WHITE ALBUM2 SS まとめwiki - interview concerto -05

Tagsかずさ



自宅に帰り着いた頃には、すでに日は沈み、星空が広がりかけていた。しかし家に灯はなくて…。門灯も玄関灯も消え、もしかしたらかずさは出かけているのかも…とも思ったが、俺がいなかったら極めつけの引きこもりがそうそう出かけているはずもなく。

屋内に入り明かりをつけ、気配を伺う。

「かずさ、いるのか?」

返事はない。とにかく歩を進め、寝室へと続く廊下に至った時、発見した。点々と脱ぎ捨てられたかずさの服を。

「あの裸族め…」

服を拾いながら寝室に入り明かりをつける。案の定、そこにかずさはいた。いやより正確に言うと、シーツの皮で作った巨大な大福がベッドの上に一つ。ベッドまでは、ストッキング、ショーツ、ブラが点々と。

つまり大福の中の人は、いま全裸らしかった。もう苦笑しかない。

とりあえず服をきちんとたたんでからテーブルに置き、ゆっくりとベッドに近づいて…かずさを刺激しないようにできるだけそっと縁に腰掛けた。

「かずさ」

大福がぴくりと揺れた。

「なん…だよ…早かったじゃないか」

おお、しゃべるぞこの大福。しかも鼻声だし。

「送ってきただけだからな、腹減ったろ? すぐに飯の支度するから」

「しょ、食事ぐらいしてくればよかったじゃないか…あ、あんな美人と一緒なら食事だって楽しいだろ。あ、あたしは別に気にしないし」

鼻声が涙声に進化した。やれやれ…思いっきり気にしてるよな。

とんだ美人祭りだ。

「あー、そっか、それもいいな」

だからほんの少し意地悪をした瞬間、大福から飛び出した手が俺の手を鷲掴み、爪を立てた。どんなトラップだよ。

「痛っ、おい」

「うるさい」

「痛いって」

「うるさい、うるさい…」

手にはますます力がこもり、語尾はもう聞こえないほど小さくなって、代わりに小さな嗚咽が混じりだした。

…そうだよな…。お前、嫉妬深いんだよな…。

数年前、会話の端にちょっとだけ登場した、俺の元女上司。NYからのメールにあった開桜の文字と女性名。そして俺の反応。

もうこれで十分だったろう。

俺のむかしの女、とまではいかないまでも何かあったかもしれない女に、二人の愛の巣を、今の二人の姿を見せつけて、俺の所有権を主張したかったんだろう?

けれど同時に。切り捨ててきた過去と俺を、ほんの少しだけでも、もう一度繋げてくれようとしたんだろう?

嫉妬深くて執念深くて、でも優しい女。

勢いでやってしまった後に、こうして激しく後悔する大胆な小心者。

まったくお前ってやつは…

「でもさ、俺の一番の幸せは、これからお前と一緒に飯を食って、一緒に風呂に入って、一緒のベッドに潜り込んで、抱き合って眠ることなんだけどな」

「…え…え?」

「お前、俺を幸せにしてくれるんじゃなかったのかよ」

「はる…き…?」

かずさの指先からふと力が抜けた。

「なあ、そろそろ世界一かわいい俺の嫁の顔が見たいんだけど」

瞬間、シーツが跳ね上がり、かずさが勢い良く飛びついてきた。

「うわっ」

バランスを崩し、危うくベッドからずり落ちそうになった俺は、なんとか身体を半回転捻り、ベッドに倒れ込んだ。ちょうどかずさが俺に覆いかぶさるような形に。俺の鳩尾あたりに、かずさが必死で頭を押し付けてきた。泣きはらしたであろう顔を、俺に見せたくないってのもあったのかもしれない。

「あぶないって。手を怪我したらどうすんだよ」

「春希、お前、セリフキモいよ…」

「そんなこと…知ってる」

かずさの熱い息がくすぐったい。

「でも、そんなキモいセリフでこんなに嬉しくなるあたしがもっとキモい」

「困った夫婦だよな」

「うん…」

少し頭を起こせば、真っ白で、シミ一つ無いかずさの背が、その向こうにある神が創りたもうた完璧な曲線とともに視界に飛び込んでくる。脇腹辺りは豊かな柔肉が押し付けらてるし…。目の毒、身体の毒というものだ。

