「皆、準備できた?」
「うん、こっちはオッケー」
「じゃあそれぞれの持ち場に行って、ちゃんと呼び込んでね」
「了解!」
「それでは、行きますか」
『おーっ!』
「六号館、政経学部の大正浪漫喫茶で〜す。よろしかったら来てくださ〜い」
手製のプラカードを抱えながら、周りの騒ぎに負けないくらいに声を張り上げて宣伝を続ける。
峰城祭初日。いよいよ始まった年に一度の大賑わい。
わたしは一人、ゼミの売り子部隊の役目をこなしていた。
数人で大学の敷地内を回って宣伝活動、残りの娘たちで店番。
皆はわたしに店番を担当してもらいたかったらしいけど、結局自分の要望通り、外回りを通させてもらった。
こういった時こそ、発案者の希望はしっかり通してもらわないと。
「ねえねえお嬢さん、デートしてくれない?」
「六号館、政経学部でお待ちしてま〜す」
邪な声を掛けた人の呼びかけをあっさりかわして宣伝を続ける。やっぱり目立つのかな、この格好?
『うわ、雪菜すごいかわいい』
『ああ、マジで人目を引くな』
依緒も、武也くんも。
『よかった〜、今年も雪菜エントリーしてなくて』
『エントリーって?』
『決まってるじゃん、ミス峰城。
そんな恰好されたらマジ敵わないって』
『朋は今年も出るの?』
『まあね。雪菜が出ない以上負けてられないし。将来のためにもね』
朋も、褒めてくれたのか、な……。
「あ〜あ、せっかく外回りにしたのにな〜」
人目につかないように、わたしはそっと溜息を吐いた。
「あ、小木曽先輩」
「あ、ホントだ」
「え?」
そんなわたしに声を掛けたのは。
「あなたたち、確か孝宏の」
「はい、清水早百合です!」
「園田亜子です」
「皆こんにちは。どう?楽しんでる?」
「はい。といってもまだ初日ですけどね」
「お姉さん、その恰好は」
「あ、六号館でやってるの。大正浪漫喫茶」
「じゃあみんなその恰好で?」
「うん。女給さんは皆この格好でやってるの。よかったら来てね」
「はい。でもすごい似合うなぁ」
「ありがと。じゃあ二人とも楽しんでね」
「「はい!」」
そんな二人の後ろを追いかけてきたのは。
「あ、小木曽先輩」
「あ、杉浦さんたちも一緒だったんだ?」
「はい。もう早百合、行くの早いって」
「だって見てよこの小木曽先輩の恰好。どっからどう見ても完璧じゃん!」
「だからって急に走らないでよ!見失ったらどうするの?美穂子だって置いてけぼりくらっちゃいそうだったんだよ」
「じゃあ小春はダメ?このお姉さんの恰好、イケてない?」
「ああもう、そんなことじゃないでしょ!まあ、でも確かにいいかな」
「ほらほら、やっぱり小春だって」
「何で早百合が勝ち誇るかね?」
「あははは。ありがとね皆」
正直、この娘たちのやり取りが羨ましかった。かつてわたしが失ってしまったものを、この娘たちはこうして持っている。
中学の頃に孤立してしまったわたしが孤独から身を守るために失ってしまったものを。こんな風に屈託なく友達と接することができるのは本当に眩しかった。
「ところで先輩、先輩がここにいるのは」
「うん、わたしの希望」
「ですよね。先輩がここにいるのはある意味当然ですよね」
「まあ、ね」
「ひょっとして小木曽先輩、まだ言ってもらってないんですか?」
「え?」
「北原先輩に、です」
「う、うん」
そう、わたしの担当はこの三号館周辺。文学部の領域。
もちろん、理由は決まってる。
「ああもう、北原先輩ったら肝心なことを何にも言わないんだから」
「いいんだよ。春希くんも色々忙しいんだろうし」
「でも先輩、北原先輩に断られたじゃないですか」
「断られたって?」
「ほら、ライブですよ」
「ああ、でもそれはもういいの」
「よくありません。だって北原先輩が断った本当の理由は」
「本当の……理由?」
「先輩……これも聞いてないんですか?」
「うん」
その瞬間、杉浦さんはしまったという表情をする。どうやらわたしの知らない何かに関して勇み足をしてしまったようだ。
「ま、まあ、それは置いといて。北原先輩、きっとこの辺りにいると思いますよ」
「うん。さっきから待ってるんだけどね」
「小春ちゃん……」
「美穂子?どうしたの?」
「先生……」
そんな時、ポツリと呟く声に、わたしたちがその方を向くと。
「……」
硬い表情のまま立ち尽くした春希くんが。
「先輩!もう、何してたんですか?」
杉浦さんに声を掛けられても、春希くんはわたしから視線を逸らさずに動かない。
でも何だろう?心なしか震えてる?
