結果から言えば、かずさと麻理さんの邂逅は、思いがけずあっさりとしたものだった。互いに短い自己紹介を交わし、応接室へ。テーブルを挟んで向かい合ってソファに腰掛け、かずさの隣には俺。

俺の入れた紅茶を皆が一口すすり、まずは淡々とインタビューは始まった。

過去のこと、現在のこと、音楽性に関すること、コンサートへの準備や心構え、好きな曲、曲への姿勢、解釈、etc…

あまりにスムーズに進むインタビューに、唖然とするしかなかった。

表面上の態度は相変わらず傲岸不遜三歩手前ではあったけど、これは単に表情を作るのが下手なだけで、口調は決して相手を突き放したものでなく、とりあえず質問には真摯に、きちんと答えている。しかも多少不安だがですますと丁寧語使いまで。もちろん立て板に水というわけではないが、考え考え、少ない語彙の中から一生懸命最善と思える言葉を探し、誠実に進めていた。

まじかよかずさ。どうしたんだ。

俺の視線を感じたかずさが目端でぎろりと睨み返し、咎めるように小声で聞いてきた。

「…なんだよ」

「ああいや…、つ、続けてくれ」

「ふん」

本当に、こういう時の目付きの悪さは天下一品だな、お前。

とにかく、俺が口を出す隙はほとんどなかった。

その時までは。

ほぼ定番とも思える質疑がいくつか続いた後、麻理さんの質問がプライベートな部分へとシフトしていった。

「では音楽以外、なにかご趣味は…」

瞬間、かずさの唇の端に浮かぶなにやら不穏な笑み。

やばい!!

こいつがこんな笑みを浮かべるときは…

「春希だ」

「は?」

と、マヌケな声を出したのは俺と麻理さん、同時だった。

そしてかずさは止まらない。

その目にギラギラとした挑戦的な情炎を燃え上がらせ、身を乗り出さんばかりに言い放つ。丁寧語もどこかへ吹き飛んでいってしまった。

「春希にキスすること、春希にキスしてもらうこと、春希に触れること、春希に触れてもらうこと、春希とse…」

「うわあああああああああああ!」

慌ててかずさの口をふさいだ。

何を言い出す、何を言い出しやがりますか、こいつは!

「ふぁふぁふぇふぉー」

おそらく離せよーと言ってるんだろうけど、離せるか!

「おまえは常識の範囲ってもんを……痛っ」

指を噛みやがった。

さらに強靭極まりないピアニストの握力が俺の手を口からひっぺがした。

傲然とその豊かな胸をそらし、かずさは俺を見下すように言い放つ。

「あたしにつまらない常識を求めるとは…、ふん、春希、お前それでもあたしの飼い主か!」

どういう開き直りだ!

しかもそれが飼い主に対する態度か!

いやいやいや、その前にものすごい問題発言だし!

「第一お前はインタビューには誠意を持って答えろって言ったじゃないか。だからあたしはご主人様のいいつけ通りに事実を語っているだけだ」

「わかった、わかったからちょっと落ち着こう、な、かずさ」

「あたしは落ち着いてる。慌ててるのはお前だ」

「そうだけど。たしかにそうだけど」

キーワードがいちいち危ない。こいつ、絶対わざとだ。最初からこの瞬間を狙ってやがったな!

「あ、あは、あはは…」

麻理さんの乾いた笑いが耳に痛い。

なんだか場の空気が奇妙にねじれ始めているんじゃないかというのは気のせいだと思いたい。思わせてくれ。

「で、では質問を変えて…。休日は何を…」

「休日なんてない。一日10時間、ずっとレッスンだ」

「そう…なんですか」

「ああ、でも」

「でも?」

「春希がときどきケダモノになって、一日潰れることはあるけど」

「はい?」

俺は、かずさの唇を塞ぐ前に、自分の耳を塞ぎ…

「こいつすごいん…んぷっ」

──やっぱりかずさの口を塞いだ。

はずだったが、今度は俺の攻撃を予測していたかずさは見事に上体をひねって紙一重で俺の手を交わしやがった。

あとはもう、くんずほぐれつの痴話喧嘩。

「なにすんだよ、ちゃんと喋らせろよ!」

「世界中の人が読むんだぞ!」

「だからなんだってんだ、むしろそのほうがいいだろ!」

「いいわけあるか!」

「知るかっ ばか!」

「バカっていうやつが愚か者だ!」

我ながら、なんて低レベルな言い争いだ。

「っるさい! 昨夜だってあたしの胸で…んぐっ」

胸でなんだって! だめだこいつ、早く何とかしないと。

口を塞ごうとする俺の手を、かずさは両手で払おうとする。

「こ、こら、手! 手を振り回すな! 怪我をする!」

振り回されるかずさの腕の右手首を俺の左手で、同様に左手首を右手で掴んで動きを封じる。

あれ? デジャヴ…

「離せ! 離せよ! 離さないと一昨日の夜、お前が何をしたか話すぞ!」

両手は塞がっている。となるとこいつの口を塞ぐ手段は一つしかない。

「お前後ろから…んうぅん」

間一髪。塞ぐことができた。口唇で。

実際は間五髪ぐらいだったかもしれないけど、あまり深く考えたくない。

…後ろから何したっけ俺。

とにもかくにも俺の口唇から逃れようとするかずさの身体をソファーの背もたれと俺の身体で挟みこむように押さえつけ自由を奪う。

「んぷぁ…お前卑怯…ううん」

卑怯もへったくれもあるか。今はお前の暴言を抑えることに全力だっての。

あああ、麻理さんの視線が…。

すみませんすみません、違うんです。何が違うのかよく分かりませんが違うんですって。

自分時間でおよそ一分弱。客観時間は怖くて知りたくない程の間、逃げようとするかずさの舌を絡めとり、強く吸い上げる。

かずさの身体からふっと力が抜けた。

勝った!

と、油断した瞬間、

ガリッ!

「いへぇ!」

やられた。くそ、何度目だこいつ!

「甘いよ春希。いつもいつもそれが通用すると思うなよ」

「こ…のぁ…」

第二ラウンドが始まってしまった。

………………………………

十数分後、俺達は暴れるだけ暴れ、言い合うだけ言い合って、変なエネルギーをすべて放出し、お互いぐったりとソファにもたれかかっていた。

「そろそろよろしいですか?」

麻理さんの素晴らしい笑顔が俺たちに向けられた。ひくひく痙攣するまゆと額に浮かぶ青筋は、きっと幻に違いない。誰かそうだと言ってくれ。

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