「とりあえず服着ろ。風邪を引いちまう」

「やだ」

「あのな…」

かずさは俺の服を突き破りそうな勢いで顔を擦りつけてきた。

甘えモード全開かよ…。うれしいけど。

少々惜しいが、しかたがないのでシーツを引き寄せかずさをくるむ。

優しく、ゆっくりとかずさの髪を梳くように指を通し、頭を撫でれば、絹のような、いやそれ以上の淡い感触が、強烈な快感を伴って俺の心を満たしていく。

少しくすぐったそうに、でも嬉しそうに、力を抜いたかずさが俺に身を委ねてきた。

二人っきりの、ひどく穏やかで、幸福な時間。

「冬馬かずささんじゃなく、北原かずささんによろしくだってさ。ご感想は?」

「………………………ちょっとだけ、うれしい」

さっきまでの敵愾心はどこへやら。でもまあ微妙な素直さも、実に可愛らしい。

「それと、お前の記事は俺が書くことになった」

「え? なんで?」

「まあ、結論から言うとだな、冬馬かずさを語らせたら俺が世界一だってことさ。というわけで臨時にライターとして雇われた。ってなんだよ、その顔は」

けっこう自慢顔で語ったのに、かずさはなんだかひどく微妙な顔で見上げてきた。

「だってお前が書くと、さっき話した一番重要な部分が削られてしまうじゃないか」

「…参考までに、その一番重要な部分ってのを聞かせてもらおうか」

「えー、例えばあたしの趣味が春希だってところとか」

「却下」

「春希が時々ケダモノになるところとか」

「却下だ却下!」

「春希があたしの胸が大好きだってところとか」

「微妙に脚色するな。却下!」

「ぶ──、あ、じゃあ春希が一昨日後ろ…んふ、こら、あはは、やめろ、やめろよ、くすぐるな、あははは」

最後まで言わせてなるものか。

俺のくすぐり攻撃を逃れようと、かずさがベッド上を転がりながら逃げていく。俺はそれを這うようにして追いかける。子供のように、ばかみたいにはしゃぎながら。追いかけられる方も、追いかける方も、適度に芝居がかってて。いつでも捉えられるのに捉えない。

ひとしきりそんな小さな鬼ごっこを楽しんでから、俺は再びかずさを腕の中に捉えた。もし周りに人がいたら、絶対石でも投げられそうな、そんなじゃれ合い。

「なあ、かずさ」

「なに?」

「俺はさ、俺はとっくに幸せなんだ」

「…え?」

「お前と一緒に暮らし始めてから今日まで、ずっと幸せだった…。お前が側にいてくれて、お前の側にいられて、お前の想いに護られて、本当に幸せだったんだ。お前のこと護るだなんて偉そうなこと言っといて、本当は、俺がお前の愛にすがってた…。ちょっと情けないけど、な」

そうだ、かずさの強い想いがなければ、俺なんか、とうの昔に折れていたかもしれない。

「…本当に?」

「ああ、本当だ」

「本当に本当に?」

「本当に本当だって。信じろよ」

「春希…春希………うれしいよ…すごくうれしい…」

「うん」

「でもね、でも…」

かずさの腕がゆっくりと伸び、白くしなやかで、でも硬い指先の掌が俺の頬を優しくなでた。

「もし本当にあたしが春希を幸せにしてあげることができてたのなら、それはきっと春希があたしを護ってくれたから…愛してくれたから……だから…」

「そっか、お互い様か」

「うん」

俺とかずさは穏やかに微笑み合う。互いの愛を信じ、二人で作り上げた幸福に包まれて。その向こうに、今も血を流す癒えない傷を抱えながら…。

「俺さ、これから先も、お前のことをずっと記録しておこうと思うんだ」

「前みたいに特集でもやるのか?」

「いやそういうんじゃなくて、記事とは別に個人的に、さ。お前のことを、何年も、何十年も、ずっと残しておきたいって。だめか?」

「だめ…じゃないけど…。それって究極のストーカーだよな」

「…なんて言い方しやがる」

「ふふ…春希にストーキングされるなら本望だよ…」

「まあ、お互い爺さんと婆さんになったら、伝記にでもして出版するのもいいかもな」

「じゃあさ、一つだけ、お願いしてもいい?」

「お願い?」

「ん…春希とあたし、二人のことを残してよ…」

「それは…」

「もしできたら…出会いから、ずっと」

かずさが真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。声にならない想いを伝えてくる。二人の出会いから記録するということがどういう意味か、もちろんかずさは分かっている。分かっていてあえてそれを願っている。

「…分かった」

だから俺もそれに応える。

すぐには無理だ。今はまだ熱すぎてとても触れられない。けれど、いつか、それこそ何年か何十年か過ぎて、熱が引き、触れても火傷しないほどになれば、きっと…。

「さて、そろそろ飯にしよう」

「ん、もうちょっと、もうちょっとだけこのまま…」

「…ったく」

言いつつも、俺もこの時間を惜しんでいた。かずさの温もりを感じながら、微睡むような時の流れに身を任せ、未来へと思いを馳せる。

いつか、あの場所へ帰る日が来るかもしれない。懐かしい人々と再び出会う日が来るかもしれない。麻理さんとの糸が再び繋がったように。けれどもう、俺がかずさの手を離すことはない。どんなことでも二人で受け止め乗り越える。それだけは確かなことだった。

そうしていつか…いつか枯淡とも言えるほどに歳を重ねれば、かずさと二人、もしかしたらそこに誰かが加わって、あの頃の話を懐かしむことができるかもしれない。笑い話にできるかもしれない。

麻理さんがいったように、世界ががほんの少し柔らかければ、そんな未来があってもいいじゃないか…。

「春希…」

「…ん?」

かずさが僅かに体を起こし見下ろしてきた。

「愛してる…」

「ああ、俺もだ。愛してる」

かずさの方からゆっくりと口唇を重ねてきた。けれど決して深くならないように。熱くなり過ぎないように。今はただ、互いにゆるやかな鼓動を感じながら、暖かな心を感じながら、柔らかく抱き合おう。

優しいこの時間を壊さないように。

end