「せ、雪菜……」
「先輩……?」
そんな春希くんの様子に気づいたのか、杉浦さんたちも怪訝な表情で春希くんを見詰めた。
「あ、えと、その」
春希くんが徐々に後ずさりし始めたので、わたしはすかさず詰め寄った。
「そこの学生さん、一昔前の青春を味わってみませんか?」
「……っ!」
「もし味わいたいのなら、六号館で女学生さんが学生さんをお待ちしていますよ?」
「う、うわ」
「よろしければご案内致しますが、如何でしょうか学生さん?」
わたしはグイグイ詰め寄り春希くんを勧誘したけど、春希くんは後ろ足で後ずさりしながら、
「い、いえ、け、結構です!ど、どう、も」
……サッと後ろを振り向いて、一目散に駆け出してしまった。
「あ〜あ、残念。もうちょっとだったのに」
う〜ん、もう少しあっさりした誘い方の方がよかったのかな?
この間はちょっと悪ふざけが過ぎたと思ったから自分なりに調整したつもりなんだけど。
「……先輩?」
「ん?」
その声に振り向くと、呆気にとられた杉浦さんたちが。
「……何か今の、小木曽先輩じゃないみたいでしたね」
「え?そうかな?」
「そうですよ。北原先輩、思い切り引いてたじゃないですか!」
「まあ、ね。でも春希くんもあんなにサッサと逃げなくてもいいのにな」
「いや、逃げますよ普通」
まあ、わたしとこの娘たちの間の認識には齟齬があるんだけどね。
でも、こうしてわたしが素顔をさらけ出せるようになったのは、他ならぬ春希くんのおかげなんだよね。
中学の頃の傷が元で、自分の素顔を出せなくなって、誰にでも人当たりのいい作り笑いの仮面で演じていたあの頃の自分を救ってくれた。
誰も知らなかったわたしの事情に介入して、わたしの心の底に眠る傷を癒してくれた。
そして、約束してくれた。決して離れはしない、と。
そう、わたしはあの頃からずっと、春希くんに守ってもらった。
この格好で電車に乗せられてしまった時に春希くんをからかう程の余裕ができたのも。
ライブのリハーサルで足が震えてしまったわたしが本番で歌えたのも。
春希くんが隣にいてくれたから。わたしは止まらずに前へ進めた。
だからわたしは動けた。自分の気持ちに正直に。
春希くんの気持ちは知っていた。かずさの気持ちも知っていた。
そして、あの時の自分の中にある本当の気持ちも。
それでも、わたしは動いた。誰にも譲れない想いだったから。
春希くんを誰にも、かずさにも渡したくなくなってしまったから。
「じゃあ先輩、わたしたちもそろそろ」
「あ、じゃあ気を付けてね。よかったらここにも来てね」
「はい、考えておきます」
杉浦さんたちが去り、わたしは再びプラカードを掲げて歩き出す。
「……よしっ」
わたしは踵を鳴らし、声を上げながら敷地内を歩き回る。
しっかりとした足取りで。
彼とともに歩む、そう信じる未来への道に向かって。