逃げに徹している友人に話を合わせる。

「お前から仕事を可能な限り開けてきてくれって話だったけど。一体どうしたんだ? 休みの時ぐらいにしか連絡をよこさないのに」
「本題に入って逃げるつもりか。まぁ、いいか。すぐ終わるような話だし。その後、きっちりと話をすればいいから」
「あーあー、ほらさっさと話せ」
「全く、なんでそういう所は子供のままなんだか。話っていっても簡単な事。六月には結婚するから」
「ふぅ〜〜ん、へっ!?」

 適当な相槌を打った後にぶふーっと12杯目のグラスの中身を麻理は噴出した。そんなに意外な話だったかなと親友の己の扱いに、ちょっと胡乱な目で見てしまう。

「げほげほげほ。結婚て!」
「そう、結婚。タイムリーよねぇ。北原くんと」
「そっ、そっちの話は今はいいから、お前結婚だなんて!」
「おかしかった?」
「おかしいっていうか」
「別に不思議な話でもないと思うんだけどな〜。私達ももう三十路まで秒読み。そろそろ特定の相手を見つけててもおかしくはないのに」
「そうなんだけど、さ。なんだろう。なんていうか置いてけぼりを食らった気がして」
「逆よ、逆。あんたは常に突っ走り過ぎて周囲を置いて行ってる側でしょうに。自覚、ない?」
「うっ」

 無い訳ではない。仕事場でも突っ張りすぎている傾向が無い訳ではない。でなければ、三十手前で編集長という役職には就けない。

「アンタはみんなの前を走り過ぎて、前しか見えなくて。だから、よ」
「そっか。そうかー。私はついに佐和子まで突き放してしまったわけだ」
「友情は消えないけれど、今までみたいな無茶は出来ないからね」
「そっか。おめでとう、佐和子」
「ありがとう、麻理」

 カツンと静かな音がこだまする。寂しさを伴う祝杯。

「麻理には一番に伝えたくてね。だから、ちょっと無理してもらってごめんね」
「いいよ。親友の慶事だもん。素直に嬉しい事だよ」
「ありがとう。本当にアンタが最初なのよ、この話したの。親よりも」
「この親不孝者」
「人の事言えるの? 暴風雨の片割れさん」

 ぐっと言葉を飲み込む。確かに女学生時代にやんちゃをやったのは今でも記憶から消し去りたい過去。あの時どれ程、親の気を揉ませたか。

「これで、私一人か。みんな結婚しちゃったし。なんだよ、アメリカから帰ってきたらみんな、結婚してやがって」
「そりゃ、三十代目前となったら少し焦るよ。晩婚化の傾向で、長寿になってきてるけど子供を産める年齢は変わってないんだから。自分の子供が欲しいなら、幸せな家庭を望むのなら、誰だってそういう選択を視野にいれるって。アンタみたいに仕事が恋人でいいっていつまでも人間、強がれないのよ」
「強がり…………か。それで相手はどんなの?」
「二つ年下でね。まぁ、あんまりうだつが上がらない方ではあるんだけど、でも堅実でさ、私の事を大切にしてくれるのよ」

 なんだ、その微妙に北原に似たヤツは、と。内心ムカムカとしている麻理。無論、それを分かった上での発言だという事に麻理は気付かない。

「そいつとなら、結婚したいなぁって思って。それでこの前私からプロポーズした」
「男からじゃないってのが佐和子らしい」
「待ってて、逃げられたりしたら嫌じゃない? ねぇ、麻理」
「あーあー、聞こえない聞こえない」
「それに聞いたよ。アンタ。春希く――っとと、未だに何で睨むのよ。北原君の結婚式、他のグラフの人達が空くように調整しちゃったんでしょ? 出席請われてたのに」
「全員が抜けたら仕事にならないでしょうが。それに編集長は忙しいの。で、何で知ってるの?」
「鈴木ちゃんに聞いた」
「…………鈴木ぃ…………」
「あの子もあの子であんたの事、気にしてるんでしょ。嬉しい事じゃない、上司冥利に尽きるってものよ」
「自分の事を第一に心配すればいいんだ。さっきだって小春に絡むほどに傷ついてた癖に」
「あの子は、自分の恋愛は大丈夫だって分かってるからでしょ。アンタの場合はぐいぐい押してくるタイプが来ないと仕事だけになっちゃうから。もしくはアンタの高すぎる理想の男がこないと」
「うぅうう」
「逃がした魚は大きいね、麻理。アメリカに一緒に連れて行けば違う展開になってたかもしれないのに」
「さすがに、学生の北原にそんな事出来る訳がないだろ」
「そうかなぁ? 彼、本気で必要として、本気で麻理が求めたのなら押されてたかもしれないのに。あの時、彼、結構弱ってたしね。押してれば勝てたよ」
「今更な事、言わないでよ〜」

 先程の小春と違い、完全に敗北を認めた上で、麻理はカウンターに頭を置いた。本当に今更だ。あの、三年前の冬に電話越しであるとはいえ、悩みを聞いて肯定してしまったのがいけなかった。あの時、もしすべてを放り出して春希の元にかけて付けていたら、クリスマスイブの日に春希の横にいたのなら結末は変化していたかもしれない。

 だが、それらは所詮、IFに過ぎない。過去におけるIFを語るのは、荒唐無稽な未来を語るよりも劣悪なる行為。

「その後もさ、気があるんじゃないかと思うような言葉を言われたりしてさ。でも、応援しちゃったし、なんか無駄に疲れたよ。あの時は。それに、帰ってきてからもなんだか優しくされるしさ、褒められたりすることがあるし、二年で忘れるはずだったのになぁ」
「何、アンタ、北原君に可愛いなぁとか、言われてときめいてるの?」
「いいだろ! そう言ってくれるの何て北原ぐらいなんだから」
「呆れた。片思いもいい加減にしなさいよ。恋の傷は恋で癒せよとか言ってた人間とは思えない」
「私以外に対して言ってるだけ。自分に適用しようとなんて思ってないから」
「また、そうやって逃げてる。さっきの子、アンタの後輩なんでしょ。その後輩が麻理よりも先に決心したんだから、アンタもいい加減決心つけなさいよ」
「あのなぁ、私は小春とは立場が違うんだぞ? 結婚前の告白だなんて会社を騒がせる以外に何でもない。仕事に私情は持ち込まないっていっても限度があるし。告白したら次の日の仕事とか、手につかない。それはダメ」
「逃げに徹して。おーおー、これだから三十路は」
「まだ、29だ」

 先程までの元気はすでにないのか、麻理の返答も力ない。まぁ、ここまでジャブとストレートの連打を食らって笑顔を浮かべられるのは雪菜と千晶ぐらいだ。

「分かってた事でしょ」
「そう、だ。そうだよ。分かりきってた事だよ。だからこそ諦めがつかないというか。小春も冬馬かずささんもどうやって自分の気持ちに折り合いをつけたんだか」
「それは二人が北原君の彼女の事をよく知ってるからじゃない? 聞きだしたんだけど、疎遠になってた北原君のお母さんとも仲を取り持つくらい幸せに貪欲なんだって。周りが幸せでないと自分も幸せになれないある意味でぶっ飛んだ子。だから、いつまでも吹っ切れなかったら気に病んでくれて、それが勝者の余裕に見えるから苛立ちを募らせて、だけど嫌いになれないから自己嫌悪になるから」
「カウンセラーにでもなったら?」
「茶化さないの。それに、きっとさっき鈴木ちゃんが言ってた事が一番の正解じゃない。大好きな人だから、大好きな人達だから、門出を笑顔で祝ってあげたい。それに尽きるんだと思う」
「私は片方しか知らないってーの」
「それでも、北原君の幸せを本気で祝ってあげたい気持ちが無い訳でもないんでしょ」
「……………………」

 その沈黙が如実に語っていた。その気持ちがないじゃない事を。
 初めてできた、可愛い部下。初めてできた自分と同じ領域まで来れる男。初めて本気で惚れた男。今でも、その甘い言葉が自分だけに向けばいいと心から思う。
 だけど、それは不可能だ。春希には雪菜がいるから。

 だから、諦める他ない。だけど、些細な行動が胸を締め付けて、小さな事を気にかけて貰えたことが嬉しくて、それが諦めなければならない恋心の燃料となって、堂々巡りとなる。

「あんたも決着をつけなさい。大切な部下なんでしょ」
「部下だよ。そう、部下だよ。あぁ〜あ、部下なんて形でくくらなきゃ良かった…………………………はぁ、何とかする。結婚式の日までには」
「おっ、玉砕二号がここに確定した!」
「心に折り合いを完全につけるだけ! 玉砕するなんて一言も言って無い!」

 White Albumは開かれない。されど、それでも誰かの幸福の為に誰かが傷つく日常。
 すれ違いはすでになく、それでも無自覚に誰かを傷つける日常。White Albumは、もう開かれることはない。

 暴風が吹き荒れた後には、晴れ渡る蒼穹が広がる事を願って。

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